ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 その火は、世界を越えて受け継がれる。


閑話:アルの面接。

 001

 

『先生、久しぶり』

 

『返事できなくてごめんなさい。ようやく新しい事務所を構えられたの』

 

 アビドスの一件が終わってしばらく経ったある日、突然俺の端末にメッセージが入った。

 差出人不明──ではなく、俺からの連絡に音沙汰がなかった一人。

 陸八魔アルである。

 姿を眩ました後はてんで噂を聞かなかったが、どうやら新たに事務所を構えたらしく、その報告として俺に連絡を寄越したらしい。

 律儀なことだ。

 個人的にはもう少し早く連絡が欲しかったところではあるが、まあ文句は言うまい。事務所が構えられたということは、少なくとも困窮してはいないだろう。

 

『無事で何よりだ。未払いの報酬をできれば早めに渡しておきたいのだが、空いている日はあるか』

 

 俺はひとまず、最も懸念していた報酬の受け渡しを終わらせるため、そんなメッセージを送った。

 スケジュールの確認を考慮すれば返答に時間がかかるだろうと思っていたのだが、すぐさまメッセージは返って来た。

 

『ええ。ここ最近仕事がないから、いつでも大丈夫よ』

 

 と、一瞬送信されてから、

 

『ええ。最近ようやく仕事が落ち着いたから、いつでも大丈夫よ』

 

 というメッセージに変わりながら。

 …………まあ、詳しくは聞くまい。

 

『では、明日向かおう。時間の指定はあるか』

 

『あ、それなんだけど、長くなりそうな大事な話があるから、午前中に頼めるかしら』

 

 …………?

 大事な話。

 それも、午後にしてしまうと困る程に、長くなるかもしれないような。

 現状では内容を想像できないが……もしも急用だとすれば、今日の方が良いだろうか。

 

『急ぎか?』

 

『いえ、明日で大丈夫な話。でも直接相談したくって』

 

『分かった。では、後で住所を送ってくれ。明日はよろしく頼む』

 

 俺のメッセージの後に、既読を知らせるためか、アルから可愛らしいスタンプが送られてきてから、やり取りは終わった。

 ふむ。若者はこういうものを最後に送り、メッセージの終わりを言外に伝えるらしい。

 俺が使うことはないが、コミュニケーションの一環として知っておく必要はあるかもしれん。これらの情報を集めるとすれば……ノノミやセリカ、アヤネあたりが適任だろうか?

 年頃の女子高生らしさ、という一点においては普通に見えるヒフミでも良いだろうが、彼女のスタンプはペロロであることが容易に想像できるため、あまり参考にはならなさそうだ。

 

「…………」

 

 少し、冷静になって客観的に自分を見つめ直してみると、年寄りが無理をして子どもたちの流行を知ろうとしているという滑稽な姿に思うところがないでもなかったが、これも仕事だと割り切った。

 ただ、それも、それこそ、俺は仕事だと思い込もうとしているだけのような気もするのだった。

 

 002

 

 報酬の支払いも兼ねて(アルの口座は相変わらず凍結されている)、翌日、俺はアルが送信してきた住所に向かった。

 彼女たちの立場を考慮して詳細は伏せておくが、辿り着いた場所は、前回のオフィスに勝るとも劣らない立派な部屋だった。

 しかし、これを借りるには相当な家賃が必要なはずである──仕事がないと言っていた彼女たちに払える金額に収まっているのだろうか。

 無理をしていなければいいが。

 

「あ、先生来てくれたのね」

「……ああ。報酬も未払いのままだったからな。受け取ってくれ」

 

 手に持ってきたケースを机の上に置き、アルに確認をして貰うため中身を見せようとしたが、それは他ならぬアルの手によって防がれた。

 

「……どうした。何かあったのか」

「必要ないわ、先生。だって、先生は報酬を誤魔化すような真似はしないでしょう?」

「その信頼はありがたいが……」

 

 信用の証としては喜ぶべき場面であるが、しかし以前のアルであれば、何であれ確認をしていたように思う──社長としてやるべき確認を怠らず、不正を見逃さないように気を配っていたはずだ。

 ……この様子からすると、また何かの映画を見たのかもしれん。

 誰にでもやっている訳ではなく、相手を選んで映画の真似をしているのかもしれないが……。

 

「新聞紙で水増しするようなことも、先生ならしないでしょうし」

 

 今時そんなことをする奴がいるのだろうか。

 ……いたのだろうな、言葉に嫌な重みがある。

 ともあれ、それは随分と前のことらしく、さして深掘りすることなくアルはケースを脇に避けてから話題を変えた。

 

「それよりも先生、少し話を聞いてもらえるかしら」

 

 改めて、応接用のソファにお互い座り直し、俺たちは向かい合う。

 それなりに真面目な表情からして、例の大事な話をしようとしているのだろうと、俺は予想した。

 

「ああ、構わない」

「じゃあ……その、先生、組織を導くリーダーに一番必要なスキルって何だと思う?」

「…………?」

 

 大事な話──俺はここに来るにあたって、様々な想像をしてきたつもりだったが、そのどれとも違う問いを投げ掛けられた。

 全く想定していなかった訳ではないが、俺に訊くような内容とは思えないが……まあ、訊かれた以上、答えないわけにもいくまい。

 俺は考える。

 リーダーに必要なもの。

 やはりリーダーである以上、全員を統率できる何かが必要になるはずだ──となれば、ありきたりにはなるが、やはり人間的な魅力だろう。

 そういった点で言えば、目の前のアルは、周囲を惹きつける魅力に溢れた人物と評しても過言ではない。

 俺にはない、資質。

 

「……心を掌握するようなカリスマ、だろうか。付いていきたいと思わせるような」

「なるほど、よく言われる一般論ね。それもまた正しいわ。──でも、もっと大事なものがあるわよ?」

 

 しかし、俺の言葉は彼女の求めるものではなかったらしい。否定こそしなかったものの、軽く受け流された上で、より大事なものがあると彼女は主張した。

 一旦咳払いをして、さらに溜めてから彼女は言う。

 

「いい、先生? リーダーに何より必要なスキルとは──相手を味方に引き入れられる、『説得の技術』よ!」

「…………」

 

 それも一般論ではないか、と思ったが、まあ間違いではないし、否定するようなことでもない。

 リーダーに限らないとも思うが。

 

「相手を説得できる技術はビジネスにおいて、とても大事なことよ。どんな事業でも、まずは相手を攻略しないと自分に有利な状況は作れないから」

 

 なるほど、アルから説得の大切さを教えてもらった。

 いや、皮肉や嫌味ではなく、俺の場合は説得と言うよりも、懐柔に近いところがあるのも事実である。

 説得工作。

 

「もちろん私は社長だから? 人を説得することにはもう慣れてるけど?」

 

 と、自信満々に、胸を張って言うアルだった。

 見栄を張っている部分もあるだろうが、しかし対策委員会への檄の飛ばし方は、俺にしても参考になる姿だったのは間違いない。

 あの言葉で、少なくともあの時折れそうだったアヤネたちは救われたはずなのだから。

 

「だから、今日説得の技術を勉強するのは、私ではなくて先生の方よ」

「……ほう」

「先生は私の事業パートナーなのだから、社長としてどれぐらいの能力があるのが確認しておかないとね?」

「……なるほどな」

 

 いつの間にか事業のパートナーになっている事実はさて置き、俺の言葉に理屈で相手を説き伏せる力があるかと言われると肯定しづらい部分がある。

 人の心を動かす力が、俺にあるのだろうか。

 人の心を変えることが、俺にできるのか。

 分からない。

 

「状況の設定はこうよ。先生は、うちの便利屋に入社したくて訪ねてきた新卒の就活生ね。私は今、先生の面接を担当する面接官」

 

 年齢設定に限りなく無理がある。

 こんな老人が新卒で便利屋に入社するために来たら書類の時点で落とすべきだ──いや、突っ込みは野暮だろう、重要なのはそこではない。

 説得の技術が見たいだけなのだ、状況などただの設定に過ぎない。

 むしろそういった状況に対応できるかどうかをアルは見ているのかもしれないとさえ思った。

 気のせいかもしれないが。

 

「はい、この本には説得をするための色々な方法が書いてあるから。これを参考に、ちょっと私を説得してみて。私に、うちの会社に先生を就職させたいと思わせるように説得するの」

「……ふむ」

 

 アルから受け取った本には、説得に関する様々な技術が書いてあった。

 まさかこの本だけに影響されたわけではないと思いたいが……まあ、彼女にも何か考えがあるのだろう。

 以下、抜粋。

 

 ──説得技術その一、相互作用の法則を利用した説得の技術。

 

 ──Give and take。相手に求めるものがあるなら、こちらから先にサービスを提供して、申し訳ない気にさせよう。

 

 俺は考える。

 俺が提供できるものを考える──最初に出てきたのは金銭だが、まさか、入社時に金を渡そうとする新入社員などいまい。

 賄賂を渡されて頷くような真似をしては、社長としても失格だろうしな。

 となると──

 

「アル」

「何かしら?」

 

 発言する前に、一瞬、これをミシガンやカーラに聞かれたら抱腹絶倒されてしまう類の台詞なのではないかという思考が過ったが──かなり恥ずかしい部類の台詞だとは思ったが、アルの嗜好を考えるにこれが最適の発言だと考えて、俺はそのまま言う。

 

「俺を採用したら、ハードボイルドとは何たるかを教えよう」

「採用!!!!」

 

 採用されてしまった。

 一切の躊躇がない、脊髄反射の域である。

 

「…………」

「……はっ、い、いえ、なかなかやるわね、先生。流石だわ」

 

 俺の沈黙に彼女は冷静になってから、俺を称賛した。

 言っておいてなんだが、これが説得かどうかはかなり怪しい部類である──これこそ懐柔だろう。

 いきなり採用してしまった気まずさを誤魔化すためか、アルは咳払いをする。

 

「ん、ん。……確かに、今のは素晴らしい作戦だけど、最初から相手の望むものを知っているとは限らないでしょ? 別の作戦で、もう一度私を説得してみて、先生」

 

 もっともらしいことを言って、アルは再び俺に説得をするよう呼びかけた。説得力があるかどうかはともかく、アルのこの口の回り方からして、彼女の説得技術自体は確かに高いように思えた。

 俺は再びページを捲る。

 

 ──説得技術その二、傾聴の重要性を活用した説得の技術。

 

 ──相手を説得するためには、相手の話をよく聞いてから自分の意見を話すのが良い。

 

「…………」

 

 説得、というには随分と基礎的な内容だったが、まあ、結局のところ、説得とは会話の延長線上でしかない、ということなのかもしれない。

 であれば、雑談としてアルの近況を聞き、そこから説得材料を引き出していくことにしよう。親身になった人間には心を開きやすくなるだろうし、動かしやすくもなるはずだ。

 

「……アル。お前は社長として、困っていることや苦労していることはあるか?」

「うん? そうね、毎回依頼人のクレームを解決するだけでも大変だもの。数えきれないくらいあるわ」

 

 依頼の度、毎回クレームを発生させているという驚くべき事実が発覚したが、一旦無視して話を進める。

 

「例えば……そうだな。そのクレームの解決を手伝う人材がいたら楽になるか」

「まあ、確かにそうね?」

「では、俺を雇えば、クレームを滞りなく処理することを約束しよう」

「そうね、そうしましょうか?」

 

 思考が一切挟まっていない返事だった。

 軽い問い掛けから、俺が本命を出してくることを想定していなかったのだろうか、にこやかな笑顔での受け答えである。

 

「……じゃなくて! な、舐めないでちょうだい! 私は鉄壁だから! そんな簡単に説得されないリーダーなんだから!」

 

 かと思えば、ギリギリで理性を取り戻したらしい。

 鉄壁かどうかは怪しいものだったが、とにかく攻め時ではあると判断して、俺は畳み掛ける。

 理屈ではなく、感情に訴えかけるように。

 

「保証しよう。必ず役に立つ」

「う……」

 

 ……本当に、これこそ懐柔だな。

 保証も何も無い、アルが俺という存在を気に入っているであろうことを利用した、理屈を無視した説得工作である。

 そしてそんな言葉を受けたアルは。

 

「こ、ここに来てストレート……! くうっ、分かってても説得されちゃいそう……!」

 

 と、非常に心を揺さぶられたかのような、それでも必死に堪えるような表情をしながら、そんな風に言った。

 もうほとんど懐柔されているようなものだとは思うが、まあ、認めなければ説得されたことにはならないか。

 芯が動かなければ、それは真に説得されたことにはならない。

 心が、動かなければ。

 

「先生は……説得の達人だったのね!」

「…………」

 

 ともあれ。

 まあ、そんなことがあったわけだが、果たしてこれは、前振りである。

 それからも一冊の本に載っている方法全てで俺を採用し、計二十四回俺を雇ったアルだったが、何故そんなことをしたのか──試すような真似をしたのかと問えば。

 

「えっと……大したことではないけど。最近、新しい事業計画を考えていたの。私が素晴らしい社長であることに疑いはないけれど……」

 

 凄まじい自負だった。

 

「けれど、客観的に見て私に足りてないことが何なのかも、よく分かってるわ。一個人が全てにおいて完璧ということは不可能。足りないものがあれば外部から助けてもらうことも、事業としては充分考慮する必要がある、という話ね」

「……そうだな。足りない部分を認めるのは大事だ」

 

 俺は内心密かに感心しながら同意した。

 アルの社長としての精神性──こういったバランスの良い、客観的な視点には舌を巻く時がある。自信過剰と取れる時もあるが、しかし社長としてのカリスマを見せる時に、虚勢を張れないようでは社員の不安を煽るだけだ。

 時に大胆に。

 時に冷静に。

 陸八魔アルは周囲を惹きつけるように動く。

 彼女は、長所を長所として自負を持ち、短所を短所として捉えて他を頼ることができる。

 これはヒナでさえできていないリーダーとしての行動であり、彼女だけのカリスマ性だろう。

 

「組織を導く社長である私に一番足りてないのは、経験だと思ってるわ」

 

 経験。

 そう言えば……かつて俺は、アルにアドバイスを求められた際、「経験を積め」と言ったのだったか。

 もしかしたら、それを気にしているのかもしれない──子供としては経験不足など当たり前の話で、気にし過ぎても仕方がない部分であると思うのだが。

 

「そして……私に足りない経験を、先生なら持っていると判断したの。先生は、だから、その……大人でしょう? わ、私がまだ知らないような経験をたくさんしている、そういう意味で、大人、というか……」

 

 どこか遠慮するように、アルは言う。

 

「まあ、も、もちろんそういう足りない部分についても、私はすぐに追いつくけれどね……! で、でも今は……」

 

 それでも自身を鼓舞する台詞は流石だったが、しかし……こうしてみると、あのアドバイスは少し失敗だったか。

 だが、その足りないと自覚した部分に対し、助けを求めることのできるアルは、既に社長としての務めを果たしているように思える。

 

「だから、えっと、その…………」

 

 そこから先の言葉を、彼女は非常に言いづらそうにしていたが、ここまで来て言い淀むのは駄目だと思い切ったらしい、アルは頭を振って、強い意志を目に携えてきっぱりと言った。

 

「端的に言うわ、先生。先生を、うちの会社の経営顧問として迎え入れたいって話よ」

「……経営顧問、か」

 

 要はコンサルタントのような立ち位置を、アルは俺に求めているらしい。

 便利屋の仕事をサポートしてほしいというのであれば、やぶさかではない──どころか望むところであり、むしろ食事事情に不安が残る便利屋が目の届く範囲で活動して貰えるのであればありがたいことこの上ない。

 便利屋であればなんだかんだと生きていけるだろうとは思うが、子どもが飢えているかもしれないという不安を抱え続けるのは、俺の心労に関わる。

 ただ、顧問、と言うと、俺は既にシャーレの顧問である他に対策委員会の顧問でもあるが、果たして掛け持ちができるのだろうか。

 ……そもそも便利屋は非認可ではなかったか? もっとも、対策委員会の時でさえ非認可状態で顧問をしていたため、大した問題ではないのだろうが……。

 

「あ、もちろん今すぐ返事をもらおうとは思ってないわ。ふふふっ、これからの私たちには、たくさんの時間があるから。先生の心の中で明確な答えが出るまで、私はいくらでも待つわ」

 

 俺の沈黙を悩んでいると受け取ったのだろう、アルは懐の大きさを見せるように、寛大な態度で俺に言った。

 そして、彼女は自信を持って続ける。

 虚勢ではなく、自負を持って。

 

「誰が何と言おうと、私はゲヘナ最高のリーダーだもの」

「……そうだな」

 

 俺は素直に頷く。身近なリーダーと言えば、風紀委員長である空崎ヒナだが……彼女の仕事内容を最近調べたところ、あまり褒められた勤務状況ではなかった。率直に言って、アルの方がリーダーとしての務めを果たしているというのが、俺の感想である。

 と、そこで電話が鳴り響いた──黒電話だ。

 甲高い音を発する黒電話は明らかに時代錯誤というか、今となっては骨董品とさえ言えるデザインである。

 これも彼女のこだわりなのだろうか。

 現代的かつ高級感のある事務所の電話としては、凄まじい違和感である。

 

「あ、ごめんなさい、先生。ちょうど仕事の電話みたいだから、これを片付けてからまた話しましょう」

 

 そう言って彼女は立ち上がり、自らのデスクで受話器を取った。

 専用の席に座り黒電話を持ちながら応答する様はさながら『仕事のできる女』という様相だったが、しかしその電話で幾つかの言葉を交わした後、様子が変わり始める。

 

「うーん。困りましたね。うちは今スケジュールがキツキツでして」

「…………?」

 

 ──ここ最近仕事がないから、いつでも大丈夫よ。

 

 アルの言葉に疑念が浮かぶ。

 確か、現在の便利屋は仕事のない状態だったはずだ。スケジュールが空いていないどころか、がらんどうのはずである。

 メッセージが嘘だった──という訳でもなかろう。

 となれば、断りたい仕事内容だったのだろうか?

 俺は少し、耳を傾ける。

 

「ええ、はい、はい。分かります」

 

 しかし、だとすれば何故ああも親身に受け応えているのだろう──断りたいのであれば、きっぱりと拒否した上で、相手を増長させる前に電話を切った方がいい。

 それをしないというのは……どうだろう、何か不手際が起きている、のだろうか。

 これは俺が介入するべき案件だろうか。

 

 ──私に一番足りていないと思っているのは、経験だと思ってるわ。

 

 経験、か。

 ならば俺が安易に力を貸すのも、成長の機会を奪ってしまうかもしれない。

 できれば電話内容を聞き取りたいところだが、黒電話では難しい。手を尽くせばできなくは無いだろうが……。

 

「…………」

 

 俺はふと、アルのデスク上に彼女のスマホが置かれていることに気付く。

 ……気は進まないが、端末経由で聞かせてもらおう。端末の収音機能を利用し、黒電話から漏れ出た音を拾う──それでも聞こえなければ、今回は諦めて、大人しく彼女の成長を見守るとする。

 アロナにハッキングを頼み、端末越しに通話音声を聞く。限りなく音質は悪いが、聞こえなくもない。

 一体果たして、便利屋にどんな仕事が舞い込んできたのだろう──

 

『ねえねえ、お寿司の値段ってだいたいどれくらい? 特上だといくら?』

 

 …………何の電話だ、これは。

 

「うーん、難しい問題ですね。今期の会計上では……近頃の金利の問題で……」

 

 お前は何を答えているんだ。

 

『あっ、特上にマグロ入ってるよね? あとエビと、イクラと、ウニと、サーモンとか! 大トロとかもあると良いよね!』

「ああ、はい。確認いたしました。なるほど」

 

 何を確認しているんだお前は。

 内容を聞く限り寿司の話だとは思うが、便利屋を経由して寿司の依頼をしているとは思えない──少なくともアルの受け答えからして、これはどう考えても間違い電話だろう。

 …………つまり、アルは仕事の電話だと心を躍らせて電話を取ったものの、それは間違い電話であり、俺の前で仕事ではなかったという事実を認めるのが恥ずかしくて、見栄を張ってしまい、引くに引けなくなった、と。

 どうやら、そういうことらしい。

 

『んー……? 何か変じゃない? 本当にお寿司屋さん?』

「え? な、何言ってるの? ちゃんと仕事中よ!」

 

 アルは電話口の相手と会話しているはずなのだが、何故か俺を見て言った。

 電話口の相手も流石に様子がおかしいことに気付いたらしく、ここで素直に認めて切っておけば多少の損切りはできたかもしれないが、アルは引けなかった。

 結局、その後もたっぷり十分ほど間違い電話──すれ違い電話を繰り広げた後、ようやく切れた受話器を雑に置いて、アルは引き攣った笑みを携えながら俺に言った。

 

「ほ、ほら、見たでしょう……?」

 

 声が震えていた。

 誰がどう見ても虚勢を張っていた。

 あまり張らないほうが良い虚勢ですらあった。

 

「どう、先生? 私のこのカッコいい仕事姿は。惚れられても困るわよ?」

 

 説得力が足りないと思ったのだろうか、まさかの自己申告である。

 俺は先程の本を返した方がいいかもしれない。

 

「あ、ちなみに、むやみに私に近寄っちゃダメよ。私のこの情熱で、火傷でもしたら大変でしょう?」

「……そうだな」

 

 驚くほど感情の乗っていない声が出た。

 俺が俺にどよめく無感情さだ。

 いや、情熱に燃え滾っている彼女にかける言葉の温度としては丁度良いのかもしれない。

 

「と、とにかく私の提案、しっかり覚えておいてね。いつか先生が、うちの経営顧問になってくれるその日を待ってるわ。ふふっ!」

 

 まあ──そうだな。

 今度、便利屋の全員に寿司を奢ることにしよう。

 便利屋68経営顧問、就任の記念として。

 

 003

 

 そうして、便利屋の経営顧問となって数日。

 俺は早くもこの『経営顧問』という役職の本分をまるでこなせていない事実に行き詰まっていた。

 顧問となってから、ひとまずアルの求めた役割を果たそうと過去の便利屋の経営状況を聞いたものの、しかし顧問として言えることは、ほとんど無かったのである。

 と言うのも、そもそも便利屋稼業とは極めて不安定な仕事だ──何せ、依頼人がいなければ成立しない。

 その上、折角来た依頼を失敗すれば無報酬だ。それどころか成功したとしても騙されて無報酬、というオチが待ち構えている場合もある。勿論その場合は、彼女たち(アルを除いた三人)が、依頼人に報復しているようなので、今のところは大きな問題にはなっていないようだが。

 ともあれ、不安定な便利屋稼業である以上、経営を安定させるような効果的な助言は、はっきり言ってしまえば無い。

 無論、不安定な収入状況に対しての助言もできなくはないのだが──例えばバイトをして別収入で補う、といった解決策はあるが、しかし、それはアルが求めているものではないだろう。

 あくまでも、陸八魔アルは便利屋68の社長でありたいのだ。

 自ら望んで、選んで、この仕事をしている。

 ともすれば──誇りを持って。

 ならば経営顧問という立場を取った以上、彼女に妥協を勧めるような、夢を捨てさせるような助言はしてはならないのだ。

 悩ましい問題である。

 便利屋にはパトロンのような存在もいないため(言いなりになるかもしれないから駄目だという主張だった)、ならば経営が不安定なのは致し方ない部分であり、今まで何度も無一文になって事務所を引き払うことになっているのだとしても、それは、受け入れる他ないリスクだろう。

 少し、いや、かなり高い家賃を払っている現在の事務所からグレードを落とすことも当然できない。『一流のアウトローに相応しい事務所を構えるべき』というアルの譲れない一線がある以上──望んで選んでいる以上、やはり、俺が言えることなど何も無い。

 そしてここからが一番の問題なのだが、アルという一人の人間に対して助言することが特に無いのだ。

 彼女の『こだわり(アウトロー)』への指摘を除いてしまえば、特に問題のある金の使い方はしておらず、リーダーとしてしっかりと社員に目を配り、的確に長所を見抜いて仕事を割り振り、必要とあれば社員を鼓舞して士気を上げる力があり、周囲を惹きつけるカリスマを持つ彼女に対して、言えることなど何一つ無い。

 どころか、むしろ俺の方が見習わなくてはならないくらいだった。

 勿論、仕事の失敗を避けるために気を配ること、騙されないために注意することなどは教えているが、それは顧問にならなくともいずれ教えていただろう。

 俺は現状、便利屋に寿司を奢った老人でしかなかった。

 

「先生! ハードボイルドなアウトローの極意について教えてちょうだい!」

 

 そして今、俺はアルにそんな事を要求されている。

 経営顧問としてされる質問ではおよそないように思えたが、先生である以上、俺は答えなくてはいけないらしい。

 と言うよりこれは、面接の時『ハードボイルドについて教えよう』などと(うそぶ)いた俺が悪いのだが。

 

「……別に俺でなくとも良いだろう」

「いいえ、先生以上のハードボイルドなアウトローを私は知らないわ!」

 

 断言された。

 心からそう信じ切っているかのような発言だったが、しかし、俺はそもそもハードボイルドというものを理解している訳ではない。

 アウトロー、では──あるが。

 人生の殆どを日陰で過ごした無法者ではあるが。

 アウトローとしての経験なら嫌と言うほどに蓄積されているが。

 

「…………」

 

 改めて自らの経歴を確認してみれば、反論の余地はまるで無い。

 ……となると、本当に。

 アルの進む道を修正しつつ、アウトローとしての欲求を満足させることのできる人間は、俺しかいないのかもしれなかった。

 

「それで先生! 訊きたいことがある、んだけど……」

「……どうした」

 

 最初の勢いとは打って変わって、尻すぼみになる口調に、俺は思わず訊き返す。

 どうやら相当に言いにくいことらしかったが、それでもアルはこちらの様子を窺いながら、おずおずと訊く。

 

「……煙草ってどう思う?」

「やめておけ」

 

 俺はにべもなく言った。

 にべもなく言ったが、これに関しては非常に相手を思い遣った発言である。

 アルの質問は具体的なものではなかったが、その発想に至った経緯は容易に想像できる──およそ『煙草を吸う格好良いシーン』を見たのだろう。

 それが映画なのか、あるいは仕事中なのかは分からなかったが、未成年かつ健康的な彼女が手を出すものではない。

 

「百害あって一利なしだ。どうしても気になるのであれば成人してからにしろ」

 

 それでも勧めはしないが。

 俺がそう言うと、アルにしては意外なことに、やけに不満そうな──不服そうな、いかにも納得していない表情で俺を見ていた。

 

「…………どうした」

「いえ、その、反論……というか」

 

 ふむ。どうやら彼女には、俺を説得したくなるような理由があるらしい。

 先程は『映画の影響』だと決めつけてしまったが、実はそうではなかったのかもしれないと思い、俺は一応、彼女が何を見てそう思ったのか訊いておくことにした──のだが。

 その選択は、俺の思わぬところから、あまりにも鋭利な反論が飛んで来ることとなった。

 

「ほら……貴方の猟犬だって名乗った子たち、いるでしょう?」

「…………ああ」

 

 既に反論したくなるような内容ではあったが、主題ではないので何とか言葉を飲み込んで、俺は頷くに止める。

 

「そのうちの一人が、煙草を咥えてて、それで……」

「…………サホか」

 

 溜息を吐く。

 やはり、簡単に癖はなくならんか──後で注意しておくとしよう。

 ともあれ、件の少女。

 (いぐるみ)サホ。

 ロイを含め、アビドスで拾った五人のうち一人。

 

 ──あんたは誰でも助けるのか?

 

 出会ってすぐ、俺に問いかけた少女。

 ロイに後から聞いた話だが、五人の中で一番頭が良く、日々生きるための計画を立てていたのは彼女だったらしい。

 『戦場に新しい銃が放られているだろうから拾って自分のものにする、それ以外は売って金にする』という作戦も、サホの案だと言う。

 こうして見ると、まるでサホがリーダーのように思えるが、しかし実際はロイがまとめ役だ。

 ただし、ロイをリーダーとして生きていくことを決めたのは主にサホのようで、この辺りの真意はロイですらも未だ聞けていないらしい。

 ともあれ、そんな彼女には一つ悪癖があった。

 煙草を()()()という悪癖だ。

 サホの名誉のために言っておくが、彼女は一度たりとも吸っていない──以前入院した時に肺は検査済みであり、健康的なものであることは確認している。

 つまり本当に、彼女は煙草に火を点けず、ただ咥えているだけだった。

 

 ──これに火が点いた時が、私の終わりだよ。

 

 あの五人の中で最も賢い彼女は、俺に拾われる前から、煙草に火が点いた場合の健康被害を理解していた。

 そのリスクを理解した上で、キヴォトスという簡単に火が点きかねない環境の中、危うさに身を晒すことでストレス解消を図っている、らしい。

 将来が心配になるような破滅型である。

 ひとまず飴で矯正中ではあるが、禁煙を目的にしている訳ではないので、効果はあまり見込めていない。

 今でも過剰なストレスを感じた時、興が乗った時、自分を奮い立たせる時は思わず咥えてしまうようだ。

 そして恐らくはアビドスでの作戦時、サホは上記いずれかの精神状態に陥って煙草を咥えてしまった、ということだろう。

 そしてアルはその光景を見てしまい、煙草に興味を持ったという訳か。

 なるほど、確かに、戦場で煙草を咥えている姿は途轍もなくアウトローに見えるだろう──サホが比較的長身なのも相まって、『猟犬』を名乗ったシーンはさぞ様になっていたに違いない。

 戦場で煙草の煙と硝煙を見分けるのは不可能だろうしな。

 共闘していた彼女にとって、サホが煙草を咥えていた姿は一種の憧れに近い姿のようだった。

 ……色々と教育に悪い。

 一通り事情を聞いた後、俺は内心溜息を吐きながら、こんこんと諭すように、サホは本当に吸っていたわけではないこと、彼女は吸うこと自体が目的ではないことをアルに説明した。

 

「なかなかアウトローな子ね!」

 

 ……残念ながら逆効果だったようだ。

 アルの隠し切れていない目の輝きを見るに、サホの在り方は実に『アウトロー』なものであったらしく、更に興味を持ってしまったらしい。

 ここまで乗り気になってしまったアルを説得するのは酷く難しいように思われたが、しかし、ここでサホの悪癖を真似されても困る──どんな手を使ってでも、思い止まらせなければならない。

 懐柔──説得工作。

 説得の技術。

 Give and take 、か。

 

「……繰り返すが、煙草はやめておけ。咥えるのもな。だが、それでも気になるというのなら──」

 

 言って、俺はポケットを探る。

 一つ、彼女に提供できるものを思い出したのだ。

 

「……これで我慢しろ」

「……え、これって──」

 

 そうして俺がポケットから取り出したのは、オイルライターである。

 これはルビコンにいた時から持っていた物で、キヴォトスに来た際、杖と同じようにこの世界に持ち込んだものだった。

 俺がキヴォトスにどうやって来たのか原因は未だ判明していないが──失ったはずの道具が何故俺の手元に残っているのか理由は定かではないが、デザインや構造は(傷も含め)再現されているので、俺が持っていた物だと考えても問題はないだろう。

 杖と同じく、オイルライターも当時の物そのままだった。

 

「映画でアウトローが格好良く火を点ける時のライター……!」

 

 どうやらお気に召したらしい。

 目の前の机に置かれたライターをアルは手に取らずに顔を近づけるに止めつつ、興味津々とばかりにじっくりと観察していたが、しばらくして先程の発言に思い当たったようで、再び俺に視線を向けた。

 

「こ、これを、私に……? いいの、先生!?」

「ああ。我慢すると言うのなら、これを渡そう」

 

 give and take。

 よく考えてみると俺の見返りは特に無いように思えるが、彼女に理想を押し付けているという点を考慮すれば、まあ、平等な取引ではないだろうか。

 

「あれ、でも……先生。これを持ってるってことは、先生も使ってたんじゃ……」

「……いや、使っていたのは俺ではない」

「?」

 

 俺の答えに疑問符を浮かべるアルだったが、しかしその疑問も当然だろう。

 当人が使わないライターなど、無用の長物である。不要な物を持つ理由は本来無い。

 では何故持っているのかと問われたら、そもそも、これは元を辿れば俺の持ち物ではないからだ。

 つまり使用者は──吸っていたのは、カーラである。

 

「俺の世界……お前たちの言葉を借りればキヴォトスの外か。その身内で吸う人間がいた。よくせがまれたものだ」

 

 彼女は彼女で、主にマッチを好み使用していたのだが、それが切れた時や、気分でオイルライターの火を要求することがあった。

 火の匂い、煙の味が違うと言って。

 吸わない俺にはよく分からない感覚だったが。

 しかも何故か彼女は自分で持たずに、俺にライターを持たせていた。

 ……彼女にも何か思うところがあったのかもしれないが、今となっては分からずじまいだな。

 

「……そんな大事な物を……私に?」

「構わん。俺が持っていても使うことは無い」

 

 キヴォトスに来て更に子どもと触れ合う機会が増えた俺である、今更吸うようなことは無いだろう。

 そして。

 

「火を点ける相手も、もういない」

「…………」

 

 あの時、俺の前に621が現れたということはつまり、どれだけ都合良く解釈したとしても、カーラとチャティは生きてはいないだろう。

 ザイレムが撃墜されるような事態になっても──いや、撃墜されるような事態になったことそのものが、カーラたちの死を意味している。

 

「ならば、必要とする者に使われた方が本望だろう。お前たちは野宿をする機会も多い。そういった時に気軽に使え」

「そ、そんな使い方していいのかしら!?」

「道具は使われてこそだ。そう貴重な物でもない」

 

 ちなみにこのライター、カーラのお手製であり、彼女好みの改良が施されている。

 火が通常より消えにくい細工がしてあるが、彼女が何よりもこだわっていた点は、音である。

 俺は実演のために、机に置いていたライターを再び手に取り、蓋を開けた。

 その際に鳴った、非常に特徴的な甲高い音の響きに、アルは感動したかのように目を輝かせた──喜色満面である。

 それこそ、まさしく映画でしか聞けないようなあまりにも綺麗な音に、アルは花開いたかのような笑顔のまま、興奮を隠そうともせず、手を細かくぱたぱたと動かし始めた。

 

「っこ、これ……!」

「彼女のこだわりだ。俺からしたら、常軌を逸したこだわりだったが……気に入ったか」

「────!」

 

 俺の問いかけに大きく首を縦に振り、全身で喜びを表現するアルだった。

 ……ここまで感情を露わにして喜ばれるとなると、プレゼントのしがいがあるだろうなと、俺は思った。

 ムツキたちに好かれるのも納得というものである。

 

「メンテナンスや交換の仕方は後で教えるが、難しいようであれば持ってこい。壊れたとしても、ある程度なら直せる」

「〜〜っありがとう、先生! 一生大切にするわ!」

「……いや、そこまで気負う必要はない。生活に困ったら売っても構わん」

「そ、そんなことできるわけないじゃない! 絶対手放さないから!」

「……そうか」

 

 そうして、俺から手渡されたオイルライターをとても大切そうに持って、ためつすがめつ見ながら、にこにこと──にやにやとさえ言える笑みで、満面の笑みで、アルは喜んでいる。

 もしも。

 もしもカーラがこの話を聞いたらどう思うだろうか、と俺は考える。

 本物のアウトローであるカーラが使用していたライターが、俺の手を経て、時を越えて、世界を越えて、アウトローに憧れる少女の手に渡ったとなれば。

 それは。

 それはとても、彼女好みの話のように思われた。

 

「先生!」

 

 オイルライターをひとしきり堪能したらしいアルは、俺に向き直って言う。

 それは彼女にしては珍しい、宣誓のような言葉だった。

 

「私は、これが似合うような一流のアウトローになってみせるわ! だから──これからもよろしくね、先生!」

「…………ああ」

 

 そして、俺もまた。

 この世界では、大人として、未来ある若者を正しく導かなければならないと──そう、決意した。

 後日。

 便利屋のメンバーである鬼方カヨコから、新着メッセージが一件。

 やや非難めいた、たった一言、端的な一文。

 

『先生のせいで火災報知器が作動した』

 

 それは──とても。

 とても彼女好みの、笑える話のように、思えた。











 なんか毒にも薬にもならない感じになっちゃいました。
 まあウォルターが心を休ませることのできる話があってもいいよね。

 追記:ヒナ編書いた後だとあんまりにも薄味だったので003を追加しました。

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