ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 彼女の中の、確固たる基準。


閑話:アロナのご褒美。

 001

 

 アロナというシッテムの箱に常駐しているメインOSは、非常に感情表現豊かな少女のAIである。チャティ・スティック、オールマインドを遥かに上回るその情緒は、子ども()()()()であるとさえ言えるだろう。

 彼女の感情表現の幅は、少なくともAIのそれではない。

 誰かの思念体と言われた方が納得できるほどに。

 

『ウォルター先生、今回の仕事もお疲れ様でした!』

 

 百鬼夜行からシャーレに戻って一息ついた頃、シッテムの箱の中からアロナは俺を労った。

 シッテムの箱──つまりタブレットの画面の中、透き通った青空の広がる、天井が崩落した教室から。

 

「……ああ。アロナ、お前もよくやった」

『ぅえへへ……』

 

 とは言え、今までの仕事の結果は俺だけのものではない。

 アビドスの一件に引き続き、百鬼夜行の事件においてもアロナの力がなければ成し得なかったものである。

 そういった思いを込めて俺がアロナの頭を撫でると、アロナはだらしない顔で俺の手を受け入れていた。

 ただ、撫でると言っても実際に撫でている訳ではなく、あくまでも画面の中にいるアロナの頭部を指でなぞっているだけだ。

 これでアロナは撫でられている感覚がする、らしい。

 俺としては、誰にも見えず、聞こえない画面の中の存在を撫でているという光景にかなり問題があるような気がしてならないが、これが唯一アロナを労える方法だと言うのだから仕方がない。

 ……あまり、()()()()()ものを報酬にはしたくないんだがな。

 と、粗方撫で終えたところで、俺は、

 

「……そうだな。アロナ。アビドスに続いて、今回のお前の貢献度は相当に高い。別の報酬が必要だろう。何か欲しいものはあるか」

 

 と言った。

 それは、撫でるだけではアロナの貢献度には見合わないだろうという至極当然の考えからだったが、しかし──もしかすると、子どもを撫でることで誘発したハウンズ(あいつら)の記憶によるものだったのかもしれない。

 俺の言葉を、労いを。

 ただそれだけを最大の報酬としてしまった617たちの姿を思い出して──その最期を思い出して。

 その間違いを繰り返さないためにも、俺に関与しない何らかの報酬を用意しなければならない、とそう考えて。

 

『欲しいもの……ですか?』

 

 しかし、俺の提案に対し、不思議そうに首を傾げたアロナを見て、俺は一体何を言っているのだろうと思い直した。

 あまりにも子どもらしい純粋なアロナの言動から、ついうっかり褒美を用意しようと考えてしまったが……いくら子供らしかろうと相手はAIである。しかもAI本人に欲しい物を訊くというのはかなり異様な光景だ。

 誰かにプレゼントするものを相談するならばともかく、AIそのものに欲しいものがあるかどうかを問うなど、状況からしてみれば狂気的ですらあるだろう。

 アロナが俺以外に見えないことを踏まえれば、尚のこと。

 

『うーん……』

「……すまない、妙なことを言った。無理をして言う必要はない」

『あっ、そうです! 私、ケーキが食べたいです! ロイさんたちがいつも食べているケーキ!』

 

 考え込んでいるアロナを前に、俺は発言を撤回しようとしたが、それを遮るようにアロナは声を上げた。

 ケーキが食べたい、と。

 

「……ケーキ?」

『はい! ロイさんやユウカさんたちが食べているケーキを、ウォルター先生と一緒に食べたいです!』

「…………そう、か」

 

 恐らくは俺の背後にある冷蔵庫へ意識を向けているのであろう、アロナは目を輝かせて言う。

 彼女の言うケーキとはもちろん、俺がユウカの小言を避けるために常備しているケーキのことを指しているのだろうが……俺にその願いを叶えられるとは到底思えなかった。

 無論、ケーキを用意することはできる。

 常備されている以上、冷蔵庫から出してくるだけだ、大した労力ではない。

 問題は、アロナにケーキを()()()()()()()そのものである。

 AIに、そして実体のないアロナに、ケーキを食べさせることは不可能だ。

 子どものような──子どもそのもののような、生きているかのような、アロナというAIだからこそ生まれたであろう願いを。

 その純粋なご褒美を。

 俺は、叶えることが、できない。

 

「…………」

『ウォルター先生! ケーキをここまで持ってきてください!』

 

 そんな思いは露知らず、アロナは俺に要求する。

 食べることができると信じている目で。

 断るか、説得するか、あるいは説明するべきか悩んだが……俺はそのどの選択肢も取らず、冷蔵庫へと向かった。

 アロナの要求に応えることにしたのだ。

 ……なんにせよ、俺が言い出したことである。ケーキを食べさせることはできないにしても、持ってくるくらいのことはしなくてはならないだろう。

 どうやっても食べられない以上、ある意味生殺しかもしれんが……あえて実証することで、アロナからの理解も得られるだろうという判断だった。

 いや──言い訳だな。

 アロナの願いを頭ごなしに否定できない、俺の心の弱さからの行動に過ぎない。

 言ってしまえば、どんな説明をするにせよ、ケーキを持ってくる必要も、期待を抱かせる必要もないのだから──説明すればそれで終わる話を、アロナの『お願い』の手前、俺は見栄を張ってしまったというだけのことだった。

 

「……これでいいか」

『はい、ありがとうございます!』

 

 俺が持ってきたケーキを、にこにこと眺めるアロナ。

 彼女は今にも待ちきれないといった表情であり、俺は今からケーキを取り上げなければならないと思うと、なんと惨いことをしようとしているのだろうと今になって後悔し始めたが──その前に。

 

『では、教室に()()()()()ください!』

 

 という、アロナの一切迷いの無い要求に、今度は俺が首を傾げることとなった。

 …………教室に、入る?

 一瞬言葉の意味を理解しかねたが、アロナが言う教室とは、他ならぬ彼女のいるシッテムの箱であることに気が付いた。

 つまり、アロナは俺に、シッテムの箱の中に入ってきてほしいという要求をしているのだ。

 ……どう考えてもアロナにケーキを食べさせるより難易度が高い。

 いや、確かに俺が彼女のいる教室に入ることができたのなら、当然ケーキを持って行くことも不可能ではないのかもしれないが、それができるならば最初から苦労していない。

 あまりにも唐突な要求だったために、俺は今からアロナが教室に入るための方法や手段を説明してくれるのだろうと推測したのだが、しかし、アロナはにこにこと笑うだけでそれ以上何も言わなかった。

 まるでできて当然であるかのような目で、俺が教室に入ってきてくれるのを待ちかねている様子だった。

 ……その期待を裏切ってしまうのはなんとも心苦しいが、これ以上できないことをできると言うわけにもいかないので、俺は正直に言う。

 さながら懺悔の気分である。

 

「……すまない、アロナ。どうすればお前の教室に入ることができるのか、教えてくれるか」

『え? えーっと……、こう、入る! みたいに願ったり念じたりしたら入れませんか?』

 

 きょとん、とした風にアロナは言った。

 俺の『入り方が分からない』という言葉が意外で仕方がないとでも言うように。

 

「…………」

 

 冗談を言っているようには──見えない。

 子どもらしい空想というわけでもないだろう。繰り返しになるが、どれだけ子どもらしかろうとアロナはシッテムの箱のAIである。

 できること、できないことの区別は付いているだろう。

 ……となれば、まさか、本当にシッテムの箱にはそういった機能があるのだろうか?

 

 ──この空間に()()()()()っていうことは、ま、ま、まさか、本当にウォルター先生……!?

 

 そしてよく思い返してみれば、確かに、アロナは俺と初めて会った時、そう表現していた。

 あの時は画面越しに対面したことを──つまりパスワードを使用してシッテムの箱にアクセスしたことを()()()()()と表現したのだと、その時の俺は解釈したのだが、それは内実を言い当ててはいなかったのかもしれない。

 アロナにとって、『シッテムの箱にアクセスする』という行為は、彼女の教室に入ることと同義である可能性がある。

 だからあの時、アロナはそう表現した。

 この空間に入ってきた、と。

 実際には、俺はアロナの空間に入ることなく、シッテムの箱を操作していただけだと言うのに。

 もしも、アロナがシッテムの箱を『空間に入る』以外の使用方法を知らなかったのだとしたら──俺のような例外を考慮していなかったのなら、彼女の言動にも納得はいく。

 だとすると……本当に、文字通り入ることができるのか?

 アロナのいる、あの教室の中に。

 荒唐無稽と言われたらそれまでだが、しかし、俺は常日頃からアロナの奇跡に助けられている──一考の余地はあるだろう。

 

「……ふむ」

 

 俺のような思考の凝り固まった人間には難しい発想ではあったが、一度俺は出来る限り常識を捨て、アロナの言葉を信じて目を瞑り、想像し、願ってみることにした。

 あの教室に入る自分を想像するのだ。

 一応、アロナに頼まれたケーキを持った自分の姿で。

 あの青空の下に立つ己の姿を想像して、しばらく願い、そして再び目を開けると──俺の体は、しかし、以前変わらずシャーレにいた。

 シッテムの箱の前、目を瞑る前と何も変わらず、ここにいた。

 肉体的にも、精神的にも。

 

『あ、あれ?』

「……やはり、入れないようだな」

『な、なんでですか!? ウォルター先生、なんでケーキだけ送ってきたんですか!?』

「……何?」

 

 アロナの言葉を聞いて思わず手元に目を向ければ、確かに冷蔵庫から持ってきたはずの、俺の手元にあったはずのケーキが忽然と()()()()()()()

 冷蔵庫から持ってきたはずのケーキが、無い。

 

「──!?」

 

 当然、落としたわけもない。それでも一応、念の為床を見てみたが、やはり割れた皿の破片などどこにもないし、崩れて潰れたケーキも見当たらない。

 ならば、つい先程まであったケーキがどこに消えたのかと問われれば、それは──アロナの教室の中、彼女が使用している机の上だった。

 シッテムの箱の中。

 つまり──画面の、中だ。

 

「…………」

 

 驚かざるを得ない。

 目を瞑っていたせいで、実際に何が起きたのか把握することはできなかったが……事実として、ケーキと皿は俺の手元からアロナの教室に転送されている。

 信じられないことだが、現実だ。

 ……シッテムの箱にこんな機能があったとは。

 

『ウォルター先生……なんで教室に入ってきてくれないんですか……?』

 

 俺があまりの出来事に呆然としていると、アロナが消え入りそうな、泣きそうな声で訴えてきた。

 というか、今にも泣きそうだった。

 ……どうやら今の一連の流れを、俺が教室に入ることを拒否し、ケーキだけを教室に置き去りにしたと捉えてしまったらしい。

 どんな状況だ──どんな挙動だ、それは。

 ともあれ、何やら凄まじい誤解を招いているようだったので、俺は慌ててアロナに弁解する。

 シッテムの箱に入ろうとしたこと。

 教室に入ろうと努力したが、実際には俺は入ることなく、ケーキだけが転送されてしまったこと。

 アロナを嫌っているわけではないこと、等。

 その必死の説得もあって、なんとか宥めることに成功した後、アロナはしかし、再び首を傾げた。

 心底──不思議そうに。

 

『でも……だとしたらおかしいです。ケーキは入れてウォルター先生は入れない、なんて……。先生なら入れるはずなのに』

「…………」

 

 アロナが言うには、“先生”と、先生が持ち込んだ物はシッテムの箱の中に入ることができる──らしい。

 ケーキが教室に転送されている以上、それは嘘ではないのだろう。

 ならば、“先生”なら教室に入ることができるというのも、きっと事実に違いないのだろうが、しかし、入ろうと思えば入れるはずの教室に、俺は入ることができていない。

 それは──逆説的に。

 ()()()()()()()という確固たる証明であるかのような気もした。

 ()()()()、入ることのできる空間。

 シッテムの箱。

 本物の“先生”だけがアロナの世界に入ることが許可されていると考えれば、なるほど、納得がいくというものだ。

 あれほど透き通った空の下を、俺のような罪人が歩けない、侵入できないという状況は至極当然であり、そして風刺的でさえあった。

 彼女の場所に立ち入るだけの資格は、俺には無い。

 ならばあの晴れ渡る空が見える教室は、一種の聖域とも言えるのだろう。

 聖域(サンクトゥム)──か。

 やや恣意的ではあるが、間違ってはいまい。

 そして、そう考えてみれば、確かに。

 確かに、俺が入れなくて当たり前だという感情しか、湧いてこなかった。

 

『だ、大丈夫です、ウォルター先生! いつか絶対、この場所に入ってくることができるはずです! それまで、こうやってケーキを送ってくれるだけでも良いので!』

 

 思考に沈み、黙り込んだ俺をどう捉えたのか──多分、落ち込んでいると捉えたのだろう、アロナは慌てながらも励ますようにそう言った。

 先程まで泣きそうな顔をしていたというのに、打って変わって俺を励まそうとするその姿を見て──そして、それでもケーキはこれからも要求するつもりだとちゃっかり宣言したアロナを見て、俺は少し……なんと言うか、考えるのが馬鹿馬鹿しくなった。

 いや。

 決して悪い意味では、ない。

 

『この教室に来れたときは、そのときは絶対、私と一緒にケーキを食べましょうね、ウォルター先生!』

「…………そうだな」

 

 そんな時が。

 そんな、赦される時が来るのなら。

 俺は、彼女の願いを叶えてやらねばなるまい。

 

『……それで、その……』

「……どうした」

『えっと……このケーキ、食べてもいいですか?』

「……ああ、待たせてすまなかったな。遠慮せず食べるといい」

 

 そうして。

 まあ、紆余曲折あって、かなり長い間焦らされていたアロナだったが、ようやくケーキにありつけることができた。

 俺の許可が下りたことを確認して、目を輝かせ、両手を上げて喜んだアロナは、かつてのユウカのように(あるいは毎週のユウカのように)ケーキを美味しそうに食べ始めた。

 もぐもぐとケーキを頬張るその姿を画面越しに見つつ、俺は思う。

 アロナ。

 お前は気付いているだろうか。

 

 ──()()なら入れるはずなのに。

 

 お前は今まで、俺のことを一度たりとも『先生』と単体で呼んだことはない。

 必ず、『ウォルター先生』と名前をつけて呼んでいた。

 今にして思えば、やや不自然なほどに。

 勿論、シッテムの箱のメインOSであるアロナはAIのため、俺の呼び方が統一されているだけ、そう設定されているだけの可能性も十分にある。

 だが、ここまで子どもらしい、ここまで人間らしいAIだからこそ、厳密に呼称を徹底する必要はないだろう。

 昼寝をしたり、寝過ごしたり、ミスをしたり、喜んだり、甘えたり、悲しんだり、落ち込んだりするアロナであれば、ふとした瞬間に俺を『先生』と呼んでもおかしくはないはずなのに。

 それでも、アロナが頑なに俺を『ウォルター先生』と呼ぶのには、必ず理由があるはずだ。

 そうしなければならない理由が。

 そして──そんな彼女が、『先生なら』と言った意味。

 考えようによっては、あの言葉はただの役職を指す言葉で、深い意味はない可能性の方が高いのだが……今の俺には、とてもそうは思えなかった。

 あれはきっと、俺ではない()()を指した言葉だ。

 先生なら──彼女にとっての“先生”なら、できたこと。

 ……と、そこまで考えてみたものの、今のところは何の確証もない妄想の類だ。実際あの言葉はアロナにとって無意識だろう──問いただしたところで、恐らくは無駄だ。

 連邦生徒会長についてもそうなのだが、アロナの情報は完璧ではなく、意図的に情報が欠落している節がある。それを踏まえると、あれが本物に繋がる決定的な証拠となるかは怪しいものだった。

 

「……本物、か」

 

 しかし状況証拠的に、黒服やアロナの言動からして、俺以外の先生──つまりあの聖域に入ることのできる“先生”と呼ばれた人物がいたはずなのだ。

 先生というイメージを固定するほどの高潔な人物が、必ず。

 ならば“先生”は、一体何をして、そして何故消えた。

 アロナ──お前にとって“先生”とは、一体何だ?







 アロナのご褒美どこ……? ここ……?
 おかしい……俺はアビドスと百鬼夜行を頑張ってくれたアロナに対しての報酬でウォルターとのほんわかした話を書こうとしていたのに……。



 https://www.pixiv.net/artworks/120832886

 またまたキサラギ職員さんに、七瀬ロイを描いて頂きました。
 僕のTwitterにあげてたなんとなくのふわふわイメージからここまで形にしていただいたこと、感謝してもしきれません。
 本当にありがとうございます……。
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