ハンドラー・ウォルター先生概念。 作:ヤマ
誰かを救うのに、自覚は必要ない。
001
水羽ミモリの夢は大和撫子である。そしてそのために日々、彼女は修行部で花嫁修行をしているらしい。
ミモリは誰かの花嫁になることを夢見ている少女、とも言えるだろう。
……別に俺が錯乱したわけではない。彼女の自己申告により発覚した、純然たる事実だ。
そして当然、その夢を否定するつもりは俺にはなかった──彼女の語る理想は高校生の恋愛観としてはやや純情過ぎる気がしないでもないが、まあ、どんな生活を夢見ようとそれは自由というものだ。
アウトローに、忍者に、花嫁。
むしろ今まで見聞きしてきた目標の中では地に足ついた夢とさえ言えるだろう。
「というわけで、私は修行部で花嫁修行をしています」
「…………」
百鬼夜行の事件以降しばらく経ったある日、わざわざシャーレまで訪れた桜色の髪を持つ少女、水羽ミモリは、机を挟んでソファに座っている俺に対してそんなことを言った。
懇切丁寧に、自分の夢や目標を抱くようになった経緯まで説明して。
要約すると、漫画や小説に出てくるような『大和撫子』、あるいは『お嫁さん』に憧れているという話だったが、しかし……それを俺に話してどうしようと言うのか。
たった今言ったことの逆になってしまうが、花嫁が身近なものというのはあくまでも一般論であり、育ちからしてどう考えても一般的でない俺にとって、花嫁という存在はむしろ馴染みのない、かけ離れたものである。
反対に、忍者はスパイや傭兵のようなものだと捉えれば馴染み深いものだし、アウトローに至っては俺自身だ。
俺は非合法な行いに関しては一家言ある男だ──誇ることでは絶対にないが。
「……お前の夢は分かった。だが、それをわざわざシャーレにまで来て、俺に話す意味はあるのか?」
俺は言う。
ミモリの所属する百鬼夜行から、シャーレの建物があるD.U.地区まではそれなりに距離がある。何かのついでという可能性も考えられなくはないが、仮にそうだったとしても、自らの夢を話すためだけに俺に会いに来ることはないだろう。
会長──ニャン天丸の事件の際、イズナに『どんな夢を持とうとそれは自由である』というようなことを言ったが、それを聞いての行動だろうか?
だとしても、俺に話したところでどうにもならないだろうが。
彼女が何を求めているのか、まるで見当もつかないというのが俺の正直なところである。
「はい、あります」
俺の問いに対して、ミモリはきっぱりと答えた。
一切迷いのない答えだった。
そこまで断言されてしまうと、本当に意味があるような気がしてくる。
「そして、先生にしかできないことがあります」
「…………」
本当にそう思うらしい、頑なに。
しかし……何と言うか、この少女、以前に出会った時に比べて非常に押しが強くなっている。
初対面の時の警戒、あるいは遠慮のようなものが感じられない。
事実、初対面ではないのだから、当然と言えば当然なのだが。
「……まあいい。そこまで言うなら構わない。ミモリ、俺は何をすれば良い」
「はい、先生には──」
以前の俺の対応に難があったという自覚もあって、俺がひとまず彼女に問うと、ミモリは躊躇なく、そして一切の恥ずかしげさえなく言い切った。
およそ乙女とはかけ離れた、色恋沙汰をまるで感じさせない据わった目で。
「旦那さん役をしてほしいんです」
002
取り敢えず、絶対に言葉が足りていないと思った俺は、ミモリに詳しい事情を訊いて彼女の真意を探ることとなった。
今の俺は(少なくとも表向きは)先生という立場にある人間のため、下手な噂が立つと体面が悪いのだ──ただでさえ、最近引き込んだ元魑魅一座をシャーレで世話しているというのに。
などと、今までハンドラーとしての悪名を気にせずにルビコンで活動していた俺がこんなことを思うこと自体、筋違いなのかもしれないが。
「……要するに」
ミモリの事情を一通り聞いて、様々な感情や言いたいことを押し殺してから、俺は言った。
眉間に皺が寄っている自覚があったので、指で揉みほぐしつつ。
「俺で練習がしたい、ということか」
「はい。先生のような男性の機微や心を読み……ではなくて、推測や推理することができれば、理想の大和撫子に一歩近付けるのはないかと、そう考えています」
「…………」
ミモリの要求は、端的に言えば俺を『亭主関白で無表情かつ寡黙な夫』に見たてて、気持ちを読む練習がしたいとのことだった。
……言いたいことは大いにあるが、彼女の狙いも理解できる。事実、俺の感情が読めるようになれば、他の人間の機微を読むことは容易くなるだろう。
なるほど、
だが、妙な言い回しをするな、とも思った。
まるで読心術を隠したがっているかのような言動である。
そして実際、ミモリは彼女自身の力をあくまでも『観察力や洞察力による推理』ということにしたいらしく、これらを俺に説明する際、巷で噂されているような『読心術』などではないと念を押すように何度も主張していたが……どうだろう、それは怪しいものだった。
──貴方は何を抱えているんですか。
観察力や洞察力といった点では同じ髪色のホシノも大概だったが、ミモリの場合は明らかにそういったものを逸脱している。
これは別に、俺の感情が表には出ないにも関わらず心情を読まれたからそう思った、という短絡的な思考ではなく、仮に俺が表情豊かな人間であったとしても、同じように思っただろう。
例えば……そうだな、俺が今にも死にそうな顔をしていたとして、それを見た人間が、「貴方は何を抱えているんですか」と問うことはまずない。
いくら洞察力や観察力が優れていたとしても──いや、優れているからこそ、普通そんな言葉を掛けはしない。
今にも死にそうな人間に──死にたがっている人間に。
もちろん、いずれそういう問いに行き着く事はあるだろうが、しかし初対面の人間に第一声で「何を抱えているんですか」とはなるまい。まず、「どうしたんですか」とか、あるいは「何かあったんですか」という曖昧な問い掛けになるだろう。
それにも関わらず、彼女は俺が何を抱えているのかを優先して訊いた。
何があったのかではなく、何を抱えているのか、と。
ただの推測や推理ではこうはいかないだろう。
何らかの特殊技能だと考えた方が自然である。敢えて捻くれた言い方をするならば、『読心術を使えるという噂が立っている』事実こそが、俺にとっては十分な証拠だった。
普通、いくら洞察力や観察力の優れた人間であるとは言え、読心術が使えるという噂までは立つまい。
余程猛威を振るったと見える──が、それを追及するつもりは俺にはなかった。と言うよりも、ミモリ自身があまり語りたくない素振りを見せたので、それ以上触れるのはやめておいた。
実際、心が読める能力など想像しただけでトラブルの元になる予感しかしない。仮に他者の気持ちを完全に読み取れる能力があった場合、常人の精神では耐え切れないだろう。
よって、今の俺の予想になるが、彼女の読心能力は不完全かつ、ON、OFFが可能なタイプなのだと推測できる。
そして読めるのは──人の感情、その
無制限に際限なく思考が読めるほどではなさそうだ──まあ、他人の思考を完全に読めるような力を持っていたら、ああも穏やかな性格ではいられないだろうという偏見もあるのだが。
「……大和撫子、か。それも花嫁修行の一環か?」
「はい、そうです」
そんな彼女曰く。
彼女の目指す大和撫子とは、一般的な意味合いでの清らかさ、優雅さ、強さ、そして内面の美しさはもちろんのこと、
それこそが大和撫子の嗜みなのだと。
……俺としては、『自分の夫のことなら何でも分かっている』女は普通に怖いのだが……まあ、あくまでも俺の感覚である。世間一般から逸脱した俺の感覚は当てにならないだろう。
ともあれ、どうやらミモリはあの時、俺との初対面で、俺の感情が読めなかったことをずっと引きずっているようだった。
表情に変化がない俺のこと、それはいくら洞察力や観察力が優れていようと仕方のないことだと思うのだが、彼女にとっては許し難い、認め難いことらしい。
表情が読めないから、相手の気持ちを理解できない『お嫁さん』にはなりたくないのだと。
彼女の憧れる大和撫子とは、相当に理想が高いらしい。
……だからと言って、その理想を実現するために俺を『亭主関白で無表情かつ寡黙な夫』に見たてて、感情を読み取り行動する花嫁修行がしたいと要求してくるのは、いくらなんでもやり過ぎな気もするが……。
何にせよ、取り敢えず。
彼女の目的は理解できたので、俺は答えた。
「……そういったことはもっと若い男──は難しいにしても、せめて同年代の同性に相談するべきだ。俺のような老人が力になれることはない」
冷たい対応になってしまうが、俺はこれ以上妙な期待を抱かせても仕方がないため、にべもなく断った。
こればかりは流石に相手を間違えていると言わざるを得ない。
はっきり言って専門外、門外漢だ。
そんな、真逆の──平和であることが大前提の夢を見る少女に、人の命を踏み躙ってきた俺に助言できることなど存在しない。
はず、なのだが。
「いえ、これは先生にしかできないことです」
と、ミモリは俺の言葉をまるで意に介さず、やはりきっぱりと言った。
本当に俺にしかできないのだと信じ切っている口振りである。
何を持ってそこまで言い切っているのかは不明だが、ここで流されるわけにもいかないので、俺は別方向から断りを入れることにした。
「……お前がどんな相手を選ぼうと自由だが……一つ助言を送ろう、ミモリ。亭主関白で、無表情で寡黙な人間を夫にするなどやめておけ。基本的にそんな奴は碌な男ではない」
俺も含めてな。
言外にそう伝えたが、ミモリはやはり首を振る。
強面の男であると自覚している俺に対して、一歩も引こうとしない。
……思いの外、意志の強い少女だ。
「……私は、そうは思いません。不器用なだけで……見えない優しさがあるはずですから」
「……見えない優しさなど、無いのと同義だ。本当の優しさは目に見える」
俺は、
家族に対して無表情で、無感情で、無感動で、コーラルに対してのみ狂気的な男。
碌でもない男で、そして碌でもない大人だった。
そして──血の繋がっている俺もまた、同類である。
碌でもない、人間だ。
「俺のような人間の機微を悟る練習などする必要はない。お前自身を大切にしてくれる男を探す方が余程幸せになれる」
「……それでも、私は」
俺のわざとらしい的外れな言葉に、何かを言い淀むミモリ。
恐らく、以前見た俺の
読心術は使えないと言っている手前、踏み込んだことは言えまい。
そもそも、ミモリがこんなことを申告してきた理由は、恐らく俺の中に見た
旦那役などただの口実だ──この心優しき少女は、俺の何かを見て、俺のことを
誰かを支える自分になるために。
いつか憧れの自分になるために。
今困っている人間を救えないことが、彼女にとっては許せないことなのだ。
俺が助ける価値のない人間だとか、罪人だとか、そういったことを知っていたのだとしても、恐らく彼女の行動は変わらない。
今困っている人を救えない自分が、将来好きになった人を救えるはずがない、というのがミモリの価値観なのだろう。
その価値観や心構え自体は立派だが──本当に見習いたいほどに立派だが、しかし、俺としては絶対に請け負うわけにはいかない。
これ以上、俺について知られてはならないのだ。
俺は何も、演技とは言え齢十六の少女相手に旦那役をするという致命的な外聞の悪さを恐れてそう言っているのではなく……いや、もちろんそれもあるのだが、本当に恐れているのはそこではない。
もしも。
もしも、本当に全て読まれてしまった場合が問題なのだ。
俺の中にある何らかの罪を見てしまった場合、俺は彼女に余計な責任を負わせることになる。
俺が生涯抱えるべき罪を、秘すべきものを、彼女は知った上で抱えて生きていかなくてはならないのだ。
ここがルビコンでないことや、知ったところで何かできるわけではないのだとしても関係ない。
人はそれだけで、苦しんでしまう。
苦しんで、悲しんで、悼むことができてしまう。
それは人間の美徳と言えるのだが、しかし、ああも心根の優しい少女にとって、それは劇薬になりかねない。
だからこそ、心を読まれることだけは絶対に避けなくてはならないのだ。
そして──何よりも。
「私……私は」
「……ミモリ」
「…………」
「これは、俺のものだ」
ルビコンでの罪と、アイビスの火は。
この世界において──
「……でも、それは。それでは、先生は──いつまでも救われません。ずっと。だとしたら先生のことは、誰が救ってくださるんですか」
「俺が救われる必要はない。赦しなど求めていない。俺の先生も、ただの償いだ。自己満足の贖罪に過ぎん」
「……
ミモリは、明らかに知られざる情報を出して、俺に問う。
赤。
それが、彼女が読心術で俺の中に見た色らしい。
血の赤か、火の赤か、あるいは──コーラルの赤か。
そのどれを指しているのだとしても、俺の答えは変わらない。
「そうだ」
「…………」
「これ以上、俺の何かを見るのはよせ。今はまだ精度が低いようだが……鮮明に見えた時、後悔することになる」
俺は、もはやミモリが読心術が使える前提で話していたが、彼女は特に否定の声を上げなかった。
自分から赤の情報を出した以上、否定のしようもなくなった、というだけかもしれないが。
「…………人の抱えているものを、分けてほしいと願うのは傲慢でしょうか」
「……さあな。だが、多くの場合、それは救いとなるだろう。今回の例が──いや、俺が例外だ。気に病む必要はない。お前は間違っていない」
ほとんど気休めにしかならないだろうが、俺はそんなことを言った。
大抵の場合、一人で抱え続けた先は破滅が待ち受けている。
悩みを他人に話せばあっさり解決することが多いと言われるように、救われたいのなら、悩みを、苦痛を、不幸を分散すれば良いのだ。
俺の場合、救われるつもりも、楽になるつもりもないというだけで。
「ミモリ、お前の気遣いには感謝しよう。……その思いは、きっと誰かを幸せにする」
それこそ、彼女を貰い受ける男は幸せになるだろう。
今の俺ができることは、ミモリが亭主関白で無表情で寡黙な男に引っかからないよう願うのみだ。
「…………」
その言葉を最後にミモリが静かに黙り込んだのを見て、俺はソファから立ち上がってデスクに向かった。
丁度良い区切りだろう──流石にこれ以上、ミモリも食い下がりはしまい。
「──ウォルター、いいか?」
と、そこで都合良く、恐らくは仕事が終わったのであろうロイが扉をノックした。
開いていることを伝えると、中を窺うようにロイが顔を出す。
「……ん、あれ。ミモリさん。こんちは」
束になった資料を持ったロイは、扉を開けて早速ミモリを確認したらしい。ロイは軽く会釈しつつ、俺のデスクに資料を運ぶ。
「あ、ロイちゃん。お邪魔してます」
「いや、別にシャーレは私の家じゃない……あれ、家なのか? 住んでるし……まあ、どっちでもいいか。家主はウォルターだから、私のことは気にしなくていいよ」
「……俺の家でもないが」
とは言ったものの、俺もキヴォトスではシャーレ以外に住む場所を持っていないので、ほとんど家も同然だった。
シャーレにはシャワーも寝床も食堂もある。完全に機能しているとは未だ言い難いが、暮らす分には十分だ。
買おうと思えば家も買えるのだが、使わないことが目に見えている──いや、正確には家も住所も買ってはあるのだが、それはあくまでも保険、何か問題があった時の退避場所なので、無いと考えていいだろう。
「ウォルター、これユウカさんに渡す資料な。多分一瞬でバレると思うけど、一応」
「……ああ。助かった、ロイ、お前も休め」
「はいはい、ウォルターもな。じゃ、お茶でも淹れよーぜ。ミモリさんもいるし」
「あっ、そんな、お構いなく……」
「だいじょーぶ。私が飲みたいから淹れてくるだけだから。百鬼夜行のお茶美味かったし……あ、あの時買った羊羹でも持ってくるから待っててくれよ」
資料を置いた後、軽く手を振って給湯室へ姿を消したロイの方向を、ミモリは呆気に取られたように見つめていた。
先程の空気を一蹴するかのように、限りなく軽い空気を纏って喋るロイに毒気を抜かれたのか、ミモリはしばらく沈黙した後。
「……お節介、だったみたいですね」
と、そう呟いた。
それは、反省や後悔の色を含んだ声だったが、しかし一番含まれていたのは何故か恥ずかしさのようで、ミモリはやや頬を赤らめて俯いた。
「……どうした」
「…………」
俺が訊くと、更に気まずそうに目を逸らし、もごもごと口を動かすミモリだった。どうやら相当に照れているらしい。
ただそれでも、彼女は答えを誤魔化すつもりはなかったようで、深呼吸をして顔の火照りが落ち着いた後、ゆっくりと語り始める。
「……先生。貴方が抱えているものが──貴方の赤が何なのか、今の私には分かりません。……もしかしたら、私のような不束者には理解できないものなのかもしれません」
「……不束者にはあり得ない度胸だと思うがな」
誰かの『お嫁さん』に憧れる少女が、助けるためとは言え、最も大切な立ち位置であろう貴重な旦那役を依頼するなど、相当な覚悟を持たねばできまい。
献身的と表現するには過剰な度胸と覚悟である。
この俺の言葉を聞いて──ではないだろうが、ここで初めて、ミモリは微笑んだ。
彼女が元来するであろう、柔らかい、大和撫子に相応しい笑みで。
「……ですが、今のロイちゃんがいれば、きっと大丈夫だと思います」
「何を……」
「……良い勉強になりました、先生。人が何に救われているか、自分でも、意外と分からないものなんですね」
「…………」
一人、納得したように頷く。
そして彼女は俺の疑問に答えるつもりはないようで、そのまま、珍しい──悪戯っぽい笑みで、俺に問う。
何かを確信したように。
これは、読心術を使うまでもないと言うように。
「……先生は、幸せですか?」
ミモリの真意は分からなかったが、その問いに俺は答えた。
恐らく、限りなく正直に。
「……どうだろうな。だが──」
思考の中、赤と青が入り混じり。
最後に見えた色は──窓から見える、キヴォトスの青空だった。
「不幸ではないと、そう言い切れる」
ミモリの読心術は原作では使えるかどうかはっきりしていない+そもそもどういったものなのかさえもはっきりしていない(不忍の心で観察力や洞察力だと説明されたが、別のシーンで明らかに心を読んでいることを誤魔化している描写もある)ので、私なりの解釈で話を進めました。
読めるけれど、完全でない。
なんとなく感情の色が読めるから、洞察力と合わせて推理していると解釈してのお話でした。何か見逃してたらすみません……。
次はちょっと挑戦してビナーの話を書くかも。戦闘は多分書きませんが……。