ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 少しずつ、一歩ずつでも、それでも前へ。



1-7

 014

 

「……待っていたわ、先生」

 

 俺がリオに指定された部屋に入ると、既にリオは部屋の中で待機していた。

 どこか、不安げな表情で。

 ……珍しい表情だ。

 いや、珍しくと言えるほど俺と彼女に長い付き合いがあるわけではないが……しかし、ここまで関わってきた言動を鑑みても、リオは『待っていた』ことをわざわざ言うような少女ではないだろう。

 勿論、本来はこれをただの挨拶と受け取るべきだろう──目の前にいる、極度の合理主義の彼女から発された言葉でない限り。

 あるいは、リオにそう言わせてしまうほど、俺の行動が目に余ったということなのかもしれないが。

 どう言い訳したものかと考えながら、俺はリオに近付きながら部屋を見渡して、そしてこの部屋にリオしかいないことに気付く。

 

「……ヒマリは来ていないのか」

「少し遅れるそうよ。先に始めていて良いと言伝を預かっているわ」

 

 一瞬疑問に思ったが、よく考えてみれば確かに、ヒマリは車椅子での移動だった。

 俺も杖をついているが、移動の難易度を考慮すれば俺の方が早いのは当然か。

 もっとも、ああやって天才を自負する彼女なので、別の用件である可能性も十分に考えられるが。

 

「アリスのことを、C&Cが監視していると言ったな。今どうしている」

 

 ひとまず俺は、何よりも気になっているアリスの動向を訊いた。

 俺の存在の有無により、アリスの行動が変化するか確かめたかったのだ。

 

「……ゲーム、をしているようね」

「……ゲーム?」

「あの子たちの作ったゲームだそうよ。七瀬ロイは……一緒に遊んでいるわけではないようだけれど」

「…………」

「敵対する様子はないわ。……今のところは」

「……そうか」

 

 ゲーム開発部が作ったゲームとなると、恐らく『テイルズ・サガ・クロニクル』のことだろう。

 思いの外、アリスは普通に遊んでいるらしい。

 そして反対に、ロイは同年代の子どもがいるにも関わらず、一歩引いてアリスを監視しているらしい。

 俺の指示を、守ってしまっているらしい。

 ……こればかりは俺のミスだな。今の彼女の精神状態では、俺の言葉を忠実に守ろうとしてしまうことは容易に想像できたはずだ。

 ミレニアムに来てから次々に事が起きてしまい、ロイのフォローもまだできていないことも俺にとっては懸念事項である。

 

「…………その、先生」

「……どうした」

 

 と、そこで。

 リオは、先ほど見せていた不安げな表情を再び浮かべて、俺に呼びかける。

 迷いを感じる声だ。ありとあらゆる事象において合理性を求めるリオにしては、やはり珍しい。

 やや配慮に欠けていようとも、効率を優先して躊躇なく発言する少女だと思っていたのだが……。

 

「……ウォルター先生。少し、相談があるの」

 

 視線を外したまま、少し弱々しい声で彼女は俺に言った。

 ただ、言うと決心したらしい彼女はその躊躇いや迷いをすぐに隠し、いつもの表情に戻る。

 無表情に見える、あいつらに比べたら分かりやすい顔に。

 

「……俺にか」

「ええ。ヒマリの言う通り、私には友人が──理解者が少ないから。他に相談できる人がいないの」

「…………」

 

 迷いを消したからか、逆に堂々とリオは言った。

 分かりやすいのは良いことだが、しかし、そこまではっきり断言されると言葉に困る。

 確かにリオは近寄りがたい雰囲気はあるが……だからと言ってヒマリの次に俺が来てしまう交友関係は流石に不安である。

 友人がいないにしても、ならばせめて、まずはセミナーの会計であるユウカあたりを頼るべきではないだろうか──あの面倒見の良い少女なら、誰であろうと無碍にはすまい。

 

「そう──私のやることは、基本的に理解されない。今まで、多くの人間の反感を買ってきた。それが正しいことだとしても、受け入れられたことはない」

「…………」

「……それでも、私は良いと思っているわ。今でもその考えは変わらない。合理的に、効率的にやることが正しいのだと──そう信じている」

 

 どうやら、悩みとは()()()()()()らしい。

 リオは続ける。

 

「ウォルター先生。貴方も、私と同じ考えを持っているはず」

「……同じ?」

「ええ、だから相談したの。貴方は私の考えを理解した上で、助言してくれるだろうと。何か、解決の糸口が見つかるかもしれない、と」

 

 分かるでしょう、とでも言いだけな視線でリオは俺を見た。

 圧倒的に言葉が足りていないが、凡そ俺たちに共通点があるとすれば、一つしかない。

 ヒマリが嫌う、俺たちの共通点。

 

「……それは、お前の合理的思考を理解してほしい、ということか」

「……概ね、その通りよ」

 

 微かにほっとした様子で、更に感心した風に言うリオだった。

 どれだけ共感に飢えているのだ。

 

「ヒマリも勿論、私の思考は把握しているでしょうけれど、それは理解を示しているわけではないわ。私のことを毛嫌いしている。でも──」

 

 そこで言葉を切って、俺を見る。

 どこか、羨ましそうに。

 

「何故かヒマリは、貴方に気を許した。あんなに私を敵視している彼女が、私と同じような考えを持つ先生には好感を持っている。どうしてかしら」

 

 心底疑問に思っているであろう声で、彼女は言う。

 

「なら、どうすれば私は──理解されるのかしら」

「…………」

 

 きっと。

 今までリオは、誰よりも正しい道を歩んできたのだろう。

 真っ直ぐに、真っ当に。

 だが、その極まった合理と効率から導き出される正しさは、多くの人間にとっては苦痛であり、嫌悪の対象にすらなり得ることを彼女は理解できていないのだ。

 人間は、人間であるが故に非合理的であるということを。

 そう思うと、目の前の少女は想像以上に子どもらしい思考をしている気がしてしまい、微笑ましいような気持ちにさえ、俺はなった。

 どれだけ大人びていようと、『正しくあれば理解してもらえる』と信じる少女は、ある意味純真と言える。

 

「……これは俺の持論だが……人間関係の理解を、俺は信用と言い換えている。そして、信用とは実績だ。リオ。厳しい言い方をするが、お前は人柄で信頼されることはないだろう」

「…………」

 

 俺の言葉に、リオは明確に黙った。

 とは言え、別に傷付けるために言ったわけではない。()()()()()()()外見や言動、人柄で信頼されないことを確認したかっただけだ。

 そこで信頼されるなら、そもそも悩んではいまい。

 

「俺のような人間は人望が無い。となれば、残る判断基準は過去の実績となる」

「……私は、ミレニアムを守るために常に行動しているわ。それは、実績にならないと言うの?」

「その過程で、人の感情を蔑ろにしてきたという実績があるのなら、信用には繋がらない」

「…………」

 

 仕事なら話はまた変わるのだが、今回の件であればそれは無視して良いだろう。

 簡単に言えば、リオの悩みは『理解してくれる人』が欲しいだけなのだから。

 

「リオ。お前は、世界のための正しい行いが正しく評価されることを望んでいるのだろうが──そうであるべきなのだろうが、現実は違う。前にも言ったが、人は合理では動かない。人を動かすのは、どこまで行っても感情だ」

「…………」

「そしてお前の言葉を借りるなら、人は『正しいかどうか』でついていく人間を判断するわけではない。『正しいと思う』人間を選んでいる」

「……何が違うの?」

「簡単に言えば、『ついていきたい』人間についていくということだ。非合理的に──感情的に」

「…………」

 

 621が分かりやすい例だ。

 世界の正しさなど──あいつにとっては、関係無い。

 友人を守る選択肢こそが、あいつにとっての正しさだった。

 

「……それでも、私は──ミレニアムの生徒会長として正しいことを、やるべきことをやらなくてはならない。例え、世間に悪だと非難されようとも、より多くを救うために必要だと信じているわ」

「…………」

「そう──有名な思考実験でもあるでしょう。止まる事ができなくなってしまった列車がレールの上を走っている時。五人生かすために一人を犠牲にするか。それとも、一人を生かすために五人を犠牲にするか」

 

 リオは、ハウンズを相手にしていた経験がなければ分からないくらい微かに、悲痛な表情を浮かべて、俺にそんなことを言った。

 ……どの世界にも、似たような思考実験はあるらしい。

 そしてこの場合、俺にとっては他人事ではない。

 実体験である。

 

「五人を救うためには、誰かがレバーを引かなければならない。レバーを切り替えた先で一人が死んでしまうのだとしても──私は、その役割を全うする」

 

 本当に。

 本当に俺のようだと、心底思った。

 五人のために、一人を殺す。

 宇宙(五人)のために、惑星(一人)灼く(殺す)

 そういう選択を、いずれリオはしてしまうのだろう──きっと。

 そんな彼女に、俺に一体何が言える?

 行き着く先まで行き着いてしまった俺に、本物の人殺しである俺に、リオに言えることなど──あるのだろうか?

 

「……ウォルター先生。貴方も、そうするはずよ」

「…………俺を理解しているかのような物言いだな」

「私はそう認識しているわ」

「俺はお前の指示を聞かず、感情的に動いていただろう」

「表面上はね。でも、本当のところ、あなたは感情に左右されているわけではないでしょう」

「…………」

 

 リオは断言する。

 俺が彼女に対して分かったようなことを言ったように、彼女もまた、俺に対して分かったようなことを言う。

 

「冷静でありながら、あえて感情的に動いているのではなくて? 分かっていて──わざとそう動いているでしょう」

「……買い被りだな」

「いいえ、貴方はきっと、最後には合理的に動くはずよ。それは既に証明されている。貴方はそうやって(小鳥遊ホシノを囮にして)──アビドスを救ったのだから」

「…………」

 

 ルビコンとやっていることは同じだ、と当時も自嘲したものだが。

 それは、リオから見ても同じように見えたらしい。

 彼女自身が、彼女と同じように見えたらしい。

 とても──合理的に。

 

「貴方は、最後にはそういう選択ができる人であると信じているわ」

「……光栄だな」

 

 結局俺は、大した言い返しもできず、苦し紛れに皮肉を言うだけに止めた。

 事実に対して言い返すほど、惨めなことはない。

 言い返さなくとも──十分に惨めだが。

 ただ、それでも、それだからこそ、俺はリオに伝えなくてはならないことがあった。

 最悪の先人として、罪人として。

 俺の場所にまで、堕ちないように。

 

「……リオ。世界を守るために、個を犠牲にする必要がある。それは真実の一つではあるだろう。だが──」

 

 これは子ども相手に言うことではないし、何より大人げない行為ではあったものの、()()()()()()だと判断して俺は言う。

 ルビコンでの、ハンドラー・ウォルターとして、言う。

 

「その選択をした瞬間が()()()だと思え」

「────」

「一人を殺すことを選んだ時点で、たとえ五人を、世界を救おうと──それが善行になることはない」

 

 理解されることはない。

 赦されることはない。

 絶対に。

 

 015

 

 アリスが『テイルズ・サガ・クロニクル』を始めて二時間後、私は手持無沙汰になりつつあった。

 あれだけ散らかっていた部室の片付けも目処が見えてきて、これ以上この部屋を綺麗にしようとするならば、部屋の外に出て掃除道具を持ってくるなり、ゴミを捨てに行くなり、とにかくアリスから目を離さなければ次の行程に進めない状況にまで行き着いてしまったのだ。

 ウォルターにアリスの監視を頼まれている以上、部室から離れるなんて論外だし、そうなればつまり、私は必然的に『テイルズ・サガ・クロニクル』の画面を視界に入れなければならない。

 いやまあ、別に強制はされてないけれど、同じ部屋にいる以上、一人だけ別のことをするってのも罪悪感がある。全員がアリスのために行動している中、露骨に避けてしまうと印象が悪い。

 今の今までは掃除をしていたので、「ごめん、見てなかった」と言い訳をすることもできたのだが──そして『掃除をしてもらっている』という負い目から、さして追及されることもなかったのだが、こうなってしまってはそれも難しい。

 ……仕方がないか。

 あまり気は進まないけれど、現状把握は怠るべきではない、と自分に言い聞かせて、私はプレイに熱中しているアリスたちへと視線を向けた。

 

「電算処理系統、および意思表示システムに致命的なエラーが発生」

「頑張ってアリス、ここさえ乗り越えれば待望のクライマックスだよ!」

「今のはどう考えても、『草食系』って言葉が思い出せないからって、それを『植物人間』って書いたお姉ちゃんのせいでしょ!?」

 

 どうやら物語も佳境らしい、色んな意味で。

 ただ、画面を見てなかった、もとい話を聞いていなかったので、ミドリが何を言っているのか全く理解できない。

 

「『ごめんなさい、私は植物人間ですので、女性に対して気軽に声をかけることはできません』ってテキストを読んだ瞬間に、アリスちゃんが一瞬意識を失ってたじゃん!」

 

 ……いや、多分見てても結果は一緒だな。

 マジで意味が分からない──ついでに言えば、仮に『草食系』だったとしても文章がおかしい。

 自分から『草食系』であることを名乗る奴がいるかよ。

 

「……質問。どうして母親がヒロインで、それでいて実は前世の妻で、さらにどうしてその妻の元に、子供の頃に別れたきりの腹違いの友人がタイムリープしてきているのか──いえ、そもそも『腹違いの友人』という表現はキヴォトスの辞書データに登載されていな──エラー発生、エラー発生!」

「が、頑張ってアリスちゃん! クライマックスまでもう少しだから!」

 

 そして、たった今聞いた文章はどうやらマシな部類だったらしい。

 『テイルズ・サガ・クロニクル』をプレイするアリスは、悲鳴に近い声で文章の矛盾を指摘しながらエラーと再起動を繰り返している。

 ……拷問か?

 ただ、その度重なるエラーと再起動により、何がどうなってかは知らないが、結果としてアリスの声は明らかに感情が含まれていた。

 駄目で元々くらいの気持ちで始めたゲームだったが、想像以上にアリスの成長に貢献したらしい。

 クソゲーも捨てたものではないようだ。

 不幸中の幸い──で、表現合ってるのかな。

 まあそんなわけで、アリスがエラーを吐き続けて大変な目に遭っているとはいえ、ここで止めるのも迷う。

 それに。

 

「……──再起動(リブート)。プロセスを回復」

 

 アリスはアリスで、ゲームを止めようとしない。

 あんなに理不尽な目に遭っているのに、それでもあの世界の冒険を止めない。

 何がアリスをそこまで動かすのかは分からなかったけれど、本人が続けようとしているのなら、私が止めるようなことじゃない、はずだ。

 きっとウォルターなら、そうする。

 

「……ふぅ」

 

 しかし、『ふぅ』とか言い始めたアリスは、いよいよ普通の少女にしか見えない。

 先程よりも興味津々に、楽しそうに、目を輝かせてゲームに向かうその姿は、ただただゲームに魅せられている可愛い女の子だ。

 

「これが、ゲーム……」

 

 ただ、その認識だけは訂正してやるべきか、ちょっと悩んだ。

 そうして、一時間後。

 

「ころ、し、て……」

 

 無事に(と言って良いのかは怪しいが)『TSC』のエンドロールが流れた時、アリスは今にも倒れそうな声で、呻くようにして言った。

 クリアした奴の一言目の台詞とは思えない。

 

「すごいよアリス! 開発者二人が一緒とはいえ、三時間でトゥルーエンドなんて!」

「そ、それもそうだけど……もしかして、本当にゲームをやればやるほど、アリスちゃんの喋り方のパターンがどんどん増えてる……!?」

「……勇者よ、汝が同意を求めるならば、私はそれを肯定しよう」

「ほら、やっぱり!」

 

 ミドリはアリスの、恐らくは『肯定』という意味の発言を聞いて喜んでいたが……どうだろう。確かに機械っぽくはなくなったけれど、分かりやすさとしてはむしろ悪化している気がしてならない。

 会話として成立しないだろ、今の。

 何なら、さっきの場所で止めといた方が丁度良かった可能性すらある。

 

「うーん……確かにそう、かも?」

「ゲームからそのまま覚えたせいで、ちょっとまだ不自然だけど……言葉を羅列してただけの時よりは、かなり良くなったと思う! ロイちゃんもそう思うでしょ?」

「…………まあ……」

 

 私は言葉を濁した。

 もちろん最初よりは良くなったとは思うが、これに同意を示して良いものか判断に困る。

 

「と、ところで、その……」

「……?」

 

 この作戦の発案者であるミドリは、アリスの話し方が成長したことをひとしきり喜んだ後に、言葉を濁しながら急に表情を一転させた。

 そして、何かを言い淀む。

 どこか期待した目で、それでいて不安も含まれた目線をアリスに向けながら、しばらく悩んだ様子を見せて──意を決したように言う。

 

「こういうのを面と向かって訊くのは緊張するんだけど……アリスちゃん、私たちのゲーム、どうだった? 面白かった!?」

 

 身を乗り出しながら、アリスに迫るようにして問うミドリ。

 ……なるほど。

 ゲームの開発者としては、クリアまで遊んでくれた感想を聞きたいようだ──今にして思えば、アリスをゲームに誘ったのにはそういう思惑もあったのかもしれなかった。

 そんなミドリの質問に、アリスはしばし沈黙した後。

 

「……説明不可」

 

 と、端的に言った。

 

「えぇっ!?」

 

 ミドリとモモイは驚いたような声を上げたが、私としてはアリスの気持ちが分かる──分かり過ぎる。

 ゲームに触れていない私でさえ違和感をバリバリに覚える物なのだから、廃墟生まれ?のアリスにとっては意味不明なものでさえあるだろう──と、思ったのだが。

 

「しかし……面白さ、それは、明確に存在」

 

 という、アリスの予想外の言葉に、今度は私は裏切られたような気持ちになった。

 勝手に。

 

「おおっ!」

「プレイを進めれば進めるほど、まるで、別の世界を旅しているような……夢を見ているような、そんな気分……」

 

 目を閉じながらしみじみと言うアリス。

 どうやらアリスにとって、あのゲームは世界を広げる面白いゲームだったらしい。

 面白いゲームだったらしい。

 あの理不尽も──試行錯誤も。

 …………いや、これは単に私が認めたくないだけか。私が無闇に突っかかってるだけで、あのゲームにはちゃんと面白いところがあったのだろう。

 私が、そう思いたくないだけで。

 昔の私たちより人生を謳歌している奴が作ったものが、楽しくて面白いものであってほしくないと思うだけで。

 

「もう一度……もう一度──」

 

 アリスは何を想像しているのだろう。

 あのゲームから、何を感じ取ったのだろう。

 『もう一度』と繰り返し呟き、思考に沈み、そして──。

 ほろ、と。

 唐突に、脈絡なくアリスは涙を溢した。

 

「ええっ!? あ、アリスちゃん!? どうして泣いてるの!?」

「そんなの決まってるじゃん! それぐらい、私たちのゲームが感動的だったってことでしょ!」

「いや、いくらなんでもそれは……というかこのゲーム、ギャグ寄りのRPGのはずだし……」

「…………」

 

 妙な泣き方だな、と思う。

 二人はアリスが唐突に泣いたことだけに意識が向いてしまって気付いていないけれど……アリスは、無表情のまま泣いていた。

 どころか、当人は泣いていることにさえ気付いていないようだ。

 モモイの言う、ゲームに感動して泣いている風には勿論見えないし、かと言って『TSC』が苦痛過ぎてもう一度プレイする苦行を想像しての涙とも思えない──成長したとは言え、そこまで情緒が育ったわけではないだろう。

 じゃあ何故、アリスは泣いたんだろう。

 何も覚えていない『記()喪失』の彼女が、一体何故?

 そんな私の疑問をよそに、アリスが感動で泣いていると信じて疑っていないモモイは、喜色満面といった顔で、アリスへ愛おしそうに抱きつきながら(撫でながら)言う。

 

「ありがとうアリス! その辺の評論家の言葉なんかより、その涙の方が百倍嬉しいよ! あー、早くユズにも教えてあげた──」

「……ちゃ、ちゃんと、全部見てた」

「!?」

 

 モモイの台詞が言い切られる前に。

 その必要はない、と言わんばかりに、部室の片隅にある、どこにでもありそうなロッカーから声が響き──今まで一切気配を感じなかったはずのロッカーの扉が、ぎいぃ、とひとりでに開く。

 

「きゃぁあ!? お化け!?」

「…………」

 

 急なホラー展開に、モモイとミドリが同時に叫びながら(こういうところは双子っぽい)、私とアリスを盾にするようにして、凄まじい速度でロッカーから距離を取った。

 ……言いたいことは色々あるけれど、まあ、正しい警戒心か。

 私は私で、どうして私はさっきロッカーの中まで掃除しておかなかったのだろうと後悔したし──いや、一応個人のプライバシーに配慮した(できるようになった)結果なので、仕方のない部分ではあるんだけれど、まさかそのせいで第三者の存在を見逃すことになってしまうとは思いもしなかった。

 ただまあ、幸か不幸か、私はロッカーに隠れ潜む存在には慣れている。なにせ、定期的にイズナが『忍術の修行』と称してシャーレのロッカーに忍び込むことがあるからだ。

 その度に驚かされたものだが、その絶妙に嬉しくない経験と慣れにより、私は比較的平静を保ちつつ、ロッカーの扉が開き切る前に銃を構える。

 そして、開き切った扉の奥にいた存在は──

 

「……?」

「……………………あれ、ユズ?」

 

 やや明るい赤い髪色の、オールバックのようにおでこを出した髪型の少女が、ロッカーの中に収まっていた。

 制服の上に、やけにぶかぶかのジャケットを着ている。

 表情に少し怯えのようなものが見えるあたり、敵……ではなさそうだ。

 あと、忍者志望でもなさそう。

 

「ちょ、ちょっとロイ、銃を下ろして! そんな怖がらないで大丈夫だから!」

「お化け呼ばわりして後ろに隠れた奴の台詞とは思えねーな……」

「うっ……」

 

 まあ、今はお化けが出てもおかしくない時間帯なので、モモイたちの気持ちは分からなくもない。ゲームを始めてからとっくの昔に日は暮れており(もう夜の九時だ)、今この瞬間まで人の出入りがなかった状況で、急にロッカーが動いたら普通は怖いだろう。

 というか、ロッカーから人が出てくることに慣れている私がおかしい。

 イズナめ。

 

「ユズちゃん、あれだけ探しても見つからなかったのに! いつからロッカーの中にいたの?」

「み、みんなが、廃墟から帰ってきた時から……」

「三時間以上前じゃん!? その時からずっとロッカーの中にいたの? あ、もしかしてアリスちゃんが怖かったから?」

「え、えと、それもだけど、どっちかって言うと、先生?が怖くて……」

「ふぅん……」

 

 ユズと呼ばれた少女にとって、ウォルターは怖く見えたようだ。

 いらないだろその付け足し、と思わないでもなかったが、事実としてウォルターの見た目は確かに強面なので、それは仕方ないことだと思い直した。

 外見からはウォルターのあの優しさは見抜けまい。

 なんて、妙な優越感を覚える。

 

「それならそれで、モモトークか何かで伝えてくれれば良かったのに……びっくりしたよ」

「あ、二人は会うの初めてだよね。この人が私たちゲーム開発部の部長、花岡(はなおか)ユズだよ」

 

 モモイに紹介されながら、いそいそとロッカーから出てくるユズ。

 ユズの表情は嬉しそうではあったが、その動きはどこかぎこちない。

 怯えたような──外を怖がっている小動物のような動きである。

 ただそれでも、怯えながらも、ユズはアリスの前まで歩いてきて、その勢いのまま頭を下げて言った。

 

「えっと、あの、その……!」

「?」

「あ、あ、あ──ありがとう!」

「??」

 

 恐らく勇気を振り絞って言ったであろうユズのお礼の言葉は、しかし当の本人であるアリスにその意図は伝わっていなかった。

 ぽかんとしている──あれは絶対に理解していない顔だ。

 それでも、ユズの言葉は続く。

 

「私たちの作ったゲーム、面白いって言ってくれて……もう一度やりたいって言ってくれて……泣いてくれて。……本当に、ありがとう」

「???」

「『面白い』とか、『もう一度』とか……そういう言葉が、ずっと聞きたかったの」

 

 そう言って、ユズは心底嬉しそうに微笑んだ。

 報われたような──救われたような笑顔で。

 

「…………」

 

 経緯は──よく分からないが。

 どうやら、ユズはずっと褒められたかったらしい。

 自分たちの作ったゲームが褒められることを、ずっと待ち望んでいたらしい。

 それを、アリスの何気ない一言が叶えた。

 深い意味の無い、考えをまとめる最中にこぼれ落ちた無意識の言葉は、アリスにとっては無自覚なものでも、ユズにとっては代え難い言葉だったのだ。

 

 ──友達を、私は絶対見捨てない!

 

 無自覚の、無意識の言葉。

 状況も環境も、その緊急性も何もかも違うけれど、何故か私はセリカの言葉を思い出していた。

 私を救った言葉を。

 そういう意味では、セリカも()()が特別なことだなんて、きっと思っていないのだろう。

 あれが私の人生を始める言葉になっただなんて、考えてさえいない。

 救った側の人間は、得てして『救った』自覚がない。

 そういうことだと思った。

 

 016

 

「ええと……とりあえず、あらためまして。ゲーム開発部の部長、花岡(はなおか)ユズです」

 

 少ししてから、ユズは落ち着いた様子で自己紹介した。

 ぺこり、と小さくお辞儀をする様子は、やはり小動物じみている。

 身長も私より小さいし……何より怖がった時に暗くて狭い場所に逃げ込んだという事実が、そのイメージを補強しているのかもしれない。

 

「それと……この部に来てくれてありがとう、アリスちゃん。これからよろしくね」

「よろしく……理解。『ユズが仲間になりました、パンパカパーン!』 ……合ってますか?」

「あ、うん。だいたいそんな感じ、かな。ふふっ、その様子だと、本当にわたしたちのゲームを楽しんでくれたんだね……仲間が増えるのは、RPGの醍醐味の一つだもんね」

 

 アリスのゲームから引用したような台詞にくすりと笑うユズは、その言動に違和感を抱いてはいないようだ。

 ずっとロッカーの中にいたのなら、アリスの事情を全部聞いているはずだが……ユズにとって、それはどうでもいいことなのかもしれない。

 楽しんでくれたという事実があれば、それで。

 

「あ、もしRPGを面白いなって思ってくれたなら……わたしが、他にもおすすめのゲームを教えてあげる」

「……本当ですか?」

 

 ユズの提案に、僅かに身体を揺らして答えるアリス。

 まだ表情の変化は分かりにくいけれど……声色は結構乗り気に聞こえるあたり、本当にゲームが好きになったのかな。

 

「ちょっと待ったあ! アリスにおススメするのは私が先! 良質なゲームをやればやるほど話し方も自然になって、私たちの計画の成功率も上がるんだし! さあ、まずは『英雄神話』と『ファイナル・ファンタジア』と『アイズ・エターナル』と──」

「何言ってるの、アリスちゃんはゲーム初心者だよ!? 『ゼルナの伝説・夢見るアイランド』から始めるのが一番だって!」

「これだけは譲れない、次にやるべきは『ロマンシング物語』だよ。あ、でも第三弾だけはちょっと、個人的には、やらなくても良いかなって──」

 

 ゲームをお勧めする流れになった瞬間に、アリスへ向かって三人から怒涛の勢いでゲーム名が羅列された。

 まあ、アリスにゲームをやらせる分には全然構わないのだが、ただこの感じ……まさかとは思うが。

 

「今から新しいゲームやるつもりか……? もう九時半だぞ」

「まだ九時半じゃん! ユウカみたいなこと言わないでよ!」

「言われたことあるのか……」

 

 それはつまり、ユウカさんがこの時間帯にわざわざ部室まで回ってきたということになるわけで。

 ……なんつーか、あの人の面倒見の良さは『面倒見』の粋を越えていると思う。

 

「……?」

 

 そんな光景を──喧嘩が始まるんじゃないかと思うくらいの三人の熱量あるプレゼンを、相変わらずアリスは不思議そうに眺めていたが、しかし三人から次から次に出てくる言葉がゲームの名前であり、しかも無数に存在することに気が付いたらしい。

 たぶん、ここで初めて。

 アリスは──にっこりと微笑んで、言った。

 

「……期待。再び、ゲームを始めます」

 

 そうして、しばらく。

 アリスはその宣言通り、その後はお勧めされたゲームを次から次へ手を出していった。

 若干不安になるのめり込み方ではあったが、その心配を私がするのは変だし、何より監視を任された身としてはゲームをしていてくれた方がありがたいので放っておいた。

 今のところ、ウォルターが懸念していたようなこと──アリスが敵対したり、暴れたりする様子はない。

 それに、さっきの明確な脅威──ロッカーの中から未知の存在が現れるという分かりやすい危険信号に対し、アリスは何も反応しなかった。

 怯えもしなければ、驚くこともなく、ただただ不思議そうに扉が開く様子を見つめていただけだ。

 攻撃意志など、まるでない。

 

「うわっ、アリス、読むスピード速くない……? 会話の出力と同時に読み終わってるじゃん」

「アリスちゃん、次は『伝説のオークバトル』やろう! ターン制バトルの面白さを教えてあげる!」

 

 既に『TSC』をクリアしてから二時間が経過しているが、まだゲームをやるつもりらしい。

 監視をしている身としてはいい加減寝てくれねえかなと思いつつ、アリスはモモイたちに勧められるがままにゲームをクリアしていく。

 そして更に二時間。

 

「……すぅ」

「Zzz……」

「……ふにゃ」

 

 結局、深夜二時手前でモモイとミドリは廃墟に行った疲労で眠り、その後続くようにユズが眠気の限界を迎えて寝落ちした。

 それでもなお、アリスは一心不乱にゲームをやり続ける。

 三人が寝落ちしたことに気付く様子もなく、取り憑かれたように。

 

「……クリア。…………?」

 

 と、ここでアリスは、クリアしても次のゲームが供給されなくなったことに違和感を抱き、キョロキョロと周囲を見渡して、そこでようやく三人が眠ったことに気付いたらしい。

 それから唯一起きていた私を見て、

 

「……クリアしました」

 

 と、言った。

 …………いや、どうしろと。

 アリスが何を求めているのかは定かじゃないが、取り敢えず無視するのも何なので、私はひとまず同意しておくことにした。

 

「……そっか。良かったな」

「はい」

「…………」

「…………」

 

 なんだこの空気。

 もしかして、これ私が相手しなくちゃいけないのか?

 

「あー……、と。面白かったか、それ」

「はい。敵を倒すだけでなく、戦力を維持するには資金が必要で、その資金は民衆からの寄付金を集める必要がありました。そのため、民衆からの支持率が低くなるようなこと──例えば都市を戦場にしてしまったり、過剰な戦力で一方的に勝ってしまうようなことを避けながらプレイするのが面白かったです」

「……そっか」

 

 私もそれなりに眠いので、アリスの言った言葉をちゃんと理解できた気がしないが、とにかく満足だったらしい。

 それと、言葉遣いも流暢になっている。

 今までだったら『はい』じゃなくて『肯定』って言ってただろうしな。

 あと全体的に喋り口調になっているのも成長ポイントだ。

 

「……まだやるのか?」

「はい」

「即答かよ。……まあ、いいけど。じゃ、取り敢えずモモイたちがそこに置いたやつやってくか」

 

 『話し方』の学習のためにも、そして監視のためにもここで止めるわけにはいかないので、私はモモイたちが準備していたゲームソフトをいくつかアリスの前に並べる。

 何をプレイするのかはアリス自身に選ばせて、私がそれをセットすればしばらくはゲームに夢中になるだろうし、そこまで負荷にはならないだろう。

 私がプレイするわけじゃないし。

 とにかく今は、こいつらが起きるまでアリスの面倒を見るしかないようだ。

 

「ありがとうございます」

「どーいたしまして」

 

 そう言って私は立ち上がり、アリスから離れてさっきの場所(ドア付近)に戻ろうとすると、アリスに服を掴まれた。

 ……?

 

「……なに?」

「座らないんですか?」

「いや、私は──」

 

 監視だから、と言おうとして口をつぐむ。

 言うべきじゃないと思ったのもあるが、それよりも、言いたくないという気持ちの方が強かった。

 何故か。

 

「?」

「…………何でもない」

 

 ……まあ、いいか。どうせ、ソフトを換えるには近くにいなくちゃいけないし。

 あと、アリスが服から手を離そうとしないので(それに加えて力が強いので)、私は渋々、アリスの横に腰掛けた。

 本当は後ろにあるソファに座りたいんだけど……あそこにはモモイが寝てるしな。

 しょうがない。

 私が諦めて隣に座ったことに満足したのか、アリスは私の服から手を離して、再びゲームをプレイし始めた。

 特に会話はない。

 つまり、ただそばにいて欲しいだけのようだ。

 ……モモイたちが寝たから、寂しかったのかな。

 それとも──寂しいと感じるまで、情緒が育ったと言うべきなのか。

 

「……クリアしました」

「ん……良かったな。これ、楽しかったか?」

「はい」

 

 それからもアリスは、人間にはできない処理速度でゲームを進めていく。

 

「……クリアしました」

「面白いゲームだったな」

「はい!」

 

 疲労を感じない体で、ひたすらに。

 

「クリアしました!」

「……結構良い話だった」

「はい!」

 

 どんなゲームでも、どんなストーリーでも。

 その全てを体感しながら、しかし決して雑なプレイをすることなく、飽きることなくアリスはゲームを進め続ける。

 声も、表情も、その瞳も、少しずつ、確実に感情を宿しながら。

 

「クリアです!」

「…………ん」

 

 そして、アリスの前に置かれていた最後のゲームをクリアした時には、もう空は明るみ始めていた。

 当然、監視をしていた私も徹夜だ。

 ……眠い。

 アリスを最後まで見ていたものの、危険らしい危険はなく、どころか、プレイ最中はまるで微動だにせずゲームをプレイし続けるので、私はアリスの監視半分、ゲームのストーリーを見ること半分で耐えていた。

 そのせいで、名作と勧められていたゲームのストーリーを概ね把握してしまったのは勿体無い気がしないでもないけれど……。

 

「……ぅ、うーん……、……うん、えっ、もう朝!? しまった、準備しなきゃ……!」

 

 ちょうどその時、ブランケットにくるまって眠っていたミドリが目を覚ました。

 何か文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、徹夜明けでまともに働かない頭は何一つとして出力しない。

 その代わりに、というわけではないだろうが、アリスがやけに仰々しい振る舞いをしながら、ミドリの前に立って言う。

 

「……ようやく気が付いたか……。無事に目を覚ましたようで何よりだ、君は運がいいな」

「え……アリスちゃん?」

 

 寝起き早々、昨晩のアリスとは比べものにならないレベルの変化を目の当たりにしたミドリは、戸惑ったような声を出した。

 ちなみに、徹夜明け早々の私も戸惑っている。

 なんだその台詞。

 

「……えっと、アリスちゃん、調子はどう? 色々と覚えられた?」

「君の言葉を肯定しよう、必滅者よ」

「な、何か偏った台詞ばっかり覚えてない!?」

「お前さっき普通に喋ってただろ……」

 

 もしかしてからかっているのかもしれない、と思った。

 だとすると成長が著しいどころの話じゃない、むしろ怖い。

 これは成功と言っていいんだろうか……。

 

「ふぁ……みんな、おはよう……」

「おっはよー!」

 

 続いてユズが起床し、そしていつの間にか起きていてどこかに行っていたらしいモモイが、妙なハイテンションで部室に入ってきた。

 徹夜明けの頭に響く。

 

「はい、アリス、これ!」

「……? アリスは『正体不明の書類』を獲得した」

「おっ、またさらに口調が洗練されてるね」

「洗練っていうか、レトロゲームの会話調そのものだけどね……」

 

 ハイテンションのまま、モモイはアリスの前までやってきて、薄い紙一枚と、紐のストラップがついたケースを持ってきた。

 そしてあっさりと、呆気なく。

 悪気なく、言う。

 

「これは『学生証』だよ」

「────……」

 

 学生、証。

 アリス、の。

 作れた──のか。

 

「学生証……?」

「この学生証は、私たちの学校の生徒だっていう証明書。生徒名簿にもヴェリタスがハッキ──いや、登録してくれたから、もうアリスも正式に私たちの仲間だよ!」

「は…………」

 

 なんだよ、それ。

 

「仲間……なるほど、理解しました。 パンパカパーン、アリスが『仲間』として合流しました!」

「ねえ、今『ハッキング』って言わなかった……?」

「大丈夫大丈夫! さて服装と学生証、それに話し方! この辺は全部解決できたから──」

 

 なんなんだよ、それ。

 そんなの。

 そんなの、駄目だろ。

 正しく、ないだろ。

 

「……ロイ、ちゃん……?」

「──ッ」

 

 ミドリの声で、私は正気に戻った。

 いや、戻ったとは言えないかもしれない。だって、今もまだ、私はアリスの学生証を手から奪い取って、握り締めていたのだから。

 アリスからすぐに距離を取って、壁まで逃げて。

 今にも、それを壊してしまいそうだから。

 

「ど、どうしたのロイ?」

 

 状況が把握できていないのか、あるいはそこまで深刻だと思っていないのか、モモイは少しだけ戸惑った声で、私に言う。

 そう──何も知らないんだ、こいつらは。

 だから、許せない。

 だってそれが許されるんなら──なんで私たちは許されなかったんだよ。

 理不尽じゃん。

 何にも、面白くない。

 

「…………」

 

 思わず、手の中にあるミレニアムの学生証──偽造されたアリスの学生証に、力がこもる。

 大丈夫。

 これは、正しいはずだ。

 二人に報告するべきだ。

 偽造は良くないことだし、ウォルターだって、モモイが妙なことをしたら言えって言ってたし。

 いくらあのユウカさんだって、流石にこんなことを許しはしないだろう。

 だから、間違ってない。

 だって──どう考えてもアリスは普通じゃないんだから。

 廃墟生まれの機械少女なんて、普通じゃないから。

 普通じゃ──ないんだから。

 だから。

 

 ──『普通に生きる』特権が、私たちには無いんだよ!

 

「…………ッ」

 

 私の思考は、そこまでだった。

 私は、私に止められた。

 昔の私の声が、今の私を止めた。

 

「……くそぉ…………」

 

 行き場のない、説明のしようのない感情が、ぐるぐると巡る。

 力が、抜ける。

 力が抜けた手のひらから、アリスの学生証がすり抜ける。

 

「…………くそぉ……!」

 

 私は、視界が歪んだのを自覚して、今の顔を誰にも見られたくなくて、あまりにも情けなくて、顔を隠すようにその場に蹲った。

 普通じゃない、なんて。

 そんなの──皆そうだろうが。

 私だってそうだった。それを普通にしたのはウォルターだ。

 私は今、私の手で、私を生み出すところだった。

 居場所を失った(アリス)を。

 

「…………ロイ? 大丈夫ですか? 辛そうです」

「お、前」

 

 学生証を拾いに来たのか、壁のそばで蹲ってしまった私を心配するように、なんとアリスは声をかけてきた。

 本当に不安そうに、私を思い遣るようなことを言う。

 壊しかけたのに。

 アリスは何にも悪くなかったのに。

 いや、それよりも。

 

「私、の名前、覚えた、のか」

「……? はい! ロイは一晩中、アリスと一緒に世界を冒険してくれた仲間です!」

「────〜〜ッ」

 

 言葉にならない。

 感情で頭がぐちゃぐちゃだ。

 

「ぅ、うぁ──」

 

 自己嫌悪と罪悪感でいよいよ我慢できなくった私を、アリス以外のゲーム開発部の皆は不思議そうに困惑したまま見ていたが、それでも、そっとしておいてはくれた。

 アリスは──何も言わず、ただただ優しく私の頭を撫で続ける。

 学生証を拾うよりも先に、私を撫でることを優先する。

 いつの間にか、朝日は完全に昇っていて。

 徹夜明けの朝日は、嫌に眩しかった。










 リオの解釈は結構人によって変わるかもしれませんが、敵対しておらず、ウォルターの合理性を見れば多少の関係は築けるんじゃないだろうかという妄想です。
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