ハンドラー・ウォルター先生概念。 作:ヤマ
彼女に宿る、彼の願い。
001
『……その。ウォルター先生。頼みたいことが……あります』
電話口の向こうで正座をしているのではないかと思うほどの覇気のなさで、初対面の頃よりも明らかに固くなった口調の人物は、ミレニアムサイエンススクール生徒会長の調月リオである。
例の訓練から数日経った今、念の為に残しておいた緊急の暗号通信(アロナを介した通信)を用いて、リオが連絡を寄越して来たのだ。
それ自体は構わないのだが……どうにも気まずい。
どうやら大人げない感情的な説教をしてしまったことが今だに響いているようで、リオは俺に対してぎこちない態度を取り続けていた。
体感としては関係の振り出しどころではない、マイナスである。
反対に、同時に説教を受けたネルはそのあたり割り切っているようで、説教が終われば俺への対応はすぐに元に戻った。決して反省をしていないという意味ではなく、ネルはその見た目や態度に反して、人付き合いに慣れており、器用なのだ。
そして周知の事実として、俺と同じように人付き合いが苦手であるリオは、俺の大人げない説教にすっかり萎縮してしまったらしい。
……てっきり、「一時の感情を引き摺るのは非合理的よ」とか、「私は嫌われることに慣れているわ」などと言い、その合理性をもって俺の怒りなど歯牙にもかけないだろうと思っていたのだが、こうも怯えたような態度を取られたことはやや意外だった。
「……どうした。そこまで言いづらいことか」
『いえ、その……先生。まだ…………怒っている?』
「……怒っていない」
『…………本当?』
「ああ」
ならば、これは成長と言うべきか。
感情を気遣うような発言が──その思考ができるようになったことが彼女の成長なのだから、俺は褒めるべきかもしれない。
ダイブ装置の設定ミスについては十分に説教をした。ロイの状態についても彼女は嘘偽りなく説明した上、被害に対しても反省の意思を見せた以上、蒸し返してまで怒るつもりはない。
あの後、ロイに後遺症は見受けられなかった。シミュレーションでロイの目が変色した光景を見た時はぞっとしたが、特にコーラルの副作用である感情希釈や記憶障害等はない──何より現実では、ロイの右目は青いままだ。
原因は不明だが、リオに訊いて分かることではない。
冷静に考えれば、あのフィードバックは現実にそのまま反映されるものではないのだから、リオたちに対する当時の俺の怒りは理不尽と言えるものである。彼女が未だに引きずっているのであれば、今後の関係に支障が出る前に、むしろ俺の方からフォローしなければならないだろう。
「……すまない。あの時は感情的に叱り過ぎたな。人は感情でしか動かないとは言ったが……振り回されているようでは、俺もまだ未熟らしい」
『いえ……そうね』
「…………」
肯定されるのもやや癪な気がしたが、しかしこれは、俺の受け取り方が正しくないのだろう。この少女の出力は、他と比べて一段跳びである。
感情と言葉の出力が一致していないのだ。
例えば今の文章であれば、『いえ、そんなことはないけれど』と、『でも確かに、感情に振り回されるのは良くないことね』という意味が組み合わさった結果なのだと推測できる。
勿論、あくまでも俺の推測なので間違っている可能性はあるが……大きく外してはいまい。
リオとて、別段人から嫌われようとしているわけではないのだから。
何故か、口を開くと反感を買いやすいだけで。
口下手とは、そういう意味である。
「……それで、何の用だ。わざわざこの回線を使ったということは、問題でも起きたか」
ともあれ、切り替えるように俺は言った。
今重要視すべきは、そんな口下手な彼女が、気まずい中、気遣いながらも俺に連絡をしてきたという事実である。
ましてやアロナを介しての通信だ──それなりの秘匿事項だと捉えるべきだろう。
『……先生。以前、廃墟には詳細の分からないオートマタ等が徘徊している、と言ったことを覚えているかしら』
「ああ」
『その一部の出所が分かったわ』
「…………」
廃墟に徘徊しているロボット、オートマタ、ドローン。
そういったものの存在は、当然、廃墟に侵入した際、俺も実際に目撃していたが……どうやらリオは、それらの出自を依然として調べていたらしい。
一応はミレニアム自治区である廃墟で、詳細不明の兵器が屯しているという事実は生徒会長としてよろしくない、ということだろう。
調査の動機として、それは決して不自然な話ではない。
だが……何か、それ以外にも別の理由があるように思えた。
根拠も何も無い、ただの勘だが。
『あの時はあまり説明しなかったけれど……廃墟に存在する兵力はどれだけ破壊しても湧き出てくる、無限とも言える軍隊よ。一時的には無力化できても、時間が経てばすぐに復活する。あまりにも不自然な供給に手を焼いていたけれど、調査の末、その軍隊を生産している軍需工場を発見した』
画像を送るわ、と言って、リオから俺の端末に画像が何枚か送信される。確認すると、ドローンで撮影したと思われる画像が表示された。
その画像には彼女が語った軍需工場が写っており、同時に軍隊の規模も窺うことができた。
『この規模だと、軍需工場そのものが兵器、と表現してもいいでしょうね。実際は、その最奥にあった巨大な外骨格装甲の中身が本体だとは思うけれど』
「……これだけの軍隊を相手に、よく潜入できたものだ」
『ドローンの友軍タグを誤魔化しただけよ。大したことではないわ』
意思疎通ができるならともかく、未知の勢力のタグを誤魔化すことなど容易いことではないはずだが……こういったところを見ると、やはりリオは天才と称するべき人間なのだと実感する。
それが人間関係に軋轢を生んでいることもあるのだろうが……ヒマリがいるのなら、真の孤独に苛まれることもないだろう。
喧嘩する仲であっても、喧嘩をすることのできる人間がいるという事実は、大きな救いになり得る。
「だが……分からんな。何故これを俺に相談した。確かに大した勢力だが、ネルを始めとしたC&Cとミレニアムの技術であれば制圧できない規模でもないだろう」
『……そうね』
「貸し借りを解消して時間もあまり経っていない内に、俺に相談した理由は何だ」
わざわざ秘匿回線を使った理由があるのだろう、と問えば。
特に否定もせず、素直にリオは答えた。
『……その軍需工場の生産自動化システムAIが私たちに声明を出した、と言えば信じるもらえるかしら』
「…………声明だと?」
『デカグラマトンの四番目の預言者である──と。
「……! アリスを管理していたシステムか」
『いいえ』
「……?」
これほど早くアリスの手掛かりが見つかったのか、と思ったが、リオは俺の言葉をあっさりと否定した。
味気ないと言っても良かった。
『そう思ったのだけれどね。無関係のようよ』
「……同名で無関係、だと?」
『そう──
はっきりとした断定に、覆る余地は無さそうだった。
とは言え、そのまま納得できるわけでもないが。
「……何故、そう言い切れる」
『技術体系がまるで別物なの。良し悪しではなく、乖離よ。使われている技術に、アリスとの相関性が一切無い』
「…………」
『何故同じ名前が冠されているのでしょうね。あまりにも非合理的かつ非効率的な管理に理解が及ばないわ』
……彼女の判断は正しいのだろう、恐らく。
自治区に含まれる廃墟に関しては誰よりも調べているであろう彼女の意見である、否定のしようはない。
しかし──違う、と言い切れるということは、その技術を少なからず理解しているという意味でもある。
アリスに使用されている技術を。
つまりリオは、アリスを管理していた『Division system』について──あるいはアリスに関連する何かを知っていて、それを隠している。
それが一体何なのかまでは分からないが……彼女はそれを俺たちに伝えるつもりはないようだ。
徹底的な秘密主義である。
だが、恐らくその秘密は、リオにとっては一人の方が動きやすく、そして都合が良いものなのだろう。
実際、一人で全ての作業を行えるのであれば、情報漏洩のリスクは無いに等しい。そして、彼女にはそれを実行できるだけの能力がある。
是非はともかくとして、リオの行動を好意的に解釈するのであれば、その秘密には他人に知られてしまうと何かしら上手くいかなくなる事情がある、と捉えておくべきか。
万が一のことを考えれば、無理矢理にでも訊き出しておく方が今後の対処はしやすいのだろうが……それはやめておいた。
世界に破綻を齎すかもしれない危険因子の情報を見逃すのはどうなのかと思わなくもないが、しかしそれは、俺の言えたことではないのである。
何せ、
この事実をウタハ以外に秘している時点で、俺にはリオを問いただす資格がない。
彼女自身が話さない方が良いと判断したのなら、俺はその意志を尊重するべきだ。
情報が他者に知られると都合が悪いのは、俺も同じである。
ならばリオの判断は、状況を鑑みた上で他者を思い遣った結論であり、断じて独善的なものではないと言えるだろう。
少なくとも、俺はそう言うしかない。
まあ、俺もリオも独善的であると言われてしまえば、返す言葉もないのだが。
『だから、今回先生に頼ったのは別の理由──デカグラマトンについてよ。既に先生は、アビドスで別の預言者に接触したと聞いているわ』
「……その情報は公表されていないはずだ」
『今更でしょう』
事もなげに言うリオ。
否定はできん。
優秀な彼女であれば、尚の事。
『先生の言う通り、ミレニアムの技術と、ネルの力があれば対処は可能でしょうね。けれど、アビドスではあの空崎ヒナと小鳥遊ホシノが協力して対処にあたったのよ。アリスを封じていたものと同名のシステムがデカグラマトンを名乗った以上、最低でも私たちは、彼女たちがビナーに対処した時と同等以上の戦力は揃えなくてはならないと考えているわ』
アビドスに出現した預言者の名前が『ビナー』であることを知っているリオは、淡々と言った。
『空崎ヒナか、小鳥遊ホシノ。そのどちらかに協力を仰ぎたい。……いえ、可能であれば、小鳥遊ホシノに』
「……外部の人間だが、良いのか」
『ミレニアムの安全には代えられないわ』
その方が合理的よ、と彼女は言う。
仕事を通じてリオの変化は見受けられたが、彼女の行動理念は変わっていないようだ。
それで良い。
ともあれ、リオの目的は理解した。
シャーレを通じて、外部の戦力を──それもネルに匹敵する戦力を一人どこかから紹介してほしいらしい。
ネルと同等となれば、かなり大きな要求だが……デカグラマトンという未知の敵へ挑むとなれば、それは決して過大な要求ではない。
ヒナではなくホシノを指名したのは、恐らくは政治的な意味合いからだろう。
より正確に言えば、リオが危惧しているのはヒナではなく、ゲヘナの生徒会だろう──万魔殿に弱みを握られる、そこまでいかずとも借りを作ることになるのはリオとしては望ましくないはずだ。
協力先がアビドスであれば、三大学園のパワーバランスが極端に傾くことにはならないだろうし、アビドス側からしても、ミレニアムに貸しを作り、人脈が広がることは悪いことではない。
俺という仲介人がいれば、ホシノから一定の信用も得られるはずだ。
「……依頼については了解した。今から動くつもりだが……他に何かあるか」
『そうね……可能であれば、「デカグラマトンの四番目の預言者」の情報について知りたい。これ以上は私の方では手詰まりだったから。先生が何か知っていることがあれば教えてちょうだい』
「…………」
リオに言われて、俺は返答に困ることになる。
何せ、デカグラマトンについて知っているのは俺ではないのだ。
あれは俺を『大人のカード』そのものだと表現した男が、半ば一方的に渡してきた情報である。
あの男なら──黒服ならば今回のデカグラマトンについても何か知っているだろうが、かなり気は進まない。
しかし、今の俺には
……背に腹はかえられんか。
俺はリオに、「並行してデカグラマトンについて調査するが、情報の正確性には期待するな」と言って通話を終了し、俺は別端末で黒服の連絡先を開いた。
一瞬、黒服へスッラと同系統の嫌悪感が湧いたせいで本当に連絡を取るか悩んだが、私情を挟むべきではないと言い聞かせて、俺は奴に通話をかけた。
絶対に自分からはかけないだろうと思っていた、その番号に。
002
『廃墟』と呼ばれる空間は、私たちにとっても大変興味深い場所です。
ゲマトリアはその場所を、強い関心を持って見守っています。
現在は稼働していない、閉鎖された軍需工場。
かつてその工場をコントロールし無限の軍隊を生産していた、ディビジョンという名のAIに、デカグラマトンが接触しました。
この軍需工場はこれから、デカグラマトンの新しい預言者として、自らの道を照らすでしょう。
──
その
異名は『
堅固な王国と、忠誠を誓う民を相手に、彼の者の権威を奪うことができるだろうか──これもまた、興味深い問題です。
「そうは思いませんか、ウォルター先生」
「…………」
「ふむ……残念ながら同意は得られないようですね」
以前と同じような部屋に招待し、今回のデカグラマトンについて滔々と語った黒服は、相変わらず白けた反応を返す俺を見て、言葉とは裏腹に、さして残念がらずにそう言った。
むしろ、俺の反応は予想通りであるとでも言いたげである。
「それとも、他により興味を惹く物がある……ということでしょうか」
「……お前は俺の状態を見抜いていただろう。あれほど大人のカードについて警告をしておきながら、俺がお前を呼びつけた理由が分からないとは言わせない」
「ふむ……」
とぼけるような黒服の口調に、俺は内心苛立ちを感じながら問い詰める。
リオには悪いが、今回のデカグラマトンの情報は俺にとっては
だが、それでも問題はないだろう。
先人の遺産など、あいつらの敵ではないのだから。
故に、俺が今知りたいのは、まるで別のことである──ケセドとは全く無関係の、ロイのことである。
表面上平静を保っていたつもりだったが、俺の焦りを感じ取ったらしい黒服は興味深そうに頷いた。
眼孔の黒い炎が、俺を覗いている。
「七瀬ロイについて、ですか」
「あいつの身体に何が起こっている。お前なら分かるはずだ」
「…………」
黒服は俺の問いに対し、椅子に深く腰掛け、奴にしては珍しく深い息を吐いてから答えた。
「先に断っておきますが……お恥ずかしながら、長年研究している我々でさえ、七瀬ロイに起きた事象を完全には理解できていません。よって、これから話す内容は私の仮説であり、憶測です。それでも構いませんか?」
「……ああ」
「では、結論から。私の見立てでは、あの変化は七瀬ロイの神秘が増幅し、変質した結果だと考えています」
当然のようにロイに起きた事象を観測している黒服に、今更驚きはしない。
『観察者であり、探求者であり、研究者である』と自己申告するような集団が、その程度できないようでは困る。
だが……神秘だと?
「神秘とは何か……という疑問には答えかねます。何せ、それは我々の研究対象そのものですので」
俺の疑問を先んじて受け取ったであろう黒服はそう答えたが、しかしそれでは今回の話をするにあたって不十分だと思ったらしい。
少し考えるように沈黙してから、黒服は続けた。
「ですが、あえて私なりの見解を述べるならば……彼女たちの神秘とは、かつての神々に『生徒』という
「…………」
初めて黒服と対面した時──ホシノを囮として使ってしまった時、黒服は『キヴォトス最高の神秘』であるホシノを利用し、生きた生徒に恐怖を適用できるか実験するつもりだった、と言っていた。
俺の理解できる範囲で解釈するのであれば、奴の実験は『生徒』という概念を引き剥がす行為にあたるのだろう。
それがどういったもので、何が起こるのかまでは、理解するつもりはないが。
「とは言え、これはあくまでも私の仮説です。今は、生徒一人一人に与えられた、キヴォトスにのみ存在する、この世界を構築しているエネルギーのようなものだと捉えてもらって構いません」
……しかし、黒服の話を聞く限り、生徒とは、姿を変えた神そのものであると主張しているように思えた。
正直な感想を言えば、にわかには信じがたいが……ことこの分野において、恐らく奴以上に詳しい者はいないだろう。
研究者という人種である以上、俺に嘘を吐くとも考えにくい。自身の導き出した結論にはある程度の矜持があるはずだ。
少なくとも神秘という概念については、黒服の解釈を採用した方が現実的である。
「ですが、誰しもが小鳥遊ホシノのような強大な神秘を持っているわけではありません。七瀬ロイは、キヴォトスにおいて生存できる最低限の神秘しか有していない──いえ、
「…………」
「神秘の量は先天的なものです。変質することはあっても、増幅することはない。ですが、七瀬ロイの神秘は増幅し、変質した。
「……どういう意味だ」
「貴方には、奇跡を起こし得る力がある」
脈絡の無い言葉だったが、黒服の語る奇跡とは比喩ではなく、
この世界において、奇跡とは神の御業ではない。
「貴方は、神秘の源泉です」
黒服の眼孔が、俺へ向く。
あの黒い炎には──神秘が見えているのだろうか。
「貴方に神秘は宿っていませんが……その元素と言えるようなものが、貴方を構築している」
「……それが、俺を『大人のカード』と揶揄する理由か」
「本来、大人のカードとは、使用者が代償を支払う代わりに、それに見合った奇跡を起こすものです。未来の結果の前借り、とも言えるでしょう。ですが、貴方の場合は少し違う。貴方そのものが、大人のカードという役割をこなしている」
大人のカードとはつまり、任意で奇跡を起こせるような代物──らしい。
代償を支払い、神秘に干渉し、奇跡を叶えるもの。
それはあまりにも、人の身を超越した話だった。
黒服の言う、本来の『大人のカード』の代償は分からないが……もしも俺自身が大人のカードであると言うのなら、その代償はきっと、
厳密に言えば、もしも俺が『大人のカード』として奇跡を起こそうとした場合、俺の肉体を構成しているコーラルが代償として消費される。
俺の命を維持しているコーラルが、欠落する。
ならば、俺の役割とは──偽物の先生としての役割は、俺を
その奇跡で、子供を助け、世界を救い、“本物”を見つけることか。
我ながら馬鹿馬鹿しい推理だが……しかし、筋は通っている。
どうして死に損なった老耄を蘇らせてまで、先生という役職に仕立て上げたのか不思議だったが……使い潰すためだったとすれば、なるほど、合理的だ。
「貴方に宿る物質は、神秘と代償を兼ねているのですよ」
「…………」
コーラルは、侵食し、侵入し、干渉し、作用する。
エネルギー資源であり、情報導体であり、食料源の餌になり、薬物にもなり、
それを考えれば、俺の体内にあるコーラルがキヴォトスに悪影響を与えないように細工されていることは、当然の措置と言える。
これは、俺がキヴォトスへの影響を恐れて、『大人のカード』としての役割を放棄しないようにするためだろう。
コーラルがキヴォトスを破綻させない保証がされているのなら、俺の中だけで問題が完結するのなら──俺だけが犠牲になるのなら、俺は奇跡など幾らでも起こすだろう。
どれほどの苦痛を伴おうと構わない。
贖罪として──罰としては、お誂え向きだ。
俺の命で誰かを救えるのであれば、罪人の最期として、これ以上のものはない。
だが──
「……それがロイの変質にどう繋がる。俺は大人のカードを使った覚えはない」
「……その前に、一つ勘違いされているようなので、訂正をしておきましょう。そもそも、貴方を構成する物質が世界に漏出した場合、その物質は消失しているわけでも、死滅しているわけでもありません。この世界の神秘に変換されているのです」
「…………」
まるでウタハとの会話を聞いていたかのような言葉選びで、黒服は言った。
死滅ではなく──神秘への変換。
「そして貴方由来の神秘は、大人のカードである貴方の意志を反映し、願いを叶えた」
「……願い、だと?」
「七瀬ロイに
「────」
「貴方の『大人のカード』は、それを叶えたに過ぎません」
ロイの変質は──彼女の未来の変質は。
「違和感を抱きませんでしたか? 七瀬ロイの成長速度に。少し前までホームレス同然だった子供が、ミレニアム最強と名高い美甘ネルの攻撃を、一度でも耐えたことに。勿論、当人の努力もあるのでしょうが……『約束された勝利の象徴』である彼女の攻撃を、何度も受けて気絶しない少女は、果たして本当に打たれ弱いと言えるでしょうか?」
「…………」
片鱗はあった。
強くなり過ぎている──と、感じたこともあった。
それを見て見ぬ振りをしたのは、俺だ。
俺の──願いだ。
「現実ではまだ、変質していないようですが……それも時間の問題でしょう。遅かれ早かれ、貴方の意志に関係なく──いえ、貴方の意志の通り、七瀬ロイは強くなる」
「……防ぐ方法はないのか」
「既にトリガーは引かれています。シミュレーションの中でさえ反映されるほどに。きっかけがなくとも、いずれ現実での変質は避けられない。あるいは……貴方が七瀬ロイを引き離すために行った戦闘訓練こそが、ある意味、変質の引き金となったのかもしれませんね」
くくく、と。
喉を鳴らして、黒服は笑う。
心底、楽しそうに。
「貴方が心の奥底で、七瀬ロイに強くなってほしいと思う限り、『貴方という大人のカード』は、その願いを叶え続けるでしょう」
「……何故、ロイだけが変質している。あいつ以外の生徒に変化が無い理由はなんだ」
「彼女の神秘の少なさもありますが……何より、七瀬ロイは
「…………」
「断じて言葉遊びではありません。意味が宿る世界ですよ、キヴォトスは」
当然とでも言うように、黒服は言い切った。
「恐怖を介さない、後天的な神秘の増加──クク、実に興味深い」
顔に刻まれた亀裂は、変わらず笑っているかのように歪んでいる。
「これは我々の……いえ、私からの私的な忠告です、
そうして、再び神妙な態度を取った黒服は、椅子から立ち上がって言った。
呼び捨てたのは、今の俺の所業がゲマトリアに匹敵するという皮肉からだろう。
自らの欲求で生徒の神秘を変質させた俺は、もはや黒服と大差ない。
「貴方という大人のカードは、貴方を構成する物質を神秘として消費することで、奇跡を起こせるでしょう。しかし、その代償として肉体の内部が一時的に機能不全となり、相応の苦痛を伴います。ですが……ウォルター
故にこれは、忠告であり、警告だろう。
俺がどちら側に立つのか──奴は見極めようとしている。
黒服は語りながら俺の側を横切って、出口の前に立ち、その扉を開けた。
部屋の外から差し込む光が、俺と黒服の影を分けている。
「自らの命を平然と賭けられる貴方は、これから命を代償に大人のカードを使用し、数々の奇跡を起こし、多くの人間を救うつもりなのでしょう。しかし、その様な乱用はお勧めしません。貴方が奇跡を起こせば起こすほど、貴方の意志が宿った神秘が漏出し、七瀬ロイを変質させるからです」
もっとも──七瀬ロイを
そう、黒服は付け加えた。
「……それでは、先生。私も、七瀬ロイの成長を楽しみにしていますよ」
※一口解説。
ウォルターが何もしなくても、成長を願う限りロイはちょっとずつ強くなるし、大人のカードで奇跡を起こせば、その余波で余計にロイの神秘量が増加して強くなるけど、人為的に神秘が強くなるってことは、それだけロイがゲマトリアとかに目をつけられるから気を付けてね、というお話です。
ケセドはホシノとネルが倒しました。
もみあげデスペラードさんより、前話のファンアートをなんと二枚も頂きました!
構図が格好良い……
https://x.com/gorilla_empire8/status/1920360394897698893
説教の場面の絵まで頂いてしまった……
ヒマリパシャパシャで草生える
https://x.com/gorilla_empire8/status/1920499490399694992