ハンドラー・ウォルター先生概念。 作:ヤマ
001
「なあロイ、髪切ってくれよ」
そんな風に。
以前よりもずいぶん綺麗になった長い黒髪を持ち上げながら、サホは何故か嬉しそうに言った。
随分唐突である。
普通に書類仕事をしていて(ウォルターにしばらくの安静を言い渡されたので、他にやることがない。流石にケセドの時は手伝ったけれど、それでも後方支援しか認められなかった)、絶妙な消化不良感を味わっている最中の申し出に、私は不機嫌を隠さずに答えた。
「……いや、美容院行けばいいじゃん。何でわざわざ私に頼むんだよ」
「ええー? 面倒だろ」
「…………」
にこにこしながらサホは言う。
……まあ、今更、不機嫌だからって臆するような関係性じゃないから、これで退くとは思ってなかったけどさ。
ただ、私が断らないと確信していそうなところだけは解せない。
サホはどうも、私が頼まれたらなんだかんだでやるような性格だと思っているらしいが、生憎、今の私は本当に乗り気じゃなかった。
これは髪を切るのが面倒くさいから、という意味ではなく──……いや、ちょっとはあるけれど、本意ではなくて。
単純に、私は人の髪を切れるほど上手くはないのだ。
そりゃあ、まともな生活をしていなかった頃は『比較的』器用な(本当に多少マシと言えるレベルの)私が三人の髪を切ったりしていたが、それは昔の話である。
今となってはお金もあり、わざわざ綺麗になった髪を素人に切らせる必要はないはずだ。
なのに。
「頼む、ロイ」
「……切り揃えるくらいしかできねーけど」
「それで良い。お前に切ってもらうことに意味があるからな」
「…………」
よく分からない。
ただでさえ昔から、サホの考えていること──やろうとしていることは読みにくいというのに、今回は脈絡が無さすぎて推測もできない。
大体、私をリーダーにしたことだって未だに理由がよく分かっていないし……そもそもサホは、私を過剰評価しがちなのだ。
ただ、まあ。
表情からして、本当に私に髪を切って欲しいことは確かなようなので、
「……変になっても文句言うなよ」
と、答えた。
サホは嬉しそうに笑った。
002
「おお、あんまり痛くない。前より上手くなったんじゃないか?」
「……道具が良くなっただけだよ。前使ってたハサミ、どう考えても髪切るやつじゃなかっただろ」
「そりゃそうだ。何用だったんだろうな、あれ」
「……さあ」
適当に拾ったやつだし。
もう、覚えていない。
それに。
「……私たちの髪の毛も、あの時より荒れてないからな」
サホの髪を持ち上げる。
指で梳けて、さらさらと髪が流れた。
私は癖っ毛なので未だに引っかかるが、サホの髪は真っ直ぐで枝毛も少なくなってきたので、そのあたりは純粋に羨ましかったりする。
まあ、私は髪の管理が面倒なので、こんな風に伸ばすことはないだろうけれど。
「…………」
しばらく集中して、黙々と切る。
ただ、切ると言ってもばっさり先端から切るわけじゃなく、全体の髪の量を減らしたりするだけだ。
何でかは知らないが、サホは髪の毛を伸ばしているようだし。
切り過ぎないように意識すると、自然、言葉が少なくなってしまう。
それで気まずくなるような関係じゃないから、別に良いんだけれど。
実際、サホは私が何にも喋ってないというのに、髪を切られているだけで満足そうだった。
静かな空間で──擦れるハサミの音と、髪の毛がはらはらと落ちる音が、耳に残る。
そして、何となく私は気付く。
サホが何を思ったのかを──何を感じていたのかを。
確信はまるで無かったけれど、私は思い付いたままに、遠慮せずに、一切の前置きなく訊いた。
「……寂しかったのか?」
「かもな」
即答か。
いきなり喋りかけたというのに、そんな返しをしてくるってことは、ほとんど肯定だろう。
言い当てられたことが嬉しかったのか、サホは微笑んで言う。
「最近、ロイはウォルターに付きっきりだったろ。だから、構ってほしかったんだよ」
「……そんなキャラじゃないだろ、お前」
「誰でも寂しくなる時はあるんだよ」
だから髪を切らせたのか。
何と言うか……相変わらずよく分からないアピールするな、こいつ。
素直じゃないというか、回りくどいというか。
「……じゃあ一緒についてくれば良かっただろ。別にウォルターの護衛が多くて困ることはないし」
「他校に護衛を大人数連れてくのは印象が悪いんだよ。それに……」
「……それに?」
私の先を促すような言葉に、しかし、サホは口をつぐんだ。
代わりに、どこに隠していたのか、どこからともなく取り出した煙草を咥えようとしたので、私は背後から取り上げる。
「あっ」
「……まだ持ってたのかよ」
「別に吸ってないって」
「吸ってたらマジで問題だろーが」
火を点けずに煙草を咥える。
その癖にどんな意味があるかは分からないが、ウォルターに見つけ次第止めろと言われているので、ひとまず没収する。
髪を切っている時くらいは我慢してもらおう。
「……変わってないな」
「そりゃあ、
「…………」
何となく言った私の言葉に対して、おうむ返しのようにサホは言った。
随分と含みのある返しだった。
そして、私の手が止まったことを察したサホは、首を傾けて、振り返るようにして私を見る。
彼女の三白眼が、どこか不安そうにこちらを覗いていた。
「……
「ん? ……ああ」
サホが言葉少なげに指し示したのは、私の右目だろう。
私の目の色が変わったことを、サホは心配しているのだ。
比喩ではなく、そのままの意味で、私の右目は変色した。
青から紫へと。
そのことに周囲が気付いたのは、ケセドとの戦闘が終わった後だ。
別に視覚に異常はなかったし、指摘されるまで自分の目の色が変わっていることなんて一切自覚していなかったので、目に見える悪影響はないんだろうけれど。
数日経った今でも、変色以外はこれといって変化はない。
ウォルターが言うには、あのシミュレーションの時から予兆はあって、「その変化は俺のせいだ」と言っていたけれど、全部自分の責任にするウォルターのことなので、この発言に関しては話半分である。
「別に何とも。身体の調子なんて、むしろ良いくらいだし」
「……そっか」
私の答えに、少しだけ安心したらしいサホは再び前を向いたが、先程より視線が下がっている様子からして、満足のいく答えではなかったみたいだ。
サホは前を向いたまま、独り言のように続ける。
「だけど……私は、少し怖いよ」
「…………」
「今は何もなくても、お前が変わるのが怖い。ウォルターの影響で変わり続けている今が、怖い」
珍しく気弱な声で、サホは語る。
今が好転し続けるかどうかが怖い。
好転しているかどうかも分からないから、怖い。
そんな気持ちを、サホは抱えている。
私だって──きっと、心のどこかでは思っているのだ。
突然、この生活が足元から崩れ去る時が来るんじゃないかという不安は、経験上、どうしたって拭えない。
恐れは消えない。
だけど、それ以上に強い気持ちが、今の私にはあった。
「……私は、ずっと変わりたかったよ」
「…………」
「サホはそうじゃないのか?」
「────……」
私の問いかけに、サホは返事をしなかった。
代わりに、深く、長い息を吐いてから、彼女は答える。
それはたぶん、そのまま言おうとしていたことではなかったのだと、何となく思った。
「……私たちはウォルターに感謝してる。命の恩人で、人生の恩人だ──でも、
「…………」
それは、どちらの意味だろうか。
いや。
たぶん、両方だろう。
「私たちを最初に救ったのはお前なんだぜ、ロイ」
「……覚えてねーよ」
「だろうな」
からからと彼女は笑う。
まるで私が照れ隠しで誤魔化した、みたいな感じになってしまったが、実際私は、みんなに特別何かをした覚えはない。
生きるために必死に色々やってたら、三人と行き合って自然とつるむようになっていただけだ。
過大評価だろ、と答えたら、「そういうとこだよ」と返された。
どういうとこだよ。
やっぱり、サホはよく分からない。