ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 世界の違いを観測せよ。


革命のイワン・クパーラ
I


 001

 

 レッドウィンター連邦学園は、キヴォトスに存在する数ある学園の中でも異質である。

 学園領土はキヴォトス最大。

 領土面積だけ見れば三大学園に数えられても不思議ではない広大さだが、年がら年中雪が降り積もる僻地であるため、全ての土地を利用できているわけではないようだ。

 故に生活圏は学園周辺のみ。

 厳しい自然に囲まれているという環境は、アビドスに近いと言えるだろう──もっとも、アビドスの土地はカイザーに買い取られているため、厳密に言えば真逆でさえあるのだが。

 ……その辺りの問題もいずれは解決したいところだ。無論、手段を選ばなければ、今すぐにでも俺が直接介入して解決する方法はないでもないが……ホシノがそれを望むとも思えない。

 ならば、何かあった時のためにアビドスを『買える』金額だけを用意しておくというのが、俺にとっての正解だろう。

 ともあれ、今はレッドウィンターだ。

 先述の通りキヴォトスの北端に位置しており、立地上連邦生徒会の影響力が薄いためか、独自の文化や校風を築いているらしい。

 例によって治安は悪い──クーデターが月に十回を超えるなどという噂さえある。もはやそれは学園として成り立っているか怪しいものだが、現存している以上、真偽はどうあれ辛うじて統治はできているのだろう。

 事実、機能が麻痺しているわけではないようだ──何せ、シャーレ宛に誘いの連絡が届いたのだから。

 内容の詳細は省くが、要するに『視察に来い』という誘いだった。

 正直な感想を言えば、気は進まない。進まないが、シャーレという立場上断ることもできん。つい先日もリンからシャーレの運用について釘を刺されたばかりである、本業を疎かにするわけにもいくまい。

 一つ息を吐いてから、俺は了承の旨を記載したメールを返信した。

 過酷な北の大地で、二桁とクーデターを起こされてなお同じ人間が生徒会長に返り咲く、独裁政治の学園に。

 

 002

 

 レッドウィンターに出張するにあたって、俺がまず一番最初に行ったことは、脚の改造をウタハに依頼することだった。

 

「まさか、『動物くん』をいきなり寒冷地仕様にしてくれと頼まれるとはね」

「……やはり難しいか」

「まさか」

 

 俺の言葉に、ウタハは肩をすくめて笑った。

 

「それくらいの拡張性は最初から搭載しているさ。むしろ、環境に適応できないようじゃ『動物くん』なんて名前はつけてないよ──それに、この手の改造を断ってしまえば、マイスターの名に恥じる」

「……頼もしい限りだ」

 

 俺は本心からそう言った。

 ウタハと知り合ったのは偶然だが、最初に出会った技術者が彼女だったことは幸運だろう。

 急な仕事に対応させてしまったことは俺の反省点として、その分、緊急で対応できる彼女の技術力には相応しい報酬を用意しなくてはならない。

 

「報酬は色をつけて振り込んでおく。特急費用だ」

「流石。太っ腹だね、先生。今日はミレニアムに滞在するんだろう? 明日までには仕上げておくよ」

「すまない、助かる。無茶を強いた代わりと言ってはなんだが……いつもの報酬とは別に、何か要望があれば聞こう。多少なら融通も利かせられる。無論、報酬の上乗せでも構わない」

「うーん……別にこれといってないかな。普通にお金で──あぁ、いや。一つあった」

 

 俺の提案を聞いたウタハは一度断ろうとしたものの、ふと作業を止めて、彼女にしては珍しい、酷く困ったような表情で人差し指を立てた。

 何か思いついたらしい。

 

「どうした」

「私から言うのは少し憚られるけれど……リオ会長を説得してくれないかな」

「……リオを?」

 

 藪から棒、というか、前後関係の分からない提案だった。

 

「何故そこであいつが出てくる?」

「先生、リオ会長に一度『脚』を見せただろう。それからというもの、リオ会長がやけに開発に関わりたがってね……いや、技術者としては優秀だから、本当はむしろ助かるくらいなんだけれど。『脚』には私たちの秘密に繋がるものがある。今はなんとか誤魔化しているけれど、それも限界が近い。それとなくでいいから、先生から控えるよう言ってくれないかな」

「……なるほどな」

 

 思っていたよりも難題が飛んできた。金で解決できない分、より厄介である。

 しかし融通を利かせると言った手前、断るつもりもなかった。そうでなくとも、リオを秘密に関わらせるわけにはいかないので、どのみち可及的速やかに解決を図る必要があった。

 

「……とは言え、合理主義のリオを説得するのは骨が折れる。すぐにとはいかん」

「まあ、そうだろうね。客観的に見ても、私一人で『動物くん』の改良を進めていくのは非合理を通り越して不自然だ。色々と苦労するとは思うけれど……まあ、そこは魔性の先生のお手並み拝見と行こうか」

「…………」

 

 揶揄うようにウタハは笑う。

 前の一件から、ウタハはやたらと俺のことを魔性だと表現するようになった。何に期待しているかは知らないが……俺は俺の仕事をするしかあるまい。

 そうして、俺はウタハに脚を預け別れた後、取り敢えずリオとの接触を試みた。

 リオは他学園の生徒会長と違い、ほとんど人前に出ない。学園で一度も姿を見たことがない生徒までいると言う。

 出不精にしては行き過ぎな気がするが……何かと秘密を抱えているリオのことである、彼女なりの考えがあってのことだろう。少々気掛かりではあるが、俺が口を出すことでもない。

 ともあれ、そういった経緯もあって偶然の接触は不可能と判断した俺は、アロナの回線を介して呼び出すことにした。秘匿回線なので、あまり多用したくはないのだが……リオと連絡を取る手段としてこれ以上確実なものもない。

 ただし、連絡を取れたとしても、会えるとは限らないのもまた事実だった。

 例に漏れず、リオは多忙の身である。流石に今日の今日、当日に連絡して彼女に会うことは難しいはずだろう──であれば、レッドウィンターに行く前に顔を見ることができれば重畳と言ったところか。

 

「何か用かしら、先生」

「…………」

 

 と、思っていたのだが。

 想像に反して、連絡を取った直後、俺はリオと会うことに成功したのだった。

 彼女曰く()()時間が空いていたらしい、幸いにも。

 『幸いにも』などと言ったが、リオが気を遣って時間を作ったことは明白だった。彼女ほどの多忙な人間が、日中に空いている時間などあるはずがない。

 これはリオに限らず、ヒナなどもそうなのだが……どうも彼女たちは俺に気を遣わせること、時間を使わせることを極端に嫌う傾向にある。

 俺からすれば、子供に気を遣われることほど肩身の狭いものもないのだが。

 それこそ、ヒマリやアコを見習ってほしいものだ。

 たとえばヒマリなら『私はとても多忙の身ですが……この超天才清楚系美少女にかかれば先生のために時間を作ることなど容易いです。褒めてくださっても構いませんよ?』と言うのだろうし、アコであれば『私も暇じゃないんですから、わざわざ先生のために時間を作っていること感謝してください』などと言うのだろう。

 あれほどまでに厚かましくなれとは言わないが──と言うより性格上難しいのだろうが、もう少し気楽に構えることを覚えるべきだ。

 子供など、それくらいで丁度良い。

 ……まあ、もっとも、これはリオたちなりの見栄なのかもしれないが。

 大人からしても私たちは頼りになる存在なのだという、子供らしい主張。

 些か突拍子のない思い付きではあったものの、存外外していない予想だろうと、俺は思う。

 前述の通り、根拠らしい根拠はない。

 ただ、俺がもしナガイ教授に()()言われたのなら──俺とて同じように答えるだろうと、そう思っただけだ。

 彼の期待に応えるために──俺は『大丈夫です』と言って、無理をしてでも時間を作っただろうから。

 気持ちは、分からないでもない。

 

「……リオ。お前に一つ頼みがある」

「それは……先生から、ということ?」

「ああ。俺個人の依頼だ」

 

 俺は、ナガイ教授ならどうするか、俺が子供の頃、彼にしてもらって嬉しかったことは何だったかと、擦り切れた記憶を探りながら言う。

 この歳にもなって、彼の真似事しかできない己に辟易としながら。

 

「俺がウタハに『脚』の開発を依頼したことは知っているな」

「ええ。たまに様子も見ているわ。それが?」

「あれは俺が歩けないことを暗に主張すると同時に、緊急時の移動手段とするためのカモフラージュだが……どこまで行っても移動補助に過ぎない」

 

 だが結局、俺は真似事をしてまで彼女を騙そうとしていることに気が付いた。

 自身と彼の乖離に嫌気が差すが、ここで止めても俺の自己満足にしかならないこともまた事実なので、ウタハとの約束を果たすために俺は続ける。

 

「そこでお前には、自衛用に杖の改良を頼みたい。可能な限り秘密裏にだ」

「──……何故、私に? ミレニアムに依頼することは正解だけれど、私個人に頼むのは非合理的よ」

 

 一瞬、気のせいかと思うほど、少しだけ目を大きくした後、誤魔化すように目を瞑ってリオは言った。

 冷静だ。流石に一筋縄ではいかんか。

 

「お前の言う通り、単純に改良のためだけなら、全面的に協力を仰いだ方が合理的だろう。だが、それでは俺自身が脆弱であるという目に見えた弱点を消してしまうことになる」

「……敢えて弱点を晒していた方が、狙いが絞りやすいと言うつもり? 対策を講じていることをアピールした方が、狙われる頻度そのものが下がるはずよ」

「そうだな。大抵の人間は、直接襲うことを諦めるだろう。だが──それ以上の悪意を持った人間は、必ず対策を打ってくる。俺に手が出せなくなれば周囲を、あるいは無関係の人間を巻き込み、俺という存在を間接的に狙うようになるだろう。そうなれば、必要以上の犠牲が出るかもしれない」

「……先生の命を軽視しているわ」

「俺の命は安い」

「…………」

 

 あからさまに不機嫌な目つきで、リオは俺を睨んだ。

 合理的な彼女らしからぬ、非合理的な感情論だと思ったが、これはこれで彼女の成長だろう。

 喜ばしい。

 

「対策をしてまで、たった一人、たかが老人という敵の油断をわざわざ消す必要はない。更に言えば、俺個人が極端に武装をするのも望ましくない。俺は曲がりなりにもシャーレという中立だ。立場上、警戒されるような武力を持つことはできん」

「…………」

 

 もっともらしいことを言いながら、俺はリオを説得にかかる。

 当初の予定とは内容が違うが、結果的には同じ場所へ辿り着けるだろう。

 

「だからこそ、お前に依頼したい。リオ。お前は秘密を守る人間だ。お前から敵へ情報が漏れる心配はない」

 

 良くも悪くもな。

 

「…………断ったら?」

「俺が自分で作るだけだ」

 

 嘘である。

 リオに断られたとしても、俺は何もしない。補強くらいはするだろうが、杖という機能を逸脱するような改良はしない。

 俺の目的はあくまでもウタハへの干渉を止めさせることだ。俺がこの話をした時点で、この依頼がどう転ぼうが、リオは俺を何らかの方法で守ろうと画策し、少なくともウタハへ干渉する頻度が下がるはずだ。

 ……つくづく、悪い大人である。

 

「……何故、杖なの?」

「武器は必ず取り上げられるが、老人から杖を取り上げる人間は意外と少ない」

「狡猾ね」

「それだけが取り柄だ」

「…………」

 

 俺の煙に巻くような言葉にリオはしばらく沈黙した後、明らかに納得していない声で、

 

「……分かったわ」

 

 と言った。

 前述の通り納得はしていないのだろうが、断っても俺が進んで自衛しないことを察したらしい。

 消去法で、俺の杖の改良を選んだようだ。

 

「後で要望を聞かせてちょうだい。どれくらいかかるか分からないけれど……先生の身を守れる杖を作り上げてみせるわ」

「……一応言っておくが、俺の財力にも限界がある。あまり高性能なものはつけなくても良い」

「勿論、分かっているつもりよ」

 

 つもりでは困るのだが……まあ良い。擦り合わせは今後でもできる。

 消去法で選んだにしては妙にやる気を出しているリオに戸惑いながら、俺はあらかじめ測定しておいた杖の寸法データを彼女の端末へ送信する。

 

「現状の杖はそれだ。多少の誤差は気にしないが、大きく寸法を外れないように頼む。俺の要望は添付してあるデータにまとめてある」

「準備が良いのね。合理的で助かるわ」

 

 受け取り次第、すぐにデータを確認しながらリオは言った。

 ウタハの依頼は、どうやら達成できそうである。

 それからは一時間ほど近況報告を行い、次にミレニアムに訪れた時には進捗を確認するために会う約束も取り付けてから、リオと別れた。

 翌日。

 予定通り、宣言通りに調整を終わらせていたウタハから脚を受け取り、ついでに依頼の報告を済ませ、『やっぱり魔性だね、今後の振る舞いは本当に気をつけた方が良いよ』というありがたくも実感のない忠告も受け取った後、俺はシャーレに戻った。

 そして、引き続きレッドウィンターの視察へ向けて準備を行っていると、早速リオから企画書が届く。

 『ミニ・アバンギャルド君』なる企画書である。

 …………。

 その前衛的なデザインの杖──たぶん杖だろう──の図面を見た俺は、ここでようやく、要望に『大きくデザインを変えないこと』という条件を入れ忘れたことに気が付いた。

 寸法は指定したが、デザインについては言及していない。

 俺は、要求通りの寸法内で違うデザインを表現するという発想に至らなかった己の不明を恥じると共に、杖の条件をできる限り早急に追加する必要性を切実に感じた。

 この際、『ミニ』という命名から分かる『オリジナルのアバンギャルド』が存在する可能性には、一旦目を瞑ることにして。

 

 003

 

 ウォルターがレッドウィンターに出発する少し前、私はウォルターに呼び出された。

 今回私は留守番なので、ウォルターの護衛はできないけれど……まあ、サホとマドイがいるなら大丈夫だろう。

 サホは作戦を立てるのが上手いし、マドイは私よりも盾の使い方が上手い。特にマドイは、成長したこともあって盾役がやりやすくなったようだ。

 反対に、私は盾の運用を考え直さなきゃいけなくなりつつあるわけだが……だからってここまで練習した盾を捨てて、ネルさんのスタイルに移行するのはホシノ先輩に対して不誠実な気がしてしまう。

 そうでなくとも、打たれ弱い私が盾を捨てて立ち回るのは現実的じゃないのも確かなわけで。

 結局思い切れず、現状はどっちつかずな感じだ。

 そんなもやもやを抱えていた最中の呼び出しはそれなりに不安だったけれど……聞かされた内容は、私の予想を遥かに超えるものだった。

 

「シャーレとは別の、新しい組織を作らねばならなくなった」

「…………はあ?」

 

 いや予想できるわけないだろ。

 と、思わず口にしそうになった言葉を堪えて、しばらく頭の中でウォルターの発言の意味を咀嚼した後、どうにか別の疑問を絞り出した。

 

「……なに、シャーレ取り壊されたりすんの?」

「いや、そうではない。実態は何も変わらないが……」

 

 ようやく慣れてきた生活がまた変化するかもしれないという不安から出て来た疑問だったが、ウォルターははっきりと否定した。

 曰く、私たちの活動が連邦生徒会の防衛室に目をつけられたらしい。

 ウォルターが私兵を雇っていると──私兵を育て、シャーレの特権を振り翳そうとしているのではないかという疑いをかけられてしまい、私たちの運用を見直すように言われたのだと言う。

 防衛室としては、直属のヴァルキューレ警察学校の評判がこれ以上落とされたくないのだとか──連鎖して防衛室の評判が落ちて、連邦生徒会内でのパワーバランスにも影響があるとかないとか。

 私たちからしたら知ったことじゃないが、しかし、私たちが『私兵』扱いされているのは、たぶん、私があちこちで『ウォルターの猟犬』を名乗ったせいだろう。

 外堀を埋めるつもりで──ウォルターがいつでも手放そうとする手綱をこっちから縛り付けるつもりで私が勝手に言っていたことなんだけれど、こんな風に裏目に出るとは。

 ……いや、だとしてもだ。

 

「言いがかりじゃん、それ」

「そうだ。だが、それは向こうも理解しているだろう。本気で動かす気のない、牽制のようなものだ。こちらとしては無視しても良いが……完全な無視はヴァルキューレとの関係悪化に繋がる可能性がある。それを避けるためには、防衛室の要望を不完全な形で叶え、シャーレはヴァルキューレに対し敵対の意志はないと表面上でも示さなくてはならない」

「…………」

 

 めんどくせえ。

 というのが、真っ先に出てきた私の感想だ。

 今まで政治というものが私の生活にまるで関わってこなかったから私自身の理解が及んでいないというのも勿論あるけれど、各組織の関係性を見てバランスを整えながら対応を変えつつ動いているウォルターの姿は、大変そうに見えて仕方がない。

 大変そう、と言うか、実際大変なんだろうけれど。

 そんな事を考えていたせいか、どうやら私はあからさまに億劫な顔をしていたらしい。私の表情を見たウォルターは、「防衛室に意識されるのは悪いことばかりではない」と付け加えるように言った。

 私としては、シャーレとしての活動が認められてきた今になって、こういう風に邪魔されるのはなんだかなあと感じてしまうけれど、ウォルターに言わせてみれば、それだけ私たちの影響力が増しているということらしい。

 元ヘルメット団という扱いから、無視できない存在へ格上げされたのだと。

 

「だからこそ、ここでヴァルキューレとの確執は解消しておきたい。どこまでいっても防衛室には睨まれ続けることになるだろうが……カンナたちとの関係が良好なものになれば、防衛室は簡単に口出しできなくなる」

 

 少なくとも批判の口実は消えるだろう、とウォルターは言う。

 

「シャーレとしても、ヴァルキューレから余った教材や盾を仕入れている以上、この関係性を悪化させてしまうとデメリットの方が大きい」

「……まあ、確かに」

 

 ウォルターの言葉に、私は頷く。

 今も背負っている使い捨ての盾はヴァルキューレの支給品だし、教材は元魑魅一座に教えるために使ってるし──なんだかんだお世話になっている物ばかりだ。

 人数だってこれから増える可能性があるし、これ以上反感を買うのは得策じゃない、というか、そもそも私たちはヴァルキューレを敵に回したいわけじゃないからな。

 まあ、向こうは敵視している……というか警戒しているかもしれないけれど、こっちとしては認められるために頑張ってるようなもんなんだから、仲良くなれるならそれに越したことはないだろう。

 それに──カンナさんにも、見栄を張ったばかりだし。

 

 ──証明してみせます、必ず。

 

 あんな風に啖呵を切った以上、情けない姿は見せられない。

 私たちが信用に値する存在であることを証明していくためには、仲良くしようとする姿勢をこちらから示すべきというのも理解できるしな。

 防衛室云々からの好感度は正直興味ないが、これでヴァルキューレ警察学校の生徒から嫌われなくなって、向けられる視線がマシになるのなら、ウォルターの言う「新しい組織」を作る意味は大いにあるのだろう。

 

「……なるほど、大体分かったよ。じゃあ、私たちはこれからどうすれば良いんだ?」

「お前たち──と言うより、ロイ。まずお前に頼みがある」

「ん、何?」

「先に言っておこう。その組織のリーダーはお前だ」

「え゛」

 

 変な声が出た。

 

「な……なんで!? ウォルターがリーダーじゃないのかよ!?」

「俺が管理者になってしまえば、シャーレと何も変わらない。防衛室の要求を満たすためには、生徒がその組織を運用する必要がある」

 

 変わらず面倒は見るので安心して良い、とウォルターは補足したが、私が気になってるのはそこじゃない。

 って言うか、そんな心配は元よりしてない。

 

「だ、だとしてもなんで私が……サホとかは!?」

「お前が休んでいる間、元魑魅一座を含め、シャーレにいるメンバーには全員訊いたが……概ねお前を指名した」

「あいつら……!」

 

 ちなみに、そうじゃない奴らは「分からない」と答えたそうだ。

 つまり、事実上満場一致ということである。

 

「防衛室の指摘を回避するのが目的である以上、シャーレで現状保護している生徒から選出しなければ意味がない。また、『連邦生徒会に承認された部活』という扱いで運用するためには、リーダーとなる人間にある程度の信用が必要だ。そういった意味で、最も知名度と信用があるのはお前だ、ロイ」

「…………」

 

 言葉が出ない。

 組織の、リーダー。

 誤魔化すための組織とはいえ……私が?

 四人の中でならともかく、元魑魅一座を含めると大人数になる組織の長など、私に務まるのだろうか?

 

「……先に言っておくが、無理強いはしない」

 

 黙り込んでしまった私を慮るように、ウォルターは言った。

 

「それなりの責任がある以上、お前が決めることだ。断ったとしても、俺がどうにかしてやる」

「…………」

「決めるのはお前だ、ロイ」

 

 しかし、それでも。

 私がどれだけ悩んでいようと、ウォルターが勝手に決めることはない。

 選択は常に、私に委ねられる。

 たぶん、私が何と答えようとも、ウォルターはその発言通り『どうにか』するのだろう。

 それが俺の責任だ、と言うのだろう。

 責任。

 今回作る組織のリーダーという肩書は、きっと、書類上のものだけではない。

 仮に──もしも私がリーダーになったのなら、今後、何かが起きた際は私が代表として動かなくちゃいけないんだろう。

 それは、何故かとても、怖いように思えた。

 実感と実態のない──目に見えなかったものが、急速に形付いて現れたような感覚で。

 ……いや、違うか。

 責任はたぶん、ずっと()()にあって、けれど、私がウォルターに押し付けていただけだ。

 思い付きでやった私の行動の責任も──私が拾ってきた魑魅一座の責任も、今まではウォルターが背負ってくれていただけで、ずっと変わらずそこあった。

 そりゃあ、ただの元ヘルメット団が、家族同然の三人のためならともかく、拾ってきたあいつら全員の責任が取れるはずもないと言われたらそれまでだけれど。

 ただ、それでも。

 ウォルターがいつも何気なく言っている「責任は俺が取る」という言葉は、途轍もなく重いものだったのだと、私は気付いた。

 その気付きの重さは、十分の一かもしれないし──もしかしたら百分の一かもしれないけれど。

 本質としては決して理解しているとは言えないのかもしれないけれど、それでも、分かった気にはなった。

 『リーダーになるかも』と思うだけでこれなのに、今、シャーレのトップとしてそこにいるウォルターは、一体どんな重責を担っているのだろう。

 それは、私がリーダーになったら、分かるのだろうか。

 私がそこに立てたら──少しは、ウォルターに近付けるのだろうか。

 ウォルターが幸せになれる方法を、見つけられるのだろうか。

 

「…………」

 

 ならば、やるしかない。

 ここで他人になんか、任せられない。

 これはきっと、私が最初に取れる責任だろうから。

 

「──やる。けど、一つ訊いてもいい?」

「構わない。それなりの重責だ、不安要素はあらかじめ消しておけ」

 

 そして、私にはリーダーをやるからには絶対に通しておきたい要求があった。

 ウォルターを助けるために、必要なこと。

 

()()()()()は、私が決めていい?」

「……元よりそのつもりだ。お前が率いることになる組織だ、好きにしろ」

 

 よし、言質は取った。

 自身の発言を軽々しく取り消さないウォルターの性格を知っているからこそ、その発言を引き出せたことに満足して、私はあらかじめ決めていた名前をウォルターに伝える。

 

「じゃ、『Hounds(ハウンズ)』で」

「……………………理由を聞いても良いか」

 

 眉間の皺が深くなったのが見えた。

 何か否定しようとしたみたいだが、好きにしろと言った手前、それを飲み込んで咄嗟に質問へ変えたらしい。

 誠実である。

 そして、不器用だ。

 そんなウォルターには、私としても誠実に答えなくてはならないだろう。

 私が、わざわざその名前を選ぶ理由を。

 

「宣戦布告」

「…………」

 

 微かに、唸る。

 誰に向けてなのか──何に対してなのか、どうやら察したらしい。

 私たちを遠回しに飼い慣らそうとする連邦生徒会へ向けて。

 私が猟犬であることを極端に忌避するウォルターに向けて。

 そして──()()へ向けての、宣戦布告だ。

 

「…………そうか。分かった」

 

 明らかに納得していない、腑に落ちていない声で了承の意を返すウォルターに、思わず苦笑する。

 どうあっても私たちの意志を否定しないその姿勢は流石だが、そうも苦しそうな顔をされると心が痛む。

 取り消してはやらないけどな。

 ウォルターは渋い顔をしばらく続けていたが、大きく息を吐いた後、眉間に手を当てながら、こう続けた。

 

「……では、もう一つ課題を出しておく。俺が視察に行っている間に、エンブレムを考えておけ」

「……エンブレム?」

「その組織を象徴するシンボルのようなものだ。キヴォトスにおいては校章がそれに近い」

「えっ、と……」

 

 なんか、さらっととんでもないことを要求されてないか、私。

 そういうのってウォルターが考えてくれるもんだと──ああいや、私たち主体だからそういうわけにもいかないのか──いや、それでも普通、プロのデザイナーとかが描いてくれるもんじゃないのか?

 

「何も全てデザインしろとは言わん。ただ、方向性はお前が決めろ。自らが背負っていくものだ──その象徴は、満足のいくものにしておけ」

「ふーん……」

 

 実感は湧かないが、結構大事なことであるらしいことは分かった。

 まあ確かに、他人に任せて変な模様が来ても困るか。

 とはいえ、流石に何かしらのとっかかりは欲しい。ことデザインにおいて、私は正真正銘素人である。

 ので。

 

「ウォルターのエンブレムってあんの?」

「……………………」

 

 訊いてみた。

 どうやら、あるらしい。

 

「……何故、そんなことを訊く」

「いや、流石に何もなしで一からデザインを考えるのは難しそうだから、あるなら参考にしたいなって」

「…………」

 

 私の言葉を聞いて、考え込むように、ウォルターは椅子の背もたれに深くかけた。

 微かに椅子から鳴った軋むような音は、ウォルターの痛みを表現しているかのようである。

 ……分かってる、傷付けていることくらい。

 私だって古傷を抉るような真似なんか、本当はしたくない──だけど、そうでもしなきゃウォルターは何も語ってくれない。

 訊かれないから、言わない。

 そういう人だ。

 だから私は、無理をしてでも踏み込んで、彼が手綱を放り出さないように掴ませなくてならない。

 と、そんな風に私が退かないことを察したのか、答えに窮したウォルターはしばらく黙り込み──それからしばらく悩みに悩んだ結果、絞り出すように答えた。

 

「…………昔のものなら、ある」

「! じゃあ──」

「ただし条件がある。これはお前以外には見せない。この場限りのもので、他言無用だ。そして──俺のエンブレムを見た場合、それを使うことを()()する」

「…………」

 

 ウォルターにしては珍しく、強い語気だった。

 何故、と訊く気さえ起きないくらいに。

 普段、物事を強要したり、私たちを押さえつけるような言動を一切しないウォルターがここまで言うことに驚きつつ、私は、

 

「……分かった」

 

 と頷くだけにとどめた。

 ここらが引き際だろう──繰り返すが、嫌がらせをしたいわけじゃないからな。

 

「……実物は無い。紙に書いて見せるだけだが、構わないな」

「うん」

 

 私が頷いたのを確認すると、ウォルターはその辺にあったメモ帳に、ペンですらすらと描き入れていく。

 一切の迷いを感じさせない動作に、「ウォルターって絵も描けるんだな」なんて場違いな感想を抱いた。

 程なくして、ウォルターはメモ帳から紙を千切って、

 

「……これだ。見終わったら返せ。処分する」

 

 と私に紙を手渡した。

 受け取って、少し、緊張しながらそれを見る。

 まず目に入ったのは、垂れ下がった黒い腕。

 その背景に逆三角形。

 そして、それだけだった。初見の印象としては、思っていたよりもシンプルだと感じたくらいである。

 簡素とさえ、言える。

 その腕に、いくつもの紐を巻き付けているのを除けば。

 巻き付けている紐が、何かに繋がれているように垂れ下がっていなければ。

 

 ──ハンドラー・ウォルター。

 

「…………」

 

 猟犬(ハウンズ)──飼い主(ハンドラー)

 ウォルターがかつて猟犬を従えていたという私の推測が正しいのなら──このエンブレムは正にと言ったデザインで、一見、ウォルターのことを的確に表しているようにも見える。

 だけど。

 何故か、私は。

 その腕はむしろ、紐に()()()()()()()()ようにも見えた。

 鎖のように雁字搦めにされて、それでもなお紐を握り締める、男の腕に。

 

「……もういいだろう。返せ」

「あ……うん」

 

 正直、まだ見ていたい気持ちはあったが──もう少しで何か分かりそうだったので粘りたかったが、しかし、ここで粘っても良い結果が出ないことは目に見えていたので、大人しく返した。

 考察は、今じゃなくても良い。

 

「…………」

 

 私から紙を受け取ったウォルターは、一瞬だけそのデザインを一瞥したかと思うと、その紙を捨てるでもなく、破くでもなく、シュレッダーにかけるでもなく、灰皿の上で躊躇なく燃やした。

 懐から取り出したライターで、火を点けたのだ。

 じんわりと火が広がって、紙は灰となっていく。

 燃えて、焦げて、灰になる。

 そんな風に。

 エンブレムが焼け落ちていく様子を見届けるウォルターの目からは、どんな感情も読み取ることはできなかった。

 その行為にどんな意味があるのかも──私には、訊けなかった。

 

 004

 

「……ようこそお越しくださいました、シャーレの皆様。レッドウィンター連邦学園を代表し、皆様のご来訪を心より歓迎いたします」

 

 サホとマドイを引き連れて、いくつもの交通機関を乗り継ぎ、雪に降られながらようやく辿り着いたレッドウィンターで俺たちを出迎えたのは、防寒具を身に纏った比較的長身の少女だった。

 丁寧な言葉遣いで、恭しく一礼した彼女は微笑みを浮かべている。

 俺たちを待っていた、ということはそれなりの時間外にいたはずだが、寒そうな態度を一切出さず、どころか余裕を持った笑みをたたえているのは流石というべきだろうか。

 

「さあ、チェリノ会長が中でお待ちです。こちらへどうぞ」

 

 出迎えた少女──佐城(さしろ)トモエと名乗った少女は、挨拶もそこそこに、俺たちを学園内へと招き入れた。

 決して俺たちを軽んじているわけではなく、俺やサホたちがこの寒さに慣れていないことを理解してのことだろう。

 俺はルビコンの中央氷原で近い寒さを経験をしているが……生身で出歩くような真似をしていたわけではない。実際、こうして歩き回ってみるとレッドウィンターの環境は老体には厳しいものがある。

 正確には、老体の振りをしているコーラルが、かもしれないが。

 血も凍えるような寒さであれば、今の俺の血も凍るのだろうか。

 少し気になったが、少しだけだ。検証するようなことでもない。

 何にせよ、サホたちがここに来るまでの極寒環境で相当体力を消耗していることは確かなので、トモエの気遣いはありがたかった。

 彼女の先導を受け入れて、俺たちは校舎内へと踏み入れる。

 校舎内は、想像以上に暖かかった。

 極寒の環境における校舎と言うだけあって、室内の環境は整っているようだ──外気を遮断する仕組みが出来上がっているのだろう。

 案内されるがまましばらく校舎内を歩き、ようやく身体が温まって一息つくことができたらしいサホたちは、ここで周囲の状況を把握できる余裕ができたのか、異変に気付く。

 異変、と言うか、違和感だが。

 

「……あれって」

「肖像画?」

 

 サホたちが目線を向けた先。

 廊下の壁には(それなりの頻度で)、立派な額縁に収められた肖像画が飾られており──そこにはさながら偉人のような扱いで、俺とそう変わらないであろう年齢の老人が描かれていた。

 大人の──男。

 

「あの肖像画が気になりますか?」

 

 サホたちの疑問を察したのか、トモエはにこやかな笑みを浮かべて振り返った。

 待ってました、と言わんばかりの笑みである。

 

「あの御方こそ、我がレッドウインター連邦学園の生徒会長であり、環境美化部部長兼、書記長兼、運動部代表兼、清掃部部長兼、風紀委員長兼、給食部部長のチェリノ会長で御座います」

「……そうか」

「肩書多……」

「静かに、マド」

 

 随分と自己顕示欲の強い人物のようだ。

 肖像画に限らず、ここに来るまでに銅像なども見かけたので、おおよそ間違いはあるまい。

 存命でありながら、己の肖像画を飾るという感性にはどうにも共感し難いが……いや、やや特殊な土地であるレッドウィンターの統治には必要なのかもしれん。

 意外と本人は乗り気ではない可能性もある。

 レッドウィンターの情報は、あまり出回っていない。誘いを受けてからそれなりに調べたが……情報統制でもされているのか、得られた情報は()()()()と分かるものがほとんどだ。

 そのため、どういった人物であるかは今ひとつ把握できていないのが実情である。

 肖像画の姿を信じるのであれば、大人の男。それも同年代のようだが。

 さて──どのような人物か。

 一際見事な装飾が施された扉の前に辿り着くと、トモエが扉の前でノックをしてから、告げる。

 

「書記長、先生をお連れいたしました」

「……ご苦労だった、トモエ秘書室長。忠実な我が右腕よ」

 

 返事を受けて、トモエが扉を開いたその先。

 威厳があるように振る舞った、仰々しい声で返した人物。

 妙に装飾された、格式高い椅子に座っていたのは。

 とても。

 とても幼い──童女だった。

 

 005

 

 とは言え、予想していなかったと言えば嘘になる。

 キヴォトスにおいて、俺は未だに()()()()と遭遇していないのだから。

 人間の定義は人によって様々だろうが、今、俺の言う人間の定義とは、柴大将のような獣人ではなく、カイザーのようなサイボーグでもない、生物学上においてのヒトという意味である。

 人間の成人男性を、誰一人として見ていない。

 世界が広いから、偶然、運悪く──などという言葉で片付けられる範疇を超えている。

 そういった経緯があってなお、特定の学園のトップが人間の男かもしれないと考えたのは流石に希望的観測だった。

 ここまで来ると、()()()()()()()()()人間の男はいないと考えるべきだろう。

 少なくとも、普通に出会うことはなさそうだ。

 しかし……そうなると、俺を除いて実在しないはずの『人間の大人の男』という概念を、何故生徒たちは知っているのかという問題が残る。

 果たして──それは()()()()()のか。

 それとも、キヴォトスでの『奇跡』や『神秘』のように、目には見えずとも存在しているのだろうか。

 分からない。

 分からないが……歪だな。

 知れば知るほど、この世界はどこか歪んでいる。

 キヴォトス(Kibōtos)

 方舟。

 

「トモエ秘書室長。褒美として後日、勲章を授けよう」

「光栄です、書記長」

「さて……我がレッドウィンター連邦学園へようこそ、カムラッド。私こそがチェリノである! このレッドウィンター連邦学園の生徒会長であり、環境美化部部長兼、書記長兼、清掃部部長……ええと……あとは……あと何だっけ……」

 

 さて、そんな少女──白い付け髭こそあるものの、肖像画に描かれているような、立派な髭を蓄えた壮年の男とは似ても似つかない白髪の童女は、声高々に役職を次々と名乗ったかと思えば、その声は次第に尻すぼみになっていった。

 肝心の肩書きを忘れたらしい。

 振る舞いとしては年相応だが、生徒会長としての威厳を示すことには失敗している。

 ……そもそもこの子は幾つなのだろう。

 今まで小さな生徒は数多く出会ってきたが、目の前で唸っているチェリノは、ホシノやヒナのような単純に背の低い生徒とは違い、特別幼く見えた。

 あくまでも推測だが、言動や立ち振る舞いからして、十歳に満たないような年齢にさえ見える。

 しばらく待ったが、どうにも役職を思い出せないらしい。見かねたトモエがチェリノに寄り、小声で助け舟を出した。

 

「──運動部代表兼、風紀委員長兼、給食部部長……!」

「……それだ! とにかく、凄いことは何でも任されている偉い人なのだ! こうして出会えたことを光栄に思うがいい、カムラッド!」

「……ああ。知己を得て光栄だ、チェリノ」

 

 カムラッド(comrade)──同志、か。

 変わった呼び名だ。

 同志と呼ばれるようなことをした覚えはないが……先生と呼ばれるよりかは、いくらか気楽ではある。

 

「……肖像画と違い過ぎない?」

「はっ! そのような些細なことは気にするな! あれは、私の将来の姿を描いたものだから問題ない! それとも、私の肖像画に何か不満でも?」

 

 マドイの素直な感想に、チェリノが反発した。

 どうもマドイは思ったことが口に出てしまう性質らしい。素直な点は美徳と言えるが、状況によっては少し気を付ける必要があるかもしれん。

 もっとも、性別からして違うというマドイの肖像画に対する指摘はその通りで、俺としても同じようなことを思ったため、特に口出しはしなかった。

 まあ、誰がどんな夢を見ようと、それは自由である。

 未来の可能性は差し測れないものなのだから。

 誰にも。

 

「すまない、部下が失礼した。非礼を詫びよう、チェリノ」

「うむ、良い心がけだ! やはり大人はそのぐらい空気を読ん……うひゃっ!?」

「しょっ、書記長!?」

 

 拗れる前に謝罪しておこう、という腹積もりで動いたのだが、その言葉に反応したチェリノは自分の身の丈に合わない椅子から飛び降りて、しかし躓いて転んだ。

 床に向かって顔面をぶつけるような転び方だったので不安になったが、そこはキヴォトスの住人、何事もなかったらしく、すぐに起き上がる。

 

「いたた……トモエ!! ここは転びやすいから、カーペットをちゃんと整えておくようにと言っただろう! 粛清するぞ!?」

「チェ、チェリノちゃん! ヒゲ! おヒゲが!」

「……ん? えっ、う、うひゃあ! おいらのヒゲがっ!」

 

 と、ここで転んだ拍子にチェリノの付け髭が外れてしまったらしい。

 髭が外れてみれば、やはり普通の子供である。

 ただ、付け髭が外れたことであそこまで動転するのは意外だった。

 不遜とも取れた先程の振る舞いが、付け髭が外れるだけで年相応になるあたり、あれば為政者としての一種の仮面なのかもしれない。

 為政者としては、やはり幼過ぎる印象が残るが……それは直前にリオと会っているから、ということにしておこう。

 ともあれ、慌てて取り落とした髭をしっかりと装着したチェリノは、再び尊大な姿勢を取り直してから言った。

 

「……ふう。今日も良い天気だな、トモエ、そう思わないか?」

「仰る通りかと、書記長」

 

 ちなみに、外は雪である。

 レッドウィンターでは良い天気なのかもしれなかった。

 

「……用件を聞こう、チェリノ。俺に何を見せるつもりで、レッドウィンターに招待した?」

「ふふふ、聞いて驚け……それは、『イワン・クパーラ』の準備のためだ!」

 

 切り替えも兼ねて、俺はチェリノに問う。

 今までの学園にない空気感のためか、未だ会話の主導権が握れていない──この辺りで調子を取り戻したいところだが、いかんせん相手がとても幼い童女のため、無駄な努力のような気もした。

 

「……『イワン・クパーラ』。祭りのようなものか?」

「その通り! カムラッドも知ってると思うが、そろそろ夏至の季節。つまり、一年でもっともお昼の時間が長い日が近づいている……雪も少し解け始め、新緑が芽吹くこの時期に、レッドウインター連邦学園では毎年、夏至祭『イワン・クパーラ』を開いているのだ!」

 

 繰り返しになるが、俺はレッドウィンターの情報をろくに集められていない。故に『祭り』は当てずっぽうの推測だったが、どうやら当たっていたらしい。

 百鬼夜行で先んじて祭りというものに触れていた結果だろうか。

 

「『イワン・クパーラ』はレッドウィンター連邦学園における古き良き伝統! そのため事務局としても、これを盛大に開催できるよう、生徒たちを総動員し、最高の『イワン・クパーラ』とするための準備をしているのである! そうだな? トモエ秘書室長」

「はい。会長の指示に従って二交代制を実施し、模範労働者には賞を与えた結果、先週は対前週比250%の生産量を達成できました」

「…………」

 

 やや怪しい匂いがしたが、追及はしなかった。

 情報が少ない中、下手に動いて敵意を持たれても困る。

 

「えっと……それはつまり、上手く行ってるってこと?」

「はい、勿論です」

「へぇ〜でも夏至って、まだ一ヶ月以上先じゃない?」

 

 マドイが不思議そうに首を傾げて言った。

 物怖じしない性格からか、あるいは優れた容姿もあってか──その素直な問いと砕けた態度も相待って、マドイが会話を円滑に進める。

 この辺りは、彼女の方が俺より優れていると言えるだろう。俺では良くも悪くも──どちらかというと悪い方に、場を緊張させてしまう傾向にあるからだ。

 

「おいらをバカにしてるのか! それぐらい分かっている! このタイミングでカムラッドを呼んだ理由は……()()()()()()()だからだ」

「…………」

「シャーレの先生として、他の学校の生徒たちと頻繁に交流をしているのだろう? その繋がりを生かし、我がレッドウィンター連邦学園の雄姿を広めるために、シャーレの先生を買収……いや、売り渡……」

「チェリノちゃん、引き入れ、です。引き入れ!」

「そ、そう! シャーレの先生を引き入れるのが、我がレッドウィンターの名声を高めるのに最善の手段だと考えたのだ!」

「よく頑張りましたね、チェリノちゃん!」

 

 言い淀んだチェリノに再び助け舟を出すトモエ。

 その結果、どうにか繕いながらも質問の回答を完遂したチェリノを、過剰なまでにトモエは褒め称えていた──かなり、いやほとんど全て考えを曝け出されたような気がするが、とにかく『できたこと』をトモエは褒めているらしい。

 何とも妙な関係性の少女たちである。

 ともあれ、レッドウィンターが俺を呼んだ動機は理解した。

 どうやら彼女たちは、俺を介して、キヴォトス内での地位向上を目論んでいるらしい。

 それを悪いと言うつもりはない──むしろ学園としては正しい。ある程度国として機能する以上、世界の地位の維持向上に努めるのは当然のことだ。

 むしろ暴力的な手段で訴えず、平和的に魅力を伝え広げようとするその姿は聞いていた治安の悪さとは正反対で、驚きさえある。

 これはレッドウィンターがキヴォトスにおいて影響力が小さいことを加味してのことなのか──あるいは、何か別の目的があってのことなのか分からないが……今は気にしても無駄だろう。元より俺が来た理由は視察である。この提案を拒絶する意味は薄い。

 情報収集のためにも、彼女たちの提案を受けた方が得策である。

 

「……そうか。では、案内を頼む」

「うむ! さあ、カムラッド! 夏至祭に向けて準備しているレッドウィンター連邦学園の、この素晴らしい姿をきちんとその目に焼き付け、各学校の生徒たちを通じてキヴォトス全域へと広めるのだ!」

 

 俺の返事を聞いて、意気揚々とチェリノは宣言した。

 クーデターが起こるまで、あと二時間。

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