ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 個人を認識せよ。






 010

 

 アビドスは暑い。とにかく暑い。

 照り付ける陽射しが肌を焼く感覚はどうにも慣れない。ヘルメット団だった時も思ったけれど、気絶状態でも叩き起こしてくるような暑さは限度を超えている。

 かつて飢えて意識を失っているところを、実際にこの暑さで叩き起こされた身としては、むしろ感謝するべきなのかもしれないが……。

 

「今は本当にキツイ……!」

「ほらほら、練習した新しい戦術試したいんでしょ~? おじさんに当てられるまでは実戦で出しちゃダメだからね」

「それは事実上の禁止では……?」

「今のスタイルを変えるだけのメリットを示せないなら認められないかなあ」

「そりゃそうだ……」

 

 ホシノ先輩の激励のもと、グラウンドに転がされている体を起こして、どうにか立ち上がる。起き上がるとき、仰向けに転がされていたせいか日の光で視界がちかちかした。

 私は今、見ての通りアビドスに来ている。スミを拘束して、八つ当たり気味に訓練に付き合わせた後、やることもなくなって暇になってしまったので、急遽ホシノ先輩に連絡を入れて、特訓してもらうことにしたのだ。

 ウォルターが帰ってくるには、まだしばらく時間がかかる。

 事実上シャーレを空けていることになるが、スミたちだけでも受付とか応対はできるし、何かあれば私に連絡が来るので問題ない。

 まあ、彼女たちで対応できない問題が起きたら、どのみち私でも対応できないと思うけれど。

 

「で、見た感じどうですか」

「発想は悪くないけど……現状、二丁持ちの怖さは感じないかなあ。両手で撃つときは射撃精度が落ちてるし、精度を上げようと意識すると片方を牽制にしか使わなくなるし。撃つときは両方当てるつもりで撃たないとね。……ねえロイちゃん。今からでも片方ショットガンにしない? そしたらおじさんが教えられるよ?」

「反動強すぎて無理です」

「うへ~、残念」

 

 がっくりと肩を落とすホシノ先輩。冗談ではなく、本当に残念がっているらしい。

 ……そんなにショットガン使ってほしいのかな、後輩に。

 少しだけ申し訳なくなって、ホシノ先輩の言う戦闘スタイルを想像してみる。

 ショットガンにハンドガンの二丁運用。

 サブマシンガン二丁持ちに負けず劣らず、超接近戦用の極端に攻撃的なスタイル。

 ……いやあ、無理だな。絶対に扱いきれる気がしない。そもそも接近戦ならショットガンだけで十分だろうし。

 強いて言えば、弾持ちの悪いショットガンのリロードの隙をハンドガンで補ったりとか、かな。

 それはそれでかなりの練度が必要そうである。

 

「じゃ、もう一回ね。いつでもどうぞ〜」

「お願いします」

 

 そこから私は五回ほど挑戦し、五回とも地面を転がされた。

 状況、ふりだしに戻る。

 あっけない描写をしているが、マジで容赦なく叩きのめされているので詳しく言いたくないだけだ。身体も口の中も砂だらけで気持ちが悪い。

 

「変な癖がついちゃうと困るし、今日はここまでね」

「ありがとうございました……」

 

 こうして訓練終了。

 直射日光を浴びつつ再び地面に転がって空を見上げている私は、ホシノ先輩の言葉に息も絶え絶えに答えた。ホシノ先輩は息一つ切らしていない。

 付け焼刃がホシノ先輩に通用するほど甘くない、と考えてはいたけれど、ここまで涼しい顔をされると、自信を無くす。

 一応スミたちには通用したから、対応されるにしても取っ掛かりくらいは掴めると思ったんだけれどなあ。

 つくづく底が見えない先輩である。

 

「それで~?」

「けほっ……はい?」

「どうして戦い方を変えようって思ったの?」

「…………」

 

 ホシノ先輩は、ここに来てようやく私に訊いた。

 ウォルターの仕事から一旦外されていることを知っているはずのホシノ先輩は、私が急にアビドスに来ても、特に何も言わず訓練に付き合ってくれた。

 ただ、それでも。

 言って良いのかな、と思う。

 戦い方を、そして守り方を教えてくれたのはホシノ先輩だ。

 それを……自分の欲だけで変えてしまうのは、やっぱり不誠実な気がしてしまうのだ。

 もちろん、ホシノ先輩は私がそう言ったところで怒ったりはしないだろうけれど……さっきの様子を見る限り、寂しがりそうではある。

 

「も~心配性だな、ロイちゃんは」

「え……」

「大丈夫だよ。だって、ロイちゃんがここに来なくなるわけじゃないでしょ?」

「それは、そうですけど」

「じゃあ問題ないよ。アビドスの生徒であれば、それで」

「…………」

 

 遠い目だ。

 ウォルターと、同じ目。

 ここにいるのに、見えている景色がここじゃない。

 それが──私には、どうしようもなく。

 ()()()()()

 

「幸せにしたいんですよ、ウォルターを」

「へ?」

「絶対に幸せになろうとしてくれないから」

 

 だから、起き上がって私は言った。

 ムカついたからだ。

 気を遣っておいてなんだが、いざ実際にウォルターと同じことをされるとムカつく。

 過去を見るなとは言わないが、常に視界にちらつかせられるのは鬱陶しい。

 

「幸せになる資格が無い──とか言って、掴めるものを無視するから。私を通して、過去を見続けるから。だから」

 

 だから、そう。

 自由にしろと言うのなら、私は自由に行動する。

 自由に猟犬として生きて、証明して。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 結局それは、戦い方を変えた理由にはならないような気がしたけれど。

 でも、そうとしか言いようがないのも、また事実だった。

 正真正銘、私のやりたいことだ。

 だとすればこれが、私の軸なのだろう。

 『私』を表す──象徴(エンブレム)になりうるもの。

 

「…………」

 

 うん。

 何を描くか、決まった。

 

「うへ〜……なんか、プロポーズみたいな台詞だね」

「はっ──ウォルターがプロポーズくらいで幸せになってくれるんなら、喜んでしますけどね」

「確かに」

「確かに?」

「……いや、なんでもないよ」

「……………………」

 

 軽口に冗談で返したら、変な言葉が返ってきた。

 確かに、って言ったかこの人?

 驚いてホシノ先輩の方を見てみると、ホシノ先輩自身も驚いている様子だった。自分で自分の発言に驚いている。

 無意識かつ、無自覚の発言だったらしい。

 私は、その言葉や行動の指し示す意味を考えて──答えに辿り着きそうだったので、やめた。

 まあ。

 私が止めたところで、当の本人の思考が止まるわけじゃないので、おそらくは何らかの答えに辿り着いたらしいホシノ先輩の目は明らかに泳いでいたけれど、私はこの暑さで何も気付かなかったことにした。

 どう考えても藪蛇だ──下手に首を突っ込んで噛まれたくはない。

 それでも今後のことを考えると、あんまり見て見ぬ振りもできないので、少し憂鬱ではあった。ホシノ先輩みたいな人でさえ……えっと、絆されてしまうのだとしたら、今後同じような人が絶対に出てくるだろうし。

 ウォルターの年齢を考えると、そう多くはないはずだけれど……逆説的に、()()()()()奴は年齢を踏み越えていることが確定しているわけで。

 それだけ本気度も違うであろうことを思うと、やっぱり面倒ではあった。私の立場としては、ウォルターを幸せにできる可能性のある人間が増えることは喜ばしいし、好きにしてくれたらいいと思う言持ちが大半ではあるけれど。

 しかし、ホシノ先輩のような恩人以外の人で、()()()()人間が実際に現れた時、私がどう感じるかは……正直、未知数ではある。

 

「……しーらね」

「……な、何? ロイちゃん」

「なんでもないです」

 

 こう言っちゃなんだが、ウォルターが老人で良かったと心底思う。

 もしもウォルターが若かったら、絶対に収拾がつかない事態になっていただろうな、と。

 目の前の先輩を見て、そう思った。

 

 011

 

「そういうことなら……実力行使で奪わせてもらうとしようか!」

「ふん、だ。そう仰っても、親衛隊もいない、今はただの逃亡者に過ぎないチェリノ会長なんてちっとも怖くありません! さあ、知識解放戦線の皆さん。知識を得る自由と、私たちの蔵書を守るために──戦いましょう!」

 

 ところ変わって、レッドウィンターの図書館。

 モミジと名乗った少女の号令と同時、『知識解放戦線』の生徒たちがチェリノたちへと襲い掛かっていた。

 そうして始まった戦闘を、俺たちはやや離れたところから眺めている。

 指揮はしていない。また、サホたちも参加していない──と言うよりも、チェリノに止められていた。

 彼女曰く、「客人に手伝わせてはレッドウィンターの威信に関わる」らしいが、クーデターが起きて客人である俺が雪山を連れ回されていた現状、その威信が果たして今も残っているか、甚だ疑問である。

 この幼い年齢で、そういったことを言えるチェリノの心意気が立派であることだけは確かだが。

 

「……ウォル爺。本当に手伝わなくて良いの?」

「手を出すなと言われた以上、勝手に動くわけにもいかん。それに、あいつらからすれば、これはシャーレに対するアピールでもあるだろう」

「アピール?」

「レッドウィンター事務局の力を俺に見せつけることができれば、間接的にキヴォトスで評判が上がる──あるいは、噂が広まる」

 

 前述の通り既にクーデターが起きているという事実はさておき、それを制圧できるだけの力があると俺に示せば、シャーレで活動する際、特に戦力が必要とされる時にレッドウィンターの生徒が採用される可能性は上がるだろう。

 そうなれば必然他学園の目にも留まり、知名度が上がり、キヴォトスにおけるレッドウィンターの影響力は増える──とまでチェリノが理解しているかは分からないが、少なくともトモエはそう考えているはずだ。

 

「ふぅん……の割には、ウォル爺なんか操作してるね。何してるの?」

「簡易音声で位置情報を227号の生徒と共有している」

「……それは指揮じゃないの?」

「事務局に指揮をすることは禁止されたが、他所属なら問題ないだろう」

「うわー、詭弁」

 

 シッテムの箱を覗き込むようにして見ていたマドイが、けらけらと笑う。

 彼女の指摘通り、俺のやっていることは指揮に近い。戦場において敵の位置情報以上に重要なこともそうないからだ。そういう意味では、俺はチェリノの要求を無視していると言える。

 とは言え、チェリノたちがこのままクーデターにより失脚されても俺が困るのだ。視察に行ったらクーデターが起きて生徒会長が失脚し、場を納めることもできずそのままシャーレに帰ってきた、などとリンに報告できるはずもない。

 忘れられがちだが、シャーレは各学園の問題を解決するための機関である。

 立場上、俺は生徒たちの要望はある程度受け入れつつ、問題が大きくならない程度には介入していかなくてはならない。

 故に今回はチェリノの要望に応えつつ、それでいて一旦生徒会長に返り咲くまで支援するというのが、現状の落とし所だろう。

 なお、今回のクーデターが今月に入って三回目であるという事実は無視するものとする。

 

「…………」

 

 ──あの後。

 つまり、カンポットの飲み比べ勝負を行い、無事にチェリノが勝利した後。

 227号の二人の協力を取り次ぐことに成功したチェリノが次に目指したのは、図書館だった。

 

「トリニティ総合学園の大きな図書館にはやや劣るかもしれないが、我がレッドウインター連邦学園にも立派な図書館が一つあるのだ。うるさくする生徒もいないし、適度な明るさで目にも優しいし……しかも枕にちょうどいい本もいっぱいある、まさに昼寝のための空間だと言っても過言ではない!」

 

 と言って。

 要するに、飲み比べ勝負を行った結果、単純に眠くなったチェリノが『お昼寝』をする場所として図書館に行きたいと言っただけなのだが、それをトモエがすぐさま、

 

「レッドウィンター連邦学園の図書館といえば、簡単には近づけない丘の上にある、まさに『天然の要塞』! ここを占拠すれば、事務局を攻撃するための拠点として使えるはずです! それに知識解放戦線は、レッドウィンター連邦学園の中でも三本の指に入るほど生徒数の多い、かなり大きな部活! 彼女たちを味方にできたら、マリナ委員長率いる親衛隊を相手にするのも決して不可能な話ではありません!」

 

 と、チェリノの要求を曲解した上で、いかにも筋が通っているかのように作戦を立案したことによりチェリノは引くに引けなくなった。結果、俺たちも目指さざるを得なくなった、という経緯である。

 昼寝のためではなく、事務局を取り返すための最短経路だと言われてしまえば、反論の余地はない。

 土地勘がない以上、トモエの話を信じる他ないという側面もあるが。

 そうして227号特別クラスの二人を連れて、レッドウィンターの図書館へと辿り着いた俺たちが目にしたものが、先述のやり取りである。

 図書館で昼寝をしようとするチェリノと、それを止める図書館の管理者──『知識解放戦線』という、やや思うところがないわけでもない名を持った部活との衝突。

 貴重な本──『バスティーユの薔薇~30周年限定エディション~』というらしい、キヴォトスに百冊もない本を枕にしようとするチェリノと、それを阻止するべく抵抗する知識解放戦線。

 『図書館では本を読むこと以外の行為は許されない』という正論に基づいた規則によって勃発した図書館での銃撃戦をどう受け止めるべきか考えつつ、俺は位置情報を更新する。

 

『二時の方向。歴史、本棚裏。増援五人』

「ナイス、先生!」

 

 シッテムの箱から転送された簡易音声を聞いたシグレは、すぐさま奇襲へと走り、その増援を昏倒させていった。旧校舎という過酷な環境下で過ごしているだけあって、彼女たちはかなり動けるらしい。

 シグレとノドカは、俺から得た情報を有効に活用するだけの実力がある。こちらの方が数が少ないため、相手の戦力を削るような戦い方ではあるが……確実に戦況を優位にする立ち回りの結果、知識解放戦線は追い詰められていく。

 向こうの立っている人間が減っていく。

 ……ルビコンでもそうだったが、やはりキヴォトスにおいても、個々人の戦力差というものはあるらしい。いくら数が物を言う戦場であっても、突出した個を止めるには相応の戦力が必要なようだ。

 

「……なあ、マドイ。本当に信用してもいいのか? トモエって人」

 

 ふと。

 戦況がいよいよ決しようとしている時、戦っているチェリノの姿を眺めていたサホがこぼすように言った。

 ほとんど叫んでいるような指揮をするチェリノの側には、寄って来た知識解放戦線をあしらいつつ、それでも笑みを絶やさないトモエが控えている。

 

「え? なんで?」

「現状、あの人の良いように事が運んでないか? すぐにあんな作戦を立案できる人間が、チェリノを持ち上げる理由もわからないし……私たちも利用されないとは限らないだろ」

「うーん……」

 

 サホの疑念を聞いたマドイはしかし、頷かなかった。うーん、と困ったように頭を捻るマドイの様子は、あまりサホの主張に納得していないようで、むしろ、どう説明したらサホに納得してもらえるか悩んでいる風でもあった。

 しばらく考え込むようにしてから、彼女は言う。

 

「トモエさんは……なんて言うかな。優秀なんだろうけど、チェリノちゃんを操ってるとか、そういうのじゃなくて。単純に、支えたいだけなんじゃない?」

「あれだけ持ち上げてるのにか?」

「持ち上げてるって言うか……好きなだけだと思うよ、チェリノちゃんのこと。そういう点では、私と同じかな」

「…………」

「私にとってのロイ姉が、トモエさんにとってのチェリノちゃんなんだと思う」

 

 マドイの視線の先では、おおよその知識解放戦線が倒され、チェリノが勝利宣言をしているところだった。

 傍にいるトモエは、やはりチェリノを称えている。

 とても、嬉しそうに。

 楽しそうに。

 

「見えない景色を見せてくれる人は、眩しいもんね」

 

 でしょ?と、マドイはサホを見た。

 意味ありげな視線を受けたサホはどうやら思い当たるところがあったらしい。視線から逃げるように目を瞑って、大きな溜め息を吐いてから、

 

「……そうだな」

 

 と、同意した。

 そして、俺にも。

 思い当たることが、ないでもない。

 

「…………」

 

 ──この仕事をやり遂げられるのは、お前だけだ!

 

 ……眩しい、か。

 それは決して俺に向けた言葉ではなく、マドイがまるで意図していないことは、勿論、分かっていたが。

 俺は、意識せずにはいられない。

 思い出さずには──いられない。

 脳裏に焼き付いた記憶。

 俺の想像を超え続けた、唯一無二の存在のことを。

 あの時も、今も。

 俺はあいつが見せた景色に、囚われている。

 ずっと。

 

 012

 

「うう、負けてしまいました……『バスティーユの薔薇~30周年限定エディション~』の価値も分からない、こんな小さい子に……豚に真珠、馬の耳に念仏です……今日の敗北を機に文明の森は燃え、退廃することになるでしょう……」

「そこまで言うのはひどすぎるだろう⁉︎ それにおいらは小さくないと一体何度言えば!」

 

 戦闘の後処理を行っていると、争いの発端となった二人が再び話し合っていた。モミジはめそめそといじけているため、流石にもう一度戦闘が起きることはないだろうが、それにしては強気な発言である。

 その発言から絶妙に舐められていることを感じ取ったらしいチェリノは「小さい」と言われたことに一瞬怒りつつも、しかし、その怒りをすぐに収めて、疲れたように溜息を吐いた。

 妙に冷静な対応である。

 

「はぁ……ほら、この本は返そう。おいらはもう要らない」

「……え? ですがさっきまでは、何としてでもこの本を枕にしてお休みになるって……」

「お前たちと一生懸命戦って暴れてたら、目が覚めた。昼寝は保留だ、保留。それに、おいらにはよく分からないが、お前たちにとって大事な物のようだからな……気が変わった」

「チェリノ会長……」

 

 ほう、と思う。

 我儘な態度と不遜な振る舞いが目立つチェリノだが、存外、自分の意見を曲げないわけではないようだ。

 子供らしく意固地になることはあっても、それは子供の我儘の範疇であり、相手の尊厳を()()()侵害することはない。

 独裁者的なポーズを取りこそすれ、その実、反対意見を封殺することもせずに意見を聞き入れるチェリノは、自称する通り、寛大と言っても差し支えないのかもしれなかった。

 粛清さえなければ。

 

「というかこの本、そんなに大事なものなのか?」

「もちろんですよ、チェリノ会長! 先ほどもお伝えしましたが、この本は『バスティーユの薔薇』が発売されてから30周年を記念して出版された愛蔵版で、百冊しか刷られなかったためにマニアたちの間でもなかなか手に入らないことで有名なんです! 特に付録として付いている特別短編のネームは、今まで一度も公開されなかった希少なもので、『バスティーユの薔薇』のファンなら誰もが欲しがるぐらい貴重なものなんです! あ、もちろんこのネームはコピーで、原本はトリニティの大図書館に展示されていますが──」

「ううっ……分かった分かった! だからそんなに目をキラキラさせてにじりよってくるな! それよりも、そんなに貴重なものがトリニティの大図書館にあるなら、こんなコピー本より直接行って見ればいいじゃないか?」

「トリニティの大図書館の蔵書は、他の学校の生徒たちには閲覧できませんから。レッドウィンター連邦学園の生徒である私たちは、コピー本で満足するしか……」

「ふふふ、分かってないな、モミジ! おいらが率いるレッドウィンター連邦学園に、不可能なことなんて無いのだ! トリニティの図書館が他の学校の生徒たちに蔵書を開放しないなら、おいらたちがトリニティを占拠して、支配してしまえばいい!」

 

 とは言え、発想そのものはやはり独裁政治の学園と言うべきか。

 ……いや、この場合はキヴォトス流と言うべきだろう。例に漏れず、解決策がどうにも暴力的である。もはやこれで良し悪しを語るつもりはないが──暴力で解決してきた俺が指摘する資格もないが──一番最初に取る手段が強行突破では、先行きが不安である。

 まあ、そのあたりの危険性をトモエが把握していないとも思えないので、実際はそこまで心配してもいないが。

 彼女がどういう立場であるにせよ、レッドウィンターそのものを破滅させるつもりでなければ大きな問題にはならないだろう──そして、本当に破滅させる目的であるなら、トモエがこんな迂遠な手段を取る必要はない。

 

「『知識解放戦線』の仲間たち共々、おいら……いや、この私に忠誠を誓うなら、今までお前たちが見られなかったすべての禁書を公開させると約束しよう!」

「そ、それは本当ですか、チェリノ会長⁉︎」

「もちろんだ! この手にかかればトリニティ総合学園はもちろん、ゲヘナ、ミレニアム、百鬼夜行など、いずれはキヴォトスのすべての学校が我が傘下となる! ……もちろんその前に、事務局を占拠しているマリナを追い出しておいらの権力を取り戻すことが先だが──」

「会長の命令に従います! いえ、従わせてください! チェリノ会長!」

 

 チェリノの甘言に、モミジはあっさりと乗っかった。

 こちらが不安になるほどの変わり身だった。

 モミジはチェリノの言葉を精査しているのだろうか。クーデターが起きるような学園内の統治状況で、三大学園含む他学園を傘下に置くなど、不可能とは言わないまでも随分飛躍した話であることは想像に難くない。

 少なくともヒナを下せる人間がレッドウィンターにいなければならないことを思うと、その夢の実現は、叶うにしても随分先の未来になりそうだった。

 

「たった一言で知識解放戦線の仲間たちを虜にするだなんて……さすが会長ですね! トモエ、感激しました!」

「ふふ、言っただろう。この私、偉大なるチェリノ様のカリスマ性の前では、誰も抗うことなどできないと!」

 

 相手の望む対価を見抜いて交渉をまとめ上げたと言えば聞こえは良いが、やっていることはただの先延ばしだ。安易に約束を結んだことは悪手と言わざるを得ない。

 仮に今回の事態が解決したとして、その約束が履行できるか怪しいとなれば、再び雪山の行軍になりかねないというのに。

 ……よく考えれば、クーデターが何度も起こっているのはそれが原因かもしれん。

 こういったことを今まで何度もやっているとすれば、約束という負債は延々と溜まり続け、クーデターという取り立ては終わらない。

 なんとも最悪な字面だった。

 

「それでは、何から始めましょうか? 事務局に行ってマリナ委員長を引っ張り出し、校舎の裏にある氷の湖にでも沈めますか? それとも、二度とクーデターを……だなんて気すら起きないように、一晩中くすぐりの刑にしますか?」

「ま、待て! いくらおいらでも、そこまで残酷なことは考えてない!」

 

 モミジの提案に、チェリノは青い顔で制止する。

 彼女の価値観では『残酷なこと』に分類されるらしい。

 ここで俺はようやく、レッドウィンターの文化というか、空気感というものを理解した。

 チェリノがそうさせているのか、それともレッドウィンターという特殊な土地がそうさせているのかは分からないが、この場所では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 限度はあるにせよ、作為的な──否、神秘的な守護のようなものが働いているような気がしてならないのだ。

 ()()()()()()()という、世界観とでも言うのか。

 ならば──そんなレッドウィンターと他学園が交わった時、()()()()()()()()()()のだろうか。

 

「…………」

 

 我ながら馬鹿げている妄想だとは思ったが、しかし、それはいつかどこかで役に立ちそうな想像でもあった。

 例えば、他学園でクーデターが起きてしまった際などに。

 

 013

 

 起きないに越したことはない想像はさておき、これでようやくチェリノが返り咲くための戦力が揃ってきた。

 227号の二人のような突出した個人こそいないものの、知識解放戦線という数は間違いなく戦況を有利にするだろう。

 トモエもそう考えたのか、彼女が次に提案したのは──現状戦力での奇襲である。

 

「マリナ委員長は、我々にこれほどの戦力があるとはきっと思い付いてさえいないでしょう。チェリノ会長のカリスマによって、この電撃作戦は間違いなく成功するはずです!」

 

 などと言って。

 この奇襲作戦は、俺たちを戦力として計上した上での作戦だろう──先程俺が隠れて指揮していたことに気付いた上で、こうして間接的に俺へ依頼している。

 サホの言葉を借りれば、俺たちは良いように利用されているとも言えるが、その目的を果たさない限り帰ることができない立場である以上、拒否する理由はない。

 むしろ事態を早く収拾させようとしているトモエの作戦立案は、俺にとっても都合が良かった。

 いい加減、俺のような老体が歩き回るには厳しいものがある。

 

「──さて、ようやく戻ってこれましたね。後はマリナ委員長がいる部屋に向かうのみですが……」

 

 こうして。

 俺たちは無事に、再びレッドウィンター校舎付近まで辿り着くことができた。図書館からここまで一直線、意外なことに障害らしいものはなかったので、特別苦労することはなかった。

 しかし、トモエと言えど流石に疲れたのだろう。ふう、と息を吐きながら、マリナがいるであろう校舎の方を見ている。

 ……無理もない。トモエは旧校舎まで雪山を歩き回り、取引や作戦立案を行い、図書館での戦闘までと、休みはあったにせよ相当なハードスケジュールで行動しているのだから。

 自分だけでも大変だと言うのに、チェリノの世話と同時進行でこなしてきたことを思えば、当然とさえ言えた。

 とは言え、ここまで来てしまえば目標は目と鼻の先だ。あとはこの戦力でマリナが率いる事務局の生徒を制圧すればいいことを思うと、かなり気が楽ではある。

 油断こそするつもりはないが、クーデターが起きた当初よりは、先行きが見えるだけ予測も立てやすい。

 ただ、気がかりな点が一つ。

 

「トモエ。ここから事務局までどれくらいかかる」

「そうですね……この人数での移動となると、三十分ほどでしょうか」

「……そうか、礼を言う」

「いえ」

 

 先述の通り、図書館からここまで一直線。障害も妨害もなく、ここから事務局まで三十分の距離まで、俺たちが侵入できてしまっている。

 助かると言えば助かるが……反撃を警戒して多少の警備くらいは存在すると見込んでいた俺としては、拍子抜けする思いである。いや、確かに警備がいるにはいるのだが、チェリノを見ても特に反応しなかったのだ。

 チェリノ会長、と普通に話すだけだった。

 まるで、クーデターなど起きていないかのように。

 

「…………」

 

 ここから分かることは一つ。

 クーデターを起こしたはずのマリナは、その事実を周知してしないということである。

 権力が移動したことを、誰にもだ。

 いや、誰にもかどうかは分からないが──少なくとも、この辺りの警備の人間に伝えていないことは確かだ。

 クーデターとは、元来権力を奪取するためのものではなかったか──これではまるで、クーデターを()()()()()()()()()が目的だったかのように思える。

 そんなことが起こりうるのか、そんなことをする意味があるのか。

 あまりにも未知の体験であり、想像すらできないというのが俺の正直な感想だった。

 うすら寒ささえ覚える。

 

「うーん……? ねえ、ウォル爺」

「なんだ」

 

 と、ここで首を傾げたまま、マドイが声をかけてきた。

 周囲をきょろきょろと見渡して、心底不思議そうに。

 

「なんか……最初より人、少なくない?」

 

 言われて、俺は周囲を確認する。

 ……確かに。まばらに通行人や警備はいるが、どこか閑散としているように思えた。

 俺とマドイは通常の人通りを知っているわけではないが、最初──つまり俺たちがレッドウィンターに訪れた当初の景色と比較して、明らかにイワン・クパーラの準備をしていたはずの生徒たちの姿が見えないのだ。

 準備が終わった……というわけでもないだろうな。

 建築途中の建物や、足場が残されている。

 

「チェリノお姉ちゃん、今日ってみんなお休み?」

 

 側を歩いていたチェリノに、マドイはしゃがみながら訊く。

 ここに来る途中で買ったデザートに夢中だったらしいチェリノは、マドイに急に質問されて戸惑いつつも、素直に答えた。

 

「もぐもぐ……ん? いや、そんふぁことふぁないふぁずふぁが……」

「チェリノちゃん、ちゃんと食べてから喋りましょうね」

「むぐ……ごくん。そんなことはないはずだが……確かにそうだな。足場も祭壇も途中なのに、工務部の姿がどこにもない……って、お祭りまでもう時間も無いのに、どうしてまだあんな状態なんだ? サボっているのか? サボタージュなのか⁉︎」

 

 と、思いきや、祭壇と呼ばれるものが建設途中らしいことに気付いたチェリノは怒り出した。

 理不尽な怒り方をする印象のあるチェリノだが、今回に関しては比較的正当な怒りだろう。

 クーデターが起きているのだから通常通り建設されているわけがないという常識はさて置き、現状はクーデターが起きたという事実が流布されていないのだから、本来稼働していて然るべきである。

 にも関わらず、休みでもなく、休憩でもなく、この場にいない。

 

「落ち着いてください、会長。何か私たちが勘違いをしているのかもしれません」

「何が勘違いだ! 期間内に仕事を終わらせられない無能な生徒は、我がレッドウインター連邦学園には必要無い! みんな粛清だ、粛清!」

「みんなとおっしゃいましても、今ここには誰もいらっしゃいませんし……」

「いや、いるぞ。たぶんあっちに」

「え?」

 

 ここで、サホが特定の方向を指し示した。

 方角としては──北東方向。

 

「こんなに雪が降ってるのに足跡がはっきり残ってる。なら、さっきまでここにいたんだろ。足跡多過ぎて何人かは分からねえけど……そう遠くに行ってない」

 

 あっちの方、広場とかあるか?

 と、サホはトモエに訊いた。

 質問とした、と言うよりは確認するような口調で。

 トモエが足跡に気付いていたことを、確認するかのように。

 

「──はい。あちらには大人数が集まることのできる広場があります」

「じゃあそこで訊いてみようよ! 工務部の人いっぱいいるみたいだし!」

「そうだな! よし、行くぞトモエ! 工務部を粛清するために!」

 

 サホの疑いの言葉や態度に、トモエは特に反応することなく肯定し、マドイは気まずい空気を払拭するように明るくチェリノへと振った。

 当然チェリノは気付いていないので、意気揚々と広場の方へと足を向ける。

 …………サホは想像以上にトモエを疑っているようだ。このクーデターが仕組まれたものでないことくらいは分かっているはずだが、考えが回る分、最悪を想定しやすいのだろう。

 慎重だが、想像をそのまま相手に向けてしまうのはあまり褒められた行為ではない。

 意図したかどうかは分からないが……結果的には、マドイとチェリノに助けられたと言える。

 

「おい貴様ら、この広場で一体何を──」

 

 微妙な空気を纏いながら広場へと辿り着くと、そこは一種の演説会場のようになっていた。簡易的な演説台のようなものが建設されており、台の上には一人、ヘルメットを被った生徒が拡声器を口に当て、今にも声を出そうと息を吸う。

 チェリノはそれに気付かず、普段通り不遜な態度で声を掛け──次の瞬間、その声は文字通り掻き消されることになる。

 

『あたしたちは、決して奴隷にはならない!!』

「わあああっー!!」

 

 という、工務部と思われる生徒の叫びと歓声に。

 びりびりと空気が震える感覚と物々しい雰囲気に、流石のチェリノもたじろいで素の反応を見せた。

 

「……え、あれ? なんだこの雰囲気は……?」

 

 既に嫌な予感はしていたが、一応、この集まりが穏便なもので、イワン・クパーラの催事の一環である可能性がないでもなかったので、俺はしばらくこの演説に耳を傾けることにした。

 壇上の生徒は、拡声器を持ったまま続ける。

 

『これから数日間、イワン・クパーラの連休が始まる。イワン・クパーラはどんな祝祭だ? 冬の間ずっと食べていた乾いたパンや塩漬けの肉を捨て、太陽から贈られる新鮮で豊かな果実を楽しむ、新緑の祝祭ではなかったのか⁉︎ これは、レッドウィンターのどの生徒にも例外は無い。あたしたちにも、この祝祭の連休を楽しむ権利があるはずだ!』

「そうだ、そうだ!」

「私たちにも連休を!」

『しかしあたしたちは連休はおろか、一日二交代制の過酷な環境の中、昼夜を問わず作業に動員され、労働力を搾取されているではないか! これはあたしたちのレッドウィンター連邦学園の理念である、自由と平等の精神に反する! あたしはこの状況を、強く糾弾したい!』

「おおおおーーー!」

「そうだ! こんなの間違ってる!」

『チェリノ会長を含む、レッドウィンター連邦学園の事務局所属の者たちは、あたしたち工務部の労働者としての権利を保障しろ! あたしたちに十分な休息時間と、追加の手当、そして、えっと……二つずつのプリンを支給しなければ! あたしたちはストライキとデモを続けていくこととする!』

「わああああっー!」

「ストライキだ、ストライキ!」

 

 地獄絵図だった。

 クーデターに飽き足らず、ストライキとデモの火種までレッドウィンターには眠っていたらしい。

 

「待て待て待て! お前たち、誰の許可を得てこんなことをやっているんだ⁉︎ 事務局の許可無しに、勝手な集団行動は許されない! お前たちみんな粛清だ、粛清!」

 

 当然これはイワン・クパーラの催事ではないので、チェリノは瞠目しながら壇上の生徒へ、そして集まっている生徒へと抗議した。

 実際には抗議しているのは集まっている生徒の方なのだが、現状のパワーバランスとしてはこの表現の方が正しいだろう。

 

「……チェリノ会長? なぜこんなところにいるのかは知らないが……ちょうど良い! みんな! チェリノ会長を捕まえて、この祭壇に縛っておけ!」

 

 しかし、ストライキやデモを起こそうとしている人間が、多少の抗議で怯むはずもなく。

 むしろ突如現れたチェリノを、これ幸いと取り囲んで拘束した。

 彼女たちの一連の行動に迷いは無い。一応は指導者であるはずのチェリノを拘束することに、躊躇は微塵も感じられなかった。

 

「えっ……ま、待て! 離せ! おいらを誰だと思っているのだ! ぐっ……! お、お前らこんなことをして何を……まさか、おいらを人形のように祭壇ごと燃やしてしまうつもりか⁉︎」

「いくら革命とはいえ、あたしたちがそんな残酷なことをするわけないだろ」

 

 真顔で少女は答えた。

 この一線を越えないという感覚は、レッドウィンター全員に備わっている共通のものであるらしい。

 

「しかし! チェリノ会長はいつも仕事をせず、遊んでばかりの使えない指導者と言っても過言ではない! 打倒しなければならない、邪悪な圧政者だ!」

 

 随分と悪いように言われている。

 一瞬擁護しようかとも考えたが、ここに至るまでの視察の内容を鑑みると妥当な評価だったため、俺は自重した。

 リーダーとしての素質が垣間見えることもあったが、それはそれとして仕事をしているとは口が裂けても言えない。

 

「みんな! 今日あたしたちは、この邪悪な圧政者を学園の中央通りに晒し上げ、あたしたち労働者にとってこの先『こうあってはならない』と示す新たなシンボルとしよう!」

「うおおおおっ!」

「──待て」

 

 とは言え。

 そのまま連れて行かれてしまうと本当にチェリノが磔にされそうだったので、俺は集団の前に立つ少女を()()止めた。

 先述の通り、レッドウィンターという環境下では酷いことにはならないのだろうが、流石に十歳そこらの子供が磔にされる姿は見ていられない。

 何より、彼女が連れて行かれてしまうと本当に帰れなくなりそうだ。

 

「それ以上は勘弁してやれ。お前たちの気持ちは理解できるが……」

「む? 誰だあなたは。……大人?」

「……連邦捜査部シャーレのウォルターだ。好きに呼べ」

「ああ……噂の先生とやらか。ふん、あたしたちは連邦生徒会のようなブルジョワの命令には屈しない! 労働者の権利を得るまで、あたしたちの革命は止まらないからな!」

 

 流れるようなレッテル貼りをされたような気がするが……まあ、否定するようなことでもない。ブルジョワであると言われたら、その通りである。

 強化人間という資産を使っていた人間で──それ以下の人間だ。

 

「チェリノ会長、大丈夫ですか⁉︎」

「う、腕が折れるかと思った……トモエ……! 怖かった……うわああん!」

「な、いつの間に……!」

 

 と、ここで俺が少女の気を引いている隙に、トモエはチェリノを救出したようだ。特に示し合わせたわけではないが、彼女自身が判断して動いてくれたらしい。

 おかげで少女を説得して解放する手間が省けた。

 

「くっ、会長を排除できるいいチャンスだったのに……邪魔をするな、先生! いくら連邦生徒会に連なる組織とはいえ、あたしたちの革命を邪魔するならば容赦はしない!」

「……革命か」

 

 俺はこの少女を見て、少し、違和感を覚える。

 ストライキやデモといった行為には、必ず目的がある。だが、目の前の少女からは、それに対する欲のようなものが感じられないのだ。

 その証拠に、この少女は要求を訴えた際、何故か迷うような態度を見せた。

 もちろん少女の演説なのだから、全てを流暢に語れと言うのは酷だろうが……あれほどの語彙で語る少女だ。目的であるはずの要求を言い淀むとは思えない。

 しかも、本来最も伝えたいことであるはずの要求を、だ。

 それでも要求の内容そのものは破綻していなかったので、嘘ではないのだろうが……何というか、切羽詰まったものではないように俺は感じた。

 温和であるとさえ思った。

 レッドウィンターは平和であるとさえ。

 無論、感覚は麻痺している。クーデターやデモが起こる地域は平和ではないという指摘も受け入れよう。しかしそれでもやはり、俺はそう思わずにはいられない。

 何故ならば、ここは()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 今回の視察で見て回った限りという注釈はつくが、レッドウィンターにはヘルメット団のような不良が存在していない。いたとしても227号特別クラスのような問題児とされる者のみで、飢えて渇いて、苦しみながら泥の中でかろうじて生活しているような──そういった浮浪児が存在していないのだ。

 この過酷な地で、そんな境遇の者はそもそも生存できないという可能性もあるが──むしろその方が現実的な発想ではあるのだが、ことこのレッドウィンターでそれは考えにくい。

 ()()()()()()()()()()()()

 そして、平等な配給。

 平等な待遇。

 社会的には理想論とされるものだが、ここはそれが成り立つ世界観ということだろう。

 よりキヴォトス的に言えば、学園観と言うべきだろうが。

 

「少し……訊いてもいいか」

「む? まあ、構わないぞ」

「何故お前たちはこうして集まっている? 報酬……給金や配給は配られているのだろう」

「いや、配給は既に打ち止められている。これはチェリノ会長の不正、労働力の搾取に他ならない! あたしたちが革命を起こすのは当然の権利だ!」

 

 前提として、俺は彼女たちが平等な配給を受け取って仕事をしていると考えていたわけだが、ここに来てその前提をひっくり返された。

 無報酬となれば、十分にデモを起こす理由になり得る。

 

「……チェリノ」

「ち、違う! おいらはちゃんとトモエに命令して渡していたんだ! けど、マリナが渡しているかどうかは……」

「……なるほどな」

 

 どうやらクーデターの際に命令系統が混乱して、配給が予定通り行われていないらしい。まあ、命令を下されたトモエがこちら側にいるのだから、それは当然と言える。

 本来であればマリナがその辺りまで気を行き届かせるべきなのだろうが、クーデターを起こして会長の座を奪い取ったことさえ周知していないような少女が、そこまで考えているとは思えん。

 

「先生、あたしたちの行動に納得したか? では、チェリノ会長を渡してもらうぞ! これ以上邪魔するようであれば──」

「待ってください、工務部のみなさん! 私たちはみなさんと戦うつもりはありません。労働者としての権利を得るためにも、今は同じ仲間同士で戦うのではなく、力を合わせるべきです!」

 

 未だ止まる姿勢を見せない少女に、何食わぬ顔で、しかしそれなりの説得力を持った理論でトモエは提案した。確かに味方にできればかなりの戦力になりそうな集団ではあるものの、あれほど権力を敵視している者に対して仲間同士という言葉を使えることに、俺は感心した。

 彼女の説得は続く。

 

「そもそも一体全体、チェリノ会長のどういったところが、みなさんの革命に邪魔になるというのですか? もちろんチェリノ会長は労働もしないですし、おやつばかり食べながら、お昼寝だけをする使えない会長ではありますが……『こと』が自分の思う通りに進まないからと言って、むやみやたらに粛清を乱発する、独裁的な会長ではありますが!」

「待て、トモエ秘書室長。お前、今までおいらをそんな目で見ていたのか?」

 

 あまりにもあんまりな評価を、包み隠さずにトモエは語った。

 未だにトモエに抱きついて説得を聞いていたチェリノが謎の流れ弾を食らい、信じられないような顔をして見上げている。

 あえて自らの弱みを語り、共感させて説得の成功率を上げるというテクニックもあるにはあるが、例え説得するためだとしても全てを曝け過ぎである。

 しかも曝け出されたのはチェリノの尊厳だった。

 流石に同情を覚える。

 

「ふん、下のミスは上が責任を負うもの! よって、このレッドウィンター連邦学園で起きる全ての責任は、代表であるチェリノ会長にあるのだ! 旧校舎の復旧が遅れているのも、プリンがきちんと配給されないのも、今日がこんなに寒いのも──すべてチェリノ会長のせいだ! そして生徒会長である限り、チェリノ会長はありとあらゆる全ての非難を受け、永久に許されることはない!」

「そんな無茶な! その論理だと、誰が会長であっても非難を免れないではないか!」

「もちろんだ! 権力者への非難は闘争の基本! 闘争の末に、生徒会長という存在が無くなり、真の平等が結実するその日まで……あたしたちの闘争は止まらない!」

「ぐっ、なんという乱暴な革命家だ……!」

 

 随分と弁が立つ少女である。

 先程は真っ向から説得しようかとも思ったが、これほど口が回るようではそれも難しかっただろう。

 トモエがチェリノを強引に救出したのは英断だったようだ。

 

「……んー? でも、そもそもチェリノお姉ちゃんは今、生徒会長じゃないよね?」

 

 と、ここで沈黙を守っていたマドイが、思い出したように声を上げた。

 ……確かに。周囲の警備がチェリノのことを変わらず会長と呼ぶせいで失念していたが、チェリノは現在生徒会長から失脚している最中である。

 生徒会長である限り非難されると言うのなら、逆説的に今のチェリノは非難される立場にいないということになるだろう。

 

「……なに? チェリノ会長が会長じゃなかったら、今は一体誰が?」

 

 そして意外にも、少女はマドイの指摘を頭ごなしに否定することなく、冷静に受け止めた。その冷静さ、切り替えの早さから察するに、どうやらあの演説は──ストライキやデモといった活動は、断じて衝動任せのものではなく、彼女の中で飼い慣らされている、制御された感情から出力されたものであるらしい。

 ……それはそれで恐ろしい話だ。

 冷静な革命家など厄介極まりない。

 為政者であれば頭を抱えていただろう──幸い俺は為政者ではないので、チェリノの今後に思いを馳せることはあれど、少女をどうとすることはないが。

 チェリノのカリスマに期待するとしよう。

 

「悔しいが……今レッドウィンター事務局で会長としての権力を持っているのは、おいらではなく、マリナ委員長だ。マリナ委員長がクーデターを起こしたせいで、おいらは会長の座から失脚し、今は逃げている最中だからな!」

「なんと。では、今権力を握ってるのはマリナ委員長で、チェリノ会長は単なるチビにすぎないということか……」

「なっ、チビ⁉︎ 今チビって言ったな⁉︎」

 

 残念ながらカリスマは足りなかったらしい。

 少女は興味を失ったようにチェリノから視線を外し、再び工務部の集団へ向かって拡声器を掲げた。

 

『よし、みんな。目標を変更だ! あたしたちの新たな敵は、チェリノ会長のような大したことないチビではなく、事務局の新たな権力者であるマリナ委員長だ!』

 

 自分の言ったこと──つまり権力者への非難という名目を律儀に守り、少女は標的をマリナへと変更した。ダブルスタンダードではないあたり、革命家として筋は通っている。

 通すべき筋かどうかは分からないが。

 

「またチビって言ったな! しかも今度は『大したことないチビ』って! この偉大なチェリノ様の声が聞こえないのか! みんな粛清だ、粛清──」

『よし、あたしたち労働者の権利と自由、そして……えっと……他にも色々と大事なことのため、事務局に突撃だっ!』

「うおおお!!」

 

 変わらず、少女の目的は不明瞭なまま。

 チェリノの声はあえなく無視され、少女率いる工務部はチェリノを置き去りにしたまま事務局へと突撃していった。

 

「か、完全に無視された……」

「なんて言うか……自由だね、みんな」

「……そうだな」

「い、いや待て! 待つのだ! トップはおいらなのだ! おいらを置いて先に行くなぁー!」

 

 憤慨したチェリノは、工務部の後を追うように走り出す。

 普段通りであれば、すぐさまその後をトモエが追いかけているところだが──当の本人は意外にも追うことはせず、落ち着いた様子で、マドイへと声をかけた。

 

「マドイさん、会長をお願いしても構いませんか?」

「え? それは良いけど……どうして?」

 

 マドイとしても想定外だったのだろう、酷く驚いた様子で首を傾げる。

 良いの?と言外に伝えているようでもあった。

 

「はい、少々……サホさんとお話したいことがありますので」

「──うん、わかった。チェリノちゃんのことは任せてね! ちょっと先の方で待ってるから!」

 

 一瞬、マドイは警戒したように目を細めたが、俺に視線を向けた後、すぐに笑顔を浮かべて、チェリノの方へ向かった。

 俺がいるのなら問題ないと判断したらしい──責任重大である。

 マドイが離れたことを確認した後、トモエは俺たちの方へ振り返って言う。

 

「さて……サホさん。私が会長に工務部の居場所を伝えなかった理由。納得して頂けたでしょうか?」

「う……はい」

 

 その言葉は、サホが疑っていたことに気付いていなければ出てこないものだった。トモエへの疑い──チェリノを裏から操っているのではないかという、今となっては冤罪である見方をされていたのだから、彼女がレッドウィンターとして抗議するのは当然の権利と言えるだろう。

 しかしサホを一方的に責めることは、俺にはできない。何せ、俺も同じようにチェリノを神輿として担いでいるのではないかという疑いは持っていたのだから。

 

 ── チェリノ会長、大丈夫ですか⁉︎

 

 ただ。

 迅速にチェリノを救出した時の姿を見てまで、それが演技だと言い張ることはできなかった。きっとそれは、サホも同じなのだろう。

 更に言うならば、トモエほどの才覚があればチェリノでなくとも神輿は用意できるはずだ。それをしないということは、少なからずチェリノに見せている忠信は嘘ではない。

 彼女が工務部の行先をあえて気付かない振りをした理由も、こうして関わってみれば一目瞭然だ──革命を掲げ、誰であろうと生徒会長であるならば拘束して磔にしようとする厄介な人材など、普通引き合わせたくはあるまい。

 今回は()()チェリノが生徒会長ではなかったため工務部は味方になったが、そうでなかったら説得の成功率は著しく低かったことは容易に想像できる。

 

「すまない、トモエ。シャーレとして正式に謝罪しよう。だが、責任は俺にある。罰は俺が受けよう」

 

 俺はこれ以上何かを言われる前に、サホの前に出て、頭を下げた。

 今回の件をサホに背負わせるわけにはいかない。彼女の疑いを止めなかった時点でこれは俺の責任である。

 

「なっ……おい、ウォルター⁉︎ なんであんたがそんなこと──」

「俺はシャーレの人間で、お前たちの上司であり、保護者でもある。あの少女も言っていただろう──『下のミスは上が責任を負うもの』だ。監督責任を取るのが俺の仕事だ」

「いや、だけど……!」

「……ふふっ」

 

 しかし。

 俺たちの対応を見て、何故かトモエは、くすりと笑った。

 それから、その柔らかい笑みを浮かべたままサホに視線を向けて、緊張をほぐすような語り口で続ける。

 

「お二人とも、そう固くならずとも構いませんよ。実は、私がここに来たのは咎めるためではありません。どちらかと言うと……お節介を焼きに来たんです」

「お、お節介?」

「はい。サホさんに。……そうですね、先達としてのアドバイスとでも言いましょうか」

 

 想像していたよりも遥かに穏やかな口調で、トモエはサホに語りかけた。

 トラブルに発展するようであればと前に出たが、トモエの落ち着いた様子からして、本当にことを荒立てる気はないらしい。

 

「…………」

 

 少し考えてから、俺は一歩下がって道を開けた。

 責任者とは言え、交流を妨げてしまうのは本意ではない──危険から遠ざけることはあっても、全てから逃すようでは成長に繋がらない。

 俺が退いたことで、トモエとサホは向かい合った。こうして並ぶと、二人には意外と身長差があまりないことに気付く。

 サホが縮こまっているせいか、実際よりもトモエが大きく見えていたらしい。

 

「サホさん」

「う……は、はい。その、すみませんでした」

「いえ、過度に謝る必要はありませんよ。あなたの行動は、護衛という立場として当然のものですから。ただ、今後は気を付けましょうね? 疑いの目を向けられていると気付かれたら、それが火種になってしまうこともありますから」

「……はい」

 

 粛々と、サホは頷く。その様子からして、サホはかなり自責しているようだった。彼女に非があることは確かだが、今回の工務部の一件は想定できる範囲を超えているので、そこまで己を責める必要はないのだが。

 もしかすると、この辺りのフォローを普段はロイが行っているのかもしれない。

 彼女がここにいれば──何と言ったのだろう。

 

「そして、ここからが私のお節介です」

「……? それは、どういう」

「これは私の憶測ですので、外れていた場合は申し訳ないのですが……サホさんには、大切にしたい方がいらっしゃいますよね? 私にとっての、チェリノちゃんのような方が」

「なんで、それを……まさか、聞こえて……⁉︎」

「いいえ。さすがにあの距離では声は聞こえませんでした。ですので、口の動きを見た上での推測です。俗に言う読唇術ですね」

「…………」

 

 サホは絶句している。

 かくいう俺も、それなりに驚いていた。

 トモエはあの時、マドイと一緒にチェリノを見ながら、俺たちの会話も()()()()らしい。

 底知れぬ少女である。

 

「大切にしたい人がいて、だけど近くにいていいか分からない……もしもそんな悩みを抱えているのだとしたら。一つ、先達として助言できるかも、と思いまして」

「…………」

 

 サホは答えなかった。だが、トモエはそれを肯定と捉えたらしい。もっとも、仮に否定したとしても、彼女は気にせず助言をしただろうが。

 勘違いでしたか、と言って、それでも伝えたはずだ。

 ()()()()()()()()()()()()、という言い回しをしたのは、サホに対して押しつけがましくならないように配慮してのことだろう。

 全てを先回りするような配慮である。あらゆる面で上回られたと感じたサホは、見透かされたような気持ちになったのだろうか、どこか力無く笑った。

 

「あんたは……凄い人だ。それは、話してみてわかった。それだけのことができれば、自信を持って好きなようにできることも。でも、私は……そうじゃない」

「では、あなたがその方を慕っているのは、その方に類まれなる能力があるからですか?」

「違う! 私は、あいつの──」

「であれば、理由は必要ありません」

「なっ……」

「あなたがそばにいたいなら、そばにいて良いと思いますよ」

「…………」

 

 単純明快で、とても難しいことを、トモエは言った。

 当たり前のように。

 彼女は続ける。

 

「私がチェリノちゃんのそばに居る理由。それはですね……チェリノちゃんが可愛いからです」

「……は?」

「チェリノちゃんが可愛くて──だからチェリノちゃんの可愛さをキヴォトス中に広めたくって」

「そ、それだけで?」

「はい。それだけです」

「……………………」

 

 俺たちが予想もしなかった理由を、トモエはつまびらかに答えた。

 チェリノが可愛いから、と。

 

「ブロマイドもありますよ」

「いや、それは要らないけど」

 

 冷静なサホの返しに、そうですか、と少し残念そうな表情をして、取り出そうとしたものをしまうトモエ。

 冗談や狂言ではなく、本当にブロマイドを配るために持ち歩いているらしい。

 本人の言葉を信じるのであれば、チェリノの可愛さを広めるために。

 

「私がチェリノちゃんのそばにいるのは、それだけの理由です。他人から見たらそれだけですが……私にとっては、()()()()だけの理由になりえます」

「…………」

「もちろん、信じるかどうかはサホさんにお任せしますが」

 

 自信満々に。

 ともすれば、チェリノ以上の不遜な態度で、トモエは言い切った。

 

 ── 好きなだけだと思うよ、チェリノちゃんのこと。

 

 その姿は、サホにとっては衝撃的なものだったに違いない。無意識にいつもの癖で取り出した煙草を、しかし咥えることなく、手の中に収めたままじっと見つめた。

 しまうことなく、じっと。

 サホは、一度も火の点いていない煙草を見つめながら、弱々しく問う。

 

「仮にそいつが……私を必要としていなくても?」

「そうですね……それに関してはきっと、サホさんが勘違いしていますよ」

「……勘違い?」

「その方はきっと、そばにいなくても良いんじゃなくて……あなたがそばにいるから、頑張っているんだと思います」

「…………」

「親しい人には、()()()()()を見せたいものでしょう?」

「あ……」

 

 ──私は……ロイの前だけでは、特別でいたい。

 

 何のことはない。

 ロイの行動は、サホとまるで同じなのだ。

 どれだけ彼女が成長し、どれだけ彼女の世界が広がっていこうとも。

 ロイにとって、サホが特別である事実は揺るがない。

 その事実を──俺の言葉では上手く伝えることのできなかった事実を、トモエは一言で納得させてみせた。

 

「実力は後からついてくるものです。私は偶然、情報操作やプロパガンダが得意だっただけで、最初から何もかもできていたわけではありませんから。だから、大事なことは一つだけです。あなたはその方の──そばにいたいですか?」

「…………」

 

 サホはその問いに対してすぐに答えず、目を閉じた。

 しばらく考え込むようにして──それから、笑みを浮かべる。

 

「……なるほど。はは──やっぱり、あいつが言うほど私は頭が良いわけじゃないな」

 

 自虐的な言葉ではあったが、その顔に浮かぶ笑みは、いつものもので。

 からからと──笑う。

 

「ありがとう、トモエさん。なんか……すっきりしたよ」

 

 晴れ晴れとした笑顔で、サホは頭を下げた。

 謝罪ではなく、感謝を伝えるために。

 それでもどこか申し訳なさそうにはしていたが、俺と会話していた時のような迷いは見受けられない。

 

「……俺からも礼を言う。……すまない、借りを作ってしまったな。何かあれば言え。可能な限り協力しよう」

「ふふっ。いえ、お気になさらず。これは、シャーレをクーデターに巻き込んでしまったお詫びだと思ってください」

 

 罰則を受けるどころか、サホのケアまで任せてしまったことに対して恩を返したいところだったが、トモエはすげなくそれを否定した。

 ……まあ、彼女の主張はもっともと言えば、もっともだが。

 言われてみれば確かに、俺たちは客人にしては相当な目に遭っているので、レッドウィンターとしてはここで礼を返されるのも困るのだろう。

 感覚が麻痺していることを実感したものの、しかし気持ちとして消化不良であることも事実だ。

 何か良い落としどころはないものか。

 

「あー……その、トモエさん」

 

 と、ここでサホは何故か照れた様子で、おずおずと申し出た。

 何か思い付いたらしい。

 

「? はい、なんでしょうか?」

「えと……やっぱり、その……ブロマイド、もらえます?」

「……! はい、もちろんです!」

 

 ……なるほど。

 やはり、ロイの見る目は確かなようだ。

 彼女の言う通り、サホは頭が良い。

 

 014

 

「来た、見た、勝ったあ!」

 

 そこから先の出来事は、あまり語るほどの内容はない。

 と言うのも、あの後事務局に突撃した工務部によって、指揮も何もない乱戦状態に陥ってしまったからだ。

 トモエの作戦通り、確かに奇襲には成功したが……取り戻したと言うよりも、クーデターがもう一度起こってマリナが失脚し、チェリノが生徒会長の座に着いたと表現した方が正確だろう。

 

「トモエ、見たか? おいらの完璧な作戦で敵を粉砕するところを!」

「はい。本当に完璧な指揮でした、チェリノ会長! それぞれ異なる所属の生徒たちを統一し、敵陣に向かって突き進むチェリノ会長……あのお姿はきっと生徒たちの心に深く刻み込まれ、レッドウィンター連邦学園の歴史の一ページとして永遠に語り継がれることでしょう!」

 

 相変わらず、トモエはニコニコと笑っている。

 可愛い──と思っているのだろう。

 きっと彼女はそれを疑っておらず、自分がチェリノを支えているのだという自負もあるのだろうが……可愛がっているようでいて、その実、チェリノの可愛さとやらに支配されていると言えなくもない。となれば、一体、どちらかが狂わされているのだろうな。

 ……あれはあれで、一種の主従関係か。

 

「ふう……とにかく、また事務局に戻れて良かった。棚はおやつでいっぱいだし、玉座はフカフカだし、家に帰ってきたみたいにホッとする……やはり、我が執務室はこうでないと! こうなったら今日は、この玉座に座ってポテトチップスを食べて、もう一歩も動かないぞ!」

 

 事務局を取り戻したチェリノは、自身の玉座でふんぞり返りながら言う。

 一見怠惰な態度に見えるが、チェリノが周りの生徒に比べかなり幼いことを踏まえると、むしろまだこれだけの目に遭っていながらよく眠らずに動く気力があるものだと感心する。

 問題は、彼女の性格やトモエの可愛がりからして、その休暇が今日のみに収まりそうにないところか。

 

「だがその前に……クーデターについて、言い訳でも聞こうか? マリナ委員長?」

「ううっ……」

「マリナ、おいらが今までお前をどれだけ大切にし、信頼していたか……それなのに、よくもおいらの昼寝の時間を狙ってクーデターを起こしたな! 許さないぞ!」

「面目次第もございません、チェリノ会長……」

「うむ、うむ!」

 

 許さないぞ、と言っておきながら、マリナが正座して項垂れている姿を見て満足そうに頷いているあたり、あまり怒ってはいないようだ。

 寛大──と言うべきだろう。少なくとも、このレッドウィンターでは。

 他学園の常識が通用する場所でないことは、既に痛いほど身に染みている。

 

「それで、おいらに反旗を翻した本当の理由はなんだ? ……やっぱりおいらがあの時、マリナのプリンをこっそり盗み食いしたことで、腹を立てたのか? それとも、マリナが大事にしている熊のぬいぐるみを、こっそり枕に使ったからか……?」

「プリン? 熊のぬいぐるみ? 何のことでしょうか……?」

「お、思い出せないならそれでいいのだ!」

 

 なんと、チェリノにはそれなりに心当たりがあったらしい。

 もしもこのクーデターが独裁政治による恨みでなく、個人の恨みによるもので起きていたのだとしたら、その席は取り戻すべきではなかったと俺は主張しなければならないところだった。

 

「……おっほん! それではプリンでも熊のぬいぐるみでもないなら、どんな理由でクーデターを起こしたのだ?」

「あの、それは……実はチェリノ会長の石像を不注意で割ってしまって……」

「石像? 何の石像だ?」

「新館の廊下にある、会長の石像です。先月、新館の増築を記念して、チェリノ会長の謹厳なお姿を石像にしてあそこに設置しました」

「……そ、そんな石像あったか……? いや、確かにあったような気も、する……?」

「しかし、不注意でその石像にぶつかって、お顔の髭の部分が割れてしまい……会長の権威をこの手で失墜させてしまいました。故意ではなかったとはいえ、きっと会長にはお許しいただけないだろうと思い、それで……」

「…………」

 

 沈黙。

 どう受け取れば良いかわからない。

 個人的な恨みや独裁政治による恨みでないなら、チェリノ個人は全く恨まれていなかったということで。

 それはそれで、良かったと言えなくもないが……こうなってしまうと逆に、この土地ではクーデターが無くなることは無いと証明されてしまったようなものだった。

 失敗を許されないだろうから、クーデター。

 粛清によって殺されてしまう、などという独裁政治ならまだしも、罰としてトイレ掃除を命じられるのが関の山なチェリノの采配でクーデターが起こされてしまうようであれば、火種を消すことは不可能だ。

 チェリノの癇癪による粛清を止めれば良いと言われたらそれまでだが……俺の肌感としては、仮に粛清が無かったとしてもクーデターが止まるとは思えない。

 今回は明確に、石像を壊したマリナに非がある。にも関わらず、少なくとも他の生徒より忠誠心を示している彼女がクーデターを起こしたとなると、その他の生徒がクーデターを起こす確率は彼女の比ではない。ならば、レッドウィンターから火種が消えることはないという結論になってしまう。

 だが、理由を聞いたチェリノは。

 

「なんだ、そんな理由でクーデターを起こしたのか」

 

 と、呆れたように溜息を吐いて、やれやれと首を振っただけだった。

 怒っている様子は──無い。

 

「え? そんな理由、とは……」

「マリナ、お前はレッドウィンター連邦学園における事務局の保安委員長であり、我が忠実な右腕として、今までたくさんの仕事をこなしてきた。いくらおいらが有能だとしても、お前がいなかったら今のこの座までは登れなかっただろう」

 

 …………時々、チェリノのことがわからなくなる。

 何も知らない子供のようでいて、肝心なところは理解している。

 見栄を張っているようで、自分の至らなさを全く自覚していないわけではない。

 変わったカリスマである。

 あるいはこれが、『可愛い』ところなのだろうか。

 

「お前を失うことに比べたら、石像の髭が割れるぐらい些細な問題だ。おいらは寛容だからな──そんな些細なことで粛清は下さないのだ。はははははっ!」

「会長……!」

「──とでも言うと思ったか!!」

 

 と、ここで終われば美談になったのだろうが、残念ながらそうは問屋が卸さないようだった。

 態度を急変させて、チェリノは怒鳴る。

 

「えっ、ええっ!?」

「お前のせいでおいらがここしばらく、どれだけ苦労をしたと思う? 昼寝もできないし、おやつも食べられない! 生徒たちにはチビと言われるわ無視されるわ! 石像のことはどうでもいいが、クーデターを起こしたことについては許さない!」

 

 ……まあ、真っ当な怒りである。

 流石にこれを咎めるつもりは、俺にはない。

 

「チェ、チェリノ会長! どうかお許しを!」

「ダメだ! 絶対に許してたまるものか! トモエ、今すぐマリナと親衛隊の連中を連れていき、一ヶ月トイレ掃除の刑に処するように!」

「はっ!」

「さあ──それでは粛清のパレードを始めるとしよう!」

 

 この後俺は、意気揚々と宣言したチェリノのパレードには参加せず、再びデモを起こそうとしていた少女──安守(やすもり)ミノリというらしい──を何とか宥めすかし、『俺たちがレッドウィンターを出るまでの安全確保』を新しく依頼することで、無事にシャーレへ帰還することに成功した。

 リンにどう報告書を書くか頭を悩ませたが、取り敢えず、彼女に向けてできる唯一の助言を書き記しておくことにした。

 『連邦生徒会に連なるものは、仕事でレッドウィンターには行かないこと』。

 

 015

 

 事件からしばらくして、イワン・クパーラ開催当日。

 俺は再び、彼女たちと連絡を取っていた。

 

『お久しぶりです、先生。チェリノ会長、繋がりましたよ』

『ふっふっふ。久しぶりだな、カムラッド。こっちは絶好のお祭り日和だぞ』

「……そうか、良かったな」

『うむ。レッドウィンター連邦学園のめでたいお祭りを、カムラッドと過ごせないことは残念だが……仕方あるまい。レッドウィンター連邦学園のイワン・クパーラには、外部の者は入れない原則だからな』

 

 結局、イワン・クパーラがどういった催しなのか、今回の訪問では把握しきれなかったが……どうやら、かなり身内向けの催事だったようだ。

 そう思うと、準備期間とは言え、俺たちがレッドウィンターで視察を許されたのはかなりの好待遇だったと言えるだろう。

 何事もなければ、彼女たちの当初の要望通り、レッドウィンター連邦学園の雄姿を広める手伝いをしても良かったのだが……クーデターが起きる学園を手放しに推奨はできん。

 気持ち的にも、立場的にも。

 悪評を流布するつもりもないので、彼女たちの今後の活躍次第と言ったところか。

 

『カムラッドには、この前の事件で多大な迷惑をかけたこともあるから、生徒会長の権限で特別に招待しようと思ったのだが……』

「……すまない。想像以上に仕事が立て込んでいてな。次は仕事がない時に訪問しよう」

『そうか! うむ、待っているぞ!』

 

 暗に仕事では行かないと主張しているに等しいのだが、俺の返事にチェリノは無邪気に笑顔を浮かべて、明るく頷いた。

 …………いつか、仕事でない時間を用意しなくてはな。

 

『ところで別件なのだが、カムラッド。前と比べて、何か変わったようには見えないか?』

「……? いや……すまない。レッドウィンターの情報はあまりこちらまで届いていなくてな」

 

 どこか期待したようなチェリノの問いに、俺は首を振る。

 少し考えたが、見る限り──通信の映像で見ても特に変化はわからず、そして何か起こったという情報も掴んでいないため、俺は素直に言った。

 だが、その答えはどうやら外したらしい。少しむくれたように、チェリノは目を細めた。

 

『むぅ……そうじゃない。おいらに何か変わったことはないかと聞いてるのだ!』

「……背が伸びたか?」

『そ、そ、それは本当か⁉︎ トモエ、メジャーを持ってこい! 今すぐに身長を測ろう──……って、ちっとも伸びていないじゃないか。おいらをからかってるのか、カムラッド!』

 

 この年頃の少女であれば、身長は何であれ変わっているだろうという当てずっぽうの憶測で言ってみたものの、それも違ったらしい。

 女子の外見の変化にいち早く気付いて些細なことでも褒めろ、と幼い頃カーラに教え込まれたような気もするが、やはり俺には向いていないようだ。

 

『いくらシャーレの先生とはいえ、この偉大なチェリノ様をからかうなんて本来は許されないことなんだぞ! ふぅ、もちろん身長も重要だが……おいらが最初に言おうとしたのは、主に内面の変化のことだ』

 

 と思ったら、内面の話らしい。

 外面は内面の一番外側、という言葉は聞いたことがないでもないが、流石に第一印象で内面の変化を感じ取れるほど、俺は配慮に長けた人間ではない。

 それを再び自覚する。

 

『この前の騒動の後、おいらは今まであまり気にかけてこなかった、レッドウィンター連邦学園の生徒たちの苦情に、耳を傾けるようになった。トモエ秘書室長の話によれば、生徒たちの苦情に耳を傾け、共感し、解決策を約束するおいらの姿は「まるで先生がお仕事されている時の姿のようだった」、とのことで……先生の仕事とは、すなわち大人の仕事! 凡百の生徒にはなかなかできない難しいことだ!』

 

 耳を傾ける。

 共感する。

 解決策を約束する。

 確かに、難しいことだ。

 大人でもできないことだ。

 俺にも。

 

「……そうだな。誰にでもできることではない」

『そうだろう、そうだろう! つまり、おいらはあの騒動を通じて、今までにないくらい大人の階段を上ったということだな! どうだ、カムラッド。以前と違って、おいらの内面から湧き出るような、大人の魅力が感じられないか? ふふふ……!』

 

 向き合う。

 言葉を聞く。

 逃げている俺に、そのようなことはできていない。

 俺よりも遥かに、大人らしい。

 今は子供だとしても、その年齢で本質に気づいたチェリノは、成長すれば俺を遥かに凌ぐ大人になることだろう。

 では、その大人から。

 あまり目指すべきではない、反面教師の大人から──助言を渡すことにしよう。

 俺のような歳になってもできていない、人として当たり前のことを。

 

「チェリノ。お前は確かに随分と成長したようだが……大人として、他の生徒に言った、解決策の約束は守ったか」

 

 ──お前のような……脳を焼かれた独立傭兵でも。

 

 ──友人たちの……遺志を……!

 

 ──再手術をして……普通の人生を……。

 

 俺が守った約束など、一つもないというのに。

 契ったはずの約束を、何一つとして。

 

『ん、ん……? や、約束?』

「約束……契約だな。報酬を用意すると言って協力を結んだだろう」

『そ、それは、えっと……今すぐゲヘナ学園やトリニティ総合学園を攻撃するのは、やっぱり難しいし……それに227号特別クラスのやつは、あの後またおいらのことをチビと呼んだのだ! 不敬罪に当たるから、やっぱり今すぐに復帰は認められない! 約束は保留! しばらくはこのまま現状維持だ!』

 

 約束が果たされていない。

 つまり──クーデターの火種は消されていない。

 

「…………そうか。ではせめて、その説明くらいはしておけ。多少の時間稼ぎにはなる」

 

 先の展開が何となく想像できた俺は、おそらくほとんど無駄だろうと思いながらも、対処療法を伝えておいた。

 今回はともかく、次回に活かされることを願って。

 

『……? まあ、わかった。とにかく、カムラッド。次に来る時はだな──』

『チェリノ会長、大変です!』

『……なんだ、トモエ秘書室長。カムラッドと話している時は邪魔をするなと言っただろう!』

『それが、緊急事態でして……旧校舎の「227号特別クラス」の生徒たちが、前回の約束を守れと事務局に押し寄せてきています! その上、「知識解放戦線」と「工務部」の生徒たちも一緒になって……』

『なに? 忍耐力の無いやつらめ! 騒ぎが収まったばかりというのに、お祭りが終わる前からまた次のクーデターか! マリナ保安委員長と親衛隊を送れ、クーデターを鎮圧させる!』

『その、マリナ委員長は一晩中トイレ掃除をしていたせいでお疲れでして……戦える状態ではありません。親衛隊のメンバーもほとんど、前回の粛清で追い出されているか、謹慎中の身でして……』

『なんだ、となると……また逃げないといけないのか⁉︎ せっかくゆっくりできると思ったのに、今度はどこに逃げると言うんだ⁉︎』

 

 案の定、燃え広がったらしい。

 チェリノには申し訳ないが、今レッドウィンターにいなくて良かったと、心底思う。

 

『か、カムラッド! どうにかできないか!?』

「今からレッドウィンターに向かっても手遅れだろう。覚えておけ、チェリノ。それが責任というものだ」

『ま、待って──』

『見つけましたよチェリノ会長! さあ、約束を果たしてもらいますからね!』

『も、もう失脚はこりごりだあぁぁぁーーーーー!』

 

 通信遮断。

 俺が何かする前に、大きな衝撃音と共に映像が途切れた。向こうの通信機器が破損したのだろう。

 とは言え、今までの実績からして、何だかんだとチェリノは生徒会長の座に返り咲くことは想像に難くない。

 そう思うと、あのレッドウィンターの土地で生徒会長としてやっていけるのは本当にチェリノしかいないのかもしれなかった。

 

「……ウォルター? まだ話してるか?」

「いや、今終わった。……どうした、ロイ」

「書類持ってきた。どこに置けば良い?」

「こっちの机に置いてくれ。後で見る」

「りょーかい」

 

 通信が終わると、丁度ロイが部屋に入ってきた。

 果たしてどうやってバランスを取っているんだと思うような積み方をして、それなりの重さになっているはずの書類の束を特に苦も無く運び、俺の指定した場所に置いた。

 

「…………」

「? 何だよ、ウォルター」

 

 ロイは、俺の指示をよく聞く。だが逆に、俺はロイの言葉に耳を傾けたことはあっただろうか。

 ……苦情に耳を傾ける。

 共感する。

 解決策を約束する。

 

 ──ロイから逃げないこと。

 

 チェリノに言った手前、俺がやらないわけにはいかんだろう。

 情けない動機ではあるが……俺は意を決して、口を開いた。

 

「…………ロイ。俺に何か……言いたいことはないか」

「えっ、怖。何だよ急に。私怒られるようなことしたか?」

「いや、そうではない。俺に……そうだな、文句はないか、という意味で訊いている。俺に直してほしいことがあれば言え」

 

 きょとん、とした目で、ロイは俺を見た。

 それから、ぱちぱちと意味を咀嚼するようにして瞬きをした後、素直に彼女は答える。

 

「まあ、そりゃあるけど」

「……あるのか」

「そのつもりで訊いたんじゃないのかよ」

 

 それは、そうなのだが。

 俺に対して不満があったにも関わらず我慢させていたと思うと、後ろめたさのようなものを感じるのだ。

 やはり俺には教職など向いていないらしい。

 

「あー、そういう意味じゃなくて……私が言ってるのは、私たちへの態度の話。距離感って言うのか? いや、これも正しくない気が……」

「……近いか」

「遠いに決まってるだろ」

 

 何故か怒ったように反論するロイ。

 はっきりした物言いだった。

 

「でもなあ……直せって言うのも違う気がするんだよ。それは……自分を捻じ曲げるような方法だから。私は、ウォルターが自分で()()()()()ようになってほしいというか──」

「ロイー? そこにいるか? スミから預けられたんだけど……」

 

 ここで、言語化に悩んでいるロイの前に、サホが小さな封筒を持って現れた。

 俺たちが話し込んでいたことに気付いたサホは、取り込み中か、と部屋から出ていこうとしたが、ロイはそれを引き止める。

 ナイスタイミング、と言って。

 

「丁度良かった。その中に入ってるからサホも見てってくれよ、完成図」

「ああ、前のあれか」

「……?」

 

 今ひとつ話が見えていない俺に、ロイは正面から告げる。

 

「この中に、エンブレムのデザインが入ってる」

「…………決めたのか」

「ま、形にしてくれたのはスミだけど」

 

 言いながら、ロイは封筒を開けて中に入っていた紙を広げる。それをじっくりと見て、確かなものであることを確認したロイは、俺にそれを見せた。

 

「ほら」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 そのエンブレムは。

 確かに、俺が使うなと厳命したエンブレムでこそなかったが、強く意識したものであることは明白だった。

 白の逆三角でなく、黒の三角形。

 垂れ下がった黒の腕ではなく、空に手を掲げたような白い腕。

 その白い腕には鎖が巻き付いていたが……不思議と、縛られているような印象は受けなかった。

 これが──彼女を象徴するもの。

 

「……良い機会だし、ついでに言っとくか。どうせ聞いてただろうけど、直接は言ってなかったし」

 

 そして、ロイは改まって。

 俺の方をまっすぐに見て、言った。

 

「私は、ウォルターの猟犬だ」

「…………」

「だから私はあんたを──……いや、これは余計か」

「……?」

 

 彼女は宣言する。それは、俺がアビドスで、そしてミレニアムで既に聞いていたものだったが、直接面と向かって言われると、言いようのない不安に襲われた。

 再び猟犬を持ってしまった、罪悪感とでも言うのか。

 しかし、ロイはその後に何かを言いかけて、やめた。顔をしかめているので、何か嫌なことでも思い出したのかもしれない。

 彼女は一瞬黙って、おそらくは内容を変えた上で、こう続けた。

 

「私があんたの過去(手綱)を奪う」

「…………」

 

 過去を──奪う。

 居た堪れなくなって、俺はロイの視線から逃げるように、再び手元のエンブレムに視線を落とす。

 白い腕に巻かれた鎖は、天から釣り下がってきているものだ。

 その腕は──その手は。

 自らの意志で、それを引き寄せるように握りしめているようにも見えた。

 もしもこのエンブレムの上に、俺のものがあれば──ちょうど、()()を全てをかき集めるかのように。

 

「く、はは──やっぱお前凄いよ、ロイ」

 

 噛みしめるように、宣言を隣で聞いたサホは笑う。ロイの言動にご満悦らしい。煙草──は取り出さず、棒付きの飴を咥える。

 

「……なんだよ」

「最高だってこと」

 

 ロイの非難めいた視線を煙に巻くような答えでかわしたサホは、俺を見た。

 生半可な答えは許さないとでも言いたげな視線だった。

 一つ息を吐いてから、俺は言う。

 

「……いいだろう。これで連邦生徒会には申請を出しておく。お前たちは、今この瞬間から──Hounds(ハウンズ)だ」

 

 彼女たちは選択した。

 俺がこの選択を、将来後悔するかどうかは分からない。

 ただ、もし仮にそうであったとしても──あいつらと同じ目に遭わせないようにするのが、きっと俺の贖罪だろう。

 俺の。

 俺の。

生徒からの矢印を作中で描写しても良いか

  • 今より少なくて良い
  • 現状程度で良い
  • もっと描写して良い
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