ハンドラー・ウォルター先生概念。   作:ヤマ

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 手綱の先は──。


1-5

 006

 

 朝である。

 砂漠化が著しいアビドスだが、住宅街は比較的住みやすい環境になっているらしい。住みやすくとも人はいないが。

 ちなみに俺は住宅街の一軒を借りている。元々は寝泊まりをアビドス高等学校で行おうとしていたのだが(街がゴーストタウンと化しつつあるため宿泊施設があっても機能しない)、ホシノがちゃんとした場所で寝るようにと近隣の空き家を貸し出してくれた。

 曰く、「住人が出ていったときに鍵を渡された家のひとつ」らしい。

 そんなものまで管理しているのか、と訊けば、管理する業者もいないから仕方なくなのだとか。

 

「起きろ、ロイ。食事の時間だ」

「ん、ぅ……。わかった……」

 

 朝食の準備をしてから別室にいるロイを起こす。

 今更だが、七瀬ロイの身柄は俺が預かることになった──と言うよりは俺が無理矢理引き取った。

 住む場所もなく、学籍もなく、そして生きていく力もないとなれば当然俺がシャーレとして引き取るしかないのだが(そもそも元よりそのつもりだったが)、これが少々一悶着あった。

 要約すれば、元ヘルメット団の少女を武器を持たぬ俺と一緒に過ごさせるというのは問題であると言う対策委員会の主張である。

 そして当の本人も対策委員会側の機嫌を損ねないためなのか、その主張を受け入れようと……いや、そうではないな。七瀬ロイは、拒否した場合俺の立場が悪くなることを考慮して監視を受け入れようとしていたのだ。

 早くも気を遣っているロイに、俺は有体に言えば意地になったと言える。

 ……この歳になって何をやっているんだと後から自戒したが、後悔はない。

 子供の配慮で守られる立場など、ない方がいいだろう。

 

「慢性的な栄養不足状態に、いきなり刺激物を胃に入れるのは好ましくない。味気ないかもしれんが、まずはスープを飲め。大丈夫そうなら固形物を取っても構わん」

 

 俺は医者ではないため、栄養失調であることは分かっても、どの段階なのかは推測の域を出ない。

 ロイに普段の食事をどうしていたかはこれから聞いていくとして、ひとまず一通りの──病人用のスープから一般的な朝食まで用意した。

 食材の方はホシノから渡されたものだが……十分な質だな。食糧事情に関してはルビコンより遙かに良い。

 

「……あんた、これ全部準備したのかよ」

 

 寝惚け眼を擦りながら起きてきたロイが訊く。……まずは顔を洗う習慣を付けさせるべきかもしれんな。

 

「ああ。と言っても簡単なものだ。好みがあれば言え。準備しよう」

「いや……大丈夫だけどさ。……その足で準備したのか」

「気にするな。慣れている」

「…………」

 

 事実、俺はハウンズたちの世話で複数人の準備をするのには慣れている。一人準備する時点で二人分に増えようと負荷はそう変わらない。

 

「……いただきます」

「ああ」

 

 椅子に座ったロイは、ゆっくりと、俺に向けて言う。随分と丁寧なものだ──ルビコンでは形骸化した風習だった気がするが、キヴォトスには宗教的なものが残っているのかもしれない。

 神に仏、か。

 行く末が決まっている俺には無縁のものだ。

 

「……っ」

 

 スープを一口飲んでから。

 ロイは、漏れ出そうな嗚咽ごと飲み込むように、他の料理へと手を伸ばし始めた。

 何かを喋ることもなく、ただひたすらに。

 

「…………」

 

 彼女のこれまでの生活を俺は知らない。そしてそれを俺は変えることはできない──過去は不変である。

 俺に何かできるとすれば、精々これからの食事内容程度だろう。

 

「よく噛んで食べろ。先程も言ったが、胃が弱っているなら無理をして食べる必要はない」

 

 ロイの返事はない。

 老人の小言を聞き入れるかどうかは分からないが、とにかく、俺は一度席を外すことにした。

 幸いにして一軒家だ。部屋さえ跨げば、他の部屋にいる人間の様子を把握するのは難しい。

 状態観察のためとは言え、食事をずっと見られているのも不快だろうし、なにより──子供が泣く姿を見続ける趣味は、俺にはない。

 

「……アロナ」

『はい、ウォルター先生』

 

 部屋から出て扉を閉めた後、俺はアロナを呼び出す。

 いつものようにシッテムの箱からアロナのホログラムが飛び出すように現れて返事をしたが、その声は普段より控えめだった。

 

「手頃な仕事はあるか。一時間程度のものだ」

『うーん……書類確認と嘆願書整理と……あ、そう言えばミレニアムからメールの返信が来ていますよ。どうしますか?』

「十分だ。……ロイが食べ終わったら準備をして出掛けるぞ」

『了解です、ウォルター先生』

 

 問題は山積みだ。

 借金に、ロイの今後、そしてシャーレの仕事。

 しばらくはアビドスにかかりきりになってしまうが、それでもシャーレに仕事は舞い込んでくる。

 仕事に忙殺されるのは何も考える暇がなく、ある意味での救いかもしれんと考える一方で、この仕事量は過労死しかねないとも思う。仮に健康的な青年であったとしてもだ。

 まあ。

 それはそれで、救いかもしれないが。

 

 007

 

 それから三日ほどは、アビドス高等学校で大きな物事は起きなかった、と言える。悪く言えば進展がない。

 ロイにヘルメット団の内情や、裏にいる人間の目処を訊いてみたものの、彼女は下っ端であったために何も知らされていないのだとか。曰く、新品と思わしき装備は上の幹部連中が持ってきたおこぼれを貰っただけで、どこから流れてきたものかは知らないとのこと。

 内情に関しては……なんと言うべきか。

 自ら犯罪に手を染める者と、行き場がないためにそうする者の大まかに分けて二通りだと言われ、そして、彼女には同じ境遇で協力しながら生きてきた人間が三人ヘルメット団に残っていると教えられた。

 まだアビドスにいるはずだから助けたい、とも。

 

 ──助けてくれるなら何でもする。

 

 朝食の後に言われたこの台詞には思わず頭を抱えた。どういうつもりかは知らないが、少なくともあの論調から察するに自分にできる範囲のことを、という生易しい意味でないのは容易に把握できたからだ。

 コップの水を掛けてでも強く咎めた方が良かったかもしれんと思うと同時、そうする資格など何処にも無いとも思う。

 ()()()()を──かつて俺は強要していたのだから。

 犯罪に対して極端に心理的抵抗がない少女の今後はどうにかしていくとして、その三人をどう見つけるかは……今後の課題として残しておく他ないだろう。

 アビドスの問題と同時に進行し保護するのがベストだが、いかんせんあれからヘルメット団の動きがない以上どうしようもないのも事実なのだ。

 

「…………げっ」

「……セリカか」

 

 そうして迎えた四日目の朝、アビドスの住宅街を歩いていると、登校途中であろうセリカに出会った。

 出会い頭に嫌そうな声を出された事で、後ろにいたロイが不快そうな雰囲気を出したが、それを自ら押し留めたのを背中越しに感じる。

 

「……おはよう」

「なっ、何が『おはよう』よ! 馴れ馴れしくしないでくれる? 私、まだ先生のこと認めてないから。……まったく、朝っぱらからうろついちゃって、いい御身分だこと」

「……は?」

「ロイ」

「…………」

 

 俺の挨拶に対して挨拶どころか小言を繰り出したセリカに、ロイが反射的に喧嘩腰になった。

 ……やはり確執は簡単にはなくならんか。被害者と加害者である以上、落ち度がこちら側にあるのは覆りようもない事実であり、これを取り返すには別の実績が必要だが……アビドスの生徒たちは非常に能力が高く、それらの助けもあまり必要としていない。

 つまり、七瀬ロイが認められるための環境がない。

 わかりやすい活躍の場がない以上、少しずつ信用を積み上げていくしかないだろう。

 

「セリカはこれから登校か」

「……私が何をしようと、別に先生とは関係ないでしょ? 朝っぱらからこんなところをうろちょろしてたら、ダメな大人の見本みたいに思われるわよ?」

 

 一言に二言以上の反抗が返ってくるあたり、年頃の娘だな、と思う。

 どんな人間であれこういった時期はあるものだが、最近関わった少女たちがどうも無警戒で好意的だったため、むしろこの反応は新鮮だった。

 

「じゃあね! せいぜいのんびりしてれば? 私は忙しいの」

「……学校に行かないのか」

「仮に行くとして、なんで私があんたらと仲良く学校に行かなきゃならないわけ?」

 

 健全な反抗期だな。

 むしろこの類の……大人の男に対しての真っ当な刺々しさをこのアビドスの環境下で持てているのは、健やかに育っている証拠である。

 その調子で精神を育んでほしいものだ。

 

「その温かい目をやめて! ……悪いけど、今日は自由登校日だから、学校に行かなくてもいいの!」

「……そうか。では、気を付けて行け。遅くならないようにな」

「──っ、ホントに、親かあんたは!」

 

 ムカつく、と。

 吐き捨てるように俺へ叫んだ後、セリカは砂埃を立てながら走り去っていった。

 

「……追いかけるか?」

「いや、いい。好きにさせてやれ。私生活に干渉する必要もないだろう」

 

 ロイの提案を俺は断った。

 親──では、ないからな。

 ある意味、最も健全な育ち方をしているセリカに干渉するよりは、深層心理に問題がありそうな他のメンバーの様子を見るべきだろう。

 ノノミ、シロコ、ホシノ……特にホシノは、側から見ていてもかなり危うい。あくまで俺の感想でしかないが、彼女の精神はどこかちぐはぐで(いびつ)に見える。

 敢えて悪い言い方をするならば、精神状態が()()()()()()ような気がしてならない。

 杞憂であればいいと切に願う──が、しかし、そんなホシノはホシノで、突発的に学生らしい、それでいて脈絡のない宣言をしたりするものだから、やはり俺に人の心を見透かすような力はないのだろう。もしもこれがホシノのカモフラージュだとすればそれは完璧な工作と評して良い。

 より簡単に言おう。

 その宣言は、俺たちがアビドス対策委員会の部室に入った瞬間行われた。

 

「ラーメン屋に行きます」

「は?」

 

 この時ばかりは、俺はロイを窘めなかった。

 

 008

 

「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンです!」

 

 店の外でも溌剌とした明るい声が届いてきた。

 セリカの声である。

 

「何名様ですか? 空いてるお席にご案内しますね!」

 

 ホシノがラーメンを食べにいくと宣言した後、俺たちは全員揃って、つまりは対策委員会全員で柴関ラーメンという店舗にやって来ていた。

 ラーメン屋に行く理由をホシノに詳しく訊いたところ、どうやらアビドスでのお勧めであると同時に『セリカがバイトしていそうだから』という動機のようだが、セリカが働いている根拠らしい根拠はないらしい。

 突発的で無計画で無鉄砲だが、学生的でもあり、少し安心した。

 まだ、俺のようではないな、と。

 

「少々お待ちください! 3番テーブル、替え玉追加です!」

 

 何にせよホシノの直感は当たったようだ。中でセリカが働いている姿を視認したノノミは、我先にと柴関ラーメンの扉を開けて店に入っていく──それに続く様に残りの三人も付いていった。

 ……取り敢えず一緒に入るしかないか。

 

「いらっしゃいませ! 柴関ラーメンで……わわっ!?」

「あの~☆ 六人なんですけど~!」

「あ、あはは……セリカちゃん、お疲れ……」

「お疲れ」

「み、みんな……どうしてここを……!?」

 

 してやったりといった表情で笑うノノミに、続いて入ってきた普段の仲間の姿に動揺するセリカ。

 アビドス対策委員会の、全体的な関係が見えた気がした。

 

「うへ~やっぱここだと思った」

「……本当に予想が当たるとはな」

「なあ、やっぱ私は帰った方が……」

 

 諦めて俺たちも店内に入る。ちなみに、ロイはホシノたちに無理矢理連れてこられた形であるためか、非常に居心地が悪そうにしていた。

 ……ただ、何であれ対策委員会から食事に誘われるようになっているのは進展と言えるだろう。

 校舎内の掃除とは言え、やはり働いたという実績に勝るものはない。

 

「せ、先生……それにあんたまで……まさか尾けてたの!?」

「うへ、先生たちは悪くないよー。セリカちゃんのバイト先といえば、やっぱここしかないじゃん? だから来てみたの」

「ホシノ先輩かっ……! うぅっ……!」

 

 あらぬ疑いを掛けられそうになったが、すかさずホシノがフォローに回ったことで事なきを得た。

 どの道この足で追跡など出来るわけもないため、セリカも反射的に言い返しただけだろうが……その直情さが悪い方向にいかないよう、それとなく様子を見る必要はあるかもしれない。

 

「アビドスの生徒さんか。セリカちゃん、おしゃべりはそれぐらいにして、注文受けてくれな」

「あ、うう……はい、大将。それでは、広い席にご案内します……こちらへどうぞ……」

 

 渋々といった様子で俺たちを店内へと案内するセリカを後目に、俺は大将と呼ばれた『犬』を見る。

 犬である。

 誰がどう見ても犬である。

 より言えば二足歩行で隻眼でユニフォームを着た柴犬である。

 さも当然のように生息?しているが、初めて見た時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。

 様々な仕事で見てきた今でこそ、彼らのような動物でありながら言語を操り生活を営む姿を目に入れたところで驚くことはないが、それでも言葉に困ることは稀にある。

 カルチャーショックとでも言うのだろうか。

 

「はい、先生はこちらへ! 私の隣、空いてます!」

「……ん、私の隣も空いてる」

 

 案内された席に順番に座っていけば、ノノミとシロコがそれぞれ俺へと視線を向けた。それだけならば良かったのだが、それと同時に困ったような視線をロイから感じたので、俺が指示する形でロイの着席を促す。

 

「ロイ。ノノミの隣へ座れ。俺はシロコの方へ座る」

「それはいいけど……何でだ?」

「体格の差だ」

「?」

「ふむ……」

 

 案内された席はテーブル席であり、片側それぞれに三人ずつ座ることができる構造になっているが、シロコの隣にはホシノが座っていた。

 つまり成人男性が座るために、よりスペースの余裕があった方を選んだに過ぎない。

 シロコは何となく察したのか、それ以上言葉を繋ぐことはなかった。

 

「セリカちゃん。バイトのユニフォーム、とってもカワイイです☆」

「いやぁー、セリカちゃんってそっち系か。ユニフォームでバイト決めちゃうタイプ?」

「ち、ち、ち、違うって! 関係ないし! こ、ここは行きつけのお店だったし……」

「ユニフォーム姿のセリカちゃん、写真撮っとけば一儲けできそうだねー。どう? 一枚買わない、先生?」

「変な副業はやめてください、先輩……」

 

 和かに進む会話。

 子供が笑う光景。

 あの世界では、稀有な景色。

 

「バイトはいつから始めたの?」

「い、一週間くらい前から……」

「そうだったんですね☆ 時々姿を消していたのは、バイトだったということですか!」

「も、もういいでしょ! ご注文はっ!?」

「『ご注文はお決まりですか』でしょー? セリカちゃーん、お客様には笑顔で親切に接客しなきゃー?」

「あうう……ご、ご注文は、お決まりですか……」

 

 平和な光景である。

 十億近い借金があるとは思えない、今を楽しむ姿を見て──未来に希望を持つ子供を見て。

 赤く灼けた空を思い出す。

 燃えなかった世界では。

 灼けた空の向こうには──未来があったのかもしれない、と。

 

「私は、チャーシュー麺をお願いします!」

「私は塩」

「えっと……私は味噌で……」

「私はねー、特製味噌ラーメン! 炙りチャーシュートッピングで! 先生も遠慮しないで、ジャンジャン頼んでねー。この店、めちゃくちゃ美味しいんだよー! アビドス名物、柴関ラーメン!」

「…………そうか」

 

 頭を振って、思考を切り替える。

 ……いかんな。過去を見過ぎていて、見え過ぎていて──現実が、霞む。

 コップに注がれた水を飲み、頭を冷やしてからメニューを見る。

 頼めと言われたが……やはり、老人には些か重い内容に見える。塩分、カロリーともにこの歳の人間には厳しいものがあるが、しかし、頼まないというのも周囲が遠慮してしまう一因となるだろう。

 …………。

 

「……ロイ。お前も好きなものを頼め。値段は気にするな」

「えっ、いや……その。……いい、のか?」

「ここ最近の様子を見る限り、胃はさほど弱っていなかった。刺激物ではあるが、十分に食べられるだろう。……思う存分食べるというのも、若者の特権だ。お前が食べたいのなら、食べていい」

 

 俺の言葉を聞いて少し逡巡したが、それでも食欲には勝てなかったのだろう。

 じ、と。

 メニューをおずおずと見て、しばらく悩んだ後、遠慮がちに言葉を紡いだ。

 

「……えっと……じゃあ……豚骨ラーメンを……」

「俺は柴関ラーメンを頼む。量は少なめでいい」

 

 ロイと俺の注文を最後にセリカが大将へ大声で内容を伝えた後、くるり、と振り返った。

 何事かと思ったが、セリカは心配そうに委員会の面々へと視線を向けている。

 

「……ところで、みんなお金は大丈夫なの? もしかして、またノノミ先輩に奢って貰うつもり?」

 

 どうやら金銭面での心配らしい。それもそのはずで、彼女たちには個人的なものではないとはいえ十億の借金がある。

 利息の返済で困窮している彼女たちの支払いを心配するのは自然なことだった。

 ……ノノミが今までの支払いを請け負っている、という部分は聞き流しておく。

 

「はい、私はそれでも大丈夫ですよ☆ このカードなら、限度額までまだ余裕がありますし」

「いやいや、またご馳走になるわけにはいかないよー。きっと先生が奢ってくれるはず。だよね、先生?」

「……元よりそのつもりだ。困窮している子供に払わせる気はない」

 

 思わず素の反応を返せば、ぱちくりと目を瞬かせてから、にへら、とホシノが笑う。

 珍しい、甘えるような笑みだった。

 

「うへ~流石だね先生、太っ腹。大人のカードでもあるのかなー?」

「大人のカードを使うような場所でもなさそうですが……先輩、最初からこうするつもりで、私たちをご飯に誘ってくれたんですね」

「…………?」

 

 ホシノの計算高さに感心するとともに、俺はホシノとアヤネが出した言葉の意味が分からず、その会話に返事をすることができなかった。

 大人の──カード?

 ()()()()()()

 クレジットカードの比喩か? いや、ノノミの『カード』とは意味合いが違うように聞こえたが……。

 

「先生としては、カワイイ生徒たちの空腹を満たしてやれる絶好のチャンスじゃーん?」

「……なあ、ウォルター……先生。やっぱり私は」

 

 俺の思考を置き去りに会話は進む。

 気付かせないかのようにすり抜ける。

 ……俺の奢りであることを理解したロイが反射的に遠慮するのを見て、俺はようやくのこと、目の前の景色に戻ってきた。

 そうして、俺が思ったことは一つだ。

 ロイの精神構造が、嫌な育ち方をしている、と。

 比較的健全な心の育ち方をしているのがセリカなら、歪んだ育ち方をしているのがロイだろう。

 この少女は、幸福や幸運に対する耐性が極端に低い。

 

「気にするなと言っただろう、ロイ。先も言ったが、食は若者の特権だ。今のうちに楽しんでおけ」

「…………わかった」

 

 そういった育ち方をしてしまった人間には、取り敢えず、幸福は幸福として享受できるということを教えなくてはならない。

 時間はかかるだろうが……根気強くやっていくしかないだろう。

 そんな対比をしてしまったロイとセリカだが、そして相性が悪そうな彼女たちの現状あまり良いとは言えない仲だが、それでも、良いことはあった。

 それは、ロイがラーメンを口にした瞬間、一切の混じり気のない感想を言えたこと。

 そして、その感想をセリカ自身が聞いたことだ。

 

「……美味しい」

「……ふん、当然でしょ。大将のラーメンなんだから」

 

 些細なことかもしれない。本当に些細な歩み寄りだが、確かに一歩、二人の距離が縮まった気がした。

 元ヘルメット団とアビドス対策委員会。

 立場の違いも、実力の違いもある。

 確執はあるだろう。

 時間も掛かるだろう。

 だが、それでもきっと、この子達は友人になれるはずだと、俺は思う。

 それは、ロイが道を選択した今でも変わらない。

 だからこそ、俺はもう一度改めて言っておく必要がある。

 俺の仕事がどういうものであるのかを。

 俺の所業がどういった結果を及ぼすのかを。

 ロイが俺の手を取ることを選んだという意味を、今一度理解しなくてはならない。

 ……いや、事実だけを記そう。

 その夜。

 黒見セリカが攫われ、そして元ヘルメット団である七瀬ロイが行方不明になった。

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