Twitterで回って来たブログ記事? に影響を受けて書いてみる。
その気になったのは、記事の筆者と僕で境遇や考え方が似ていたから。
だから書いてみたところで、似たような話になるかもしれない。ならないかもしれない。
それでも、生きるか死ぬかの線上を綱渡りしているような毎日を送る僕にとっては、自分の言葉で吐き出すことに意味があるのではないかと思い、筆を取った次第。
※作中で未成年飲酒をしている『かのような』表現が散見されますが、別に拙作はノンフィクションではありませんので。多分に過分にフィクションを含んでおります。そういう体でご一読ください。
※これを書いてるあいだは常にベロベロに酔ってます。誤字脱字衍字構成が酷かったらすみません。
※前書きに書くべきな気がする前置き。あまりに長くなったので、本文にもってきました。
前書きにあるとおり、本来はチラ裏にでもすべき日記のような代物。
ただまあ、拙作にお付き合いいただいている読者の方々にはホント、「よくもまぁ、こんなメンヘラを見捨てず更新を待ってくださるもんだな。さては菩薩だな?」みたいに思ってる節があるので、それに応える(?)意味でも「テメエの腹の内くらい曝したって罰は当たらんだろう。寧ろ、恩ある人達なんだから、真正面から対峙するためにも見せるべきでは?」と思うわけです。
腐っても物語であるダークリムと違い、ストーリー性の欠片も無い、うだつの上がらないメンヘラ三十路男の独白なんで、マジのマジに時間のある人だけお付き合いくださいましまし。
「あ、俺そういう面倒臭いのいいから。物語だけ読めりゃいいから」って方も当然おられると思いますので、そういう方はブラウザバックをお勧めします。
※前置き終わり。
僕は昔から酒が好きだった。
好きと言っても、詳しいわけでも凝り性なわけでもない。拘りも薄い。ただ、好きなだけだった。
子供の頃は、正月に振る舞われる屠蘇が好きだった。
厳密に言えば未成年飲酒にあたるのかもしれないけれど、正月の屠蘇を少量飲むことだけは、社会風潮的にも許されていたように思う。時代的なものもあったかな、とも思う。
僕の親父も酒が好きな人だった。でも強くはなかった。
工場勤めで帰りは夜遅く、あまりの疲れからか風呂は後回し。
お袋は鉄粉塗れの体でリビングに上がる親父にいい顔をしなかったけれど、それはそれ。やや古い考えの我が家では大黒柱というものは正しく立てられていたのだ。
飯は、冷奴と夕飯のおかず。それを肴にして、芋焼酎をグラス一杯ロックで飲む。
一時間ほどかけて飲み干せば完全にできあがってしまうのだから、やはり強いほうではないと思う。
血筋としては奄美の血なので酒豪でもおかしくはないのだけれど。何処生まれか知らない祖母の血で薄まったのかもしれない?
父親っ子だった僕は、親父の気を引くためにも、酒を頂戴するためにも、親父の晩飯にちょくちょく邪魔しては一口だけと焼酎を強請った。
朝早くに出勤して夜遅く帰宅し、ろくにコミュニケーションも取れていない息子が自分に懐いているのがそれなりに嬉しかったのか、親父は僕のじゃれつきを大概許してくれた。
ただまぁ、このとき舐めるように飲んでいた芋焼酎に対して僕自身に『美味しい』という感想を持ったことは欠片も無い。
そりゃそうだろう。小学生が25°超えの焼酎を飲んで「甘露甘露!」なんぞと宣ったのなら、そいつは将来自分の事を毘沙門天の生まれ変わりとか言い出して東日本で戦争ばっかりする人種だろうから、すぐに殺したほうがいい。
でも、味は不味くとも香りは好きだった。
その香りが強く記憶に残っているのか。芋焼酎を飲むと、怒り上戸な親父のなだめ役にいつの間にか収まっていた僕と、親父の、晩酌の一時を懐かしむ呼び水になっている。
そんな日々が続いて、話は少し時が飛ぶ。
若い頃の僕はお袋と徹底的に反りが合わなかったため、大学進学を期に家を出た。それも、進学先をわざと遠方にして出た。
ここで我ながら小賢しかったのは、隣県に伯母や従兄弟がいる学校を選んだことだ。
お袋は余程のことでない限り、きっとこう考えるだろう。「息子が心配だから様子を見に行きたいけれど、現実的に距離が遠い。そうだわ。近くに姉さんがいるじゃない」と。
そして伯母や従兄弟はこう考える。「隣県なら会おうと思えばすぐ会えるし、何ならあっち(僕)からも来られようもん?」と。
東京―神奈川間を電車で移動するなら30分程度ですむが、地方で県境を跨ごうと思えば、車で片道ン時間なんてのはザラだ。
要するに、感覚的には近いが実際に行動しようと思えば億劫になる、絶妙な距離だったのだ。我が人生の選択でこれほどの冴えを見せたことは、後にも先にも無いと断言する。
おかげで僕は、究極のモラトリアム期間を手に入れることができた。
さて、大学に入学したばかりの
都内の私立大ではないので新歓コンパは無い。テニサーもヤリサーも無い。合コンも無い。繰り出すクラブも無い。あるのは精々、キャンプ場とゴルフ場とラブホと海水浴場くらいなものだ。
そんな無い無い尽くしの環境に放り込まれた猿共の手元には、地方的感覚で何故かサクッと買えてしまう酒だけがあった。「じゃあ、飲むか」となるのは自然の成り行き。
ここでちと問題になるのは、僕は酒に強いのか弱いのか、という話だ。
厳密に言えば弱いのだと思う。缶ビール二缶程度で顔は赤くなる。これは完全に親父の血だと思う。
しかしペースを守って飲めば、土日の連休中ノンストップで飲み続けることもできる。これは完全にお袋の血だ。
お袋は火の国阿蘇の女である。肥後どこさ、である。要は熊本である。最初の一杯でケタケタ笑うほど酔ったかと思えば、その後はどれだけ飲んでも顔色一つ買えない
結果として出来上がった僕は、酒を楽しむのに絶妙な強さに仕上がった。すぐに酔い、多少自制すれば楽しい時間はやたら長く続く。色々と思うところのある両親だが、この酒飲みの血に産んでくれたことには感謝している。
とはいえ酒の「さ」の字も知らない未成年。
飲み方を知らない。自制なんぞ聞いたこともない。当然、酒と肴の合わせ方なんぞ知る由もない。『美味しんぼ』の世界なら、突然知らないおっさんから大喝を食らっている阿呆大生達。それが僕等だった。
そうこう言いつつも、モラトリアム真っ最中の大学生である。時間だけはある。
仲間連中で恋人がいる奴も少なかったから、いつも飽きもせず野郎ばかりで集まっては飲んでいた。外で飲むと金がかかるので、常に宅飲みだ。
何度「ここに可愛い女子でもいればなぁ……」と零したことか。
我等モテないズ(例外的に二人ほどモテイケメンが居たが)の嘆きは、何処にも届くことは無く常に虚空へ溶けて行った。
だってそもそも、田舎にゃ女っ気が無いんだ。
何故って地方の女子は、「地縁に縛られた婚姻なんぞ御免だ」とばかりに極力都会の学校や就職先を目指すので、ド田舎大に進学した猿は明らかに足りない椅子を取り合う過酷なゲームに興じざるを得ない。
そしてその椅子はいわゆるハイスペ男子から座っていくものなので、自然と我々非モテ連中は単車を転がすくらいしかやることが無くなる(それはそれとして、上京するまでは散々乗り回して楽しんだのでいいっちゃいいのだが。数少ない恋人をタンデムシートに乗せてあげられもしたし)。
時間があって酒を飲む機会が多くなれば、いくら猿だって学習はする。
何度も吐瀉物を便器に流しながら少しずつ自分の限界を知り、色々な酒を飲み比べて少しずつ自分の好みを知る。
そんなある日、群れの一匹が一本の酒瓶を持ってきた。僕にとっては運命の出会いだ。
その酒瓶は角ばっていて、赤いラベルが貼ってある。表面は英語ばかり書いてある上に、デザインも洗練されている気がする。それまで見たどんな酒瓶よりも洒落て見えた。
『BEEFEATER GIN』(ビーフィーター・ジン)
僕が今でも一番好きな銘柄だ。
先述のとおり、僕は酒に詳しくはない。ただ、好きなだけだ。
でも、それで何が悪い?
それこそ洒落臭い。
酒ってのは、楽しいときに飲んで、悲しいときに飲んで、嬉しいときに飲んで、やりきれないときに飲んで、逃げ出したいときに飲んで、泣き出したいときに飲んで、何でもないときにも飲んで。
そんでもっと楽しくなったり、悲しみを癒やしたり、喜びを倍増させたり、不条理を酒に流したり、無駄に固くなった自制心の箍を緩めて涙したり、ただただ味わったり。それでいいじゃねえのよ。
銀座の高級バーで飲んでんじゃねえんだぞ? 肩肘張って、「吾、酒に通じて御座い」とでも博識ぶらにゃ酒好きを名乗れないなんて馬鹿な話はあるめえに。
大体、GINってのは元々イギリスじゃ、労働者の酒だったんだろ? 庶民の酒をしゃっちょこ張ってあーだこーだ語るほうが妙な話に思える。
そんなわけでかれこれ15年くらいはひらすらこいつを飲み続けていた。掃除や片付けが苦手な性分なので、部屋にはこいつの空き瓶がいつもゴロゴロしてた(というかあまりの数に辟易した挙げ句開き直って、空き瓶で椅子やちゃぶ台を作ったりもした)。
各々が好きな酒を持ち寄る仲間内での飲み会にも、僕はこいつを持っていった。
連中が安価な第三の六缶パックを買う中、僕はこいつでジントニックを作って飲んでいた。この世で一番美味しい酒だと思ったし、僕に合った酒だとも思った。
トニックウォーターが切れればサイダー割やソーダ割にして飲んだし、そのうち面倒になって氷すら使わなくなった。
「氷の役割の内に『加水』が含まれるのなら、最初から一定量の水を加えれば、美味しくはなくとも味は劣化せず飲み続けられるのでは?」というクソみたいな発想から出たものだった。
と卑下しつつも、実は案外捨てたもんじゃないんだなこれが。
かなり酔ってきて頭も舌も馬鹿になった頃には、ぶっちゃけ味なんて関係ない。そんなとき、氷を使わずサイダー割りと作るとどうなるか。
まず、ジンをグラスに四半ほど注ぐ。次に水を更に四半弱(全体の半分弱)ほど注ぐ。大体4割弱埋まったら、グラスの縁までサイダーを注ぐ。
このとき、グラスの内側に沿わすように注ぐと、うまく対流が起こって先に注いだ酒と水が混ざる。ついでに下から吹き出す炭酸でも混ざる。
べろべろに酔っ払ったときには、こいつが一番面倒が無くていい。ついでに言えば、酔ってなくても疲れていて色々面倒臭く、ただ酔いたいときも、この飲み方は役に立った。
あとは、このときつるんでいた中の一人が居酒屋でバイトをしていたので、そこにも持っていった。
居酒屋で酒飲み放題コースにすると若干高い。そこでソフトドリンクの飲み放題を頼む。僕はもっぱらジンジャエールを頼んで、ジン・バックを作っていた。とはいえ素人のそれは、ジンのジンジャエール割りか「もどき」とでも呼んだほうが相応しいと思うけれど。
そして他の連中も、各自持ち寄った酒をソフトドリンクに混ぜて飲んでいた。本当に、今思えば店側に身内がいればこそ出来た荒業だと思う。
連中、大体はコーラや烏龍茶に安い焼酎やウィスキーを混ぜていたように思う。コークハイやウーロンハイのつもりだったんだろうか。
味見したことはあるけれど、合わないなと思ったので僕はジン・バック
「お前、いくら『拘りが薄い』ったって、その雑さはどうなの?」と言われそうではあるが、そもそもジンという40~47°もある酒に味を期待してはいけない。そういうのは日本酒やワインで楽しむもんだ。
ジンの一番の魅力は香りだと思う。wikiればジュニパーベリーやコリアンダーがどうと書いてあるが、社外秘なのか詳しいことはわからない。
とにかくアルコールに溶けた香草の成分が、まずは開封時に。次は注ぐ時に。更には口に含んで嚥下するときに。香る。
外にあっては空間にふわっと。内にあっては口腔内から鼻へカッと。香る。
僕はこの香りが何よりも好きだ。だからビーフィーターを始めとしたジンが大好きだ。
実を言うとこの頃、僕は酒屋でバイトをしていた。
単車に乗ればガス代が嵩む。いじりたくなれば改造費が嵩む。そしてこちとら奨学金で公立校に通う苦学生と来たもんで。
生活のためにも学費のためにも趣味のためにも、バイトをするのは当然の成り行きだった(というか、でなきゃ運転免許だって取れないし単車だって買えない)。
そんでバイト先を酒屋に選んだのは、単純に酒が沢山置いてあるからだ。働くんなら興味が湧くものに囲まれて仕事がしたいと思った。マジにそれだけ。
結果的にそのバイト先はビビるくらいの糞物件だったんだけど(客から苦情が来る接客のお局、客の見てる前で社員のミスにブチギレて往復ビンタを何度もかます店長、ビンタかまされる仕事のできなさのくせに自分のことは棚に上げてバイトには大きな顔をする社員)、思った通り酒に囲まれた職場環境だけは悪くなかった。
当時は世の中舐めたクソ大生らしく「バイトかったり~サボりて~」だなんて思っていたけれど、なんだかんだ言ってそれなりに楽しめてもいた。
品出しが好きだった。自分の好きな物が売れている、求められている、という事実が実感できて嬉しかった。倉庫から二十四缶ケースを台車にいくつも乗せて売り場に戻るときなんか、一バイトのくせに何故か誇らしかった。
焼酎の量り売りが好きだった。赤ら顔のおっさん共がデカいペットボトルを持参して、麦だの芋だの蕎麦だの米だの注文していく。その注文どおりの品を馬鹿デカいタンクから注ぐとき、香る焼酎の匂いが堪らなく好きだった。タンクが空になりかけると寂しくなって、補充用のこれまた馬鹿でかいボトルを空けられるタイミングが来ると嬉しくなった。デカいタンクは常に僕の好きなもので一杯になっていてほしかった。
接客も、今と違って精神疾患なんて抱えていなかったので得意だった。強面でパートのおばちゃんから「怒られてる顔すら怖い」と言われるほどだった僕は、苦肉の策としてビジネスオネエまで身につけた。客には案外ウケた。
もう一つこのバイト先で良かったのは、たまに試飲をさせてくれたことだ。というのも、僕が給料の三分の一くらいはこの店で酒を買って帰るものだから、スタッフでありながらお得意様になってしまったのだ。だって地域で一番安くて品揃えが良かったんだもん。
田舎の店舗はやたら敷地面積が広いのだが、それがびっしり違う種類の酒で埋まっている店だった。まめに試し買いしても全部までは手が回らないだろうなと思ったし、それは事実そうなった。
けれどまぁ、その時々の気分で色々な酒をちょこちょこ買っていたのだ。
店長としてもそんなバイト小僧に絆されたのか、たまに僕が買えないだろう高い酒を開けては、一口二口飲ませてくれた。
ちなみに、このときの経験から、僕はジンの次には蕎麦焼酎が好きだ。強い果実臭が、やや強い度数に良く合う。
時点で日本酒。上善如水みたいな、飲みやすいのがいい。主張が控えめで、飯にも合うし、単体で飲んでも美味しい。
またしばらく時間は経って。
三年連続単車で貰い事故をした僕は(追突意外で責任比率0対10があるって初めて知ったよ)、出席日数の関係からダブって奨学金が止まり、事故の慰謝料とバイト代だけで学校に通っていた。
結構苦しかった。部屋に転がる酒瓶が増えた。
とはいえそれも二年続ければ限界が来るもので。結局五年半の在籍期間を経て、僕は大学を自主退学した。
講義の歳には常に一番前の席にかじりついていた姿勢を知る多くの先生方に温かく見送られ、学部長の先生には「君のキャラクターならどこへ行ってもきっと好かれることでしょう。敢えて言います。『卒業おめでとう』」とお声がけいただいた。申し訳なかったが、その場で泣いた。帰り道では更に我慢できず泣いた。
新たな門出を祝うためなのか、過去にケリをつけるためなのか、浴びるほど酒を飲んだ。
そこからは先に上京していた兄貴を頼って僕も上京し、家に転がり込んで同居した(生活費は払って家事もしていたので、断じて居候ではない)。
仕切りも何もないワンルームに押しかけたせいで、僕も兄貴もストレスが溜まった。僕も辛かったが、兄貴には悪いことをしたと思う。酒の量は増えた。
一年ほど、うだつの上がらないバイト生活を送り恋人にはフラれ、その直前に正社員待遇で最初の出版社に採用されていたため、「自分には仕事しかない」と張り切って仕事に打ち込んだ。
結果、二年半ほどして上司のあたりがきつくなり、不眠症が始まった。ストレス解消とむりやり眠るために酒の量が増えた。部屋に転がるビーフィーターの空き瓶もドンドン増えた。
そこから鬱病と診断されるのに、然程時間はかからなかった。ついでに自律神経もイカれてると言われたし、不安症もこの頃から発症してたらしい。
精神科のカウンセリングの中で、僕が虐待を受けていたことがわかった。
自分では『少し躾けが厳しいだけ』くらいに思っていたため、衝撃的だった。「それは虐待ですよ」と断言する主治医に対し、何故か「いや、でも〇〇みたいなエピソードもあって愛されていたとは思うんですよ」と反射的に親を擁護していた。
医師に言わせれば、そういった自己防衛反応も被虐待児によくみられるものだという。
認めたくなかったのか、親、特にお袋に恨み言をぶつけたかったのか、酒ばかり飲んでいた。酒瓶が増えるというか、部屋の中に酒瓶が転がっていない場所が無かった。一時期は布団を敷くスペースすら無かったので、酒瓶を並べてベッド擬きを作って、その上に寝ていた。
酷いときは「味を期待してはいけない」と上述したジンをラッパ飲みしていた。
急性アルコール中毒で死んでも構わないと思っていたし、物語に出てくる酒浸りのろくでなしそっくりな有様が笑えたし、当時の僕には相応しいように思えて「構うもんか」と続けた。
それから、人生の運気とでも呼べるものが目に見えて落ちた。
仕事をしては病状を悪化させ療養し、金に困ってはまた働き、無理をして病状を悪化させる。馬鹿みたいな時間の使い方だ。
何でもかんでも親に責任をなすりつけるのはみっともないとわかってはいても、二つ、お袋に恨み言をぶつけたい事柄がある。
一つは障害者手帳や障害年金の申請を止められたこと。
初めて病院で鬱その他を診断されたとき、主治医には手帳や年金の申請ができることを伝えられた。「ご不安でしたらご家族に相談されてはいかがでしょう?」とも。
判断能力の欠如していた当時の僕は、馬鹿正直に実家へ電話をかけてどうしたらいいか相談した。
するとお袋は『障害』という二文字へ過敏に反応してしまったのか「私は
僕はその言葉で手帳申請は悪いことなのだと思い、思いとどまった。当然、年金もだ。これがあれば金に困ることは無かったと思われる。
もう一つは、僕が生活保護を受けることを「絶対に認めない」と言ったことだ。
行政の世話になって生きていくんだから褒められたことではないとは承知している。ただ、上述のとおり年金もなくときには生活費にも困っていた僕にとって生活保護は身近にあった選択肢だった。
しかしこの申請をすると、親族(多くの場合は親)へ『扶養するつもりは有りや無しや』という書類が届く。
実際にはここで『有り。扶養する』と回答しても、虐待を受けているなど事情がある場合は問題なく本人の希望だけで保護を受けられるのだが、それはそれとして、僕には僕の気持ちや都合を欠片も考慮しないお袋の物言いがとても悲しかった。そして手帳や年金のときと同じく、『それを選択するのはいけないこと』なのだと思い込んだ。
お袋とは反りが合わないと先述したが、それはお袋が気分屋だからだ。
機嫌がいいと僕や兄貴を猫っ可愛がりするが、機嫌が悪ければ気狂いかと思うほどぶっ叩く。マッチの燃え殻だって小学生の男性器に落とす。八時間でも正座させて延々と罵倒し続ける。
僕は子供の頃、家には熊がいると思っていた。眠っていれば害は無いが、起きていれば一挙手一投足油断は許されない。何が機嫌を損ねるかわからないからだ。
そんなお袋に、三十を過ぎてもまだ僕は振り回されている。その度にまた酒を飲む。
ただ、この頃飲んでいるさけはビーフィーター・ジンではない。ドンキやトップバリュやその他格安ブランドによって色々と名前の違う甲類焼酎の25°4Lペットボトルのヤツだ。
僕が酒屋でバイトしていた頃、「こんな不味い酒を飲むのは、人生の落語者だけだな」と密かに思っていたその酒だ。
ビーフィーターから切り替えた明確な理由は覚えていない。
金が無くなったからか、浴びるように飲むようになって、酒に申し訳ない気がしたからか。どうせ雑に飲むんだから安酒だって変わりゃしねえだろ、と開き直ったからかもしれない。
幸い今は勤め先が見つかっているが、前の新聞社を病気退職したあたりから、このクソ不味い酒を飲むようになった。
何れにせよ自分で選んで買い、飲んでいるわけだが、「変わりゃしねえ」わけはなかった。まぁホント、何に合わせても不味い。単体で飲んでも不味い。匂いを嗅いでも安っぽいアルコールの匂いしかしない。
それを飲んでいる自分を自覚する度、希死の念が強まる。
じゃあ「飲まなければいいのに」と言われそうなものだけれど、それができれば苦労はしない。
僕にとって酒の一番大きな役割として、『突発的な自殺を防ぐ』というものがある。
実のところ、僕は二度ほど入水自殺を図っている。一度目は衝動的に飛び込んだ。台風で川が増水した日だったと思う。
しかしそれなりに泳ぎが達者な僕は、無意識のうちに岸まで辿り着いてしまった。
いくらか飲み込んだ水が苦しかったのか、死ねなかったのが悲しかったのか、岸辺で喉が枯れるまでひらすら泣き喚いたのを覚えている。
二度目は、計画的に。
同じく台風で雑炊した日。手首、腰、足首が縛れる上下セパレートタイプのレインコートを着用のうえ、その中にはこれでもかと石を詰め込んだ。これで泳ごうとしても無駄なはずだ。「今度こそ東京湾まで行けるはずだ」と思った。途中にダムの類は無いと調べはついていたので。
何故そこまで入水に拘ったのかといえば、自殺では後処理が面倒だが、『失踪』なら手続きが比較的簡単に済むからだ。
『人に迷惑をかけてはいけない』と厳しく躾けられた僕にとって、アパートでの首吊りや失血死などもってのほかだった。高所からの転落死だとか、電車や車両への飛び込みも同様だ。
それに、これも被虐待児にありがちな話らしいが、虐待を受けたとはいっても、変なところで親への愛……というか渇望を捨てきれないものらしい。そういう意味において、「息子が死んだ」と聞かされるよりは「息子が蒸発して行方不明だ」と聞かされるほうがなんぼかマシだと考えたのだ。
閑話休題。
話はそれたが、二度目の結果もこうして筆をとっているのだから言うまでもない。失敗だ。
石を服に詰めたので泳げはしなかったが、氾濫直前の川の濁流というものを僕は甘く見ていた。上下左右もわからないまま、洗濯機で回される洗濯物にでもなった気分でごうんごうんと振り回され、気がついたら岸辺にできた流木のエアポケット(雪山のそれとは意味が違うことは承知のうえ)にはまって助かってしまった。
一度目は泣きに泣いたが、二度目は泣けもしなかった。
ただ、汚れた川の水が入った目や鼻腔や喉が妙に痛んだのを覚えているだけだ。
そのまま流れが弱まる朝を待って、流木を圧し折りながら岸に上がり、家までずぶ濡れのまま歩いて帰った。
自宅に帰り着いたときには、川特有の泥臭さというより、上流から流れてきたのであろう土臭さが妙に強かったのも覚えている。風呂に入って、眠った。
衝動的だろうが計画的だろうが、僕は自殺を望んで失敗した大馬鹿野郎なわけである。次にあたる『三度目』は冬の北海道にでも行って、睡眠薬をポカリと酒で飲んだうえ体に水をかけて凍死体になろうと企んでいるが、二度失敗したせいで微妙にふんぎりがつかないでいる。
障害年金が下りて生活にそれほど苦労しなくなったこともあるかもしれない。
まぁ何にせよ、偶に起こる突発的な「こんな糞みたいな人生は今すぐ終わらせなきゃ!」という気持ちを鎮め(鎮まらないが)、酩酊して物理的に体を満足に動かせなくするために酒が必要なのだ。
そしてそんな糞みたいな理由で、楽しむでもなく悲しみを癒やすでもなく酒を飲むのに、一番のお気に入りであるビーフィーターは勿体ないと思ってしまうのだ。
だからこそ、若き日の僕自身が嘲笑と共に思った4Lのペットボトル焼酎を今は飲んでいる。はっきりいって不味い。飲んでも幸せな気分にはならない。でも、時々飲む。
最近は酒を多少控えることができている。その分、気違いのように喚き散らしたり暴れまわる頻度が増えた。
酒を飲んで憂鬱になるか気違いじみた振る舞いをするか、悩ましい二択である。
以前、ここに書いたようなことを知人に話したことがある。
知人は「またビーフィーターが飲める生活になればいいですね」と当たり障りのないことを言った。僕もそう思うし、この気まずい話題で当たり障りの無い回答を導き出せただけでも大した人格者だと思う。
ただ、それでも僕は思うのだ。「別に『ビーフィーターが飲める生活』に戻れなくったって、今すぐ落雷か隕石か異世界トラックかでこの人生を終わらせてくれても構わんのだが?」と。
中二病でもなければ高二病でもないし太宰や芥川に影響されたわけでもない。
いいんだよ、もう。
疲れたんだ。
生きるべきと理由を探し続けるのも、死ぬべきと自分の内心をほじくり出すのも、疲れた。どうでもいい。何も考えたくない。誰か勝手にどうとでもしてくれ。どうせ失うものなんて持ち合わせちゃいないんだから。
そう思いながら、今日も糞不味い酒を飲む。酩酊して何も考えられなくなったその一時の浮遊感だけが救いだから。けして多幸感ではない。幸せではないから。
でも、苦しさから一時開放されれば、それは『酔う』のに十分な理由でしょう?
願わくば、このエッセイともゴミクソ自分語りとも言えるわけのわからん駄文の主のような人生を、読者の方が歩まれませんように。
ご自愛くださいね。
体だけじゃありませんよ。心もです。自分に嘘を付き続けると、どこが限界なのか自分が何をしたいのか、脳と神経がバグってマジでわからなくなるんです。そしたら幸せも何もあったもんじゃありません。
心身共に、正直に、健勝で、お過ごしくださいましまし。
そんなふうになけなしの気遣いを見せながら、今日もクソ不味い酒を飲む。
自分を落語者だと思いながら、もう多分、光り輝く未来なんてもんは無いんだろうと思いながら、飲む。
酒だけが救ってくれる。クソ不味いこいつだけが。悲しいね。侘しいね。もどかしいね。
でも仕方ない。そう言って、悲しさも侘しさももどかしさも全部酒で胃の腑に流し込む。それしか耐える方法を知らないから。そうしなければ、本当に狂ってしまうから。
だから今日も飲む。
せめて、酔い潰れてうたた寝こいた夢の中でだけは、いい夢が見られますように。
思い出でもいい。空想でもいい。一時だけ、この地獄から引き上げてくれ。