私がセカイに入り込んだ時には、既に奏はセカイにやってきていた。
その後ろにはAmiaの姿もあるが、えななんの姿は見えない。彼女は2人に託した、のだろうか。
面倒になってこなかった、という線も十分にあり得る。現段階で『雪』と一番相性の悪いのは彼女だろうから。
「…なんで、また来たの? ミクが連れてきたの?」
『雪』の確認に、ミクちゃんは首を横に振った。
彼女に追い出せと言われて追い出したものの、外から入ってくることは拒絶できないんだろうか。
この間奏と一緒にセカイにやってきた時のことは、ミクちゃんは『雪』には告げていないのか。
「私の曲を聴いてほしい。だから、会いに来た」
「…」
「私の曲じゃ足りなかったって、雪は言ってた。だから、もう一度作ったの。今度こそ、ちゃんと雪を救える曲を」
奏はそういうと、イヤホンが刺さったままのスマホを取り出して、『雪』に差し出した。
『雪』はそれを一瞥して、すぐに興味を失ったように虚空を見る。
「…もう必要ない」
その言葉に負けず、奏はずい、とスマホを前に出した。
近くまで寄られることで無視することが出来なくなったのか、『雪』は苛立った様子を見せながら、感情のままにミクちゃんに命令した。
「ミク、追い出して。…ミク、聞こえないの? 早くこの2人を…」
「聴いて」
「…え?」
「この曲を、聴いて」
これまで味方だった、絶対に裏切ることのない相手だったはずのミクちゃんにそう言われた『雪』は、裏切られたような感情を抱いたんだろう。迷子のような、すがるような眼で、『雪』は『まふゆ』を見た。
「『雪』も『まふゆ』も一緒なんだから、私が聞かなくてもいいでしょ。…そっちに聞かせて」
私が思わず苦笑すると、『雪』は私が了承してくれたのだと思い込んで、表情をやわらげた。
うん、まぁここで『雪』の言う通り曲を聴いてもいいのだけど、それを彼女が許すかどうか。
私は素早く、奏の手からスマホを取る。
「っ、まって、まふゆ! これは…」
私が聞いてはい終わり、となると考えたのか、奏は焦った様子で私から取り返そうと一歩踏み出すが、私はそれを手で抑える。
私が聞けば、きっとそれで終わり。それが私に求められている役割なんだろう。
私は『朝比奈まふゆ』に望まれて生まれたもう一人の『朝比奈まふゆ』。彼女の望むことをこなすのが、私の仕事。
だけどそれを、今日この瞬間だけ、反抗する。
これまで奏に協力してきたのもグレーラインだったけど、明確に反抗するのは今日が初めてだ。
「…聴こう、『朝比奈まふゆ』」
「『まふゆ』まで、なんで…」
「きっと私は、この時のためにいたんだよ。ギリギリまで、誰かが暗闇の中でうずくまっている少女の手をとって引っ張り上げてくれるその時まで」
私が手に持ったスマホを『雪』に差し出すと、彼女はそれを弾くように腕を振って、頭を抱えた。
危なかった。あと少し手を引っ込めるのが遅かったら、スマホを遠くに弾かれていた。
「うるさい! 私は、私は1人で消えたいの! もう放っておいて! なんで私が私の想いに反するの!?」
「…」
「…出てってよ。私のこと何もわからないくせに、私だった私も、他人も、勝手に入ってこないでよ!」
…これ以上は、彼女に奏の曲を聴いてもらえないかもしれない。
私は奏の方を振り向き、どうするのか目線で問いかけた。
一旦退却か。ただこのタイミングを逃せば次はない。このやりとりで、引けないところまで来てしまった。
私が悩んでいると、奏は『雪』の足元を見ながら、口を開いた。
「…私にも、わかるよ。雪、私たちに言ったよね。本当は消えたいんでしょって。…そうだよ、私も、本当は消えたくて仕方がない。私は自分の曲で…一番大切な人を、お父さんを、不幸にしたから」
「え…?」
「私、お父さんが作曲家だったの。お父さんは自分の音楽でたくさんの人を幸せにたいって思って、ずっと頑張ってた。私はお父さんに憧れて、曲を作り始めた。でも、私の曲が…お父さんを追い詰めた」
…持たざる者の苦悩、か。
共感はできないが、理解はできる。
世の中には、やはり才能の差というものがある。どれだけ努力しても届かない領域に、努力をしていないものが悠々と、届くどころか一歩二歩先まで飛び越えてしまうような、そんな話。
「私はそれに気づかないで、無理して笑ってるお父さんに自分が作った曲を聴かせた。…それが、お父さんを余計に追い詰めた。自分には、こんな曲は作れない…って思わせた。お父さんは絶望して、倒れて、もう曲が作れなくなった」
それが奏のせいだと言ってしまうのは、少し厳しい話だろう。
タイミングが悪かった、とも言える。
娘の才能を受け入れられるほどの余裕が、奏のお父さんには無かった。それだけの話だ。
「でも、お父さんは私に曲を作り続けるんだよって言って…だから私は…誰かを、救う曲を作り続けなくちゃいけないって思って、生きてる」
「作り続けなくちゃ、いけない…」
「どれだけ絶望している人でも救える曲を、消えたくても作り続けなくちゃいけないって」
話を静かに聞いていた『雪』は、先程から一切目を合わせなかったはずの奏の目を、しっかりと見つめていた。
「雪とは、少し違うかも知れないけど。でも、わかるよ、雪の気持ちも」
「…Kは、お父さんに呪われているんだね。でも、私はKの呪いなんてどうでもいい。そんなものに、私を巻き込まないで」
「…」
「Kは、自分が救われたいから、私を救おうとしてるだけ。必死になって、悪あがきしてるだけ。それなら、私じゃなくて、そこにいる私でもいいよね? …そんなの、お互い苦しいだけじゃない。Kだって本当は、消えたいんだから」
「それでも、私の曲が雪に届いていたって知ったから。私は少しでも可能性が残されているなら、絶対に救いたい。私の曲で、雪を。それが呪いだとしても」
そこまで言い切った奏を見て、『雪』は薄く笑みを浮かべた。
心から浮かべてる笑みじゃない。敢えて浮かべている、嘲笑じみたそれだ。
「認めるなんて、潔いね。でも、もしその曲を聴いても、きっと変わらない。少し救われて…また消えたいって想いが強くなるだけ」
あぁ。その言葉が聞きたかった。『少し救われて』。また消えたいと思うなら、また曲を作って救えばいい。未来は誰にもわからない。奏は作曲に関しては天才だ。それこそ、人一人絶望させるほどの。
ならば、いつか、救えるほどの曲をつくれるはず。
既に呪われている彼女を、更に呪うことになるかもしれないけど、もう罪悪感を感じるのはやめた。私が決めたことだろう、白々しい。
この場にいるAmiaにも、いないえななんにも、『雪』にも私にも一切関わらせない、奏だけにかかる呪いを背負わせようと、私が口を開いた時、突然叫び声が響いた。
「ふざけないでよ!!」
心臓が飛び出るかと思った。
後ろを振り返ると、そこにはいないはずのえななんが立っていた。
「え、えななん!? どうしてここに…」
「そいつに、雪に一言言いに来たの」
「言いに来たって…あの時は行かないって」
「気が変わったの。いい、雪」
えななんは、ずんずんと歩いて私たちの横を通り過ぎ、『雪』の目の前で、彼女のことを指さした。
「自分を探せないとか、消えたほうがいいとか、ぐちゃぐちゃ言ってるそいつが、心底ムカつくから!」
ビシと刺された指に動じることもなく、『雪』は動じることもなくため息を一つ吐き出した。
面倒くさいのがきた、と言わんばかりのため息に、えななんは一気に怒りゲージが振り切れたようで、声を荒げた。
「な、っんなのよあんた!?あんたは私の欲しいもの持ってるくせに、消えたいとか平気で言えるわけ!?」
「…何言ってるの? 私は何も持ってない、ずっと」
「何も、ない? …私にとってはそうじゃないって言ってんの!!」
えななんは息を大きく吸い込んで、続ける。
「あんたは持ってる! あんなにすごい作品が作れる! あんたの作品を待ってて、期待してくれる人だってたくさんいる!! 腹立つくらい、才能がある…!!」
えななんは、言えば奏のお父さんのような立場の人間なんだろう。
目指している道がある。けれど、自分の努力を平然と乗り越えていくような誰かがいる、そんな世界に生きてる。
だから我慢できない、という話なんだろう。それは半ば八つ当たりの感情に近い。
才能はなく、努力しても届かない事を知りながらそれでも努力する彼女にとって、我慢のならない状況なのだろう。
「あんたの曲が、頭から離れない! あんたみたいな勝手なやつ大嫌いなのに、あんたの曲はもっと、もっと聴きたいって、思ってる! 嫌いなのに、嫌いなのに…! 心のどこかで、雪に消えてほしくないって、もっと雪の曲が聴きたいって、思ってる…!」
まだ言い足りないのか、えななんは若干酸欠になっているような様子を見せながら、息を吸い込んでまだ吐き出す。
「才能があるなら、才能がない人の分まで作り続けなさいよ! 消えるなんて…絶対に許さない!」
「…私の曲がすごいから、なんなの。そんなの、どうだっていい。私が欲しいのは、そんなのじゃない、他人からの称賛じゃない。私はただ、見つけたかっただけ。でも、そんなのムリだってわかったから、もうどうでもいいの」
「…はぁ、はぁ」
運動を大してしていないのか、えななんは息切れしていた。感情に任せて叫んだ結果、体がついてきていない。
「あなたには、わからないかもしれないけど」
「…っ、雪、あんたね…!」
これで、2人目の本音を聞けた。
後はAmiaだけだ…と考えて彼女の方を見ると、Amiaも自分の番だと理解しているのか、話始める前に私の方を見てウインクをした。
「そっかそっかー。ボクは雪の気持ちちょっとわかるな~」
「Amia?」
唐突に話を始めたAmiaに、えななんが驚きの声をあげた。
「ほら、天才だろーがお金持ちだろーが、カワイイ子だろーが。キツいことてあるし? 雪が他の人からしたらどんだけすごい曲を作れても、一番欲しいものが手に入らないなら、雪にとては意味ないと思うんだよね~」
そこまで言い切ると、Amiaは一旦目を閉じ、次に目を開けた時には表情を消して、冷たく言い放った。
「だからボクは、雪が消えたいなら好きにすればいいと思うよ。ボクたちがいろいろ言ったところで、雪の問題はきっと、雪にしかわかんないんだからさ」
「……なら」
「…でもさ、なんとなくボクたちって似てるような気がしたんだ。周りに少しずつ自分の形を変えられそうになってるところとかさ。それに抵抗したり、受け入れたりして…そうやって必死になってるうちにつかれて、全部どうでもよくなっちゃう。…そんな感じが、似てるなって」
こうしてAmiaの声をちゃんと聞くのも初めてだが、改めて彼女を見ていると、多少誤魔化しているものの、もしかしたら、彼女は『彼女』ではないかもしれない。
これは本人がどう思っているかとかは抜きにした判断なので、実際に本人が思っている性が、どの人の性になるとは思っているけれど。
「あんまり、この気持ちをわかってくれる相手っていないからさ。だからボクは…雪がいなくなったら、ただ寂しいって、思うよ」
言いたいことは言った、と言わんばかりに、Amiaはそれ以降黙り込んだ。
3人の話を聞き終えた『雪』は、苦しそうに言葉を口から吐き出した。
「勝手なことばかり…勝手に嫉妬して、勝手に共感して、勝手に救おうとして…。やめてよ…もう、十分でしょ。その対象が誰でもいいなら、ちょうどいい存在もいるんだし。私は消えたい。それが本当の想いなの」
「それでも、私は雪を救いたい」
「…っ、もう、疲れたの…! 希望があるかもって、まだ、見つかるかもって思うのが…。だったら…だったら、最初から見つからないって思えてた方が楽だった。苦しまずに済んだのに! もう、救われるかもなんて、思いたくない!!」
まふゆの号哭に、全員が押し黙る。
涙は出ていない。けれど、心が泣いているんだと、嫌でもわかっただろう。
それでも、目をそらさない。彼女を救うために立ち上がった彼女は、止まらない。止まれない。
「探しても、違うって、絶望して…これ以上、もうどうしようもないじゃない…!」
「…私が作り続ける」
「…え?」
「この曲で本当に救えなかったとしても、救えるまで作り続ける。雪が自分を見つけられるまで、ずっと作る」
「何を、言ってるの?」
「ずっと作る。お父さんの呪いだとしても…私はもう、私の目の前で、誰かが消えるのを見るのは嫌なの」
あぁ。見込んだとおりだ。
そして、これは予想外でもある。なにせ、えななんが現れるまで私が背負わせようとしていたものを、奏が自ら背負っていくのだから。
少し考えればこうなる可能性も十分にあり得た。何せ今目の前で起こっている。
押し付けているのは間違いない。奏の人間性に甘えている。でも、これで目処が立った。
「…Kだって、本当は消えたいんでしょう…?」
「うん、そうだよ。…だからもし、私が絶望して、消えそうになったら…その時は雪が、まだ見つかってないって、言ってくれればいい。…そう言ってくれたら、私はずっと作り続けられるから」
「なに、それ。…自分が何言ってるのかわかってるの? そんなの、もう一つ呪いを増やすようなものじゃない! 私が私を見つけられるまで、Kはずっと曲を作り続ける? そんなの…!」
「うん、わかってる」
「なんで、そんな…」
「これは…私の、ただのエゴだよ。どの道私は、ずっと曲を作り続けなくちゃいけない。だから、雪の分が増えたって、問題ないよ」
誰かを救うための曲を作り続けなくちゃいけないのだから、結果的に奏の負担になってはいない、という話だ。それが本当にそうなのかは置いておくとして。
奏の想いが伝わったのか、『雪』は口を開きかけて、閉じて。また開いた。
「見つかるまでどれだけかかるかも、そもそも終わるのかもわからない。それでも………それでも、本当にやるの?」
「それでも。私は作るよ」
この雰囲気の2人の間に入るのは少々勇気がいるが、私は意を決して、手に持っていた奏のスマホを、奏に差し出した。
奏も一つ頷いて、スマホを受け取ってそのまま『雪』の方へと向けた。
『雪』は、今度こそ振り払わずに、手に取った。
「必死になって、ばかみたい。…本当に…。…なら、もう少しだけ、探してみるよ…」
「…雪」
「本当に、ずっと作り続けてくれるんだよね」
「うん。…大丈夫だよ、雪。絶対に、いつか救って見せるから」
奏の言葉に頷いた『雪』は、イヤホンを右耳だけにつけて、左耳用の部分だけ持ったまま、なぜか私の方へと歩いてきた。
何の用だろうか。…まさかとは思うが。
「あなたも私なんだから、これを聞くべき」
「えっと…そうは言っても、もう別人ぐらいにはなったんだし…私は別にいいんじゃないかな」
立つ鳥跡を濁さず、というわけではないが、これからの『朝比奈まふゆ』に私が入り込むつもりはない。
それも、記念の第一歩とも言える曲を一緒になんて。
遠慮しているわけじゃないのは、きっと伝わっていると思うけど。
「…? でも、元は私でしょ。なら、まとめて奏がいつか救ってくれる」
「でも、私は後から生み出された存在なんだから、私が消えた後、『朝比奈まふゆ』の事を救ってくれれば全部解決すると思うんだけど?」
「もう別人ぐらいになった、自分でそう言った。なら、私だけが救われてもあなたは救われない」
…反論の手札がなくなってしまった。
頭の回る、特に自分が相手だと非常に手強い。そもそも、仮面とは道具なのだ。手入れはすれど、救おうとまでは思わなくてもいいだろう。
予想だにしない状況に、思わず奏の方を向いて助けを求めると、奏は笑みを浮かべて頷いた。
「さっきも言ったけど、もう1人増えたところでどうもならないよ」
…誰か助けて欲しい。
「はぁ。なんとかなったのかな。それにしても、雪ももう一人も、めんどくさいヤツ」
「ま~ま~。でもよかった。えななんも、そう思うでしょ?」
「…さぁね」
〈♪〉
『雪』の問題がとりあえずひと段落した、というタイミングで、奏がそういえばと口を開いた。
「OWNの曲、全部聴いたよ」
「…そう」
「やっぱり全部、雪がいた。雪の音がしたよ」
「そっか。…今度、教えてくれる? 私の音って、どんな音か」
「…! うん、教える」
Amiaは、よかったと。えななんは、しょうがないヤツと。奏は、ひとまず前に進めたと。各々が笑みを浮かべる中、唐突に私の背後からミクちゃんが現れた。
「よかった。…本当の想いを見つけられたんだね」
心臓が飛び出るかと思った。
気配を感じさせずに私の背後に回るのは流行っているのだろうか。
「これでやっと、一緒に歌えるね」
思わず、私たち5人で目を合わせる。
歌うとは、いったい何の話だろうか。
「本当の想いから、歌が生まれようとしている。ほら」
ほら、と言われて何が起きるのかと身構えていたのだが、しばらくして聞こえてきたのは、歌だった。
もしかして、このどこかからか聞こえてくるこの歌が、想いから生まれた歌、と言うのだろうか。
どういう原理だ、と思うがもうそれは禁句なのかもしれない。そもそもこのセカイすらどういう原理なのかもわかっていないのだから。
「…この歌が、私の本当の想い…? でも私はまだ、何も見つけられていないのに」
「ううん、まふゆは見つけられたんだよ。セカイが…そして歌がここにあるのが、その証拠」
今の話で、なんとなく理解した。
また、というとあれだが、これも無意識的な話なんだと思う。
自覚していないだけで、言葉に出来ないだけで。
まだまふゆが、自分の大切なものを、言葉に出来ないだけで。
「ここに…私の想いが…」
「うん。だから、一緒に歌おう」
「…うん。ミク、ありがとう」
「…うん。さあ、6人で歌おう」
てっきり『雪』が歌うのだと思い込んでいた私たちは、唐突にこちらに話を振られて顔を見合わせる。
「え? なんで私たちまで…って、あんたも当事者なんだから、こっちにいるのはおかしいでしょ」
「あはは、つい…」
「本当の想いは、あなたたちがいなければ見つけることができなかった。3人とも、ここに来てくれてありがとう」
「まぁ、私は別に、雪に文句を言いに来ただけで…あ、別にあんたには文句ないわよ? 絵だって褒めてくれたの、あんたでしょ?」
「おお、デレなんだ~。来てくれてありがとね~えななんっ♪」
「…Amiaに言われるとイラっとくるんだけど。ていうか、誰がデレなんよ!」
「え~? ひっどーい!」
すっかり調子を取り戻した2人がナイトコードでのようなやり取りをし始め、苦笑しながらそれを眺めていると、奏が私の前まで来ていた。
「歌おう。みんなで」
右手には、『雪』の左手。そして今、左手には、『まふゆ』の右手。
…両手に花ならぬ、両手に朝比奈か。
「奏は、欲張りさんだね?」
「え? …確かに、救える人は全員救いたいし、そう言われると欲張りなのかも…」
決してそういう意味で言ったのではないのだが。
私が言いたかったことは奏以外には伝わっていたようで、Amiaとえななんが肩をすくめていたのが、視界の端に映った。
〈♪〉
歌い切った次の瞬間、瞬きをした時にはもう、自分の部屋の中で、椅子に座っていた。
PCを起動してからセカイに行った記憶はないのだが、目の前の自分のPCは確かに起動していて、ナイトコードのボイスチャットに参加していた。
メンバーは、全員揃っている。
「戻ってきた! みんな、いる?」
「うん、ちゃんと戻ってる」
「…雪は…」
その名前は間違いなくナイトコードでの名前だけど、この場面で呼ばれているのはきっと私じゃないと感じた。
ただの勘だけど、きっと間違いじゃない。
私のそんな考えが通じたのか、『雪』が表に出てきて、声を発した。
「…いるよ」
『雪』がいることを実際に声を聞いて気が抜けたのか、奏の緩い声が聞こえてきた。
「…よかった」
実際、今日この日まで気の休まる時間はなかっただろうし、その反動でこうなっているのだから、とやかくは言えない。
私自身もぼーっとしていると、唐突にAmiaが大声をあげた。
「あー! みんな、共有フォルダ見てみて!」
「うるさっ。急に叫ばないでってば…共有フォルダがどうかした…って。…『Untitled』のファイル名が、変わってる?」
ニーゴで使用している、ナイトコード内の共有フォルダ。
私たちがセカイに行くために再生していた『Untitled』は唐突にこのフォルダ内に生えてきたものだったのだが、今は既に、その名前が勝手に書き換わっていた。
「悔やむと書いて、ミライ…?」
あのセカイで歌った曲の名前が、きっとそれなんだろう。
何を悔やんだ結果、それをミライと呼ぶことになったのかは、その字通りなのだろうな、と思う。
ただ、それはこれまでの話。これからどうなるかは、まさに奏の双肩にかかっている。
「…ミクは、本当の想いを見つけたら、想いから歌が生まれるって言ってた」
「じゃあこれがさっきの…」
そして、少しの無言。あの時は全員、初めて聞いた曲のはずなのにすらすらと歌っていたものだが、疲れはたまっていたのだろう。
えななんがひときわ大きな息を吐き出した。
「何にしても、これで一件落着ってこと? あ~、疲れたー…。…ほんと、雪のせいで大変だった」
「とかなんとか言って、わざわざ駆け付けたクセにー♪」
「だからそれは雪に一言…実際には三言…四言ぐらいだったけど。言ってやりたかっただけだから。…今もムカついてるけど。…でもま、またよろしくね。雪」
「うん! おかえり、雪!」
「…うん」
本当に、ニーゴのメンバーが全員年齢の近い少女で助かった。
彼女たちはまだ大人のように擦り切れておらず、多少すれていても十分修正可能な、思春期真っ只中な子供だ。
だからこそ、彼女たちの叫びは心に響く。想いは届く。…これは予想だけど、大人になって、成熟していくにつれて、セカイに来れなくなっていくのだろうな、と思う。
いっせいにかもしれないし、順にかもしれない。始まったばかりのことの終わりを今から考えるのは、少し早すぎるかもしれないけど。
「…もう朝になるから、解散しよう。早めに休んで、また明日から、次の曲を作り始めたい」
もう朝になるのに、早めに休むことは不可能ではないだろうか、と思ったのだが、そういえばこのサークルは25時から集まり始めるのだった。
特に奏にとっては、日が昇るまではまだまだなんだろう。不健康そうな指だったし。
「そうだね。あと実際すごい眠いし…ふわぁ」
「それじゃあ…」
今日は解散か、と考えたところで、Amiaから待ったが聞こえてきた。
まだ何かあるんだろうか。
「どうしたの、Amia?」
「あのさ、ボクからちょっと提案があるんだけど…」
そうしてイヤホンから聞こえてきたAmiaの話は、実際に会おう、という内容だった。
簡単に言えば、オフ会、というもの。セカイであっているとはいえ、この中で実際に会ったことのあるのは奏と私なのか。
次の曲を仕上げた後で、というわけでもなく、明日…もう日付は回っているから今日か。それぞれ学校の終わった放課後に、どこかで集まらないか、という提案だった。
既にセカイで顔を見ていたためか、特に否定的な反応もなかったため、Amiaの案は即決。場所は全員がいける場所にあるファミリーレストランになったのであった。
「それじゃあ、今度こそ、解散で」
奏のその一言で、各々一言労いの言葉をかけて抜けていく。
Amiaが抜けて、えななんが抜けて。最後に私たちも抜けようと、通話退出をクリックする直前に、『雪』が告げた。
「K」
「…雪?」
「…ありがとう」
「…うん」
そして、今度こそ通話退出をクリックして、イヤホンを耳から抜いた。
私が体を動かしている感覚はない。今は『雪』の時間だ。まぁ、彼女の裁量でどうにでもなるそれだけど。
「まだ、期待してていいんだね…」
…いくらでも期待するといいんじゃないかな。奏も、それを良しとしていそうな雰囲気があるし。
「…私に黙って消えるつもりだったでしょ」
うん、まぁ。あるべき状態に戻るだけだと思ったんだ。元々はそうだったんだし。
「…次そんな様子を見せたら、わかってるよね?」
…ちょっと、怖すぎるかも。
オフ会の話は考えてないので、これで完結です。
閲覧頂きありがとうございました。