進撃の赤い巨人   作:ヤン・デ・レェ

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革命家 エルヴィン

 

 

 

コンコン

 

深夜、霧の中から現れた数人の人影が、スミス家のドアをノックした。

 

幼いエルヴィンは、不穏な物音に飛び起きて、そっとドアの隙間から、父が数人に囲まれて家を後にする光景を目に焼き付けていた。

 

我が子が見ていることに気が付いた父は、自分を取り囲む数人に数言、一度家の中に戻ると、エルヴィンに言った。

 

「エルヴィン、部屋に戻りなさい。大丈夫、何でもないさ。大丈夫だから」

 

エルヴィンは動きたくなかった。恐ろしい、何か恐ろしい現実に直面しているのだと、幼いながらに疑わなかったからだ。

 

だが、父は彼に戻れと言った。

 

「大丈夫、明日には帰って来るよ。大丈夫」

 

父に抱かれて、部屋に戻されたエルヴィンは、父の手を離そうとしなかった。

 

「約束だ、エルヴィン、明日…また歴史の時間がやってくる頃には、元の通りさ」

 

父はそう言って、彼をベッドに寝かせてから、再び玄関の方に向かった。父の背中が見えなくなるまで、エルヴィンは震えながら、ドアに手を伸ばした。

 

もう、戻らないのではないか?自分が、自分の所為なのではないか?

 

そんな思いが脳裏を過り、エルヴィンは泣けばいいのか、叱られればいいのか…なぜ自分ではなく父なのかと、そう思えてならなかった。

 

エルヴィン・スミスは、深夜のノックが、それ以来嫌いになった。

 

 

 

 

 

 

 

あれから三日間、父は帰ってこなかった。

 

逆を言えば、三日後に父は帰ってきた。

 

文字通り、何事も無かったかのように。

 

怪我も病気もしていない。健康そのものの父が、深夜のノックと共に帰ってきた。

 

「エルヴィン!ただいま…遅くなったね、すまなかった…」

 

父はドアを開けるなり、私のことを抱き締めてそう言った。泣きながら私に謝る父を、私は驚きと共に受け入れた。

 

抱き返しているうちに、涙が浮かんできた。

 

どうして?とか、なんで?とか…色々な言葉が浮かんでは、音にならずに落ちて行った。

 

手の平から、指の間をすり抜けて落ちて行く言葉を、私は必死に拾い集めた。

 

「三日も、帰ってこなかった、なんで?怖かった」

 

「僕の所為なの?父さん…そうなの?ごめんなさい、もう何も言わないから。だからもうどこにも行かないで」

 

私は泣きながら父に縋って、それから父に何度も謝った。

 

何が悪かったのか、理解していなかったとしても、自分が何か悪いことをしたから、だからこんなに怖い目に遭うのだと考えるのは、子供の私にとっては自然の成り行きだった。

 

「あぁ、エルヴィン、私が悪かった…でも、もう大丈夫。大丈夫なんだ。大丈夫なんだよ、エルヴィン。だからもう、泣かないでおくれ」

 

父は私を抱き上げて、ベッドへと運んでくれた。私は抱き上げられて、急いで涙を拭きながら、鼻声で頷いた。

 

「もうどこにも行かないで」と、何度も言う私に、父は本当は何があったのか教えてくれた。

 

父はあの日、憲兵に拉致されていた。

 

理由は恐らく私が教師である父に対して、壁内人類の歴史について疑問をぶつけたからだろう…。

 

私に真摯な答えを与えるべく、歴史への疑問を携えたままの父を、壁内の秩序を守る組織は認められなかったのだ。

 

父は拉致されて、本来ならばあのまま…。

 

だが、そうならなかったのが現実だった。私のような、何も知らない子供にさえ理解できるほどに、甘い現実だったんだ。

 

なぜ?どうやって?どうして?誰が?誰の為に?

 

矢継ぎ早に疑問が浮かんでは、帰って来たばかりの父に、私は一つ一つぶつけていった。

 

父はその一つ一つに、子供にも理解できるように心がけながら答えてくれた。

 

「あの日、父さんは恐ろしい目に遭った。だが、幸運にも親切な方が助けてくれたんだよ…お前も、大人になれば会う機会があるかもしれない…だから、もしもその時が来たら、コーバさんにお礼を言っておくれ…お陰で父さんは今もここに居てやれる。お前の傍に居てやれるんだ」

 

「コーバさん?」

 

「そうさ、コーバさん…実は父さんも会ったことはないんだ。でも、その人が助けてくれたお陰なんだ」

 

「コーバ、さん……」

 

『コーバ』という顔も知らぬ誰かのお陰で、父は窮地を脱していた。

 

あの晩、憲兵に拉致された父は一度憲兵団の本部へと連行され、そこで二日間の尋問を受けたのだという…だが、拷問が始まる直前に、帽子をかぶった鋭い目つきの男性の手引きを受けて、憲兵団の手から解放されたのだという。

 

名前も知らない恩人に、「せめて名前だけでも」と父が迫ると、別れ際にその男性が言った言葉が「礼はコーバに言え」だった。

 

『コーバ』が誰なのか、父にも私にも見当がつかなかった。だから、その場でこの話はおしまい。恐ろしい負の記憶として、だが不思議な幸運に助けられた記憶として…この事件は私に深い印象を与えながらも、幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

父が拉致され、壁外への興味が強まったあの日から十数年後。

 

私は調査兵団に入団後、あの『コーバ』という言葉が特別な意味を持つことを知った。

 

それは地下街で頻発する組織犯罪を調査する過程で、出くわした…聞き覚えのある『コーバ』という名前の人物について、上司に訊ねたのが最初だった。

 

「その『コーバ』とは、何者なんでしょうか?」

 

「今、地下街で有名になってる破落戸の親玉さ…随分な美人らしいぞ。だが同時に危険な奴でもあるらしいと、専らの噂だ」

 

実に十数年ぶりに聞く名前だった。

 

普通なら何かの偶然だと思い、聞き流せただろう。

 

だが、私にとってあの日の記憶は特別な意味を持っていて、看過できない理由があった。

 

「私はまだ、『コーバ』にあの日の礼を言っていない」

 

壁内人類の歴史に疑問を持つことが罪だと、そんなことはあの日に理解していた。

 

だが、そんな常識を飛び越えて父を救った謎の人物への謝意を、私は頑なに持ち続けていた。

 

「ありがとう」と一言伝えたかった。

 

そして、その日から私は地下街に入り浸るようになり、独自の調査を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

当初は誰も私が聞いたところで『コーバ』について口を開くことはなかったのだが、私に彼への敵意が無いことが伝わると、地下街の住人たちは実に饒舌に彼について語ってくれた。

 

「『コーバ』は地下街の太陽さ!地上で蔑ろにされても、地下街じゃあ『コーバ』が照らしてくれる」

 

「困ったことがありゃ『コーバ』に頼むことだ。彼は必ず助けてくれる。アンタも、心配せずともそのうち会えるさ」

 

「地下街で『コーバ』に礼を言わない奴はいない。皆彼に借りがある」

 

『コーバ』という個人が、地下街で他のどんな大物よりも浸透している事実に気付いた頃、私はもう一人の恩人に、思いがけない形で出くわすことになった。

 

それは私が『コーバ』の調査に乗り出してから半年が過ぎたころだった。

 

深夜、地上に戻るために地下街の出口へと向かっている時だった。出口で私の行く手を阻む様に立つ、帽子をかぶった、背の高い鋭い目つきの男が現れたのだ。

 

「お前がエルヴィン・スミスだな?『コーバ』に用事があるんだろう?礼を言いたいとは殊勝なことだ…好いぜ、逢わせてやるよ」

 

そういうや、男は私を何らかの方法で昏倒させた。視界が真っ暗になり、手枷がはめられたのが分かった。

 

「拉致されている!!」と思った。

 

生まれて初めての経験に混乱を禁じ得なかったが、同時に『コーバ』が、私の知る『コーバ』なのか…本当に父を救ってくれた誰かに会えるのかと…そんな密かな期待を胸に抱いていた。

 

手荒い歓迎だったが、丁寧に担がれて、椅子に座らせられると、次の瞬間には視界が光で満ち溢れた。

 

「初めまして、エルヴィン・スミス君…俺はヨシフ・ヴェトー…人は皆俺をコーバと呼ぶ…それで、私について嗅ぎまわっているとのことだが…私の何を知りたいのかね?」

 

長いテーブルの真向かいに、黒髪の男が座っていた。緑と橙が複雑に溶け込んだ虹彩を持つ、特異な男だった。

 

だが、彼の美しい外見以上に、彼の放つ居心地の良い雰囲気のような…人はそれをカリスマと呼ぶ…何かが私を圧倒した。

 

針の筵の状態で、私はそれから小一時間、地下街の大物たちが集う集会に参加させられた。

 

議題は私をどのように処分するのか…といった具合だったが、いよいよ危なくなる寸前で、終始無言だった彼が、『コーバ』が私を救ってくれた。

 

「まぁ、まぁ、方法はともかく…物騒な話は止そう」

 

合言葉はこうだ。「アンタがそれを望むなら」だ。

 

地下街の大物たちのことは既に知っているものと思っていたが、やはり『コーバ』の存在感は別格だった。

 

彼が言えば、一時間近い談義が振出しに戻ろうとも誰も気にしないのだ。そんなことは関係ないのだ。

 

私は感動に近いものを感じていたが、一方で、この日までに調べて知り得た情報を浚い、目の前の彼こそが私の探してきた『コーバ』であるのか、最後の確認を取りたかった。

 

「ドン・ヨシフ・ヴェトー…いいや、ここではコーバとお呼びすべきかな…私は貴方の思想に興味があって、ここまで辿り着きました…どうか貴方の思想について、直々にご教授願いたい」

 

私はコーバにそのように頼み込んだ。頭を下げること暫く。彼は口を開いてくれた。

 

「人間に許された最高の行為は何だと思う?俺は、そうだな…美しいものを集めることだと思う」

 

「美しい物?」

 

「あぁ…そうだ。色々あるだろうが、結局そこになる。で、だ。美しいものはなんだ?と聞かれれば、俺はこう答える。『癒し』と『救い』だとな」

 

「『癒し』と『救い』…?」

 

「そうだ…何かから『解放』されるとか、『自由』になるとかってのは…要するにそういうことだ。俺は、『解放』されたい。今、物凄くな。そんで、どうしようもなく日の光を目一杯浴びたいんだ」

 

「『解放』…『自由』…」

 

「そうだな、俺にとって今、求める美しいものは太陽だ…この地下街は辛気臭くていけないぜ。早い所、新鮮な空気と、それから眩しい陽の光が必要だと思うね」

 

「それが、貴方にとっての思想なのですか?」

 

「あぁ、そうだな…思想と言えば思想だ。俺は革命家なんでな…」

 

「革命家?…なるほど、そういうことかッ!?」

 

「どうした???」

 

「ようやく理解できたッ!…なるほど、だからあの日…貴方は私の父を…」

 

「ど、どうしたどうした…??」

 

誰しもが言っていた。

 

『コーバ』こそが地下街の王だと。

 

『コーバ』こそが地下街の太陽だと。

 

『コーバ』こそが地下街の希望だと。

 

だが、果たしてそれは正しいのだろうか…正しい。だが、それも一側面から見た時に現れる、『コーバ』という巨人を語る上での一部分でしかないことに、私はようやく理解が及んだのだ。

 

革命家と言う言葉が鍵だった。そうだ、革命だ。

 

『コーバ』は自分を革命家だと言っていた。ならばあの日、この世界の秩序を乱した父と私を救ってくれたのにも納得が行く。

 

地下街で隠然たる力を放つ『コーバ』と言う名が確認されたのは今から十年以上昔に遡ることが出来る。そして、全てが革命の成就の為だったとすれば…壁内人類の真の前進、即ち『解放』による『自由』の為の王政打倒運動だったとすれば、その活動の一端に、秩序の静かなる破壊が含まれていてもおかしくはない。

 

あの日父と私は、その人類が真に前進する為の運動の、一助となっていたのではないだろうか?

 

壁内の歴史と言う視点から…私と父は革命に貢献してしまったのかもしれない。そう思えば、私たちの幸運は、ある意味で必然のものだったのかもしれない。

 

『コーバ』…それは未来へと進撃する革命家の名前だったのだ!!

 

父さん!やったよ!やっと、私たちの恩人に会えたんだ!!恩人を見つけたんだ!!

 

私は歓喜した。そして、その歓喜のままに彼にお礼を伝えた。ずっと伝えたかった思いの丈を伝えた。

 

「同志コーバ…貴方のお陰で、私の父は今も健康で生きている…ありがとう。ありがとう…貴方が、革命家の貴方が居てくれなければ、その勇気と覚悟がなければ…今頃、父も私も生きていられたのかわからない…心からお礼を…有難う。有難うッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから気が付けば既に五年近くの月日が経っていた。

 

あの日、私はその場で彼の『解放』思想に…壁内人類の真の前進の為の運動に殉じることを誓った。そして、持ちうる壁内と壁外の情報を全て彼に預けてから、身柄を解放された。

 

私は身軽だった。これまでになく、清々しい気持ちだった。

 

家に帰り、あれから十以上も年を取った父に、このことを報告した。どこに耳や目があるともしれない壁内で、私は父と密かに…あの日、父が真実を教えてくれたように秘密を共有した。

 

父は言ってくれた。

 

「エルヴィン。ありがとう…私の代わりに、『コーバ』にお礼を伝えてくれて…ありがとう」

 

父はそう言って、目を潤ませた。

 

私は自分のことが、生まれて以来、この瞬間が最も自分を誇らしく思えた。

 

私は言った。

 

「父さん!壁内は変わるんだよ!これから同志コーバの手で、彼と共に歩む私たちの手で、変えていくんだよ!」

 

そうだ!私たちは壁内人類の全身の為に進撃を続けるのだ!全ては『解放』されるために!この世界と、望まない運命と未来を変えるために!

 

同志コーバと共に、私達は戦い続けるんだ!!

 

 

 

 

 

 




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