キィィィィィン!!
金属バットと硬球が衝突して生まれた音は、とても澄んで聞こえた。
――――ホームラン。
その宣告は、俺の放った渾身の一球が外野スタンドに吸い込まれるように消えていくのと同時だった。
奇跡の逆転劇に、湧き上がる相手ベンチのメンバー。
対照的に、この世の終わりかと思える程に全員が俯いている俺のチームメイト達。
試合の終了を容赦なく告げる笛の音。
待ってくれ。今のは何かの間違いなんだ。
もう一球だけ、もう一球だけ投げさせてくれ。
これで何もかも終わりだなんて、嘘だ……
しかし、俺が何を思おうとも、現実は何も変わることはなく。
俺の夏はあっさりと、甲子園に辿り着くなど夢のまた夢として終わった。
野球に不真面目に接していたつもりはない。
始まりは、小学生の頃に見た動画サイトのCM。そこで見たなんたらとかいう投手のモーションがカッコよくて、親にせがんだのが始まりだったっけ。
それから今までの10年間、俺の人生の隣には野球が常にあった。
部活は毎日真面目に出ていたし、高校では背番号をもらってスタメンの投手にまでなることができた。
ただ、真面目に接していたかと言われると、自信はない。
高校は普通に受験勉強で、ギリギリ受かっただけの所へ行った。特に強豪校から推薦が来ることはなかったからだ。
入った高校は、野球部がそこまで強い訳ではなかった。地方大会で一回戦を勝ち上がれれば上出来という、その程度の。
投手としてスタメンを取れたのも当たり前で、ただただ同じ学年には投手が俺一人しかいなかったというだけだった。
部活は休むことなく真面目に取り組んでいた。ただ、遅くまで自主練をしようとしたり、現状を改善しようとしたりは特にしなかった。
結局、俺の人生の中で、野球というものの位置は、その程度だったのだろう。
真面目に取り組みはするが、熱血にやるものではない。
楽しくはあるが、上を目指すものではない。
何で続けていたかと聞かれれば、きっと惰性だったのだろうと今では思う。
幸いなことがあるとするならば、夏休みに野球部員全員で執り行われた三年お別れ会では、泣くことができたことだろうか。
なんせその会は、部員全員を詰めると手狭なカラオケボックスの中で、一人一人がマイクで高校生活の思い出を語りながらボロ泣きするような会だったのだ。
「野球部最高!!」 「お前らと出会えて良かった!!」みたいな涙声が響く中、俺一人だけ涙を流さないのは、空気が悪くなってしまいかねない。
惰性でやっていたなりに、思い出や感情の積み重ねがあった事に、内心でホッとしたもんだ。
しかし、そのお別れ会で俺の高校野球人生は終了。
あとは高校生活の思い出を胸に、大学受験に思考を切り替えていかなければならない。
お別れ会であれだけボロ泣きしてた元野球部員達だって、一週間もすれば明るい笑顔で受験勉強のことや志望大学のことについてしか話さなくなったし。
だから俺も、野球漬けだった人生からはもう、切り替えていかなければいけない。
いけない……はず、なんだ。
「――――それで、話ってなに? 元エースさん」
灼熱の夏からあっという間に時間は過ぎて、九月。
俺は、元マネージャーの
桐島は四角いメガネ越しに、俺のことを値踏みするような視線で見つめてくる。
俺の意図を測りかねているのが半分。もう半分は、他に誰もいない屋上に男女が二人きりという状況を早く脱したいな、といったところか。
……いかんな、緊張してくる。
「いやさ、大した話じゃないんだけどさ、ハハっ。その、夏休み明けてから、桐島と一度も話、してなかったなって。桐島はアレからげんk」
「私とアンタ、世間話するような仲じゃないでしょ。さっさと本題入りなよ」
緊張を誤魔化したくて振った話題を、桐島はとりつく島もなく一刀両断する。
……いいじゃないか、ちょっと世間話をするぐらい。
「それとも、本当に世間話がしたかっただけ? なら帰る。私、アンタと違って暇じゃないの」
「わー、待った待った!! するする!! したかった話、ちゃんとするから!!」
まるで俺の心境を読み取ったかのように、ホントに帰ろうとした桐島を慌てて呼び止める。
俺だって、別に桐島と談笑がしたくて呼んだ訳じゃない……っていうか、桐島が誰かと仲良く談笑をしているところとか想像がつかない。
桐島は休み時間にはいつも一人で机に向かってガリガリ何かをノートに書いてて、その鬼気迫る様子に誰も声をかけられないし。
野球部でマネージャーをやっている時にも、部員にかけてくる声が顧問より厳しくて、『氷のマネージャー』なんて呼ばれたりしてたっけ。
……つくづく恐ろしい相手を呼び出したもんだ。でも、今から話すことを聞いてもらう相手としては、彼女が適任なのだからしょうがない。
「えー、その、なんだ。俺……大学、行くことにしたんだ。高校の内に、プロになれなかったし」
「……そっか」
仕方なしに切り出した話に、桐島はスッと表情をなくす。
何も言わないのはきっと、彼女なりの気遣いだろう。
正直、この話にはどんな反応をしてもらっても困るところだったから、その気持ちが今はありがたかった。
桐島は俺が唯一、「俺は高校生で華々しい結果を上げて、プロになるんだ!!」と言ったことがある相手だった。
きっかけはたしか、甲子園を見てみたい、とか彼女がぽつりと呟いたことだったはず。独り言みたいなその言葉に、俺がマネージャーの夢を叶えてやるとか力強く返して、その流れで言ったんだったか。
彼女はその時、俺の言ったことを決して馬鹿にしなかった。それどころか、『そっか。頑張れ』と応援の言葉をかけるぐらいだった。
……そうだ。馬鹿にしなかった。
それだけで、彼女が適任なんだ。
「いやほら、マネージャーとして、元エースの行方が気になるかもしんないかなって。急に消えたりとかしたら、同窓会とか呼びづらくなるだろうし、だから、」
「……2度目。そんな話したいんじゃ、ないでしょ?」
「……ごめん」
一度言葉を口にしたら、立板に水の勢いで溢れ出てきた俺に対して。
はぁ……と。吐いた呼吸がでっかく見えるんじゃないかって程の、でかい溜め息をつく桐島。
彼女は今度こそこちらに失望しそうな視線で、ジロリとこちらを見やる。
……多分これ以上は許してくれないんだろうな、話を引き伸ばすことを。
「……あのさ。桐島は、さ……」
意を決した……つもりで、俺は声をとっても震わせながら口を開く。
一度言葉を発したら、決定的に戻れないのが、怖くて仕方ない。
だけれど、なんとか言葉を続けることに、成功した。
「俺が、大学でも野球を続けるって言ったら……おかしいって、思う?」
あぁ、言った。言って、しまった……
と。俺としては、一大決心のつもりで吐いた言葉だったのだが。
「……? 何それ。やりたいなら、やればいいじゃん」
あまりに言葉が足りなかったようで、桐島は首を傾げるだけだった。
俺の心境など知ったことではない、と言わんばかりに冷淡なその物言い。俺の心境は、安堵が半分でもう半分が傷心といった、実に複雑な気持ちになった。
「野球好きなんでしょ、アンタ」
……特に、最後に付け足された一言には、余計に気持ちをかき乱された。
その一言に、首を縦に振っていいのかわからないから、俺はここにいるんだ。
えぇい、これ以上気持ちがぐちゃぐちゃになってしまう前に、早く言ってしまえ……!!
「いや、そうじゃ、なくて……大学でも。引き続き……プロを目指すって、ことです……」
「……………」
勢いをつけて言ったつもりの言葉は、それでも口にしている内に尻切れすぼみになって。
そんな情けない言葉だったが、桐島にはちゃんと届いたようだった。
俺が桐島に言いたかったこと。
俺が、諦められずにいたこと。
不真面目な俺が、それでもまだ野球選手を目指したいと……野球で生きたいと。
高校生活を終えてなおそう思っていること。
その想いが、消えてないということ。
それを、彼女に告げたかった。
その上で……馬鹿にせず、否定して欲しかった。
元チームメイトは全員、とっくに受験勉強に頭を切り替えているからあまり話したくない。
親に話すのは、もし馬鹿にされたらと思うと、言う勇気が出ない。
だから、この話をするなら桐島だった。
大爆笑なんてしたことがない彼女なら、否定するにしても淡々としていると思ったから。
何より……俺の夢を唯一聞いてくれた彼女の言葉なら、素直に受け入れられる気がしたから。
だから、言ってくれ。
現実的ではない夢なんて、見るのは止めろって。
そしてどうか俺に、無茶な理想を諦めさせてくれ……
「へぇ、いいじゃん。頑張りなよ」
彼女はいつも通りの、淡々とした調子だった。
それでいて、桐島は……俺を、応援してくれた。
高校生活の初め、俺を応援してくれた時のように。
「え……」
全く予想だにしてなかった反応に、俺はしばし固まってしまう。
なんでだ。どうして、そんなことが言えるんだ。
俺の高校野球は……全部見てただろ、お前は。
俺がプロになれない理由なんて、沢山見てきたろ。
どうして……
「……どうしたの? アンタはまだ、頑張りたいんでしょ。違うの?」
「あ、あぁ……そうだな……」
――――咄嗟に返事をして、直後にハッとした。
俺、今、何て返した?
『そうだな』? 頑張るよって、そう言ったのか?
俺は……諦めたいんじゃ、なかったのか……?
「……頑張りたい」
内心で焦る俺を他所に、続く言葉はスルリと口から飛び出た。
口にしてみたら、思ったより遥かにその言葉は、俺の胸に染み込んでいく。
「頑張りたいよ、まだ……頑張りたい、んだよ……!!」
最後の方は、半ば叫ぶように言っていた。
その時になってようやく、心と身体が一致した感覚を得た。
そうか……頑張りたいのか、俺は。
自分では何もかもが足りないという現実を知ってなお。
ここから先は、惰性だけでは達成できないと気づいてなお。
他人から見たら、見苦しいと分かっていてもなお。
もう少しだけ、やりたいって気持ちは……残っていたのか。
「じゃ、いいじゃん……頑張んなよ。私も、頑張るからさ」
桐島は、なんでもない事のように言う。
その顔は、相変わらず表情なんて浮かべてはいなかったけれど……心なしか、笑っているような、そんな緩んだ印象を感じた。
初めて見る。
そんなに気を緩めて、思わず気軽に話しかけてしまいそうな彼女は。
「……頑張る? 桐島、何かやってったっけ?」
……思わず、さっきの言葉を聞いて抱いた疑問をそのまま投げかけてしまった。
普段なら、気になってもスルーするって言うのに。
「あー……しまった。けど……いいか。アンタが勇気出してくれたから、私も話すよ」
どうやら、桐島にとっても失言だったらしい。
少し申し訳なくなるが、吐いた言葉は取り消せないので黙って続きを伺うことにする。
……正直、興味はあるし。
「その……文藝賞、狙ってるんだ、私。じ、自分の書いた……小説、で……」
「小説!? 桐島、小説書いてたのか!?」
あまりに想定外だった返しに、思わず大声を出してしまう。
「バカ、声がでかい!!」
「す、スマン……」
桐島は顔を真っ赤にしながら、同じぐらいの声を出して怒ってきた。
自分が悪いのは明らかだったので、ほとんど反射で頭を下げて謝る。
……ってか、桐島、顔を赤くすることあるんだな。初めて見たぞ、部員に自慢できるだろうか。
「……ただ、私も正直、アンタのこと偉そうに言えた義理じゃないよ。何回出しても大賞に選ばれなくてさ、段々イライラしてきてて……やめようかって、思いかけてた。さっきまで」
「え…………」
顔を上げると、淡々と自分のことを語っている桐島は、屋上からどこか遠くを見つめていて。
その横顔はどこか、悲しげに見えた。
……情報があんまりに多過ぎて咀嚼するのがやっとなんだが、俺としては。
ただ、そう言われて、納得できる部分はある。
俺は、休み時間に鬼気迫る表情でノートに向かい合っていた桐島を思い出す。
あれは、その文藝賞? に出す作品を何か書いていたのかもしれない。
今にして思えば、その表情は集中していたというより単にイライラしていた、のだろうか。
「だけど、アンタが私に、勇気を出して告白してくれた時。私、自然にアンタを応援してた。アンタが、頑張りたいって言ってる姿を見て……私も、頑張りたいって思ったんだ」
「ちょ、ちょっと待て!! き、桐島、それじゃまるで……」
「……?」
鏡写しなんじゃないかってぐらいに心当たりがある言葉に、俺は思わず驚いた。
なんということだ。
それじゃあ俺達は、互いに励まし合っていたっていうのか。
桐島に、俺が自分の気持ちを語った時に、内心で思っていたことを説明する。
……流石の彼女も驚いて、聞き終わった時は口元に手を当てていた。
「……何それ。考えてること一緒すぎでしょ、私達」
「まぁ、そうだな……ははは、ははははっ!!」
お互いに悩んでいたことがこんなに簡単に解決する奇跡が、なんだか面白くて。
気持ちを抑えられなかった俺は、声を出して笑っていた。
桐島もきっと、隣で笑っていたんだと思う。
笑って、笑って……スッキリした俺達はやがて、その屋上を後にした。
――――その後、高校卒業後も変わらず夢を追いかけた俺達だったが。
果たして夢が叶うのが、何年後の話になったのかは……また、別の話だ。