空翔ける鶴のように
・プロローグ
私は憧れていた。
手をいくら伸ばしても決して届くことのない、煌めかしいあの星に。
きっとあそこから見る景色は全てが見えるのだろう。
飛ばしていた艦載機がその星と重なったところで私はかざしていた手を握った。
その時、瑞鶴が翔鶴の下にやってきた。
「翔鶴姉、帰投だってさ行こう?」
「ええ、今行くわ。」
私は握った手を開いてそれを見る。
そこには当然何もなかった。
「その欠片すら手に入れることは叶わないのね。」
誰にも聞こえない声で囁いた。
最後の艦載機を着艦させて翔鶴は振り返る。
そして、既に帰投を始めていた艦隊を追いかけるように進み始めた。
・黄昏の鶴座
「今日はすまなかったな翔鶴。」
私が一人で埠頭にいると聞きなれた声がした。
振り返るとそこにはワイシャツの袖をまくった提督がいた。
「いえ、艦隊の事を考えればあの判断は妥当だと思います。」
「装甲空母だとしても、中破状態では満足な戦闘はできなかっただろう。」
翔鶴はなびくその白銀の髪を手で押さえながら、星空へ視線を戻す。
「おとりになっても艦隊の皆が敵を沈めてくれるなら、私はそれで本望なんです。」
提督は私の近くまで来るとそこに腰を下して、帽子を脱ぎ横に置いた。
「君と瑞鶴は二人で一つだ、君が落ちれば瑞鶴も落ちる逆も然りだ。だからそんなこと言わないで欲しい。」
「そんなこと言ってくれるのは提督だけですよ。」
翔鶴は視線をそのままに呟いた。
「誰も口にしないだけで皆そう思っているよ、きっと一航戦や二航戦もね。」
「...。」
「そんなに自分に自信がないかい?」
「私は昔に先にマリアナ沖に沈んでいますから、たった一人の妹であるあの子の窮地に助力することすらできずに。」
提督は口を開く様子もなく空と海が交わるその一点も眺めている。
「エンガノ岬ではあの子は善戦していたと聞きます、私もあの場に居合わせることができていたらあんな暗く冷たい感覚を味わわずに済んだかもしれません。」
「でも今は違うだろう?立派に姉として瑞鶴の力になっているよ。」
「そうでありたいですね。」
提督はフッと笑みを浮かべると脇からウイスキーを取り出した。
「一杯付き合ってくれないか?今日は少しばかり忙しかったのでね。」
「ええ、気分転換にはなるかもしれませんし。」
翔鶴は提督の横に腰を下してその瓶を提督の手から取った。
「お注ぎします。」
「悪いな。」
翔鶴が提督のグラスにウイスキーを注ぐと、提督は翔鶴が手に持っていた瓶を取り返してきた。
「今度は俺の番だな。」
そう言って翔鶴のグラスにも同じそれが注がれた。
「ありがとうございます、提督。」
二人はお互いにグラスを軽く掲げてからグラスに口を付け始めた。
「けほっけほっ...!」
「翔鶴には少し強かったか?」
「すみません、でも今日はこれくらいの方がいいかもしれません。少し酔いたい気分なので。」
「そうか。」
「ええ。」
二人の頭上には満天の星空が広がっていた。
聞こえてくるのはさざ波の音とグラスにぶつかる溶けかけた氷の音だけ。
「翔鶴がよくここにくる理由が分かった気がするよ。」
ふと、提督が口を開く。
「その心を伺っても?」
ちょっと煽るような笑みで翔鶴は提督の方へ顔を向ける。
「心が洗われる気がする。当たっているか?」
翔鶴はまたその空へ視線を戻す。
「正解と言いたいところですけど、五十点ですね。」
「じゃあいつの日かその半分を聞かせてくれるか?」
「そうですねきっと。」
二人は暫くそのままその場に佇んでいた。
少し肌寒い秋の季節が吹かす風の中で、星屑が落ちていたことにも気づかないまま。
・正反対の二羽
瑞鶴と私は光と影の様なものだと思っていた。
もちろん瑞鶴が光で私が影。
「翔鶴姉っ!」
「私は大丈夫だから、顧みず前進して!」
硝煙の香りが漂う戦場では余計にそれを実感する。
「何言ってるの!見捨てるわけないじゃん!」
瑞鶴の重荷になるのは嫌。
「まだ艦載機は飛ばせるわ、援護はするから瑞鶴は敵に集中して!」
毎回、私が先に被弾する。
警戒を怠っているわけじゃない、でも私なのだ。
瑞鶴が主力で私がサポートをする、いつもの戦場。
「提督さん、艦隊が無事母港に帰投しましたよー!」
「MVPは...瑞鶴か、あの敵艦隊相手によくやったな。」
「当ったり前じゃん、全部アウトレンジしてやったわ!」
瑞鶴はとても嬉しそうで自信満々な顔をしている。
私はそれを見ているだけで嬉しかった。
大切な妹が活躍しているのが誇らしかった。
私は脇役でもいい、それで艦隊が勝利できれば、妹が無事であればそれで。
提督がチラっとこちらを一瞬見た。
私はそれに気が付いたが、気づいていないフリをした。
「報告ありがとう、各自補給と入渠を済ましたら休んでもいいよ。」
それを聞き、皆が執務室を後にする。
私も静かに踵を返した。
「翔鶴はちょっと残ってくれるか?」
その一言でドアへ向かっていた足がピタっと止まる。
「何か御用でしょうか?」
提督は客人様に用意されたソファーに座ると、同じように対面のソファーに座るように手で促してきた。
私はそれに応えて、ゆっくりとそのソファーに腰を下ろした。
「それで、何か...?」
「気にしているのか?」
翔鶴の手がピクリと動く。
「何をでしょう...?」
「言い方を変えよう、自分が艦隊の役に立っていないと思っているのか?」
私にとってそれはストレートな言い方だった。
「微力ですが役に立っているかと。」
「ならば、どうしていつも作戦報告の際は必ず浮かない顔をしている?」
そんなことはないと口に出そうとしたが、声にはならなかった。
作戦が成功したとしても、少なくとも笑顔ではないと思ったからだ。
「艦隊が勝利を納めて帰ってきたということは、その艦隊全員の努力で勝ち取ったということだ。」
「はい...。」
「誰か一人の栄光でもなければ、誰か一人の失態があったわけでもない。」
翔鶴の手に少し力が入る。
「作戦の中で小さな失敗があったとしてもそれは問題じゃない、勝利で皆が無事に帰ってこれたんだそんな憂いた顔をしないでも大丈夫だ。」
「...。」
提督は息を吐きながら背もたれに身を預けた。
「今日はそれだけ理解してくれればそれでいい、時間を取らせてすまなかったな。」
「いえ、お気遣いありがとうございます。」
最後まで翔鶴は顔を上げないまま執務室を後にした。
提督はソファーから立ち上がると、机の上にあったティーカップを手に取って窓際に移動した。
「流石にもう冷めてしまっているな。」
執務室に電話の音が鳴り響く。
もう冷めたそれを一気に飲み干すと、提督は受話器を取った。
・不明瞭なくちばし
「射形がなっていないわ、そんなんだから的を外すのよ。」
「うるさいわね、加賀さんだって的の中心を外しているじゃない!」
瑞鶴が揚げ足を取るように言い返す。
「横で騒いでる五航戦がいたから気が散っただけです。」
加賀は相変わらずにすました表情で次の矢を準備している。
「なんですってぇ!」
そして弦を限界までふり絞って矢を放った。
タンッ!
矢は的の中心に完璧に刺さっている。
「鎧袖一触ね。」
加賀はしてやったと自慢げに瑞鶴を見た。
それを見た瑞鶴は悔しそうな顔をしながら、どこか粗を探している様だった。
「あの二人はいつになっても相変わらずね。」
弓道場の少し離れた位置で隣に座っていた赤城がポロっと口をこぼす。
その表情はどこか微笑まし気なものだった。
「ええ、なんだかんだ言っても瑞鶴は加賀さんのことを心の中では尊敬しているんです。」
赤城はそれを聞いて嬉しそうに笑顔をこぼした。
「加賀さんも瑞鶴のことは認めているのよ?口には出さないけれど。」
二人は顔を見合わせて少し笑った。
「あの二人、もしかしたら似ているのかもしれませんね。」
「お互い素直になれないところがね?」
二人はまた笑った。
間があって、赤城が背を正した。
「二人とも成長したわね。」
赤城は昔を懐かしむような目で遠くを見ていた。
「ええ、瑞鶴も加賀さんも本当に頼りになります。」
「え?」
疑問形の返事が赤城から帰ってきて、翔鶴は何か変な事を言ったのかと不安になった。
赤城は戸惑った表情から、優しい笑みに表情を変えて翔鶴に向き直った。
「二人っていうのはね、翔鶴と瑞鶴あなた達の事を言っているのよ?」
正直、驚いた。
あの一航戦の赤城さんからそんな風に思ってもらっていたことに。
「私もですか?」
「そうよ、最初はすごく危なっかしかったのに今では艦隊の主力にまでなって。」
「瑞鶴はともかく、私までそう思ってくださっていたんですね。」
赤城は私の左手をそっと手に取った。
「装甲空母になって、今までなら撤退するような被弾をしても進撃を求められることもあるでしょうに。」
「それが私たちの長所でもありますから...。」
「他の空母では考えられない辛い場面が多い中であなた達は多くの戦果を挙げ続けている。」
「そんな...指示通り戦っているだけですよ...。」
「それでもその役目はあなた方、五航戦の二人にしか担えないわ。」
私はつい俯いてしまう。
それでも赤城は言葉を続けた。
「自信をもちなさい翔鶴、あなたはとても優しくとても強く成長したわ。」
「でも...私は...。」
「翔鶴!!!」
弓道場に赤城の張った声が響き渡った。
赤城は立ち上がっている。
あの温厚な赤城の大きな声に加賀も瑞鶴もこちらを見て固まっている。
私はついその声に顔を上げて、声の主の方を見た。
「あなたほどの力を持った艦娘がいつまで下を向いているつもりなの!」
「あ...。」
赤城の雰囲気に声が出ない。
「もし本当に変われないというのなら、今すぐ瑞鶴の隣を私達に譲りなさい。」
「赤城さん、少し落ち着いてください。」
加賀が止めに入った。
あの加賀が赤城を制するだなんて相当の事なのだろう。
瑞鶴はまだその場でうろたえていた。
「加賀さんは黙っていてください。」
そう言った赤城の眼光に思わず加賀も一歩下がった。
「答えなさい翔鶴。」
「私は...。」
何も言葉が浮かんでこなかった。
瑞鶴が無事に帰ってくるならその隣は頼りになる他の誰かでもいいと思った。
「そうですか、それがあなたの答えですか。」
赤城は静かにそれを言い残してその場を去った。
翔鶴の頬に涙が伝う。
それは決して叱責されたからではなかった。
少しでも誰かに瑞鶴を託してもいいと思った自分の情けなさからだった。
・閉じた羽
あの一件から、私は瑞鶴と共に出撃することはなかった。
きっと、赤城さんが提督に進言したのだろう。
私がいたあの場所は、一航戦や二航戦の四人がローテーションで務めている。
一方の私は待機が続く日々を送っている。
廊下の窓には雨粒が滴っていた。
その水滴が落ちて窓の淵にたどり着く様子を見て思った。
落ちて決して上にいくことのないそれは私の様だと。
「今日の夜は星が見えなさそうね。」
窓の雨粒を指でなぞりながら呟いた。
そこへ今日は非番の飛龍が歩いてきた。
私は軽く会釈をした。
「翔鶴じゃん、ほんと聞いた通りだこりゃ。」
やれやれといった様子で飛龍はそう言った。
聞いた通り...か...。
大方の予想はつく。
私はまた窓に視線を戻しながら口を開いた。
「皆さんにはご迷惑をおかけして申し訳ないと思っています。」
「申し訳ない...ね。」
飛龍はポンッと手を叩くと私の手を取った。
「じゃあ、そのお詫びに鳳翔さんのとこ付き合ってよ?」
「え?ええ、それくらいなら構いませんが...。」
「そうと決まれば善は急げだ!」
そうして私は二航戦の飛龍さんと二人で鳳翔さんが切り盛りしている小料理屋まで来た。
鳳翔さんは珍しい組み合わせねと驚いていたが、事情を知ってか奥の小部屋に案内してくれた。
私達は靴を脱いで、お互い向き合うように座った。
私はいつもの癖で視線を下げる。
「翔鶴と二人っきりだなんて初めてだねー。」
「そうですね、いつもは空母の皆さんがいますから。」
ふと前を見ると、飛龍は翔鶴の顔を覗き込むように前のめりで見つめてきた。
「ど、どうかしましたか?」
「いやー、やっぱり翔鶴は笑ったらすごいかわいいと思うんだよね。」
突然の誉め言葉に恥ずかしいよりも先に驚きがきてしまう。
「い、いきなりなんですか、私よりも瑞鶴の方がかわいいですよ!」
飛龍は一瞬ポカンとした。
「あっはははははは!」
次には大きな声で笑い出した。
「何かおかしいこと言いましたか私...。」
「いやー、本当に瑞鶴が大切なんだね翔鶴は。」
「当然ですよ、たった一人の妹なんですから。」
「当然ねえ...。」
飛龍は髪の毛を指でいじりながら少し考えている様子だった。
そうしていると鳳翔さんが日本酒と料理を何品か運んできてくれた。
鳳翔さんは私と飛龍さんに日本酒を注いでくれた。
「ありがとうございます。」
「いいのよ、二人ともゆっくりしていってね。」
そしてまた二人っきりに戻ったのにも関わらず、飛龍さんはまだ髪の毛をクルクルとしている。
「あの...。」
「翔鶴。」
「あ、はい。」
突然名前を呼ばれて反射的に返事をしてしまう。
先ほどまでとは一転して、飛龍はまっすぐな目で翔鶴を見ている。
「さっき当然って言ってたけど、最近の瑞鶴があまり笑わなくなったのに気が付いてる?」
「え?」
初耳だった。
「やっぱ気が付いてなかったかー。」
「そんなに以前と違いますか?部屋ではそんな風には―――。」
「無理してるに決まってるじゃん。」
翔鶴の言葉を遮って飛龍が言葉を紡いだ。
「翔鶴はさ、瑞鶴の隣に立たなくてもいいって思ってるのかもしれないけど、瑞鶴はどう思っているか考えた事あるの?」
「あ...。」
無かった。
瑞鶴の無事を思ってはいたが、瑞鶴の気持ちまでは。
「気付いた?」
まったくといった様子で飛龍は翔鶴を見ていた。
それは呆れよりも手のかかる後輩を見る目だった。
「翔鶴は私たちに迷惑なんてかけてないよ、私たちは暇な時間が少し減っただけだもの。」
私は目の前のお猪口に入っている日本酒を見ていた。
今まで気付くことのできなかった自分の心を体現するかのように、その表面は揺れていた。
「瑞鶴のためを思っていたことが、逆になって...。」
「そ、瑞鶴には翔鶴が必要なんだよ。」
なんて恥ずかしいんだろう。
私のしていたことは瑞鶴を苦しめていた。
姉として妹を思っているつもりになっていた。
「すいません...!私、行ってきます!」
翔鶴は靴を履くと、走って店を出て行った。
「いってらっしゃい、翔鶴。」
飛龍は手を振ると、手の付けていなかった日本酒を一気に飲み干した。
「あー、結局一人酒かあ~。」
「ふふふ、ちゃんと先輩してて偉かったですよ。」
そこにはもう一つ猪口を持った鳳翔がいた。
「鳳翔さん、ちょっと付き合ってよー。」
「そうですね、今日は早めに店じまいにしましょうか。」
・再起の翼
「失礼します、提督。」
ノックをして執務室に入る。
その息は切れていた。
提督はファイルを開いて書類を眺めていた。
「どうした翔鶴、呼んだ記憶はないぞ。」
「私を戦線に復帰させてください。」
翔鶴の目に曇りはなかった。
寧ろ以前よりも確固たる意思を感じさせる目をしていた。
提督はパタンとファイルを閉じて、手袋を脱いで机にそろえて置いた。
「待機に飽きたか?」
腕を組みながら質問を投げかけてきた。
私は俯きながらではなく、提督の目をまっすぐ見据えて答えた。
「いえ、提督は以前おっしゃいました。私達は二人で一つだと、あの子一人でも私一人でもダメなんです。」
「ああ、確かに言ったな。」
「私はあの子を落とすつもりも、私が落ちるつもりもありません。私達は再会したその日から、お互いに守り抜くと決めているんです。」
これが私の正直な気持ち。
瑞鶴の隣は私だ。
これはたとえ一航戦にも譲ることはできない。
「だそうだ。」
提督が隣接されている仮眠室の方向へ視線を向ける。
ドアがゆっくりと開く。
そこに姿を現したのは瑞鶴だった。
全部聞いていたのか、その目には涙が浮かんでいる。
「え?瑞鶴...どうして?」
「翔鶴姉...。」
瑞鶴はスカートの裾を両手で握りながら、こちらを見ている。
私は思いもしない人物に戸惑いを隠せないでいた。
「遅いよ...!」
そう言って、瑞鶴は私に抱きついてきた。
まるで今までの空白を埋めるように。
「ごめんなさい、瑞鶴。私が間違っていたわ。」
私は瑞鶴を優しく包み込んだ。
たった一人の、私のかわいい妹を。
「もう、いなくなってりしないで...。」
瑞鶴は私の胸で泣きじゃくっていた。
「ええ、約束するわ。」
「うん、約束...。」
私達は今、本当の意味で姉妹になれた気がした。
瑞鶴は私が守る、他の誰でもない私の手で。
私はそう誓った。
「コホン。もうそろそろいいか?」
「「あ。」」
「すいません提督...。」
「提督さんごめんなさい...。」
しょうがなさそうな顔をした提督が椅子にもたれてこちらを見ていた。
「ところで何故あそこに瑞鶴が?」
「何故じゃなくて瑞鶴が執務室にいたところに翔鶴姉がきたんだってば。それで、提督さんが少し隠れていろって。」
「そういうことだ。ところで戦線復帰の件だが。」
私達は背を正して提督に向き直る。
「許可しよう、それに近々大型作戦があるから元々復帰させる予定ではいたが、懸念点も今しがた消えたところだ。」
「提督、ありがとうございます。」
「二人には期待している。」
「「はい!」」
翔鶴と瑞鶴はお互い微笑みながら執務室を後にした。
コーヒーに口を付けながら提督は窓の外に目をやる。
弓道場から出てくる加賀の様子が見えた。
ノックの音が鳴る。
「どうぞ。」
「失礼します。」
「来ると思っていたよ、お互いとんだ役者だったな赤城。まあ座ってくれ。」
「では、お言葉に甘えて。」
赤城はソファーに腰を下した。
「砂糖じゃなくミルクだったか?」
「はい。」
提督は慣れた手つきで飲み終わった自分のおかわりと、赤城の分のコーヒーを淹れる。
「これは俺からの労いだ。」
そう言い、提督は赤城の前に一杯のコーヒーを差し出した。
・片翼の鶴
大会議室には大勢の艦娘が集められていた。
何故かといえば大本営から大型作戦が発表されたからだ。
久々の大型作戦に艦娘たちもざわついている。
定刻より数分遅れた後に大会議室の扉が開き、提督とそれに続いて大淀がファイルを手に入室してきた。
艦娘が全員起立し、提督に敬礼する。
「楽にしていい。」
その言葉で艦娘達が着席する。
「作戦の概要を説明する。」
「ウチが請け負う作戦はシンプルだ、味方主力艦隊が敵主力艦隊に無傷で到達できるように護衛をすることだ。」
めっちゃ簡単じゃない?ちょっと拍子抜けかも。
艦娘達がざわつき始めた。
「静粛に!」
大淀がハリの声を大会議室に響かせる。
「油断するなシンプルが故に苛烈だ。味方主力に敵艦隊の攻撃が及ぶことは絶対に許されない。」
「敵をこじ開ける前衛に一航戦と金剛型四名の水上打撃部隊を、後衛には様々なサポート力が必要になるため二航戦と扶桑型二名それに飛鷹隼鷹を配置する。」
「了解!」
「両翼だが...最も陣形で要となるここには左翼に翔鶴、右翼に瑞鶴を旗艦とする空母機動部隊を展開する。やれるか?」
「提督さん、瑞鶴にまかせて頂戴!」
「必ずやり遂げて見せます。」
「ここが抜かれては主力の腹をつかれることになる、必ず戦線を死守せよ。」
「「了解しました!」」
「それでは各自配置に付け、解散。」
提督に敬礼を一斉にし、それぞれ配置に向かっていく。
「瑞鶴、後で必ず会いましょう。」
「うん!翔鶴姉もがんばって!」
私は瑞鶴と拳を合わせてお互いの持ち場に移動した。
海はいつも通りの様相だった。
額の白い鉢巻が海風になびく。
大きく息を吐くと、翔鶴は艦隊に向き直った。
「これより左翼空母機動艦隊は味方主力と速度を同じにし、敵艦隊を撃滅しながら進撃する。艦隊、前へ!」
「了解!」
艦隊は距離を一定に保ちつつ海域を進み始めた。
味方領海を出る少し前に、私は熊野と鈴谷に偵察機を一定間隔で交互に飛ばすように指示をした。
近海を抜けてからは深海棲艦が少しづつ顔を出し始めた。
しかし、空母機動部隊という大艦隊の前には無力に等しく沈んでいく。
暫く進んだあたりで主力の艦隊速度が落ちた気がした。
主力が...?
少し疑問に思ったが、そのあたりで敵遊撃部隊が姿を現わせた。
「艦隊、交戦用意!」
その掛け声で艦隊が展開され、砲撃体制に入る。
「敵編成は分かりますか?」
私はその時に偵察機を飛ばしていた熊野に声をかける。
「姫及び鬼級が二隻、あとは戦艦級2隻の水上打撃部隊だと思われますわ。護衛艦が少し多いくらいですわね。」
「分かりました。」
それを聞き、左翼部隊全員に無線を入れる。
「艦隊、第四警戒航行序列へ!敵艦隊を撃滅します!」
私は艦載機を飛ばし、艦隊全体に目を向けた。
制空権は大丈夫。
あとは拮抗しているラインに艦攻隊や艦爆隊のサポートを入れて...。
「報告、敵鬼級撃沈!」
翔鶴の元に吉報が入る。
「了解、敵増援艦隊に警戒しながら、引き続き敵艦隊を撃滅します!」
各艦娘から了解との返事を聞き、空に目を向ける。
空がやや曇ってきた。
戦線はこちらが有利なまま事が進んでいた。
「敵増援艦隊は見えますか?」
私はそろそろやってくるだろう敵増援艦隊の情報を鈴谷に尋ねた。
「ちょっち待ってねー、うーん。」
鈴谷は頭に手をやりながら偵察機からの情報を待っている。
「見落としが無ければ全く深海棲艦はみえないっぽいよ。」
全く...?
そんなことありえない。
イ級の数隻すら見えない...?
「もう一度、今度は低空で飛ばしてみてください!」
急いで指示を出した。
少し出てきた雲で見落とした...?
私は口に手をかざしながら考えた。
「敵姫級轟沈!敵姫級轟沈!」
吉報の無線が来てもそのまま翔鶴は返事もせずその場に立ち尽くしていた。
ざわっと鳥肌が立った。
艦載機が一機、翔鶴の元に飛んできた。
「これは友永隊...後衛の二航戦から...?」
それは知らせを翔鶴の元に届けに来たものだった。
その知らせに翔鶴の顔は青ざめた。
「右翼、敵大艦隊の急襲にて壊滅状態...?」
味方主力の速度が落ちたのはこれが原因だったのか。
最初から私達は足止めできれば敵にとってはよかったのだ。
瑞鶴...!どうか無事でいて...!
私は言葉よりも先に体が動いていた。
「翔鶴さん!?」
「軽巡一隻駆逐六隻は私に最大船速でついてきてください、残りは敵の掃討を急いで下さい!」
突然の発言に艦隊に戸惑いが生まれる。
翔鶴はその戸惑いをもかき消すほどの気迫で艦隊に言い放った。
「これより私達は左翼を放棄します!!!」
・両翼の鶴
私は全力で右翼へと向かっていた。
いつもは気にならない装甲が重い。
こんな時に装甲空母じゃなければもっと速度をだせるのに...。
瑞鶴...!
待っていて...。
「翔鶴さん、どうしたの?」
私に追いついた長波が並走しながら尋ねてきた。
必死になって何が起きたか周りに伝えてすらいないことに気が付いた。
落ち着くために私は深呼吸してから長波の方を向いた。
「今から言うことを左翼の全員に伝えてくれるかしら。」
そうして私は右翼が壊滅していることから救援に向かう旨を電文してもらった。
「そんな、右翼が...瑞鶴さんだっていたあの部隊が...。」
由良も驚きを隠せてはいなかった。
「左翼艦隊、掃討が終わり次第合流するそうです!」
「了解しました。」
その報告を受けていると、右側に後衛艦隊が見えた。
後衛も右翼から流れた敵艦隊とぶつかって足止めを食らっている様子だった。
ふと飛龍さんと目が合った。
飛龍さんは右翼へ向かう私達へ、速く!と言っている様だった。
私は大きくうなづくとそのまま速度を維持して敵を避けるように右翼艦隊の元へ急いだ。
たどり着いた右翼は凄惨な光景だった。
「何なのこれは...?」
血と硝煙の嫌な臭い。
そこから見えたのは、かろうじて立っているだけの艦娘とおびただしい数の敵艦隊。
「こんな状況でも主力を残すと...?」
私達はその光景に脱力してしまった。
こんな...こんな状況になる前に...どうして...。
「やっときたのね...。」
我に返って声のする方向を見ると、大破した大井がこちらに気付いたようだった。
「大井さん、大丈夫ですか!?」
「大丈...夫なわけないでしょこんな状況で...そんなことより速く行きなさい。」
喋るのも辛そうな傷を負っている状況で、大井は指を差した。
「まだ...数隻戦っている...わ...。」
その指差す方向を見ると、確かに砲撃音が聞こえる。
「何をぼんやりしているの!急がないとあなたの妹が沈むわよ!!」
その言葉で弓を持つ手に再び力が入る。
「不知火さん、大井さんを曳航して後方へ。他の方も順次下げてあげてください。」
「不知火、了解しました。」
指示通り、不知火は大井を戦線から離脱させる。
「他の方々、気合を入れてください。」
首筋に冷や汗が伝う。
心臓がうるさい。
翔鶴はすうっと息を吸うと、大きな声で叫ぶ。
「これより我々は単縦陣で突撃し、左翼艦隊が到着するまで右翼艦隊を守る壁となる!」
私達はその号令を合図に敵艦隊へ向かって進みだした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「痛ったいわね...はぁ...はぁ、陽炎...大丈夫?」
「瑞鶴さん、私なんかのために...そんな...。」
陽炎を庇って敵の砲弾を直撃した瑞鶴の飛行甲板は完全に折れていた。
血が額から垂れてくる。
瑞鶴はそれを手で拭うと、震える足で再び敵の前に立った。
「陽炎、逃げなさい。」
背にいる陽炎に向かって瑞鶴はそう言い放った。
「瑞鶴さんもう戦えないのに、どうやって...。」
「私はこの艦隊の旗艦よ、この私より先に誰も沈ませやしないわこの身に変えてもね?」
瑞鶴はそう言うと振り返って、陽炎に笑って見せた。
翔鶴姉ごめん。
約束、守れそうに無いや...。
でも、許してね?私、翔鶴姉の妹で幸せだったよ...。
瑞鶴はそう頭の中で翔鶴に謝って盾になるために前へゆっくり進み始めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
爆音が鳴り響いた。
敵が燃えている。
「瑞鶴!!!」
その声にゆっくりと進んでいた瑞鶴がピクリと反応する。
振り向くと、翔鶴が瑞鶴に抱きついてきた。
「瑞鶴...!よく無事で...。」
「翔鶴姉...?グス...私...私...艦隊の皆を...。」
「あなたはよくやったわ瑞鶴、よく生き残ってくれたわ。」
優しく瑞鶴の頭を撫でる。
「ここは私達が受け持つわ、あなた達は下がりなさい。」
「そんな...数隻でなんて無茶だよ...!」
「無茶でもやるしかないのよ、瑞鶴?」
「そんな...。」
瑞鶴から手を離すと、弓を引き絞り艦載機を全て空に放った。
「私達が何としてでも時間を稼いで見せるわ。」
既に戦闘に入っている仲間と同じように、私も敵艦隊と右翼艦隊の間に入る。
左翼の皆が来るまで何としてでも時間を稼がなければ。
私は放った艦載機を目で追った。
制空権は...流石に喪失状態...取り返せそうにない。
周りを見ても敵を沈めてはいるが、それ以上に奥から次から次へと敵艦が沸いてくる。
六隻では限界があった。
「きゃあっ!」
被弾も増えてきた。
私も庇い続けて既に中破...飛ばせる艦載機もない。
「皆が下がる時間くらいは稼げたかしら...。」
天を仰ぎ見る。
時刻はもう夕暮れ、先ほどまであった雲はもう何処にも無かった。
「今夜はよく星が見えそうだわ。」
ポツリと呟く。
あと何発耐えられるかしら。
そんなに多くはないわね...。
もうひと踏ん張りくらい頑張らないと...ね。
そんな時、私達の横から魚雷が敵に向かって行くのが見えた。
「え?」
そんなはずはない。
それが来るにしては速すぎる。
私は魚雷の発射元へ顔を向ける。
煙の奥に人影がうっすらと見える。
まさか...。
「お待たせしましたー!阿武隈、水雷戦隊を再編して先んじて駆けつけました!」
そこには左翼に配属されていた軽巡洋艦と駆逐艦の全員がいた。
「残りの方々ももう少しで到着すると思います!」
そんな指示は残していないのに、船速が速い艦で再編した艦隊でこちらに来てくれたのだ。
「各部隊、砲撃戦始め!」
「皆さん...。」
各水雷戦隊が戦闘を開始し始めた。
ホッと息を吐く。
私についてきてくれた方々を死地に赴かせたと思っていた。
思わず涙が頬を伝った。
全身から力が抜けてへたり込む間際、腕を誰かにつかまれた。
腕の主を見ると、瑞鶴がそこにいた。
「どうして...?後方に下がったはずじゃ...?」
瑞鶴はニコッと笑った。
「私達は二人で一つでしょ?」
こんな時でもこの子は...。
「そうだったわね。」
私は立ち上がった。
そして瑞鶴と一緒に敵に敵の方へ向き直った。
「瑞鶴、矢はまだある?」
「十数機程度なら。」
「十分ね。」
私は瑞鶴から矢を受け取る。
「瑞鶴。」
「なあに、翔鶴姉?」
矢をつがえながら私は話した。
「私達の名前を合わせるとどう読むと思う?」
「んー、難しくてわかんないや!」
瑞鶴はえへへと頭をかきながら無邪気に笑う。
私は弓を目いっぱい引き絞った。
「それはね―――」
そして矢を天高く放った。
―――めでたく空を翔ける鶴って言うのよ―――
天まで届くかの勢いで放たれた矢はやがて艦載機になり敵の頭上を飛んだ。
一機一機がそう、鳥のように。
そして、その編隊飛行はまるで空を翔ける鶴のように。
戦場を美しく舞うその鶴はその場を包み込むかのように敵機を葬り続けた。
・エピローグ
私達は病室のベッドで隣り合うように横になっていた。
外はもう陽が落ちて、太陽と交代するように月が出ている。
「ねえ、翔鶴姉。」
「何かしら瑞鶴?」
私は瑞鶴の方へ顔を向ける。
「暇なんだけどー。」
「しょうがないじゃない、大けがしたんだから。」
あれから私達は左翼全員が到着し、その全てで敵艦隊に当たった。
こちらの被害は甚大だったが、無事に味方主力を温存したまま敵主力にぶつけることができ作戦は勝利を納めることができた。
作戦完了から数日たった今でも各部屋のベッドは満床だ。
それでも私達は生きている。
あの星の下に。
「ねえ瑞鶴、私達二人揃ったら向かうところ敵なしね。」
それを聞いた瑞鶴は満面の笑みで返事をした。
「あったりまえじゃん。」
私達は顔を合わせて、そのまま少しの間笑いあっていた。
空翔ける鶴のように ~fin~