風よ、私に応えて
#プロローグ
木漏れ日が窓から射すある日の昼下がり、ジンはお気に入りの豆から淹れたコーヒーをのんでいた。
西風騎士団の代理団長であるジンは多忙を極める。
騎士団の名の通り魔物の討伐から街の風紀を正すことはもちろん、迷子の猫探しや風に飛ばされたチラシ集めなど、様々な仕事がジンの下へと舞い込んでくる。
そんなジンにとって好物のコーヒーを飲む時間は至福の時間なのだ。
「今日は平和だな。」
息をこぼすように呟き、ジンはティーカップを机に置いた。
その時、肘が重ねていた書類の山にぶつかってしまい床に散乱してしまった。
「やってしまった、たまには整理しないとな。」
ジンはしゃがみ込み書類を一枚一枚集めていく。
あともう少しというところで一枚の調査報告書が目に付いた。
それはジンが蒲公英騎士の称号を受け継ぐきっかけになった出来事を記してるものだった。
ジンは目を細め、椅子に座りなおした。
「随分と懐かしいものが出てきたな、思えばあそこから始まったのかもしれないな。」
ジンはそっと目を瞑りあの頃の様子を想起し始めた。
#西風騎士団
ファルカ大団長に報告書を提出し終わって、私が廊下を歩いていると噂話が聞こえてくる。
「あいつが例の名家の新人らしいぞ。」
「へー、しかも実技も筆記も過去最高点を叩き出したっていう?」
まるで珍しいものでも見たかのようだ。
私はただ目の前に出された課題をこなしただけで、何も特別なことはしていない。
たまたまそれが私の得意分野なだけだった、ただそれだけ。
何処に行っても期待や疑念の目を向けられる。
それ自体は私にとってどうでもいいことだった。
ただ一つ、評価が先走りしすぎて周りが私に自然と距離を取ってくる。
それだけが私の悩みだった。
周りの目が気になって私は人が少なそうな場所を探し、図書室へ入った。
そして隅の席に腰を下ろした。
「私だって皆と変わらない一人の人間だというのに。」
ジンはポツリと呟いた。
「あら、そんな俯いて綺麗な顔が台無しよ?」
声のする方向を向くと、明らかにモンドの恰好ではない風貌の女性が立っていた。
「そういう気分なんだ、一人にしてくれないか。」
女性は頬に指を当て、そのまま少し考え込んだ後に再び声をかけてきた。
「私はリサっていうの。今日スメールからここにきて司書をすることになっているのあなたは?」
物おじしないリサに押されるようにジンは返事をした。
「私はジンだ、ジン・グンヒルド。」
よろしくねとリサは手を差し伸ばしてきた。
ジンがその手を握るとリサはそのまま目の前の席に腰を下ろした。
「それにしてもグンヒルドってアレよね?確か高貴な貴族の名よね?」
身体がつい強張ってしまう。
ああ、そうか。
この人も貴族だとか課題や仕事の評価で私を見てくるのか。
ジンは諦めたように下を向いた。
「貴族だなんて何もしなくても生活に苦労しないでしょうに、騎士団に入って頑張っているなんてすごいわね、私には真似できないわ。」
リサはそう言うと屈託のない笑顔を見せた。
目を見開いた。
「あ、そうだ。私ここに来たばかりで知り合いがあまりいないのよ、よければ友人になりましょう?」
そんな風に言ってもらえたのはジンにとって初めての経験だった。
リサは私を私として見てくれている、それだけでジンには十分すぎた。
フッとジンは笑みをこぼしながら言った。
「ああ。」
これが私にとって初めての友人であり、初めて私の中身を見てくれる友人だった。
私の心を縛っていた鎖が少し緩んだ気がした。
「あ、そうだわ。ジンは何か本を読むのかしら?司書の私にまかせて頂戴。」
「え?あ、あの...恋愛モノを少し。」
「恋愛モノねえ~。」
「私に恋愛モノなんておかしいだろう...やっぱり大丈夫だ。」
リサはそれを聞くとふふふっと笑い出した。
やはり、私には似合わないだろうか。
言わなければよかった。
「そんなの周りを気にする必要はないわ、ジン自身がどうしたいかを決めるものよ?」
ちゃんと乙女なのねっと言い、リサは本棚を眺め始めた。
私自身がどうしたいか...。
そんなことを考えるのはジンにとって初めてだった。
「これなんでどうかしら?」
リサが一冊の本を手渡してきた。
「少女ヴィーラの憂鬱...?」
「きっと今のあなたにぴったりだと思うわ。」
「そうか、借りて家で読んでみることにするよ。」
「ええ。」
リサは笑みを浮かべながら司書机に戻って行った。
今日はリサと出会って初めてづくしだ。
ジンは手元の本を少し眺めると、高揚した気持ちを押さえながら帰路についた。
その足取りはいつもより軽いものだった。
そして後にそれがジンの愛書となっているのは少し先のお話である。
#幼き日の記憶
私には父と母、それにいくつか年の離れたかわいい妹がいた。
父のサイモンは当時大冒険家で後の払暁の枢機卿と呼ばれる西風教会の総督である。
母フレデリカは歴史ある名家の貴族であるグンヒルドの血を正統に受け継ぎ、赤楊騎士の二つ名を持っていた。
そんな偉大な二人の間に私たち姉妹は誕生した。
私が物心ついた頃には名家の生まれとしてフレデリカから厳しい指導を受けた。
「ジンッ!遅い!」
「申し訳ありません母上...。」
私は起き上がって床に転がったレイピアを再び手に取った。
「もう一度!」
「...はいっ!」
「そんなことではこのモンドを守っていけません!」
剣術は勿論のことモンドの歴史や貴族としてのマナー、そして家訓を教え込まれる毎日だった。
そんな中で妹のバーバラと過ごす時間はジンの日々の鍛錬の疲労を吹き飛ばしてくれていた。
バーバラは優しく無邪気な子でジンにとって最愛の妹だった、ある日バーバラが絵を見せてくれた。
そこには家族四人が描かれている。
その中で私だけが他の三人より大きく描かれていた。
「どうして私を大きくかいたのバーバラ?」
純粋な疑問だった。
バーバラはうーんと考え込むと、ヒマワリが咲いたような笑顔でこう言った。
「大好きなお姉ちゃんを最初に書いたら、私たちより大きくなっちゃったの!」
どうしてこう私の妹はかわいいのだろう。
「それとね?お姉ちゃん、毎日つらそうな顔をしているから笑っている顔で描いたの。」
確かに絵の中の私は笑っているようだった。
でも普段の私は笑っているように見えていないらしい、妹にそんなこと悟らせるなんて私は姉失格かもしれない。
「ありがとうバーバラ、お姉ちゃん頑張ってバーバラを守れるようになるからね。」
そう言って私は幼いバーバラを抱き寄せた。
バーバラも最初は不思議そうな顔をしていたが、やがて嬉しそうにその小さな手でギュッとしてきた。
それからの私はより一層、母からの鍛錬に本腰を入れた。
母フレデリカが私に厳しい教えをする理由はまだ私には難しくわからない。
でも一つだけ今の私にも分かることがある。
それは最愛の妹を私の手で守れるようになりたい、そうあの笑顔だけは。
「母上、もう一度お願いします!」
フレデリカは驚いたようだった。
私はレイピアを構え腰を落とした。
それを見て少し笑った気がしたがすぐにフレデリカも剣を構えだした。
「来なさいジン。」
「はあああ!」
その日は今までで一番の打ち合いだった。
フレデリカから一本取ることはまだできなかったが、ジンの目は曇っていなかった。
芝生の上で寝ころびながらジンは手を空に伸ばす。
そよ風を捕まえようと手を握るが、風は指の間をするりと抜けていった。
「ジン、昼食にしましょう?」
フレデリカがベランダから声をかけてきた。
「はい、母上。」
ジンは立ち上がり、フレデリカとバーバラがいるベランダに走り出した。
「またパパはいないの...?」
バーバラが呟くように聞いた。
「今はまだ冒険にでているの。だからねバーバラ?三人で食べましょう?」
「うん...。」
寂しそうな顔をしたままバーバラは席に着いた。
私はその顔をみて胸が痛かった。
その日は珍しくフレデリカが作ったサンドイッチを食べた。
優しい味がした。
私はこの味が好きだ。
きっとバーバラもそうなのだろう、もう笑顔で食べだしている。
「母上。」
「なにかしら?」
フレデリカは首をかしげている。
「私、また母上のサンドイッチが食べたいです!」
「そうね、きっとまた作ってあげるわ。」
そう言い、フレデリカは笑みを浮かべた。
優しい笑みだった。
私は今もあの笑みを覚えている。
母の愛情を感じた時間だったのを幼いながら噛みしめていた。
しばらく経ったある日、父のサイモンが帰ってきた。
ようやく家族がそろったと喜んだのも束の間。
サイモンとフレデリカは言い合いになっていた。
次第に二人はヒートアップしていき、私たちの部屋まで声が聞こえてきた。
バーバラは不安そうに袖を握ってきた。
私はそれを見てバーバラを抱きしめてあげた。
「大丈夫、大丈夫だから。」
そっと頭を撫でてあげる。
私たちはベッドの隅に座りながら、それが終わるのを待っていた。
二人の口論は夜更けまで続いた。
私たちはいつの間にか眠ってしまっていた。
朝になり二人が部屋に入ってきた。
「バーバラ、バーバラ起きなさい...。」
サイモンがバーバラに声をかける。
その声で私も目を覚ました。
口論が終わっていつもの二人に戻ったと思い込んでいた。
フレデリカは下を向いていた。
「パパ...?」
「そうだよ、これからお出かけに行くから起きてくれるかな?」
「お出かけ?みんなで?」
「今回はパパと二人でなんだ。」
そのやりとりを聞いてすぐに何を意味しているかを悟った。
そしてサイモンとバーバラは家を出ていった。
私は不安そうな顔で振り向くバーバラの小さな背中を、ただ眺めることしかできなかった。
#ジンの休日
西風騎士団ではある話題でもちきりだった。
これまで全てをほぼ完ぺきにやってのけていたあのジンが大怪我をして帰ってきたのだ。
ジンはベッドに寝込んでいた。
不覚だった。
活動が過激化していたファデュイとの戦闘で怪我をしてしまった。
おそらく聞き手の右腕は折れているだろう。
小隊を任されておいて全く情けない。
「横になって何もできないとは暇を持て余すな...。」
書類整理くらいならできると思い、私はベッドから出ようとした時ノックの音がした。
「入るぞ。」
そこに立っていたのは、西風騎士団の先輩にあたるディルックだった。
ディルックはベッドから出ようとしている私を見て怪訝な顔で話し出した。
「よもやその状態で仕事をしようだなんて思ってはいないだろうな?」
図星だった私はばつが悪くなり、立ち上がりかけたその腰を下した。
「今日は何の用ですか?」
「なに、あのジン殿が怪我をしたと聞いてな、見舞いだよ。」
含みがある言い方だった。
ディルックは腕を組み、壁に背中を預けながら立っている。
「私だって怪我くらいします。」
「そうかもしれんな。」
ディルックは閉じていた目を開き、近くまでやってきた。
「だが、それは回避できたものなんじゃないか?」
「...。」
「お前は普段から働きすぎなんだ、最早ワーカーホリックといってもいい。」
「私は...私はモンドを守るために職務に励んでるだけにすぎません!」
そうだ、私はそう教えられそれを実行しているに過ぎない。
戦いのすべだってそのために...。
「分かっていないようだな、お前は今や小隊を預かっているがその小隊に与えられた仕事をお前が全部こなす必要があるのか?」
「それは...。」
私は口を紡いだ。
何も言い返せなかった。
確かに上司が部下に仕事を振ることも、上司の仕事だからだ。
「モンドの定時見回りも毎回お前が参加する必要があるのか?そういうところからくる疲労が戦闘中の注意欠陥に繋がるんだ。」
「しばらくゆっくりしながらよく考えるんだな。」
そう言い残し、ディルックは部屋を後にした。
ベッドの横の棚をみると夕暮れの木の実が籠に入っていた、きっとこれがお見舞いの品なのだろう。
ジンはそれを手に取り食べながらディルックが言っていた言葉を頭の中で反芻させていた。
「守るべきモンドの前に自分自身を守るべき...か...。」
普段あまり多くを語らないディルックが珍しく饒舌だった。
あの説教も彼なりの優しさなのだろうか。
木の実を食べ終わるとジンは部屋を出た。
私がいない間のモンドを見て回りたくなったのだ。
外に出ると心地よい風が吹いてきた。
ジンが髪の毛を手で押さえると、一枚の紙が足元に飛んできた。
キャッツテールのチラシだった。
やれやれと笑いながらジンはキャッツテールへと向かった。
噴水のある広場まで来ると、子供たちがはしゃぎながら走り回っていた。
その中には、この間街の外で迷子になっていた子もいる。
「自由に遊びまわれるのも平和の証か...。」
その時、「鹿狩り」の店員に話しかけられた。
「ジンさ~ん!」
こちらを見ながら手を振っている。
無視するわけにもいかず店員のところまで足運んだ。
「何か問題でも...?」
店員はキョトンとしている。
そして大きな声で笑い出した。
何か間違ったことを言っただろうか?
「何言っているんですかジンさん!問題ならこの前ジンさんが解決してくれたじゃないですか!」
「うん...?」
「ヒルチャールが食材を運ぶ道に居座っちゃったところをジンさんが追い払ってくれたじゃないですか~。」
「ああ、そんなこともあったな。」
確かに清泉町とモンドの街道でヒルチャール退治を最近請け負っていた。
「な・の・で!今日はジンさんにお礼を込めて料理を振舞わせてください!」
「いや、私は今...。」
「是非!」
勢いに負けてしまった。
私は席に座ると、まっていてくださいねーとニコニコしながら店員は厨房に戻って行った。
料理を待っている間、私は街の風景を眺めていた。
平和だ。
街のみんなも笑顔で過ごしている。
少しでもその笑顔が私の守ってきたモノの結果であってほしいとジンは思いを馳せた。
「ジンさんお待たせしました!鶏肉のスイートフラワー漬け焼きとモンド風ハッシュドポテトです!」
「ありがとう、美味しそうだ。」
料理を口にするとすごく美味しかった。
今までは職務にかまけて、こういった所には来たことがなかった。
目の前の料理を口に運びながら、たまにはこういうのも悪くないとジンは思った。
「とても美味しかったよ、お代は...。」
「いいえ、結構です!だってこれはこの間のお礼なんですから!」
「しかし...。」
「ジンさんには普段お世話になっているので、私にはこれくらいしか返せるものがないんです。なのでそのお財布はしまってください!」
そこまで言われてはと財布をポケットにしまった。
ありがとうと一言目の前の店員に言いジンはその場を後にした。
「さてとキャッツテールに向かわなければな。」
すぐそこから近くのキャッツテールの看板の所へ行くと、後ろから声がした。
「お姉ちゃん...?」
「バーバラ...。」
そこいたのは妹のバーバラだった。
今では教会の牧師として立派に皆のために仕事をしているバーバラが何故ここに?
「それ、お姉ちゃんもチラシを届けに?」
「ああ...。」
「じゃあ私が一緒に届けてくるねっ!」
そう言うと、バーバラは私が持っていたチラシを取りキャッツテールの店の中へ姿を消した。
お互いの存在は認知しているものの、二人の間には幼い頃別れた後の時間がすぐに消化しきれない気まずさを生み出していた。
強い風が吹きさらした。
ジンはその風に乗って逃げるように歩き出した。
#千風の神殿
「調査隊の援護を?」
「ああ、今まで動くことのなかった遺跡守衛が動き出したらしい。調査隊は最低限の護衛しか戦力がない、したがってお前に救援にあたってほしい。」
腕の怪我が完治し、日々職務に勤しんでいたとき大団長から命令が下った。
「教会からも先立って医療班が派遣されている、急いで千風の神殿まで小隊を引き連れて向かってくれ。」
「了解しました。」
私は部屋を出ると小隊に招集をかけ、急ぎ千風の神殿へと向かった。
目的地に着いたのは夕刻だった。
見えた人影の所へ行くと、目の前にはもう動かなくなった遺跡守衛の姿があった。
「一足遅かったようだね。」
そこにいたのは最近騎士団内でも屈指の実力をもつガイアだった。
「これはあなたが?」
「ああ、そうだ。」
「でも、どうしてあなたが?」
「なあに、たまたま近くを通りかかっただけのことさ。」
そう言うと、ガイアは持っていた剣を納めて一息ついた。
私はとんだ心配だったと胸を撫でおろしていた。
「そうだ、あそこにいるのは君の妹さんじゃないのか?」
ガイアの指の差す方向を見ると、バーバラが調査隊の手当てをしている様子が見て取れた。
教会からの医療班とはバーバラの事だったのか。
彼女は既に神の目を与えられており、その力は傷ついた人々を癒す力だった。
誰にでも心優しい彼女にはぴったりのものだなとジンは思った。
「じゃあ、俺はこれで失礼するよ。」
そう言い残しガイアは去って行った。
なんともつかみどころのない人だ。
ジンは明日帰還する調査隊の護衛につくことにし、小隊の面々に交代で見張りをするように伝えた。
指示を終えてすっかり暗くなった空を見ていると、後ろから声をかけられた。
「お姉ちゃん...。」
「バーバラ、どうした?」
バーバラは幼い頃と同じ不安そうな顔で俯いて何も話さなかった。
ジンは一息つくと近くの丘を指さした。
「バーバラ、あそこで話をしようきっと星空がよく見える。」
「うん...。」
二人は丘を上り、丁度良さそうな岩に腰を下ろした。
そこからは確かに嘘か本当か分からないほどの星空がよく見えた。
二人の間に沈黙が流れた。
どう話しかけたらいいかわからない。
私はバーバラの姉なのにこうも簡単なことすらままならないとはな。
情けなさで胸を一杯にしているとバーバラが沈黙を破った。
「あの、お姉ちゃん私がここにいること怒ってる?」
思ってもいない質問が飛んできた。
「どうしてそんなこと思うんだ?」
「ここにきてからずっと怖い顔をしていたから...。」
大切な妹がこんなとこに来て何かあったらという気持ちは正直あった。
でもそれ以上に横で手を握っていた少女がこんなにも人の役にたっている、ただそのことが誇らしいという気持ちのほうが大きかった。
ジンは優しい口調で話した。
「大丈夫だ、バーバラのしたことは間違ってなんかいないんだから。」
バーバラはほっとしたような表情をしている。
私がここに来てからずっとそんな事を考えていたのだろう。
「私ね?自分から行きたいってお願いしたの、せっかく貰った力だもん誰かの役に立てたかったんだ...。」
驚いた。
バーバラがこんなにも成長していたなんて。
「もう守られてばかりの存在じゃないんだな。」
自分でいって少し寂しくなった。
モンドを守る以前に私が守りたかったものは妹の笑顔だからだ。
私はこれからどうしていけばいいのか。
目標を失った気分だった。
「ありがとうね、お姉ちゃん。」
「何をだ?」
「ううん、何でもないっ!」
屈託のないまっすぐな笑顔だった。
ジンはバーバラの頭に手をかざそうとしたが途中でやめた。
私にそんなことする権利はまだないのだから。
#神の目
その時、調査隊がいる方向から悲鳴が聞こえた。
急いで丘を降り、千風の神殿に向かうとそこには見たことのない異様な人影が立っていた。
小隊の面々は既に交戦の後で辺りに横たわっている。
「バーバラ!皆の手当を頼む!」
「う、うん!」
私は深淵そのものにすら見えるそれの前に立った。
冷や汗が頬を伝う。
雰囲気が既にその辺の魔物達とは遥かに凌駕する何かだった。
「お前は誰だ。」
それはジンの方向に向きなおすとゆっくりと話した。
「そうだな。アビスの使徒とでもしておこうか。」
アビスだと?
今まで奴らとは戦ってきたがこんなやついたこと...。
そんなことを考えていると、アビスの使徒が切りかかってきた。
私は剣で受け止める。
重い...。
「何故こんなことをする!?」
私は剣で受け止めながら叫んだ。
「救うためだ。」
救うだと...?
こんなことしておいて、誰が救われる...?
ジンはすかさず剣を振り払い、自らの剣をアビスの使徒に向かって突き立てようとする。
「いい剣裁きだ...だが、軽い。」
そう言い、アビスの使徒はジンの剣を振り払い、二人の間に距離ができる。
二人はじりじりと間合いを詰める機会を伺っている。
どうにか皆をここから離れさせなければ...。
「こっちだ...!来いっ!」
ジンはその場から走り出し、皆から距離を取り崖際まで来た。
「逃がそうとしている...か。」
奴は先ほどまでいた場所を見つめながらそう言った。
分かっていて乗ってきたのか。
よほど余裕があるらしい。
「よそ見を...するな!!」
ジンは再び斬りかかる。
「フンッ...。」
決定打を与えられない。
それどころか全て受けきられている。
ジンの剣術のそれは、西風騎士団の中でも最たるものだ。
それを平然といなしている奴は正直異常だった。
「無駄だ、分かっているだろう。」
「それを決めるのは私だ!!」
不意に剣に力が入る。
その刹那、ジンは違和感を感じ取った。
まずい。
脇ががら空きに...。
その瞬間を奴が逃すことはなかった。
ゴキッ。
「がはっ...。」
あまりの痛みに膝をつく。
あばらが何本か逝ったか...いや、臓器もか...?
奴が止めを刺そうとゆっくりと近づいてくる。
「ほう、まだ立つか。」
「はぁ...はぁ...、まだ倒れるわけにはいかないのでな。」
ジンの脳内にはバーバラの姿が浮かんでいた。
モンドを、バーバラを守るために鍛えたこの剣。
ここで折れるわけにはいかない。
「仕切り直しだ。来い、アビスの使徒とやら。」
ジンは笑う。
アビスの使徒は沈黙の後に、不愉快そうな表情で再び剣を交えた。
痛みでまともに剣を受けることができないジンは全てを受け流そうとする。
だが、奴の剣はより速さを増し襲い掛かってきた。
すんでのところで躱すが、ジンの身体には徐々に切り傷が増えていった。
「飽きたな...終いにするか。」
そう言い放ったアビスの使徒は身体の周りに元素らしきもので構成されたバリアを構築した。
奴はゆっくり私に向かって歩いてくる。
何発も剣を入れるも、元素シールドに弾かれ奴には届かない。
じりじりと後ろには崖が迫っていた。
思い切り剣を叩きつけたがそれも叶わず、ジンは体勢を崩した。
そこに鋭い蹴りが腹部に入った。
「ゴホッ...!」
私はその場に倒れこむ。
「お前はよく粘った。」
上手く時間は稼げただろうか...。
皆は、バーバラは逃げられただろうか...。
最後にバーバラの笑顔が見られてよかった...。
ジンは目を閉じ、最後の瞬間を待っていた。
「さらばだ、モンドの騎士よ。」
アビスの使徒が剣を振りかざそうとした時、悲痛な声が響いた。
「お姉ちゃん...!!!!」
バーバラ、何をしている。
逃げろ...。
早く逃げるんだ...。
「ふっ、あちらを先にするか。」
アビスの使徒がバーバラに向かって歩き出す。
バーバラは逃げようと走り出すも、木の根で足を躓き転んでしまう。
彼女が地面から振り返ると、アビスの使徒が剣を向けていた。
ジンは手を伸ばすも、その手は空を切る。
バーバラ...。
「頼む...一度で...一度でいいんだ...誰か私に大切なものを守る力をくれ...。」
ジンは強く願った。
―――風よ、私に応えて―――
その時、ジンの身体を優しい風が包み込んだ、それはまるで蒲公英の風のようだった。
傷が癒えていく。
ジンは自分の身体が動くのを確認したと同時に走り出した。
私はバーバラを守ると心に誓った。
守られるだけじゃない彼女だが、守ってほしい時もあるはずだ。
そんな時に守ってあげられる姉でありたい。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ジンは風を剣に纏わせ、アビスの使徒に渾身の一太刀を入れた。
「なっ...!?」
アビスの使徒が張っていた元素シールドにひびが入り、そして粉々に砕け散って消えた。
もう私は今までの私じゃない。
「姉として、そして騎士としてお前を討つ。」
「あまり、調子にのるなよ小娘...!」
再戦かと思われた最中、空間がぐにゃりとひしゃげた開き方をした。
なんだあれは...。
なんとそこからは金髪の少年が姿を現したのだ。
「なんとも不格好だね。」
「面目もございません王子」
王子だと?
どこかの国の王子か?
しかし、どこにもあんな風貌の王子がいるなんて聞いたことがない。
「今すぐ処理致しますので。」
「いや、いいよ。ここには僕たちの目的のモノはなさそうだ。それに...今はやや分が悪い。」
そう言い、王子と呼ばれる少年は近くの木に視線を移した。
「しかし...!」
「僕は今「いや、いいよ。」と言ったんだよ。」
「仰せのままに我王子...。」
王子と呼ばれるその少年は最後にこちらを見た。
「モンドにも新しい芽が育ってきたか...。」
そうして二人は歪な空間に姿を消した。
ふとバーバラと目が合った。
彼女は私の腰の辺りを見ている。
「お姉ちゃん、それ...。」
「ああ、風神バルバトス様からの贈り物だ。」
そう言い私はバーバラを抱きしめた、彼女は困惑していたがすぐに抱きしめ返してくれた。
その大きくなった手で再び。
確かに私たちには空白の時間が長かったかもしれない。
でも今はこれでいい、だって私たちにはこれから沢山の時間があるのだから。
後ろから視線を感じたような気がしてジンは振り返った。
しかし、その木の上には枝を優しく揺らすそよ風だけが漂っていた。
#エピローグ
「ジン、ジン?いないの〜?あけるわよ~。」
「あら、いるじゃないのもう。」
「ああ、リサかどうした?」
「どうしたじゃないわよ、何度ノックしても返事がないんだから。」
「すまない、少し昔を思い出していてな。」
「昔?あら、ジンが蒲公英騎士になるきっかけになった出来事のやつね。」
「ところで何か用事か?」
「そうそう、なんていたって旅人がモンドに来ているそうよ。」
「商人ではなく旅人だと?珍しいな。」
「一度会ってみたいわ~。」
「そうだな。」
ジンは窓の外の景色を眺める。
今日のモンドは爽やかな風が吹きわたっている。
彼女の腰にある神の目は太陽の光が反射して輝いていた。