なのでセリフらしい場所以外は私としています。
ご了承ください。
恋する海風
・洗濯日和
今日はよく晴れている。
離れたところからはしゃいで走り回っている他の子たちの声が聞こえる。
その輪に私はいない。
何故なら、こういう日は決まってやることがあるからだ。
私は乾いたときにシワになってしまわないように、パンパンと白い手袋を叩く。
「これで最後ですねっと。」
少しだけ背伸びをしてそれを洗濯ばさみに挟む。
浮いた踵を地面につけてズラッと干している洗濯物を眺める。
「少し気合を入れすぎてしまったかもしれませんね。」
ここ最近は雨模様で溜まっていたせいか、ここぞとばかりに身の回りのものを一斉に洗ってしまった。
燦燦と降り注ぐ太陽の光が白いシーツに反射してまぶしい。
天気がこの調子だと夕方までには取り込めるだろうか。
ほどよい風も吹いていて綺麗になった彼らも喜んでいるようになびいている。
私はカゴを持って軒先まで移動した。
そして靴を脱いで腰を下ろす。
両手を木の床につけて足をパタパタさせながらその平和なひとときを満喫する。
宙を舞うように飛ぶ蝶を見て鼻歌を口ずさむ。
制服が少し肌にべたつく。
多少は量が多かったとはいえ、この程度で汗が滲んでくるという事は夏がすぐそこまでやってきているのかもしれない。
今年はどんな思い出ができるのだろう。
去年は皆で花火をして、一昨年はバーベキューをした。
「海でスイカ割りなんてのも案外いいかもしれません。」
私達にとっては戦う場である場所にも楽しい記憶があってもいいと思った。
ふふっと笑いながらそんな遊べるほどの砂場はウチにはないことを思い出す。
「どうしたんだ、今日は随分とご機嫌じゃないか。」
横から見知った声がした。
「提督、駆逐寮までいらしてたんですね。」
普段は執務室にいる提督が珍しくここまで来ていた。
でもまだいつもなら仕事をしているはず。
「今日はどのような用件でこちらに?」
誰かに用事があるのではと率直に尋ねてみた。
「海風がたまたまくつろいでいるのが窓から見えたから混ぜてもらおうと思ってね。」
特に何もなかったことに少しだけ驚いたが、すぐに微笑んだ。
「でしたら横にどうぞ、洗濯物が見える特等席ですよ?」
私は自分の横をポンポンと手で叩いてアピールする。
地べたに提督を座らせるのは忍びないが、私目的で来てくれたことが嬉しくてそんな気は回らなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて失礼しようかな。」
ギシッと気がきしむ音を鳴らして提督がすぐそこに腰を下ろした。
さっきまではあんなに穏やかだったのに、段々と心臓が跳ねていく感覚がする。
横をチラっと見ると、提督はこの陽気を存分に感じ取るように目を閉じている。
視線を下げると床につけた二人の手は二十センチほどの距離に見える。
私は慈しむような目で一センチほどその手を近づけた。
この距離がゼロになったらどれだけ素敵な事なんでしょう、と。
こんなに近いのに、たどり着くには何メートル何百メートルと手を伸ばさないといけない気がする。
俯きながら自分の手をもう片方の手でそっと胸の前で握った。
「海風!前、前!」
横で提督が私の名前を呼んでいる。
なんでしょう。
そんなに大きな声を出して。
「ていと...。」
言い終わる間もなく何かが顔に向かって飛んできた。
「ひゃっ!え、え?なんですかこれ~。」
必死になってその何かを顔から取ろうとするが、なかなか空の景色を拝むことができない。
一面の白は私をパニックにさせるには十分だった。
しかし、すぐそこにいるはずの人は笑っている様子だ。
「笑ってないで助けてください~。」
もがきながら助けを求める。
「これ以上は流石にかわいそうだね。」
提督はひょいと私を襲っていた白い何かを取り払ってくれた。
「すぐ助けてくれても...ってあれ?」
目の前を見てみるとそこにあったのは私がさっき干したシーツだった。
「ごめんごめん、シーツを頭に被っている海風が面白くてつい。」
あはははと笑いながら提督が謝る。
「もう、意地悪ですね。」
私はいじけるようにプイっと提督から視線を外す。
なんて恥ずかしい、こんなところをよりによってあなたに見られるなんて。
せめて一人でいる時に起こって欲しかった。
「そんな怒らないで、ほらこっち向いて。」
一度提督を横目で見てから、正座に座り直して提督の方を向く。
確かにあなたが悪いわけじゃないですし...。
「確かにシーツのせいで綺麗な髪が台無しだ。」
そう言って私の髪を手で梳いてくれる。
「あ...。」
一瞬身体がピクっとしたが、その手は想像よりもずっと優しくてしだいに力が抜けていく。
「ちょっとだけじっとしていてね。」
私は目をつむって髪を委ねる。
なんだかくすぐったい。
でもあなたに触れてもらえている事実が一つ以外の他の感情を置き去りにする。
不運な事故に思えたけれど、実は幸運だったのかもしれない。
きっとこんなことは滅多にない。
この時間は幸せだ。
できることならこのままあなたにずっと梳いてもらっていたいですね。
・改二耳
「それ、今日こそ触ってみてもいいかな?」
「ダメです、それにまだお仕事残っているじゃないですか。」
「うぐっ。」
机の上にある書類を指さして提督に釘をさす。
泣く泣くといった様子で提督は仕事を再開し始める。
これがそんなに気になるのでしょうか。
そんな面白いものではないと思うのですが...。
私の耳はどうやらよく動くらしいです。
提督によるとそれはもうぴょこぴょこと。
具体的には気になる話を誰かがしている時や私が嬉しい時などに。
耳といっても正確には頭の上部にある通称改二耳といわれるものです。
本物はちゃんと顔の両側についています。
どうしてそんなに私の改二耳ばかり気になるのでしょうか。
「他の子にもついているのになんで海風ばかりなんですか?」
ちょっと高い棚にファイルを入れようと頑張りながら聞いてみる。
なかなか届きませんね...。
これでも改二になって背は伸びたはずなんですが。
「うーん、何でか。」
中指の先端でファイルの端を押してなんとか所定の位置にしまうことに成功する。
やりましたね。
両手を腰にあてて満足気な顔をする。
「強いて言うなら...。」
「強いて言うなら?」
振り向いて首をかしげる。
「他の子は全然動かないんだよ。」
「動かない。」
反対側に首をかしげてキョトンとする。
「そう、動かないものは目を引かないだろう?」
提督は机の上で手を組んで、いたって真面目な顔でそう言った。
書類を片づけている時ですらそんな表情はしていないのに...。
私は溜息を吐いて肩を落とす。
「もう、猫じゃないんですから早く仕事を終わらせましょう。」
自分の机に向かって歩いていると、来客用の二つのソファーの間にあるテーブルに置いてあるお菓子がないことに気が付く。
「ほら、今とかね。」
「え?」
私は両手で改二耳を触ってみた。
特にいつもと変わらないように思う。
「別に動いていないですよ?」
ほらと言わんばかりに改二耳を提督の方へ向ける。
「確かに今は動いてないけれど、さっき何かに反応したようにピンッとしたんだよね。」
何故か得意げな顔をしている。
「何か...ですか...。」
唇に人差し指をあてて思い当たる節がないか思案する。
この短時間で何かあったとすれば...。
え?
もしかして...。
「いつもそんなところまで見ているんですか!?」
つい手で改二耳を隠してしまう。
「もちろん。」
どうやら私は何かに気が付いた時にも改二耳が反応してしまうらしい。
それほど細かい一挙手一投足まで観察されていたと思うと、なんとも言えない恥ずかしさがこみあげてくる。
「も、もう見るの禁止です!」
それを隠しながら提督から距離を取る。
「でも、目に入っちゃうからなあ。」
謎に意味ありげな表情で遠くを見つめるような視線で天井を見ている。
「海風の心が透かされているみたいで、その...恥ずかしいです...。」
頭から蒸気を発してソファーの影に隠れる。
子供っぽい言動だとは思うが、それ以外思いつかなかった。
「ははは、ごめんよ。そんなずっと海風を見つめているわけじゃないんだ、たまたま目に入っただけだよ。」
組んでいた手を解いて背もたれに身を預けながら提督はそう言った。
「本当ですか?」
ソファーから目線だけ通るように顔を覗かせる。
顔はまだ熱い。
「じゃないと仕事なんて進まないだろう?」
確かにそうかもしれません。
ずっと私を目で追っていたら私が全ての書類をしないといけませんし。
少なからず夕刻にはいつも執務から上がっています。
「今日のところはそういうことにしておいてあげます。」
まあ、見逃してあげましょう。
いつも頑張ってくれていますし。
「それは助かるよ。」
でも私をあまり見てくれていないみたいな発言があって腑に落ちない気分です。
苦笑しながら提督は手を遊ばせている。
それを見て私は立ち上がって提督の机に向かって歩き出した。
「ん?」
「少しだけですよ。」
私は机の前でかがんで少し頭を提督に向けた。
「仕事に集中できないのは困りますから。」
ほんのりと染まっているであろう頬が見えないようにしながら、もう一度頭を少し近づけて催促する。
「いいのかい?」
「海風の気が変わらないうちにどうぞ。」
目線を横にずらして据え膳を差し出す。
「それじゃあ。」
そう言って提督は私の改二耳を撫でるように触り出した。
これは...意外と悪くないかもしれませんね。
たまには触らせてあげてもいいかもしれません。
今だけは私を見てくれて役得みたいなところがありますし。
「いつもよりよく動いているね。」
それを聞いてバッと提督から離れる。
「もう終わりです。」
「さっきまで何ともなかったのにどうしたの?」
私はまた両手でそれを隠してソファーの影に逃げ込んだ。
そして体育座りで提督の視界に入らないようにする。
「それは秘密です!」
提督はさっきまで改二耳が触れていた指の腹を親指でさすっている。
「それは残念。」
明らかに気温のせいではない熱を帯びた顔を膝にうずめる。
恥ずかしくて言えるわけないじゃないですか。
あなたに触れてもらえて嬉しいからなんて。
だって、私があなたを好きなことがばれてしまいますから...。
・狸寝入り
うっすらと瞼を開ける。
どうやら寝てしまっていたらしい。
執務室の蛍光灯がついている、もう外は陽が落ちてしまっている証拠だ。
確か私は提督の仕事が終わるのを待っていたような気がする。
まだ寝ぼけているのか意識がはっきりしない。
「ていと...く。」
理由はわからないがその人を呼ぶ。
「起きたのかい?まだ寝ていても大丈夫だよ。」
すぐ横から声が聞こえる。
海風の好きな声だ。
「ん...。」
微睡みから抜け出せない私はその声がする方向にコテンと頭を寄せる。
「おっと、まだ眠いようだね。」
温かい熱が伝わってくる。
なんて落ち着くのでしょうか。
いつもこんな風に眠りにつけたら...。
あれ?
コテンって...?
一気に意識が覚醒する。
まさか海風、今提督の肩に頭を乗せて...。
それを実感した途端に色んな感情がこみあげてきた。
このまま起きて海風はあなたにどんな顔をすればいいのでしょうか。
その感情が吹き出てしまわないように息を止める。
自分の中で少しずつ整理をしながらゆっくり息を吐いていく。
提督は横でまだ仕事をしている。
そして私はまだ寝ている、それが寝ているフリだという事はきっとバレていない。
最大の問題は今提督の肩に頭を乗せているという事。
こんなのいつ起きればいいというのですか...。
「これは海風がこっちのファイルにまとめてくれていたっけか。」
提督の身体が伸ばした手に連動して少し動く。
あ...。
落ちちゃいます...。
私は呼吸をする動作に合わせて頭が落ちないように位置を微調整した。
「あ、これだこれだ。」
感づかれることもなく、私は無事にその体勢を維持する。
いや、そうじゃないでしょう私。
落ちちゃいますじゃなくて落ちた拍子に起きればよかったんですよ。
この状態が口惜しいと感じてしまう自分の浅ましさが今は憎いです...。
待望のチャンスを逃してしまうなんて。
「わかりやすくいつも整理してくれて海風には感謝しかないな。」
え...?
今、海風を褒めて...?
そういう事は起きている時に言ってほしいです。
でも嬉しいには嬉しいので満更でもない気分になる。
こんな海風でも何かあなたの役に立っていることもあるんですね。
心が満たされるように感じた。
しばらくさっきの提督の言葉を頭の中で反芻していると、目下の問題を思い出す。
そうではなく、今はいつ起きるかでした...。
うーん。
次...次に提督が動いたら頭が落ちたようにみせて起きましょう。
うん、それがいいでしょう。
さっき失敗したアイディアで無理やり自分を納得させてみせる。
あっ...早速動き出しそうですね。
「あはは、やっぱ海風のように上手に淹れられないな。」
何か飲み物を飲んだようですね。
それにしても、普段海風が淹れているものを美味しいと思っていてくれていたんですね。
その時に言ってくれればいいのに...。
...。
また海風は息をするように提督の動きに合わせて落ちないように...。
どうしてでしょう...。
私ときたら...。
でも、しょうがないですよね?
好きな人とこうしていられるんですよ?
そりゃあ離れるのは惜しいとも思っちゃいますよ...。
しかもこれは寝ている海風が自然にしたことなので仕方ないです。
「それにしてもかわいい顔で寝ているなあ。」
...!
海風をかわいいと...?
これは夢でしょうか。
そんな風に思ってくれているなんて。
思わず口角が上がってしまいます、バレないように抑えないと...。
でも...。
そんなこと聞いちゃったら余計に起きられません。
その場で褒めてくれない罰として、もう少しだけこうさせてもらいますからね。
あなたは女の子が好きな人にかわいいと言ってもらえることがどれだけ幸せなことか知らないのでしょうね。
これ以上ないくらい心からその感情が溢れてくるんです。
普段から言ってくれてもいいんですよ?
きっと起きている海風も喜びますから。
・海風に揺られる
私はよくここに来る。
提督の仕事を手伝って、それが終わった後に。
何も考えずに頭の中を空っぽにして海を眺める時間。
もうオレンジが今日の役目を終えて沈むところだ。
「どうやら間に合ったようだね。」
私の後ろから少しだけ荒い息づかいで提督がやってくる。
「そんなに急がなくても窓から見えますよ?」
クスッと笑って息を整えている提督を出迎える。
「いや、ここからの景色を見たら執務室から見るものでは物足りないんだ。」
「海風だけの秘密だったんですけど知られちゃいましたね。」
意地悪なセリフで提督を覗き込むように見つめる。
「教えてくれたのは海風じゃなかったっけ?」
「そういえばそんなこともあったかもしれません。」
わざとらしく舌を出しておどけてみせる。
提督は困ったような笑顔をして私の冗談を受け止めている。
ここはいい。
空と海、そしてその交わることのない境界線の三つしかない。
無にした頭に思いついたものがいいことなら空に浮かせ、悪いことなら海に落とす。
その決して交わらない境界は思考の混濁を防いでくれる。
いわば防波堤みたいなものかもしれない。
そうやって日々の気持ちを整理している。
見上げた時に気分が上向きになるように。
「今日は話しかけてこないんですね。」
視線をそのままに口だけを動かす。
「それは海風の方じゃないか?」
おそらくそれは横にいる提督も同じだろう。
海から来る風が海風の髪を揺らす。
右手はそのまま脱力したままにそれを左手で抑えた。
「そんなにおしゃべりでしたか?」
ライターの音がする。
「それはもうその日あったことを口にしているよ。」
「可笑しいですね、だって一日の大半をあなたと過ごしているのに。」
提督が大きく息を吐く。
白いそれは広がったかと思えば風に霧散して消えていった。
「今ではそれも楽しみの一つなんだけどなあ。」
一歩前に出て半分から上を見る。
さっきまで立っていた場所にあった足跡は波にさらわれて何もなかったかのようにまっさらになった。
「いつもはすぐなのに今日は浮かばないんです、思いつくのは同じことばかりで。」
少し間があった。
提督が吸っていたものを砂に落として靴の裏で付いていたものを消す。
「全員無事で帰ってきた、それだけでいいんじゃないか。」
頬を伝い切った雫が寄せるさざ波に落ちて同化する。
「旗艦として、姉として妹を守り切れませんでし...た...。それに任務も...。」
私の目からとめどなく零れるそれは全て海が受け止めてくれた、まるで還るように。
「小さいウチにとって捨てたあの資源は痛いけど、結果として誰も欠けてはいない。それは海風が身を挺したからだよ。」
怖かった。
目の前で大切な妹を失いかけて。
この日常が簡単に壊れてしまいそうで。
「艦隊の旗艦としてよくあの判断ができた、ボロボロになりながら姉としてよく妹を連れて帰った、よく期待に応えてくれた。」
もうあなたに会えないと思った瞬間もあった。
あなたに改二にまでしてもらったのに情けない。
今、こうしてここに立っていられるのは当たり前ではなかった。
「だから...俺は海風が誇らしい。」
私は上を向いた。
これ以上、涙が零れ落ちてしまわないように。
貰った言葉を海に落としてしまわないように。
「ポイ捨ては...いけませんよ...。」
もう取り繕うこともできないのに、私は誤魔化すようにそう言った。
一度、提督がこちらを向いたのが横目でわかった。
「そうだね、海風もあまり遅くならないようにするんだよ。」
提督は砂に半分埋まったたばこを拾ってポケットに入れた。
そして私を残して先に鎮守府へと帰っていく。
あなたにこの場所を教えてよかった。
あなたがここに来てくれてよかった。
この空を映す水面は世界の鏡のよう。
私の心もそこに映って見えているのですか?
いつも私の欲しい言葉を選んでくれる。
一人でずっと見てきたこの景色も今ではあなたなしでは物足りません。
もう大きな黄色がたくさんのしもべを引き連れて空を彩っている。
私は指さすその中で一番光っている星を。
それから星空をなぞるようにして小さくなったあなたの背中に指を向ける。
あなたの存在はきっと深い海の中でも見つけられる。
だって私にはすごく輝いて見えるから。
・お酒の味
あくびをしながら提督がペンを置いて首を回している。
今日はいつもより長引いて遅くなってしまったから無理もない。
「二二〇〇か、こんな時間まで付き合わせて悪いね。」
少し申し訳なさそうな表情を向けてくる。
「海風から言い出したことですから大丈夫ですよ提督。」
肩をすくめてそう返す。
そんな顔をしなくてもいいのに。
だって、あなたの役に立てるのなら私はそれで十分なんですから。
「いい子すぎるのも難儀だと俺は思うよ?」
フッと笑みを浮かべて頭をかいている。
「どういうことでしょう?」
今日の日報の最後を埋めて、明日分かりやすいようにそこにしおりを挟みパタンと閉じる。
「いや、何でもないさ気にしないでいいよ。」
「それならいいのですが。」
何を言いたかったのかは分からないが、重要なことではなさそうな気がして軽く流した。
「何かお淹れましょうか?」
席を立ったついでに提督に伺ってみる。
「いや、今日はこれにしようかなと思っているんだ。」
机に箱を置いてその中からボトルを取り出す。
やっぱりそれでしたか。
提督は遅くまで長引いた日はお茶ではなくスコッチをよく飲む。
「海風もそれを飲んでみてはいけませんか?」
「海風にはまだ早いかな。」
苦笑しながらやんわりと断られる。
お酒を嗜むこと自体は何も思わないが、あなたが好んで飲むそれを私も共有できないのは少し寂しい。
「おっと、今日は海風でも飲めるものがあったんだった。」
そう言って大きな引き出しで提督がゴソゴソし始める。
「海風にも、ですか?」
「そうそう。」
やがて先ほどの箱と同じくらいのサイズの箱を机の上に乗せた。
気になって提督の机の前に足を運ぶ。
「開けてみてもいいですか?」
「どうぞ、海風のだからね。」
手で開けてもいいと促してくれる。
その反応を見てから箱に手をかけてゆっくりと蓋を外す。
「これは...お酒ですか?」
そこに入っているボトルは中のワインのような真紅に染まっていて洋酒に見える。
「ボトリングティーって言うんだ、佐世保の上官から貰ったんだけどお酒が飲めない海風にいいかなと思ってね。」
見た目は大人っぽい飲み物であるそれを持って私は目を輝かせる。
「これもお茶なんですね~。提督、早く飲んでみたいです!」
私は急かすように提督に迫った。
「ははは、グラスを用意するからソファーで待っていてね。」
いわれるがままそのボトルを両手で持ってソファーに腰を下す。
大人の飲み物の味が気になってワクワクが止まらない。
これで海風も一歩成長できるのでしょうか。
「お待たせ、それじゃあお互いに頂こうか。」
提督はグラスを二つテーブルに置いて私の対面に座った。
隣に来てくれてもよかったのに。
ちょっぴりむくれてみる。
訴えるようにジト目で見つめてみても気付いてくれそうにはなさそうだ。
「むう、提督のは私が注ぎますから。」
諦めて自分で注ごうとしていた提督の手からボトルを奪う。
「それだったら海風のは俺が。」
そうしてお互いにお互いのグラスにそれぞれの飲み物を注ぎ合う。
それが終わり、二人でボトルをテーブルの上に置く。
私は酸化しないようにボトリングティーのコルクを出来る限り奥に詰め直した。
せっかくだから長くそれを飲み続けたかった、それくらい提督とこの時間を過ごせるのが嬉しかったのだ。
「乾杯。」
その一言を合図にグラスを軽く当てる。
ガラスがぶつかった音がさらに私の気分をよくさせる。
「いただきます。」
想像もできないそれを一口味わうようにゆっくりと喉に通していく。
「美味しい...。」
「それはよかった。」
ティーというように確かにお茶の味がしてほのかな甘味が口に残って、それでも決してくどくはない。
何より優しい味がする。
ホッと一息ついて、もう一度それを口にする。
やっぱり私はこれが好きかもしれない。
「あ、報告書を送り忘れていた。」
突然、やり忘れを思い出した提督が自分の机に向かって行く。
私はその後に残った提督のグラスをジーっと見つめる。
あなたが好きなものを私も知りたい。
それはわがままでしょうか?
だとしても芽生えた好奇心は止められなかった。
それを両手で持って少し飲んでみる。
「コホッ!コホッ...コホッ...!!」
なんだろうこれは...。
味なんて分からなくてただ喉が焼けるように熱い。
私はその場でグラスを置いて高いアルコールにひたすらむせる。
「海風!?もしかして飲んだのか?」
私の様子に気が付いた提督が走ってこちらに向かってくる。
「提督、すい...コホッ!...ません...コホッ!」
「無理して喋らなくていい。」
提督が私の横で優しく背中をさすってくれる。
それが助けになったかはわからない。
だけど、そのいつも助けてくれる手が安心させてくれたのは本当かもしれない。
大丈夫なんだと思わせてくれるその手が。
もう喉なんかよりあなたが触れている背中のほうがよっぽど熱い。
しだいに落ち着いてきたけれど、私はまだ演技を続けた。
悪い子でごめんなさい。
でも海風の恋心が発するその熱はまだあなたを求めているんです。
・もし普通に生きられたら
任務を終えて鎮守府へ向けて艦隊行動を行う。
満載のドラム缶を下げて各々等速で進みながらおしゃべりをしている。
「ちゃんと帰るまでが任務ですよー。」
気が緩み切らないように後ろをついてくる面々に注意した。
はーいと返事が帰ってきたのを確認して進行方向へと視線を戻す。
何が起こるか分からない海上では油断は厳禁だ。
とはいえ、行きの道のりよりは気持ちが楽なのも分かる。
私も往路ほど張り詰めた雰囲気ではないと自分でも感じる。
それにこの時間はいつも考えてしまう。
もし艦娘ではない普通の女の子として生きていけたらどうなっていたのだろうと。
日々、深海棲艦との戦いに身を投じて前線では血みどろの戦闘が続いている。
私達はそこにいるわけではないが、輸送任務でも遭遇することはしばしばある。
この間がいい例だ。
戦闘力が高い艦娘で編成されているわけではないため、毎回快勝して進路を切り開いているということではない。
時には殲滅をし、時には迂回し、時にはドラム缶を放棄してでも撤退する。
いつも命をかけているという事に違いはないと思う。
軍艦の魂から生まれる私たちは、姉妹艦という存在こそあれど両親は存在しない。
一概には言えないけど、世の中の子供は親からの愛情を注がれて二十歳の成人を迎えて巣から飛び立っていくのだという。
私もそんな無償の愛を受けてみたいと思うこともあった。
何でもないことで褒めてくれて、悪いことをしたら怒ってくれる。
そして自分のことを思って涙を流してくれるその愛を。
鎮守府の仲間たちも同じことはしてくれるが、それとはまた違うと本で読んだことがある。
どれだけ正確な情報かは判断ができないけども大まかにはそうなのだろう。
不思議とそれを知って寂しいと思うことはない。
私には姉妹がいる。
ただ感情を持ってこの姿に生まれた以上、私が持ち合わせていないそれに憧れるのだ。
「お父さんにお母さんかあ...。」
つい口から言葉が零れてしまう。
「誰のお父さんとお母さんのことさ海風の姉貴?」
いつの間にか私の横を航行している江風が尋ねてくる。
少し考えて無垢な江風を待たせる。
「海風たちのよ。」
困った顔で笑顔を作ってそのまま伝える。
頭の上に目に見えそうなハテナを浮かべていそうな表情をしている。
「ンー?江風よく分かんないけど鎮守府のことかなぁ?」
もし陸で生活していたらこんな風に妹と一緒に学校に通っていたのだろうか。
もしくは白露型の姉たちと。
その日ある授業が嫌だとか文句を言ったり、出来た友達の面白かった話をしたり。
想像するだけで毎日が楽しそうだ。
「そうだね、そうかもしれないね。」
目を細めて江風の頭を撫でる。
にししとくすぐったい笑顔を前面に出して、やがて隊列に戻っていった。
正直、かわいい妹の言い得て妙な発言に少し驚いた。
やんちゃなこの子も成長しているのかもしれない。
鎮守府が親...か...。
確かに私たちの帰りをいつも待っていてくれて、嬉しい時も辛い時もそこにいてくれる。
それじゃあ、もし大人になってそこからどこに旅立つことになるのだろう。
何も思いつかない。
下を見ると魚が自由にこの海を泳いでいる。
「あなたたちは一体どこに行くんですか?」
届くはずのない声を彼らにかけてみる。
当然ながら返答はない。
「なーんて、海が続く限りどこへでも行けますね。」
今度は上を見て艦娘でよかったことを考える。
美味しいご飯が食べられること、陸には見たことないものばかりなこと、誰かと話せること。
次から次へと軍艦時代では出来なかったことが出てくる。
こうしてみると人として生きる中では当たり前なことを楽しめるのは艦娘の特権な気がしてきた。
その中でも一番よかったことは...。
そんなことを考えていると目視で鎮守府が見えてきた。
私はクスッと笑って速度を上げた。
「あ、姉貴!もう、またかよ~。」
艦娘として生まれてきて一番よかったことは間違いなくあなたに出会えたこと。
それだけは揺るがない。
普通の生き方にも憧れる、けれど私はこれでいいのだ。
あなたとの出会いはそれだけで差し引きをプラスにさせてくれる。
みんなごめんなさい。
海風にも譲れないものが一つだけあるんです。
そこにいるであろう人に海水がかからないように徐々に速度を落とす。
あなたはいつも出迎えてくれる。
これだけは大好きなあなたに一番に言ってもらいたいんです。
だってこれが海風の生き方の中でささやかな楽しみなのですから。
「おかえり、海風。」
私はそれに満面の笑顔で答える。
「ただいま、提督。」
恋する海風 ~fin~