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窓から差し込む朝日に、眠っていた男は光から逃げる様に寝返りを打ち、カーテンで作られた陰へと顔を移動させる。
日差しによって目覚めかけた意識も、安らかな睡魔へと呑み込ま──
「……ッ、ごぉッ!?」
……れる事は無く。男の腹部に突如生じた痛みにより、一気に覚醒へと導かれる。
覚醒して尚、二度、三度と、まるで殴られているかの痛みに、意識の覚醒と共に募った苛立ちに任せて腕を振るう。
腹部に居たであろうモノは、宙を翻って、部屋の床に見事に着地する。
痛む腹部を押さえつつ、男は着地した場所に忌々しそうに視線を向ける。
着地した──“女の子”は、男の方に振り返って意地の悪そうな笑みを浮かべて、ケタケタと笑いながら男を指差す。
「ざぁこ、ざぁこ、ヨワシのくそざこねぼすけー!」
「まずな、ヨワシじゃなくて、イワシだし──」
男は目を見開き、ベッドから跳び上がる。
「──人の腹の上で跳ぶなっつったよなァ! このメスガキィ!」
キャハハと笑いながら走る幼女……“サメ子”を追う男……“海乃巖志”の一日が始まった。
遡ること一週間前。休日を趣味の釣りに費やした巖志は、ボウズな釣果に対して積った不満を酒で紛らわせるべく帰宅していた。
古びた一軒家の玄関扉を正面に見据えた瞬間、硬直する。
扉の前に、何かが倒れている。
「嘘だろオイ……なんだって俺ん家の前なんだよ……」
ただでさえボウズに苛ついていた巖志は扉の前を占拠する某を蹴り飛ばそうと早足で玄関に向かい、再び硬直する。
浮浪者なら問答無用で蹴り飛ばし、たとえ子供でも容赦するつもりは無かった巖志だが。
流石に、肌の所々が文字通り“鮫”の肌になっており。
背中から服を突き破って“鮫”のヒレが出ている子供なんてものを見た日には、固まるしかなかった。
寝そべっていた子供がみじろぎ。
「……おなか……すいた」
そう呟いた。
家の前ということもあり、途方に暮れてる暇も無い巖志は、即座に子供を抱え、自宅へ駆け込む。
緊急時の一時保護であり、決して。決して未成年誘拐では無い。断じて。
空腹というのは何となく把握できた巖志は、レトルトカレーを子供に差し出す。
「ほら、食え」
変に遠慮されても困るだけなので、ぶっきらぼうながらも食事を促す。
眠たいのか反応がイマイチ薄い子供だったが、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、目を見開いてカレーにがっつき始めた。
一心不乱に食べる子供を巖志は注意深く観察する。
肩にかかる程度の黒い髪に、幼児らしい大きな目。そして開いた口から覗く鋭い歯。
黙っていれば愛くるしいはずだが、豪快な食べっぷりからは欠片も感じられない。
だが、そんな容姿よりも目を惹くのが、肌。
顔や腕と、点々と人肌に混じってザラついた黒い皮膚が否応にも目につく。
……と、じろじろ見てたことに気付かれたのか、子供は頬をリスの様に膨らませながら、咀嚼しつつ巖志の方を見つめる。
「あー……俺は巖志って名前だ。お前は何て言うんだ?」
「ヨワシ?」
「いわし」
指を差してきた子供の間違いを訂正し、巖志は発言を待つ。
口の中のモノを嚥下した子供は直ぐさまカレーを口の中に含みつつ答える。
「わかんない」
「……わかんないって事は無いだろ」
「だってムズかしくて変な名前で呼ぶんだもん。だからわかんない」
「まあ……言いたくねぇならそれでも良いけどよ。お前それ食ったら帰れよ……ってか汚ったねえなぁ、もう……」
豪快な食べっぷりに至るところを汚しまくる子供に、タオルで拭き、子供の顔を拭う。
その後、綺麗にするべく子供と風呂に入った巖志は愕然とする。
「お前……女かよ」
風呂場で裸になった子供……幼女は呆けていたが、巖志を指差して一言。
「ドスケベロリコン」
「ドスケベは否定しねえが、ロリコンじゃねえよ」
「じゃあペドフィリア!」
「お前どこでそんな言葉覚えた」
──それが、一週間前の出来事。
帰る場所も忘れたという女の子を“サメ子”と名付けた巖志は、買い物を終え、公園にてサメ子を遊ばせていた。
……家の中だと、はしゃぎ回って凄まじく掃除が大変になるため、外で体力を消費させるのを学んだ巖志の策である。
公園のベンチに座り、買い物袋を脇に置いた巖志は、笑い声をあげながら様々な遊具にはしゃぐサメ子を眺めていた。
「元気だなぁ……」
疲れきってぼやく巖志の隣に誰かが座る。
横目でちらりと見ると、前を閉じた白衣に黒いスラックスの温和そうな男だった。
男はサメ子を見ながら、巖志に話しかける。
「お子さんですか? 随分とまあ、元気一杯なことで」
「あー……いや、ウチの子って訳じゃないんすよ。なんつーか……知り合いから預かったというか……なんというか」
「ほう……預かった、ですか。ならば、返して貰わなければいけませんね」
「……は?」
巖志が呆けた声を漏らすと同時に、宙を舞い、地面に叩きつけられる。それを、数度繰り返され、地面にうずくまる巖志は身体の激痛に混乱していた。
頭上から声が響く。
「本来なら始末する所ですが……保護してくれた酌量ということにしましょう。ああ、それと。これは口止め料です」
倒れた巖志の視界に紙切れ──紙幣が散らばる。
「帰りますよ、“シャークゼロワン”」
男の声に、シャークゼロワンと呼ばれたサメ子は怯えた表情で、首を横に振る。
男は軽く息を吐くと、巖志に近寄り。
手首に足を乗せる。
「言うこと聞かなければ、この男の人の手を折りますよ?」
「……やだッ!」
「なら分かりますね? ほら、さあ」
男が手をサメ子に差し出すと、サメ子は怯えながら近づき、男の手を取る。
手を引かれて歩くサメ子は振り返り、巖志を見、かろうじて視線を上げた巖志と、サメ子の目線が合う。
泣き出しそうなサメ子の顔を見た巖志は立ち上がる。
「……待てよ」
満身創痍ながらもドスの効いた声を発し、巖志は紙幣を踏み躙り、一歩。前に出る。
「ソイツは……俺の、家族だ」
「……妙な事を言いますね。返して貰う、と言ったはずですが」
「ソイツが……サメ子が本当に帰りたがってんなら返すさ……」
ただな、と前置きした巖志は咳き込み、真っ直ぐに。男を見据える。
「泣きそうなツラしたガキ見送る程……俺は、落ちぶれちゃいねーぞ……!」
決意に満ちた表情の巖志に、白衣の男は懐に手を入れる。サメ子が慌てて男の手を引き、待ったをかける。
「邪魔しないで貰えますか」
「お別れ……お別れを言うだけだから、少し待って」
サメ子の懇願に白衣の男は短く嘆息し、手を離し、白衣のポケットから懐中時計を取り出す。
「一分経ったら、声掛けますからね」
「うん」
短く返事したサメ子は巖志の下に駆け寄る。
「サメ子……お前……」
「しゃがめ」
「……は?」
「いいからしゃがめッ!」
「んだよ、いきなり……」
言われるがままに、巖志はしゃがんでサメ子に目線を合わせる。
「サメ子、行きたくないなら──」
行くな、と言おうとした巖志の言葉は、サメ子の口づけによって途絶える。
突然の事態に巖志の思考は真っ白になり。
次の瞬間、巖志の口に激痛が奔る。
「──いっっっでッ!!!」
サメ子から口を遠ざけ、巖志は服の袖で口元を拭うと、袖は赤く滲んでいた。
そしてサメ子は、背中から生えている背鰭を大きくさせ、獰猛な表情へと変貌していた。
「……ちっ!」
白衣の男が舌打ちし、懐から拳銃を取り出すと同時に。
サメ子は地面に“潜り”、文字通り鮫の如く地面から背鰭だけを露出させ、まるで水中にいるかの様にして白衣の男に迫る。
背鰭が完全に地面へと消え、刹那。
「ぐぅッ…………!」
白衣の男が持っていた拳銃が“腕ごと”千切れ飛び、サメ子の口の周りは赤く染まっていた。
「誤算ですね……」
苦悶の声を絞り出す白衣の男は白衣を千切り、肘から先を無くした右腕を器用に縛り上げる。
ポケットから取り出した注射器を右腕に刺し、中の液体を注入する。
「今回は引き上げますが……これからは覚悟して貰いますよ」
そう告げた男は、脅威的な跳躍力で瞬く間に彼方へと消えた。
呆然とする巖志と、公園の水飲み場で口を濯ぐサメ子。
巖志が暫く呆けていると、いつの間にかサメ子が巖志の手を引いており。
「お腹空いた!」
「……じゃあ、帰るか。何食いたい?」
「カレー!」
屈託の無い笑みを浮かべるサメ子の手を握り、二人は帰路につく。