恋する鹿島
・梅雨の髪の毛事情
気乗りしない足取りで廊下を歩く。
窓ガラスには水滴が滴り落ちて次の雫が通る道を紡いでいる。
「あなたたちのせいですよ?」
私はそれを指でせき止めようとする。
しかし窓の内側に添えた指を無視するように外側では次々とそれは流れていった。
戯れも大概にして、止めた足を動かし始める。
この時期は嫌いだ。
じめついた気候のせいで髪の毛が上手くまとまらない。
それだけで私のテンションは朝からガタ落ちだ。
鎮守府の中では装飾が豪華な扉の前で止まってノックをする。
「提督さん、失礼します鹿島です。」
ゴトッと音がした。
「開いているよ。」
その言葉を聞いて執務室へ入る。
「物音がしましたが何をしているんですか?」
机に手をかけながら朝から既に汗だくの提督に尋ねる。
提督は額の汗を手で拭いながら息を吐いてこちらを向いた。
「秘書官用の新しい机が届いたから組み立てていたんだ、今までのじゃ狭かっただろう?」
確かに提督の横を見ると少し大きくて、所々に装飾がされている机がそこにはあった。
朝からそんなことをしなくても私だって手伝うのに。
でもあなたは断るのでしょうね。
女の子の手に傷がついたらどうするんだ、と。
その姿が想像できて私はあえてそれを言わなかった。
「素敵な机ですね、ありがとうございます提督さん。」
素直な感想を口にする。
限られた予算を私のために充ててくれたことが嬉しい。
あなたのそういう気遣いが私の何もなかった心に恋の種を蒔くのですよ。
気付いていないでしょうけれどね?
「早速使わせてもらいますね。」
私は椅子に座って今日の書類を机に広げる。
「斜めになっていたりしたら教えてくれるかい?直すからさ。」
「ふふふ、わかりました。」
口に手をあてて笑みを零す。
でも、そういう不器用な一面もまたあなたを感じられていいものなんです。
だからそういうところがあっても何も言わずにいましょう。
机を手で触れてこれから大切に使っていこうと目を細める。
「じゃあ今日も仕事に取り掛かろうか。」
腕をまくってやる気満々の様子だ。
「そうですね、始めちゃいましょう。」
おそらく朝早くに起きて大変だったでしょうに。
あなたはそんな仕草も見せずに立派です。
私は提督が席に座るのを見届けてから一枚目の書類に目を通し始める。
そこからは二人で仕事を分担して処理していった。
分からないことがあれば尋ね、不備があれば各所まで足を運ぶ。
いつも通りの一日だ。
ただ、一点を覗いては。
それは髪の毛だ。
何をしていても視界の上に毛先がくるっとした前髪がちらつく。
アイロンまでしたのにもうその効果はなくなっている。
「はあ...。」
溜息をつきながら髪の毛を指でクルクルさせて肩を落とす。
毎朝起きたら髪の毛がうねっていてなかなかまとまらない。
せめてあなたの前では満足した姿でその視界に入っていたい。
世の中の女の子なら当然のこと。
今日はいつにも増して気になる。
「何か悩み事かな?」
いつの間にかペンを置いた提督がこちらを見ている。
「いえ、別に大したことじゃないんです。」
止まっていた手を動かそうと、置いていたペンを持つ。
「でもそうしている時は大体いつもそうだよ。」
ピタっとその手が止まる。
確かに何か考え事をしている時は髪の毛をいじる癖があるかもしれない。
それがあなたに筒抜けだったなんて...。
私は観念して両手を膝に置いて話す。
「髪の毛が...。」
「うん?」
「湿気で髪の毛が上手くセットできないんです。」
静寂が流れた。
提督は目をぱちくりさせている。
私は恥ずかしくて顔を赤くして下を向いた。
やがて提督は笑い出した。
「ははは、いいじゃないかそれでも。」
その反応に私はちょっとむくれた。
「提督さんには分からないかもですけど、髪は女の命なんですっ。」
頬をリスのように膨らませてそっぽを向く。
真剣な悩みなのにそんなに笑わなくたっていいじゃないですか。
「もう、提督さんなんて知りません。」
そんなこと言う提督さんなんて、執務だって一人でこなせばいいんです。
心の中で追い打ちをかけていじけてみせる。
「悪かったよ、僕はそんな鹿島ももふもふしていてかわいいと思ったんだよ。」
困った顔をしながらサラっと提督がそんなことを言う。
私は横に垂れた白いうねる髪の毛をつつきながら目を逸らした。
「今回は...今回は特別に許してあげます。」
提督に聞こえるかどうかの小さな声でそう呟いた。
あなたがこれをそう思ってくれるなら梅雨も悪くないかもしれません。
私は提督にバレないように笑顔をこぼした。
どうしてこう単純なんでしょう、かわいいと言ってもらえただけで梅雨の終わりが恋しい。
だってそうでしょう?
あなたに毎日かわいいと思ってもらえるんですから。
ね?
・実は米派の提督
手際よく書類の必要項目を埋めて処理済みのタグが付いたケースに一枚一枚入れていく。
メトロノームのように音を鳴らす秒針がリズムよく私の手を動かしている。
今時にアナログ時計なんてという人もいるが、これはこれでいいものだと思う。
別にデジタルが嫌いと言うわけじゃない。
ただ静かな空間に響くカチカチという音が好きなのだ。
一歩ずつ進んでいくその針が。
そんなことを考えていると、今何時なのかが気になった。
視線を上げて時計を見る。
時刻は一一〇〇になろうというところだ。
「提督さん、お先に失礼しますね。」
昼を取るにはまだ少し早い時刻に私は席を立つ。
「うん、分かったよ。」
その返事に軽く会釈をして部屋を出る。
これはさぼりというわけじゃない。
おそらくは提督をサポートする秘書官の仕事なのだ。
「ここ少し借りますね?」
厨房の奥で鍋に火を通している鳳翔にひと言をかける。
「ええ、構いませんよ。」
笑顔でそう言う彼女は私を快く迎え入れてくれた。
私は毎日ここへ来る。
そう、提督にご飯を作るために。
冷蔵庫から慣れた手つきでタマゴやレタス、ベーコンを取り出す。
そして先に沸かしておいたお湯にゆっくりとタマゴを入れる。
その間に他の食材の下処理を済ませる。
何か力仕事の時は怪我を心配して何もさせてもらえない私だが、料理は何も言われなかった。
たぶん料理は女の仕事とかを思っているのではない。
あの少し抜けている提督の事だからきっと包丁での怪我なんてことは思いつかなかったのだろう。
私はあえてその可能性を言わなかった。
だって言ったらあなたにご飯を作ってあげられなくなってしまうから。
私の料理で笑顔になるあなたを見るのが密かな楽しみ。
「そろそろですね。」
茹でていたタマゴを取り出して冷水を入れたボウルで皮を剥く。
スルッと剥けるこの感覚が気持ちいい。
それを今度は潰してマヨネーズと混ぜる。
そしてレタスと挟んでサンドイッチを完成させる。
「今日も美味しいって言ってくれるといいなあ。」
完成したサンドイッチを眺めながらそんなことを期待する。
でもいつも同じじゃつまらないかもしれない。
唇に指をあてて斜め上に視線を向けて思案する。
「そうだ。」
思いついたようにサンドイッチを指さして愛情という調味料を加える。
少しでも美味しくなるようなおまじない。
私は満足気にそれらをトレーに乗せる。
そうしていると食堂の方から声が聞こえた。
「提督ってあんなにお米が好きでここの定食食べてたのにめっきり来なくなったよね~。」
一瞬身体が強張った。
知らなかった、提督がお米派だったなんて。
さっきかけたおまじないがもう効果を消したかのように、完成したサンドイッチに自信が持てなくなる。
「やっぱり鳳翔さんのご飯のほうが...。」
その言葉を自分で口にした時、胸がキュッとなった。
今まで無理して食べてきたんじゃないか。
だとしたら私一人が浮かれていただけ...。
トボトボと執務室までの廊下を歩く。
その振動でサンドイッチから大きめに潰したタマゴがお皿に滑り落ちる。
それはまるで私の心の様。
「鹿島、ただいま戻りました。」
暗い表情で執務室へ入る。
「待ってたよ、もうお腹ペコペコでね。」
にこやかな表情で笑いながら提督が目の前に広がった書類を避けて、トレーを置くスペースを作る。
その空いたスペースに作ったお昼ご飯を置き、三歩ほど離れた。
「お口に合わないかもしれませんが、どうぞ...。」
「ん?鹿島のご飯はいつも美味しいよ?」
きょとんとしながら私が作ったサンドイッチを食べ始める。
勢いよく頬張ったからか、その口にはタマゴがついている。
「その...無理して食べなくてもいいんですよ?」
スカートの前で両手をぎゅっと握って、細々とした声でそう言った。
お米を我慢させていたらと思うと申し訳ない気持ちが広がってきた。
私は視界の端でチラっと提督の様子を見た。
「んー、どうしたのか知らないけれど僕は鹿島の作るご飯が好きだよ。」
何でもないような顔をして提督はサンドイッチを食べ続ける。
「でも提督さんはお米派って...。」
思い切って聞いてみた。
「前はそうだったかもね、でも今は鹿島のご飯が楽しみなんだよ。将来、鹿島の料理を食べられる人が羨ましいくらいには。」
あははと明るく振舞うその笑顔に私の不安は消し飛んでいった。
私は前から後ろに両手を回して上半身を乗り出す。
「じゃあ私のご飯を食べられるのは提督さんが最初で最後の人ですね。」
晴れやかな笑顔で提督の口についたタマゴを指で取って、それを自分の口へ運んだ。
羨ましがらなくても、私はあなたにしか作らないです。
だって、私は美味しいと言ってくれるあなたにご飯を作りたいんですから。
・高いヒールのいいところ
私の支給された制服はかわいい。
白を基調とした上は袖にフリルがついていて、胸には赤いリボンがある。
靴もやや高いヒールがあって、下手におしゃれするよりもいいデザインがなされている。
日々、かわいさを追い求める女の子にとって指定の制服がこういう見た目なのは毎日が楽しくなる。
私も例外ではない。
大本営は女子のモチベーションを維持させる方が分かっていると思ってしまう。
ヒールは歩きにくいと感じることもあるけれど、床をコツコツと鳴らすあのリズムがまたいいのだ。
「提督さん、次は演習でしたか?」
「うんそうだね、たぶん今からでも間に合うはずだから。」
バインダーに挟んだ予定表を見て次を確認して、二人で横に並んで歩く。
それに高いヒールにはとっておきの楽しみがある。
それはこうして立っている時に好きな人の顔がよく見えることだ。
くしゃっと笑うその笑顔や驚いて目をぱちくりさせているその表情が近くで見ることができるのはこのヒールのおかげ。
こればっかりは六駆の子が履いているローファーでなくてよかったと思わざるを得ない。
やや歩いて出撃ドックの近くの丘に来た。
ほどよい風が暑さをさらっていってくれる。
「今はどんな編成で演習しているんだっけ。」
提督が私が手に持っているバインダーを覗く。
私は見やすいように提督にそれを向けた。
「今は水雷戦隊と潜水艦組で対潜演習が行われてますね。」
ふんふんと腕を組みながら提督は海上に視線を戻した。
いたって真面目な顔で彼女らを眺めている。
私が海にいる時もその表情をしてくれているのだろうか。
あまりそこでは活躍できない私だけど、向けていてほしい。
他の誰でもないあなたに見ていて欲しいのです。
私は演習をしている彼女らに羨望の眼差しを向ける。
「私も何かを持っていたら...。」
その言葉は突然吹いた風に流されるように私の下から霧散していった。
つい零れたそれが提督に聞こえていないかと、提督の顔を見る。
その視線はさっきと変わらずに海を見ていた。
気付いていないことに安堵しながらも、ないものねだりをした自分に嫌気がさす。
「終わったようだしそろそろ行こうか。」
自己嫌悪に陥っていると演習を見終わった提督が踵を返した。
「あ、はい。」
私も少し駆け足で追いついてその横を歩く。
さっきまで鳴っていた砲撃音がなくなっただけでここまで静かな空気になったことに驚く。
青々と茂った木々は心地よさそうに日光浴をしている。
「今日はたくさん歩かせてごめんね、その靴じゃ少しきついだろう?」
揺れる葉を眺めていると提督がそんなことを口にした。
少し申し訳なさそうな顔をしている。
本当にそう思って言っているのだろう。
「大丈夫です、こう見えて結構歩きやすいんですよ?」
上目遣いでそう言って、わざとらしく軽快な足取りで提督の先を行く。
「ね?だからそんな気を使わなくてもいいんですよ?」
私は提督が自分のところまで来るのをその場で待った。
「ははは、もはや登山でも出来そうだね。」
「ええ、任せてください。」
両手を腰に当てて自信ありげなポーズを取ってみせる。
また提督は笑いながら私に追いついた。
そして再び二人で歩き出す。
まったく、あなたはいつも私を心配してくれますね。
口を開くたびにそれを聞いている気がします。
でも私を見てくれていて嬉しい。
私は少し微笑み、横目で提督の唇を見る。
いつかそこに触れることができたらどれだけ素敵でしょうか。
きっとこのヒールのおかげでキ、キスもしやすいかもしません。
そんな憧れに思い老けていると、急に身体が沈んだ。
「きゃっ!?」
「鹿島!」
どうやらよそ見をしていたせいで小石に躓いてしまったようだ。
こういうところはヒールの悪いところなのかもしれない。
とは言っても今回ばかりは私が悪いと思わざるを得ない。
「いてて、すいません提督さん。」
私は立とうとするも膝が痛む。
見ると少し地面ですりむいてしまったようだった。
提督もそれに気が付いたように見える。
「大丈夫かい?その近くの芝生まで移動できる?」
「はい...。」
私は差し伸べてくれた手を取って、道の脇の芝生に腰を下ろした。
「ちょっと待っていてね。」
そう言って提督はポケットから絆創膏を取り出した。
「大丈夫ですよ!こんなのすぐ直りますから。」
私は両手で提督を制止した。
「でも人と同じで痛いものは痛いよ、それは鹿島もそうでしょ?」
「う...。」
私の制止を無視して提督はその絆創膏を私の膝に貼ってくれた。
迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと同時に、その傷を覆うあなたの優しさが私を満たした。
その絆創膏をそっと手で撫でる。
「ちょっと勿体ないですね。」
困ったような笑顔で私はそう言った。
「そんなことはないよ。」
提督はそう言ってくれたけどそうじゃないんです。
私が言っているのは、いつかこの優しさを剥がしてしまわないといけないことを言っているんです。
でも、もしまた転んだときはこの膝に上書きしてくれますか?
そうだといいな。
この高いヒールの欠点もあなたの優しさに触れられるならいいところに思えてきちゃいます。
「ふふ、そんなことあるんです。」
・化粧と私
「はぁ...はぁ...凄い雨だね、もうびしょびしょだ。」
息を切らしながら私に全身から雨が滴るその様を見せてくる。
「ふふふ、そんなの私だってそうですよ、ほら。」
私も手袋を絞ってそこから出る水を提督に見せる。
二人で乾いた笑いをしながら、閉まっている花屋さんの軒先で雨宿りをする。
会議の帰りで少し歩こうと言い出したのが間違いだった。
結果、通り雨がやってきて今こうして全身濡れた状態で雨が止むのを待っている。
「お土産の中身が無事だといいんだけどなあ。」
提督は途中で買ったお菓子の袋を見ている。
外側はもう濡れてしまっていてパッと見じゃもうアウトにも思える。
「駆逐の子たちが残念がりそうですね。」
髪の毛を手で軽く水気を落としながら苦笑する。
「お土産を期待していてと言った手前、噛みつかれそうで怖いよ。」
「それは頑張ってくださいね?」
意地悪な表情をして私はその手から逃れようとする。
「助けてくれないのかい?」
提督はショックを受けた顔で固まっている。
そんな子供のような反応をしなくてもいいのにと笑いが込み上げてくる。
「言い出したのは提督さんですから、無事にお土産を持って帰るのが任務ですよ。」
リアクションが面白くてついそのまま意地悪を続けてしまう。
提督はお菓子の無事を祈って手を合わせている。
もし中身がダメだったら何か焼き菓子を作ってあげてもいいかもしれませんね。
クッキーあたりなら材料もあるはずですし。
口には出さないが、一応もしものことも考える。
クスクスと笑っていると、お店のガラスに自分が映っていることに気が付いた。
「あ...れ...?」
その姿を見て私は勢いよく提督に背を向けた。
鏡ほどキレイに映っていなくてもすぐに分かった。
雨で化粧が崩れていることに。
私は鞄から化粧落としを取り出して崩れて見れたものじゃないそれを慌てて落としだした。
「鹿島どうしたの?」
後ろから提督が話しかけてくる。
でも今はそっちに向くことができない。
「こ、こっち見ないでください...。」
目元を中心に化粧を落としながら、か細いこえでそう言った。
きっと今の私はかわいくない。
そんな状態をあなたに見て欲しくない、そう思った。
「何か目に入った?」
提督が私の前に回り込んでくる。
それを見てまた急いで背を向ける。
「何でもないですから。」
三枚目の化粧落としを取って次は頬のファンデーションを落とす。
こんなことなら香取姉が言っていた崩れずらいお化粧の仕方を教えてもらえばよかった。
もう遅い後悔をしつつ手を進める。
「そんなに慌てて何でもないは嘘だと思うな。」
そう言ってまた提督は私の前に来た。
私はそのまま顔を見られないように下を向いた。
いくら提督でもここまでしつこいのは許せないかもしれない。
「今は放っておいてください!」
私は目を潤ませて、いつもは出さない少し荒げた声を提督に向けた。
提督は驚いた様子でこちらを見てから、やがて微笑んだ。
「やっとこっち見てくれたね。」
「あ...。」
私はつい上げてしまった顔をまた下げた。
あなたにだけはこんな顔を見られたくなかったのに。
綺麗な私を見ていて欲しかったのに。
「お化粧もしていない私なんてお見苦しくて見せられないですよ...。」
化粧落としを持った手に力が入る。
私は私に自信がない。
そんな私を化粧は誤魔化してくれる、その姿が鹿島なのだ。
化粧という装備を失ったことが怖い。
そんな無防備になった私は何者なのだろうか。
不意に私の頭に提督の手が触れた。
それはそのまま優しく撫でてくれる。
私は少し顔を上げた。
提督はそれを見て優しく笑った。
「やっぱり鹿島は綺麗な顔をしているよ。」
困惑した。
こんなすっぴんな私の顔が綺麗...?
それはまるで何も装備していない、私が私になる前の状態を認めてくれた気がした。
私という存在がそのまま鹿島になった瞬間だったかもしれない。
その目は今の私を見てくれている。
少しずつ身体が熱を帯びてきたのが分かる。
「やっぱり...見ないでください...!」
私はそっぽを向く。
その染まった頬を隠しながら。
だって、あなたに恋心が彩る天然のファンデーションを見せるのは恥ずかしいから。
ふと、ガラスに映った自分と目が合う。
私は今の私にウインクをした。
・私の苦手
お風呂に入り自室へと戻る。
ドライヤーを手に取って鏡の前に座って、首を動かし髪の左右を見る。
少し伸びてきたかもしれない、そろそろ切り時に見える。
それを確認してから下ろした状態の白い髪を乾かし始める。
最近のドライヤーは髪が痛まないようにあまり熱い風が出ない。
なのにちゃんと髪が乾くのだから不思議だ。
科学の進歩に感心していると、枝毛が出来ているのを見つける。
一度ドライヤーを置いてその箇所に狙いを定める。
「枝毛は、この鹿島が許しません!」
誰かのモノマネなんてしながらそれを取って引き続き髪を乾かす。
こんなことするなんて今日は上機嫌なのかもしれない。
普段なら無言で取ってそのまま捨ててしまう。
鼻歌を口ずさんでいると、突然ゴロゴロと空から不穏な音が鳴り出した。
「嘘ですよね...?」
私はドライヤーのコンセントを抜いて来るべきものに備えて身構えた。
そしてその直後、近くで大きな音を出して雷が落ちた。
「ひゃ!?」
血の気が顔から引いていくのが分かる。
手早く布団の場所から枕を取って部屋を出た。
廊下を早足で歩く間も雷は鳴っている。
その度に抱きかかえるように持っている枕を力強く抱きしめる。
私は雷が苦手だ。
一人の自室では怖くて眠ることができない。
だからこうしてある場所へと急いでいる。
しかし目的の部屋の前に着くも、迷惑かと思い尻込みする。
「もう寝ているかもしれないし...。」
その時、また大きな音を出しながら雷が落ちる。
それに驚いてノックしようか悩んでいた手が勢いよくドアにぶつかる。
私はビクビクしながら窓の外の雷雲を見つめた。
それは次発装填をしている主砲のようにうごめいている。
涙目になりながらそれを見ているとドアが開いた。
「そんなとこにいないで入っておいで。」
特に驚いた様子もなくそこに提督は立っている。
「提督さん...すいません...。」
余裕のない私はそのまま部屋に入ってソファーに小さく座り込んだ。
提督はゆっくりとドアを閉めて、用意されたキッチンスペースへ歩いて行った。
「そこにあるブランケット使ってもいいからね。」
冷蔵庫を開けた明かりが漏れている。
私はそれを聞いてブランケットを頭から被った。
提督が近くにいることや、提督に香りがするブランケットのおかげで少し安心できた。
雷の鳴る日はいつもここに来る。
特に夜の時は決まって。
子供っぽくて自分が嫌になるがこればっかりはどうしようもないのだ。
やがて提督がマグカップをもって歩いてくる。
「はい、これ飲んだら少しは落ち着くよ。」
白い無地のマグカップを提督から受け取って両手でそれを持つ。
「ありがとうございます...。」
ニコッと提督は笑って私の横に座った。
私はそれを一口だけゆっくりと飲んだ。
温かくて少し甘い。
やっとほっと一息つけた気がする。
「提督さん...これホットミルクですか?」
両手でその温もりも感じながらそう尋ねる。
ホットミルクにしては少し甘い気がしたからだ。
「そう、はちみつを少しだけ入れてあるけどね。」
納得がいった。
確かにこのほんのりとした甘さは気分が安らぐ。
肩の力が抜けて顔に血の気が戻っていく感覚がする。
ここに来ると雷が落ちても大丈夫になる。
音に少しは驚くけれど、それでも提督の安心感の方が勝つのだ。
視線をマグカップから正面に移すと、テーブルの上の卓上ライトがついていてそこには開きっぱなしの本がある。
私が来るまではそれを読んで過ごしていたのだろう。
「私、読書のお邪魔をしてしまいましたね。」
背を丸めてより小さく佇む。
「あれは昨日の読みかけ、さっきまでは鹿島が着そうだなと空を眺めていたよ。」
気付かないうちに提督は私の背中をさすってくれていた。
あなたの熱が伝わってきて気持ちが落ち着く。
「それ、読み聞かせてくれませんか?」
私は開いてある本を指さしてそう言った。
「つまらないかもしれないよ?」
少し笑いながら提督はその本を取った。
「提督さんがどんなものを読んでいるか気になるんです。」
「そっか。」
私のわがままに付き合って提督はその本を音読し始めた。
ゆっくりとした声でいて優しい声。
私はこの声が好きだ、私の名前を呼んでくれるその声が。
本は恋愛小説のようだった、結ばれることのない二人が駆け落ちするロマンチックな話。
私はついそのヒロインを自分に、主人公を提督に重ねてしまった。
もし...。
もし、私が好きだと言ったらあなたは駆け落ちしてくれますか?
そんなことを思ってしまった。
でもそれは言えない、だってあなたの困った顔は見たくないから。
だからね?
まだこの気持ちは心の中にしまっておくの。
いつか好きと言えるその時を信じて...。
提督の声という子守歌にいざなわれるように、私はそのまま微睡みの中へ迷い込んでいった。
・育んでいく恋の木
「提督さんはお砂糖無しですよね?」
「うん、ブラックでお願いするよ。」
私の分だけ砂糖を二つとミルクを少し入れてトレーに乗せる。
「はい、熱いうちに召し上がってください。」
提督の前にブラックコーヒーを差し出して、その反対の空席に私の分を置く。
「ありがとう鹿島。」
返事の代わりにニコッと笑みを見せる。
私も提督の対面に座ってブレイクタイムを楽しむ。
今日は青空が広がっていて庭で過ごすにはちょうどいい天気だ。
「提督さんはブラックを飲めてすごいですね、私にはちょっぴり苦くてまだ慣れません。」
苦笑をしながら甘さを足したコーヒーを口にする。
「両親がブラックばかり飲んでいたから僕は小さい頃から訓練されていたのかもしれないね。」
私に笑って見せて、ブラックを飲めるようになった経緯を話してくれる。
それを私は噛みしめるように聞く。
私は艦娘だから戦いに行くこともあれば、まだ練度の低い子たちの教導をすることもある。
戦禍の中に生まれた私たちはそこに身を投じている。
それが宿命だから。
もちろんやりがいも感じている。
でも...。
それでも私はこうしてあなたとお茶をしている時間が一番好き。
何でもない話でお互いに笑って、昔話で慈しむ。
そしてまたあなたを知るの。
とても幸せな時間。
あなたが笑ったときにできるそのえくぼが好き。
だって私との時間を楽しんでくれている証拠だから。
「この庭も綺麗だけど何か物足りない気がするなあ。」
私の淹れたコーヒーを飲みながら、庭に視線を向けている提督がそう言った。
確かに花壇に花は咲いているけれど、もう一つ何かがあってもいい気がする。
「そうですねえ...。」
首を少しかしげながらその足りない何かを考える。
ガーデニングに詳しいわけではないため、どの色の花がいいとかそういう話は分からない。
かといって公園のように駆逐艦たちが遊べるような遊具はちょっと合わない。
二人でうーんと頭を捻る。
「こういうのはたぶん僕より鹿島の方がセンスがよさそうだなあ。」
私も全然思いつかないのにいきなり丸投げされてしまう。
「もう、じゃあ私のアイディアは文句を言わず採用してくださいね?」
口をとがらせながらそう言った。
「ははは、もちろん文句なんて言わないよ。」
おどけた様子でえくぼをつけて笑っている。
まったくしょうがないんですから。
心地よい風が二人の間を吹き抜ける。
揺れるツインテールを抑えながら私は笑みを零した。
そして立ち上がって芝の上を走りだす。
「この辺でいいかもしれませんね。」
私はそこで提督に振り向いて両手を広げた。
「ならここに木を植えませんか、花が咲くような。」
「木だなんて随分と大きく出たね。」
提督はその場で頬杖をつきながら私を見ている。
「もうダメだなんて言わせませんよー?」
広げていた両手を腰の後ろで組んでその場で数歩歩く。
桜なんていいかもしれません。
植えてからはしばらく二人でその成長を見守りましょう。
その間にあなたは白髪が出てきているかもしれません。
私もきっと何か変わっているかもしれません。
その花が咲く時には戦争も終わっているといいですね。
そしたら、花びら舞うこの庭でまた二人でお茶をしましょう。
すごく素敵だと思いませんか?
私は少し離れた提督に覗き込むような動作をして返事を催促する。
「さっき僕が文句は言わないと言ったんだ、そうしようか。」
フッと笑いながら提督が観念する。
それを聞いて私は満面の笑みを浮かべた。
「数年、数十年、いつ咲くのか今から待ち遠しいですね。」
「その時が楽しみになってきたよ。」
飲んでいたコーヒーのカップを置いて提督がこちらに歩いてくる。
私は近くに来た提督の手を取って一緒に空を見上げた。
その言葉、忘れないでくださいね?
花の蕾が開くその時まで。
今はこの約束が私の頑張ることができる限界。
それでもあなたとの未来を紡ぐその希望は私の笑顔を満開に咲かせるには十分だった。
「提督さん、これからも鹿島をよろしくお願いしますね。」
恋する鹿島 ~fin~