私はなんとしてでも五条悟の術式がどんなものかを知らねばならなかった。
だから2人きりの教室で先生に向かって質問する。
絶え間ない雑談に耐えながら、これがそうなのかと問いかける。

「さて先生、無下限術式とシュレディンガーの猫になんの関係が?」

※呪術廻戦最新話までのネタバレを含みます※
誤字報告&感想、感謝です。

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五条悟を殺したもの、五条悟を殺した術式

 

 

 

「令和の今日にゼノンのパラドックスかい」

 

 ()()は苦笑する。質問があると申し出た私のセリフを遮っておいてどうにも不満げに息を漏らしている。2人きりの教室で行儀悪いままに座るイスはギイギイと音を立てる。

 

「なんですかゼノンって」

「こういった方が分かりやすいか。静止する矢。アキレスと亀。二分法パラドクス」

「あーそれなら、というかそれについて質問しにきたんですよ」

 

 私は懐にある指一本分の厚みを持つ何てことのない科学読本を見せびらかす。

 どうしても納得ができなかったのだ。

 

「どうしてアキレスは亀に追いつけないんですか?」

「まるで幼児向けの科学読本に登場する先生に質問する子供のように振る舞うじゃないか、キミは鏡を見たことがないのか?」

 

 まただ、また笑っている。

 何がそんなにおかしいのだろうか。

 こんな調子じゃいつまで経っても答えを聞くことができなさそうだ。

 しかしこの先生は無限に与太話をする代わりに、あらゆる解答を持つという話だ。大人しく解法を説くに回るのを待つとしよう。

 

「何でそんなこと聞きにきたんだ?」

「知らないんですか先生。最強の呪術師、五条悟。彼の無下限術式の例えの一説です」

「ハッ」

 

 鼻で笑われる。

 

「知ってるんですか?」

「私に知らないことはない。だが知らなかったとしても同じように笑っただろう」

「何でですか?」

「都合のいい部分だけを剥ぎ取られて、ヤリ捨てられたんだろうなと察せられるからだ」

「ヤリ捨てってのはどういう……」

「漫画家だとか作家が、自論を持ち上げるために、説得力や箔をつけるために、いい加減な例えを披露することだよ」

 

 ひどくうんざりしてるご様子。

 回るイスの上、こちらに顔が向く度に百面相を披露している。

 

「奴らには先人への敬意っていうのがないのかい?大した知識もないくせに、一から勉強しようとせずに、Google検索上位に出たサイトに表示されるワードを繋ぎ合わせ、訳知り顔で自分のキャラに語らせるんだ。『シュレディンガーの猫』なんかがいい例だ」

 

 うわぁ面倒臭いことを言い出した。

 このままだと何処ぞの誰かに特大のブーメランが突き刺さってしまうやもしれない。

 なんとしても話の方向をズラさなければと、私は腹にある言葉を咀嚼せず、吃逆のようにそのまま吐き出した。

 

「あ、ああ!シュレディンガーの猫は私も知ってますよ!」

「言ってみろ」

 

 冷たい目だ。

 どうせお前も同類なんだろうなという、期待値ゼロの眼差しだ。

 

「ええと、箱の中にいる猫は見ることができない。見ることができないから生きているか死んでいるかは箱の中を見るまでは分からない。未来は無限の可能性!ってやつですよね」

 

「ハッ」

 

 鼻で笑われた。

 

「間違ってますか?」

「間違ってる間違ってないの話でいうと、間違ってると言えないのがいささか口惜しいが、いい加減な例えであることには違いない」

「話がドンドンズレてる気がしますけど、正しいシュレディンガーの猫はどういったものなんですか?」

 

「アレは、コペンハーゲン解釈のおかしさを指摘するためにシュレディンガーが反論目的に挙げた思考実験だ」

 

 先生はどこからともなく箱を取り出す。

 ああ、ちょうどシュレディンガーの猫に出てきそうな側面がガラスで出来た都合の良い木箱だ。

 しかし、すぐには使わないようで手持ち無沙汰にしだした。

 話す順序を話しながら考えているのだろう。こいつは長くなりそうだぞ。

 

「キミにも分かりやすいようざっと、量子力学について語ろう。言ってしまえば高校物理までに習う内容が古典力学で、大学以降で習うのが新たなる物理学、量子力学と相対性理論ってやつだ」

 

「まぁそこまでは」

 

 分からないということがわかる。

 

「両者の境目は実にシンプル、キミの住むマクロな世界を説明するに必要なのがニュートン力学を代表する古典力学であり、キミの住む世界より遥かに小さいミクロな世界を説明するのに必要なのが量子力学、ちなみにマクロが過ぎると相対性理論になる。だから量子力学と相対性理論はたまにケンカするがこれに関してはどうでもいい」

 

 ううん、ここらへんは聞き漏らしてもよさそうだ。

 長くなりそうだ。ともすれば無限に話を聞くハメになる。

 だけれども私は耐えなければならない。

 なんとしてでもアキレスと亀について聞くために。五条悟を倒すために。

 

「さて。物理の授業ではなくとも、化学の授業ではこれを見たことがあるだろう」

 

 先生は手のひらに淡い水色をしたバスケットボールぐらいの大きさの、一つの球を浮かす。

 

「水素の原子モデルだ。()()は見たことがなくても、このモデルはあるだろう」

「教科書にいくらでもありますからね、あれ?」

「どうした?」

 

 私は指摘する前に一度目を凝らしたが、やはり見当たらなかったので言葉を続けた。

 

「水素モデルと言い張るなら、球体一個だとちょっと足りなくないですか?ほら、あの周りにある小さいやつ」

「電子のことだろう」

「そうそれ、どこいったんです?」

 

「じつはあるんだよ。ここに」

 

 そういって先生が指先を水素の原子モデルに近づけると、ピタリと、豆粒のように小さい球が、先生の人差し指にくっついた。おそらくその小玉が電子のモデルなのだろう。

 先生が指を離すとその小玉はまた見えなくなる。

 そしてまた先生が指でツンと突くと現れる。

 どうやら電子は指を突いたその時だけ姿を現すようだ。

 

「さてキミ、電子は今どこにあると思う?」

「知りませんよ、先生が指さす時だけ出てくるんですから」

「その通り、私が指先を近づけるまで、電子はなかったように見えた」

「見えた?」

 

 何を言い出すのだろうか。

 と訝しんでいると先生は黒板の前に立って書き出す。

 

「さて、紙面上で水素を表すとまるで地球と月の簡略図のようになる」

 

 先生は手始めに「◉」の図を書くと、外側の大丸「◯」に小さい丸「 。」がくっついている絵をチョークで描いた

 

「こうやって書かれると、電子は原子核の周りを地球を公転する月のようにグルングルンと周期的に回っているように見えるが実際はそうじゃない」

 

 先生はチョークを黒板に対し垂直に構え、トントントントンとなんべんも立てた。

「●」の周りには、小さな「 .」が点描画のようにいくつも描かれていく。

 数えきれない程のペン跡は、ドーナツに降りかかる粉砂糖のように、●を覆い隠した。

 

「電子はこのように振る舞う」

「……そのむちゃくちゃに汚い図のほうが正しいってことですか?」

「違う。この点だらけで汚い図も、◉の図もどちらも正しい」

 

 じゃあ何のために黒板とチョークをいじめたんだ。この人は

 

「電子は確率的に存在するんだ。もっというと電子だけじゃない、陽子、中性子なんかも確率的に存在していて、このように指を突く(観測する)までどこにいるかは確定していない。また、これらの極めて小さい粒子のことを量子と呼ぶ」

 

 キメ顔。

 

「ピンとこないですね」

「キミの住まうマクロ世界、キミの習った古典物理では、物体はその位置を特定するに軌跡を追えば事足りる」

 

 果たして私の住まう世界がマクロなものかはさておいて、先生は教室のど真ん中にビリヤード台とボールを一つ生み出す。

 腰を台淵に乗せてキューでボールを一突きすると、ボールは勢いよく転がり出す。時折カツンと台の淵にあたって反射をする。

 程なくして、先生は何処からともなく取り出した木の板を台の上に置いて、私の前からボールを隠す。

 かと思えば、映画を撮るカチンコのように木の板を上げて、ボールの姿を見せる。

 隠す。見せる。を繰り返す。パッパッパとアニメイションのコマ割りのようにボールは転がる。

 ボールのスピードが落ちてきている。

 最後にドンと、大きな音を立てて木の板を下ろされるとそこで打ち止め。

 

「さて、今ボールはどこにある?」

「そこらへんですかね」

 

 適当に指さす。が、そう間違ってないであろうとは思う場所だ。

 直前まで見せられたボールの動きから予想できる範囲だ。

 

「正解」

「いえい」

「このように、マクロ世界における物体は軌跡を追えば、見なくても今どの位置にいるかがわかる。ところがこれが量子世界になると……」

 

 先生はバスケットボール大の水素の原子モデルを浮かす。

 ついでに豆粒のように小さい電子モデルもだ。今度は指ささずともその姿が見える。

 そして先ほどのビリヤードのパフォーマンスの時ように、木の板で水素モデルを覆い隠す。

 

「今電子はどのへんにあると思う?」

「じゃあ、そのへんで」

 

 今度こそ適当に指をさす。

 すると種明かしをするかのように、木の板が上げられる。

 が、私の指さした方と見当違いの場所に電子はあった。

 

「残念ハズレだ」

 

 そういうとまた木の板で隠される。

 

「次は?」

「じゃあそこ」

「ハズレ、次は?」

「……そこっ」

 

 事前二つの電子の位置を見て、軌道を読む。おおよそのベクトルがわかったので、それに則って私は次に移動するであろう電子の位置を指さす。

 

「ハズレ」

 

 しかし、意味はなかった。

 

「なんじゃそりゃあ」

 

 匙を投げて私はいい加減に振る舞う。

 適当に指さす。外れる。が素早く延々と繰り返された。

 電子の位置に規則性はなく、全くのランダム。とてもじゃないがその位置をあてられそうにはない。

 この行為に一体なんの意味があるのかと、懐疑的になっていると、先生が小さく声を漏らす。

 

「どうしてだ?」

「え」

「どうしてさっきは、ビリヤードの球の位置を当てられたのに、今度は外してしまうんだ」

「私が指さす度に先生が動かしてるんじゃないの?」

「いや、私はただ木の板を動かしてるだけだ、動かしているのはキミだ」

「……?私は見てるだけだよ」

「キミは電子を見るために極めて波長の短い光線を出せるようになった。そんなキミが電子を見ることによって、電子はびっくりして逃げ出してるんだ」

「なんじゃそりゃ」

「これは観測効果によるもので〝ハイゼンベルグの不確定性原理〟というものが関係する」

 

 また知らない単語が出てきたぞ

 一体いつになったらアキレスと亀が聞けるのだろうか。先生の話はまるで無限に降り注ぐ滝のように際限がない。

 私が返事をしないことをいいことに、先生は矢継ぎ早に話を続けた。

 

「モノが見えるというのはつまり、光が反射するということだ。そして御存知の通り電子は凄まじく小さい。光を当てることすら難しいほどに小さい。

 だから電子に光を当てるためには、強い(波長が短い)γ線のような光線をあてる必要がある。

 光線にあたることによって電子はその位置を晒すが、強い光に当たることによって電子は弾け飛んでしまう。

 弱い光では、電子の位置が分からない、強い光だと電子の位置が分かるが、電子に余計なエネルギーを加えてしまう。これが不確定性原理」

 

「……夜の砂漠で、逃亡犯が遠くの方まで逃げ出していて、暗闇の中私がその位置を探るために拳銃を撃つと、打たれた人はギャア!と声を出すから位置が分かるけど、その代わりに逃亡犯は死んじゃうみたいな話?」

 

「物騒だけどそんな感じだ。さらにいうと物体を見るために使われる光線そのものにも不確定性原理が適用されるから、不確定なものを知るために不確定のものをぶつけなければならない構造が生まれてしまう」

 

 だいたいわかったような気がする、ような。

 どうにかかろうじて話についていけてる。

 

「よって原理的に電子の位置とエネルギーを理解できないがゆえに、電子は確率的にしかその全容を表さない。観測される前の電子は波のように振る舞い、された後は粒子のように振る舞う」

 

「ん?」

「つまり電子はいるであろう場所に、確率的にしか存在しない」

「んん?」

「仮に私が10の80乗分の1秒感覚で、木の板を上げ下げしたとしても、電子の位置は確率的に存在できる場所に偏在しているため、キミはそれまでの電子の挙動を全て把握できたとしても10の80乗分の1秒後の電子の位置を予測することはできない」

「………………つーまーり?」

「コペンハーゲン解釈曰く、量子は確率的に存在し、シュレディンガー方程式から導き出される波動関数によって、その確率を求められる」

 

 波だ粒子だ。波動関数だの、喋れば喋るほど新たな単語が出てくる。

 このままでは無限に先生の話を聞くハメになる。

 私はどうにかそれまでの先生の弁を頭の中で組み立てる。適応する。

 

「……それってすごく変ですよ。原理的に電子の位置を予測できないというのはわかったけど、それは見えないだけで、電子はその時その場所だけにしかいないはず。確率的に存在するというのはあくまで人間側の都合です」

「キミも弁舌になってきたね、この教室に適応してきたのかな」

「私はただ、量子力学のおかしさを指摘しただけです」

「そうだ。おかしいだろう。そのおかしさを指摘しようとしたのが、シュレディンガーだ」

 

 そのおかしさに同意しよう。

 私は心の片隅でシュレディンガーさんを応援することにした。

 量子の場所を確率で出せるシュレディンガー方程式を作った本人がおかしいと言っているのだ。信用に値する。

 

「量子力学が不可解な点を抱えたまま学問が進行していることに懸念を抱いたシュレディンガーは手始めにコペンハーゲン解釈の矛盾を指摘することにした」

 

 コンコン。と最初に教壇に置かれて放っておかれた箱を指で叩く音が響く。

 

「それが、シュレディンガーの猫」

「や、やっとかー」

 

 回り道してる最中にさらに回り道をさせられたような気分だ。

 早く話を続けてほしい。

 

「コペンハーゲン解釈を認めると『確率的に存在する猫』といったおかしさの塊が誕生する」

 

 取り出した箱の側面はガラスで出来ているので中身が見える。猫、石、センサーの3つだ。

 

「この石は放射性物質でα線を出す。センサーはα線を感知すると毒ガスを放出する。猫は毒ガスを吸うと死んでしまう。シュレディンガーの猫はこの3要素によって構成される」

 

 先生が説明をし終わると、ガラス板が曇り、箱の中が見えなくなる。

 (勿論これは仮想の演出なので、無惨な目にあう猫はいない)

 

「α線が出るのは確率でしかわからない。つまりセンサーがα線を感知するかどうかも確率。毒ガスが出るかどうかも確率。だから猫が生きているか死んでいるかどうかも確率になる。つまりコペンハーゲン解釈を認めると、量子世界だけでなく我々の住む世界も確率的存在になってしまう」

「それは確かにおかしい。その思考実験からコペンハーゲン解釈が間違いだと認められたんですね」

「いや」

「えっ」

「このシュレディンガーの猫によってわかったのは、マクロ世界であろうとコペンハーゲン解釈が適用されるということだ」

「えぇ~」

「いわゆる渋滞のツバメだ」

「なんですそれ?」

「道路に車が詰まっていると人は動けないだろう、だが空を往くツバメは地上で渋滞が起きていることすら知らないまま、その遥か上空を素早くアッサリと通過してしまうことの例えだ」

「……猫を閉じ込めて、確率的に変だ!と騒いでる上で、量子力学のツバメは優雅に飛んだんですね」

「その通り。そもそもコペンハーゲン解釈というのは、量子は観測前は波のように振る舞い、観測すると粒子として振る舞う。というだけなので別にマクロ世界がどうこうしようと関係がない」

 

 箱の蓋が開いた。猫が勢いよく飛び出して私の膝下にやってくる。

 しばらく猫を構い撫でていると、なにかに気づいたように教室の外へ逃げていってしまった。

 結局どういうことなんだろうか。

 長らく聞いといて無為に終わったのかと私はしばし放心状態に陥る。

 先生が間をおいて話し出す。

 

「ここまでの話を聞いて、〝シュレディンガーの猫〟が『観測するまで未来は確定しない』ことの例えとして用いられた場合、キミはどう思う?」

「間違いではない、けど、まぁ不満は残ります」

「そうだろう。ならば、シュレディンガーの猫はどういうときに使うと思う?」

「そうですね、量子の振る舞いを現実に適用すると奇妙に思えてしまう。しかしこれはあくまで奇妙に見えるだけであり矛盾するということはない。という説明で用いられるかと」

「そんな機会、日常に訪れると思うかい」

「……多分ないですね」

「そう、だから日常的にシュレディンガーの猫を用いるとしたら『間違ってはいないが筋違いの引用をしたとき』に使うのが適切だと私は思う」

 

 なんと意地の悪い使い方だろうか、皮肉もいいとこだ。

 

 

 

 

「だから、五条悟の無下限呪術の能力を説明するのに『アキレスと亀』を用いるのはシュレディンガーの猫である」

「……え?」

 

「使うべきはむしろ二分法パラドクスのほうだ」

 

 ああ、この先生はこの指摘をするためだけにシュレディンガーの猫の説明をしたというのか。

 なんと厄介な先生だろうか。

 それはさておきようやく五条悟攻略の糸口を掴めそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 アキレスと亀(引用:Wikipedia)

 

 ────────────────────────────────────────────

 

あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。

 しかしアキレスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもらって、

 いくらか進んだ地点(地点A)からスタートすることとなった。

 

 スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)

 アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。

 同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、

 結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。

 

 ────────────────────────────────────────────

 

「ハッ」

 

 黒板に描かれた『アキレスと亀』を見て、先生は鼻で笑った。

 

 

「こんなもんは相対速度の一言で解決する。1人と1匹の最初の距離がXでアキレスの速度がAでカメの速度がA`ならアキレスがカメに追いつくまでの時間はX/(A-A`)だ。アキレスと亀は運動量が与えられすぎて矛盾としては極めて脆弱だ」

「そうなんですか」

 

 脆弱な矛盾とは、その言葉がもはや矛盾してそうなのだが、先生が言うならそうなのだろう。

 

 

「対して二分法パラドクスは面倒だぞ。問題文に運動が含まれていないんだ」

「ほほう。では読んでみますね」

 

 

 

 

 二分法パラドクス

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 アキレスがA地点からB地点まで走るとする。それにはまず、中間地点(半分の地点)を通らなければならないが、

 その中間点の前に『〝A~B中間地点〟と〝A地点〟の中間地点』を通らなければならない。この残りの距離の2分の1の地点が無限に続くので、アキレスはB地点に永久に到着できない。

 

 ────────────────────────────────────────────

 

「ほぼほぼアキレスと亀のようなものですが、これが面倒なんですか」

「数式を使えば簡単だがこれを言葉で説明しようとするととかく面倒くさい。試しに頭の中で考えてみろ」

 

 

 言われた通り考えてみる。問題文を読み返して整理する。

 つまりこれはAからBまでの間に無限のチェックポイントがあると仮定するものだろう。

 

 AとBの間には無限の通過しなければならない点が存在する。

 対して我々は有限の速度でしか移動できない。

 無限に通らなければならない場所があるのなら、有限速度の我々がA地点からB地点に到達することはできない……

 あれ?こうしてみると矛盾しているように思えない。

 

 いやいやそんなわけがない。

 落ち着こう。

 無限のチェックポイントがあるということは、チェックポイント同士の距離は無限分の1メートルだ。

 

 つまり、我々の速度をAとするのなら、チェックポイント間を移動する時間は1/∞÷A。∞は0以外どんな数字を掛けても∞。つまりAで割っても1/∞秒だ。

 

 1/∞秒で移動できるのだから、一瞬で移動できる。

 1/∞秒がどれだけ重なろうとAからBまでかかる時間は1/∞秒だ。

 

 だからAとBの間を一瞬で移動できる。

 

 ……………あれ?

 

 いつまで経ってもたどり着かない命題のはずなのに、それどころか瞬間移動できてしまったぞ。

 どうなってるんだ。

 

 もう一回落ち着こう。

 これまでの考えをまとめると──

 

『無限にあるチェックポイントを無限分の1秒ずつ移動できる』

 

 ……∞÷∞っていったいいくつになるんだ?

 頭がこんがらがってきたぞ。

 うずくまる私を見て先生はニヤニヤとしている。

 

「降参か?」

「……もうちょっとだけ考えます」

 

 強がってみたところで、どうしようもない。

 他に何か突破口がないかと頭をめぐらす、視線をくばす。

 そんな折、廊下を見ると猫が優雅に歩いていた。

 先の量子力学の説明のために用意された猫だ。毒ガスに晒されて死んでいたかもしれないなどということはすっかり忘れているようだ。ん?

 

 

「すっかり忘れて……。そういえば、そうだった」

「なにか分かったのかい?」

「コペンハーゲン解釈だ」

「ほう」

 

 なるほど先程の会話にヒントがあったのだ。

 長くなりそうな説明を前にして、私は深く呼吸をして準備をする。

 

「……まず、無限のチェックポイントと仮定しましたが、このチェックポイントは私の都合によって生じたものです。実際に存在するわけではありません。そしてアキレスの体を構成する量子はこの私の都合を無視できます。

 量子がその位置を確定するためには光線をあてなければなりません。

 仮に無限分の1のチェックポイントひとつひとつに観測するための光線を発射できる装置があったとしても、量子よりも遥かに小さい無限分の1サイズの光線では量子にあてることができません。

 よってアキレスを構成する量子はその位置を確定することができず、確率的な存在になるため、無限のチェックポイントを無視して進行することができます。よって二分法パラドクスは破綻します」

 

 思いつくままに語ってみたが、果たしてどうだろうか。

 

「存外、上出来だ」

「やった」

「まさか二分法のパラドクスをコペンハーゲン解釈で破る者が現れるとは、哲学者ゼノンも想定していなかっただろうな」

 

 お墨付きが出た。よし、もうここに用はない。

 さっさとこの教室から出てしまおう。

 

「じゃあ、これで五条悟の無下限術式を突破できるんですね」

「ところが」

「えっ?」

「そのやり方で突破できるのは、キミのように光線を発射及び感知できることに適応できたものだけだ。他の者にはムリだ」

「あちゃ~そうか」

 

 一応手数のウチには入れておくが、たしかにこの突破方法は私にしかできなさそうだ。

 私だけが無下限術式を突破できても意味がない。

 誰でも無下限を突破できる理論を会得しなければならなかったのだ。

 

「しかし、それだと結局振り出しに戻るだけだし……」

「まぁ面白い意見も聞けたことだし、お礼にひとまず数式だけでも見せてあげよう」

 

 頭を抱える私を見かねた先生が黒板に図を描きだす。

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 

 A・||||||||||||||||||||||||||||||||||||・B

 

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 

「さて、この二分法パラドクスの問題点は『無限のチェックポイントがある=無限の距離がある』という風に解釈してしまうこと。

 さながらゴールテープが無限に設置されていて、無限にゴールテープを千切らなければいけないように錯覚してしまう。

 何故そんなトンチキなことをしてしまうかと言うと──」

 

 

 チョークを慣れたように踊らせて、先生は2つの総和式を描いた。

 

 

 ────────────────

 

 ∞

 Σ 2^n=∞

 n=1

 

 ────────────────

 

 

「ここに二種類の無限がある。1つは上記にある発散する無限。もう1つは下記にある収束する無限」

 

 

 ────────────────

 

 ∞

 Σ(1/2)^n=1

 n=1

 

 ────────────────

 

「キミは無限という言葉に惑わされて、この2つの無限を同一視しているんだ」

 

 

 先生は黒板に長いテープ状の絵を描き、そこに中間点をつけていく。

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 

 A・|----------------|--------|----|--|-|・B

 

 

 ────────────────────────────────────────────

 

「この切れ目のあるテープは二分法パラドクスの文章に則って描いたものだ。

 A〜Bの距離をまず1として、中間地点を作るから最初にできるのは1/2

 次にできる中間地点は1/4

 その次は1/8

 1/16~~....

 と続いていくなら先にも述べた下記の式が成り立つ。

 

 ────────────────

 

 ∞

 Σ(1/2)^n=1

 n=1

 

 ────────────────

 

 テープを無限に分割したところで、そのテープの合計が有限の数になってしまうのだから無限の距離になっていない。

 よってアキレスは有限の距離を走ることになる」

 

 こうして描かれると一目瞭然だ。

 どうにも数学に不慣れな人間は無限という言葉に対し、際限のないエネルギーのようなものを感じてしまい、過大に物事を図ろうとしてしまうらしい。

 

「じゃあ、この式をもってすれば今度こそ無下限術式を破れるんですね」

「ところが」

「またところがですかぁ?」

「この『合計』の発想に至ったとしても、それは傍観者の発想であり、アキレス本人の目の前には無限のチェックポイントが生まれてしまうんだ。だからアキレスはこの無限のチェックポイントによる()()を突破できない」

「ええっ、そんなの屁理屈じゃないですか」

「屁理屈を通すのが術式、これが五条悟の術式。対象の前に無限を顕す、無下限術式」

 

 なるほど、これが歴代最強の術師、五条悟。

 生半可な対策では太刀打ちできそうにない。

 

 

 だが

 

 

 もう

 

 

 その渋滞の突破法は先生に教わった。

 

 

 適応済みだ。

 

 

 

「アキレスは途方もつかない無限を前にして、上を見上げます」

「ん?」

「そしてアキレスは一筋の塊を目に捉えます。それが──」

「……渋滞のツバメか」

「はい」

 

 

 つまりAB間ではなく、XY間を設定すればいい。

 XーAーBーY

 という図式を設定する。

 五条悟の術式はあくまでAB間に無限のチェックポイントを設定するものだ。

 その術式は極めて二次元的で、三次元の視点が存在しない。

 だからAB間の上空にXーY間を有限速度で動くツバメを設置すればいい。

 

 

「アキレスは容易く移動するツバメを見て、悟ります。Aよりも後ろから、Bよりも遠くの方を目掛けて走るだけでいいのだと」

 

 教室が弾け飛んだ。

 

 辺りには、もうなにもなく。

 

 いや、全て(先生)がいた。

 

 

「ああ、それでキミは教室の外に出れるだろう。」

「いいんですか?あなたは仮にも五条悟の味方でしょうに」

「見方が違うな。私はただ無限の情報をこの教室で生徒に教えるだけの存在であり

 ただの──術式だ」

 

 先生を象るものが崩れていく。

 無形の何かへと変貌していく。

 そう、彼の正体は──

 

「そっか、それじゃあ仕方ないですね」

 

 もうちょっとここにいてもよかったのかもしれない。そんな矛盾した感情が生まれる。

 それもそうだ。ここの教室は心地よい。

 知りたいことが全て知れるのだ。

 彼の話を聞いていたら、いつまでもヨダレを垂らしてぼおーっとしてしまうことだろう。

 私だってこの空間の無限に適応しなければいつまでも出られなかったことだろう。

 でも、これで終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで得た物を宿儺に持ち帰なければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さようなら、無量空処」

 

 

 

「行ってこい、八握剣異戒神将魔虚羅」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五条悟を殺した者、五条悟を殺した術式。完

 

 


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