今から五十年ほど前、国で最も美しいと言われていた皇女が病により若くして亡くなった。
しかしその美貌を愛した魔術師により、蘇生の禁術が行使される。その術は皇女を歪な形で蘇らせた。
「ああ、美味しそう」
目覚めた皇女にそう言葉を"賜り"、真っ先に食われたのは禁術を使った魔術師。
皇女は生物に備わっている大きな欲求のうち二つが欠落し、残った一つ……食欲のみが肥大化していたのだ。それも好むのは同族の肉のみという最悪の偏食家。
その後五十年、多くの国を滅ぼし人喰い皇女として恐れられる魔女の誕生である。
そして彼女の虐殺のごとき食欲を止め、倒したのは勇者でも軍勢でも何でもない。
たった一人の料理人だった。
「ああ……ああ。やってくれたわね」
無気力にソファーへしな垂れかかる一人の少女がいた。
年のころは十五、六。最高級の
そこに在るだけで国一つ分の財宝となりえるほどの美貌を備えたこの少女こそが、長きに渡り周辺諸国を震撼させた"人喰い皇女"である。
しかしその美しい瞳に精気は無い。サイドテーブルには美しく供された料理の数々が並んでいるが、どれもわずかに欠けているのみである。
彼女の脇には白い調理服を纏った女性が一人たたずんでいた。
「お気に召しませんでしたか」
「よく言うわ」
しれっと料理の感想を聞く料理人に、皇女は力のない笑みでもって応えた。
皇女は元から優れた魔術の使い手であったが、その魔力は禁術で蘇る事によって膨大なものと化す。
彼女はその力でもって、まるでケーキのクリームを指ですくって口へ運ぶかのような手軽さ、気軽さで自分の嗜好を満たすべく何百万と人を喰らった。
そして四十年ほど経過したころ……彼女の元を訪れたのがこの料理人である。
料理人は皇女が口にしようとしていた人間を指差して「もっと美味しくしてあげましょうか?」と尋ね、それを皇女が受け入れてからというもの……人喰い皇女の被害は料理人が一日に捌ききれるものに留まり、被害は激減。この料理人は、数で嗜好を満たしていた皇女に質で自分が調理した人肉を選ばせたのだ。
以来十年は、生贄制度が導入され今日日に至っている。人々は料理人の存在とわずかな犠牲と引き換えに、安寧の日々を手に入れていた。
料理人は人類にとっての英雄だが、しかしその方法から忌み嫌われ"人捌きの料理人"と呼ばれている。
そして本日。
人捌きの料理人と皇女の関係性が終わる日がやってきた。
「みんな少し勘違いしているようだったけど……わたくしはね、蘇った時に睡眠欲と性欲だけでなく"生きるために必要な栄養を満たしたい"食欲もなくなってしまっていたの。だけど"好物を愉しむ"、味覚を満たすための欲だけは存在したわ。それだけしかなかったの」
「ええ、存じております」
「そうでしょうね。それを見抜いて、私に最上の美味を提供してきたのが貴女だものね」
「光栄なお言葉です」
「本当にいい度胸しているわ。わたくしが控えているだけで、少し指先を動かせばすぐに貴女の命も刈り取れるのよ?」
「左様でございますか」
「……相変わらず、料理以外はつまらない女」
ふんっと鼻で笑ってそっぽを向くと、皇女は薔薇のように盛り付けられた肉を見る。これは彼女が最も好む柔らかい幼子の頬肉であるはずだったが、それを見てもこみ上げる期待や快楽はすでに消失していた。
「味がしないって、つまらないことね」
「同感です」
「それを貴女が言うの」
料理人は来る日も来る日も同族の肉を捌き調理して人喰い皇女に与え続けた。
その中で彼女はある目的のために密かに探っていたのだ。……禁術で蘇った、人喰い皇女の体質を。
「どうやって探り当てたの?」
「努力です」
「その中身を言いなさいよ」
「企業秘密です」
「企業ってどこのよ」
実の無いやり取りを繰り返すが、問いかけはしてもその答えにさして興味は無かった。
ただあるのは、唯一己の欲求として残っていた味覚の欠落した寂寥感のみ。
料理人は人喰い皇女の体質を完璧に解析してのけ、その上で味覚を消すための成分を日々与え続けていたのだ。
一年ほどかけて、実を結んだのが今日というわけである。
「わたくし、本当に快楽のみで生きていたのね。この体が生きているといってよいのか、わからないけれど」
「動いているから生きているでいいのではありませんか」
「貴女の雑な生きている判定なんて聞きたくないわ」
長い睫毛に縁どられた傾国の美貌で睨むが、料理人は微動だにせず無表情のままに佇むのみ。動かず喋らなければこの女も見た目だけならなかなかだなと、皇女は緩慢な動作で料理人に手を伸ばしながら考える。
「!」
「やっと少し動いた」
ぐいっと腕を引っ張れば胸の中に倒れ込んでくる非力な女。これがこの先の未来、人喰い皇女を倒した英雄とでも称えられるのかと考えると少し笑えた。
精巧に作られた仮面のような白い面に手を添えて顔を上向かせる。試しにその肌をちろりとなめとってみたが、残念なことに味はしなかった。
「私は美味しゅうございますか?」
「全然」
倒れた時には少し動いた表情も今はなく、調理用の帽子から零れた夜闇の様に黒い髪が自らの金髪と混ざる様を眺めながら皇女は幼子がぬいぐるみを抱えるように料理人を抱き込む。
「味がしないと、楽しくないの。楽しくないと、食べたくないの。そして食べなくなったら、この体は朽ちるんだわ。言うなれば"楽欲"で動いていたのよね、わたくしの体は」
「…………」
黙ったままの料理人に、皇女は赤い唇から問いかけた。
「わたくしが食べた中に、貴女の大事な人はいた?」
数秒の沈黙。
料理人は口を開くが、それを息ごと奪うように皇女が塞ぐ。
「答えなくていいわ。さて、生きる気力のなくなったわたくしから最期の
長く形の良い爪で料理人の輪郭をなぞると、皇女は大輪の花のような笑みを浮かべた。
「わたくしの体を、わたくしが死ぬまで貴女が調理してお食べなさい。ああ、頭部は最後にしてね? ……ずっと、見ているから」
それこそお前の復讐の完遂だとでも言わんばかりの皇女の言葉に、料理人は静かに頷いた。
「御心のままに」
これは人捌きの料理人と、人喰い皇女の顛末のお話。