またレミリアが夜中に庭へ人間を招き入れて騒いでいるらしい。図書館にまでその声が響いてくる。パチュリーがコーヒーをガブ飲みしてものすごい勢いで読書を進めている傍らで、フランはソファーに寝転び、何十回読んだかわからない外の月間漫画を読み直していた。
「さっきから外ばっかりチラチラ覗いてるけど、貴方ほんとは一緒にやりたいんじゃないの」
「……別に。あんなのうるさいだけよ。あいつは楽しそうにやってるけど、私、人間があいつのことどう思ってるかわかっちゃって、いられないの」
「そう。嫌なら引っ掻き回すのもいいんじゃない」
「ふん」
くだらない。吐き捨てて、漫画を片手に持ったまま図書館を出る。
パチュリーと出会ってからは、レミリアよりも彼女といる時間のほうが長いかもしれない。魔法に限らず聞けば何でも相手をしてくれる。それだけ一緒にいると、何を考えているかは言動の癖から互いにわかってきてしまうものだ。それで図星を突かれるとなんだか小っ恥ずかしくなってきて、ついムキになってしまう。まあ、それでもいいや、と思い始めていた。
自室のベッドに漫画を放り投げて、柱の陰から外の食卓を覗いてみる。カリオストロの城に出てきたみたいな大盛りの皿がテーブルにいくつも並べられていて、各々好きなところに置いた椅子に座って談笑していた。
そこにいる人間の振る舞いは様々だった。主としての圧倒的な強さを少しも出さず馴れ馴れしく関わってくるレミリアに不信感や恐れを抱いたのか何処かよそよそしい者、あわよくばお近づきになろうと積極的に気を利かせようとする者、あと……
「よ」
白黒の子供が一人。
「図書館はあっちよ」
「パーティはこっちだ」
「出口はそっちでしょ」
「なんだよ、せっかく一緒に遊んでやろうと思ってたのに。ほら行くぞ」
「私を見つけて走ってきてくれたのよね。さっきの嬉しそうな顔」
ほっとけ。言ってむりやり手首を掴み、庭へ連れ出そうとする。パーティに顔を出す口実ができて、まんざらでもなかった。
「毎回廊下の隅っこから羨ましそうにこっち見てたろ。素直に来りゃいいんだよ」
人の言動がいちいち胸に刺さる。パーティの知らない人間が垣間見せる下心に吐き気がするし、今魔理沙から伝わってくる、自分を使ってマウンティングの欲求を満たしたなという感じに、薄ら寒くなった。これだって「健全」なコミュニケーションの一つだとはわかっているのに、いらいらする。本当は自分のほうが何十倍も長く生きていて、いろいろうまくやれるはずなのに、それを魔理沙はわかってない。
「……」
「なんだよ」
「なんでも」
人と関わるのが少なすぎたのだ。家にこもっているとだんだん人が嫌いになってくる。
正面玄関が開かれた。テーブルを囲む皆が一斉にこちらを向く。無意識に魔理沙の腕にしがみついていた。
「堂々としてろ」
横で魔理沙はにこにこしながら胸を張って、ずんずん進んでいく。咲夜を除いた全員と同時に目が合っている。それぞれの考えていることが如実に顔に現れていて、息が詰まりそうだった。別に自分がこの中で弱い部類ってわけでもないのに。
「さっき話してたフランドール。レミリアとは姉妹だな」
背中を丸めてお辞儀する。自分が今どんな顔をしているか、フランには考えるだけの余裕がなかった。精一杯笑顔を作っていたかもしれないし、口を真一文字にぎゅっと閉じ、唇を噛み締めていたかもしれない。そこで一つわかったのは、こちらの顔を見て、里から来た人間はなんとか緊張を解いてあげようとめいめいが目を細め迎合してくれたということだ。
それからのことは緊張でよく覚えていない。初めて姿を現した館の二人目の少女に皆興味津々というふうで、質問攻めだった。それで調子に乗らされていって、
「ここに来る前はどうしてたの」
「あっ、えっと」
「そういえばご両親ってどうされてるのかな」
言い淀んで考えているところに質問が重ねられる。急に頭痛がして胸が苦しくなって、思考も認知も、自分の何もかもが止まってしまった。
「ちょっと気分が悪いみたい。ごめんなさいね」
レミリアが遮った。そのまま咲夜に背中を押されながら館に連れ戻される。
「大丈夫。よく出てきてくださいました。が誘ってくれたのですね」
危なかった。あと三秒遅かったら人間たちにわけのわからない涙を晒すところだった。
大勢の前でちょっと情報が渋滞すると何もできなくなって、逃げ出すしかなくなってしまう。これが嫌だから人前に出ることをさらに避けるようになったのだ。もともとありもしない、期待されていもいないプライドが、その一瞬でめちゃくちゃに踏みにじられたように感じられて、どうにもできなくなる。そして逃げたあと、自分は逃げたのだということをその静寂によりまざまざと実感させられて、余計惨めな気分になる。
「これで涙拭いてくださいな」
理由をとっさに言語化できない。できぬまま、さらに泣いた。惨めさの追い打ちを食らったんだと思う。
「あっち行ってて」
せっかく庇護に入ったのに突っぱねて、自室へ勇み足で向かう。泣かされているのに変な意地を張らずにはいられなかった。
感性はこんなでも、さすがに五百年そこらも生きていれば、感傷が傷を麻痺させることを知っていた。自己否定は逆説的に自らを肯定する。自らの認知を肯定し自らを尊ぶことになる。
……ここまで考えると、少し冷静になれるものだ。広範に濡れたシーツの不快感から顔を上げて、これからどうするかぼんやり考えていた矢先、
「入っていいかい」
「……泥棒は挨拶なんかしないでしょ」
「何だその声。こんなことくらいで泣くんじゃないよ。いいから開けるぞ」
ベッドの縁までやってきて片眉を上げたので、軽くうなずいてみせると、靴を脱いで、膝立ちで上がってきた。
「ひでえ顔」
「嫌味言いに来たわけじゃないんでしょ」
「……ああ。少し、時間がほしい。突拍子もなくって、こんなの言ったことないからさ」
目をそらしたままじっと黙り始めた。そのうち頭が痛くなるようなフランの涙も引っ込んで、しゃくりあげる息も落ち着いてくる。そんな頃合いに、
「……眷属に、してほしい」
目を細め睫毛越しに彼女の目を見つめる。告白をするとしたらこんなだろうな、という口調だった。
「眷属になるっていうのがどういう意味か、わかってるわよね、あなただもの。何が目当てなの」
「この髪なら、一緒にいても違和感ないだろ」
「私といてもあなたは幸せになんかなれないわ。あなたはもう」
「いいだろ、吸血鬼が人間の事情なんか考えてちゃだめだ」
ほんの少し前のべそっかきが嘘のように微笑んでみせる。
「……ふうん」
ようやく、己を認められた気がした。強さゆえ我が門に下るのだ。
「私の体液があなたに入ればいい。私が噛みつく? それとも……」
「ああ。私がやる」
人間のなまくらな八重歯が外頸静脈を噛み切った。何百年ぶりに外部からもたらされた痛みは神経を伝って全身を歓喜に震わせる。
「……嘘言ったってわかるんだからね」
もうほんの少し、深く刺さる。自分に向けられるサディズムとはこうも甘美なるものかと、五百余年目にしてようやく知った。それだけでも、凡庸な魔法使いを受け入れた甲斐があったと感じることができた。
「さて。なんのことやら」
ということは、もし言うところのサディズムを選ばず彼女が受けを乞うたならば、凡庸な魔法使いのままその生涯を終えさ せることとなっただろうか。