夜汽車のサキュバス   作:榛葉 涼

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テイルテイル

 

 誰が何を思っていても。その人が幸せとか不幸とか。人間だろうがテディベアだろうが。そういうもの一切関係なく、時間は平等に過ぎてゆく。夜はすっかりと深まり、時計の短針は11を指していた。

 

 その間にハルシネは屋敷から帰ってしまった。ブランの部屋の窓から大きなスーツケースを転がす姿が見えたのだ。だが、ハルシネは明日も屋敷を訪ねるらしい。食事の際にマリーヌが言っていたと(のち)にブランが教えてくれた。隙を見て、ハルシネと話をしてみたいと強く思う。

 

 なにせ相談したい話があるのだ。それはシシュウの身の上の事ではなくて、屋敷がお菓子になる現象の事でもない。このエフェメル家の親子の話である。

 

 人形劇の後、マリーヌがブランの部屋を何度か訪ねてきた。そこで行われたやりとりの”温度感”と言えばいいだろうか? 確かにブランとマリーヌの間には明らかな隔たりがあったのだ。会話のほとんどは他愛の無いものの筈なのに、まるで血の通っていないような冷たさをシシュウは感じた。

 

「可愛いぬいぐるみを貰ったわね」

「ええ。とても大事にいたします」

「そうね。そうしてちょうだい」

 

「今日はあの人の帰りが遅くなると思うわ」

「お父様ですね。では勉強で尋ねたいところは明日にします」

「ごめんなさい。私が教えられたらいいのだけど」

「お気になさらないでください。自分でもう少し考えてみます」

 

「何かお菓子になった家具はありましたか?」

「傘立てがお菓子に代わってしまって……名前はなんだったかしら。3つ穴が空いていて……表面がカリッとしていて……」

「プレッツェルでございますか?」

「ええ、それよそれ。ブランは賢いわね」

「お母様とお父様がたくさん本を買ってくださるからです。私だけの力ではありません」

 

 言葉には出来ない違和感がシシュウの背中を襲った。全身をモヘアの温かな毛に包まれているはずなのに、そのやりとりには寒気を覚えてならなかった――。

 

 ………………。

 

 眠れない理由(わけ)はスー、スーと聞こえてくる寝息のせいではない。シシュウは仰向けの体勢から向き直り、そっと目を閉じているブランの表情を見た。穏やかな表情を浮かべている。しかしそれは誰も触れられないほどの不安定さが内包されている穏やかさだった。

 

「……本当に可哀想に」

 

 

 タン タン タン タン タン

 

 

 と、シシュウが呟いたその時だった。ふと何かが聞こえてきたのである。

 

 規則正しい調子で聞こえてくるその音は、何かを叩いているような音だった。 ……ブランは間違いなく眠っているし、そもそも音のする方向は異なる。シシュウは音のする方向……カーテンがかかった両開きの窓へと目を向けた。もしかすると、窓越しに誰かが居るというのか?

 

(……ハルシネ?)

 

 ふとサキュバスの姿をしたハルシネの事を思い出した。それは豊満な体つきの事ではなく、背中に生えた蝙蝠(こうもり)に似た形の羽だ。たとえブランの部屋が2階にあったとて、窓を叩くなんてハルシネには訳無いのではないか?

 

 ブランのことについて相談したいという思いが、シシュウにそう思考させたのかもしれない。何はともあれ、シシュウは窓を叩いた主をハルシネだと確信し、何の躊躇もなくカーテンを開いたのだった。

 

 …………

 …………?

 

「あれ……?」

 

 しかし窓の向こうには誰の姿もなく、小麦畑が広がるだけだった。そんな牧歌的な田舎の風景には灯りなんてないが、今日が星月夜のおかげでわりと遠くまで見通せる。その途中に葉の生い茂った木を見つけたが、ソレはほとんど揺れていなかった。ということは、先ほどの窓を叩く音は風の仕業でもないということだ。

 

 気のせいだったか、と思いつつシシュウは窓の補助錠を外す。両開き窓の片方をおそるおそる開き、半身を外へ乗り出した。

 

 ――その瞬間だった。

 

 シパン、と。まるで鞭を振るった時のような乾いた音が鳴り響いたのだ。

 

 シシュウは訳が分からなかった。気がついた時にはもう眼前に田舎の風景は映っておらず、代わりに一人の……いや、一匹の影と目が合っていたのだ。

 

 悠々とした様子で橙色の屋根に座るソレに、シシュウはただパチクリと瞬きする。

 

「ね、こ……?」

 

 ピンと立った耳、くすんだ黄金色(こがねいろ)の目、黒と白と茶が混ざった体毛。そしてスラリと伸びた前足と後足。何処にでもいるごく普通の猫というにはいささか神秘的すぎると感じた。それは星月夜というシチュエーションのせいだろうか。もしくは、シシュウの体をぐるりと捉えてなお、(あや)しく揺れる2本の長い尻尾のせいだろうか。

 

 シシュウはただ無言でこちらを見上げる三毛猫に、恐る恐る尋ねた。

 

「お前、ネコマタか?」

「なぁんだつまんない。ゾンビに襲われた第一犠牲者くらいには泣き叫ぶと思っていたのに」

「あいにく、似たような(やつ)が友達に居るんだ。ネコマタだって二足種族の中じゃ珍しい方でもないだろう」

「そんなに冷静で居られるなら、呆気なく窓から出ない方が良かったじゃなぁい。サキュバスに捨てられて自棄(やけ)になっちゃったのかしら、“プーさん”」

 

 このネコマタの言葉に、シシュウの体温がカッと熱くなった。口ぶりからして、どうやらブランと交わしたやり取りは全て聞かれていたらしい。

 

 シシュウの声のトーンが1つ下がる。

 

「……なんなんだよお前」

「テイルテイル」

「は?」

「決まっているじゃない。あたしの名前よ」

「なんだその名前。ふざけているのか」

「通り名よ、と・お・り・な。 ……さ、あたしの名前はもういいでしょ? 問題はそこじゃない」

 

 自身を“テイルテイル”と名乗ったネコマタが目配せをした先は窓越しのブランだった。シシュウも反射的にそちらへ目を向けると、テイルテイルは尻尾の締め付けを強めた。シシュウはキッと睨んだが、テイルテイルはブランを見据えたままにこう問いかけてきた。

 

「色々めんどうだから単刀直入に訊くけど、あの子と親のことどう思った?」

「なんだよ急に」

「んー?」

「なんでそんな事をお前に話さなきゃいけないんだ」

「別に答えなくてもいいわよぉ? それって外の世界で生きていくって、そういう宣言よね?」

 

 シシュウが聞き返すより前に、抗えない力で再びシシュウの身体が動かされる。次に視界に飛び込んできたのは屋敷の庭であった。イチョウの木立が覆い隠しているせいか、遠くに映る小麦畑に比べてそこはかなり暗い。シシュウはどうにか腕を引き抜こうとしたものの、二本の尻尾が縛る力には到底(かな)わなかった。

 

「……くそ」

 

 出会ってから10分も経っていないが、シシュウは既にテイルテイルのことが嫌いになった。その軽薄で自分勝手な態度が、父親のことを持ち出し陰口を叩いた同級生と重なったからである。ゆえにテイルテイルの言う通りに従うことはたいへん不服だった。不服だったが、この景色を前にしてはそんな事も言ってられない。

 

 それに。

 

『わたし、人形劇が好きなの。おうちの中だけで遊べるし、わたしの願いを叶えてくれるから。うへへ……いつかおかーさんとおとーさんと3人でやってみたいな』

 

 目を閉じると、昼間のブランの言葉が思い出された。やがてシシュウは観念して、その言葉を聞いてからぐつぐつと煮立っていた心の内を打ち明けたのだった。

 

「俺の母さんは俺のことを第一に思ってくれていた。俺の意志を尊重して、間違った決断をし続ける俺をずっと支えてくれていたんだ。少なくとも俺は母さんを心配する事なんて一度も無かった。でも、親子ってそういうものだと俺は思う。 ……ブランの心情には共感なんて出来ない。共感できないほどにあの子は可哀想だ」

 

 小麦の匂いを運ぶ秋風がザーっと吹いた。かなり肌寒い風のはずなのに、シシュウの中の熱は冷めなかった。改めて口に出して実感する。エフェメル家の在り方は絶対に間違っていると。

 

「ふぅん。そっかぁ」

 

 ほどなくして、テイルテイルがねっとりとそう呟いた。まともに話を聞いていたかと疑いかけたのも束の間、シシュウは屋根の上へちょこんと降ろされた。振り返ると、テイルテイルは気ままに毛づくろいをしている。

 

「気が変わったわ」

「は?」

「あたし、被写体には出来る限り手を加えたくないのよ。でもその気が変わったってこと」

「ひしゃたい……? いやだから、もっと分かるように――」

「あの子の父親が帰って来たみたいだけど、覗いてみる?」

 

 ひげが触れるかどうかの距離までテイルテイルが距離を詰めてくる。金細工のような猫の目がシシュウのあご元から覗かれ、シシュウはごくりと息を飲んだ。

 




 プレッツェルはモノによってお菓子とパン、両方のタイプがあるそうです。へぇ。
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