雲一つない透き通るような青空の下で、ムザイア合衆国を出港した豪奢な客船が波を切りながら大海原をかけてゆく。
ムザイア合衆国からリゾート地へと向かうこの客船にはバイキングレストランはもちろんのこと、劇やクラシック演奏が楽しめる舞台ホールのほか、ビリヤード、ダーツ、ポーカーなどのゲームまで楽しめるラウンジまでも完備していた。
リゾート地に到着するまでの一泊二日。客船にはバカンスを目的とした家族連れ、学生、政治家、富裕層などなど──多種多様な乗客が、少しばかりの船旅を楽しんでいた。
その中にはディン共和国の不可能任務専門チーム、『灯』の姿もあった。
「いぇえええええいっ! リゾート地でバカンスですよぉおおおおおっ!?」
豪華客船のデッキで、手すりを乗り越える勢いで身を乗り出した少女──リリィが両手をあげて声を張り上げる。銀髪を海風に靡かせ、その子供のようにあどけない相貌は緩みきっていた。
「ちょっとリリィ? あんまりはしゃぎ過ぎると海に落ちるよ?」
リリィの隣で海に向かってカメラのシャッターを切っていた青銀髪の少女──モニカが呆れたように目を細める。
アシンメトリーな髪型以外の、特徴という特徴をそぎ落としたかのような少女だ。モニカの忠告に、「えぇー? 大丈夫ですよぅ」とリリィが答える。
「そうだぜ、モニカ。さすがのリリィもそこまでドジじゃねぇって」
そう言って二人の後ろから白髪の少女──ジビアが手を振る。
引き締まった体躯に凛然とした雰囲気を持つ少女で、モニカの首に手を回すともたれかかるようにからんだ。
「というかよぉ、お前はちょっとテンション低過ぎね? だって豪華客船だぞ、豪華客船。しかも行く先はムザイア合衆国でも一、二に有名なリゾート地だぜ? テンション上がるだろ、ふつう」
にやにやと頬を緩ませるジビアに、鬱陶しそうに白い目を向けたモニカが周りに聞こえないように小さな声で口を開く。
「豪華客船って言っても、二回目だろ。つい最近、ミータリオの任務の時に乗ったじゃん」
「でも、あの時は任務だったじゃんかよ」
「今回も任務で、だろ」
小さくため息をこぼすモニカに、ジビアはなお笑いかける。
「わーかてるって。だけど今度の任務地はリゾート地だろ? ミータリオみたいな大都市とはまったく違うっていうか……こう、やっぱわくわくするじゃん。それにあたしたちは今、旅行で乗船してる女学生なんだぜ? 立場的にもはしゃいでる方が自然だろ?」
そうのたまうジビアの格好はいつもの任務服や宗教学校の制服ではなく、黒いリボンが巻かれた白の帽子を被り、灰色と黒を基調としたドレスシャツとタイトスカートに身を包んでいる。
引き締まった四肢を持つ彼女によく似合っており、女豹ようなスタイルの良さが際立っていた。
モニカも同様で、水色のスカーフを首に巻き、青のジャケットに白のスキニーパンツと、旅行客の装いをしていた。
「なにそれ。理由がこじつけっていうか、それにボクが合わせる必要──」
「──はーい、はいはいっ! 二人ともコソコソとなにを話してるんですかぁ?」
モニカの言葉尻を奪うようにリリィが、二人の間に割って入る。
もちろん、リリィも旅行用の装いであり、白のリボンが巻かれた黒いハット、白いブラウスと赤ワインのように鮮やかな色のスカートをばっちりと着こなしていた。
「折角のバカンスですよ、バカンスっ! 記念に三人で写真でも撮りましょうよ」
リリィの言葉に、「いいな、それ」と笑ったジビアがモニカの持っていたカメラを取り上げる。
「あ、おいっ?」
と、取り返そうとするモニカをリリィがその豊かな胸に抱き寄せる。その間にレンズを自分たちへ向けたジビアがシャッターを切った。
ところ変わって。
「サラお姉ちゃん、見てほしいの! あそこにイルカさんの群れがいるのっ」
「本当っすね。親子でしょうか?」
同じくデッキの左通路で金髪の人形のように美しい少女──エルナと、茶髪の小動物のような少女──サラが並んで、豪華客船と同じ方向に泳ぐ三頭のイルカを眺めていた。
黒と白を基調とした高級感のあるドレスコーデ、白と緑を基調とした清楚感のあるワンピースと、それぞれ二人の少女も旅行客の装いに身を包んでいる。
「エルナ、聞いたことがあるの。イルカさんは知能が高くて人間の言葉が分かるらしいの」
「自分も聞いたことあるっすよ。あとイルカって結構人懐っこくて、小舟に乗ってたりすると、イルカの方から近寄ってくる事もあるみたいっすね。触れたりする事もできるみたいっすよ?」
「い、イルカさんとの触れ合い……絶対楽しいの。エルナも触ってみたいの」
「あはは。いいっすね、それ。今回の任務が無事終わったら、小舟でも借りてイルカのいるところまで行ってみるのもいいっすね」
目を輝かせるエルナに、サラもつられるように微笑む。
まるで仲睦まじい姉妹のような、和やかな時間が二人の間に流れていた。
「──エルナちゃんはイルカさんと触れ合いたいんですかっ? なら、俺様に任せてくださいっ!」
と、そこで灰桃色髪の闖入者が現れる。
赤いリボンに制服風の紺色のワンピース。髪を両端で乱雑に縛り、左眼には眼帯と一風変わった風貌の少女──アネットが、両手で担いだ釣竿をイルカの群れに目掛けて放つ。
シャーッと、音を立てて勢いよく放たれた釣り糸は狙い通りイルカの群れに飛んでいき、釣り糸の先に付いた錘がドボンと大きな音を立てて海の中へと落ちた。
突然の出来事に驚いたイルカ達はあっという間に海の中へ潜って、見えなくなってしまった。
「あ、アネット先輩っ?」
「のーーーーっ!? アネット、お前、なんて事するのっ?」
アネットの奇行に、サラが動揺の声を上げ、エルナが怒声を上げる。
しかし、アネットはどこ吹く風で、悪びれる事なく天使のように無邪気な笑みで答えた。
「エルナちゃんがイルカと触れ合いたいって聞いたので、俺様、イルカを釣り上げようとしましたっ」
「エルナはそんな事を望んではいないのっ」
「ちなみに俺様は、サメと触れ合いたいですっ。なので、サメを探してきますっ!」
「アネットの希望なんか聞いてないのっ! というか、サメと触れ合うって馬鹿なのお前っ!?」
釣り糸を巻き戻したアネットは踵を返すと、ダダダーッと釣竿を担いで通路を駆けてゆく。「コラ。待つの、アネットーーっ!」と、エルナも拳を振り上げ、アネットの後を追いかける。
「ふ、二人ともっ? 船内で走り回っちゃダメっすよぉお!?」
和やかな雰囲気はどこへやら。
サラもまた二人を止めるため、その後ろを追いかけるのであった。
「……少し、はしゃぎ過ぎじゃないか? あいつらは」
船上をより高い位置から一望できる開放感のあるテラスにて。
少女たちの様子を眺めていた黒髪長髪の美しい男──クラウスが目を細めた。表情の変化に乏しい男であったが、その声音と僅かな表情の変化から呆れているのが分かる。
それを読み取ってか、赤髪の淑女然とした少女──グレーテが一応、フォローいれる。
白を基調とした、楚々としたカジュアルなドレスコーデは落ち着いた雰囲気のグレーテによく似合っていた。
「無理もありません。ミータリオでの任務以降、初の大きな任務ですから」
「任務、というよりは豪華客船とリゾート地に浮かれているように感じるんだが?」
「……まぁ、それもあると思います」
クラウスの訝しんだ目に、グレーテが苦笑いを浮かべる。フォローとしては、やはり無理があったようだ。
「いいんじゃない? 別に。だって、今回の任務の顔合わせはリゾート地に着いてからなんでしょう?」
クラウスのすぐ隣──背中を向けて、デッキ下を眺めている黒髪の少女──ティアが口を挟む。
濡れたような艶やかな黒髪と見事なプロポーションを誇る少女だ。胸元が大きく空いた赤いドレスは蠱惑的で、彼女の妖艶さを引き立たせていた。
現在、ティアはサラたち年下組の保護者として、クラウスとグレーテはハネムーン中の新婚として乗船している。
ティアの言葉に、クラウスは他人のフリをしつつ、ティアとグレーテにだけ聞こえる声量で口を開く。
「そうだがな……今回はムザイア合衆国の諜報機関、JJJとの合同任務でもあるんだ。分かっているのか?」
「分かっているわよ。ムザイア合衆国から盗まれた『木箱』の回収でしょう? 中身はたしか、開発中の新兵器」
クラウスの方は見ずに、声だけで答えるティア。
ディン共和国にある『灯』の本拠地、陽炎パレスを出る前。メンバーには今回の任務に関する最低限の情報が共有されていた。
ムザイア合衆国から盗まれたという『木箱』。本来ならば、ムザイア合衆国の諜報機関であるJJJのみで奪還にあたるところだが、そもそも『木箱』が盗まれたと発覚したのはディン共和国のスパイが『木箱』を盗んだ下手人──『
『鴉羽』──それは世界中で暗躍する正体不明の暗殺集団を指す名だ。
ムザイア合衆国には『鴉羽』に関する情報は乏しく、『木箱』をなんとしても奪還したいJJJからディン共和国へ協力依頼がきた、というわけである。
「そうだ。それに今回の任務にはその『鴉羽』を追っていたディン共和国の同胞も参加する。彼らとも現地で合流する予定だ」
クラウスの言葉に、ティアが眉根をあげる。
「
「あぁ。二人組で活動するディン共和国のスパイ。コードネームは『送火』と『黒子』。バディを組み始めてから一年以上、『鴉羽』を追っているらしい。国内でもなかなか優秀なスパイだと聞いているよ」
それを聞いたティアが、「へぇ」と興味深そうに声を上げる。スパイの性質上、チーム以外の同胞と任務にあたる事はほとんどない。
まして、『灯』は不可能任務──同胞が
他国の諜報機関であるJJJとの合同任務である事もそうだが、数少ない同胞との任務に、ティアは興味津々だった。
「どんな人たちかしら。ねぇ、特徴とかは分かっているの?」
「一応は聞いている。灰色髪の青年と、黒髪の少女だ。たしか、少女の方は東方の出身らしくて……語尾に、ござ──」
「──うっひょおぉおおおおおおっ!? さっすが豪華客船でござるなぁああああ!? デッキも超、広いでござるぅううううう!」
突如、クラウスの言葉尻を掻き消す勢いで、大きな声が船上で響き渡る。あまりの大きさに、周りの人たちの視線も声の主へと集まる。
視線の先にいたのは、黒髪の童子のような少女だった。
季節外れの赤いマフラーを海風に靡かせて、ぴょんぴょんと跳ね回りながら興奮気味にデッキ上を走り回っている。
「おおーっ! 眺めも最高でござるなっ! よーし、ここは一つ記念撮影でも──」
「──おいコラ、ハイドぉおおおおおおおお!? ちょぉっと、待てぇえええええええッ!?」
カメラを手に持った少女の言葉を遮るように、現れた灰色髪の青年が物凄い剣幕で少女に詰め寄った。
「てめぇ、なに勝手に客室から出ていやがる!?」
「おぉ、ジキル殿。ちょうど良いところに。ちょっとこの海を背景に拙者を撮って欲しいでござる」
対する少女はのほほんと暢気に人懐っこい笑みを浮かべながら、青年にカメラを突き出す。
「撮らないが!? というか、俺の質問に答えろっ?」
「あ、でも一人だけで映るのは寂しいでござるなぁ……おっ? あそこにちょうどレベルの高い美少女たちが!? ヘーイ! 彼女たち、拙者と記念撮影でもしないでござるかぁーっ?」
「おぉいっ!? お前、俺の話聞いてるかっ?」
さらりと青年を無視した少女が、片手をぶんぶんと振り上げて三人組の少女──リリィ、ジビア、モニカたちに声をかける。
突然のことに一瞬、狼狽する少女たちだったが、「美少女」と褒められたのが気に入ったのか、リリィが豊かな胸を張り腰に手を当てて答えた。
「ふっふーん。分かっていますね、アナタ。いいですよ、この超絶美少女であるリリィちゃんが、旅の
そう言って、リリィがジビアとモニカも巻き込んで少女との写真撮影に応じる。
「おぉ! 感謝するでござる、美少女の人! 拙者、この思い出の一枚は家宝にするでござるよ! さ、ジキル殿。撮影は任したでござる」
「だ か ら、撮らないが!? あと、お前はいい加減、俺と会話してくれませんかねぇ!?」
どこまでもマイペースにカメラを突き出す少女に、青年はたまらず怒鳴り散らしていた。
「…………」
「……ねぇ、先生」
「……なんだ」
「二人の特徴って、なんだっけ?」
「灰色髪の青年と、黒髪の少女。少女の方は東方出身で、語尾に、ござるをつけて話すらしい」
「あの娘、語尾に『ござる』って付けてたわよね」
「付けていたな」
「現地で合流するディン共和国のスパイって、もしかして、あの人たちだったりしない?」
「………………」
ティアの言葉に、沈黙するクラウス。
クラウスの隣にいるグレーテも、少し引き気味に笑みを浮かべている。
──ヤベぇのが来たな、と。
ティアは一抹の不安を感じるのであった。