身体に一切の傷がない首吊り死体。
戒野ミサキは彼の「死」を追いかける。
生とは存在の狭間である
死の研鑽は神秘の昇華である
生の謳歌とは神秘の堕落である
人よ
遍く人よ
「随分早いお帰りだね、リーダー」
世間は夏休みに入った頃、数週間の泊まり込みバイトに向かったはずの錠前サオリは、僅か数時間で帰ってきた。
繁華街の廃ビルの一室を改造した隠れ家には、肩を落として戻って来た彼女を出迎える戒野ミサキ。
流れるラジオは「自殺者の増加」などネガティブなものばかりで蒸し暑さの不快感を増幅させる。
「どうかしたの?」
「それが……責任者が行方不明になっているらしい。それ以上は教えてもらえなかった」
懐から取り出した茶色い封筒には「手間賃」とだけ丁寧なペン字で記されていて、中を覗くとそこには今回の予定収入の半分の7万5千円。
「……まあ、これだけあればしばらく大丈夫か」
「どうせ、二人もしばらくいないしね」と続けるミサキ。
アツコとヒヨリは現在シャーレの手伝いに駆り出されていて、しばらくは戻ってこないらしい。
電球の一つもない部屋のソファに寝転がり、サオリは愛用のキャップで目元を隠す。
あまり交わす言葉も無く、ただ時間が流れるのを二人は甘んじて受け入れていた。
しかし、少し外が騒がしい。
「祭でもやってるのか?」と問いかけるサオリにミサキは「さあ、乱闘騒ぎでもあったんじゃない?」と興味なさそうに返す。
それでも人々の騒がしい声は大きくなり続け、あるいは悲鳴なんてものも混じって部屋に響く。
流石に少し興味が湧いた二人は部屋から出ると、通りの人の流れを見た。
「あの方向だと……」
「……向こうのアパートじゃない?」
「……行ってみるか」
二人は急いで大通りに出ると、人の流れを掻き分けてアパートへ向かう。
103号室。
ミサキが指を指したその先に人だかりの中心はあった。
野次馬を押しのけるように進む二人に次第に懐かしく、気持ち悪い感覚が降り掛かる。
その感覚は一層二人の背中を押し、とうとう彼女達は人だかりの最前列まで辿り着く。
103とだけ書かれたシンプルなプレート。
その下には本来表札でも掛けるはずだったのだろうが、何も掛かっていない。
玄関を見ても靴の一つもなし。
ならなんで、こんな空き部屋に人が?
ミサキが考えたと同時に、目に入ったそれが答えを現した。
「……っ!」
「……これ……」
騒がしさと、気持ち悪い感覚、その両方の答えを。
部屋の梁に掛かったロープと、その先に力なくぶら下がる身体一つ。
間違いない。
サオリとミサキ、二人の脳裏に嫌な記憶がふっと蘇る。
強い動悸にサオリは胸を強く抑えた。
ミサキは自分がやろうとしてたのはこんなことだったのかと妙に客観的な感想を覚えた。
けれど、彼女はすぐにそのおかしさに気がつき、その首吊り死体に駆け寄った。
「……なんで?」
至極穏やかそうに目を閉じて、首に掛かったロープ一つに全てを委ねた青年の身体。
その身体の全てを、ただ一つも見落とさぬように、一瞬も目を離さぬように見回した後、彼女は震える声で「どうして?」と問い続けた。
キヴォトスの住民は、基本的に痛みのない自殺が不可能だと言われている。
「最も確実な自殺」と謳われる首吊り自殺でさえ、彼らにとっては極めて苦痛を伴うものである。
血流が止まり、数秒で意識を失うなんて都合のいい話ではない。
非常に緩慢なスピードで血流が弱まり、薄れていく意識の中で自らの呼吸がただ、ただひたすらに浅くなるのを感じ続ける数時間を送り、その果てにようやく意識を失うと、そこからは無意識な生存本能が自殺の邪魔をし始める。
制御が効かない中で首を掻き毟り、身を捩らせてロープを解こうとし、その決断を下した身体を何とか生き長らえさせようとする。
「自殺とは、大いなる苦痛を支払って永久の苦痛から逃れる手段である」、ミサキはそう捉えていた。
けれど、目の前のそれは明らかに違う。
首に掻き痕一つなく、ロープにほつれ一つなく、爪に体組織の一つも残っていない。
ミサキは震える声で目の前の青年にもう一度問いかけた。
「……なんで?」
なんでそんなに安らかに死ねるの?なんで抵抗しなかったの?なんで死ねたの?
多くの言葉が頭に浮かんでは消えていく。
この状況を呼称する言葉をミサキは知らなかった。
それでも、彼女はこの状況について一つ断言できることがあった。
「キヴォトスに穏やかな自殺があるはずがない」、その事実一つ。
多くを試みては多くを失敗し、数多く止められてきた彼女だからこそ、それを誰よりも理解していた。
「……なにこれ」
ミサキはふと目についた足元の何かを拾い上げた。
真っ黒な水晶のペンダント、よく見ると頭蓋骨を模したものだった。
こびりついた赤黒い血の痕をハンカチで拭い、ミサキはそれをポケットに突っ込む。
ようやく動悸が落ち着き、正気に戻ったサオリがミサキのコートの端を引く。
「……帰るぞ、ミサキ」
「……了解」
二人は再び人だかりを掻き分けてその場を離れる。
そして騒ぐ人々を背に、彼女達は隠れ家へ戻った。
ミサキの頭はあの首吊り死体に捕らわれたままだった。
「……ミサキ、食べないのか?」
「……食べる」
あれから数時間。
既に日は沈み、繁華街は正常な騒がしさを取り戻していた。
サオリが買ってきたチャーハン弁当のグリーンピースを選り分けながら、ミサキはまだ考えていた。
「そんなに逃げたかったの?」と。
どれだけ強い意思があれば生存本能すら抑え込めるのだろうか。
いや、本能すら抑え込むのであればそれはもう「意思」なんてものではない。
極めて強力な「自己催眠」とでも言うべきだろう。
それだけのものを費やして彼は何から逃れようとしたのだろうか。
ミサキはずっと考えていた。
「……そろそろ冷めるぞ。あと好き嫌いは──」
「分かってる」
ようやくグリーンピースの無くなったチャーハンに口をつけるミサキ。
まだほんのりと温かい、鶏ガラが効いたそれを頬張ってミサキはボソッと呟いた。
「……おいしいな」
一旦考え事を忘れてミサキは口にチャーハンを運ぶ手を動かし続ける。
その横ではサオリがスマートフォンを動かし、ネットニュースを流していた。
止めどなく流れる取り留めない下らない話題に「やっぱり消していいよ」、ミサキがそう言いかけた時だった。
「速報です」、目を引くテロップとともに話題が切り替わる。
「トリニティで建設業を営む──」
誰かが行方不明になったというニュースだった。
名前にピンときたのか、サオリは「私が応募したバイトの……!」と驚きを顕にする。
ミサキが「それは災難だったね」と口を開きかける。
けれど、開いた口は音を発さなかった。
瞬きすら出来ず、画面から目を離せない。
サオリも画面をじっと見つめて困惑したようにパチパチとまばたきを繰り返す。
そこに映っていた顔はあの死体に違いなかった。
あれから十時間ほど経って再び迎えた朝。
ミサキは十時間の内の半分以上を思考に費やしていた。
どれだけ考えても、どんな状況でも生存本能を殺すことなんて出来ないはずだ。
人間がどうであろうと身体は結局最後には生きたいと願ってしまうはずなんだから。
何度思考をゼロから組み立てて考えたって必ずその結論に至る。
それどころか調べてみると、会社の経営は順調で最近結婚式を上げたばかり。
他人目で見ても死ぬ理由などなさそうに見える。
「じゃあなんで……」
「……まだ考えてるのか」
顔を洗い終えたサオリが寝転がったミサキに問いかける。
天井をキャンパス、或いは原稿用紙としてその思考を書き殴り続けていたミサキはようやく身体を起こした。
未だあの穏やかな死に顔はその脳裏に焼き付いて離れないが、それでも腹は減る。
ミサキはテーブルの上の菓子パンに手を伸ばした。
ジャムパンは甘ったるく、それこそ胸焼けするほどにいちごジャムが詰め込まれていたが、それでも悪い気はしない。
夕べからずっと考えっぱなしの脳に糖分が行き渡る。
「……ごちそうさま」
「それで、今日はどうするんだ?」
菓子パンの袋を丸めながらミサキは「探すよ」と一言答える。
その意味を察したのか、サオリは「そうか」とまた一言返しキャップを被り直した。
「なら私もついていく」
「……勝手にして」
二人はかつての任務のために用意されていた正義実現委員会の制服に着替え、まだ太陽の上がりきらない街に繰り出した。
「すいません、正義実現委員会の者ですが」
訪れたのは彼が経営していた建築会社。
位置情報はサオリが応募した際の控えなどに書かれていた。
「社長の行方を探すために社屋や住居を調べさせてほしい」、サオリがそう伝えると、彼と 親しかったらしい副社長が快諾した。
潜入の為の演技などはアリウスで叩き込まれていた故、彼女達には簡単な仕事であった。
「それで、最近の彼の様子などは?」
「いえ、特に……ですが、休みの日はいつも何処かに出かけていました」
サオリが副社長から情報を聞き出すと同時に、ミサキが社長室の資料などを探る。
財務報告書、帳簿などは出てくるが、目ぼしいものは一つも出てこない。
そしてやはり、会社の業績は至極真っ当かつ順調なものだった。
「では、そろそろ彼のご自宅の方も」
ミサキがサオリに「ここにはない」と耳打ちすると、サオリは副社長にそう伝える。
彼は「では奥様には私から話を付けておきますので」と社用携帯を取り出した。
「ご協力感謝します」、二人はそろって頭を下げて住居の方へ向かった。
「こちらです」
引っ越したばかりだという自宅のの玄関でサオリとミサキを迎えたのは彼の妻だった。
余程仲が良かったのだろう、あちらこちらに旅行先でのツーショット写真が飾られている。
そして鮮やかに彩られた廊下の奥に彼の部屋はあった。
「では、しばらく調べますのでどうか開けないようにお願いします」
サオリの言葉に頷いて、彼女は扉を閉めた。
部屋は八畳ほどだろうか。
壁にはトロフィーやら賞状が並べられ、それと向かい合うように置かれた本棚には技術書が一杯に詰まっている。
余程勤勉な人間だったんだろうと考えながらミサキは彼のパソコンを開いた。
絶対にここになにかあると直感が訴えている。
息を呑んで電源を入れると、鍵は掛かっていなかった。
「ザルじゃない?」、そんなことを呟きながら履歴などを漁るが、目ぼしいものは出てこない。
「何かあったか?」
「……違う、絶対ここに何か……」
その時、ミサキの胸ポケットから昨日拾ったペンダントが落ちた。
「おい、何か落としたぞ」、そう言ってサオリが真っ黒な頭蓋骨を机の上に置いたその瞬間。
「……っ?!」
パソコンの画面が真っ暗になり、画面の真ん中に「死を想え」と白い文字が浮かぶ。
「しを……おもえ?」サオリが読み上げたが、何も起こらない。
ミサキはどうもその言葉に見覚え、或いは聞き覚えがあり、必死に記憶の引き出しを探っていた。
そして数分。
「そうだ」とミサキは小さく呟いた。
「……メメント・モリ」
その言葉と同時に、真っ暗な画面は戻りホーム画面へ帰ってくる。
けれども先程には無かったファイルが一つ追加されていた。
「死を想う教会」そう名付けられたファイルには二つの時刻が記載され、そして一つのカウントダウンが行われている。
時刻の内、一つは昨日の、彼が見つかった数時間前。
もう一つはつい数分前。
その意味を考えようとしたところで、サオリが何かに気がついた。
「血だ」
「……?」
勢い良く扉を開けて外へ出ていくサオリ。
ミサキもパソコンとペンダントだけ持って思わずその後を追いかける。
サオリが足を止めたのはリビングと思わしき扉の前。
二人共ゴクリと息を呑み、意を決してリビングに足を踏み入れた。
「……」
「……は……?」
さっきまで話していたはずの彼の妻が倒れていた。
リビング一面が血溜まりになるほどの大量出血。
原因なんて調べる必要すらない。
胸に深く突き刺さった包丁がそれを証明していた。
キッチンに並べてある包丁を見るに、それも刃渡り20cm程のものだろう。
それが持ち手の一部が入るまで深く、深く突き刺さっている。
肋骨の下の部分から挿入角度は30度。
恐らく心臓を貫いて即死だろう。
けれど、ミサキがもう少し近づいて見ると話が違う。
一撃ではなく、重なるように幾つもの傷口が見える。
つまり、彼女は何度も、何度も己の身体を貫いたのだ。
それも彼と同じように、至極穏やかな顔で。
「……ミサキ、あれは……」
「……多分ね」
二つの時刻、それに合わせた二人の自殺。
そして残った一つのカウントダウン、制限時間は残り3時間。
となれば答えは明白だ。
「……三時間後、誰かが死ぬよ」
それが誰かは分からない。
けれど、諦めてしまったら彼らの理由が分からなくなる。
彼が、彼女が穏やかに死んだ理由が。
ミサキとサオリは家を出た。
「社長が休日、どちらに行かれてたか……ですか?」
彼女達は再び副社長に話を聞く。
「死を想う教会」、それが本当に教会という体裁を保っているなら一度くらい彼も誘われているかもしれない。
そんな淡い期待の中での彼の回答は一枚のパンフレットだった。
「一回だけこれをもらった」と。
二人はそれを借りて会社を飛び出した。
「……これは……」
「……病院だね」
淡い期待も外れ、中身を除けばそれはただの病院の案内。
ミサキはため息を吐いて「メメント・モリ」という言葉を思い出していた。
現代では潰えたというトリニティのある分派が唱えたという思想。
「最後に待つ死を忘れるな」という教え。
「最後に待つ……」繰り返し呟いて、ミサキはパラパラとパンフレットを捲った。
「……これ?」
最後のページの片隅に置かれた二次元コード。
ミサキはバス停のベンチに座り、スマートフォンのカメラでそれを読み込む。
少し先を行っていたサオリが彼女の方向へ振り返ると同時にスマートフォンが真っ暗になり中心に黒薔薇のようなマークが現れる。
直感的にペンダントをかざすと続けて一つの座標が現れた。
「……ここに行けばいいのか?」
「……多分、そうだと思う」
マップで検索を掛けるとそこはここから数十キロほどの廃工場。
ここから自力で二時間半でも十分間に合うが、少し心配事がある。
少し思考を巡らせた後にミサキは小さくため息を吐いた。
「あんまり頼りたくなかったんだけど」、そんなことを呟きながらミサキは何処かへ電話を掛けた。
廃工場にミサキとサオリが辿り着いたのはカウントダウンが残り15分を割った頃。
座標が示す工場の真ん中にあったのは一つの廃れた教会だった。
二人は意を決してその重いドアを押した。
「……おや、辿り着いたのですね」
中には玄関も何もなく、ただ天井から垂れ下がった無数のロープがあるのみ。
その最奥のロープの手前、鳥のような所謂ペストマスクをつけた男性とも女性ともとれぬ何かは彼女達を出迎えた。
ただただ異様な雰囲気を纏うそれに、ミサキとサオリは相対する。
「ゲマトリアのトーテンタンツ、私の名です。以後お見知りおきを……いえ、もうお会いすることはありませんね」
「……」
黙ってその顔を見るミサキに、何処を見ているのかも分からないマスクの奥から視線を向けたそれは「ああ、アリウスの方ですか」と呟いた。
空気に僅かな緊張が走った。
「「主」はいつ「主」になったと思いますか?」
「……どういうこと?」
「そうですね……トリニティの生徒達が崇める「神」はどのタイミングで「神」になったのかという問いです」
訳がわからないと言ったように口を結ぶ二人にトーテンタンツは言う。
「それは「死」を迎えた時です」と。
「死」は神秘の昇華である、誰もに待つ結末でありながら誰もがその先を知らぬ「最も神秘的な領域」である、それ故に「死」こそが唯一価値を持つものでありそれ以外に一切の意味は無いのだと。
それを聞いてミサキは僅かに合点がいった。
当然生存本能とは「死を恐れる本能」である。
だとすれば死を恐れなければ良い、死を心より望めば良い、誰かがそのように身体の根本の根本に刻めば良い、そうすれば誰もが死の想い人となり、穏やかに終わる。
それこそが彼の死の真相。
まさしく「
「ですから、私は「死」を繰り返します。崇高はその先にて私達を待っていますから。ですので、お二人も私と共に行きましょう」
「……違う」
「……違う?何がでしょうか?」
ミサキは敵意を剥き出しにして答えた。
少し驚いたような声を出すトーテンタンツに対して言葉を続けるミサキ。
「……「死」は怖い。苦しくて、辛くて、どうしようもないくらいには。……それでも死ぬのなら、それは現実の方がどうしようもない時」
「……なるほど、では……」
「だから、他人から「自殺」を与えられることなんて、あって良いはずがない。「自殺」は己の意思で己を殺すから「自殺」なんだよ」
タイムリミットはあと数分。
今にも首にロープを掛けようとするトーテンタンツに凛としてミサキは向かい合う。
サオリも彼女を生かし続けてきた者としてその横に立った。
「だから、だから私は……」
タイムリミットまであと一分を切った時、教会のドアが大きく開く。
先生と、アツコとヒヨリが辛うじて間に合った。
そしてロケットランチャーの銃口を向けながらミサキは言い切った。
「まだ死なない」
先生とアリウススクワッドに敗れたトーテンタンツ。
初めて与えられる他者からの死に「悪くない」と呟きながら天井を見上げる。
そして、自らを下した自殺痕に塗れた少女に言葉を残した。
「どうか、迫る死をお忘れなきよう。……生とは即ち「
「……そんなの、とっくのとうに分かってる」
包帯を巻き直しながら、ミサキは答えた。