学園モノです。地の文多め。

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桜の樹の下で

 桜の樹の下には死体が埋まっていると言う伝説がある。意味は分からないが、梶井基次郎もそう言っていた。だとするならば、桜の樹の下に人を呼び出す意味など一つしかない。僕の目前には目線も向けようともせず俯いている彼女がいる。僕を斃し、埋める算段でも考えているのだろうか。だとすれば、僕がするべき事はここから逃げる事である。

 

 何故こんな事になったのだろうか。彼女、惣流アスカは僕の幼馴染だ。天真爛漫な彼女を慕う男は多い。幼馴染として生きて来てからもう十年ぐらいだろうか。僕自身、釣り合いが取れないのは分かっているし否定するつもりもない。彼女もそう思っているだろう。だから僕の扱いは姉弟若しくは男友達同然のようなものなのだ。男女の関係などあり得ない。周囲は僕を囃し立てるが、生憎現実は見えている方だ。有り得ない、それが僕の出した結論だ。お互い知らない相手と付き合い、知らない相手と将来を誓うのだろう。だから僕は彼女と別々の道に行くと決めたのだ、幼馴染とずっと一緒に居る責務などない。

 

 僕達は中学を卒業した。まだまだ大人になるまでは日がある。しかし、中学を出ると言う事はその一歩である事に違いはない。アスカは都内で一番の女子高に、僕は近所の共学に進んだ。一緒に過ごす機会は自ずと減るであろう。違う道に進む事、それは一種の別れだと思うが、僕に未練などない。今までが異常であり、会おうと思えばいつでも会えるのだ。別れを惜しむどころか期待感で胸が一杯だ。彼女の存在により忌避してきた全てから解放される。新たな友人を作り、恋人を作り、気ままにチェロでも弾こう。僕はついに自由を手に入れた。そう思っていたのだ。

 

 しかし、期待はいつも裏切られるモノである。学校という閉鎖的環境が故、新たな友人は当たり前に出来た。ただ中学時代の親友二人も一緒に進学をしている。つまり連む相手が彼ら二人なのは変わらなかったのだ。そして、いつも通り僕はアスカと一緒に居る。学内で会わなくなっただけで家は隣同士なのだ。頻繁に出会う事は不思議では無い。とはいえ、ただの幼馴染である彼女と食卓を共にしたり、休日にどこかに出かけたりするのは普通では無い。もう高校生なのだ、一人で出掛けたり、食事を取ったりするべきなのだ。それが出来ない歳ではないだろう。何故わざわざ昔のままで居たいのか、僕には分からなかった。恋人同士であるわけでもない。そうならば話は早かったのだ。周りに囃し立てられる事もない。

 

 アスカは驚く程変わってくれない。昔のまま、僕を強引に連れ去り、僕を誑かす。一層の事、この関係を断ち切りたいと思い始めている自分がいる。このままでは、僕の自由は一生得られない。彼女が満足するまで、僕は為すがままで居なければいけない。そして彼女が満たされた途端に僕は用済みになるのであろう。死ぬまでこの関係性でいられるはずもない。やはり、関係を断つのならば早い方がいい。何と言っても物心付いてからの仲だ。彼女無しの生活を始めるには些か遅すぎるぐらい。手遅れになる前にケジメを付けるしかない。

どうケジメをつけるべきか、これが問題だ。アスカに一緒には居たくないと告げるのが一番手っ取り早いのかもしれない。だとしても、その理由を答えるのが難しいものだ。将来この関係を続けられるか分からないから一回距離を置きたいと言うべきだろうか。しかし、そう告げたところで、意味不明だ。恋人や夫婦の別れ話では無いのだ。ただの幼馴染である。「何を言っている」と言われるのが落ちだろう。

 そうならば、彼女に僕以上の関係性の男ができればいい。つまり恋人を用意してあげるのだ。これは話しが早い。僕の友人の中にも彼女を慕う男は何人も居るはずだ。評判の少女は学外に置いても有名なのである。「席をセッティングしてやる」と言えば、彼らは二つ返事になるに違いない。彼女がどのような返答を返すかは分からないが少なくとも何度も繰り返せば、僕を避け始める事だろう。間接的に僕の孤独は達成されるのだ。

 

 翌日、早速僕は実行に移す事にした。今日は偶然にも双方の両親が家に居ない。絶好の機会だ。手始めにアスカを食事に誘い、その場に友人を同席させる。そして、僕が用事を思い出した体で抜け出せばいい。二人の空間の完成だ。これで彼女に男が出来れば尚のこと良い。そうならなければ、繰り返すだけだ。彼女は直に根を上げるだろう。僕を避けるでもいい。我ながら良い作戦である。

 アスカは簡単に誘いに乗ってきた。しかし、同卓者に僕の友人を見つけると途端に不機嫌になってしまった。意味が分からない。これがケンスケやトウジであった場合は、こうはなっていないと思う。不穏な空気の中、友人は彼女の気を向けようと必死になっている。最初は突慳貪な彼女も気を許し始め、次第に和やかな雰囲気になっていく。我ながら良い友人を持ったものだと気分が高揚してきた。これはチャンスだ。彼女の気が逸れている間に抜け出すしかない。

自然に席を立ってみる。彼女達は僕を一瞥し、僕が「用事を思い出した」と伝えると、興味なさそうに話に戻る。彼女らの世界に入ってしまったのだろう。少なくとも良い関係性にはなってくれそうだ。彼女が無邪気に破顔するのは珍しいものだ。その姿を尻目に意気揚々と帰路に着く。案外簡単なものだった。これで僕は自由だ。

 

 その日から独り身という名の栄華を僕は満喫し始めた。アスカの誘いも減ってきた。付き合ったのかどうかは聞いていない。野暮な話だ。しかし、明らかに僕と距離を取り始めている。良い兆候だ。僕は三馬鹿と呼ばれた彼らと遊んだり、気ままに趣味に精を出したり、高校内での評判も上々になってきた。彼女も僕から解放されて幸せだと思う。ウィンウィンな結果だ。付き合いが悪いと言われたのも過去の話。バイトも始め、優雅な日々を送っていた。思えば、アスカと最後に会った日も遠い昔に感じる。隣同士だからいつでも会えるとは思っていたが、義務的に顔を突き合おうとしなければ、早々会う事も無いのが事実だ。今までが異常だったのだろう。

 

 春一番。そんな中で僕は彼と久し振りに席を持った。僕がアスカを紹介した彼だ。「話しがある」と言われたら行くしかないわけだ。興味が特別あったと言うわけでは無いが、仲人として近況を訊いておくべきだろう。しかし、不思議な事にいつも口数の多い彼が何かを発しようともしない。ファミレスの中で、不自然な静寂が訪れる。彼は開口一番、こう告げた、「殴らせろ」と。いきなりどう言う事なのか僕は理解を拒んだ。悪いことをしたつもりは無い。彼女を慕う彼に、彼女を紹介しただけなのだ。感謝を受ける事はあれども、「殴らせろ」などと言われる所以はない。ともかく、理由を聞かなければ素直に殴らせる気にはなれない。彼に問いかけてみた。「どうしたのか」と。そこからは彼の独壇場だった。あの後、良い関係にはなれたこと、逢瀬を重ね、彼が彼女に想いを告げた事、そして先日それを拒まれた事。

 なるほど。彼の気持ちが分からなくもない。あの彼女とそこまでの関係に至っておきながら、最後の最後で拒まれては形無しだ。しかし、それを僕に八つ当たりをされても困る。怒りの矛先が飛躍しすぎではないか。彼の独白が終わり、僕は問いかける。何故、僕が殴られなければならないのかと。そもそも、彼女の気持ちが彼に寄っていたのは、僕に対する彼女の姿勢から分かる。そもそも拒む理由が見当たらないのだ。

答えは簡単だった。彼曰く僕が理由だそうだ。僕に対する想いが彼女にはあるから拒まれたと言う。しかし、それはおかしいのだ。ただの幼馴染に対する想いなど、恋人のそれとは比較になる筈がない。つまり、彼女は僕を断る口実にしただけなのだと解釈出来る。その迸りを受けて殴られそうなのは困るが、友人の憂さ晴らしがこれで済むのであれば仕様がない。受けてやる事にした。

 

 赤くなった頬を摩りながら僕は家まで辿り着いた。ヒリヒリとはするが、致し方ない。事の発端になった僕にとって、これは否応無しに受けなければいけない罰であったのだ。悪いことをしたつもりは無いが、彼にとってはそうでは無いわけだ。とりあえずは納得しなければならない。友人としての義理は果たした。

寝転びながらそんな事を考えていると、インターフォンが僕の鼓膜を揺すった。誰かが訪ねてきたのだろう。生憎の鍵っ子状態で誰かに代わりに行かせるわけにもいかない。渋々、体を起こし、望まれぬストレンジャーを出迎えに行く。在宅証明代わりの返事と共にドアを開けてみる。僕の眼に豁然と亜麻色の髪を携えた少女が飛び込んできた。

 思えば、久方ぶりの対面だ。渦中の彼女が当日に訪ねてくるとは予期もしていなかった。タイミングの悪い事、この上ない。居心地の悪さが顕著になった玄関先で、彼女が口を開いた。それは囂然と、しかししどろもどろでもあった。要するに、僕の明日の予定を訊いてきたのだ。元々惰眠を貪るつもりだった日だ。

 あの状態の彼女に気圧されたと言うのもあるが、取り敢えずは「無い」とだけ伝えた。返事には十分だろう。そう告げると彼女は踵を返して、ただの隣人へと戻っていった。

 その日は非常に憂鬱だった。これは久し振りの感覚になる。僕の予定を聞いてきた彼女はあれから何も音沙汰がない。嵐の前の静けさとでも言ったかのような。その状態は僕を慄然とさせていた。

 僕の耳がバイブレーションを捉えた瞬間にゴングが鳴る。時が来てしまった。何を要求されるのだろうか。恐る恐る画面を覗き込む。見覚えのあるアドレスからの便りが目に入ってしまう。やはり彼女だ。何が書かれているのかわかったものじゃ無い。しかし見ないで済むのならば無視してしまえばいいのだが、如何せん代償が重すぎる。あの彼女のことだ、タダでは済まされないだろう。

 それは恐怖心からすれば、拍子抜けだった。目に入って来た文章はたった一文。「桜の樹の下でお待ちしています。」

 桜の樹と言えば記憶に残る場所が一つある。中学の校庭に押っ立つ大樹の元で僕らは何度か暇を潰した。たわいも無い話をして、ある意味優雅な日々だったと思う。ふと昔を懐かしんでいたが、否応無しに時間は過ぎてしまう。そろそろ向かわなければならない。靴を履き、重い腰を上げる。

 まだ青さが残る桜に彼女の後ろ姿が重なって見える。居ることへの安堵と先の見えない未來への慄きを持って彼女に声を掛ける。彼女は落ち着き無く、普段通りの姿では無かった。心做しか、色っぽくも見える。不思議な感覚だ。今まで彼女のどの姿を見ても感情が揺れ動くことなどなかった。僕と彼女はただの幼馴染なのだ。兄妹の様に育ってきたのだ、何も思うことがなくても不思議では無いだろう。今日この日までは。

 静寂を破ったのは彼女だった。僕の近況を聞いてくる。単純な世間話だ。本題は他にあるのだろう。たわいも無い話をしていても仕様がない。率直に聞けば良い。何の用なのか。僕を気が気がなくさせた理由が知りたいのだ。話を割る様に彼女を問いただす。

 温まった空間が沈黙に戻ってしまう。彼女の表情には戸惑いと紅潮が見てとれる。明らかにいつもの彼女ではないのだ。僕に向かって恥じらいを浮かべる彼女など見た事は無い。何を言い出すかは見当もつかない。鼓動が時を刻む。そして、徐に彼女の口が開かれた。

 

 桜の樹の下には死体が埋まっていると言う伝説がある。その樹の下に僕達は居る。しかし、そこまでおぞましいものではない。彼女と僕の関係性は今までのそれとはそう変わらないと思う。強いて言うなら卒業してから僕が変えてしまったものが戻ってきたと言える。僕が僕であるために変化を嫌っていたと言うのに。青い葉っぱが表しているまま僕らは青かったのだ。これから葉っぱに色をつけるか枯らすかは僕ら次第だ。少なくとも、その死体の様に桜に養分を与えられる日々であれば構わない。桜を咲かせようと心に刻みながら、僕は彼女の手を取った。

 




駄文でした。ここまで読んで頂いた皆様には感謝です。誤字脱字などあれば……。

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