♢六奈子
「奈子ちゃーん! 奈子ちゃーん!!」
誰かが、奈子の名前を呼んでいる。この声は、誰の声だっただろうか? ゆっくりと目を開くと、ピンク色の髪の毛が視界に入る。ベッドの上で寝る奈子を上から見下ろすのは、桜色が似合う魔法少女、松本さくらだった。
「うう、おはよう。桜花ちゃん」
「もーう、起きるの遅いよ奈子ちゃん!! 約束、忘れちゃったの? 全部終わったら遊園地に行く約束、してたでしょ?」
「え、でも、身体は大丈夫なの?」
「何の話? 見ての通り、めちゃくちゃ元気だよ!!」
さくらは奈子の目の前で、ふんっと力こぶを作って元気アピールをしてみせる。元気そうでなによりだ。
⋯⋯そもそも、どうしてさくらの身体のことを心配したんだっけ?
「もーう、変なこと言ってないで、早く行くよ!!」
「わわ、ちょっと待ってよ!!」
奈子の頭に浮かんだ微かな疑問は、さくらが奈子の腕を引っ張って無理やり起こしたことで、どこかに吹き飛んでいってしまった。
さくらの手に引かれて歩むのは、この一週間で見慣れたアジトの中。だけど、何か違和感がある。奈子とさくら以外に、誰の声も聞こえてこない。
「ねえ、さくらちゃん、ほかの皆はどうしたの? あたしたちだけで遊園地行っていいのかな?」
「だいじょうぶ。皆、先に行って待ってるから」
さくらは、奈子の問いかけに振り替えることなく、淡々とそう返す。さくらが奈子の腕を握る力が強くなる。奈子は、うっと痛みに顔をしかめた拍子に、視界の隅に変なものを見た。
それは、ああああの部屋があった場所。そこに、何か丸いモノが転がっている。ころりと、奈子が見つめる先でそれはこちらに向かって転がった。
それと、奈子の目が合う。そこにあったのは、血の涙を流すああああの顔であった。
「──奈子ちゃん、奈子ちゃん!! ぼおっとして、どうしたの? もう遊園地ついちゃったよ?」
さくらから声をかけられ、はっと我に返る。するとなぜか、一瞬でアジトから遊園地に場所が変わっており、遊園地特有の愉快なBGMが聞こえ始めていた。
「え、どうして⋯⋯? それに、さっき見たあの変なモノは⋯⋯」
「もーう、まだ寝ぼけてるの? ほら、時間がないんだし、早く遊ぶよーー!!」
さくらは、相変わらず奈子の腕を引っ張って、先を歩く。奈子はまだ先ほど見たモノへの恐怖が抜けきっていなかったが、さくらの言う通り寝ぼけていたのだろうと思い込むことを決めた。
「遊園地っていえば、ジェットコースターだよねー! 奈子ちゃん、ジェットコースターって乗ったことある?」
「ううん、ないかな」
「じゃあ乗ろう!! ジェットコースター乗らないなんて、人生の3割2分は損してるよ!!」
ジェットコースター前の列には、奈子たち以外誰もいない。奈子は遊園地に来たことがないので詳しいことは知らないが、普通、こういうアトラクションはもっと人が並んでいるのではないか。そんな疑問を抱えたまま、ジェットコースターは動き出す。
ごとんごとんと音を立てながら、ジェットコースターは頂点へと向かっていく。その頂点付近に、何かがある。針のようなモノに、腹部を貫かれた、青いコスチュームの魔法少女。その少女が、口からごぼっと血の塊を吐いた。
しかし、それが何かをハッキリと確認する前に、ジェットコースターは落下し、猛スピードでレールを走り回る。隣で、さくらが途切れることなく笑い声をあげている。その声が、やけに耳に残った。
「あー、面白かった!! やっぱジェットコースターはいいよね!! 生きてるって実感できる!!」
「ね、ねえ、なんか変じゃなかった? ジェットコースターの上でさ、なんか変なのが見えた気がするんだけれど⋯⋯」
「何も見えなかったよ。それよりも、早く次に行こう?」
さくらは、再び腕をぎゅっと握りしめてくる。ニコニコと笑っているが、その目はどこか空虚だ。先を促すさくらの態度は、酷く無機質に感じる。
「ねえ、生きてるって実感できた? こういうスリルは、今のうちに楽しまないと駄目なんだよ。だって、私はもう分からないから」
「ど、どうしたの? なんか怖いよ⋯⋯」
「さあ、もっとスリルを味わおう!! 次はお化け屋敷だよー!!」
さくらは、奈子の問いかけを無視して、ぐんぐんと歩みを進める。そのまま、再び自分たちのほかには誰もいないお化け屋敷の中へと入っていく。
暗い建物の中を、さくらに引っ張られながら進んでいく。お化け屋敷の中は、何もなかった。ただ、暗闇だけが続いている。脅かし役のお化けも出てこない。それが逆に、奈子はとても怖かった。
暗闇の中、一か所だけライトで照らされた場所がある。そこを通り過ぎた時、隣を歩くさくらの顔が、一瞬だけ見える。
真っ赤な繊維が、顔の形を象っている。あの、愛くるしい笑顔はどこにもない。それどころか、皮がない。落ち込んだ眼窩が、ぎょろりとこちらを見つめる。
「ひぃっ!!」
思わず悲鳴を上げるが、その時には明かりがあった場所は過ぎ去り、さくらの顔は見えなくなってしまう。今隣で奈子の手を握っているのは、本当にさくらなのか。先ほど見たあの不気味なバケモノではないか。不安に駆られるが、この暗闇の中、奈子はさくらの手を振りほどくことはできなかった。一人では、暗闇の中を進む勇気はなかった。
「⋯⋯お化け屋敷、何もなかったねー」
お化け屋敷から出てきたさくらは、普段通りの顔に戻っている。でも、奈子はもうこの遊園地から外へ出たかった。ここは、何かがおかしい。
「ねえ、もう帰ろうよ。なんだか、ここ変だし⋯⋯」
「何が変なの? 何も変なことなんてないよ。ほら、マスコットのクラムボンが、こっちに来たよ!!」
さくらが、すっと奈子の後ろを指さす。その動きにつられ後ろを振り向くと、そこには、どこか見覚えのあるマスコットキャラクターが居た。正確には、頭から下に見覚えがある。頭は変な着ぐるみを被っていて見えないが、頭から下は、クラムゼリーのコスチュームだ。
あたりは、いつの間にかオレンジ色に染まっている。太陽が沈みかけている。オレンジ色に染まる景色の中で、真っ赤なシャボン玉が、ふよふよとあたりを漂いだした。
『Q・T・E!! Q・T・E!!!!』
愉快な遊園地のBGMが、ポップな曲調の変な歌に変わっている。でも、先ほどまでのBGMとは違い、ところどころ途切れていて、なんだか不気味だ。次第に、音程も不安定なモノに変わっている。
「ほら、マスコットキャラクターには、ちゃんと挨拶しないと」
さくらは、そういって、奈子の頭を無理やり抑え込んでくる。やっぱり、何かおかしい。さくらは、こんな強引なことをする子ではないはずだ。
奈子の頭の動きに合わせ、目の前のマスコットキャラも頭を下げる。その拍子に、ポロリと首が落ちる。本来、着ぐるみの下にあるべきはずの首が、そこにはない。ぴゅーぴゅーと噴き出した赤い液体が噴水のように吹き上がり、宙に漂う真っ赤なシャボン玉を、さらに赤く染め上げていく。
「あ、あっ⋯⋯!!」
目の前のスプラッタな光景に、奈子は顔を青白くして後ずさる。その背中が、どんとさくらにぶつかった。
「⋯⋯ねえ、あれを見てよ」
さくらが、奈子の顔の後ろから、ぬっと腕を突き出し、先ほどとは別の方向を指さす。奈子は、見たくないはずなのに、自然とそちらへと視線を向けてしまった。
そこには、ケイオスと思わしき魔法少女の後姿があった。ケイオスは、奈子とさくらが見守る先で、恐ろしい怪物の口の中に突っ込んでいき、そのまま消えてしまう。
「みんな、みーんな、死んじゃった。⋯⋯あなたのせいだよ。あなたが、何もしなかったから」
ふっと、一瞬で景色が切り替わる。背後に感じていたさくらの気配は消え、不協和音と化していたBGMも消え去る。
奈子は、誰かの背中に背負われていた。その視線の先に、何かが転がっている。ここは、正面出口だ。その入り口付近に、顔を剝がされた死体が、無造作に捨てられていた。
その顔のない死体が、口を開く。その声は、さっきまで後ろにいたさくらと、同じ声をしていた。
「ねえ、奈子ちゃん。なんで私を置いていくの? 約束、守ってくれるんじゃなかったの?」
「あああああ!? ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!!」
奈子は涙を浮かべて謝るも、何もできない。何もできなかった。奈子はただ、さららの背中で、さくらの死体を見ることしかできなかった。
さららは、3人の魔法少女を運んでいて、さくらの死体まで運び出す余裕はなかった。奈子は、さくらの死体を見たのに、何もできなかった。
それだけじゃない。ああああが死んだときも、クラムゼリーが死んだときも、ケイオスが一人足止めのために残った時も、奈子は何もできなかった。
いつの間にか、奈子は、何もない真っ暗な空間に一人、座り込んでいた。その周りを、無表情のああああ、さくら、クラムゼリー、ケイオスが囲む。
「お前のせいだ」
「お前が何もしなかったから」
「お前が役立たずだったから」
「お前が殺した」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!!! ごめんなさい!!!!」
奈子は、ただひたすらに謝ることしかできなかった。そんな奈子を責め立てるように、四人は次第に奈子を囲む輪を狭めていく。
「「「「お前が死ねばよかったのに」」」」
四人が声をそろえて、奈子の耳元で囁く。その声を最後に、世界は完全な闇に包まれた。
☆☆☆☆☆
目を、開く。見慣れた天井。桜の木でできた、アジトの景色。
自分のモノではない呼吸の音が聞こえて横に首を倒すと、そこには右手と右目が潰された魔法少女が眠っていた。ただ、治療を受けた後らしき包帯と髪の毛が巻かれている。きっと、治療をしたのはさららだ。自分と一緒にこの魔法少女を背負っていたのを知っている。同じように背負われていたはずのガリの姿は、この部屋にはない。
「⋯⋯早く、ここから出ていかないと」
たぶん、さららはこの横にいる魔法少女と、奈子の様子を伺いに、この部屋にやってくるだろう。その時、どんな顔をして会えばいいのか。奈子は分からない。もう、この場所には居たくない。ここは、奈子にはふさわしくない。
「ゴミは、ゴミの居るべき場所に戻ろう。あたしは、もう、何も望みたくない⋯⋯」
名前は、もういらない。そんなものを望んで、ああああ達の仲間になって、結局、みんな死んでしまった。奈子のせいで、みんな死んだ。それはきっと、罰が当たったのだ。奈子みたいな人間が、幸せを手に入れてはいけなかったのだ。
さららたちに気づかれないよう、ここから出る必要がある。奈子は、壁に消しゴムを擦りあて、壁を消すと、そこから外へと飛び出していった。その目は、暗く、暗く、どこまでも真っ暗に淀んでいた。