魔法少女育成計画NoName   作:赤葉忍

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あたしの帰るべき場所

♢六奈子

 

 奈子の心の中と同じくらい真っ暗な夜の闇の中、奈子は目的もなくただただ歩みを進めていた。その足が、自分の生まれ育った町へと向かっていたのは、帰巣本能が働いたゆえのことだったのだろうか。

 

 奈子がそのことに気が付いたのは、とある古びたマンションの前にたどり着いた時だった。この場所がどこなのか、奈子は知っている。ここは、奈子が産まれ、魔法少女になるまでの間、育った場所だった。

 

「⋯⋯結局、あたしはゴミのままだったのかなぁ」

 

 ゴミ捨て場に捨てられた複数のゴミ袋を眺めながら、一人呟く。魔法少女になって、キラキラした存在になって、自分が変われた気がした。でも、魔法少女になっても、自分の名前は無くて。自分の生きている意味に疑問を抱いたところで、ああああに出会った。仲間ができて、名前も貰えた。でも、その大切な仲間も、死んでしまった。

 

 もう、何もかもどうでもいい。結局、奈子はあの時から何一つ変わっていなかった。どんよりと沈む気持ちに従うように、頭を垂れる。地面には、泥交じりの水たまりが残っていた。

 

 その水たまりを月明かりが照らし、水たまりは一瞬だけ、汚い鏡に変わった。その鏡が映し出すマンションの光景。その隅っこに、ベランダで首を吊ろうとしている男の姿が見えた。

 

 奈子は、反射的に顔を上げ、走り出していた。別に、魔法少女的正義感に駆られたとか、そんなのではない。ただ、目の前で誰かが死ぬ光景を、これ以上見たくなかっただけだ。

 

 男が台を蹴り、宙へ身を投げ出す。男の全体重が首に伝わるその前に、奈子は消しゴムでロープを擦って消し去った。

 

「うう、うう~~~~!!!」

 

 首を吊る寸前で助かった男は、ベランダで蹲りながら、嗚咽を漏らしている。ほっと安堵の息を吐いた奈子だったが、その男の顔を見た瞬間、表情がぴしりと固まる。

 

 この男は。先ほど死のうとしていた、目の前で情けなく泣きながら蹲っているこの男は。

 

「どうして⋯⋯?」

 

──奈子の、血の繋がった実の父親だった。

 

 何故、この男が、死のうとしているのか。奈子には、まったく理解できなかった。魔法少女になって一年。一度も家に戻ることはなかった。だって、戻れば殺されると思ったから。

 

 奈子が魔法少女になったあの日。父親は、いつも以上に荒れていた。ギャンブルで負けて酒を飲み、酔っぱらってこちらを殴ってくるのはいつものことだったが、その日は違った。いつもなら拳で殴ってくるところを、酒瓶を持って殴りつけてきた。右頬をぶたれ、飛びそうになる意識の中で、父親が再び酒瓶を振りかぶるのが見えた。もう一度殴られたら、今度こそ完全に意識を失う。その後、目覚めることができないかもしれない。奈子は、初めて明確に感じた“死”に恐怖した。

 

 だから、奈子はベランダから飛び降りることにした。古びたマンションでも、3階だとそこそこの高さがある。でも、飛び降りることの恐怖よりも、背後に迫る父親の狂気の方が怖かった。

 

 幸い、落下した際に植え込みに落ちたことで、奈子は大した怪我は負わなかった。しかし、酔っぱらっていた父親は正常な判断ができなかったのだろう。ベランダから落ちた奈子を見て悲鳴を上げ、部屋の中へ逃げていく姿が植え込みの中でぼんやりと見えた。

 

 酔いがさめたらきっと、あの父親は自分を探しに来る。しばらくは、いつも通りかもしれない。でも、もしまた同じようなことが起これば⋯⋯その時こそ、自分は死ぬかもしれない。

 

 奈子は、自分は生きる価値のないゴミだと思っていた。父親からは「おい!」としか呼ばれないし、「お前はゴミだ」と、自分の価値を否定する言葉を投げかけ続けられる。それが当たり前だったから、そう思ってきた。

 

 そんな奈子の価値観を否定してくれたのは、図書館で出会った皺だらけのお姉さんだけだった。だから、この時奈子の頭に浮かんだのも、そのお姉さんの顔だった。

 

 お姉さんの元を尋ねるべく、図書館へと向かい、その途中で、お姉さんが本当はお婆さんで、昨日亡くなったことを知った。その時ほど絶望したことはない。死のうと思った。でも、死ぬ前に、奈子は魔法少女になれた。生きる意味を、ようやく見つけられたと思った。

 

 

 今、奈子の目の前で、この父親だった男は、何を思って死のうとしたのだろうか。何に対し、絶望したのだろうか。怒りや悲しみといった感情はない。ただ純粋に疑問に思い、奈子は男の顔をじっと見つめ続けた。すると、ふと泣き止んで顔を上げた男が、奈子の顔を見て目を見開いた。

 

「おい、お前⋯⋯花子だろ!? 死んだんじゃなかったのか!?」

 

「⋯⋯え?」

 

 この男は今、なんて言った? 奈子のことを、なんと呼んだ?

 

「ああ、やっぱり。その目の横のホクロ!! お前、俺の娘、中島(なかじま)花子だろ!!」

 

「知ら、ない。あたしは、そんな名前⋯⋯」

 

「ああ? あー、そういえば名前で呼んだこと無かったか。まあいいや。こっちはお前が死んだと思って、いろいろと大変だったんだからな!? その顔、整形でもしたのか? なら、金は持っているはずだよな。なあ、お前、俺の娘なら金をくれよ。それがゴミみたいなお前でもできる、最低限の親孝行ってやつだろ?」

 

 先ほどまで涙を流していたのがウソだったように、男は嫌らしい笑みを浮かべて、奈子へすり寄ってくる。

 

 さんざん欲しいと思っていた名前。それが、本当は自分にもあった。それは、本を読めばどこにでもあるようなあり触れた名前で。そんな名前でも、少し前なら奈子は呼ばれたことに喜んだのかもしれない。しかし、今は、違和感しか感じない。

 

 だって⋯⋯奈子にはもう、大切な仲間からもらった、素敵な名前があるから。

 

「⋯⋯あたしは、花子じゃないよ。あたしの名前は、奈子。(ななまえ)奈子」

 

「何言ってるんだ! お前は俺の娘で、中島花子だ!!」

 

 自分で改めて口に出すと、とてもしっくりくる。目の前の男が何か言っているが、もう奈子には届かない。だって、奈子は、花子ではない。この男の娘だった花子など、最初からどこにも居なかった。一度だって呼ばれたことすらなかったのだから。

 

 この男とは、13年一緒に暮らしてきた。でも、その13年間でいい思い出は一つもない。たった一週間だけでも、奈子に名前をくれた大切な仲間たちとの思い出の方が、奈子の心を温かく満たしてくれる。

 

「⋯⋯帰りたいなぁ」

 

 自然と口から声が漏れた。そうだ、自分の帰る場所は、もうここじゃない。

 

 奈子は、こちらへ手を伸ばそうとする男の手を振り払い、ベランダのふちに立った。視線を横に向けると、落下防止の柵が少し歪んでいる。あの時は、ここから逃げるために落ちた。でも、今度は、帰るためにここから飛び立つ。

 

「おい、どこに行く気だ!! ここがお前の家だろうが!!」

 

「ううん。あたしの帰る場所は、もうここじゃないよ。⋯⋯バイバイ、パパ。あんまりお酒、飲みすぎないようにね」

 

 奈子は、最後にそれだけ告げると、月明かりの中、空へと飛び出していった。瞬く間に遠くへと離れていくその姿を、父親だった男は、ただ茫然と見送ることしかできなかった。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 アジトへと戻る前に、一度寄っておきたい場所があった。それは、あのお婆さんが居た図書館。魔法少女になってからは、一度も立ち寄らなかった場所だ。

 

 一年前まで使っていた秘密の抜け穴は、今でもまだそこに残っていた。抜け穴を抜け、天井近くの窓から、すっと中に入る。

 

 誰もいないと思っていた夜の図書館には、思わぬ先客が居た。暗闇の中、ランプの明かりがその少女の顔を照らしている。物音に顔を上げたその少女、アーカー・ペンシル子が、奈子の姿を確認して目を見開いた。

 

「わっ!? 奈子ちゃん!? どうしてここに居るの!?」

 

「それはこっちの台詞だよ。赤ペン先輩、なんでここにいるの?」

 

「なんでって言われても⋯⋯ここが、お婆ちゃんの好きだった図書館だから、かな」

 

 ペンシル子の言葉に、今度は奈子が目を見開く番だった。そういえば、まだこの魔法少女に自分の過去について話したことはない。奈子は、自分とお婆ちゃんとの思い出の日々、そして魔法少女になった日のことを、ペンシル子に話すことにした。

 

「そっか⋯⋯。私もね、お婆ちゃんから、名前がない女の子の話は、何度か聞いたことがあったの。だから、何となく奈子ちゃんがそうなんじゃないかなって思ってた」

 

「お婆ちゃん、あたしのことなんて言ってた?」

 

「可愛くていい子だって言ってたよ。だから、いつか友達になってあげてねって。⋯⋯ふふ、お婆ちゃんとの約束、いつの間にか守れていたみたい」

 

 柔らかく微笑むペンシル子の顔は、奈子がよく絵本を読んで聞かせてもらった、あのお婆さんの優しい笑顔にそっくりだった。そのことを思い出した奈子は、もう出ないと思っていたはずの涙が、自然とあふれ出すのを感じた。

 

「あの、あのね⋯⋯! あたしの仲間、紹介するって約束したのに、守れなくなっちゃった。大切な仲間なのにね、死んじゃったの」

 

「⋯⋯そっか。悲しかったよね」

 

「うん、悲しい。すっごく、悲しい⋯⋯!! だから、逃げてきちゃったんだけれどね。でもね? あたしの帰る場所は、皆がいる場所だって気づいたの」

 

「そっか。なら、帰らなきゃね」

 

「うん。でも、やっぱりちょっと怖い。だから⋯⋯手、繋いでくれない? 一緒に帰ればきっと、怖くないから」

 

「うん、いいよ。奈子ちゃんは、私にとって、とても大切な友達だから。でも、その代わり⋯⋯赤ペン先輩じゃなくて、ペンシル子って呼んでくれないかな?」

 

 奈子が恐る恐る差し出した手を、ペンシル子は優しく握り返してくれた。奈子は、涙を袖でぬぐいながら、こくりと頷き、ペンシル子に促される形で、ゆっくりと立ち上がった。

 

「じゃあ、案内するよ、ペンシル子。あたしの大切な仲間たちの居る場所。あたしの、帰るべき場所に」

 

「魔法少女の友達の家に遊びに行くのは、初めてだなぁ。私、なんだかドキドキしてきちゃった!!」

 

 二人は、顔を見合わせてふふふっと笑いあい、そして、夜の街の中、手をつないで駆け出していく。

 

 数十分後、奈子はペンシル子の手を引いて、アジトの大きな桜の木の前に立っていた。一度深呼吸をした後、ここに初めて来たときにああああがそうしたように、そっと手を当てると、光の筋が走り、桜がぱあっと花開く。

 

 光の線が規則的に線を描き、長方形の形になったその時、中から慌てた様子のさららが、髪を乱して飛び出してきた。

 

「よ、よかった⋯⋯。奈子ちゃん、無事に帰ってきたみたいで⋯⋯って、誰ぇ!?」

 

 さららは、奈子の隣にいるペンシル子を見て、慌てた様子で開いたばかりの扉の後ろに隠れ、おどおどとした様子でこちらを伺っている。そのいつもと変わらぬ様子に、なんだか不思議と安堵を覚えた奈子は、初めてさららの前で自然に笑うことができた。

 

「ただいま、さらら!!」

 

 奈子が自分の名前を呼んだことに目を丸くしたさららだったが、奈子の元気が戻っていることを悟り、にへらとぎこちない笑みを返す。

 

「お、おかえりなさい⋯⋯奈子ちゃん」

 

 この時、本当の意味で、奈子はRe:Nameの一員になれた気がした。

 

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