♢♰混沌ノ魔眼♰
これが、夢であるということはすぐに理解できた。なぜならば、自分の視線の先に居るのは、過去の自分だったからだ。
過去にあった出来事を、夢の中で追体験している。こんな経験は初めてのことだった。夢の中のケイオスは、変身を解いた姿で、夜の電波塔の上に座り込んでいた。
ああ、これだけで、いつのことかわかる。自分はこの時、電波塔から飛び降りて死のうとしていた。
魔法少女として活動を続けはや数年。気づけば成人を迎えていた。この頃には、中二病は完治し、ケイオスは自らの黒歴史に毎日苦しむ羽目になっていた。
名乗れば笑われ、時には真面目にやれと怒られ。真面目に考えた結果が♰
自分がいつまで魔法少女を続けられるかは分からない。でも、魔法少女を続ける限りこの呪われた名前と付き合わなくてはならないのかと考えると、深く絶望した。
だから、ケイオスはこの時死を選ぼうとした。他の選択肢は思いつかなかった。でも、ケイオスは結局死ねなかった。その原因を、ケイオスは知っている。この後ここにやってくる魔法少女の顔を、名前を。こうして夢にまで見るほどに、ケイオスは知っている。
「やあ、隣いいかな」
そう言って、返事も待たずにケイオスの隣に座ったのは、ああああだ。こちらは変身したままの姿だから、今とまったく変わらない。この時のケイオスは、ああ、おせっかいな魔法少女が自殺をしようとする馬鹿を止めに来たのか、くらいにしか考えていなかった。その証拠に、夢の中のケイオスは、隣のああああを一切見ずに、ずいぶん不愛想な態度をしていた。
「⋯⋯見て分からない? 私、飛び降りようとしてるんだけれど。まさか、止めに来たつもり? 言っとくけれど、私、本気だからね」
「いや、少しばかり晩酌に付き合ってもらいたくてね。どうせ飛び降りるまで暇だろう? それなら、私の愚痴を聞いてくれないか?」
「⋯⋯え? 止めないの?」
「止めてほしいのか?」
「いや、そういうわけじゃないけれど⋯⋯」
この時になってようやく、ケイオスはああああの顔を見た。思っていたよりも美人でびっくりし、さらに本当にとっくりを出してきて酒を飲み始めようとしているのを見てさらに驚いた。
どうやら、だいぶ変な魔法少女に目を付けられたらしいぞ。そう思い、一瞬場所を変えるかと考えたが、こんな奴のためにわざわざ自分が移動しなければならないのは癪だ。結局、ケイオスはそのままああああの愚痴を聞くことにした。
「君、成人しているか?」
「⋯⋯一応。ひと月前に二十歳になった」
「なら、一緒に飲もう。酔って上機嫌なまま死ねた方が、どうせならいいだろう?」
特に断る理由がなかったので、ケイオスはああああが差し出したおちょこを無言で受け取り、口を付けた。そして、思っていた以上に度数の強い酒に、顔をしかめる。
「うわ、これかなり強い酒じゃない。あんたは酔わないかもしれないけどさ、成人したばっかの女子にこんなの飲ませないでよ」
「おや? どうして私が酔わないと思うんだ?」
しまった。キツイ酒を飲んだせいで、うっかり口を滑らせてしまった。ただ、まあ、別に隠す必要もない。どうせ死ぬつもりなのだから。
ケイオスは、空になったおちょこを返すついでに、魔法少女に変身した。不意をついたつもりだったが、ああああは特に驚いた様子もなく、差し出されたおちょこに酒を注ぐ。
「⋯⋯驚かないの?」
「驚いたよ。ただ、何となくそうかもしれないとは思っていた。こんな高い場所に、普通の人間はなかなか登ってこれないからな。ふふ、これで、酔いつぶれる心配はなくなったな。とことん飲もうじゃないか」
「あんたねぇ⋯⋯」
ケイオスは呆れつつも、おちょこをグイっと一気に煽る。魔法少女はお酒には酔わないが、飲んでいるとなんだかそれっぽい気分にはなってくる。いつの間にか、二人はお互いに愚痴を激しく言い合っていた。
「人事部はクソだ!! “ああああ”なんて名前、本気で申請するわけないだろ!?」
「うわー、かわいそうに⋯⋯。私もさぁ、今の名前がちょっと黒歴史過ぎて改名しようとしたんだけれど、全然許可してくれないんだよねぇ。ほんと、融通きかないわあいつら」
「ちなみに、どんな名前なんだ? 聞いてもいいだろうか」
「我が名は♰混沌ノ魔眼♰!! この混沌を司る魔眼は、あらゆるものを焼き尽くす闇の邪気眼よ!!」
「⋯⋯かっこいいんじゃないか?」
「あ、今ちょっと間あった!! 絶対引いただろあんた!!」
ケイオスとああああは、二人で朝まで飲み明かした。笑って、怒って、泣いて⋯⋯こんなに楽しい時間は、久しぶりの経験だった。
昇りゆく朝日を眺めながら、ああああがぽつりと呟いた。
「⋯⋯なあ、ケイオス。君、死ぬのやめないか?」
「おお? どうしたのさ急に。まさか、私ともっと話したくなったとか?」
「ああ、その通りだ。もっとお前と、こうして共に居たい。寂しがりな私のために、もう少しだけ生きてくれ」
冗談めかして言った言葉を肯定されて、動揺した。たぶん、今鏡を見たら耳が赤く染まっている。ああああは、まっすぐこちらを見つめている。その瞳に映るケイオスは、もう死のうとは思っていなかった。
「あーあ、しょうがないなぁ。折角こんないい天気の日に死ねると思ったのに」
「残念だったな。もう日付は変わっている」
「確かに。じゃあ、一緒に天気予報見に行かない? 今日はどんな天気か知りたいから」
「今日が晴れでも、もう死なせないぞ?」
「死なないわよ。どうせ、どこかの馬鹿が、とっくり片手に邪魔してくるんだから」
──ああ、これは夢だ。夢だとわかっているのに、ああああの顔から目が離せない。
なんで、私より先に死んでしまったんだ。そう文句を言いたいのに、夢の中のああああは、酷く楽し気で、その隣に立つケイオスも、呑気に笑っていた。
朝日が顔を照らすと共に、ケイオスの意識も覚醒していく。目を覚ましたケイオスのすぐそばで、両手を頬に当てたギャシュリーが、体操座りで揺れていた。
「おお、お目覚めデスか、ケイオス。いい夢、見れましたカ?」
「⋯⋯たった今、最悪な気分になったわ」
「オー、それは何よりデース!!」
にぱっと笑ったギャシュリーは、体操座りの姿勢からよっと起き上がり、ふらふらと揺れながら部屋の中を歩く。その向かう先には、ラブリーバブリーに餌付けをしているマーブルフェイスが居た。
「マーブル、朝からいちゃついてマスね~。そんなにその子が気に入りましたカ?」
「別に? 家畜に餌をやるのと同じような感覚です。これが見て、慕っているのは、私ではなく、私が被る仮面ですし」
「先生~。もっとご飯欲しいですぅ~。いっぱいあーん、してください」
すりすりと頭を寄せてくるラブリーバブリーの頭を撫でながら、マーブルフェイスはおもむろにかかとを後ろに蹴り上げる。すると、椅子代わりに四つん這いになっていたドロップのお腹に、マーブルフェイスのかかとがクリーンヒットした。
「ああ~~!! 屈しちゃうっす~♡」
一人嬌声を上げるドロップのことを、気に掛けるものはこの場に一人もいない。その事実にまた震えるドロップであった。
「ところで⋯⋯私、気になることがあるんです。そこの、ケイオスさんでしたっけ? 私、あなたにもこの旗の魔法、使ってますよね? あなた、なんで洗脳されないんですか?」
「⋯⋯さあね。あんたの魅力が足りないせいじゃない?」
ああああの仮面を被ったマーブルフェイスは、ああああの魔法を使うことができる。それなのに何故、ケイオスはマーブルフェイスを慕う気持ちにならないのか。洗脳されないのか。
簡単なことだ。ケイオスは、あの日、あの時、死のうとした自分を救ってくれたあの瞬間から、その心も体も、ああああに捧げているからだ。既に捧げた心が、これ以上変わりようもなかった。
「まあ、イイじゃないデスか。ワタシ、ケイオスにはこのままでいてくれた方が嬉しいデス。その方が、絶対に楽しめマスしね」
ケラケラと楽し気に笑うギャシュリーを見ていると、怒りが湧いてくる。ああああの顔でケイオスの前で話すマーブルフェイスの顔を見ていると、殺意が湧いてくる。
でも、今はまだ動く時ではない。今無理に暴れても、勝てる見込みはない。その時は、きっと来るはずだ。逃げた仲間たちが、このまま逃げっぱなしで終わらない魔法少女だということを、ケイオスは知っている。そうでなければ、いくらああああの魔法の効果があったとして、人事部に、魔法の国に喧嘩を売ろうなどとは考えない。
突然、胸元で何かが揺れた。これは、ケイオスが谷間にしまっていた、魔法の端末の振動だ。幸い、ゴスロリ衣装の派手なフリルのお陰で、他の奴らには揺れを感づかれていない。
端末は、一定の周期で、揺れを繰り返している。その一定の周期に、ケイオスはピンとくるものがあった。これは、モールス信号だ。中二病真っ盛りのころ、なんだかかっこいいからと覚えたかいがあった。
(う・え・を・み・て?)
指示の意味はよく分からないが、とにかく上を見る。たぶん、こんなことを考えて実行するとしたら、それはさららだ。考えることが誰よりも得意なさららのことだ。この指示もきっと意味があるはず。
ケイオスが指示通り上を向くと、信号の内容が変わった。もしかして、何らかの方法でこちらの姿を見ているのではないか? それならば、さっきあの指示を出したのは、ケイオスにモールス信号が伝わっているかを確かめたかったからなのだろう。その証拠に、先ほどまでの内容より細々とした指示が飛んできている。
「⋯⋯あんた、私に死んでくださいって言っときながら、めっちゃ使う気満々じゃない。まあ、いいけどね。さらら先生の指示に全部従うわよ」
誰にも聞こえないようぼそっと呟き、口角をわずかに上げる。再戦のその時は、すぐそこまで迫っていた。