むかしむかし、ロンドンのホワイトチャペル周辺で、”切り裂きジャック”と呼ばれ、恐れられる殺人鬼がいました。
その殺人鬼の標的は、全員が女性。霧と共に現れ、霧と共に消えてゆく。結局、その殺人鬼は最後まで捕まることはなく、その正体は未だよく分からないままです。
それから幾年も経ったある年のロンドンで、同じく”切り裂きジャック”と呼ばれる殺人鬼が現れました。被害者は全員若い女性。死体と共にトランプのジャックを置いて去るその手口は、皆にあの”切り裂きジャック”を連想させるには十分でした。
しかし、その噂はいつしか聞こえなくなり、二代目”切り裂きジャック”も、初代と同様にいつしかロンドンの街の霧の中に消えてしまいました。
果たして、”切り裂きジャック”はどこへ消えてしまったのか。その真実を知る人は、誰もいません。
☆☆☆☆☆
今宵も、ロンドンの町は霧が濃い。そこに、暗闇も加われば、ますます視界は悪くなる。そんな夜のロンドンの街並みを、男は獲物を探して歩いていた。
男は、最近巷で騒がれている殺人鬼、”切り裂きジャック”その人であった。男が何故、わざわざジャックのカードを殺人現場に残すのかというと、その方が普通の殺人鬼よりも注目されると思ったからだ。
このロンドンに住んでいる住人ならば、ほとんどの人が”切り裂きジャック”のことを知っている。ならば、そう連想させるジャックのカードを置いていけば、勝手に”切り裂きジャック”と結び付けてくれるだろうと思っての行動だった。男の目論見通り、人々は新たに現れた殺人鬼を、二代目”切り裂きジャック”と呼び、恐れている。男のちっぽけな虚栄心は、それだけでおおいに満たされていた。
男が若い女性を標的にするのは、自分よりも弱い人間を虐げることが好きだからだ。腕力では決して負けない相手を無理やり組み伏せ、泣きわめく様子を眺めながら首を掻き切り、血を噴き出させる。それは、性行為にも勝る快感であった。
今日も、男は期待と興奮で胸と股間を膨らませながら、ズボンのポケットに手を突っ込み、ゆらゆらと夜の町を練り歩く。勿論、ポケットの中にはナイフが隠されている。近頃は、殺人鬼の噂のせいで夜に外を出歩く人の影は少ない。しかし、噂を信じず外をうろつく馬鹿な奴もいる。男は、街灯の下で佇む女性らしき姿を捉え、口角を吊り上げる。
「そこのお嬢さん、こんな夜中に一人かい? 最近ここらは物騒だ。危ないよ」
「⋯⋯あなた、誰?」
この辺りではあまり聞かない訛りの英語だ。しかし、それよりも男は、その女性の顔が恐ろしいまでに整っていることに驚いた。
闇に溶けるような黒の衣装とは異なり、一切の曇りのない白い肌は、まるで闇夜の中に顔だけ浮かび上がっているようで少し不気味だが、それを差し引いてもとんでもない美人だ。いや、美少女という方が適切だろうか。どこか幼さも残るその顔立ちは、男の心を一瞬で魅了した。
これは、とんでもない上玉だ。男は、この人形のような顔が恐怖で歪むさまを想像し、股間を濡らす。だが、焦ってはいけない。もっと人気のないところに誘い込んで、そこで殺す。
「その訛り、旅人かい? 宿がなくて困っているならば、僕が案内してあげるよ」
「え? 私はマーブルが用事済ませるの待ってるだけなんだけれど⋯⋯。まあいっか! なんか面白そうだし。お兄さんについて行ってあげるね!!」
何とも警戒心のない奴だ。男は内心あざ笑いながら、少女を先導して歩く。後ろをついてくる少女は、警戒しないどころか、歌まで歌い出している始末だ。これなら、いつでも殺せてしまうだろう。
「ろーんどん橋落ちた♪ 落ちた♪ 落ちた♪ こっから先の歌詞は、分かんない~♪」
⋯⋯本当に、呑気な少女だ。しかし、あまりにも楽し気な少女の様子に、若干の違和感を抱く。ただ道を案内されているだけで、ここまで上機嫌になるものだろうか。
一瞬よぎった不安をごまかすため、ポケットの中のナイフを握りなおす。その時、少女が不意に、男に話しかけてきた。
「ねえ、お兄さん。なんでナイフなんか持ってるの? それ、お兄さんのお守り?」
気づかれたか。男は、逃げられる前に仕留めねばと、少女の方に振り向き、ナイフを構える。しかし、そのナイフを男は振り下ろすことができなかった。少女の顔を見た男は、戦慄する。
少女は、笑っていた。とてもとても、愉しそうに。お気に入りのおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせ、少女は男に話しかける。
「わぉ!! あなたが噂の殺人鬼だったの? じゃあ、悪い人だ!! 魔法少女として、悪い人はやっつけないとね!!」
少女の言葉を理解する前に、男を激痛が襲う。痛みで混乱する男の視界に、見覚えのある腕を持った少女の姿が映る。その腕は、男が先ほどまで持っていたはずのナイフを握っている。とっさに視線を手元に落とすと、男がナイフを握っていたはずの腕は肩から先が千切れたようになくなり、そこから血が噴き出していた。
「う、うわあああああああああ!!?」
「あれ、思ったより脆いなぁ。まあ、魔法少女じゃなかったらこんなもんか。ごめんね、お兄さん。ちょっとナイフを取り上げようとしただけなんだ。痛いよね。今、楽にしてあげるからね!!」
そう言って、にこりと笑いかけてきた少女を見て、男はたまらず逃げ出していた。血が止まらない傷口を左手で押さえながら、男は必死で走る。
あれは、いったい何なんだ。あんなバケモノが居ていいはずがない。何故、こんな目に合わなければならないのだ。男が、いったい何をしたというのだ。
「ろーんどん橋落ちた♪ 落ちた♪ 落ちた♪」
必死で逃げているはずなのに、少女の歌声は、着かず離れず男の耳にまとわりついてくる。先ほどは無邪気に聞こえたその歌も、今は恐怖の対象でしかない。
息を切らしながら走るうちに、男は橋へとたどり着いた。そして、その橋の上に、誰かが立っている。男は、自らが殺人鬼であることなど忘れ、その橋の上の人物に助けを求めた。
「た、助けてくれぇ!! バケモノに追われているんだぁ!!」
男の声に、背を向けていたその人物が振り向く。その顔は、表情のない仮面に覆われていた。
「五月蠅いですね。邪魔しないでください」
淡々とした口調でそう告げると、仮面を被ったその少女は、無造作に拳を振りぬく。その拳は、一瞬にして男の頭部を破壊し、頭を失った男の身体は、ふらつきながら橋から川の中へと落ちていった。これが、二代目”切り裂きジャック”のあっけない最期であった。
仮面を被った少女⋯⋯マーブルフェイスは、男の死体を一瞥した後、すぐ足元に横たわる死体に視線を落とす。この少女は、笑顔がとても魅力的だったから顔を剥いでみたが、やはり殺すときには恐怖で歪んだ顔になってしまった。この顔は、仮面には使えない。やはり、仮面にするなら魔法少女の顔が一番良い。
「ふーふふんふんふふふん♪ あ、マーブル。ここに”切り裂きジャック”のお兄さん来なかった?」
「切り裂きジャック? 何ですかそれ。そんなの来ませんでしたよ」
先ほどまで切り裂きジャックを追いかけていたギャシュリーは、マーブルフェイスにその行方を尋ねたが、マーブルフェイスは既に自分が殺したどうでもよい男のことなど覚えていなかった。
ギャシュリーは、何となくマーブルフェイスが殺したのかなぁなどと思いつつも、問い詰めるほどの興味は持っていなかったため、「そっか」とだけ返事をして、マーブルフェイスの頬についた血を優しく手で拭い、その小さな舌でちろりと舐め取った。
そのまま、二人はしばらく橋の欄干の上で足をぶらぶらさせながら濁った川を眺めていたが、そこに、上空からしゅたっと何者かが降り立った。ギャシュリーとマーブルフェイス、二人同時に振り向いた視線の先には、彼女たちと同じ魔法少女が立っていた。
「ついに見つけたわ! まさか、切り裂きジャックの正体が魔法少女だったなんてね。覚悟しなさい!! 悪人は監獄にぶち込んでやるんだから!!」
探偵のようなコスチュームを纏った魔法少女が、煙管の先端をびしっと二人に突き付ける。ギャシュリーとマーブルフェイスは、顔を見合わせてこそこそと相談を始めた。
「ギャシュリー、どうしましょうか。この方、何か勘違いしているようですが」
「たぶん、マーブルフェイスが殺した子が女の子だから勘違いしているんじゃないかな? ほら、死体放置したままだし」
「なるほど。それでは、素直に捕まってみますか?」
「監獄暮らしも面白そうだけれど、まだまだいっぱい遊びたいしね~。それに、道を教えてくれようとした親切なお兄さんに恩返ししたいし、切り裂きジャックの最期の犠牲者、増やしちゃおうよ!!」
「あの子の顔は結構綺麗なので、仮面にしたいです」
どうするかは、決まった。ギャシュリーは、笑顔で魔法少女に近づき、マーブルフェイスはナイフを構える。目の前の2人の魔法少女の異様な雰囲気に一瞬たじろいだ少女であったが、勇気を振り絞り、魔法のアイテムである煙管を構え向き合った。
──時間にしておよそ数秒。ギャシュリーとマーブルフェイスの2人は、無事探偵風の魔法少女を無力化させることに成功していた。しかし、ただ殺すだけでは、味気ない。親切な切り裂きジャックの悪名を高めてあげるためにも、ギャシュリーは少し凝った殺し方をすることにした。
「うう、殺して⋯⋯!! 早く殺してよぉぉぉぉ!!!!!」
「ちょっと待っててね~。もっといい感じに盛り付けできると思うんだ。ふふふ、やっぱり魔法少女の身体って、内臓も綺麗だねぇ」
ギャシュリーは、少女の叫び声を無視し、せっせと地面に臓器を並べていく。腹を裂き、取り出した臓器は、直接生命活動には影響のないものだ。それを、いい感じに並べつつ、マーブルフェイスに一個ずつ教えていく。
「マーブル、これが胃だよ。そして、こっちが腸」
「そんなの、興味ないです。それよりも、さっさと皮を剝いじゃいますね」
既に四肢をもぎ取られた少女は、抵抗することも許されず、生きたままマーブルフェイスの手によって皮を剥ぎ取られていく。そして、目の前で自分の顔を被ったマーブルフェイスの顔を見たところで、少女の精神は崩壊した。
「わ、私の顔が、なんで、なんで。あは、あはは。アハハハハハハ!!!!」
「あーあ。壊れちゃった。じゃあ、もういっか。じゃあね、おやすみ」
そう言うと、ギャシュリーは少女の心臓を握りつぶす。辛うじて生命活動を保っていた少女は、呆気なくその命を散らした。
「マーブル、この子の仮面はどう? イイ感じ?」
「やはり魔法少女の仮面はなじみます。でも、魔法は正直微妙ですね。『探し物の場所が分かるよ』という魔法で、煙管の煙がさす方向に探し物があるのが分かるようです」
「ふーん、じゃあ、64点くらいってところかな。もっといい仮面を探そっか!!」
ギャシュリーが伸ばした手を、マーブルフェイスがぎゅっと掴む。お互いに血まみれだったが、そんな細かいことを気にする二人ではない。橋の下で夜通し水浴びして遊んだ後、二人は仲良く手を繋いで、ロンドンの町を駆けて行ったのだった。
この日以来、ロンドンでは”切り裂きジャック”の噂は聞かなくなった。しかし、かの殺人鬼が最後に殺した死体を見た人々は、「切り裂きジャックは自らの殺人欲求を発散し尽くしたのでもう殺人はしないのだ」と噂したという。それくらいに、残された死体は凄惨なものであったのだ。そのため、死体の傍にジャックのカードが残されていなかったことに、誰も気が付くことはなかったのであった。