いろは坂いろはと匿名希望のちょっとした暗号バトル。
「そういえば、匿名希望さんってどこ出身なの?」
始まりはその一言だった。
匿名希望。一年A組。出席番号九番。クラス唯一の「何でもあり」。
あらゆる情報が謎に包まれた彼女に対するちょっとした好奇心。
「そら聞いたら分かるやろがい。ワシの口調、どっからどう聞いても関西人でっせ」
「いやいや。流石の関西人でも、今どきそんなにコテコテな関西弁話す人いないでしょ」
「なんやなんや? どんだけワシに興味あんねん。ワシの素顔暴いただけじゃ飽き足らず、個人情報まで丸裸にしようって腹でっか?」
「違うよ! 単なる好奇心だよ!」
「いろは坂おんどれ、えっちやなぁ……」
「えっちじゃないよ‼︎」
ニヤリと、匿名希望は笑う。
「そ……それにクラスメイトの情報を集めるのも学級兵長としての勤めだし!」
「せやかて、そんな曖昧な理由でワシに個人情報を晒す
「そっかぁ……」
「人の個人情報を探って許されるのは恋人か
静かに肩を落とす。
嫌がる彼女から無理やり聞き出す事は出来ないが、はっきり拒絶されるのはちょっぴり悲しい。
「じゃあ、教えてくれたら自販機で何か奢ってあげるって言ってもダメ?」
「午後ティー」
即答だった。
今までの問答は何だったのか。
ちゃりーん、と匿名希望の手が金のマークを模った。
要望通り、自販機から午後ティーを買って来て教室に戻る。
匿名希望は何やら、新聞紙を切り抜いて文字を用紙に貼っていた。
「こ、これで教えてくれる……?」
「まぁ、かまへんけど。この程度の対価じゃ教えられるんはこれくらいでっせ」
そう言って、匿名希望はいろはに一枚の紙を差し出す。
それは先程まで、彼女が新聞の切り抜きを貼っていた用紙だった。
「もっとも。その場所が解読できんてゆーなら、お金を返してやっても構わんけどな?」
「ムカチン! いろはのいだよ‼︎ この程度‼︎」
「そうけ。ほな、さいなら」
手を振る彼女の後ろ姿を見送る。
いろはに返答を返す余裕はない。
それは一つの暗号。
恐らく、匿名希望の出身地を示すもの。
今、いろはの手元に
故に指メガネでもってその真実を見通す。
(一見何の規則性も無い文章に見える。けど、文章は句読点も含めると全部で
「こう!」
81──9の二乗。
81文字の文章を9×9の形に置き直す。
(うん、だよね。9×9の盤面──つまり、これは
指メガネに暗号文を光らせる効果なんてない。
だけど、確かにその将棋盤においてその文字が光って見えた。
(見えた! 飛車、王将、歩兵、玉将、香車! 他の文字は全部背景で、多分重要なのはこれらの駒だけ‼︎)
「……うーん、でもここからどうなるんだろう?」
将棋盤の形にはなった。
駒の配置も分かった。
だけど、この先が分からない。
詰将棋では無いし、そもそも王将と玉将の両方ともが同じ向きの時点でマトモな将棋では無い。
(ってことは多分、必要なのはどんな手を打つかじゃなくて駒がどんな動きをするのか、とか……?)
ひとまず、直感に従って駒が動ける範囲をマーカーで縫っていく。
すると、ある
「J、P……?」
JPで思い付く地名。それは一つ。
──
「はぐらかされた⁉︎」
匿名希望の笑みが浮かぶ様だった。
そりゃ日本出身なのは知ってるよ、と心の中でぼやく。
「────
しかし、いろはは引っ掛かりを覚えた。
単純な疑問。そもそもの話。
(
もしかしたら大きな勘違いをしていたのかもしれない。
玉将と王将に大きな違いはない。駒の動き方も何もかも一緒。
ただ、一点違いがあるとすればそれは──
「
──
(そうだ! 匿名希望さんはボクにこの向きで暗号を手渡した! なら当然、匿名希望さんから見た盤面は逆の筈!)
暗号文を引っくり返す。
この王将が逆なのだとしたら、匿名希望が持っている駒は全部反対になっている。きっと、それが糸口になる。
(でも、上下対称の文字なんて他には────
違和感のある文字が一つあった。
カタカナの
(最初はそういうフォントなのかと思ってた。けど、違う。これって
と──即ち、
歩兵が裏返って成った駒。
(匿名希望さんの駒は王将とと金……これに何かの意味があるはず)
王将とと金。
王とと。
王と裏返った歩。
王と逆さまになった歩。
「………………………………絶対嘘じゃん‼︎」
ここまで解いた結果がこれかと肩を落とす。
だけど同時に、いろはは再び違和感を覚えた。謎解きが終わったと思ったからこそ感じた違和感。
いろはの正解に対する嗅覚が、まだ終わりじゃないと告げている。
だから、もう一度。
いろは坂いろはは気合を入れ直す様に宣言する。
匿名希望は個人情報を晒す事を嫌がっていた。
だったら、わざわざこんな
(……そうだね。匿名希望さんは何でもあり、
なら、他に暗号になり得そうなものは何があったか。
いろはは一から匿名希望の言動を思い返す。
『そら聞いたら分かるやろがい。ワシの口調、どっからどう聞いても関西人でっせ』
『なんやなんや? どんだけワシに興味あんねん。ワシの素顔暴いただけじゃ飽き足らず、個人情報まで丸裸にしようって腹でっか?』
『いろは坂おんどれ、えっちやなぁ……』
『せやかて、そんな曖昧な理由でワシに個人情報を晒す
『人の個人情報を探って許されるのは恋人か
『午後ティー』
『まぁ、かまへんけど。この程度の対価じゃ教えられるんはこれくらいでっせ』
『もっとも。その場所が解読できんてゆーなら、お金を返してやっても構わんけどな?』
『そうけ。ほな、さいなら』
……改めて考えれば、非常に簡単だった。
難易度は星2と言ったところか。ちょっと考えれば分かる程度の問題。だけど、気付けなかった。
「もっとも堅牢な暗号」は「解読に手間と時間がかかる暗号」と「
彼女の言葉をひらがなで書き出せば分かりやすい。
『そらきいたらわかるやろがい。わしのくちょう、どっからどうきいてもかんさいじんでっせ』
『なんやなんや? どんだけわしにきょうみあんねん。わしのすがおあばいただけじゃあきたらず、こじんじょうほうまでまるはだかにしようってはらでっか?』
『いろはざかおんどれ、
『せやかて、そんな
『ひとのこじんじょうほうをさぐってゆるされるのはこいびとかぷらいべーと
『ごご
『まぁ、かまへんけど。このていどのたいかじゃおしえられるんはこれくらいでっせ』
『もっとも。そのばしょがかいどくできんて
『そうけ。ほな、さいなら』
H・I・M・I・T・U。
────
「……………………はははっ」
いろはは思わず笑ってしまった。
誤魔化すとしても、様々な答えがあったはずだ。
日本のようにはぐらかしたり、大阪府のように嘘をついたり。
だけど、匿名希望はそれをしなかった。
『暗号学園では、暗号文で交わされた約束は絶対』。
匿名希望は確かに「何でもあり」だ。
暗号を解くためなら「何だって」やる。
だけど、暗号に対しては真摯なんだ。
嬉しくなって、いろはは教室を飛び出て駆け出した。
生い茂る木々の中。
匿名希望は一人佇んでいた。
「………………」
彼女が思い起こすのは、先程いろは坂に提示した暗号文。
あれは複数の答えが存在するからこそ、相手が思い浮かべる『匿名希望』のイメージに沿った答えに誘導される暗号だった。
『日本』、『大阪府』、『秘密』という三つの解答。
もしも、匿名希望が話の通じない人間だと考えていれば、相手は『日本』という解答で諦める。
もしも、匿名希望が信用できない人間だと考えていれば、相手は『大阪府』という解答で諦める。
しかし、もしも。
匿名希望が誠実な人間だと考える様な馬鹿がいたなら、きっと途中で諦めることなく『秘密』という誠意のある答えにまで辿り着く。
別にどれが正解という訳でもない。
相手によって正解が変わる。
それがこの暗号の肝。
だけど──
(──おんどれは、きっと辿り着くんやろな)
「匿名希望さ〜ん‼︎」
いろは坂いろは。出席番号一番。A組学級兵長。
彼は走って匿名希望のもとへ駆け寄った。
「はぁ、はぁ、よかった。やっぱり此処にいた」
「……なんで此処が分かったんや?」
「いろはのいだよ。暗号に書いてあったもん」
「………………」
「匿名希望さんは暗号には場所が書かれてるって言ってた。だけど、同時に出身地を言いたくないって思ってた。だったら、その暗号に書かれてた場所は出身地じゃなくて
あとは簡単だ。『秘密』が解けたのなら、その法則を暗号文にも使えばいいだけ。
つまり、将棋盤の王は
「将棋において、自陣の駒は全部で20。つまり、19の駒で
「ええわ。はよ言わんかい」
「……うん。19って数字で思い付くのはA組のクラスメイトの人数。A組のみんなで囲んだ
あの時、匿名希望は居なかった。
だけど、もしかしたら、何処かからこちらの様子を伺っていたのかもしれない。
「さっきの暗号文では、匿名希望さんの駒は王将とと金だけ。そして、と金の『と』は匿名希望さんの頭文字。だから、
幾重にも仕掛けられた暗号。
いろはは最後まで諦めることなく、駆け抜けた。
それは
そして、匿名希望は微かに微笑んで答えた。
「
「えっ⁉︎」
匿名希望はいろはが手に持つ暗号文を奪い取り、と金の駒を指差した。
「このと金はワシやなくておんどれを示しとる、いろは坂はん」
「ボ……ボク⁉︎」
「歩兵から成り上がって一年A組の
「っていうことは……」
「これはワシが一人でいる事を示唆しているわけやなく、おんどれが此処に駆け付ける事を示してるっちゅうわけや」
なんて。
それは
(一点減点部分はそこやない。いろは坂は文字数が81文字やから暗号文を将棋盤に落とし込んだようやけど、こうも考えられんか?
(8×8……まぁ、
(そんじゃあ、後は簡単じゃ。この暗号文はワシの居場所を示しとる。つまり、
(イがあるのは左下、チェスボードにおけるa1。この暗号が示しとるんは──)
一年A組が匿名希望の
言い換えれば。
『
だが、それをわざわざ言うつもりはない。
言葉にできないから、
「最後で台無して凡ミスやがな。いろはのいは何処行ってん」
「でも、暗号は解ききれなかったけど目的地には着いたから、一勝一敗で引き分けってことで。お金を返さなくていいからね」
「しゃあない。
メッセージは伝わらなかった。
だけど、いろはは匿名希望の表情を見て、自分が暗号を解ききれなかった事に気づいた。
だから、分からないままに彼は匿名希望に声をかけた。
「今度はみんなで、匿名希望さんも含めたA組19人全員でバームクーヘンを食べよう」
別に、匿名希望はいろはの事が好きな訳ではない。
むしろ、最終課題で負けたことを考えると嫌いよりと言ってもいいのかもしれない。
だけど、学級兵長として認めているのは事実で。
──その申し出が、嬉しかったのも確かに事実なのだ。
「学級兵長からの命令やさかい、しゃあないから参加したるわ」
頬を緩ませて、匿名希望はそう言った。
「────」
その顔を見て、いろはは言葉を失ってしまった。
一点の曇りもない満面の笑み。何の裏もない微笑み。その笑顔があまりにも眩しくて、その笑顔が何よりも可愛らしくて。
匿名希望。一年A組。出席番号九番。
クラス唯一の正統派美少女。
ちなみに、タイトルも暗号になっているの分かりますか?
難易度は星1って所です。