そんな彼女も感染者の一人。
今できることを楽しむ彼女の心と身体には鉱石病が複雑に絡み合っていて、その内には苦悩と葛藤がある。
強く生きる一人の感染者の心を描いたお話。
ワタシがワタシたるために
・虚像
身体が軽い。
心が踊る。
今のワタシはきっと笑顔だ。
だって叶わないと思っていたものがそこにあるから。
こんなにも楽しいことが今までにあったかしら?
後にも先にも今が一番な気がする。
立ち並ぶビル、広大な草原、幾千万の羽獣が飛び交う砂漠。
そのどれもがワタシという存在を高揚させるエッセンスだ。
「綺麗ね。」
一面の雪景色をその琥珀色の瞳に焼き付けながらそう呟く。
吐く息が白い。
やがて空気中に霧散していくその様も幻想的だと感じる。
太陽の光が反射して輝きを放つその雪はワタシが見てきた中で最も美しい天然のイルミネーションだ。
それを前にするとこの肌を刺すような寒ささえも刺激的な要因でしかない。
「あなたもこっちに来たらどう、繝ェ繧ケ繧ォ繝?」
そこにいると思い込んでいる人物に声をかける。
そんな後ろで大人しくしているなんてもったいない。
もっとこの状況を楽しむべきだ。
「...。」
反応はない。
いや、口は動いているように見える。
声が聞こえない?
まあいい。
声が大きい方ではないからこの離れている距離のせいで聞き取れないだけなんだろう。
おそらくまたいつもの小言だ。
ワタシは前を向いてその無限に広がっているように見える景色を見据える。
「どこまで続いているのかしら。」
その言葉を言った時には既に一歩踏み出していた。
そしてまた一歩。
無限の終わりが気になったのだ。
雪を踏みしめる音が心地いい。
金属と靴のゴムが鳴らす無機質な音よりずっといい。
髪をなびかせる風がワタシの背中を押してくれる。
廊下に停滞した淀んだ空気よりずっといい。
ワタシは自由だ。
踏み出す足が少しずつ速くなる。
「繝ェ繧ケ繧ォ繝?、早くしないと置いていくわよ!」
なんだかんだそこにいるのであろう人を急かす。
後ろは見なかった。
だって立ち止まってなんていられないでしょう?
荒くなっていく呼吸の音が耳を独占していく。
気付けば走り出していた。
雪に足を取られながらも軽快に。
それに伴ってワタシの肺をこの世界が浸食してくる。
でもそれがどうしたと言うのだ、繧ェ繝ェ繧ク繝九え繝の粉塵に比べればなんてことはない。
「...?」
今なんの粉塵って?
一瞬何か頭の中で引っかかった。
思い出そうとしたが、それは頭の中で泡となって消えていった。
ワタシは駆ける足を止めかけたが、些細なことでこの機会を邪魔されたくないと思い進むことにした。
たぶん大したことじゃないわね。
大事なことならまたすぐに思い出せるはずだもの。
ええ、そうよ。
酸欠状態の脳でそう自分を納得させる。
やがて崖のようになっている地形まで来てようやくワタシは歩む足を止める。
そこが崖だからではない。
こんなのワタシの繧「繝シ繝を使えば降りることなど容易いことだ。
息を整えながらワタシをそこに釘付けにしたそれを眼下に捉える。
白が広がったそこ咲くリナリア。
明らかに異質だった。
でもこれがワタシの知らない未知なのかもしれない。
「こんなところでも花って咲くものなのね。繝ェ繧ケ繧ォ繝?も見てみなさい綺麗よ。」
そこでようやくワタシは背後に視線を向けた。
それはまるで公園の遊具に夢中であった子供が満足して親の方を向くかのように。
「え?」
一瞬、何かの間違いかと思い何度か瞬きをした。
回数を重ねるごとに長く。
しかしそんなこと繰り返しても結果は変わらない。
何も無いのだ。
文字通りの「無」。
「なんなのよこれは...繝ェ繧ケ繧ォ繝?どこにいるの?繝ェ繧ケ繧ォ繝??」
声を大にして叫ぶ。
何?
誰を呼んでいるの?
それにワタシはどうやってここまで来たの?
そうだ、繝ュ繝峨せに帰らないと。
どこに?
思い出せない。
ワタシは無に対して一歩後ずさりをする。
そして右足が一本のその花をぐしゃりと踏みつぶした。
「待って!」
自分で潰した花に向けてそう言い放つ。
何を待てと言うのか。
それはワタシが無にしたのに。
気付けば辺りは夢から無に書き変わっていた。
ワタシはその場に呆然と立ち尽くした。
「ワタシは何の為に生きているの?」
そう呟いてその身を無に捨てた、目的も夢もなく生きるよりその方がいいと思った。
いつの間に目から零れていた雫が宙に浮いている。
その唯一残ったモノを眺めながらワタシの意識は徐々に消えていった。
エンジンの音がする。
長くその体勢でいたせいか身体のあちこちが痛い。
ゆっくりと瞼開けて意味もなく大きく息を吐く。
「随分とうなされていたみたいだったね、泣いていたよフランカ。」
目の前の席から見知った声がする。
どうやら任務の帰りの輸送機の中で寝ていたようだ。
ワタシは気だるげに首を動かして窓を見る。
「何でもないの、ただ夢を見ていただけ。たちの悪い...ね。」
景色が見えると同時に自分が今している表情も写って見えた。
ああ、ワタシは酷い顔をしている。
・天秤
この仕事をしていると多くの命を見る機会に恵まれる。
それが僥倖なことなのかそうではないことなのかは分からない。
ワタシには判断がつかないのだ。
戦場に赴く者、椅子ふんぞり返る者、その影で怯える者。
あるいは。
「フランカ後ろ!」
その声と同時に黒いレイピアを頭の後ろに向けてめでたくワタシの背後を取れたその鉄パイプに心の中で祝福する。
それだけ。
「はっ!」
身体を捻り獲物を弾いてこの辺りでは珍しいであろうその細剣さばきでもう「それ」になった者を沈黙させる。
しっぽの毛に生ぬるい風の感触があって気持ち悪い。
こんなのもう見慣れた。
もはやこの大地の肥料にすらきっとならないそれに何の意味があったのだろう。
「ここまで敵の接近を許して気が抜けているのは?」
釈然としない気分でいる時にまたいつもの小言が聞こえてくる。
いいじゃないか別に無傷で制圧できているのだから、その辺の訓練生と一緒にでもされているのか。
「でもいざというときはあなたが助けてくれるでしょう?リスカム。」
小言の腹いせにわざと挑発的な発言をする。
流し目で彼女を捉えているワタシの様相はさぞかしうざいだろう。
「フランカ...!」
彼女の手に力が入ったのをワタシは見逃さなかった。
フッと笑みを浮かべてしてやったといい気分になる。
何を言い返してきても今のワタシにはその反応だけでおつりが来るのだ。
どう発言してもワタシの勝ちは揺るがない。
「何よ。」
雑な煽り。
乾いた大地の表面を撫でるような風が吹いて足元を砂が移動する。
リスカムは目を据えてこちらを見ている、いや睨んでいるに近い。
しばし沈黙が流れた。
その間ワタシは優越感に浸っていた。
ひどく薄っぺらい優越感に。
やがて彼女は息を吐いて身体を弛緩させた。
「今は任務中なんだからこの辺にしておきましょう。」
リスカムはワタシを視界から切って先に進みだした、そんな幼稚さには構っていられないと言わんばかりに。
え?
なんなのよそれは。
何で何も言ってこないのよ。
「リスカム、待ちなさいよ。」
彼女に投げかけた言葉は砂嵐に遮断された。
大地がリスカムを庇っているみたいに。
ワタシはレイピアを鞘に納めて髪をかきあげた。
淀んだ空気を纏った頭に新鮮な空気をプレゼントしたかったからだ。
「分かっているわよそんなこと。」
ただ腹が立っただけ。
皆おそらく大義名分があってそれに基づいての行動なんだろう。
各々が大事としてるモノすら満足に守ることさえ叶わないこの世界で何を依代にして生きていけばいいのか。
今さっき志半ばで倒れたその生暖かい肉塊は何を思ってワタシに刃を向けたのだろう。
そうすることでしか居場所を確立できない可哀そうな者だったのだろうか。
今となっては確認する術はないがそんな事が気になった。
ふと空を見る。
「こんな残酷な世界を創ったのは誰よ。」
ワタシはまだ恵まれているかもしれない。
ロドスという思っていたより楽しい場所があって、軽口を叩く相手もいる。
オリパシ―だと非難されることも多い。
非感染者にはそれは想像もつかないくらいには。
誰があんなこと想像できるのよ。
ひとたびそうだと分かれば石を投げつけられて罵詈雑言を浴びせられる。
家を燃やされ故郷を追い出されて行き場を失う人もいる。
「何を頬けているの?」
前を行くリスカムが振り向いてワタシを見ている。
ワタシは一度彼女を見てから足元に視線をやった。
そして転がっているとがった鉄パイプを「それ」の近くに突き刺した。
荒れた風でも倒れないように深く。
「お疲れ様。」
少しだけかがんで誰にも聞こえない声でポツリと呟いた。
言い終わると何事もなかったかのように踵を返して彼女の下にそのつまさきを向けた。
「ちょっと秤っていただけよ。」
リスカムはいまいち納得できていない表情をしている。
やっぱりワタシには分からないわね。
でも一つだけははっきりしている。
この大地に無下にされていい命なんてないのよ。
・刻限
いつ来てもロドス本艦の中にある食堂スペースはここで働いている人間で溢れている。
BSWに居た頃はこんなにぎやかな状態で食事をするなんてなかった。
そんな状況を楽しんでいる自分がいると同時に辟易した自分もいた。
ハムとレタス、それに大きく潰したタマゴが挟まったサンドイッチを角から一口食べる。
咀嚼して飲み込んだ物体が食道を経由して胃へとたどり着く。
それにはどのくらいの時間を要しているのだろう。
目の前に残っているサンドイッチもやがてワタシの中に入って栄養となっていく定めなのかと考える。
それと並行してもう一つ頭の中で思考していたものがある。
これは結局オリジニウムの餌なのでは、と。
オリジニウムは徐々に身体を蝕んでいく、ワタシの身体は既に約一割がその毒歯に犯されている。
それでもワタシの身体はまだ自由に動かすことができる、しかし身体の表面が平気に見えるという事はつまり内側は彼らのテリトリーなのだ。
そう想像すると恐ろしくなる。
ワタシの知らないところでワタシのソースコードが書き換えられているのだから。
やがてワタシは完全にオリジニウムに変換されてこの乾いた大地に霧散していく。
ロドスで治療は受けているが完治させる手段がない以上はこれがワタシの末路。
それはいつ?
明日?明後日?それとも一年後?
そして霧散したワタシは何処へ行くのだろう。
そのままこの世界を風に乗って空から旅ができるかもしれない。
なんてそんな楽観的にはいかないのだろう。
ワタシは手に持っていたサンドイッチを皿の上に置いた。
「もう食べないんですか?」
その様子を見てか、心配そうな表情でジェシカが対面で食の手を止めている。
任務ではまだまだ詰めが甘いのにどうしてこんな時だけは悟いのか。
「ちょっと...ね。」
ワタシは頬杖をついて後輩に笑って見せる。
どうしてだろう。
散々作りなれた表情のはずなのに何故か今日は上手く笑えている気がしない。
さっき変な事を考えてしまったせいかもしれない。
「あの、何か悩んでいるなら私でよかったら聞きますよ...?」
スプーンを置いて空いた手で私のテーブルに置いた左手を握ってくる。
ワタシは彼女の手から伝わる熱に少し驚いた。
人間がこんなに温かいものなのかと。
久しく人肌なんてものには触れていないせいか、ワタシが記憶していたそれよりもずっと温度が高い気がした。
目尻を少し下げて首を傾ける。
「ジェシカは空を飛べたらどう思う?」
人なら生まれてから一度くらい考えたことがあるであろう質問を後輩に投げかける。
我ながらしょうもないことを言ったと思う。
「空、ですか?うーん、私たちが立っている世界が一望出来て楽しそう...?」
唇に人差し指をあてながらそんな純粋な返答が返ってきて笑いそうになっていしまう。
流石に一生懸命考えてくれたのにそれは可哀そうだと我慢した。
「他にはないの?」
「他...。あっ、でも上手く飛べなくて落ちたらと思うと怖いですね。」
怖い、ね。
言い得て妙かもしれないと思った。
「そうかもしれないわね。」
無垢な彼女にそう一言だけ返した。
「フランカ先輩はどうなんですか?」
「ワタシ?」
「はい!」
思ってもいない切り返しに目をパチクリさせる。
「そうねえ...。」
目を薄くして遠くに見える窓ガラスから見える空を見つめる。
そして呟いた。
「怖いかもしれないわね。」
「先輩も怖いと思う事あるんですねえ。」
そう言う彼女の目は物珍しい物でも見たかのような目をしている。
「早く食べちゃいなさい。」
ワタシはフッと笑ってその好奇心に満ちた表情にデコピンした。
そしてまた外に視線を戻した。
雲はいい。
風が吹けばすぐにその形を自由に変えることができる。
ワタシの気持ちもそうあれたらいいと思う。
上手く切り替えるのはなかなか難しいものね。
きっと心までオリジニウムに蝕まれてしまったのかもしれない。
だってこんなにもワタシは死に怯えている。
夢を叶えず死ぬことに。
・鬱憤
「もういいですよー。」
無機質なつまらない天井にディスプレイの光が反射して人工のオーロラのように見える。
それは本当に不愉快なオーロラだった。
背中に張り付く合成皮革の感触すら居心地が悪い。
これならまだ細剣を振るっている方がましだ。
ああ、前髪に枝毛ができている。
早く裂きたい。
「フランカさん?もう起きていいですよ。」
その声でタンタンと叩いていた指の動きを止めてそこから起き上がる。
「すぐ結果はでるのかしら?」
「ええ、お待たせはしないので着替えていてください。」
検査室のベッドから降りて、すぐ傍にあるカゴから脱いだ衣服を手に取る。
そこからは柔軟剤の香りが漂ってくる。
この病院の様な特有の匂いよりずっといい。
ワイシャツのボタンを上から順につけていく。
少し伸びた爪のせいでスムーズにボタンがその隙間を縫ってくれなくて段々その手が雑になる。
いつもの二倍くらいの時間をかけてようやく全てのボタンをつけ終わる。
こんなことに人生の時間を持っていかれたことに納得がいかない。
追い打ちをかけるようにスカートのチャックすらいう事をきかない。
「なんなのよ。」
半ば強引にチャックを上げてその場で大きく溜息を吐く。
もう何回も受けてきたはずなのにいまだにこの定期健康診断には慣れない。
じっとしているのも落ち着かないし、患者扱いしてくる職員も気に食わない。
いやそんなのは建前だ。
実際は...。
前髪の枝毛を乱暴にちぎって床にその髪を捨てる。
黒っぽい金属の床にワタシの茶髪は少し目立って見えた。
横目でワタシを担当している女性職員を視界に入れる。
その姿を見て眉がピクリと動いた。
そして忍び寄って背後からその首筋を爪で撫でた。
「ひゃ!どうしたんですか?びっくりしたじゃないですか。」
お手本の様な反応で手に持ったバインダーを胸に抱いてワタシから距離を取った。
まあ普通はこうなんだろうなと思った。
ワタシは困惑している彼女に笑顔を向けた、もちろん余所行きの。
「隙だらけだったからついね。」
左手を腰にあてて右手はワシワシと何度か握る動作をしておどけてみせる。
「もう、びっくりしたじゃないですかー。」
それで誤魔化されたのか彼女は笑って肩の力を抜いた。
しかし、その姿を瞳に写してしまったばかりにワタシの心は沸騰しかけていた。
血みどろの世界でそんながら空きの背中を見せる彼女に。
戦場だったらもうとっくに死んでいる。
そして冷たくなった身体を探られて情報を持っていかれる。
あまりに致命的だ。
つい歯ぎしりをする。
「フランカさん?」
何も反応しないワタシに彼女が呼びかけてきた声でハッとした。
三回深呼吸して自分を落ち着かせる。
こんなの八つ当たりだ、わかっている。
本当は結果を聞くのが怖いだけだ。
だってこれはタイムリミットを申告されるようなものだから。
「あ、ごめんねぼーっとしてて。それでどうだったのかしら?」
「はい、検査結果ですが進行状況も抑制できていて今は小康状態と言えます。」
安堵した。
だってワタシはまだこの世界を見ることができるから。
そしてこんな世界にまだ期待している自分にも驚いた。
「そう、よかったわ。」
何時間にも感じたこの時間も終わり、部屋の出口に向かってコツコツと音を鳴らして歩く。
何を思ったのかワタシは扉の前でその音を止めた。
「ねえ、あなたの夢はなんだったのかしら?」
振り向かず金属でできた堅牢な扉を見たまま彼女に問いかける。
「そうですねえ、私は小さなカフェを営んでみたかったですね。」
乾いた笑いと共に彼女はそう答えた。
「今の社会情勢じゃなかなか厳しいわね。」
「まあ幼い頃の夢ですから。」
諦めたようなセリフに背中をうじが這っているような気分になる。
あなたの方向を向いていなくてよかった。
きっとワタシは睨んでしまうだろうから。
行き場のない感情を拳を握る力に変換して耐える。
「いつか叶うわよ。」
それだけ言い残してワタシは検査室を後にした。
だってあなたは感染していないんでしょ?
ワタシと違ってね。
・払暁
「お前もこっち側だろうが...。」
倒れる間際にそんな一言をワタシに浴びせる。
こっち側...ね。
そうかもしれない。
だって、何かが違えばそこで倒れているのはワタシだったかもしれない。
随分と脳にこびりつく言葉だ。
「えらく慎重な戦いだったけど。」
横からワタシに小言を飛ばしてくるリスカムの足元にもさっきまで人間として生きていたモノが転がっている。
それを一瞬見てから彼女の顔を見る。
「そんな風に見えたかしら?」
「でなければこんな事は言わない。」
黒いレイピアに付いた鮮血をキレのいい所作で大地に落とす。
幾千人の血を吸わせてもまだ潤いを知らないその大地に。
「思うところがあっただけよ。」
目を逸らしてこの会話を終わらせようとする、まるでもう触れて欲しくないかのように。
「随分と余裕があるみたいだけど同情でもしてるの?」
真顔で淡々と話す彼女の発言に鈍器で心を殴られた気分になった。
何よその言いぐさ。
戦場で同情?
このワタシが?
...。
何ですぐ言い返せないのよ。
ワタシは否定しきれない自分をこれ以上ないくらい軽蔑した。
「命を散らせずに済んだらそれに越したことはないじゃない。」
自分の口から出たとは思えない理想論に頭が痛くなる。
いつからこんなに思考の歯車がきしんでしまったのだろう。
「でも、それでフランカが散ったら意味がないでしょう?」
いずれ散るのに意味がない?
それが今なのか未来なのかに違いがあるというの?
握る手に力が入る、その爪が手のひらの肉に食い込んで血が滴るほどに。
「じゃあどうしろと言うのよ!」
ワタシは叫んだ。
その空虚な空間で。
「全員等しく同じ命なのよ?ワタシがそれを軽々しく奪っていい道理なんてない、目的もなく生きているワタシより明確な目標がある彼らの方が価値があるじゃない!」
ワタシは何のために細剣を振るっている?
振るった結果、何が変わると言うの?
何年間も毎日のように赤い血を見てきた。
宿主から飛び出て少しずつぬるくなっていくドロっとした血をね。
冷たくなった宿主の下には二度と帰れない。
迫害で故郷を追われた感染者達の様に。
あと幾度この肉をこの大地に積み上げていけばいい?
「フランカ...。」
「もう頭がおかしくなりそうなのよ!」
冷酷に見えるのは隙を見せないため。
ひょうひょうとしているのは自分を強く見せているだけ。
「ワタシの内側はもうボロボロなの。」
錆びた金属がやがて破片を落とすようにワタシの心も酸化してしまった。
一体これを何で中和していけばいいの。
ああ、それを促すように雨が降ってきた。
脇腹に一瞬激しい痛みが襲った。
発作だ。
時々、身体の内からうずくように痛む。
決まってこういう雨の日に。
天を仰いだワタシの顔に雨粒が降り注ぐ。
それはワタシの決壊した涙腺が生み出す生理現象を誤魔化す手助けをしてくれた。
「まったく綺麗な顔が台無しになっているよ。」
「ワタシの心の傷に比べたら綺麗なものよ。」
「先が見えなくても進み続けるしかないのに。それがどんなに残酷な道であっても止まってしまったらそこで終わりなんだから。」
分かったような事をペラペラと。
オリパシ―の...ワタシの何を理解したというのよ。
「夢も無くなった傀儡に偉そうに説教なんてしてるんじゃないわよ!笑えばいいのよただ命令されて命を刈り取るこの人形になってしまったワタシを。」
「そんなことだったんだね。」
リスカムはしょうがないといった表情でこちらを見つめてくる。
何でそんな目をするの。
やめて。
余計に虚しくなる。
「そんなこと?」
「そう、そんなこと。」
ワタシの悩みをそんなこと呼ばわりされて完全にはらわたが煮えくり返ってしまった。
「感染して世界の全てが変わったワタシの気持ちが理解できる!?全てよ!生活も人間関係もあらゆる環境が一変してそれで悩んで何が悪いのよ!」
「悪くなんてない。ただそれに押しつぶされてはいけないだけ。」
「何が違うのよ。」
「全然違うよ、夢が壊れたと勝手に思い込んではダメだと言っているの。それともフランカはオリパシ―くらいで簡単に諦められるほど脆弱な夢だったの?」
何も言えなかった。
ワタシがワタシの夢を捨てていた?
「確かに実現は難しいけれどね。でも一緒に連れて行ってくれるんでしょ?じゃあ見せてよその景色を私にも。相棒でしょ?」
脳の神経細胞に稲妻が走った。
ワタシの夢をリスカムの方が大事に持っていたなんて。
「まったく好き勝手言ってくれるじゃないの...。」
大事ないことを忘れかけていたわ。
ワタシらしくもない。
そもそもワタシらしいってなによ、ワタシはワタシよ。
それ以上でもそれ以下でもない。
生きる理由があるんじゃないの。
まだ完全に終わったわけじゃない、その時が来るまで諦めたらダメね。
「途中で嫌だなんて言わせないわよ。」
「そんなところでリタイアするなら相棒なんて務まっていないよ。」
琥珀色の瞳に夜明けの光が差し込んでくる。
それはまるでワタシの心まで届いてこれ以上錆び付かないように照らしてくれるかのような眩しい煌めきだった。
いつかあの夢で見た場所にも行ってみたいわね。
困ったわ。
また計画書に追加しないと。
ワタシがワタシたるために ~fin~