驚異の一万五千字
「ふう…」
冬に寂れた林の中で1人の明るい茶髪の少年が息をつく。幼い顔立ちからしてまだ成人には程遠いその少年は、その背中に薪を背負っていた。
彼はいわゆる捨て子だった。小さく廃れていて、非正式な闇
そこから更に、その村が悪魔の被害に遭い潰れ、齢6歳にしてここらの中で最も大きな町のスラムに根付いた。
そんな彼は今、冬場には欠かせない暖を取るための薪を集めては町役場に売り、心許ない小銭を稼いで日々を忙しなく生きていた。
「寒い…」
今はまだ2月に入ったかというところである。まだまだ寒さが猛威を振るう季節だ。
そんな中、彼は村から持ってきたなけなしのボロボロな衣服を着て冬の林を歩いている。それは寒いに決まっている。
町の外の仕事は過酷である。野犬などの猛獣から悪魔まで、危険な存在がいつ飛び出してくるか分からない。
本来であれば町の外で働くのは15歳以上の人であると決まっているのだが、スラムで生きていくためには仕事を選んではいられない。
世知辛い世の中である。
「お腹、空いたなぁ」
彼は今日、朝起きてから今現在の14時まで何も食べていなかった。
基本的にこの町で立場の弱い彼が集めた薪は、私腹を肥やすことに目がない町役場の業者に安く買われてしまう。そのため昼飯を買う金など到底あるわけでもなく、晩飯分の食材しか買うことができないのだ。
スラムに来た頃は毎日泣いていた。保護者は死に、醜い大人に搾取され、何をしたら良いのか分からず、ただただ泣いて何か救いの手が来るのをじっと待っていた。
救いの手が齎されたのは今にも餓死しそうになった時であった。大きな(彼から見たら何もかもが大きいが)パンと水をくれた人がいた。
当時まだ小さな彼ではその人がどんな人で、何を生業としているのか理解できるわけもなく、いつしか時と共にその記憶は風化していった。
だがその優しい人の食糧と助言でこの職とも呼べない薪集めの仕事を得た。このことは彼の人生にとってもっとも大きな思い出となった。
「お腹空いた…」
しかし、思い出で腹が膨れるわけでもなく、今日もせっせと薪を集める。今日はあまり薪が取れないようだ。
そして、少年は林の奥の方へと進んで行く。
「ん?何あれ?」
異常を検知したのはそれから1時間後の15時。彼は薄暗い林の中を歩いていると、続く地面の上に何かを見つけた。
髪と思われる金色、手と思われる肌、そして、なにより目を引くのはその背から生える薄汚れた白い羽であった。
一目見て彼はそれを天使だと思った。
微かな興奮と動悸が彼を襲う。だが、彼は薄暗い中でそれはもう死んでいると冷静に判断した。
何故なら足がなく、血は滴り、それどころか身体の所々も欠けていて、全く動かなかったからだ。生命の気配というものを全く感じなかった。
好奇心が抑えられなかった彼は恐る恐る近づく。
「……ぅ……あ…」
やはり怖いものは怖い。死体などは特に怖い。したがって彼に恐怖心が生まれたものの、彼の中に近づかないという選択肢は無かった。
とりあえずその辺の木の棒でつつく。反応は無い。
もう一度つつく。反応は無い。
念には念を押してもう一度さらにつつく。反応は無い。
━━いや、あった。
「ゥ、ァア?」
「ひっ!」
突然の呻き声に驚いて尻餅をつく。生きているとは思わなかったわけではないがやっばり驚いた。
目覚めた天使と思しき存在がブツブツと何かを呟く。
「オノレェ…偽神ノ犬ドモメ…」
「あ、あの!!」
「ア?」
堪えきれず少年が声をかける。そしてパァッと明るい顔をした少年は天使と思しき存在に認識された。
この時の彼は冷静では無かった。辛い日々に訪れた天使と思しき存在。何かのお導きがあるのかも!そう短絡的でポジティブなことを考えていた。
彼は辛い中でも信仰心は人並みにある方だ。聖書は少ししか読んだことが無いが、天使という存在がいるのは知っていた。
そんな少年の様子を見て何か理解した天使と思しき者。彼女はうつ伏せで倒れたまま、少年に声をかけた。
「フム…ソコノ人間!!」
「は、はい! あなたは、その…もしかして天使様ですか!!」
「血ヲワタ…………ソ、ソウダ! ワタシハ! ワタシガ天使ダ!」
「やっぱり! やっぱりそうですよね!!」
「アア、ソウダトモ! 天使デアルワタシガオマエヲ有効ニ使ッテヤロウ! 光栄ニ思ウト良イ!」
「やった!」
無知とは正に罪である。天使を信じ、悪魔と知らず、少年は今に身を差し出そうとしている。彼は何も悪くないが罪なのである。
━━このままいけばの話ではあるが。
「オマエニワタシヲ助ケルトイウ栄誉ヲ与エヨウ。オマエノ献身ヲワタシニ捧ゲルノダ」
「?? …はい!!」
そして彼は天使の悪魔に抱きついた。彼は献身を具体的に知らないが彼の中ではこれがケンシンなのだ。
彼は教会で昔習った教えを自己解釈していた。
天使の悪魔も天使の悪魔である。「献身を捧げろ」と言って本気で「血をくれ」と認識されると思っているのだ。
二人とも学が無かった。
「ナニヲシテイル?」
「献身です!」
「!? ……ハナセ」
天使の悪魔は意味が分からなかった。
━こう…今のは肉体的な贄を捧げろという意味だったのだが? 彼女はそう思った。
側には絶えない笑顔の少年。
「…側ニ人ハイルノカ? オマエ以外ニ」
「いえ、いません! 僕1人だけです! 天使様!」
「フム、ソウカ…」
「天使様…そのお怪我、どうなさったのですか?」
少年の言ったことを聞いてニヤリと笑った天使の悪魔だったが、怪我を思い出して顔を歪める。
「フン…何デモ無イ。神ヲ騙ル悪魔トノ戦イデ付イタ傷ダ」
「悪魔と……流石です! 天使様!」
「フッ、ダロウ?」
「はい!」
パァッと顔を輝かせる少年。天使の悪魔も褒められて悪い気はしなかった。
そして今まで倒れた天使の悪魔の側に膝を付けていた少年はバッと立ち上がった。
「僕も天使様に負けないくらい、頑張ります!! 頑張って徳を積んで、いつか神に恥じないように立派になります!」
「ソウカ、ソウ…カ」
「天使様?」
「…一ツダケ。簡単ニ沢山徳ヲ積ム方法ガ、アル」
「え! なんですかその方法は!」
━食いついた。天使の悪魔はほくそ笑んだ。この少年には悪いが偽神打倒のためだ。コイツにはそのための糧になってもらおう。
今日まで生きるという幸運も十分堪能しただろうしな。
「血ダ…オマエノ血ヲワタシニ捧ゲルノダ」
「チですか!」
「アァ、ソウダ。血ダ」
「チって何ですか?」
それは学の無い孤児である少年にはまだ分からない単語だったが、普通の家庭に住んでいるならば教えてもらっているような、もしくは教えてもらわなくとも分かる単語である。つまり常識だ。
無論、少年とて血は見たことがあるが、赤い液体と『血』という言葉が結びつかないのだ。
それは人とコミュニケーションを取っていく中で自然と補完され、3、4歳ほどで記憶として定着する単語であるが、人との関わりがほとんど無かった彼にはまだ分からない単語である。
故にというか、しかしというか、天使の悪魔は死にかけの頭に血が上るのを感じた。コイツ…回復したら真っ先に殺してやる…!
「…ッ! 血トイウノハ━━」
天使の悪魔が目の前の少年に物言いをしようとした瞬間、ゾッとするほどの悪寒が少年と天使を襲う。
バサバサと野鳥が木から飛び立つ。何かいる。誰もがそう思うほどにそこには存在感が発生した。
「アァラまあ!! こんなクソ寂れた林に活きの良いガキがいるじゃあないのォ!!」
「ひや!?」
突然寂れた林に響く甲高い声。悪魔だ。その林の木並みに大きな悪魔は気づけば近くの茂みにいた。
「チッ! 面倒ナ」
「ぁ……あぁ……」
少年は恐怖に包まれたような顔をしていた。無理もない。彼の目の前にいるのは正真正銘の化け物なのだから。
白い顔には目と鼻が無く、口のみが不気味にカチカチと歯を鳴らし、3メートルにもなる巨大な身体は干からびているようにも見える。
さらに目につくのは手だ。手先が異常に鋭く発達したそれは何かを切り裂くためのもののように思える。足も異常に太く筋肉質だ。
その悪魔はヒヒッと猟奇的に笑い、宣告する。
「アーータシは拷問の悪魔!!活きの良い悲鳴で泣かせてあげるわぁぁぁ!!」
▼▼▼
『拷問の悪魔』が一歩目を踏み出す。地響きが伝わる。見た目の割にかなりの重量のようだ。
目がないため何とも言えないが、彼は殺意に溢れていた。
そんな中、少年の側で倒れている天使の悪魔が待ったをかける。
「待テ!!」
「ああん? 誰だ? ……ってアラやだまあ! アタシったらもう1匹を見逃しちゃうなんてイケナイイケナイ♪」
「チッ…見境ノナイタイプカ…」
「て、天使様…た、たすけて……」
獲物が1匹増えたことの喜びに身体をくねらせる『拷問の悪魔』。その鋭い鉤爪は少年を指していた。
一方で、天使の悪魔は自分の獲物を横取りされることを危惧していたが今は『拷問の悪魔』に殺されることを危惧していた。
━せめて少年の血を少し飲めたなら…。そう思ってならない。
「オイ! 人間!」
「…ひっ…はっ…はっ…うえ…ぇ…」
「オイ! 落チ着ケ! 話ヲ聞ケ!」
「天使様…」
「ヨク聞ケ、ワタシガオマエヲ今カラ傷ツケル。オマエガ助カルタメダ。ダカラオマエハテイ━━━」
「ア〜ラ、コイツ同種じゃないのぉ! 死にかけなせいで気づくのに遅れちゃったじゃなーーッイ!!」
「ウグッ!!」
瞬間、天使の悪魔が吹き飛ばされる。拷問の悪魔の異常に発達した足で蹴られたせいである。
ノーマルであれば痛いで済むそれは今の天使の悪魔にとっては致命傷になり得る攻撃だった。
林の細木を粉砕しながら視界外まで吹き飛ばされていく。
「天使様!!」
「ああん? 天使さまぁ??」
少年の悲痛な叫び。
少年の叫びを聞いた悪魔が首を傾げる。そしてニヤリと笑みを浮かべる。
「おおおお〜いガキィィィ! 無知鞭むちムチ無恥なのねええええ!」
「ひっ!」
「オマエ! 今あのお人形さんを天使様って呼んだわよねぇ?」
「は、はい…そうです…」
グイッと少年に顔を近づけた拷問の悪魔。口をガチガチと鳴らしながら少年に問う。
少年は恐怖に呑まれていた。その顔は恐怖に歪む。無意識に涙が流れ、身体は硬直していた。
「かわいそ〜な。アナタ騙されてるのねぇえ? あのお人形さん。天使じゃないわよぉ? ア ク マよ?ア ク マ」
「…え、な、なにを…」
「く、くくくくくくくくくふふくかくくくはふふふふふ!! その顔! 絶望に顔を青く染めてくその顔!! ひひ、たまらん! たまら…あら? この音色━━」
轟音が鳴る。
今にも身体が千切れんとばかりに身体をくねらせていた拷問の悪魔は轟音と共に何か巨大な衝撃を受け、林の中を吹き飛んでいった。
目の前の混沌な状況を見て、少年はもう何が何だか分からなかった。
「オイ!人間、早ク来イ!」
少年を呼びかける声。天使の悪魔だ。
彼女は這う這う少年の近くへと戻ってきていた。
対して少年は次第に理解が追いついてきた。目の前の存在が悪魔である確証はないが、天使である証明もまた無いのだ。
彼は少し疑い深くなった。
「天……いや、お前は…」
「良イカラ早ク!」
「お前は…悪魔なんだろ!」
「……チッ! 余計ナコトヲ!!」
天使の悪魔は勘違いが解けていることを悟る。
奇跡的なミスリードを邪魔されて、天使の悪魔の顔は今にも怒り狂いだしそうな顔をしていた。
対照的に少年は泣いていた。彼女を悪魔だと確信した彼はえぐえぐと泣いていた。
「なんとなく! 分かってたんだ……僕にだけ救いの天使が舞い降りるなんてそんな、僕に都合の良い幸運はあり得ないって…」
「口ヨリ命ヲ優先シロ!」
「うるさい!! 命? それって大切なものなの? 今まで幸せを感じたこともないこんな命! 何の価値も無い!!」
「ゴチャゴチャウルサイ!早ク来イ!!」
「嫌だ! どうせ僕を殺して自分だけ助かるつもりでしょ! 悪魔を助けて死ぬなんて嫌だ! 村を襲った悪魔なんて大嫌いだ!!」
「ワタシハ襲ッテナイ!!」
齢10歳の少年の、人生を込めた本気の絶叫。
だがそんなものが悪魔に通用する訳もなく、ただただ虚しい時間が流れてゆく。
「なんで僕だけこんな目に遭う! お母さんにもお父さんにも会ったことない! 道端の屋台のお肉の味も分からない! 惨めな服装で! 惨めな場所で! 惨めに生きていって! …何も楽しいことなんて…ない…」
「…!」
少年の目は死んでいた。何の希望もなく、その瞳は何も写してはいなかった。
代わりに、天使の悪魔の瞳にその姿が映る。幼い少年が映る。悲劇の、悲痛な、いたいけな、少年が。
「…死ニタイノナラ死ネ。ソシテワタシヲ生カセ」
「嫌だ」
「生キタイノナラワタシヲ…イヤ、ワタシノ手ヲ取レ」
「嫌だ!」
「〜ッ!! ジャア悪魔ニ殺サレテ死ニタイノカ!」
「それも嫌だ!!」
「ナラワタシノ手ヲ取レ! ワタシガオマエヲ救ッテヤル!」
「嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき!!みんな嘘つきなんだ!誰も信じてやるもんか!!」
震えた声で、精一杯の声音を出し、威勢を振る舞う。本当は怖いはずなのに、今にも逃げ出したいはずなのに。少年は勇敢にも、無謀にも、己の運命の、残り少ない命の道を己が手で掴み取ろうとしていた。
「お母さんも、お父さんも、村の人たちも、町の人たちも、幸福も、教会も、教えも祈りも救いも天使も神も!! もう何も、信じない!!」
宣言。それは時代を否定する極大の宣戦布告。僅か10歳が言えるようなことではない。それだけ彼は、この生に執着は無かった。
遠くで悪魔の雄叫びが聞こえた。
「…チッ! アァ、分カッタ! ジャア、契約ダ!!」
「…!?」
「オマエノ願イヲ一ツ、ワタシニデキルコトナラナンデモ叶エテヤル! 代ワリニ! オマエノソノ血肉ヲ、障害が無イ程度デ良イカラ寄越セ!」
「誰がそんな…!」
「契約ハ絶対ダ! 破ルコトハ許サレナイ。悪魔ノ中ノ掟ダ!」
言い争う二人。互いが己の感情を剥き出しに叫んでいた。
「そんなの、お前の嘘だ。都合のいい、お前のための、嘘だ!」
「嘘ジャナイ!!」
「嘘だ! 悪い悪魔が僕を助けるわけない!!」
「駄々ヲ捏ネルナ!」
「捏ねてない!」
「アアアア! 面倒ダ! 分カラナイカ!? オマエハ生キルコトヲ望デイル。生キタイカラ! 今モ震エテイルンジャナイカ!?」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!!」
少年の涙が溢れ、頬を伝う。
欠けていた。そう、人生に欠けていたナニカ。少年に欠けていたモノ。
何か、何かが満ちて、伝わって、少年には分からないソレが湧き上がる。
悲しみではない、何故か溢れた涙の煌めき。
「願エ人間! サア! オマエノ願イハナンダ!!」
「…!!」
力強い鼓舞の言葉。悪魔の囁き、否、怒号。たったそれだけである。
しかしその瞬間、何故か…そう、何故か彼は信じてしまった。その悪魔を。信じないと言ったばかりなのに。
天使の悪魔があまりにも必死だったからか。
この危機的状況で頭がおかしくなったからか。
それとも━━
━━━力強く、救ってやると言われたからか。
何が彼の中を駆け巡ったのかは分からない。涙に濡れ、心を燃やし、激情迸る今の少年は冷静ではないのだ。
ただ一つ確かなことは、彼が
「ッ!! なら!! なら僕を━━━」
「さっきのは痛かったぞゴラァ!!」
乱入。先ほど天使の悪魔に飛ばされた拷問の悪魔が林の木の上から降ってきた。凄まじい跳躍をもって飛んできたのだろう。
そして、ついでとばかりにその鉤爪で少年を背後から凄まじい勢いで切り裂いた。
「カハッ!」
悪魔からしたら余りに小さな少年は攻撃の余波で吹き飛ばされ、そのまま倒れた。…天使の悪魔の近くに。
「くくくふふはふふふ!痛覚100ば〜〜い!相手は死ぬ!!カクカクカクカクククククク」
「…」
「アタシをひっきょうにも奇襲するなんて?ぬぁんて?刑罰に!神罰に!万死に!獄死に!値するわぁ!」
「…」
「決めた!アナタの羽根を折り!胎を割り!乳を捥いだあと、串刺しにして食べてあげる!!」
「…ハハ! ハハハ! ハハハハハ!!」
「あーら! ら、ら?ら?? 絶望が…ない? ………何軽快に笑ってんのよ!!!」
「アァ、スマナイ…。可笑シクテツイナ」
「アタシのどぉこがぁ!!可笑しイ!!!」
悪魔の咆哮が林を吹き飛ばす。高位の悪魔とはそれほどに現実に強い影響をもたらすのだ。威圧が増す。
そんな猛威の中、笑っている1匹の悪魔。
「オマエノコトデハナイ。コノ少年ト、ワタシノコトダ」
「あぁ?」
「ワタシハ人間ガ嫌イダ。欲塗レの心は見テイルダケデ不快ダ。上ッ面ダケ身綺麗ニ整エテイルノモ気持チ悪イ。コノ少年ダッテ使イ潰ス気シカナカッタ」
「…ハァ?」
「ソシテ、コノ少年ハ悪魔ガ嫌イダ。悪魔ニ幸福ヲ崩サレタラシイ。嘘ツキデ悪者扱イサレタ」
「時間稼ぎのつもり〜〜?ぶち━━」
「ナノニ、ナノニダ。会ッテマダ十分程度、ソレダケデ今、コンナニモ影響シアッテイル。アァソウダ、ワタシハ人間ガ嫌イダッタ。馬鹿ダナ人間トハ。ワタシニコンナコトヲ願ウナンテ」
そしてまた笑い始める。何かの欠落が埋まったような満足気な顔で、優しい声で。
拷問の悪魔は理解出来なかった。今にも死にそうなこの悪魔は何を笑っているのだ。気味が悪い。そしてなんとも言えない不快感…!
そして彼はその不快感を塗りつぶすために行動に出た。
「ああーー、あー! あ、あらららり! ぶち殺す!!」
10メートルほど先の天使の悪魔に向かって走り始める。血のついた鉤爪をしならせながら。
そして天使の悪魔は━━━
「案ズルナ、少年。オマエノ願イハワタシガ叶エテヤル」
少年の死体に抱きついた。
「な…!」
天使が溶ける、
死体に染み込み、侵す。
悪魔が人間に補填される。
傷が癒え、心臓が鼓動を始める。
頭上に光輪が現れる。
そして彼女/彼は立ち上がった。
「一か八かの魔人化…だと…!」
▼▼▼
それを呼称するならば、『天使の魔人』と言うべきか。それとも━━
「なかなか考えたわねぇーぇ。死体を乗っ取り回復するのは悪魔にとって児技にも等しい。けど……弱点もあるのよねぇぇぇえ!!」
「アァ、ソウだな。お前ニはちょうど良いハンデだ」
相対するは『天使』と『拷問』。賭け金は互いの命。
「アァ!? テメェ…! いい加減にしてろよ!! 魔人化で弱体化したテメェなんざ一捻りで殺してやるよォ!!」
「フン、やれるものなら━━━」
そこらの木を引き抜いて武器とする『拷問』。
天使の輪から
「やってみろ!!」
天使の一声。その瞬間、互いの生存を賭けたデスマッチが火蓋を切った。
▼▼▼
先に動いたのは『拷問の悪魔』だった。引っこ抜いた木を『天使』目掛けてぶん投げる。
それを察知して予備動作無しで上空へと高速で飛ぶ『天使』。
「逃ぃげてんじゃぁぁ! ねええぇぇぇえ!!」
「回避と呼べ」
『天使』のまわりの楽器の中の鍵盤を構成する
鋭利でないそれらの鍵だが、それらの一つ一つに莫大な異能が込められているのだ。
鋭く飛来した鍵が悪魔の身体中を突く。
「ンァア? …ハッ! こんなゴミみたいな攻撃がアターシに通じるわけ━━」
「オルガンの弾幕
「ゴァァァォォォォォ!!」
ゼロ距離内部爆破。
合計54個の爆発が悪魔の身体を包み込む。
『天使の悪魔』が少年の身体を乗っ取ってから、何故だか彼女の知能は右肩上がりを見せていた。
楽器一つではなく、大量に。正しく弾幕の如く。
彼女の力は生まれて初めて真骨頂を発揮していた。
「アウロス、キタラ、ピアノ、
悪魔の内部を爆破した『天使』だがその目に油断はない。すかさず次の攻撃を放つ。
圧力、斬撃、そして、火炎が悪魔を狙いに定めて襲いかかる。
「ぐっ! …いったいわねぇ…はぁ…ぶち殺してやる」
流石は高位の悪魔と言うべきか、あれだけの攻撃を喰らって尚、声を発する余裕が残っていた。
そして未だ健在のその能力を解き放った。
「痛覚千倍」
詠唱一言。彼の力が解き放たれる。
かの悪魔が有する能力は『痛覚を操る程度の能力』である。自身の半径20メートルの生物であればどんな存在だろうと意のままに痛覚を操ることができる。
そして今、その力は『天使』に向けられた。
「ガッ!?」
空を旋回していた『天使』に突如として全身を蝕む激痛が襲った。
旋回による空気の摩擦、全身の筋肉の収縮、それら全てがとんでもなく痛い。
そうして『天使』は一旦地上に降り立った。
「はぁ、はぁ…うろちょろと鬱陶しい虫ねぇ!」
「なんだ…今のは…? 痛覚を操ったのか? 今は…何もない。射程距離があるタイプか、もしくは持続時間があるタイプか…?」
本当にどうしたことか『天使の悪魔』の知能レベルが加速度的に高くなっていく。元が低いから高く見えるだけだが、それでも驚異的なスピードである。
一方で拷問の悪魔は困惑していた。彼の推測ではあの悪魔は『天使の悪魔』。自身が司る『拷問』とは良い勝負をするくらいの強さであろうと、そう思っていたのだが、魔人化して弱体化した『天使の悪魔』を圧倒してやろうとしても良い勝負どころかこちらが押されている始末。
余りにもおかしい。こんなことがあってはならないのだ。
『悪魔』でもない『魔人』に殺されるのは悪魔としてのプライドが許すことはなく、今にも頭の血管が破裂しそうな程に血が昇っていた。
「アナタ…どういう仕組みなのしら?」
「何のことだ」
「惚けるな、その力だ。あり得ないわ。魔人化した弱者がこのアタシと良い勝負するなーんて…………あり得ないだろォォ!!!」
「はぁ、そんなことも分からないのか…」
『天使』が肩をすくめる。
悪魔のその口だけの白い顔は苛立ちに赤く染まっていた。口をガチガチと掻き鳴らす。
「グアォァァア! じゃあ、何だって言うのよ!!」
「簡単だ。お前が弱者でワタシが強者だと言うだけの話だ」
『天使』はフンッと相手を小馬鹿にするような笑みでそう言った。
悪魔はプルプルと震えていた。もはや怒りが抑えられぬとばかりに地団駄を踏む。
「アガグがギガギガギギギッッ!!」
そして一歩を踏み締める。
瞬間、悪魔は視認が困難な急加速で『天使』に迫る。
「!!」
『天使』は急いで飛び立つと同時に多くの楽器を悪魔に向けて発射した。
「しゃらくせえええええ!」
だが、悪魔はそれらをものともしない。力が発揮される前に全て拳でぶち壊しては進んでいく。
「チッ! アウロス!」
超圧力が悪魔を包み込む。拷問の悪魔は膝をついた…が、すぐに立ち上がり大地を駆ける。
道中、そこらの木を引っこ抜いては投げ、引っこ抜いては投げてを繰り返し、『天使』の妨害をしながら進む。
「はぁ!? なんだアイツ…! タフが過ぎるぞ…!」
「痛覚二千倍ダァァァァァァァァァァ!!」
「ぐぅぅぅぅぅう!! はな………れろぉぉ! アウロス!!」
水平に衝撃を受け、拷問の悪魔が吹き飛ぶ。
「はぁ…はぁ…いってぇなぁぁ!! アタシの気持ちってもんを考えろよなぁぁぁ!!」
「黙れ狂戦士が!!」
「狂!? アータシが!?」
「お前以外に誰がいるんだ!」
純粋な勝負の場に幼稚な口撃が飛び交う。悪魔に教養など求めてはならないが、命を賭けた殺し合いで出るには軽すぎる言葉だった。
拷問の悪魔は先ほどの衝撃で倒れた木を手に取る。
「カッチーン、殺す。そんなに取り繕ったってアタシにはお見通しなのよ! アナタ…そろそろ限界なのよね? 力は無尽蔵にあるわけじゃない。ましてそれが魔人ならなおのこと。それなのにアナタのその楽器……随分と強いわよねぇ……力もそろそろ無くなってきたんじゃないのおおおおおお!!」
「フン、何を言うかと思えばそんなことか」
高説を垂れて有頂天になっている拷問の悪魔の突進が迫る。
そんな中、『天使』は息をついているがまだ少し余裕があった。天使の輪が大きく開き、楽器が無尽蔵に湧き始める。
「ならば見せてやろう。格の違いというやつを…!」
そして、悪魔に弾幕の如き楽器が差し向けられる。
「オルガン、ラッパ、キタラ、パンパイプ、ベル、レベック、ピアノ、7の英霊歌」
「は? ま━━━━━」
それは伝う聖人、英雄、英傑の詩。これより来たる魔を払う聖人を讃える歌。空気に伝わる旋律が巨大な異能によって攻撃となる。
百にも及ぶ楽器群の煌々。
轟音に爆音、そして斬撃や閃光が辺りを…とりわけ拷問の悪魔を嬲った。
「ガッハァ!!」
流石の『拷問』といえどもこれには耐えられなかったらしい。肌は焦げ、切り傷は血を流し続けている。口と耳からも血が流れ、もう立つ気力が無いようだ。
「バカな……なぜ…それほどの余力を…残して……!」
「何か勘違いしているようだが」
『天使』が舞い降りる。変色し青くなった瞳、頭上に輝く天使の輪。
太陽の光に照らされて輝く茶髪を持つ彼女/彼こそは、『天使』であった。
その目は下々の下等な悪魔に向けられていた。
「な、なぁ…によ…」
「ワタシの楽器はワタシの持つエナジーが使われているわけでは無い。ワタシの楽器は、ワタシが浴びた光のエナジーから作られている。尽きる尽きないの問題では無い」
「は……? どう…いう…?」
天使の悪魔の能力。彼女の能力は代謝的に蓄えた自身の力を消耗するものではない。彼女の楽器は彼女に向けられるありとあらゆる全ての光でできているのだ。
『拷問の悪魔』のような自身の体力を消費して発動する能力では断じて無いのだ。
「な…にそれ………は、反則よ……反則よそれぇぇえ!!!」
「そうか…殺し合いにルールなど無い」
天使は手のひらを空へ掲げる。そして告げる。
「厄災は…空より来たる!!」
陰る雲を背景に照り輝くのは数百数千もの楽器群。さながらそれは恒星のように煌めき、辺り一面の空を埋め尽くす。
「オマエはワタシを殺そうとした。なんたる不敬か」
「ぁ……あぁ…!」
「オマエは地獄で責苦を受けるだろう」
「なんて…美しいぃぃ…」
それはまさしく神の怒り。貴き天から降り注ぐ神罰の表れ。
地に這いつくばるは拷問の悪魔。下等な虫である。
星々は光る。それは一等星以上の輝き。楽器から漏れだすエナジーの煌めきである。
そして天使は腕を振り下ろす。
「死に絶えよ、"
輝く恒星の如き空の楽器が、あり得ないほどの大音量で鳴り響く。
旋律も何も無い不協和音。さながらそれは終末を彷彿とさせるものだった。
そしてそれを聴いた『拷問の悪魔』に、眼前を覆い尽くす数千の
まるで神の息吹のごとき、怒りの鉄槌。
それは30秒にも及び、悪魔を溶かし、切り裂き、蒸発させるに留まらず、林一帯の悉くを消滅させた。
▼▼▼
「う……ん…? ここは…」
今は焼け野原となった林の地面の上で、少年は目を覚ました。
そして辺り一面のもはや荒野としか呼べない惨状を見て言葉を失う。
「あ!おい! 目を覚ましたぞ!」
「なんだと!」
「おい、君! 大丈夫か?」
「ここで何があったんだ?」
わらわらと集まる人々、農家の格好をした者から聖職者の格好をした者まで職種は様々だ。
のどかに暮らしていた昼頃、突如発生した爆音と不気味な旋律。驚いて音の発生源に来てみれば辺り一面の林は燃え尽き、荒らされ、もはや生命が生息できる場所ではなくなっていた。
強大な悪魔同士の争いの結果だと判断されたこの惨状の過程を知るものはおらず、人々は行方をくらました悪魔に怯えて過ごすことになるはずであった。
しかし、この惨状の中を1人ポツンと寝ている少年が発見されたことにより、この事態を重く見た町衆は少年を保護し、事の経緯を聞き出すことに決めたというわけだ。
「な、何がですか? というかここは……グッ!?」
「落ち着け、ゆっくり、深呼吸するんだ」
動揺を隠せない少年。周りの人の目が痛いように感じる。
その時、少年の横の、少し離れた所で二人の町人が口を開く。
『お、おい…大丈夫なのか?悪魔に憑かれた魔人なんじゃないのか…?』
『馬鹿言え、魔人はどこかしら悪魔の特徴が現れんだよ。見ろ、あの子を。どこをどう見たって人間だろ?あの子の前ではそういうこと言うなよ』
……なるほどね。少年はすぐに理解した。町の人たちは僕を悪魔だと疑ってる。どうにかして誤解を解かないと…。
少年は疑われる者の末路を知っている。良くて追放。悪ければ『死』だ。
制限時間は大勢の町の人たちに疑われるまで。それまでに疑念は払拭されなければ、僕の今までの生活は…無くなる。
この時の少年は知らなかったが、少年の耳はすごく良くなっていたらしい。普段聞こえないほどの声すらも聞き取るほどに。
「あ、あの…」
「ああ、すまないね。みんな焦ってるんだ。悪いけど、すぐにでも話を聞かせてもらえるかい?」
『おい』
「は、はい…こちら………こ………そ……」
違和感はあった。視界の端をウロチョロする白いモヤ。周りの人に見えてはいないらしいから自分も無視していたが…自然に話しかけられていた。
「どうかしたか?」
「い、いえいえ! 何でもありません! お話ですよね! しますします! 超します!」
「急にどうしたんだ一体…?」
この声…どっかで聞いたことある……。それもつい最近…。
そう思っているとモヤはだんだんと形をなしていき━━
『おい、聞こえないのか?…おかしいな…』
「天使様ぁぁぁ!?」
「おい!? どうした!? 誰か、誰か来てくれ! 大至急だ! 可哀想に、こんなになるまでトラウマを植え付けられて…」
━━━天使の悪魔の姿となった。
「さあ、ここは何も怖くないぞ。とりあえずゆっくり休むと良い。事情聴取はそれからにしよう」
「はい…ありがとうございます」
結局、事情聴取は時間をおいて行われるらしい。先ほど自分を連れてきたおじさんの心配ようはそれはもうすごかった。
原因は明白だ。この少年の驚愕の、魂からの叫びによるものだ。あのあと、少年は周りの人に『天使がいるの! あれ! みんなあれ見えないの!?』などと頭がイった事を宣い、見事、錯乱した頭のおかしい少年という評価と町衆の同情を勝ち取ったのだ。
「というより、なんでいるんですか?天使の…天使様」
部屋の窓の近くにいる天使の悪魔に向かってそう言う。悪魔というとどこから漏れるか分からないから念のため『天使様』で貫く。
『む? いてはダメなのか? 契約者よ』
「契約者?」
『おい…もう忘れたのか。それともあの時の言葉は嘘だったのか?』
契約。悪魔が知的生命体と、代償を元として行う取り決めのこと。
それは何故か
『ああ、あの時、お前は確かにこのワタシ、【天使の悪魔】と契約した』
「…ち、ちなみにどんな契約だったか教えてもらっても…?」
『簡単だ。"お前はワタシに血肉を提供する、代わりにワタシがお前の願いを叶える"だ』
「あ、あー! あああああ!!」
『おい?』
お、思い出した! 契約! ああぁぁぁ! 僕はなんてことを言ってしまったんだ!
"サア! オマエノ願イハナンダ!!"
"ッ!! なら!! なら僕を━━━幸せにしてくれよ!!"
思わず頬を赤らめる。これって内容的にはとんでもなく情けないプロポーズじゃん!!
うわ! うわぁぁぁぁぁ!! 恥ずかしい!!
「契約……あ、あれか…うん!け、契約は完了だよ!ぼくは生きてるし、宣言通り僕を救ってくれた君には、悪魔だけどその…感謝してるしね! うん!」
『本当にもう幸せなのか?』
「僕はこれ以上ないくらい幸せだよ! 今生きている幸せを噛み締めてるよ!」
『…フン、随分と安上がりの幸せだな』
「…でしょ?」
今までは自分を不幸だと思って生きてきた。でもそれは違った。
確かに親に捨てられて、村は滅んで、今はスラムで生活してるけど、僕は生きている。
こんなに多くの災難があってもなお、僕は生き残っている。生きたかったという何万もの人々より、僕は何倍も幸せなのだ。
『他に何かないのか? 王になるとか、酒池肉林するとか』
「高望みは良くないよ。身を滅ぼすだけ」
『達観しているな。もしくは諦観か? 安心しろ、今のお前なら全ての高望みを叶えられるぞ。私がついている』
それはさも悪魔の囁きのようだったが、温かみがあった。天使の悪魔は目の前の窓の縁に座り、少年を見た。
その言葉に驚くのは少年だった。
「え? 願えばなんでも叶えてくれるの?」
『フン、その…なんだ、お前の願いくらいなら叶えてやっても良い』
そう言って顔を逸らす天使の悪魔。え、なんでこんなに好感度高いの? え、こわ…。
彼としては悪魔である天使の悪魔は非情、冷酷、粗暴でこの世の絶対悪だという認識だったため、そこを突かれたギャップに戸惑った。
危うく悪魔への好感度が上がってしまうところである。
『で、これからどんなことをする? 何を願う?』
「うーん……これからもずっとスラム暮らしだと思ってたからよく分からないんだ」
『ふむ、まあ、これから時間はたくさんあるんだ。ゆっくり考えると良い。ワタシは寝る』
そう言って天使の悪魔は白い霧となって消えた。
登場も急なら、退場も急だね…。
「とりあえずお腹空いたな…」
普段から朝食と夕食のみで活動していたため、午後5時であるこの時間はお腹が空いてくる時間帯なのだ。
そしてお金がないから何も食べられない。普段の薪集めの仕事も林と共に蒸発しただろうし、これからどう生きたら良いんだろう…?
そう思っていると、頭の中に声が響いた。
『ふむ、飯なら人間に言えば出してくれるのではないか?』
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
『騒ぐな騒ぐな』
「な、なんで声がするの!?」
動揺がすごい。天使の悪魔はもういないと思っていた中で、突然の声。驚くのも無理はない。それにプライベート時間に声をかけられるのが一番驚くのだ。
そんな少年の様子を見て、天使の悪魔はポンと手を打つような声色で言う。
『あぁ…そう言えば説明してなかったな』
「も、もしかして…」
『フッ、察しが良いな。そう、お前とワタシは融合した。死にかけのお前を修復するために身体の大半、そして脳をワタシの物にした。今ワタシはお前の脳の30%を保有している』
「え…」
少年は思わず震え上がる。
それは想像してなかった。なんとなくの感覚で、魂だけの存在になって自分に取り憑いているのだと、そう思っていた。
今に至る活動で天使の悪魔に抱いていた親近感が一気に吹き飛んだ。こいつは悪魔だ。
「あ、あ、あ、あの、あなたの願いは何でしょうか?」
『何故ワタシの願いを聞く?』
心底不思議そうに逆質問する天使の悪魔。
怖いからに決まってる! 今は機嫌が良いかもしれないけど、明日になったら機嫌が悪くなって殺されるなんてことを疑ってしまうのだ。
契約も血肉を提供だし、最悪契約の穴をついて殺せるだろう。
そんな少年の様子を見て、天使の悪魔は頷いて言った。
『私の願いはもう叶った。だから、お前の願いで十分だ』
「え、いつ叶ったの……はっ! 僕の肉体と融合するというおそろ」
『違う!!』
食い気味に否定する悪魔。そりゃそうだ。どこの世界に人間と融合したい悪魔がいるのか。
…え?じゃあどうして?
天使の悪魔はどもった声であれこれうわごとのように発声を繰り返す。とてもしどろもどろだった。
しかし、少し経って無かったことにしたのか、露骨に話題を変えた。
『フンッ! 願いか? ならお前の名前を教えろ』
「名前…? あぁ、そんなのもあったな…」
『そしてワタシの名前も付けろ』
「!?」
今度は少年がしどろもどろになる番であった。
え? 名前ってそんな安易につけて良いの!?やばい、どうしよう…僕の学じゃ考えつかないよ…。
天使…天使だから……聖書?聖書の天使天使天使天使天使…あ、そうだ!
「僕の名前は…ラピス。そして君は……そう、君の名前は━━━ガブリエルだ!」
『フン、聖書に逃げたな…が、なかなかお目が高い。気に入った!』
吟味は数瞬。天使の悪魔は喜びの声をあげた。上に立つような話口調だが、その中には喜色が隠しきれていなかった。
なんだかすごく機嫌の良い声に聞こえる。名前を付けてもらって嬉しかったのかな?悪魔も情緒は人間と同じらしい。
『っ! …ワタシはもう寝る』
「え? ちょっ!!」
そう言って頭の中の声は沈黙する。というか今ナチュラルに思考読んでた?
頭に浮かんだ戯言をブンブンと振り落とす。
「というかやば…いよね? 体内に悪魔飼ってるようなものだし…知られたら最後……」
「おーい、少年!」
「っ!? うっぁ!?」
急に扉が開いて先ほど少年を介抱した心配症の男が入ってくる。優しい笑顔だった。
彼は部屋にのろのろと入ってきてベッドに座る少年の側で視線を合わせるように膝をつく。
「ご飯できたけど、食べるか?」
「…いいんですか?」
「ああ、いいぞ。心配するな…遠慮はなくていい」
「……じゃあ、頂いてもいいですか?」
そう言って男について行く。
着いた場所は食堂だった。どうやら僕がいるこの建物は多くの兵が利用する場所らしい。名前は知らないけど。
そうして僕を出迎えたのは今までの人生で滅多にお目にかかれなかった豪華な料理だった。
思わず言葉を失う。本当に食べてもいいんだろうか? スラムの孤児である僕が。
…いや、今はあれこれ考えるのはよそう。なんたってご馳走だ。
「主の恵みに感謝を」
これもきっと天使の導きなのかも知れないね。
『フン…ラピス…か』
どこからか機嫌の良い声が聞こえたような気がした。
★★★★★
その日、1匹の悪魔と少年は出会った。
その悪魔は天使の如き出立ちであった。人の本質を見抜くその眼には人が醜悪に見えた。
殺人欲求に苛まれ、人を導くという本能に身を焦がしていた天使の悪魔である。
その少年は痩せ細っていた。全てを失くした彼は全てを諦めていた。
悪魔への憎悪とか細い将来への羨望のみを秘めたラピスである。
『天使動乱』
悪魔としての欲求と天使としての本能に挟まれ、狂った天使の悪魔によって引き起こされる約百年周期の災害。
その災害は今、別の方向へと歪み始めた。