私のことを見てくれる人なんて、いないと思っていた。
「
その声が聞こえてきたのは、私が教室に置かれた花瓶の水を替えて戻ってきてからのことだった。
夕陽が差し込んでオレンジ色に染まる、放課後の教室。
私達二人の他に誰もいないこの教室に、そのハッキリとした声はよく響いた。
「え……えぇ、っと……」
だけど、言葉の意味を頭の中で飲み込むのに、私はしばらくの時間がかかった。
私の名前を呼んでいるのだから、それは間違いなく私に向けての言葉、なのだろう。
それで、好き……好き?
わ、私、を……?
「…………っ!!」
言葉の意味を理解した途端、頭の中に湧いてきたのは焦りと戸惑いだった。
手に持っている花瓶を取り落としそうになって、慌てて手中に握り直す。
危ない危ない。せっかく水を替えたばっかりなんだから、落として割ったりなんてしたら悲しくて仕方ない。
手の中に握った花瓶を棚の上に置いてから、私は声の方へ振り返る。
「え、えっと……冗談、ですか……?」
「冗談なものか!! ボクはいつだって全力全開、明朗快活で公明正大だからね!!」
「は、はぁ……」
大仰な振る舞いに、よく通る声。
演劇部か何かに所属している人なのだろうか、というのが第一印象だった。
「でも、私達……ほとんど初対面、ですよね……? 話したこと、なかったと思うんですけど……」
そう、第一印象。
私は目の前のこの人と喋った記憶なんて、まだ入学して一ヶ月も経ってないこの高校生活
の中で全くない。
「うん、そうだよ? ボクも、キミと話すのは今日が初めてだ。同じクラスではあるけどね」
良かった。どうやら私だけが忘れた幼馴染とか、そういうのではないみたいだ。
ただ、そうなると、なんでこの人は私に告白なんてしてきたのだろう。
クラスメイト……ではある、んだよね。うん、言われてみたら、見た覚えがあるような……えっと、名前は、確か……
「
「おぉ、ボクの名前覚えてくれてるんだ? 嬉しいなぁ」
恐る恐る、探るようにその名前を口にすると、それだけで花が咲くような笑顔を向けてくる。
うぅ、そんなに嬉しそうにしないで欲しい。私と違って、クラスの中じゃそれなりに目立っている人だから覚えていただけだ。
「でも、円城さんって……女子、ですよね……?」
「うん、そうだね。この通り、スカートだって履いてるし」
円城さんは————彼女は、ひらりとその場で一回転して、スカートをたなびかせてみせた。
そう、彼女の名前を覚えていたのは、女子の割に男子のようにも見える、不思議な印象が特徴的だったからだ。
実際クラスでも、男子だったり女子だったり、色んな人と話していた……ように、思う。
話したこともないクラスメイトの記憶なんだから、あやふやなのは許して欲しい。
「わ、私達……女子同士、ですよ……?」
「うん、そうだね。何か、問題があるのかい?」
「え、えぇっと……」
ぴかーって輝く光が見えるぐらいには明朗快活な彼女の返答、もとい逆質問。
単純な問いかけすぎて、逆に私の方が答えに窮してしまっていた。
多様性がうたわれる昨今であるし、私自身だって同性間に『そういう』気持ちがあるのはアリだとは思っている。
ただ、その……その感情が自分に向けられているとなると、アリとかナシとか単純に言える訳もなくて。
「も、問題とかが、円城さんにある訳じゃ、ないんですけど……ご、ごめんなさい……私には、無理です……」
ペコリ、と私は円城さんに頭を下げる。
グルグルする頭の中で出た答えは結局、彼女の提案を拒むという選択だった。
頭の中には断る理由ばかりが思いついて、受け入れる理由なんて一個も出てこなかったからだ。
そりゃあ、白馬の王子様がある日突然に自分を好きだと言う展開に、憧れがない訳でもないけれど……現実にそんな事をされたら、こんなものなのだろう。
「……ふむ。駄目、か……」
円城さんがどういう反応をするのか、少し怖かったけれど……彼女は想像よりは冷静で、口元に手を当てて何かを考えだした。
「……後学のために、聞かせてくれないかな。キミは、ボクのどこが駄目だったのかな?」
「え……」
どうやら彼女は、粘り強い性格をしているようだった。
告白を断った相手に直接そんな事聞けるなんて、メンタルが強靭すぎる……私だったら絶対、同じことはできそうにないなぁ。そもそも、告白なんてことそのものができる気がしないけど……
それにしても……困ったなぁ。
私が断るのは彼女を嫌いだからとかそんな理由じゃないのに。
むしろ、頭の中に思いついたのは、私の短所とかそんなのばっかりで……
「え、えっと……え、円城さんが駄目とか、そんなんじゃなくて。わ、私がそんなに、好きになってもらえるような人間じゃないというか……」
「そんなことないよ。キミは、素敵な人間だ」
「っ……」
気障ったいセリフを平然と即答してのけるものだから、一瞬言葉を失った。
だけど逆にその態度のおかげで、断るもっともな理由がひとつ増えたことには、感謝するべきかもしれない。
「わ、私なんかのどこを見て、そんなことを思うんですか……? 円城さんは、私のどこが好きなんですか……?」
そう、彼女のことで一番分からないことと言えば、そのことだ。
円城さんはクラスの人気者なんだから、私じゃなくても他に相手なんていくらでもいるだろう。
それに引きかえ、クラスの中に友達の一人もいない私。
彼女どころか友達としてですら、どう考えても釣り合ってない。
そんな私に声をかける理由が、どうしたって理解できないのだ。
いや、理由なんて、一目惚れとかその程度なのかもしれない。
もしくは、考えたくもないけれど……タチの悪い、盛大なイタズラだったりするのかも。
話したこともない彼女が私を好きになるなんてどうせ、大した理由じゃあ……
「そうだね……笑顔、かな」
「笑顔……?」
やっぱり、イタズラ……?
円城さんのその一言は、私が抱いた疑念をほとんど確信に近づけた。
だって私、笑顔なんて教室で浮かべたこと、ない。
友達の一人もいないから会話すらろくにできなかったんだもの、笑顔なんて浮かべてる訳……
……ちょっと、待って。
まさか……
「放課後、花瓶をいじってる時にキミが浮かべてた笑顔だよ。キミなんだろ? 毎日、水を替えてくれてたの」
「……っ!!」
――――唐突に指摘された事実に、私は息を呑んだ。
最初は一週間ぐらい前、だっただろうか。
せっかく教室に飾られているのに、今にも枯れそうなその花に気がついたのは。
別に無視しても、私は何も困らなかった。花瓶の花なんて、どうせいつかは枯れるものだし。
だけど、せっかく教室にいるのに、誰からも気にかけられていないその様子が……なんだか私と、かぶって見えて。
それからコッソリ、誰もいないタイミングを見計らって水を替えたり、10円玉を花瓶の中に入れたりしていた。
コソコソやっていたのは、特に後ろ暗いことをしているつもりがあった訳ではなくて……ただ単に、自己満足でやっている事だったから。人が見ているところでやると、なんだか褒められたくてやっているように見えてしまいそうで、それが恥ずかしかったのだ。
そう、ただの自己満足のつもりだったけど、昨日辺りだったかな。毎日やってた甲斐あって、萎れた花が少しだけ上を向き始めたのは。
……きっとその時に、笑顔を浮かべたのだろう。自己満足でも、あの時確かに嬉しかったのだから。
「ボクには花を見て顔をほころばせるキミが、まぶしく見えた。だからキミのことをもっと知りたいと、キミを傍でもっと見てみたいと思った。だから、なんだけど……どうかな、これで十分かい?」
「い、いい、です……それで、十分です……」
相変わらず気障な言葉を紡ぐ彼女に、私はうまく答えられたのだろうか。
私の方こそ彼女のことがまぶしく見えて、うまく顔が見られない。
私の頬はきっと、林檎みたいに赤くなっているのではないだろうか。
……私のことを見てくれる人なんて、いないと思っていた。
どうせ誰からも気にかけられないと、拗ねるような気持ちで一人黙々と水を替えていた。
そんな私の自己満足を見て、その姿を素敵だと言ってくれることが……こんなに、嬉しいだなんて。
……彼女を受け入れる理由が一つ、できちゃったなぁ。
「あ、あの……」
「ん、なんだい?」
「そ、その、付き合うとかは、無理ですけど……友達から、なら……」
「…………っ!!」
パァッと、あくまで冷静に対応していた円城さんの表情が、花が咲くような明るい笑顔に変わる。
さっきまでは彼女なりに、表情を出さないように気をつけていたのかもしれない。
「い、いいんだね!? これから、キミの傍にいても!! ボクの聞き間違いじゃないんだね!?」
「き、聞き間違いではないです、けど……あ、あの、あくまで友達で、お願いします……」
まるでこれから付き合えるかのような喜び具合に、一言だけ付け加える。
嫌いな訳じゃ、ないけれど……こればっかりは、話が別だし……
「いやぁ、今はそれで十分さ。これからキミが、ボクじゃなきゃ駄目って言わせられるように……惚れさせて、みせるから」
「あ、あぅぅ……」
……口先だけ、困ったような言葉を発しては見たけれど。
真っ直ぐ堂々とした彼女の態度が早くも好きになりつつある自分に気がついて、また顔を赤くしてしまっただけというのが実情で。
――――そんな彼女と友達として日々を過ごす内に、結局のところ私は彼女のことを好きになってしまうのだけれど……それはまた、別の話だ。