お姫様のナイトであろうとした女が聖園ミカのために死ぬまで 作:恥谷きゆう
「──あ、あああああああああ! チサキちゃん! チサキちゃん!」
少女の慟哭が地下に響く。
倒れ込んだチサキを、ミカはすぐに抱きかかえて呼びかけた。
ヘイローが壊れた以上、チサキが起き上がることは二度とない。
その事実が受け入れられないミカは、喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。
「チサキちゃんっ! っ、あ……チ、サキちゃん……!」
ミカの瞳から零れる大粒の涙がチサキの頬を叩くが、彼女が目を覚ますことはない。
「チサキちゃん、お願い……起きて……起きてよ……」
か細い懇願がチサキの耳に届くことはない。
ミカの元に迫りくるユスティナ信徒は、その様子に関心すら抱いていないようだった。
先頭に立つバルバラが、ミカにとどめを刺すべく無感情に機関銃を構えた。
目の前で終わりを迎えた命に呼びかけることに必死なミカの視線はそちらには向かない。ただ涙を流してチサキの亡骸を抱きかかえるだけだ。
「──私のお姫様たちに何をしているの?」
激しい怒りに満ちた声が、ミカの後ろからした。
今まで見せたことのないほど険しい表情をした先生が立っている。
「せん、せい……チサキちゃんが……チサキちゃんが……!」
力なく倒れ込むチサキの身体を抱きかかえたミカが、意味を為さない叫びで先生に訴えかけてくる。
「ごめん、ミカ。……せめて、君だけは助ける」
先生は懐から黄金のカードを取り出した。
「大人のカード」と呼称されるもの。
それは先生の命を削り巨大な武力を与えるもの。
武力を持たない先生の持つ、最大のジョーカーカード。
「──私の責任だ。大人が子どもを守れなかったのだから。これは私の罪だ」
先生の淡々とした声が響く。
「そして、失敗した後の責任を取るものまた大人の仕事だ」
「大人のカード」が光り輝く。先生のとっておきが姿を現す。
集ったユスティナ信徒、そして伝説の聖女バルバラが討伐されたのは、それから数分後のことだった。
◇
柚鳥ナツはお気に入りのカフェにひとりで座っていた。その目は、空席になっている反対側の椅子の
上をじっと見つめていた。
チサキと共にこの席に座り、一緒にドーナツを食べたのはもう何日も前のことだ。
もう二度と、彼女とこのカフェで会うことはできない。
「いただきます」
甘党のナツにしては珍しく、カップにはブラックコーヒーが入っていた。
チサキが好んで飲んでいた一杯。
それを口にしたナツは、すぐに顔をしかめた。
「苦い。君はどうしてこんなものが好きだったの、チサキ」
もう会えない友人に問いかけて、彼女はドーナツを口にした。
チョコレートの甘さが彼女の口に残った苦みを上書きする。ナツが大好きな味だ。
けれど、ナツの口には苦さが残り続けていた。
後悔は苦みによく似ている。
どうにもできないのにじわじわと身を蝕み、じんじんと口の中が痛む。
ナツにはどうにもできないことだった。
権力と陰謀が渦巻き、最終的にチサキは命を落とした。
一生徒に過ぎないナツには、チサキを救うことはできなかった。
もう一度、ブラックコーヒーを口にする。
「やっぱり私には合わない。苦いよりも甘い方がいいに決まってるじゃないか」
理解はできなかったが、それでもナツはその苦みから何かを読み取ろうとコーヒーを飲んだ。
理解できずとも理解しようとするチサキの姿勢が、ナツは好きだった。
だから、もう遅かったとしてもナツは改めてチサキを理解しようとしていた。
◇
葬儀ミサが行われるトリニティの大聖堂には、多くの生徒が詰めかけていた。
身廊の参列者用ベンチに座るのは、チサキと交流があった者たち。
柚鳥ナツ。補習授業部の面々。先生。ティーパーティー。そして、聖園ミカ。
ミカの目は真っ赤だった。
チサキの死から散々泣きはらしたであろう彼女は、しかしこの場にあってただ気丈に前を向いていた。
参列者たちは一様に両手を前で組み、祈りを捧げていた。
聖堂の正面、祭壇の後ろに立つ歌住サクラコは厳かに告げた。
「士道チサキさんはアリウス自治区にて敵の弾丸を受け終わりを迎えられました」
サクラコにとって葬儀ミサを執り行うのは初めてだ。
知識としては知っていた儀礼だが、実際にやるとなると身が引き締まる。
死が遠いものであるキヴォトスにおいて、このような儀礼に関わる生徒は少ない。
それでも、チサキの安寧を祈るためにサクラコは己の使命を全うした。
「彼女はアリウスの生徒を救おうとする先生のため、そして何よりも主君と仰いだミカさんのために、その命を使われました。エデン条約を発端とする一連の騒動に関しては、様々な意見があるかもしれません。──ただ、今は。今この時は、彼女の死後の安息を祈りましょう。
静謐な祈りが捧げられる。
祈りを捧げた参列者のひとりであるハナコは、静かに想いを馳せた。
ハナコがアリウス自治区での事態を知ったのは、既にチサキがアリウス自治区に侵入した後のことだった。
知っていれば、彼女を救えたかもしれない。ハッピーエンドを手繰り寄せることができたかもしれない。
そういった後悔もあった。
ただ、チサキと短くない時間を過ごしたハナコには、なんとなく分かってしまった。
チサキにとって、ミカを救うことは己の命に変えてでも成し遂げたいことだったのだ。
他の誰でもなく、聖園ミカのナイトである士道チサキの使命。彼女が成し遂げるべきこと。
それが分かってしまったハナコには、ただ彼女の安寧を祈ることしかできなかった。
主よ、使命を全うした彼女に安息を与えたまえ。
今この瞬間、彼女はこの儀式に真摯に向き合っていた。
◇
ミカの処罰を決定する聴聞会は、葬儀ミサの後に開催された。本来の聴聞会の時間をズラしてチサキの弔いを優先させた結果だ。
聖園ミカに下された判決は、かなり温情あるものになった。
退学や停学などの措置はなし。
代わりに奉仕活動の実施やティーパーティーとしての特権の剥奪などが言い渡された。
弁護をしたナギサやセイアはそれに安堵したが、ミカは最後まで心ここにあらずだった。
今の彼女には、少し時間が必要だ。
そう判断したナギサとセイアは、「何かあれば相談して欲しい」とだけ告げた。
『主よ、永遠の安息を彼らに与えてください
そして、彼らを永久の光で照らしてください』
聖園ミカはひとりレクイエムを口ずさんでいた。
死者の安息を願う聖歌。
それを歌う彼女の目には、枯れたはずの涙がまだ少し残っていた。
疲れ切った頭はもうほとんど動いていない。
過去を振り返りすぎて、今の彼女には何も考えることができなかった。
「ミカ」
彼女が振り返ると、先生が立っていた。
チサキの葬儀ミサに出席した直後のため、ネクタイをきちんと締めたダークスーツ姿だ。
「聴聞会お疲れ様。疲れた?」
「うん。なんか色んなことがありすぎて、しばらく何も考えられないかも」
力なく笑う彼女に、先生はゆっくりと近づいて行った。
「先生。あなたは、今でも私の味方だって言ってくれるの?」
「もちろんだよ。私は生徒の味方だからね」
「……そっか。ありがとう」
迷いのない言葉に、ミカは感謝を述べる。
「チサキちゃんは、罪深い私がやり直すことを願ってくれていた。私の可能性を信じてくれた」
己の可能性を、やり直しを諦めることはチサキへの裏切りに他ならない。
つまるところ、これは死者の残した祝福であり呪いだ。
チサキのことを想うのであれば、ミカはやり直しを諦めず、幸せにならなければならない。
「だからさ、先生。あなたが私の味方でいてくれるのなら。あなたが私の先生であり続けてくれるのなら、あなたには見守って欲しいんだ」
先生は無言で彼女の言葉の続きを待った。
「罪深い私の、足搔きを。主の慈悲なんて受けられない私が、どう生きるのか」
壊れそうな笑顔に、先生は小さく呟いた。
「ミカが罪深いのなら、私だって一緒だ」
先生はポツリと呟く。その顔は、今までの彼とは違う弱さを醸し出していた。
「私は、生徒を救えなかった。チサキの未来に続く無限の可能性を閉ざしてしまった。……先生失格だ」
「先生……」
「だから、せめてミカのことは守りたい。味方でいたい。チサキが願ったミカの幸福を、私が見守りたい。罪人という意味では、私たちは同じなのだから」
先生はゆっくりとミカに近寄って、手を差し伸べた。
「お姫様、私に共に歩むことを許してくださいますか?」
「……うん」
ミカの小さい手が、控えめに先生の手を取る。
「先生は、まさに王子様だね」
その言葉に、先生の脳裏にはチサキの言葉が蘇った。
『お姫様を華麗に救い出す童話の王子様です。先生は適任ですよ』
そんなことはない。自分はお姫様を救い出すことに失敗した。
チサキの亡骸を目撃した時の絶望を思い出す。未来ある子どもを亡くしてしまった喪失感を思い出す。
「ミカ。レクイエムを、私に教えてくれないかな」
レクイエムは死者の安寧を祈る聖歌だ。
今まで馴染みのなかったそれを、先生は知りたくなった。
これにて完結です
ここまで読んでくださりありがとうございました