夏のジリジリとした日差しさえ吹き飛ばすような熱気の中で、彼女は燦然と存在を見せつけていた。赤い髪をたなびかせ、鋭い目で会場全体の空気を飲み込まんとしていた。不敵に頬を上げながらマイクに向かって歌う彼女に、私は釘付けになっていた。その力強い声に、そのがなるギターに、彼女の一挙手一投足に私の脳は焼かれていた。日差しなんかより強く、決して治らない程に。
入学式から1週間がたったその日、私、花隈千冬の胸中は後悔の一色だった。
「はぁ、やっぱり別の高校を選べばよかった。」
ため息混じりに漏れる本音が春風に溶ける。私がセンチメンタルに打ちひしがれる理由は一つだった。
「みんな眩しすぎるし。」
至極単純でありふれた話、私はクラスに馴染めていなかった。いや、より正確に表すならこの学校に馴染めていなかった。中学2年の夏、一念発起して入学した『小樽潮風高校』の気風は私には過酷すぎた。周りを見れば活気のある生徒が視界を埋め尽くす。同学年の女子は紙パックのミルクティー片手に、やれ恋愛だとか、やれ流行りのアイドルグループについて駄弁ってばかり。男子もやれ彼女が欲しいだとか、スポーツがどうのだとかで盛り上がっている。彼らの広げる話題の全てに興味が湧かない私には、どちらも小煩くてしかたがなかった。そのうえ、他人も盛大に巻き込んで会話を大きくしていくのだ。つまるところ、彼女たちは本を読んでる私にも全く遠慮をせずに話しかけてくる。お陰でこの1週間は全く読書には集中できなかった。孤立させないようにという優しさかも知れないが、正直ありがた迷惑でしかなかった。
そのうえ、私のクラスだけがそういう活発な子達の集まりであるというわけでもない。全学年の生徒が似たような感じだったのだ。お陰でどこにいても居心地が悪くてしょうがない。入学して1週間で私が得た安息の地といえば、図書館の隅で本棚で隠れている席と、この避難用階段の下だけだった。
コクりとコーヒーを飲み、ため息混じりに息を吐く。そも、こうなることはある程度覚悟はしていたのだ。この学校の気風は受験前から知っていたし、私には合わないこともなんとなくわかってはいた。それでもこの学校を目指したのには大きな理由があった。
タプタプとスマホを操作して画面に1つの動画を映す。それは2年前の夏の映像だった。私がドラムにのめり込み、この学校を目指したきっかけとなった映像。それは父の付き添いで行った音楽フェスのものだった。動画を再生すると、ステージのセンターで、赤茶色の髪をした少女がギターを弾きながら歌っている。私はあの日、彼女の演奏と歌に一目惚れをした。そして思ったのだ。彼女とセッションをしたい、彼女と一緒にバンドをしたい、と。たったそれだけのために、私はこの高校を受験したのだ。
しかし、現実はままならないものだった。彼女の所属していた軽音部が廃部になった事を知ったのは、入学してわずか2日目のことだった。今思い返してみれば、去年は音楽フェスに出ていなかった。だからまぁ、何かあってもおかしくはなかったのだけど。
以上のことより、私が落胆するのは当然のことで。私に出来るのは謳歌するはずだった青春を夢見ながら生活することだけになった。
しかし、この高校では、私が普通に過ごすことすら苦痛だった。なにせ音楽を聴いていれば「なんの曲聴いてるの?」と話しかけられ、そこから聴いてもいないアイドルの魅力を延々と語られる。しかもそこに悪意が無いから手に負えない。そんな狂気的で凶器的なコミュ力が飛び交う環境は、どう好意的に解釈しても私には痛すぎるもので。私はこうして教室から逃げ出しているのだった。
ため息をつきながら、スマホの時計盤を見る。昼休みはまだ折り返し地点にすら到達していない。
「はぁ。」
また一つため息をつく。本当なら腹をくくって、友人作りに精を出さねばならないのだろう。しかし、私は知っている。彼らと私では住む世界も、趣味嗜好も、文化すらも違う。そんな私が話に入っても空気を悪くするだけだし、どう頑張っても居心地の悪さは変わらない。得られるのは疲労感と自己嫌悪だけだ。それなら、わざわざ分かり合おうとする必要もない。住み分ければ良いだけだ。それが私の出した結論だった。
ふわぁ、とあくびが出る。なんだか疲れた。それに4月初旬の日差しが暖かい。なんだかナイーブになり過ぎているし、思考のリセットがてらお昼寝でもしよう。今後のことを考えるのが面倒になった私は、目をつむった。
ふと、低く鳴る音で目を覚ました。聞き馴染みのある音だ。寝ぼけた頭でなんの音か思案する。
「あぁ、ベースか。」
家で何度も聞いたベースの音だ。ドラムと一緒にバンドを支える低い唸り声のような音。しかし、ふと既視感を感じた。ベースをやっている知り合いなんて父の友人しかいない。いや、なんならこの学校に知り合いと呼べるほど近しい人なんていない。だが、何か聞き馴染んだ音に似ていると感じていた。私その音の正体を突き止めようと、体を起こした。その時だった。
「こんなところで何やってるの?」
突然、頭上から声をかけられる。びっくりして逆に声が引っ込んだ。ゆっくりと声のした方を見上げるとそこには一人の女子生徒がこちらを見下ろしていた。
真っ白な髪を頭の両側でお団子にしており、熊のようなシルエットになっている。制服のリボンの色はピンク、つまり彼女が2年生であることを示していた。顔は活発で明るそうな雰囲気をまとい、整った顔立ちをしている。まとめると、私の苦手な強すぎるコミュ力でこちらを破砕してくる、コミュ力重機系女子がそこにいた。
「少々、お昼寝をしていました。何かするようでしたらどうぞお構いなく。もう、どきますから。」
焦りと不安、早くこの場から離れたいという意志で少し口調が強くなってしまう。
「うぅん。別にここに用事は無いよ。偶々立ち寄っただけだから。あ、それよりごめん。自己紹介がまだだったね。私は」
「すみません、先輩。用事を思い出しましたのでこれで。」
そう言いかけた先輩の言葉を遮って、その場を立ち去った。このままだと知らない人の興味のない話に引きずり込まれてしまう。そう感じた末の防御行動だった。
「あぁ、ちょっと。」
そうやって階段を駆け降りる彼女から逃げるように校舎への道を進む。図書館にでも逃げ込めば諦めるだろうか、なんて考えながら歩いていたが、ぽんっと肩を叩かれる。止まって後ろを向けば、そこにはさっきの先輩がいた。結構早めに歩いていたつもりだったのだけれど。
「何か用事があるなら手伝わせてよ。お近づきの印に、ね。」
そう言って朗らかに笑う先輩。しかし、当の私は面倒な事になったと若干後悔していた。用事なんて当然ない。何かでっちあげ無ければとぐるぐると考える。考えた末、1限の数学で出された課題を思い出した。
「あ、えっと……それじゃあ頼っても良いですか?」
「うん、勿論だよ!さぁ、何なりと頼って!」
パッと見でも嬉しそうに笑う先輩に若干の罪悪感を覚えた。
「じゃあ、自己紹介。私、2年の小春六花。よろしく。」
そう言って六花先輩はこちらに手を差し伸べる。ナチュラルに握手を求める文化が絶滅していないことに驚きながら、彼女の手を取る。
「1年の花隈千冬です。よろしくお願いします、小春先輩。」
六花先輩は私が手を握ると、ぐいっと私を引っ張った。
「よーっし、それじゃあ千冬ちゃんの用事へ出発だ!」
そう言って意気揚々と私を校舎へ引っ張っていく。私、まだ用事としか言っていないのだけれど、一体どこに向かうつもりなんだろう。心のなかで突っ込んだ。
図書館についた六花先輩は、先程の元気の良さからは考えられない程に静かになっていた。しかしその理由は、ここが静かにしなければならない図書館だから、というわけではなかった。
「課題を手伝ってかぁ。しかもよりによって数学。」
この明るい先輩も私の偏見の例に漏れず、勉強が苦手ないし嫌いなようだった。まぁ、私達の年頃で勉強大好きなんて人種は、それこそレッドリストに載せることが出来るだろうけれど。
小春先輩を窓際の席へ座るよう促し、私は課題を広げる。広げた課題は授業中暇だったため、既にその半分が埋まっている。
「わぁ、千冬ちゃん字が綺麗。」
小春先輩は課題の内容には全く興味がなさそうだった。
「それで小春先輩、ここの問題なんですけど……。」
そう言って問題を指差す。なんてことのない2次関数の触りだ。そこまで頭を抱えなければならないものでもない。これなら小春先輩の面子を保ちながら時間を潰せるだろうという考えだ。
しかし、私の予想は吹けば飛ぶほど甘かったようで。
「うーんとねぇ。」
この通り、小春先輩は5分程頭を抱えて唸っているのだった。この人、どうやって進級したんだろう、と少なからず疑問を抱いた。私も、分からない振りに疲れてきたのでいい加減お礼だけ言って切り上げようかと口を開こうとしたとき、小春先輩が口を開いた。
「ちょーっと待っててね。」
そう言って、スマホ片手に図書館を出ていく。面倒になって帰ったか、もしくは解法を検索しているのだろうか。ふぅ、と肩から力を抜く。
そういえば、あのベースの既視感は結局なんだったのだろう。ベースを重点的に聴くことは、ままあるにしろ特徴なんて憶えていないと思う。なにより、ちゃんとセッションしたことがあるのは父の友人くらいなものだ。あのおじさんも、流石に高校にはいないだろう。そんな事を考えていると小春先輩が戻ってきた。
「ちょっと助っ人を呼んだから、それまでお話しない?」
また知らない人が増えるらしい。本当にナイーブになる。ため息を出さない程度に一息つく。
「えぇ、良いですよ。だけど期待しないでくださいね?私、こういうのあんまり得意じゃないので。」
「うん、全然大丈夫だよ。私が千冬ちゃんの事を知りたいだけだから。」
そう言って微笑む小春先輩。今までの元気な笑顔とは違う、ほんのりと落ちついた笑みに少しだけ面食らった。
「えっと、それじゃあ私の何が知りたいんですか?」
私がそう問いかけると小春先輩はにこやかな雰囲気になった。なんというか、目まぐるしく人だ。
「じゃあねー、まずは好きなものかなぁ。」
「好きな食べ物ってことですか?」
「それもあるけど、好きなもの全般って感じ。例えば私ならヨーグルトとスクーター、みたいな。」
「スクーター?」
意外な単語が飛び出す。正直、また興味も湧かないアイドルだとかを推してくると思っていた。小春先輩は、雰囲気よりずっと落ち着いた人なのかもしれない。
「そう、スクーター。スクーターに乗って、この街を回るのが好きなの。なーんの目的も決めずに。なんとなく気になったところに寄るの。ぷちツーリングってやつだね。」
「それは、すごく良い趣味ですね。」
「変わってるってこと?」
「言葉通りの意味ですよ。正直、意外でした。休日はずっと友人と遊んでるって印象だったので。一人される趣味があることが。」
そう言うと小春先輩はあははと笑った。無邪気であどけなくて、どこか不安定さを感じた笑みだった。
「たまーにね。うん、たまーに一人になりたくなるの。なんてね。」
そう言って小春先輩は笑った。今度は活発さを抑えた少しだけ明るい笑みだった。
「って私の話は良いの。千冬ちゃんの好きなものを教えてよ。」
話を戻してきた。私は自分の話をすることが苦手だ。だからあわよくば小春先輩にずっと話してもらおうと思っていたけれど、そうは問屋が卸さないらしい。
「そうですね。好きなもの……抹茶と読書、あとはカメラでしょうか。」
「へぇ、カメラ。どんな写真を撮るの?」
「そうですね、最近ならこういうのでしょうか。」
スマホを操作して最近撮った写真を小春先輩に見せる。運河のあたりから撮った中央通りの写真だ。小樽駅までの坂が画角いっぱい写っている。早朝に撮ったから無粋な車は少なく、朝焼けが道路脇に避けられた雪をほのかに照らしている。我ながら良く撮れたと思うものだ。
「わぁ、綺麗。なんだかあれだね。普段見る景色でも、改めて見ると結構雰囲気良いね。」
そう言ってこちらに笑いかける。いけない、一瞬きゅんとしてしまった。この人は無自覚に人を誑しこむタイプだ。
「はい。こういう雰囲気が好きなんです。」
「分かるなぁ。私もぷちツーリングしてるときこの景色良いなぁって思うときあるし。ほらこれとか。」
そう言って小春先輩がスマホの画面を見せてくる。そこに映っているのは夕陽が沈みかけるトライポッド群、そして暖かな橙色の光を浴びてながらこちらにピースサインをする小春先輩だった。穏やかに笑みを浮かべる小春先輩はモデルみたいだと、掛け値なしに思った。
「いい写真ですね。すごく、優しい感じがします。」
「でしょ?すっごく綺麗で、なんだか和やかな感じがしたからさ、喫茶店のおじさんに頼んで写真撮ってもらったんだぁ。」
見ず知らずの人に写真を頼めるところは流石のコミュ強といった感じだ。しかし、話せば話すほど意外だ。もっとずっとぽわぽわとした人だと思っていたけれど、他のみんなよりずっと共感出来るところが多い。話題を合わせてくれているのかもしれないけれど、それを含めても凄く良い人だなと思った。見た目と第一印象に引っ張られすぎた自分を少し反省した。
そうやって互いに写真を見せあっていると、1つの陰が机に映る。しまった、少しうるさくしてしまったか。恐る恐るそちらを振り向くと、そこに立っていたのは司書の先生ではなかった。
「あ、花梨先輩。いやぁ、お呼び立てしちゃってごめんなさいね。」
見間違えるはずがない。あの赤い髪。力強い目。紛れもなく、あの日私を焼いた憧れの人がそこに立っていた。
「突然、へるぷみーなんて送って来てびっくりしたんだけど。これどういう状況?」
そうして花梨先輩はこちらを一瞥すると1つため息をついた。あれ、私、なにかしてしまったのだろうか。まだ、一言も喋っていないし、なんならびっくりしてそれどころじゃなかったけど。そう逡巡するの束の間、花梨先輩が口を開いた。
「六花、また後輩にうざ絡みしてんの?」
「ぅえ!?違います、違いますよ。千冬ちゃんに頼まれて課題をですね」
そう言う小春先輩の言葉を、花梨先輩はデコピンで遮った。小春先輩は「あだぁっ」とおでこを抑える。すごい、ちょっと赤くなってる。結構な威力みたいだ。
「あんたが勉強教えれるわけ無いでしょ、まったく。」
そう言いながら花梨先輩はこちらに向き直る。一気に肩がこわばるのを自分でも理解できた。
「ごめんね。この子、パーソナルスペースがミジンコの行動範囲より狭いから。迷惑してなかった?」
「あ、えっとその、迷惑ではありませんでした。」
緊張で声が震えてしまう。何か変なことを言っていないか心配で変に俯瞰してしまう。どこを見て会話すれば良いんだろう。違う、顔を見てお話しなきゃ。あぁ、でも見れない。
「ごめんね、気を使わせちゃって。あ、自己紹介をしてなかったね。私は3年の夏色花梨。よろしくね。」
「う、あ、よ、よろしくお願いします。」
差し出された手におそるおそる手を合わせる。手が震えていることが、残酷なくらい視界に映った。
これが私達、小樽潮風高校軽音部の始まりだった。