目の前には竹に巻いた藁が立っている。
そして、地面は土が剥き出しになっていた。
周りには石積みの壁があって……僕の後ろには、腕を組んだフロイラさんが立っている。
ここは聖地レイラインの大聖堂から少し離れた、修練場だ。
凛、と小さな鈴の音が鳴った。
瞬間、僕は胸元のロザリオに指で触れて──
ロザリオを
柄を握り締めて──
「ふっ」
振るった。
その間、指を三つ折る程の時間すら使っていない。
それでも、巻藁は確実に切断されていた。
掠れた吐息と共に、汗がポタリと地面に染みた。
それと同時に、背後で土を踏む音が響いた。
「及第点だな」
気怠けなフロイラさんの言葉に、僕は振り返った。
僕は今、フロイラさんに稽古を付けて貰っていた。
先程の一連の行動。
聖銀器をロザリオから武具に変える。
剣を構えて、振るう。
これらを素早く、正確に繰り出すこと。
それは即ち、反射行動の最適化だ。
僕達、
聖銀器があるからだ。
その逆、『悪魔』の攻撃を防御もできず、直撃すればどうなるか。
良くて重傷、悪くて即死だ。
それは『下位』の
防御は高所からの落下や、壁への衝突なんかは防げるだろう。
だが、『悪魔』が強大だった場合、その一撃を完全に防ぎ切れるとは保証できない。
だからこそ、咄嗟の行動が重要になる。
強襲してくる『悪魔』を認識した瞬間に、聖銀器を武器に変えて迎え撃つ。
その一瞬。
僅かな一瞬。
それが生死を分ける。
だからこそ、フロイラさんは反射行動を重要視している。
「……及第点、ですか?」
息を切らす。
汗が滝のように流れている。
フロイラさん曰く、『本調子でいる時の反射など、何の意味もない』らしい。
疲弊して、息を切らして、集中力が乱れている……そんな状況で、訓練通りに動けること。
そうでなければ意味がない、と。
だから、僕は三時間程の素振りを行った。
その後、聖銀器の早抜きをした……故に、腕は重く、足は棒のようになっている。
呼吸も乱れている。
「完璧には程遠い。十全ではないが、十分ではある。だから、及第点だ」
フロイラさんが自身のロザリオに触れた瞬間──
どさり、と地面へ縦に真っ二つに裂けた巻藁が落ちた。
フロイラさんの手には
いつの間に変化させたのか見えなかった。
いつの間に武器を振るったのかも見えなかった。
しかし──
「……む、少し鈍ったか?」
なんて口にするものだから、思わず口を窄めた。
僕は定期的に、フロイラさんから鍛錬をつけて貰っている。
だが、彼女の『普通』という基準はおかしい。
エルシー曰く『上位』の
でも、それでいい。
僕は強くなりたいのだから。
負けないように、守れるように……僕は強くなりたい。
だから、それでいい。
フロイラさんが
「まぁ、それでも……少しはマシになったな。ユーリ」
「あ、ありがとうございます……」
「少し休憩しよう。昼食も取ろうか」
その言葉に、僕は腹を撫でた。
酷使された身体は、内臓の不調を訴えている。
極度の疲弊で吐き気すらある。
「……う、あの、今ちょっと、食べられな──
「こうして疲弊した状態で補給できるのも、
「う……」
……そう言われると、僕は頷くしかなかった。
フロイラさんに引っ張られて、修練場を後にした。
そして、そのまま隣室へと投げ込まれた。
殺風景な休憩室の机に、弁当箱らしきものが二つ置かれた。
フロイラさんが用意したのだろうが、でもフロイラさんは料理出来ない筈だし……教会の食堂で用意して貰ったものだろうか。
だが、それにしても、その──
「……何だか、箱……大きくないですか?」
「運動直後に食事をすると身体が大きくなる。その為には、それなりに食べないとな」
「……あ、はい」
蓋を開けると……。
焼けたコーン、ペーストされた豆、真っ白な鶏肉が詰まっていた。
みちみちと、大きな弁当箱に。
僕は頬をひくつかせながらも、焼けたコーンを口に含む。
……特別な味付けもない、塩だけの素朴な味だ。
だけど、ないよりはマシだ。
そんな僕の様子を見て、フロイラさんが口を開いた。
「どうだ、中々いけるだろう?」
「……まぁ、そうですね」
「配給食で今後選べるようになるらしい。これはその試験品だな」
「試験品、ですか?」
「食堂の担当が昔馴染みでな。まぁ……鍛錬直後に食べやすい物を用意できれば、他の奴らも喜ぶだろうと考案した」
「他の……」
僕は手を顎に当てた。
僕以外に、こんな疲弊した状態で昼食を食わされる人はいるのだろうか。
……フロイラさんの弟子ぐらいだと思うけど。
「……フロイラさんって、僕以外に面倒を見てる人いるんですか?」
「いいや?何人か弟子を取ったが……お前とエルシー以外は、すぐに辞めた。根性がない奴らだ」
「……そ、そうですね」
脳裏に、フロイラさんとの鍛錬を思い浮かべる。
木の棒に綿を巻いた物でボコボコにされた事を。
聖地レイラインの外壁前を何周もさせられた事を。
膝まで水が浸かるような場所で何往復も走らされた事を。
疲れて倒れている所に、水をかけられた事を。
受け身の訓練と称して、100回ほど連続で投げられた事を。
苦笑する。
「なんだ?文句でもあるのか?」
「……いえ、その……僕は、フロイラさんに感謝してますよ?」
味のしないペーストされた豆を口に含む。
不味くはないが……いや、ちょっと不味いな。
微妙に色味が白いのはチーズでも入っているのだろうか……なんて、現実逃避した。
そんな僕を他所に、フロイラさんが眉尻を揉んだ。
「まぁ、いい。鍛錬が少し苛烈なのは自覚しているからな」
なんだ、自覚は……え?
……少し、だって?
全然、少しじゃないと思うけど。
豆のペーストを食べ終えて、真っ白な鶏肉を口に含む。
仄かに塩味がする。
「それで、ユーリ。話は変わるが……訊きたい事があるんだが」
「……訊きたい事、ですか?」
「あぁ。エルシーと何かあったか?」
「……何かって、何がですか?」
僕は首を傾げる。
特に何もない筈だ……強いて言うなら、三日前の任務の後、彼女が熱を出していた事ぐらいだ。
濡れた身体をそのままにしていたから、体調を崩したらしいけど……翌日には熱も引いていた。
「ふむ……そうだな。昨日、偶然、エルシーと教会の外で会った……というか、見たんだが──
フロイラさんが腕を組んで、目を瞑った。
何かを思い出すような素振りをしている。
「エルシーが下着を買っていてな」
「ぇ、ごほっ!?」
鶏肉が気管に入って咽せた。
「どうした」
「ど、どうしたも、こうしたも……し、下着、ぐらい普通に買うんじゃないですか……?」
脳裏に思い出されるのは……先日、見てしまった下着姿のエルシーだ。
思わず頭を振って、気を紛らわせる。
「まぁ、待て。最後まで聞け。普段、アイツの下着は普段、地味なんだが……」
しかし、またフロイラさんの発言で脳裏に先日の光景が思い出される。
白い、無地の布……を思い出して、内心、エルシーに謝罪する。
僕は罪悪感を感じながら、フロイラさんに視線を向ける。
「そ、それがどうしたんですか?僕に関係なくないですか?」
「関係ある」
「え、えぇ……?」
フロイラさんの言葉に、僕は困惑する。
そんな僕を無視して、彼女は無理矢理会話を進めた。
「昨日、エルシーは普段買わない、派手な下着を買っていた」
「は、派手?」
また脳裏に光景が過ぎる。
派手な、下着を着たエルシー。
派手な下着って?
いや、派手って言うからには──
「気になるか?」
「い、いえ──
「黒色のレース生地だったぞ」
黒い、レース生地の下着を着た、エルシーを──
ごんっ。
僕は頭を机にぶつけた。
「どうした」
「……いえ、自分を戒めてました」
首を傾げるフロイラさんに内心、悪態を吐く。
まったく、この人は……デリカシーがないというか、何というか……愉快犯的な思考があるに違いない。
気まずさを紛らわせる為に、僕は口を開いた。
「それで……エルシーが、その、派手な……のを買ったとして、僕に何の関係があるんですか?」
僕の問いに、フロイラさんが指を立てた。
「下着なんて拘っても、人に見せる事なんて殆どない。自身の調子を高めるために、拘る女もいるが……エルシーはそういった奴ではないだろう?」
「……ま、まぁ、そうです……かね?」
エルシーはお洒落にあまり興味がない。
服は性能重視で、いつも教会支給の修道服を着てるし。
私服姿なんて、中々見ない。
「そうだろう。もう何年も地味な下着を着ていた訳だからな」
「はぁ……?」
そんな情報を与えられても、どんな顔をすれば良いのか分からない。
「だとしたら、何故、急にそんな趣向の下着を買ったと思う?」
「そんなの、僕が……知る訳ないじゃないですか」
あまりにも下世話過ぎる話題に、顔を顰める。
エルシーがどんな、し、下着を買おうとも?
僕には関係ないし?
そもそも!
変な勘繰りはエルシーに失礼だ!
僕の顰めっ面を無視して、フロイラさんは口を開いた。
「ずばり、誰かに見せる為だ。勝負下着という奴だな」
「……え?」
無視しようと思っていたのに、思わず上擦った声を出してしまった。
誰かに見せる、ため?
つまり、エルシーには下着を見せるような仲の人がいる、ということになる。
そして、下着を見せるような相手とはつまり……恋人?
エルシーに、僕の知らない彼氏が──
「もしくは、見られた時の保険、かもしれん」
「……さっきと何の違いがあるんですか?」
「『見せる』と『見られた』は全然違うだろう」
僕は首を傾げる。
……後者の場合、エルシーの想定外で見られた時、という事だろうか?
「で、それと僕に何の関係が──
「どちらにせよ、異性を意識し始めている……という事だ」
「エルシーが……?」
エルシーに好きな異性がいる、という事か。
恋人じゃなかったとしても、万が一、下着を見られた際のために……新調したのか?
いや、そもそも恋人がいるかも……しれないし。
だってエルシーって、可愛いし。
優しいし。
恋人がいたっておかしくない。
だけど──
あぁ、全く……自分が嫌になる。
フロイラさんの事を悪く言えない。
僕も気になって仕方ないのだから。
「……どうした?何を落ち込んでいる?」
「……いえ、何も」
自己嫌悪が胸を占める。
何だか、凄く……息苦しい感じだ。
「まぁ……兎も角、そういう話だからこそ、お前とアイツの間に何かあったか聞いているんだ」
「……そこで何で、僕とエルシーの間になるんですか?」
そう訊くと、フロイラさんが目を瞬いた。
呆れたような驚いた顔。
先程までの愉快そうな表情ではなかった。
「……察しろとは言わんが、鈍感過ぎるな。経験が少な過ぎるのか?」
そうして彼女は目を細めて、ボソボソと独り言を口にした。
僕は腕を組んで、首を傾げる。
先程の情報をまとめて……フロイラさんが何を言いたかったか。
……ようやく、理解した。
「もしかして、エルシーが僕を意識してる……って言いたいんですか?」
「そうだが?」
「……はぁ、そんな訳ないじゃないですか」
フロイラさんは頼れる先輩
だけど、こういう悪癖がある。
所謂、恋愛脳って奴で……こういう変な勘違いを、自信満々に話してくるのだ。
「いや、間違いない……私には分かる。最近のエルシーの素振りを見ていると分かるんだ」
「……いや、そんな事は──
「どうして否定する。嬉しくないのか?」
「それは……本当にエルシーに好かれてるなら、僕だって嬉しいですけど。でも、エルシーはきっと僕のことを男だと思ってませんよ」
腕を組んで、僕は情けない言葉と共にため息を吐く。
この間も、僕に平気な顔で下着を見せて来たし……全く、僕のことを意識していない証拠だと思う。
「しかし、エルシーからお前に対する態度は他と違うだろう」
「……それは
「ふむ……そうか?」
僕の言葉にフロイラさんが腕を組んで目を瞑った。
一旦は納得してくれたのだろうか?
しかし、僕の内心は虚しい。
「……あの……言ってて辛くなって来たんで……この話、やめませんか……?」
「……まぁ、お前がそう思うなら、それでもいいが」
「何でそんな含みを持たせるんですか……まったく」
僕は誤魔化すように、味気のない食事を口にかき込む。
そんな僕の様子を見て、フロイラさんは何か考えるような仕草をしていた。
きっと碌な事ではないだろうけど。
◇◆◇
その後、3時間ほど鍛錬して解散した。
フロイラさんが任務で外出しなければならないからだ。
フロイラさんは現在、
個人で任務を受けている訳ではなく、『下位』や『中位』の
まぁ、そんな訳で救援要請が協会に届いたので、夜までに現場へ向かわなくてはならなくなったのだ。
今日だけが特別……という訳ではなく、フロイラさんは結構な頻度で救援要請を受けている。
……なんでも、任務で死んでしまう
そんな忙しい合間に、僕の鍛錬に付き合ってくれているのだから……彼女には頭が上がらない。
あまり鍛錬し過ぎても身体を痛めるからと、訓練を切り上げた僕は修練場の側にある水浴び場で水を浴びた。
井戸から引いている水ではなく、教会内にいる『聖人』が毎日、水の出る『
『聖人』の扱う『
沢山使えば精神的に疲れるらしいけど、基本的には無尽蔵に扱える。
だからこうして、毎日、大量の水を生み出しているそうだ。
「…………」
水を浴びて、汗を流しながら……僕は思案する。
エルシーの事だ。
エルシーも『
しかし、この『水を生み出す奇跡』とは違って、代償を伴う『
以前話してくれた時は『身体が痛む代わりに、凄い力を得られる奇跡』と言っていた。
しかし、それは嘘だと確信している。
そんな軽い代償なら、エルシーは無際限に『
彼女はそういう人間だ。
優しくて、自己を犠牲にする事に躊躇いがない。
だから、もっと違う……『何か』。
彼女が気軽に扱えない程の『重い代償』があると考えていい。
だから、彼女に『
『悪魔』には危なげなく勝たなければならないし、深傷を負ってはいけない。
もし、そうなってしまったら、彼女は躊躇いなく『
「……もっと、強くならないと」
……だから、僕は僕自身も守れるようにならなければならない。
傷付いても守る……とか、捨て身になれば勝てる……なんて、そんなんじゃ足りないんだ。
僕が傷付けば、エルシーは何か『重い代償』を払ってしまうからだ。
「……はぁ」
水滴が落ちた。
僕は頭を振って、吸水性のいい布で頭を拭いた。
『聖人』の人が幾らでも水を出せるとは言え、無駄遣いはできない。
身体を拭いて、鍛錬前とは違う替えの修道服に着替えた。
鍛錬で火照っていた体も水で冷えて、落ち着きを取り戻している。
このまま何をしようか……書庫から本でも借りて、勉強をしようかな。
なんて考えながら、教会内を歩いていると……。
「……あれ?」
見覚えのある人影が廊下で、腕を組んで壁にもたれかかっていた。
そして、僕を見つけて眉尻を上げた。
「遅いんですけど」
「……エルシー?どうしてここに?」
それは、先程まで考えていた相手だった。
「は?アンタが呼び出したんでしょ?」
「え?そんな、呼び出した覚えはないけど……」
「はぁ?」
エルシーの眉間に皺が寄り、僕は視線を逸らす。
いや、だって身に覚えはないし。
本当に、覚えは……まさか。
「……もしかして、フロイラさんから?」
「そうですけど?書庫で本を漁ってたら、ユーリが呼んでるから、ここに行けって……」
点と点が繋がる。
それはエルシーも同時だった。
「「……まさか」」
つまり、要らぬお節介だ。
内心でフロイラさんに悪態を吐く。
口には出さないけれど……内心でなら許されるだろう。
「……ったく。あの色ボケバカったら……」
エルシーは口に出したみたいだけど。
……フロイラさんがエルシーの下着の話をしていた件については、言わないでおこう。
更に怒りそうだ。
「ごめんね、エルシー」
「……なんでアンタが謝んのよ、もう」
僕の謝罪にエルシーは腕を組んで、首を振って口を開いた。
「で?」
「で、って?」
僕が聞き返すと、エルシーがまた表情を険しくさせた。
「ここで私を待たせてた癖に、その場で何もなしで解散させるつもり……?」
「あっ、そうだよね……?どうしよう?」
「どうすんの?」
僕は手を首の裏に当てて、悩む。
多分エルシーとしては、フロイラさんのお節介に乗るのは癪だけど……それでも、僕を待ったのに何の対価もなしってのはもっと嫌だったのだろう。
僕は少し悩んで、口を開いた。
「じゃあ……晩御飯、どこかに食べに行く?」
窓の外は茜色だ。
今から教会の外、街に行けば丁度、夕飯時だろう。
ほんの少し、エルシーの表情が柔らかくなった。
「……まぁ、いいけど──
「僕の奢りで良いからさ」
ダメ押しに僕がそう言うと……あれ?
エルシーの表情がまた、険しくなった。
「は?なんでユーリが奢るワケ?意味分かんないんですけど?」
「え、だって……待たせちゃったし──
なんて口にした瞬間、エルシーが僕の頬に手を伸ばした。
そして、両頬を摘んで引っ張った。
「ひゃ?ふぁ、えぅひー?」
痛くはないけど、喋りづらい。
「罪悪感が理由で、私を食事に誘おうとしてんの?」
そう言われて、僕は首を横に振った。
確かに、さっきの言葉だと……お詫びをしたいから食事に誘ってるように聞こえるだろう。
エルシーの手を掴んで、頬から離させる。
「ち、違うよ。ただ、一緒に食事をしたいから誘ってるだけだよ」
そう口にしながら、エルシーに視線を戻した。
……エルシーは何故か、顔を赤くして目を逸らしていた。
「…………」
「……え、エルシー?」
「手……」
「手?」
エルシーは僕の顔と……僕が握ってる彼女の手を交互に見た。
「……いつまで握ってるつもり?」
「あ、ごっ、ごめん……!」
慌てて僕は手を離す。
すると、エルシーが数歩後退して僕を睨んだ。
物理的に距離が開いたけど、それと同時に心の距離も開いた気がした。
女性の手を無理矢理握るなんて……。
心の内に後悔と反省が渦巻く。
そんな中、エルシーが鼻を鳴らす。
「……まぁ、分かれば良いんですけど」
そして視線を逸らされた。
「……ごめん、エルシー」
「別に?謝って欲しい訳じゃないし」
まだ、視線は合わせてくれない。
怒っているのか、心なしか顔も赤かった。
◇◆◇
結局、その後。
何とかエルシーを宥めて、教会の外へ出た。
予定は未定だけど、取り敢えず……という訳だ。
そうして外の空気を吸えば、少しは機嫌も良くなったようだ。
しかし、周りの人は少し僕達を避けている。
僕もエルシーも教会支給の
でも、怖がってるってよりは、邪魔をしないように……って感じだ。
ここは聖地レイライン、その教会を囲うように出来た街。
聖葬教の信者の割合が多い。
信者からすれば、
僕にはあんまり、よくわからない気持ちだけど。
「ユーリ、鍛錬はいつからしてたの?」
「え?あ、えーと、朝の9時からだよ」
急に話しかけられて、慌てて返答する。
すると、エルシーは少し表情を険しくした。
「今日、休日って言ったのに。そんなに鍛錬が好きなの?」
「好き……ってよりは、うーん?どうだろう……こう、動いてないと不安になる感じというか」
「……あっそ。休みの日にちゃんと休めるよう、趣味ぐらい持った方がいいと思うけど」
エルシーが僕の顔を見て、少し呆れたような顔をした。
しかし、僕はその表情に少し反感を持った。
「エルシーこそ、今日は何してた?」
「……朝は依頼の確認。昼前は書庫で読書してたけど」
今日はエルシーが僕に「休日」と言ったのに。
なのに、エルシーは任務の張り出し確認をしていたらしい。
それに読書だって──
「書庫では、何を読んでたの?」
「……別に何だって良いでしょ」
ほら、僕に言えないような書物だ。
きっと休みの日に読むような本じゃない、小難しい本だ。
……エルシーだって、僕のこと言えないじゃないか。
「……何?文句でもあるの?」
内心を見透かすように、エルシーが片眉を上げた。
「な、なにも?」
「……ふん」
肝を冷やして、胸を撫で下ろした。
……昔はもっと、一挙一動、気を使っていたけれど。
こうして気安く話せるようになったのは、僕達の信頼関係が深まったからだと思いたい。
彼女も、さっきより気分が良さそうだし。
「……あ」
ふと、視線にガラス張りの店が映った。
そこは……下着屋だ。
女性向けの下着が、ガラスの向こうに飾られている。
黒い、レースの──
「……ユーリ?」
「え?あ、何かな?」
慌てて視線をエルシーに戻す。
不審がられないように。
しかし、少し遅かったようで……エルシーは先ほどまで僕が視線を向けていた店に、視線を移した。
「……ユーリ、ああいう下着が好きなの?」
「えっ!?」
僕は心臓が飛び出そうになった。
エルシーが買ったという、黒いレースの下着……それが好きか、どうかなんて──
「ぷっ、冗談なんですけど。流石に女性用の下着は付けないでしょ」
「そ、そうだよ。もう、酷いなぁ……あはは」
心臓が止まるかと思った。
そういう意味の『好き』ね。
しかして……。
「はは……」
目の前で愉快そうに笑うエルシーを見る。
ああいう、黒いレースの下着を買ったって……なんて、あぁ、まったく、僕は何を考えてるんだ?
自身の手の甲を抓った。
痛かった。
エルシーの横を歩く。
……しかし、昼間、フロイラさんが言っていた事を思い出す。
エルシーに気になる異性が……なんて、話を。
また心がモヤモヤする。
エルシーが誰かの事を好きになったって、僕に不利益はない。
寧ろ、喜ぶべきなんだ。
自分の価値を軽んじている彼女が、誰かを好きになって……幸せになれるのなら。
……それは良いことなんだ。
なのに、どうしてこうも……喜べないのだろう。
僕は──
「……ユーリ?」
声を掛けられて、現実に意識を戻した。
「……ごめん、少し考え事してたんだ」
「……私の前で考え事?随分と偉くなったんですけど」
「……う、ごめんよ」
僕が後頭部を掻いて誤魔化すと、エルシーは少し真剣な表情を浮かべた。
「悩みでもあるの?」
「え?あー……どうかな?」
これを悩みと言っていいのか、そもそもエルシーに悟られていいのか。
分からない。
だから誤魔化した。
「何かあったら言いなさいよ」
しかし、エルシーはそう言いきった。
至極、真面目な表情で、僕を心配してくれた。
……それが嬉しくて、少し恥ずかしくて、
そして、こんな事で悩んでる自分がバカらしくて。
少し躊躇いながら、僕は口を開いた。
「……エルシーはさ。その……好きな人って、いる?」
口出した瞬間、後悔した。
どうして言ってしまったのかと……心臓が早鐘のように鳴った。
「はぁ?」
「あ、えっと、ちょっとした恋愛相談って言うか、その……」
威圧的な彼女の声に、僕は視線を泳がせた。
う、うう、言わなきゃ良かった。
エルシーが呆れたように苦笑する。
「何でユーリにそんな事を言わなきゃなんないの?」
「……ごめん」
不機嫌そうなエルシーに頭を下げる。
すると彼女はため息を吐いた。
頭を下げている僕にも聞こえるように、大きなため息を。
「……で?ユーリにはいるの?」
「え?」
「さっき恋愛相談って言ったでしょ?好きな人、いるの?」
いらない事を喋ってしまったようだ。
「……え、えっと」
「どうなの?」
問い詰めるような仕草に、僕は一歩引く。
普段のような揶揄うような表情ではなく、真剣な表情だった。
誤魔化しても意味がないような気がして、白状する。
「い、いるよ……」
「……あっそ」
重石のように躊躇いながら口にした言葉に、エルシーは……あれ?どんな表情だ、これ?
嬉しそうな、嫌そうな、なんだか、よく分からない表情。
思わず、目を瞬く。
「その、エルシー?」
「……好きな人が出来たって?良かったわ」
そう、揶揄う訳でもなく、エルシーはそう言った。
僕は思わず何かが喉に詰まったような気がした。
彼女に想いが気付かれなかった嬉しさよりも、彼女がそんな表情を浮かべた理由が気になった。
「……で?誰なの?私が知ってるヤツ?フロイラとか?」
そう口にする彼女には先程までの切迫した空気はなかった。
どこか弛緩した、諦めたような……そんな、感情。
僕は、誤魔化そうと──
違う。
そうじゃない。
今は、きっと……心の底から、ちゃんと答えるべきだ。
「僕が好きなのは──
「好きなのは?」
迷う。
この先の言葉を口にする事によって、今の関係が破綻するかも知れない恐怖。
臆病な僕の心に渦巻く、好意と不安の狭間。
だから──
「え、エルシー……だったり、とか?」
こうして、情けない予防線を張った解答をしてしまった。
本当に、情けない。
僕の言葉にエルシーは……眉を、顰めた。
そして、笑った。
「ふふ、釣り合う訳ないんですけど。ユーリなんかと私が」
笑われてしまった。
僕は内心がめちゃくちゃに傷付いて、もう泣きそうだったけど……何とか、堪えて、口を開く。
「じょ、冗談だよ……はは、そうだよね」
己の傷を隠すように、そう口にした。
あぁ、本当に、全く……今すぐ、この場から逃げ出したいぐらいだ。
そんな僕へエルシーは顔を逸らして、ため息を吐いた。
「ま、今のは聞かなかった事にしてあげる」
「……そうしてくれると、助かるよ」
僕は何とか言葉を振り絞る。
すると彼女は視線を僕へ戻した。
「……私とユーリじゃ釣り合わないから、他に誰か、好きな人をちゃんと作りなさいよ」
「……え?」
僕がエルシーの言葉に疑問を抱いた時には、もう既に彼女は僕の前を歩いていた。
その表情を伺う事は出来なかった。