望郷漂流客船イナバマル 祝福された後継   作:qlo

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※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。

※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。

以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。





借屍還魂(弍)【二】

 

 

◆◇

 

 

 

 夜が明けて、朝が来た。

 

「────…………」

 

 それはきっと、当たり前に起こること。昨日の続きに今日があって、今日の向こうに明日がある。『おやすみ』を言ったなら、次は『おはよう』を言う番だ。

 

 ……でも。

 

「……ここは、どこ?」

 

 当たり前に来た朝なのに。今日の世界は、昨日とぜんぜん違っていた。

 

「宿のベッドで寝てたのに、なんで野外にいるんだろう?」

 

 おかしな話。いつもどおりに目が覚めたのに、迎えた朝が違うなんて。

 

「どうしよう。早く戻らないと。チェックアウトの準備がまだ……」

 

 まったくもって予想外。ついでに言うと予定外。でも、こんなの誰だってそう思うでしょう? 少なくとも、私はそうだった。当たり前に来るはずの今日が、当たり前には来なかったんだから。

 

「街に戻るにしても、方向が判らない。どっちに行けば……」

 

 それからはしばらく、いつもどおりを探して歩き回った。そうしているうちに──

 

「──困ったなあ……」

 

 ──自分の置かれた現状が、取り返しのつかないものなんだと理解した。

 

「────…………」

 

 それから何日が経っただろう。

 

「……もう、戻れないのかな……」

 

 走っては歩いて、歩いては休んで。

 

「……さすがに、疲れてきちゃった」

 

 焦る気力も、泣く体力もなくなって。

 

「……ふう。今夜はもう、ここで休もうかな」

 

 非日常が一周して、新しい当たり前になりつつあった頃。

 

「──あれ。誰かいる……?」

 

 人気の無い森の中で、久しく『誰か』に遭遇した。

 

「(──よかった……!)」

 

 期待が湧き起こる。現地の住民さんなら、ここが何処か訊ねられるかもしれない。あるいは自分と同じ遭難者、という線もあるけれど……この時はそれ以上に、彷徨うばかりの毎日に訪れた、些細ながらも大きな『違い』が──たまらなく嬉しかった。

 

 の、だけれど。

 

「(──え?)」

 

 よろよろと身を起こしたものの、踏み出そうとした足が止まる。なぜなら、眼に映ったその姿は──想像だにしないものだったから。

 

「(……こんな夜更けに……森で、()()?)」

 

 そこには、仮装の類でなければ何なのかというほどに──およそ見慣れない風貌をした、常ならざる『何ものか』が立っていた。……(らち)のあかない日々に(へき)(えき)し、ようやく訪れた『違い』に喜びはしたけれど、これはいくらなんでも違いすぎる。疲れのあまり、いよいよ幻覚でも見始めたのだろうか。

 

 ──すると。

 

「……はぁ〜あ。どうしたものかなあ」

 

 ……聞き間違いじゃあない。つまりこれは、見間違いでも幻覚でもない。目の前の『何ものか』は、現にああしてそこに居る。頭の無事が確かめられたのは喜ばしいけれど、これが現実だという事を受け容れるのは困難だった。

 

「……うーん。目ぼしい場所に来たのはいいが、てんで見つかる気がしない。いったい何処にあるというんだか」

 

 様子を窺う只中に、次いで耳に届く独り言。さっきと違って、この事態に少しは慣れてきたのか──今度の音声は耳を素通りすることなく、意味を持つ言葉として受容できたらしい。どうやら()は、何かを探している最中のようだ。

 

「(────…………)」

 

 頭によぎったのは、突飛な思考。……今思うとこれは、遭難における不安と孤独、自暴自棄にあてられたがゆえの発想だったのかもしれない。それでも……いや。だからこそ、当時の私は──

 

「……あ、あの……」

 

 ──見て見ぬ振りをすることは、できなかった。

 

「……もしかして、何かお困りでいらっしゃいますか?」

 

 

 

◆◆

 

 

 

 気が付けば、食卓を囲んでいた。

 

「さあ、食べた食べた!」

 

 ランプの黄色い光が照らす、煉瓦(レンガ)造りの硬い壁。そんな一室に響くのは、さっきの森で出会った()()()()()と──

 

「たくさん作ったから、遠慮しなくていいわよ〜。おかわりも言ってちょうだいね!」

 

 ──その()()が発した、私に対するもてなしの言葉。

 

「あ、ありがとうございます。いただきます!」

 

 現実味のない状況とは裏腹に、美味しそうなご馳走が目の前に。おじいさんと一緒に見つけた()()()の料理、テーブルいっぱいのフルコース。空腹で倒れかけていた私にとってそれは、抗い難く、有り難いご厚意だった。

 

「いやあ、さっきは助かったよ()()()()! おかげで手ぶらで帰らずに、そんでもってどやされずに済んだんだからな!」

「何が『どやされずに』ですか! そうはいきませんよ。威勢良く家を飛び出したかと思えば、()()様のご厄介になるなんて。ちゃんと反省なさいな!」

 

 目元に皺を寄せ、がははと笑うおじいさん。彼の様子とは対照的に、眉間に皺を寄せて奥方が詰め寄った。

 

 ふたりの容姿だけを見れば、夫婦というよりも親子のようだった。小柄ながらも貫禄のあるおじいさんに対し、奥方は二十代後半といった風貌である。

 

「まったく。いくら燃料が足りなくなったからって、棚ごと炉に焚べる事がありますか! それもせっかく私の集めておいた、天然食材が入ったたままで!」

「ちゃんとモノが見つかったんだからお咎めなしだろう! それもこんなに沢山! 間違えた事は謝るからよう。というかな、薪棚の空いた段に置いてるとは気づけんだろうよ!」

 

 料理を口に運びながら、口論を繰り広げるふたりを見やる。傍目からは親子喧嘩に見えてしまう光景だけれど、実際はまごう事なき夫婦喧嘩のそれだった。縦の関係でもなく、横の関係でもない、互いを対等と認め合える仲ゆえのぶつかり合い。……他人のものではあるけれど、久しく目にする『日常』らしい光景が、私の心を軽くした。

 

「咎めもします! 今夜は久々に、天然モノづくしの料理をと楽しみにしていたんです。()()()()では味わえない良さがある事は、あんたも承知の話でしょう! あと普通、まさか棚ごと放り込むとは思いませんよ!」

 

 テーブルに並べられた料理を見やる。どれも奥方の手作りによるもので、パッと見ただけでも、本人の拘りようが感じられるほどに見事な出来栄えだ。焼きもの、煮もの、サラダにスープ。味付けもそれぞれが独特で、とてもキノコ一品から生まれたレパートリーとは思えない。

 

「(……ふふ。お料理のこと、大好きなんだね)」

 

 この様子を見る限り、手料理に相当な熱をかけている御仁なんだろう。なるほど『作りモノ』……つまりは出来合いの品、の事だろうか。そういった手段で済ませたくはないはずだ。久々の機会とくればなおのこと、奥方の気持ちがわかるような気がした。

 

「くっ。そこを言われるとぐうの音も出ない! パッと拵えたモノには無い、この手でイチから鍛えた代物に湧く愛着の味は、身に染みて実感した話だとも。何しろおまえが教えてくれた事だからな。……というか、今夜の飯の予定とか聞いてないぞ。そうならそうと釘を刺しといてくれたら……」

「(──?)」

 

 ……なんだろう。さっきの奥方の言葉もそうだけれど、少し違和感を覚えてしまう。ふたりの言う『作りモノ』や『パッと拵えたモノ』という言葉はどこか、『出来合いのモノ』とは違った『何か』の事に聞こえるような──

 

「言いました! 後ろから大声で! 聞く耳も持たず工房に篭っていたのは誰ですか!」

「ああ、あの時か! そりゃ悪かった。聞こえちゃいたはずなんだぜ? まだまだ耳も眼も現役よ。しかし……情けねえこったなぁ。こちとら元々必要がないモンだからって、おまえの楽しみを聞き流しちまうとは。そいつはダメな事だ。いやあ、やっぱり森に出て正解だった!」

「それはそれ、これはこれよ! ()()()食事が必要ですが、天然モノに拘るのは二の次です。……極端な話、それこそ作りモノで代用すれば間に合う事だったのに」

 

 ──やっぱり、そうだ。当たり前のように話しているものだから、つい私にとっても自然な事みたく聞いていたけれど……どうやらふたりは今、私の知らない『何か』のことを話していたらしい。

 

 それだけじゃあない。アツアツのスープにも負けないほど白熱する夫婦喧嘩の只中に、それ以外にも気になる言葉がたくさんあった気がするのだけれど……。

 

「……あの。『作りモノで間に合う』、って……?」

 

 と。訊ねるべき事柄も、言葉の選び方もわからないまま、私は知らず口に出していた。

 

「──やだ、ごめんなさい。一緒になって探してくれたあなたに聞かせるような話じゃなかったわね」

「い、いえ! そんなつもりでは」

 

 思いがけず奥方に頭を下げさせてしまい、咄嗟に言葉を引っ込める。こちらにとっては質問のつもりが、彼女には詰問として聞こえてしまったらしい。

 

「……だから、今夜はもういいと言ったんです。なのにこのひとったら、これまた聞く耳も持たないで……咎める事があるとすれば、そっちの方がよっぽどよ」

 

 奥方は姿勢を正しつつ、申し訳なさそうに言葉を次ぐ。すると、

 

「いいや。こればっかりは看過できん」

 

 どん、と。鉄製のジョッキをテーブルに置いたおじいさんが、語気を強めてこう言った。

 

「何かをやりたいと思ったなら、それはキッチリやらにゃいかん。替えの効かんモノ、本人が拘るモノならより一層だ。またぞろ俺の性根がどうだとか、()()()()()()()から出る言葉だとか云うかもしれんが、そんな事は関係ない。おまえが何と思おうが、『やりたい事』を諦めようとした様子を、見過ごすわけにはいかなんだ」

「……あんた……」

 

 そうしてしばらく、互いの眼を見つめ合い、無言のまま語らうふたり。

 

「……ねえ──」

 

 すると。どういうわけか、奥方は(いぶか)しげに眼を細め、おじいさんの居るほうに身を乗り出して──こんな言葉を繰り出した。

 

「──それ、やらかした張本人が言う事なの?」

「ぎゃあ! それを言っちゃあ台無しだろう!」

 

 ──ぷ。

 

「ん?」

「あら」

 

 ……あっ、やっちゃった。可笑しくてつい、声が漏れ出して──

 

「──あっはっはっは!」

「──ふっ。あっははは!」

 

 ──しまった、と思った矢先。ふたりは肩を震わせて、底抜けの笑い声を響かせた。

 

「──ふ。ふふふ!」

 

 そんなふたりの笑顔につられたのか。今度は私も遠慮なく、笑いの輪に加わっていた。

 

「──はぁ〜あ、おっかしい。いつもどおりのくだらない口喧嘩なのに、第三者の目があるとこんなに恥ずかしい事に思えるなんて。他者様から見た私たちって、きっと相当バカなふたりよ、あんた!」

「──はっはっは! 違いない。こうしているのが当たり前の事すぎて、よそから見える自分達なんぞ考えもせんかった。いやあ、毎日毎日飽きもせず、何を言い合っているんだかなあ!」

 

 赤くなった顔をぱたぱたと手で扇ぎ、自分達のやり取りを振り返るふたり。その様子を眺めるうちに──疲労で強張りきっていたはずの表情が、すっかり和らいでいる自分に気づく。

 

「──いいえ。こんなふうに笑い合えるなんて、素敵なご関係だと思います!」

 

 ……余所者の私にも伝わってくる。このふたりは自然体のまま、深いところで通じ合っているのだ。拘りの強い者同士、喧嘩の絶えない毎日でも。そんな日常を今日も喜び、明日も共に居たいと願う──私が過ごした世界と変わらない、尊くもありふれた光景が此処に在る。

 

「ちょっと、やめてやめて! 余計に恥ずかしくなっちゃうじゃない!」

「すごいなお嬢さん。まじないでも込めたのか? あんたの言葉ひとつでこの有様。こいつがこんなに慌てるところ、俺でも久しく見てないぞ!」

「調子に乗んじゃないわよ、このボクネンジン!」

「何だソレ、食いモノ? やめろ痛い、どつくな!」

 

 どこかズレているおじいさんと、そのズレにややご立腹な奥方。夫婦(めおと)漫才とはこの事か。しばらく治まりそうにないご様子なので、私は壁にでもなって見ておこう。

 

「──ふう、笑った笑った。ごっそさん! ようし、俺は工房に戻る。あとはゆっくりしていってくれ、お嬢さん!」

「はい。お言葉に甘えます!」

 

 と、そうこうして過ごしていると──あんなにたくさん喋りながらも、大盛りの手料理もしっかりと食べていたらしい。残さず平らげた食器を置いて、おじいさんが席を立つ。

 

「あら。戻るってあんた、こないだまでの仕事は休止になった、とか言ってなかった?」

「おう。予算の出る部品作りは取りやめになったが、設計図を進める分にはタダだからな。いつ再開するともわからんし、案出しぐらいはやっておくさ。それにこの一件は、俺にとっちゃもう趣味みたいなモンになっちまった。……あとまあ、急ぎ作らにゃならん品も頭に浮かんだ事だ。『鉄は熱いうちに打て』ってな!」

 

 どうやら、おじいさんもお忙しい身のようだ。会話を聞く限り、平生取り組んでいるお仕事があるらしい。

 

「ちょっと、今から炉を(おこ)すってんじゃないでしょうね。まさか鍛造を?」

「応ともよ! なに、そう時間はかからんさ。製図の片手間で済む事だ。仕事ってのはな、やりたいときにやるのが一番捗るモンなのさ!」

 

 奥方はお灸を据えるように、おじいさんの背中に声をかける。確かにもう、時間が時間だ。こんな夜更けに鍛造なんて始めれば、眠りに就いたであろう近隣宅まで音が響いてしまう。ご近所づきあいがあるのだとすれば、奥方の心配はご(もっと)もだった。が──おじいさんの姿はすでに、扉の向こうに消えていた。

 

「行っちゃったわ。……もう。こうなったら聞かないのよねぇ」

 

 先の会話からも窺えた事ではあったけれど、おじいさんは相当に仕事熱心な御仁らしい。それにしても、遅めの夕飯後にお仕事とは恐れ入る。お年を召しておいでなのに、眠くなったりしないんだろうか。

 

「勝手なひとでごめんなさいね。音が立ってご近所の迷惑になりそうなら、その時は問答無用で止めに行くわ。あなたにもゆっくり休んでもらいたいしね」

 

 と。生活感溢れる執行猶予を宣言しつつ、私に労いの言葉をかける奥方。彼女も彼女で、日中は家事に熱を入れていたことだろう。先のひと騒動もあってのことか、その表情は穏やかながらも、仄かに疲労感を滲ませていた。

 

「あ。あなた、お水が空っぽ。丁度いいわ。食事も済んだことだし、果実水でも淹れましょうか。甘いもの、摂れてないでしょ?」

 

 ふたりきりになった食卓。私が最後の一口を平らげた事を見計らい、台所へと席を外す奥方。見ず知らずの私に対し、この気の利かせようには舌を巻く。仕事熱心は夫婦共通のものらしい。

 

「おまたせ! どうぞ〜」

「わあ、ありがとうございます!」

 

 差し出されたのは、薄橙色の果実水。わざわざ温めてくれたらしく、柔らかな湯気が踊っている。鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香りは、即座に別腹をこじ開けた。

 

「いい食べっぷりだったわ〜。細身のあなたには多くないかと心配だったけど、その様子じゃ大盛りでもよかったかな。あ、ソレ。あの人には秘密でね!」

「はい、本当に、ご馳走様でした。なんとお礼を言ったらいいか──って、ええ!」

 

 しーっ、と指を口元に当て、扉のほうを振り向き笑う奥方。……なんだか悪い事をしている気分になるものの、手中の甘味は惜しすぎる。おじいさんには申し訳ないけれど、彼女のイタズラに乗ってしまおう。

 

「じゃ。秘密ついでに女ふたり──ナイショのお話、しちゃおっか」

 

 すると。奥方はあくまで落ち着いた声色で、私の眼を見てこう言った。

 

「──あなた、この国の人間じゃないのよね?」

 

 ────────。

 

「(…………どう、しよう…………)」

 

 言葉が詰まる。正直、分からなかった。自分の置かれた状況が『取り返しのつかないもの』らしいという、おおよその理解には及んでいたけれど、その確証までは持てていなかった。此処が本当に、別の世界なのか。……いや、それ以上に──

 

「…………はい。多分、そういうことになるんだと……思います」

 

 ──此処が仮に、別の世界だったとして。私の素性を、この世界の住人に明かした場合に生じるであろう、影響の程が……まったくもって、分からなかった。

 

「……その。黙っていて、ごめんなさい」

 

 分からないので、謝った。ご馳走まで(あやか)りながら、図々しくも黙っていた事を。曖昧にしか答えられない自分の非礼を。何より……そんな自分を心から(もてな)してくれた夫婦にとって、自分という存在と関わった事により──ふたりにどんなご迷惑が掛かる可能性があるのかも、分からずにいる事を。

 

 ……普通に考えれば──というか、どう考えようと紛れもなく、私の立場は『密入国者』のようなものであるはずだ。それ自体はどうしようもない事だから、別にいい。ただ、この夫婦にとっては話が変わる。そんな人間を擁したと知られれば、ふたりはどうなる? この世界における法律により、何らかの罰則を受けてしまう可能性がありはしないか。この時はただ、その可能性を考える事が恐ろしかった。

 

 けれど──

 

「待って待って、謝らないで! こっちこそごめんなさい。……そっか。あなたにとって今のは少し、訊ね事にしては直球すぎたみたいね。これはほんの気軽な、身の上話を振ったつもりだったのよ」

 

 ──当の彼女は、それがなんでもない事のように。この家に招いた瞬間から、今までずっと。私という存在を、ただ『客人』として扱ってくれたのだ。

 

「だから安心して。──あ。ほら、温かいうちに飲んでちょうだい。冷めると味が変わるから」

「──あ。は、はい!」

「ふふ。冷めるにしてもキンキンだったら美味しいんだけど、ぬるいと不味くなっちゃうの。料理じゃよくある話だけど、思えばこれって不思議よねぇ」

 

 お気遣いに促されるまま、遠慮しかけた手を伸ばす。

 

「(…………────)」

 

 ……温かい。

 

「……ほんとだ。美味しい」

 

 お腹に流れる温もりと、両掌に伝わる熱を直に感じる。それらの質感はまるで、奥方が余人にもたらす、暖かな人当たりそのもののようだった。

 

「そ。お口に合ってよかったわ」

 

 奥方も私に続き、お揃いの飲み物に口をつける。ふわりと微笑む様子を目にした頃には、先の懸念による緊張もほぐれつつあった。

 

「──あの。今のお話……私が『()()』だって、やっぱり判るものなのでしょうか?」

 

 しかし。それでも先の懸念は、この世界に身を置くうえで無視できない事柄だ。その事実に向き合うために、意を決して問いかける。

 

「判るわよ。兵士ならともかく、こんな時間に森を出歩く人間は居ないもの。それも数日間ずっとだなんて、この国ではちょっと考えられない話よ。それに、()()()()()()()()()()()……この時間にあれほど元気そうにしてるところ、十年の夫婦生活でも見た事がないわ」

「(──?)」

 

 昼夜を問わず出歩く兵士が居る……。それはつまり、この世界、あるいは国が、軍事国家のような体制にあるという事になるんだろうか。それなら確かに、戦時中であるにせよないにせよ、なるほど私のような人間が、夜の屋外を出歩く事は危険だろう。そこについての疑問はない。

 

 しかし、不可解に聞こえたのはもうひとつの方だ。先の話の文脈で、奥方はなぜ、おじいさんの張り切り具合についてまで付け加えたというのか。

 

 ……うん? あれ。傍目から見ると、私のムーブってもしかして──

 

「あ! えっと、その、旦那様とは本当にたまたま出会っただけで、やましい企みは何も──」

「へ? ……ああ! いえいえ、そういうのは大丈夫。変な誤解はしてないし、あなたもしないでちょうだいね──って、何を慌てて言うかと思えば。ふふふ!」

 

 ──と、新たに思い浮かんだ懸念を拭う、抱腹絶倒一歩手前な奥方。こちらもほっと胸を撫で下ろしつつ、赤らんだ両頬をぽりぽり掻いた。いろんな意味で恥ずかしい。

 

「ごめんごめん、少し笑いすぎたわ。……あのひとの事なら、むしろお礼を言いたいぐらい。ああいう年寄りの妖精にとって、活力が湧くのは喜ばしいことなの。あなたが出会ってくれたおかげね」

 

 ああ、よかった。どうやら余計なトラブルは避けられたらしい。さっきも奥方のほうから、『女ふたり、ナイショのお話』なんて仰っていたものだから、つい変な想像を──

 

 ──え。彼女は今……おじいさんの事を、何て言った──?

 

「(…………『()()』────?)」

 

 ……待って。確かに私は、おじいさんの事を『仮装』と認識するほどに、その常ならざる容姿に違和感を覚えてはいたけれど──まさか、本当に?

 

「でも、これから外を出歩く時は気をつけてね。この国の妖精はあのひとみたく、当たり前のように人間と生活してる者ばかりじゃない。相手や土地柄によっては、人間と知られただけでも、不利な立場になりかねないわ。あなたのような、外から来た人間ならなおさらなのよ」

 

 と、静かに混乱する此方に構わず、およそ聞き慣れない話を続ける奥方。彼女の言葉を疑っていたわけではないけれど、私をからかう様子が微塵もないあたり、どうやらそれは真実のようだ。

 

「(……『妖精』と、『人間』……)」

 

 ……驚いた。今の話を聞いた限り、奥方は『この世界における人間』で、私は『外から来た人間』であるらしい。そしてやっぱり、おじいさんは『妖精』なのだという。

 

 ただ。私が驚いた対象は、そうした『事実そのもの』ではない。……いや。より正確に云うならば、これは驚きというよりも、むしろ──。

 

「──それにしても、『外から来るお客さん』ねぇ。噂には聞いていたけど、こうして会うのは私も初めて。……今日まで大変だったでしょう。今夜は此処でゆっくり、旅の疲れを癒してね。あなたさえ良ければ、このまま滞在してくれてもいいのよ? 私も話し相手が増えて嬉しいし、きっとあのひとも喜ぶわ」

 

 と、頭の中の整理に追われていたとき。奥方は半ば願い出るような勢いで、私にとっては望外極まる提案を口にした。

 

「……え。そんな──いいん、ですか?」

 

 ……彼女の自然な面持ちを見る限り、幸いにもと言うべきか、此方が懸念していた類の『迷惑』を受けている様子は無い。とはいえ、余所者は余所者だ。私が夫婦水入らずの居住空間に身を置くとあらば、少なくとも『ご厄介』になる事に違いはない。そうと解っていながらも、差し出されたその提案は──当時の私にとって、この上なく魅力的なものだった。

 

「もちろん! いやねぇ、脅かすような話を聞かせた舌の根も乾かないうちに、『明日には出て行け』なんて言うわけないじゃない。だから遠慮しないで。妖精も人間も問わず、この街にはいろんな立場の客が出入りしてるから、うちに泊まる人間が居たところで誰も気にしないわ。あのひとみたいな職人達にとって、仕事での来客なんて日常茶飯事なのよ」

 

 ……なるほど、この街はそんな風土だったのか。どうやら本当に、あらゆる面で問題は無いらしい。その一点さえ判ったならば、私に拒む理由はない。改めて、喜んで、彼女のご厚意に与ろう。

 

「──ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げ、感激まじりに礼を述べる。笑顔も隠しきれないままに頭を上げると、奥方は安心したように微笑んでいた。

 

「この身を置いていただく以上、私もおふたりの力になりたいです。お手伝いできることがあれば、何でも仰ってください!」

「まあ。そんなに気を遣わなくても──っと、これはむしろあなたに失礼ね。ええ。あなたがやりたいと言ってくれるなら、遠慮なくお願いするわ。家事、手伝ってもらっちゃおう!」

 

 誠意を込めた此方の提案を、奥方もこれまた誠意を以て受け取ってくれた。……当てもなく森を彷徨うばかりの日々には想像だにしなかった、自他を繋ぐ『関係性』を得られた事が、たまらなく嬉しいものに感じられた。

 

「あ。でも、あのひとの仕事に手伝いは無用よ。むしろ手を出しちゃ怒られるから。『気が散るから邪魔するな!』ってね。私も当初はよく言われたものだわ〜。ありがた迷惑とか以前に、イチから隈なく自分でやりたい性分なのよ。そう考えると、他の従事者との分業をああして認めただけ偉いもんだわ」

「そ、そうなんですね。先に聞けてよかったです」

 

 ああ、危ない危ない。奥方のその言葉が無ければ、私は今すぐにでも、扉の向こうのおじいさんに手伝いを申し出るところだった。私が怒られることはともかく、彼の『楽しみ』の邪魔になる事だけは、絶対にしたくないと思ったのだ。

 

「──あの。旦那様は今、何を作るお仕事に?」

 

 でも。その『楽しみ』がどんなお仕事であるのかは、やっぱり興味が湧いてしまう。邪魔にはならないと誓う代わりに──せめて、彼の仕事が何かを知り、陰ながらにでも応援したい。

 

「──『ガイヨウセン』、というらしいわね。なんでもこの国で初めて造られる、海を渡るためのモノなんですって。計画自体は休止になっちゃったけど、従事者に抜擢された事がよっぽど嬉しかったのね。その結果があの様子ってわけ。寝ても覚めても仕事仕事。この街じゃ珍しくもないけど、職人気質ってのは難儀だわ」

 

 ガイヨウセン……音の響きを聞く限り、『外洋船』の事だろうか。そんな大きなモノを作っているなんて、おじいさんってかなりすごい。

 

「(────あれ? それって…………)」

 

 そして、おじいさんに対する手放しの感心とはまた別に。今の話を受けた私は当然、聞き漏らすはずがなかった。……『海を渡るモノ』が『初めて造られる』という事は──この国ではおそらく、過去に一度も、『()()』との交流を持たなかった事を意味している。

 

「(────…………)」

 

 今夜を迎える前までの私は、地の果てまで歩けば、あるいは海の外へと漕ぎ出せば、元の世界に戻れるかもしれないと思っていた。そして、今。ごく最近までは存在しなかったらしい、『海を渡る手段』の芽を。この街の職人さん達と協力し、おじいさんはいま、一生懸命に育てているのだという。

 

「(……もしかしたら。その船ができたなら──)」

 

 ──私を、元の世界に還してくれるかもしれないと……そう思わずにはいられなかった。

 

 ただ。

 

「……素敵です。旦那様も、旦那様を支える奥様も、ほかの従事者の職人さんも……みんなみんな一緒になって、『やりたい事』に向かっているなんて──」

 

 当時の私は、それ以上に──

 

「──いまさらですが、聞かせてください。この国は……この街の名は、何というのでしょうか?」

 

 ──この世界のひと達を、もっと知りたいと思ったのだ。

 

「あっ、そういえば言わずじまいだったわね。これから生活する場所なんだし、あなたにも知っておく必要があるでしょう」

 

 それが。私という余所者が、この世界で見出した──

 

「ここは妖精と人間の住まう都市。鉄が鳴り、煤が舞う、妖精國唯一の鍛冶場街──『ノリッジ』よ」

 

 ──『やりたい事』の、第一歩。

 

 






お読みいただきありがとうございます。


追憶のあったかハイム回。

ホットオレンジが飲みたくなりました。
赤ワインと割って温めたやつとか、これからの時期美味しく感じられますね。ホットワインはかの北野異人館で初めて口にしたんですが、アルコールの飛びがほどよく飲みやすかったです。この冬家でもやってみよう。レンチンで簡単に。何の話じゃ。

ゴッホちゃん……ツタンくん……!(イベ感想)

いよいよ次あたりがサンタイベでしょうか。ぐだぐだが来るのか否かも気になる。


引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。
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