※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。
※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。
以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。
◆◇
食後にふたり話し込み、果実水もすっかり飲み干した頃。
「さて、私たちはそろそろ寝ましょうか。あのひとを待っていたら朝になっちゃう」
「ふふ、そんな気がします。お片付け、手伝わせてください」
食器を流しに片付け始める奥方に、私は洗い物を買って出る。水が切れた食器を布で拭くと、彼女は手際良く棚へと戻していった。
「それにしても、家事の分業なんて初めてだわ。カジはカジでも、あのひとのは鍛治だから。お互いに手を出せば『触ってくれるな!』って喧嘩になるのがオチだったもの」
ひやりとした感覚に駆られ、奥方の顔を窺う。料理にこだわりを持つ者にとって、台所は聖域だ。私は気持ちが逸るあまり、差し出がましい事をしてしまったのでは……と思いかけたけれど、その懸念は杞憂だったらしい。
「ふふ。あの人のことを『分業制を認めただけでも偉いもんだわ』なんて言っといて、私も私だったわねぇ。馬が合う、というのかしら。やりたい事が近いもの同士だと、意固地の壁もどこへやら。あんな風にもなるってものね」
工房の扉を見やりながら、そんな言葉をこぼす奥方。旦那様がお仲間と円滑に仕事をできているのか、密かに心配していたのだろう。『あのひとの職場もこんな感じなら、とりあえずは大丈夫そうね』と付け加え、彼女はふふふと笑ってみせた。
「よし、片付いたわね、ありがとう。それじゃ、お風呂に入ってらっしゃい。私たちは済んでるから気にしないで──と、その前に家の中を案内しなくちゃ」
奥方は着替えを一式用意しつつ、手招きをしながら私を呼んだ。はい、と浅くお辞儀を返し、彼女の後ろをついて歩く。
「(──ここが、ご夫婦のお宅……)」
お招きされた時は心ここに在らずな状態だったため、屋内の規模を意識してはいなかった。改めて目にする夫婦宅は、四、五人で生活しても困らないほどの面積を有している。
「ふたりで暮らすには少し広いものだから、遊ばせている部屋がいくつかあるの。そうね──奥の部屋がいいかしら。ちなみにお風呂はココね」
夫婦宅は旦那様の職業柄、来客も珍しくはないのだと奥方は言っていた。そんな事情もあってか、案内された空き部屋はいずれも来客仕様に整えられており、要望があれば簡易宿泊用に貸し出すこともあるらしい。
「お風呂はたいへん嬉しいのですが……お部屋までいいんですか? お客様のためのスペースを、ひと部屋とってしまう事になるのでは。それは少し、みなさんに申し訳がないというか……」
常連さんもいる事だろう。ポッと転がり込んだ余所者の身を省みると、一室をまるまる占領する事はさすがに気が引ける。……というか、それ以前に──私の滞在を目にするお客様に、自分の実情をどう弁明すればいいのだろう。
「大丈夫よ。もともと、満室になる事なんて稀だったもの。滞在理由も考えてあるから安心して。来客があれば、あなたのことは『お手伝いさんを雇ったの』と説明するわ。これからは名実共にそうなるんだし、家の中も好きに使ってちょうだい。ね?」
……なるほど、たしかに。雇用関係を理由に出せば、突然増えた同居人であっても、私個人の実情のすべてを打ち明ける必要はない。便宜上とはいえ、その内容にも偽りはないのだし──うん。重ね重ね有難く、奥方の案に肖ろう。
「──はい。それじゃあ、お言葉に甘えて」
受け取ることが憚られるほどの、心尽くしのおもてなし。私は奥方のほうへ向き直り、つい零れそうになる涙を堪えつつ、深々と頭を下げてこう告げる。
「改めて、お世話になります!」
……ああ、不思議。今日までの私は、先のことを考えると不安で仕方なかったはずなのに──今はこんなにも、明日を迎えたいと思っているなんて。
「うんうん。じゃあ、決まりね!」
膝につけた私の手を、奥方の両手が包み込む。その感触は握手よりも柔らかで、私という存在を慈しむかのように。『自分はここに居ていいんだ』という実感をもたらす、抱擁にも似た温かさだった。
「──それじゃ、ゆっくりおやすみなさい。明日からよろしくね!」
「はい!」
異郷の地に流れ着き、見失われた『当たり前』。それがこうして今一度、新たに始まることになる。そんな確信を胸に抱き、私は──弾む声でこう言った。
「おやすみなさい!」
──さあ。次は『おはよう』を言う番だ。
◆◆
そうして、私の異郷生活は始まった。
「──旦那様、お客様がお見えですよ!」
午前のお決まり。家中のお掃除が終わった後は大抵来客があり、リビングでお待ちになっている。旦那様を訪ねての来客なのだけれど、当のご本人は工房に篭りきり。当然の流れとして、待たせっぱなしに痺れを切らした奥方に続き、私もこうして声を掛けることになるのだった。
「ああ? なんだこんな朝っぱらから。いいから小一時間待たせとけ!」
「先刻もそう仰って、すでに三時間はお待ちです! それにもうお昼時ですよ。そろそろお会いになられるべきかと!」
そしてやっぱり、旦那様はこんな調子。当初こそ催促することは躊躇われたけれど、一年も続けばこのとおり。お手伝い業は我ながら板につき、すっかり遠慮を排するまでになっていた。
「あんた、いい加減にしなさいよ! まったく。ごめんなさいね、今すぐ引きずり出してきますから」
とはいえ、奥方ほどの踏み込みは当然できず──最終的には彼女が工房へ乗り込み、首根っこを掴まれた旦那様が観念して出てくるのがオチなのだ。
「いいって、いつもの事だろ。無理せず座っててくれ。こちとら半分、アイツに手を焼くアンタの具合を見に来てるようなモンだからな。あと、元気な
そして、今日のお客様は仕事仲間の常連さん。彼はこんなやり取りを何度も見ているため、むしろ奥方への気遣いを優先してくれている。私の顔も覚えてもらえているらしい。
「そうそう。お前さん、『あの嬢ちゃんが来てから掃除のレベルが一層ガチだ』って、ココに通う連中から評判だぜ。『ウチの煤埃も払ってもらいたい』なんて言う奴らも居るくらいだ。いっそ出張でもやっちまうか? 食い扶持を取っちまうぞーって、煤掃除の妖精を焚きつけてやれ。はっはっは!」
「え、ええっ! そんな、勿体無いお言葉です!」
なんと、知らない間に私個人のレビューまで付き始めていたらしい。豪快に笑う彼に応じ、こちらも驚嘆交じりの笑顔を返す。
「──なんだ、客ってお前か。用件は何だ?」
「おう
グノームさん──もとい、旦那様の篭もる工房に向け、声を張り上げる常連さん。何度目かの中止期間となっていた『外洋船』の建造が近々再開する事を受け、発破をかけに来たらしい。
「ああ、わかってるよ! 設計はぼちぼちだが、資材の捻出案に手間取ってんだ。予備の採取場の目処が立っていないからな。材料不足で頓挫しちまうのは勘弁だろう?」
奥方曰く、旦那様はもともと大地に詳しい御仁らしい。お年を召されるにしたがって、自ら足を運ぶ事は難しくなったものの、地図を見ればおおよその材料分布が判るのだという。『興味のないモノはからっきしなのにね。キノコとか。歳だわ〜』と、反応に困る冗談も言っていたっけ。
「そうは言うがな。いくら予備を見立てたところで、国政の建設事業が割り込めばソッチの補填に優先される。そうなりゃ予備はおろか、メインの採取場さえ自由が効くか怪しいんだ。だったら目先の計画を固めて、必要分の材料を切り出しちまえばいいだろう。欲張りさんか?」
「バカ言え。『備えあれば憂いなし』ってヤツよ! 『河』の機嫌の事もある。雨期も勘定に入れとかねえと、せっかく採れた材料が届かんかも知れんからな!」
扉越しの会話なだけあって、ふたりの職人は互いに大声で意見を交わし合う。奥方は『頭に響くわ〜』と片手で耳を押さえつつ、空いた食器を手にし、台所へと向かっていった。
「(──ふふ。ふたりとも、楽しそう)」
扉の前で繰り広げられる熱弁に耳を傾けつつ。卓上を拭きながら、ここでご厄介になってからの日々をふと思い返す。
「(あっという間。もう、一年も経ったんだ)」
この一年の間、多くの来客があった。その最中、ご夫婦から伺った事に加え、様々なお客様が口にする言葉から、この異郷──『妖精國』に関するお話を耳にした。
旧暦以降。此処は二千余年来も続く、女王国家である事。『六つの氏族』から成る、妖精さんたちの国である事。各氏族には長がおり、それぞれの領地には特有の生活風土がある事。
「(────)」
そんな日々を送るうち。いろんなお客様に出会うたび、いつしか私は──ひとつの願望を抱くようになっていた。
「(──行ってみたい。この国の、いろんな所に)」
ご夫婦宅に招かれた夜、私の心に生じた想い。それは日に日に大きくなり、いまや誤魔化しようのない欲求になっていたのだ。
「──なら橋が流されちまうまでに、優先度の高い資材から運べばいい。というかその辺は俺ら運搬担当が考える話だろう。ソレがいくら昔取った杵柄とはいえ、今のお前には今の仕事がある。そうやって逸る気持ちもわかるがな。今日はまあ、そんな事だろうと思って訪ねたまでよ」
なんて物思いに耽っていると。『言いたい事はそれだけだ』と吐き捨てつつ、扉から離れる常連さんと眼が合った。
「じゃ、俺はおいとまするよ。……アイツは熱が入るとああだけど、そうしている事が生き甲斐みたいなモンなんだ。十年ぐらい前だったかなあ。当時のアイツとはまるで別モンだ。奥さんと出会わなきゃ今頃──」
「おい、無駄口叩いてねえで帰れ帰れ! お前はソールズベリーの往復担当なんだ。運搬が遅れりゃ、製材作業まで後ろ倒しになるだろう!」
「──へえへえ! せっせと運んできますよってんだ!」
と、何かを言いかけた彼を制するように怒鳴りつける旦那様。……そういえばこれまで、ご夫婦の馴れ初めについては伺った事がない。些か以上に興味をそそられる話題だけれど、ここで残念がるのは意地が悪い。玄関先で待つ奥方に倣い、ご客人のお見送りに徹するとしよう。
「またあんな乱暴に……いつもご忠言ありがとう。同業者の言葉じゃないと聞く耳を持たないものでね。ああして『
「いいってことよ。俺のほうこそ感謝してるんだぜ。ほっときゃ危ないところを、あそこまで持ち直してくれたんだ。それに……アンタも無理はするんじゃないぞ。ま、そんな事は自分が一番解ってるだろうがな」
……そうだ。薄々と感じてはいた。旦那様の健康状態はいつもどおりにしても、近頃は奥方の体調に翳りが見え始めていたんだ。それが疲労によるものか、病気によるものかの判断はつかずにいた。
心配で声を掛けた事もあるけれど、そのたびに『歳よ、歳』と冗談っぽく流されるのがオチ。不思議だったのは、その時の表情。それが心配をかけまいとする振る舞いでありながら、あたかも事実を語っているかのようにも見受けられたのだ。
「あっはっは! それを言われちゃ、私も返す言葉がないわ。重ね重ね、ありがとうね」
「おう。偉そうに言ったが、かくいう俺も身体にガタが出始めちまってな。アイツも含め、お互い元気でやっていこうや!」
がはは、と愉快そうに笑いながら、夫婦宅を後にするご客人。しばらく手を振って見送ったあと、奥方と私もすみやかに屋内へと戻る。
「さて、私たちはお昼の準備を。あのひとは夜まで篭っているだろうから……よし。来客が無ければ、午後はのんびり過ごしましょう」
「はい!」
お待たせしていた間じゅう、奥方は先の常連さんとの話し相手に徹していた。内容のほとんどが何でもない談笑だったけれど、旦那様に関わるお仕事の予定も伺っていたため、彼女は終始気を張っていたに違いない。体調の件もあることだし、長めの休憩は必須だろう。
「簡単な野菜サンドでいいかしら。菜食メニュー、オックスフォードのレストランでは流行りだって聞いたじゃない? 私も真似してみたくなっちゃった」
「わあ、いいですね。ちょうど軽めのものが食べたい気分でした!」
ふたり分のサンドウィッチを手早く仕上げる彼女の横で、絞りたての果実水を用意する。あの時ご馳走になった味にすっかり魅入られた私が直談判し、奥方にレシピを教えてもらったのだ。
「はい完成。お腹空いてるでしょ、食べちゃいましょう!」
「いただきます!」
待ってましたとばかりに喜び勇み、シャキシャキの野菜サンドにありつく。それにしても、オックスフォードでは菜食メニューが流行りなのか。聞いた話だとそこは確か、牙の氏族の領地だったはずだけれど。語感から勝手に肉食文化のイメージを抱いていた。偏見は良くない。反省反省。
「──あら、今日の果実水は一段と美味しいわ。腕を上げたんじゃない、
「ほ、本当ですか? やった、嬉しいです!」
シルキーとは、ご夫婦宅で過ごすうちに付けられていた私のニックネームだ。私が家じゅうを掃除して回る時に鳴る衣擦れや、ぱたぱたとはたきを振るう音を気に入った奥方が、それらに
「
「あっはっは! 勝手に開いちゃオックスフォードの本家に怒られちゃうわ。だから、こっそりやらなきゃね?」
対する奥方の名前はマーガレット。常連さん達には『マギー』の愛称で通っているけれど、私は敬意を込めて略さずに呼んでいる。こうした悪戯っぽい冗談なんかで周囲の笑顔を自然と誘う、彼女の柔らかなお人柄にぴったりなお名前だ。
「で。そういうあなたはどうなのよ?」
「──えっ?」
と。私の何が『そういう』なのか、彼女は不意に問いかける──まさか、果実水の専門店を開く気があるか否かを訊いているんだろうか。さすがにそこまでの自信はないし、彼女を差し置いての出店なんて畏れ多いのだけれど。
「あははは! そうね、そっちをやるのもアリだと思うわ。手際も出来栄えもバッチリなんだし。でも、今訊いたのは別の話よ」
手元の果実水を凝視する私を見て胸中を察したのか、出来栄えに太鼓判を押しつつ、話の軌道修正を図る彼女。慌てた自分が恥ずかしい。
「──やりたい事、できたんでしょ?」
すると。これまた不意を突かれる格好で、彼女は私の胸中を汲み取った。その表情は真剣でいて穏やかで、こちらが告げる言葉を心待ちにしているかのようだ。
「────」
一瞬、言葉が詰まる。躊躇うのも無理はない。この場で『それ』を告げたとき、同時に立ち現れる事実があることを、心のどこかで惜しいと感じてしまったからだ。けれど、
「──はい」
彼女は今、背中を押そうとしてくれている。その優しさが確かなものである以上、この想いを引っ込めることはお互いにとって、何より寂しい話だろう。だから──
「旅に出たいと、思っています」
──彼女の眼を見て、そう告げた。
「そう! いいわね。応援するわ!」
満面の笑みを浮かべつつ、うんうんと頷きながら応える彼女。その仕草はいたく満足そうで、『やっと言ってくれたわ〜』とでも言いたげな納得ぶりだった。
「──いやあ、よかった。実はね、あのひとともけっこう前から話していたのよ。シルキーってば、私たちやお客さんの話を聞くたびに眼をキラキラさせるものだから、『そのうち国内を巡りたがるんじゃないか』ってね」
なんと。どうやらご夫婦はとっくの昔に、私の想いを感じ取っていたらしい。隠しているつもりはなかったけれど、住み込みで雇っていただいている立場を省み、ワガママを言うことが
「──おう。ようやく本音を言ったのか」
そのとき。会話が聞こえていたのか、ちょうどタイミングが今と重なったのか。同僚さんが訪ねても開くことのなかった扉から、旦那様が姿を現した。
「なんだ。聞いてたの? だったら話が早いわ。あんたもここで、詳しく聞いてあげて」
「珍しいモン食ってるな。俺の分は?」
「作ってないわよ誰のおかげで軽食になったと思ってるんですか! ほら私の食べな!」
ちゃんと分けてあげるんだ優しい、と心の中でツッコミを入れながら、もうひとりぶんの果実水を注いで置く。珍しいのはこの状況もだ。こうしたタイミングで旦那様が自らひょっこり出てくるなんて、片手で数えるほどしか覚えがない。
「へえ、食感が面白いな。ハラは食べた気がせんのに、食事を摂ったって満足感はある。こういうのがオックスフォードで流行りだって? はっはっは。牙の氏族は何処を目指してんだ!」
「あんた」
「はい聞きます。横取りしてすみませんでした」
目の前の関心事に全力な旦那様を
「──ま、だいたい把握してはいるさ。妖精國を観光したいってんだろう?」
野菜サンドをひょい、とひと口で平らげ、こちらへ前のめりに椅子を引く旦那様。彼は掌をぱっぱっと払った後、腰元の道具入れから何かを取り出し、矢継ぎ早に語り始めた。
「なら出発は早い方がいい。なにしろ雨期が迫ってる。ノリッジから他都市に行くなら『
卓上に広げられたのは、この国の全体が描かれた地図だった。見たところ旦那様の手作りらしい。折り目も皺も目立たないあたり、資材関連のことでつい最近用意されたものなんだろう。彼は図上を指でなぞりながら、言及地点を詳しく語る。
「大橋を使わない別の河越えルートもあるが、南の海岸沿いを延々と歩くことになるうえ、その辺りにゃ都市と呼べる規模の生活圏はほとんど無い。ようは道も未整備の悪路続きってワケだ。野営場所には困らん反面、食糧の調達は難しい。そこに雨期が重なると来りゃ、コッチは副案にもなりゃしねえ。わかるか?」
さすがは大地に詳しい御仁だ。思い立ったばかりの私にとって、具体的な移動プランの立案は目下の課題になるところを、こうも手厚く提案してくれている。異論なんて持つはずもない私は、大きく頷いて理解を示す。
「よし。それじゃあひとまず、ソールズベリーを目指すといい。風の氏族どもはいけ好かねえが、お高くとまっているぶん温厚な連中だ。おまえさんなら上手くやれるだろう。雨期の間はそこに滞在して、得意の手伝い業を売ってやれ。綺麗好きなヤツが多いから、そこそこ儲かるかもだ! さっきのアイツの言葉じゃあないが、出張業ってのも面白い!」
旦那様の提案は、自分にとっても魅力的な内容だ。夫婦宅で身につけたお仕事が、他所で、なおかつ身を立てる事にも繋がるというのなら、これほど嬉しいプランは幾つとない。すべてが思いどおりにはいかないだろうけれど、理想的なビジョンがあるのは精神的に良い事だ。
「良いじゃない。ソールズベリーには土の氏族も多く居るし、あそこは他の都市に比べてもノリッジと近い風土のはずだわ。まあ、さすがに商業規模はコッチのほうが盛んだけど。生活様式の差を大きく感じずに済みそうね」
うんうん、と頷きながら、奥方も提案に同意を示す。腕を組んで旦那様を見やる眼差しは、彼の本領発揮ともいえる言動に感心しているようだった。
「おーい、すまねえ! 忘れモンをしちまった。荷車の鎖鍵、部屋のどっかに落として──あ?」
すると。突如として開いた玄関の扉から、さっきの常連さんが勢いよく飛び込んできた。
「おう、こいつはちょうどいい! お前、荷車にこいつを乗せてやってくれ! ソールズベリーに用があるんだ。人間ひとりぐらい軽いモンだろ! ところで、俺の銘入りの鍵を置き忘れるとはどういう了見だ?」
えっ。
「グノームてめえ、今頃顔出しやがっ……は? いやまあ、それは構わんが。というか商売道具を無碍にしちまった手前、詫びに替わる理由があるなら俺としてもちょうどいい。いつ出発する?」
あ、そういえば。こちらの常連さんはたしか、仕事でソールズベリーを往復する立場だって話──いやいや。それはさすがに図々し……って、あれ。慌てる間も遠慮する暇もないうちに、ふたりでもう話が通ってしまっているような。
「今から行っちゃあすぐ夜だ。お前にとってもこいつにとっても、出発は明日の朝がいいだろう」
「ちょっとちょっと。ふたりはそれで納得しても、シルキーの意見がまだでしょう! ……いや、でも雨期の土砂降りを考えると、やっぱりそれがベストよね……」
口をぱくぱくさせている私をよそに、逡巡を経た奥方の肯定意見も加わり、明日朝のプラン決行が固まりつつあった。……たしかに、天変地異とはいかないまでも、雨期による道中事情は甘くみてはいけないものだ。ピークが過ぎ去ってからの出発もできるだろうけれど、雨期前に出発するのとでは旅程が大きく変わるだろう。
「──はい。明日の朝、お願いできますか?」
いささか早急な話ではあるけれど、これも何かの『流れ』だろう。そういうものかと腹を括り、私は直に願い出る。
「よしわかった。俺にもまだ出発前にやる事があるからな。明日の朝にはコッチに着けるよう手配する。あっ、マギー! そん時にゃその珍しいヤツ、俺にも食わせてくんねえか! じゃ、よろしくなー!」
時間にして二分と経ってはいない、僅かな猶予の意思決定。私が過ごした一年は、この一瞬をもって変わることになったのだ。
「ったく、
「いえ、そんな。ご案内どころか、まさか乗せていってもらえるなんて。本当に助かります!」
この国に来てから、長らく忘れていた。旅には急な予定がつきものだ。まあさすがに、目が覚めたら違う世界なんて経験は初めてだったけれど。ともかく私はいま一度、ここに流れ着く以前の在り方──旅人とは名ばかりの、『放浪者』としての己を自覚した。
「ソールズベリーに滞在中は大丈夫だろうけど、その後どこかへ行くときは遭難に気をつけて。明日の朝までに、野外でも作れる料理のレシピを書き記しておくわ。保存食もあれば安心ね」
「バカいえ。俺が見送る客人に遭難なんぞさせるものか。しかし、レシピの教えは助かる。こちとら食事については専門外だからな。妖精が相手なら考える必要はないが、シルキーには大事なコトだろう。バッチリ仕込んでやってくれ」
夫婦揃って親身になり、私の道程を案じてくれている。奥方は食を、旦那様は知を。互いの意見を補い合いながら、思い思いに提案する様子はさながら、娘を心配する両親のようだ。
「ほら、この地図はお前にやる。あとは──野外で役立つ道具だな」
すると。地図をこちらに寄越してすぐ、おもむろに席を立つ旦那様。せかせかとした足取りで工房に向かったかと思えば、ほどなくして戻ってきた。
「──よっと。ようやく出番がもらえるな、コイツらも」
彼の手に掴まれていたのは、大きめポーチほどの革袋。それを卓上にどすんと置くと、中身を広げてこちらへ寄せた。
「……その。これは?」
中身はすべて、キャンプ道具とでも呼ぶべきツールの数々だった。大きめの物はカナヅチ、ノコギリ、斧らしき鉄製品が。ほかにも折り畳まれた布やロープ、マルチツール型と思しきナイフまで──
「シルキーがうちに来た晩からこっち、チマチマ作っておいた品物だ。またいつでも、旅に戻ってもいいようにってな」
──これらの形状を見た瞬間、もしや、と思いはした。いずれのツールも、旦那様の私物にしてはサイズが小さすぎるのだ。その反面、私の手にはこうして見事に、ぴったりと収まる大きさとなっている。
「森で会った時に言ってたろう? 『旅をしてたら遭難した』って。そんとき俺は思ったね。『そんな装備じゃそうなるさ』とな! ったく、手ぶらで自然を歩く奴が居るかってんだ。当時はコッチも助けてもらった身分な手前、強くは言わずにおいたがな。最低限、これくらいのモンは持っておけ」
当時の事を今思うと冷や汗ものだ。これほど大地に精通する御仁の目の前に、何も持たずに遭難する有り様を曝け出していたのだから。それはもう、『何かお困りごとでいらっしゃいますか?』と格好をつけた直後、『困ってるのはお嬢さんのほうだろうが!』と叱られたのも当然だった。
「道具はすべて、今日のうちに一度は触っておけ。手に馴染まんようならすぐに調整してやる──とまあ、俺からはそんなトコだ。果実水、美味かったぜ。ごちそうさん! じゃ、今日も炉を熾すとするかな!」
彼はそこまで一気に話しきると、ひと仕事終えたかのような清々しさを顔に滲ませ、『よっこいせ』と言いつつ席を立つ。
「──ありがとうございます。グノームさん!」
工房に戻られては、次に顔を合わせるのは夜になってしまうだろう。急いで感謝の言葉を伝えると、彼は背中を向けたまま、片手を挙げて呼び掛けに応じ、扉の向こうに消えていった。
「──あきれたひと。何を急いで作り始めたかと思えば、あなたへのプレゼントだったなんて。ああしていきなり顔を出したあたり、ずっと渡したくてしょうがなかったのね」
にやにやと笑顔を浮かべる奥方にあてられ、不意に嬉しいやら恥ずかしいやらの感情が押し寄せる。あの職人気質な旦那様がこれまでずっと、こうした機会を窺い続けていたのだと思うと、秘められた愛嬌を見出さずにはいられない。これがギャップ萌えというやつか。
「そうと決まれば。あなたの出立を記念して、今夜は久々にご馳走を作っちゃいましょう! 何が食べたい? シルキー」
そんなギリギリ失礼な事を考えていると。これまた愛嬌たっぷりな御仁から、魅力的なお誘いがもたらされた。夫婦宅におけるご馳走といえば、私にとってはやっぱりこれだ。
「──キノコの料理が食べたいです!」
一年前、この世界での生活が始まる前夜に口にした、かけがえのない思い出の味。私はそれをもう一度、新たな明日を迎えるために、ご夫婦と共に口にしたい。
「ようし、それじゃあ今晩は在庫もぜんぶ大放出。一ヶ月越しの天然モノで、フルコースを作りましょう! お手伝い、お願いね?」
「はい!」
ふたりして早くも夕飯のことで頭がいっぱいになり、ぼちぼち準備を始めましょうか──と、思った矢先。
「──え? うそ。どういうことよ!」
「シ、シルキーさん?」
台所とは別方向。玄関から出ていった奥方が、軒下で頭を抱え叫び声を上げている。私もすぐさま駆け寄ると、その原因と思しき光景が眼に映った。
「あれっ。ここにはたしか、昨晩まで……」
「ええ。薪棚があったのよ。天然モノの食材も下段に置いていたんだけど、棚ごとまるまる消えてるわ! ……いや、まさか……!」
……やっちゃいましたね、ふたりとも。
「──あのバカ鍛治師がー!」
「マーガレットさん、どうどう! 私が夕飯までに森に出て、籠いっぱいに採ってきますから〜!」
こうしてグノームさんの特製ツールは、明日の旅立ちに先駆けて──またしても燃料にされてしまった天然食材、その補填任務をこなすべく、キノコ狩りで初陣を飾った。
お読みいただきありがとうございます。
続・追憶のあったかハイム回。
たいへん遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
年末からこっち、亀進捗も極まりつつですが執筆しておりました。
お待ちいただいていた方がいらっしゃいましたら、毎度ながらすみません! しおり等励みになっています。
なんともう明日からバレンタインイベント。
今期の弊カルデアは新規加入が多かったので、初のお渡し&受け取りボイス勢が楽しみです。SエレちゃんはSイシュちゃんみたくワールドエンドを起こしちゃうんでしょうか。コラボ組の面々も気になりますね。
引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。