望郷漂流客船イナバマル 祝福された後継   作:qlo

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※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。

※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。

以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。





借屍還魂(弍)【五】

 

 

◆◇

 

 

 

 ノリッジを出発し、荷車に揺られること四時間半。生活圏らしい風景からはすっかり遠のき、山間部の中腹に差し掛かっていた。

 

「ふう〜。ひとまずの難関は超えられたな。このあたりで昼休憩にするか!」

 

 フェノゼリーさんが運転の手を止め、こちらを振り返りつつ、ぐいーっと両腕を伸ばして声をかける。

 

「はい! おつかれさまです! ……よいしょ、っと」

 

 よろめきつつ荷台から降り、車体の状態を確認する。道中にも数箇所のぬかるみを通ったことで、やはり泥の付着が目立っている。とはいえ、それは荷台の裏側や側面を主とし、意外にも車輪の汚れは微々たるものだった。

 

「──すごい。フェノゼリーさんのお身体に比べて、何倍も大きい荷車なのに。この程度の汚れで済むほど、精緻な運転をなさるなんて」

 

 ぬかるみどころか、大きな水溜りへと豪快に突っ込む場面も多々あった。それを荷台の上から目にしていた私はてっきり、泥汚れの状態も凄まじいものに違いないと思ったのだけれど──あれはどうやら、車輪の泥を落とすためにあえて採られた行動だったらしい。

 

「はっはっは! こんなコトで褒められるたあ面映いな。普段の道中は誰の目にも触れないモンだからよう。なんか変な感じがするぜ!」

 

 平生は資材を運んでいらっしゃるゆえか、こうして誰かに運転を披露する機会は珍しいようだ。ご本人も意外そうな反応をしているところを見る限り、己が技量の多寡なんて考えたこともないご様子だった。

 

「ま、こいつがグノーム特製の荷車だからってトコもある。なにしろこの調子で五年も使えちまってるんだからな。今までに故障や破損も当然あったが、俺の手でも直せる程度で済んできたんだぜ──っと。ああ、そうそう。今回は出発前に一応、状態は見てもらったから心配すんな。天変地異でも起きない限り、こいつがダメになる事はねえからよ!」

「おお〜!」

 

 あちらは車体に鎖鍵をかけている最中らしい。ジャラジャラと鳴る金属音と共に、誇らしそうに語る声が聞こえてくる。私は手を動かしながら、少し離れた場所から相槌をうつ。

 

「(──そうだったんだ。あの荷車も、グノームさんが製作なさって──)」

 

 どうりで乗り心地が良かったわけだ。資材を安全に運ぶ事が目的である以上、設計には荷台の負荷を抑えるうえで細心の注意が払われたことだろう。本来想定されていた積載対象ではない私のような人間でさえ、車酔いをしないばかりか、隆起に乗り上げた際の衝撃すらも微々たるものに感じられたのだから。

 

「ああ、そうか悪いな。さっそく掃除をとでも思ったんだろう? そいつは野営の時だけで充分だ。今日は『大橋』付近まで進む予定だから、小休憩時にまでやってちゃあキリがねえ。陽が昇っているうちはまあ、こうして立ち寄った場所や、荷台からの景色でも楽しんでくれりゃ良い!」

 

 車体の安置を終えたらしく、ぱんっ、と手のひらを払う音がした。私も彼の仰るとおり、逐一の車体清掃は見送ることにする。

 

「──はい。では、お言葉に甘えて。野営の時はしっかり、ピカピカにさせていただきます!」

「はっはっは。頼もしいねえ! よし。それじゃあ──例のアレ、いただくとしますか! ってあれ。どこいったシルキー?」

 

 待ってました。

 

「こちらへどうぞ。簡易的ではありますが、ピクニックの準備ができています!」

「早っ! 丸太の椅子にテーブルだぁ? いつの間にこんなモン──」

 

 荷車を着けてすぐ、周辺に点在する倒木たちがこの眼に留まっていた。『これは椅子になりそうだ!』と思うやいなや、グノームさん特製の野営ツールを引っ張り出し、小枝をさばいて整形したのだ。

 

 そのすぐ近くには、直径四十センチほどの切り株──というにはやや不自然な切り口……抉り口? をした、ちょうど良い高さの幹が根元ごと残っていたので、ギコギコと均してテーブルに。あとはその上に布を敷き、飲み物と昼食を並べて完成、というわけだ。

 

「──たまげたなぁ。グノームとマギーの仕込みか? 仕事の熱の入り具合で言やぁお前さん、あのふたりを足して二で割ったみてえなモンだぞ、こりゃあ!」

「えへへ。とっても嬉しいお言葉です、それ!」

 

 ご厚意にあやかる身である以上、夕方まで優雅に運ばれっぱなしというわけにはいかない。せめてものお返しとして、これくらいの労いはしておきたい。それにこの道中は、こうしたアドリブの機会も多くなるだろう。いい実践勉強になりそうだ。

 

「参ったねこりゃ。ありがとさん! そんじゃあ──」

 

 丸太の椅子に腰掛けて、布でしっかり手を拭いて。

 

「──いただきます!」

 

 ソールズベリーに向かう一日目。道中の無事を祈りつつ、マーガレットさん特製のお弁当──キノコの具がたっぷり入った、野菜サンドを頬張った。

 

 

 

◆◆

 

 

 

 昨日と違う、朝が来た。

 

「おはようございます、フェノゼリーさん!」

「おうシルキー。おはようさん!」

 

 目覚めた場所は、慣れ親しんだ夫婦宅ではなく。煤の匂いも鉄の匂いも感じない、緑と土、雨露の匂いに満ち満ちた──ノリッジと『大橋』の中間に位置する、山間部を抜けた森の中。

 

「ちゃんと寝たんだろうな? 昨晩はメシのあと、ずっと荷車を磨いていたろう。俺はさっさと寝ちまったから、その後の事は知らねえが──え。なにこれ、本当に俺の荷車?」

 

 ぐ。仰るとおりです。昨晩は危うくもう少しでも続けていたら、より寝不足になっていたに違いない──と反省する程度には、掃除に熱を入れていた事は確かだ。しかしその甲斐あって、持ち主が引くほどキレイにさせてもらっちゃった。

 

「寝ましたよ? ふあ」

 

 やば、あくびが。

 

「……あのな。荷台に居るだけでも疲れてるはずだろ、お前さんは。俺はなぜかいつもより調子が良いくらいだが、コッチの体調に合わせてちゃあ今日にでも音を上げちまうぞ。いいか、無理はするな。あと、ぶっちゃけた話──このレベルで毎度仕上げられちゃあ、クリーニング代の請求が恐ろしい……!」

 

 叱らせてしまった。そして怖がらせてしまった。

 

「……すみません。今日からはほどほどにしますので! あともちろん、クリーニング代はいただきません!」

「タダより怖いモンはない! だからほどほどで頼むぜホント! どうせすぐに汚れちまうモノなんだ。その辺の勘定も大事だぜ?」

 

 返す言葉もない。綺麗にするにしても、それがどのように扱われるものか次第で、手入れの程度も目的も変わってくる。ひとつ勉強になりました。

 

「──とは言ったが、やっぱりキレイになると気分がいいな。ありがとよ。堅っ苦しい衣服を脱ぎ捨てる感覚といい勝負だ!」

「あ、ありがとうございます! ……え。脱ぎ?」

 

 素直なご感想は嬉しいけれど、『気分が良い』事の基準が不思議な御仁だ。そういえば昨晩は、朝でもこんなに冷え込むというのに上半身裸でお休みになっていたっけ。今はちゃんと上もお召しになっているけれど……服を着るの、お嫌いなんだろうか。

 

「よっしゃ。火は(おこ)しておいたから、お前さんは朝食を摂っておけ。俺はその辺で水源を探して、二日分ほど水を汲んでくる。こちとら通常、喉が潤えばそれで満足なんでな。戻ったらすぐに出発だ!」

「わかりました。お気をつけて!」

 

 そう言って木桶をふたつ持ち出し、茂みの中を分け入る彼を見送った後。焚き火の前に腰掛けて、さっそく調理に取りかかる。

 

「ふふ。ここでもたくさん採れちゃった」

 

 思わず笑みをこぼしながら、カゴいっぱいのキノコと山菜を眺めて呟く。これらは昨日の昼食後、道中で見つけた端から採集したものだ。雨の日が続いていたおかげで、山間部のそこらじゅうに自生していたのだ。少なくとも三日は食料に困らないだろう。

 

「レシピのメモを開いて、と。どれどれ──『やっぱり素材の味が一番! 時間がないときは素焼きでステーキ!』──よし。これだ!」

 

 新鮮なキノコを縦に割き、スパイスを軽く振り、油で黒く育った鉄鍋のなかに敷いて並べる。凝ったものはできないけれど、キャンプならではのお料理だって格別だ。

 

「──いい匂いがしてきた。山菜も入れちゃおう」

 

 グノームさんが鍛え、マーガレットさんが長年使い込んだ()()を見つめる。ふたりの合作とでも称すべきこれは、『そんな思い入れのあるものはいただけません!』と渋る私に構わず、ご夫婦の強い意向で譲り受けるに至った代物だ。年季ものながら使い心地は良好で、彼女の物持ちの良さが窺える。

 

「……そろそろいいかな〜」

 

 両面をカリカリに焼き、ほどよく水分も飛んだころ。仕上がったキノコと山菜を鉄串で刺し取り、いざ実食の時。記念すべき旅の朝食第一弾の賞味である。

 

「よーし。いただきま───」

 

 ──と、今まさにかぶりつこうとしたとき。

 

「プギィイイイイー!」

「──ええええええ!」

 

 私のすぐ傍らを、得体の知れない毛むくじゃらの塊が──断末魔らしき鳴き声とともに、猛スピードで掠めていった。

 

「(い──イノシシ──?)」

 

 飛翔体の軌道を目で追うと、おそらくその類であろう動物の姿が眼に映った。直線上に聳え立つ巨木に轟音とともに打ち当たり、見事なまでに伸びている。

 

「な──通行人か? すまない! 怪我はなかったかい?」

 

 すると。私の背後に駆け寄りながら、呼び掛ける者の声を耳にした。

 

「──え、ええ。びっくりしただけです!」

 

 イノシシから視線を逸らせぬままに、背後の誰かに辛うじて返答を捻り出す。身体はガチガチに硬直し、料理にかぶりつこうとする姿勢そのままである。いったい何が起きたというのか。

 

「そうか! それは良かっ……いや良くない。せっかくの食事中に水を差してしまったようだ。心からお詫びする。申し訳のない事をしたね」

 

 私の前に回り込み、謝罪と共に顔を覗かせたのは──自分と同年代とおぼしき、青年の姿だった。

 

「香辛料の匂い──どうりで急に方向を変えて駆け出すわけだ。無防備に背中を向けるものだからと、嬉々として拳を炸裂させたのは浅慮の極みだった。お怪我が無いようでなによりだよ」

 

 あちらで大変なことになっている、イノシシ以外の存在を目にしたおかげか。あるいは、人当たりの良さそうな青年の姿を見たおかげか。安心のあまり緊張は解け、身体の自由が効くようになった。

 

「ええ、ご心配には及びません。それより──あの。まさかあのイノシシを、お兄さんが?」

 

 ひとまずの確認として、率直な質問を投げかける。状況的にこれは十中八九、鍛え抜かれた上半身を曝け出す、この青年の仕業という事になるのだけれど──

 

「うん。食料調達を兼ねて、朝飯前の運動がてらひと狩りしていたところだ。驚かせてしまったね、レディ」

 

 ──信じられない。どう見ても生身の人間である彼が、あれほど大きなイノシシを仕留めてしまったというのか。

 

「そ、そうでしたか。おつかれさまです。私もちょうど、今から朝食をと思っていたところで……」

 

 ……二日目にして早くも刺激的な出逢いを遂げてしまったものだ。ノリッジにも大勢の人間が居たけれど、彼ほどハジけた人は見たことがない。兵士さんを除けば、あの街に住まう人々は男女問わず温厚で、薪割りで息を上げるぐらいの体力しかなかったのだ。その中でも比較的、マーガレットさんは元気なほうだった。それが、こんな──

 

「……あ。あの、朝食がまだでしたら、よろしければご一緒にいかがですか? 材料ならたくさんありますので!」

 

 ──と。文字どおりの珍客への関心が湧き立つあまり、気づけばそんな言葉を口走っていた。

 

「えっ、いいのかい? それは嬉しいなあ! こういった刺激的な香りのする料理は久しぶりだ。端的に言って抗いがたい!」

「ぜひ! こちらへどうぞ。ちょうど焼き上がったところです」

 

 突然の客引きまがいな誘いにも拘らず、屈託のない笑顔で応じる青年。二本目の鉄串を手渡しつつ、斜め向かいへ案内する。

 

「では遠慮なくいただこう! おお、キノコと山菜か。私は毒のある個体を見分ける心得がないものだから、野営生活を送る身ながら手をつけた事はなかったんだ。へえ、これらは食べられる種類だったのか。そして美味い!」

「ええ。特にキノコの加熱処理は必須ですが、煮込めば旨味が溶け出たスープに、こうして焼けばベーコンみたいにカリカリに。見分けるのも簡単なので、初心者のかたでも手を出しやすいかと!」

 

 望外のゲストは思いのほかお喋りさんで、味の感想を交えつつ澱みないトークを繰り広げる。その状況はちょうど、キャンプ先でお隣さんになった方との交流にも似て、どこか()()()()をもたらす感覚だった。

 

「ありがたい。勉強になるよ! 肉食主義というわけでもないんだが、菜食はしばらくご無沙汰していてね。満足に選択肢が無かったからとはいえ、木の実ばかり口にしていた事への反動かな。それがこうして、レパートリーを増やす機会に恵まれようとは!」

「私は逆に、どちらかといえば菜食主義に寄った食生活を送っています。お料理を教えてくれた師匠の影響ですね。狩りは狩りでもキノコ狩りとか、山菜採りなどが専門です。野生動物を獲るなんて、とても真似できません。あんなに大きなイノシシをやっつけちゃうとは、お強い御方なんですね!」

 

 野営生活を送っておられるだけあって、料理事情は共通の話題として盛り上がった。彼は私にしてみれば、この世界におけるサバイバルの先輩といったところか。先々の事も考えると、彼の話にはますます興味が尽きない。

 

「ははははは! お褒めに与るとはまいったな。この分じゃあ、それしか能がないだけだと謙遜するのも憚られる。……ん? では私とは逆に、そちらは肉食はご無沙汰というわけか──なら!」

 

 すると。彼はおもむろに何かを取り出し、こちらへ向けて差し出した。

 

「干し肉と燻製肉だ。普段からこうして、腰の袋に収め携帯している。いわゆる非常食というやつだね。こちらのレパートリーを増やしてもらったお礼として、どうか受け取ってほしい!」

「ええっ! い、いいんですか? 調達と調理の労力を鑑みても、野営生活では在庫のご事情もシビアなものと想像します。これはお兄さんとって、たいへん貴重な食料なのでは……」

 

 さすがはサバイバルの先輩。非常用の保存食は当然のように携帯されているらしい。だからこそ、いくらご厚意とはいえ軽々に受け取ることは躊躇われる。しかし──

 

「大丈夫! 心配は要らないさ。予定だと今日の食事は、あそこで伸びているイノシシ肉の素焼きで済ませる手筈だったが、幸運にも貴方のご馳走に肖ることができた。お礼のひとつも出さねば罪というもの。非常食ならあのイノシシ肉で補填もできるし、在庫の事情もクリアというわけだ。落としどころとしては重畳だろう?」

 

 ──そんな心配が掻き消えるほどに、彼の誠意と逞しさはカンペキだった。これではむしろ、受け取らないことのほうが無礼にあたるだろう。

 

「──では。遠慮なく頂戴します! ……わっ。えっ、いい匂い! 木の香りでしょうか?」

 

 手渡された加工肉には、チップのものとおぼしき香りが染み付いていた。燻製肉と一緒に入れられていたせいか、干し肉のほうにも香りが移っている。

 

「さすが、気付いてくれるのか! 日々の鍛錬の折、岩を叩き割ったり、手頃な木々をへし折ったりしているんだが、たまに香りの立つ種類の木に当たる事があってね。破片を薪として焚べ肉を炙ったら、臭み消しにも香り付けにも最適だったんだ。『これは燻製用のチップとしてもイケるに違いない!』と使ってみたら大正解! いやはや。偶然というヤツはいつだって、未開の地を拓いてくれるものだね!」

「なるほど……! 燻製、私も試したくなりました。ついに肉料理を開拓する時が来たようです……!」

 

 彼と同じ入手方法はさすがに真似できないけれど、端材などの木片をチップとして扱う程度なら私にも可能だろう。レシピのメモ後半の白紙ページを素早く開き、近いうちに実践するべく書き留める。

 

「──お兄さんはいつも、こうして獣狩りを?」

 

 彼の身なりを見る限り、およそ誰かに遭遇する事を想定してはいないのだろう。都市部の住民のような生活感がまるでない。参考までに、どんな日常を送っているのかを訊いてみる。

 

「ああ。ちょうど二日前にも励んでいたよ。この山間部の中腹あたりでね」

 

 ……おや?

 

「──もしかして、あの一帯の倒木って……」

 

 昨日の昼ごろに目にした光景を思い出す。今聞いたお話と、この山間部に居る彼という存在を鑑みれば、たぶん──

 

「ん? ああ、そうか。貴方は昨日、あの辺りを通ってきたわけか。であればおそらく、目にされた光景を作った犯人は私だろう」

 

 ──やっぱり。どうりであの倒木群がメチャクチャな千切れかたをしていたわけだ。木こりの手による鋭利な切り口でも、落雷により縦に裂けた痕でもない。あれらはすべて、彼の拳によって抉り切られていたということか。

 

「……と。そういう話なら、少し注意喚起をしておかないとだ。道中、なにか変わった事──たとえば、妙な野生動物などに遭遇したりはしなかったかい?」

「──え?」

 

 そうこう思い返していると。彼は先ほどまでの口調とはうって変わり、真剣さを強めて問いかける。……注意喚起?

 

「いえ、特には。変わった事というならそれこそ、あの不自然な倒木群の光景ぐらいのもので」

 

 幸いにもと言うべきか、私たちの道程は順調そのものだった。強いて挙げられる心当たりが例の光景だけれど、あれも彼の日課による産物であれば、異常の内には入らないだろう。しかし──

 

「それはお恥ずかしい。さっきの事といい、山道付近ではしゃぐのは控えるよう努めるよ。ただ──今の質問は、その光景とも無関係ではない話なんだ」

 

 ──その日常の只中に、異常が隠れていたらしい。

 

「私は二日前、いつもどおり野生動物を追って狩りに励んでいた。その最中、どうにも見慣れない風貌の個体と出くわしてね。残念なことに、追っていた獲物がそいつに仕留められてしまったんだ。そいつ自体はとても食料になりそうになかったが、鍛錬相手にはなりそうだった。なのでとりあえず戦ってみることにした」

「お、おお……」

 

 口ぶりから察するに、食料調達が目的でなくとも、野生動物を相手取る事も珍しくはないらしい。どんないつもどおりですか、それ。

 

 ……と。今の話はきっと、彼にとっての問題箇所はそこじゃあない。そんな日常を送っている彼でさえ、未だ見慣れぬ類の存在と出くわした──注意喚起とは、その点に関わるものなんだろう。

 

「こちらを凝視めたかと思えば、異様な動きで襲いかかってきたんだ。……あれは妙な挙動だった。そいつが獲物を仕留めた時もそうだったが、どうみても食料を求める捕食者のそれではなかったんだ。相手をただ害するためだけの動き、とでも云うべきか」

 

 ──『類は友を呼ぶ』という話でもなさそうだ。いやこれは失礼か。

 

「私は咄嗟に反応し、次撃が来る寸前に拳でカウンターをお見舞いした。結局それが決め手となり、そいつは撃退できたんだが……問題はその際の状況だ。撃ち込んだ拳は対象の身体に風穴を空け、数メートル先まで吹き飛ばした。ここまではいつもどおりの展開で、何も驚くべき事はないんだけれど──」

 

 ……『むしろ驚くべき事しかありませんが』と、喉まで上がってきた言葉を飲み込んでいると。すでに理解が追いつかない域にあるお話は、続く言葉でさらに難解なものとなった。

 

「──痛かったんだ。異常なほどに。それは打撃の際の反動とは違う、神経に直接響くような痛みだった。そして、『何だあいつは?』と視線を送ると……確かに手応えがあったはずの、実体ある謎の存在は……塵のように崩れ去り、その身体を消滅させた」

「……え……」

 

 ……怪談話でも聞いている気分だ。この世界が私の故郷とは違う『妖精さんの国』である事を差し引いても、今のお話から受ける異質感は頭ひとつ分ほど抜けている。

 

「ん──あれ? おかしいな。注意喚起と言ったはずなのに、いつのまにか回想戦まがいなコメンタリーを披露してしまった。ははは。すまない、余分な話があったかもしれない。そのあたりは飛ばして、要点のみを押さえてくれると助かる」

 

 そうは言ってみせるけれど、彼の詳細な語り口は、聞き手に現実感をもたらすほどの解像度を秘めていた。注意喚起としてはむしろ、ただ要点を並べる以上に効果があったと言えるだろう。

 

「とにかく。そういう得体の知れない存在が、この山間部に出現した事は確かだ。だからどうか、貴方にも気をつけてほしい。フィジカルにはそこそこ自信のある私でさえ、昨日丸一日は痛みに悶えていた具合だからね。見かけても決して近づかないことだ」

「……そんな存在が居るんですね。気をつけます。お話しいただき、ありがとうございます」

 

 私の返答に『うん』と小さく頷き、彼は真剣な面持ちを崩す。

 

「……痛みが丸一日、と仰いましたね。それは今も?」

 

 仮に神経毒の類だとすれば、放置していては危険かもしれない。幸い私の積荷には、効果の望めそうな薬草も含まれている。荷車のほうへ身体を向けつつ、譲渡を視野に入れて問いかける。

 

「──あれっ。おお? イノシシ狩りの際にアドレナリンでも出たのか、そういえばすっかり治まっている。幸運なことに一過性のものだったのやもしれない。あるいは今ご馳走になった、貴方の手料理が効いたという目もあるか! ははははは!」

「そ……そう、ですか? それならよかったです! でも念のため、鎮痛作用のある薬草をお渡ししておきますね」

 

 治ったらしい事は喜ばしいけれど、少なくともイノシシ狩りに出るまでは痛みがあったという話でもある。気休め程度にしかならないにしろ、持ち得る策は講じておこう。

 

「なんと、お心遣い痛み入る! いいのかい?」

「もちろん。注意喚起のお礼です!」

 

 マーガレットさんの常備薬と同じものだから、解毒はともかく痛み止めにはなるはずだ。万が一同じ目に遭遇なさった際は、これで凌いでもらえる事を祈るとしよう。

 

「──ふう! 悪いなシルキー、水源が見つかるまで時間がかかった。今戻っ……ん? 誰だアンタ?」

 

 そうこうしていると、木桶を水で満タンにしたフェノゼリーさんが戻ってきた。

 

「おかえりなさい、フェノゼリーさん。こちらは……ええと」

 

 ──そうだ。うっかりしていた。ここまでお互い、()()を明かす事も忘れたまま話し込んでいたらしい。

 

「おっと失礼、同伴者が居られたのか。お邪魔しています。狩りの最中に偶然彼女とお会いし、ここでご相伴に与っていた──名前はまあ、もはや有って無いような()()()()でね。この山間部で野営生活を送っている者です」

 

 ────。

 

「……なんだ、『()()()』かアンタ? にしてはずいぶん元気そうじゃねえか。悪い事は言わねえ。そこのシルキーに、渾名(あだな)でも何でもつけてもらえ。そうすりゃ──ん。ああ、アンタ人間か? まあどっちでもいい。シルキー、いっちょ頼まれてやれ!」

「──え、あ。えっと」

 

 ……脳裏によぎったのは、かつての私が抱いた懸念。現状における、それを思い出させる原因であるところの『彼』を見やり、互いに交わす目線でもって──ある『確認』を取り合った。

 

「──ああ、そうだね。いい機会だ。そうしてもらえるとありがたい!」

 

 こちらの意図が汲まれたのか。応答とともに、肯定の意とおぼしきアイコンタクトが返ってきた。

 

 ……やっぱり、そうだ。この人は私と同じ、この世界に転がり込んだ──

 

「(──『漂流物』、だったんだ)」

 

 ……『彼』とお話をしている最中、そんな予感をうっすらと抱いてはいた。それはおそらく、お互いに。交わす言葉、あるいは思考の根底に形成された観念が、異郷に身を慣らす以前の感覚を呼び起こし──『こうした交流を懐かしく思う』という形で表れていたんだろう。

 

「(……お名前──)」

 

 ……これ以上にない関心事が生じた直後だけれど、それはそれとして──わりと責任重大なお話が降って沸いたものだ。どうしよう。

 

「(ええと……岩も砕けて、木も倒せて、あんなイノシシだって仕留められて……それらを拳でやっちゃうひと……)」

 

 とはいえ。渾名というのは得てして、親しみのもとに半ば安直につけられるもの。かくいう私がそうしてもらったように、ここはあえて気楽にいってしまうとしよう。ゆえに、

 

「──ノッカーさん、というのはどうでしょう?」

 

 お兄さんの眼を見て、私はそう提案した。

 

「──『打ち鳴らすもの(ノッカー)』か。ははははは! いいね、気に入ったよ! この渾名、ありがたく使わせてもらうとしよう!」

 

 ──ああ、よかった。失礼にあたるような命名ではなかったとは思うけれど、ご本人がお気に召さなければ台無しだった。渾名がいくら気軽な経緯でつけられるものだとしても、個人という存在を表す音節となる事に違いはないのだから。

 

「感謝するよ、シルキー殿。そちらの名前も素敵な響きだ。柔らかに包み込むような音節は、貴方のお人柄にぴったりだ」

「──ふふ。ありがとうございます」

 

 一年間のうちに呼ばれ慣れてはいたものの、この名前を褒められるのは初めてだった。かつて故郷に在った自分ではなく、異郷に在るいまの自分、その経緯の証明そのものたる愛称。漂流を境に見失いかけた、自己を象る輪郭線。彼の言葉を受けた今、それを真に認められたようで──『私』はたまらなく、嬉しいと思ったのだ。

 

「──さて、私はそろそろお暇するよ。ごちそうさま! 貴方がたもここで出発かい?」

 

 と、いけない。つい物思いに耽ってしまった。お兄さん……もとい、ノッカーさんにもご予定があることだろう。もっとお話しがしたかったけれど、あまり引き留めてしまっても悪い。鉄串を受け取り、後片付けに取り掛かる。

 

「おう、今日は『大橋』を渡ることになってる。雨で増水しちまう前にってな。『河』の先に用事があるなら頭に入れときな。なんなら、あんちゃんも乗ってくか? シルキーが世話になったみたいだからな。遠慮はいらんぞ!」

「いえ。せっかくのお誘いだが、生憎と向こうに用事はなくてね。見てのとおり、この獲物の後始末が待っている。そのご厚意には感謝します、フェノゼリー殿!」

 

 大きなイノシシを担ぎ上げ、片手で肩に乗せつつノッカーさんは言う。軽々とやってのけるそのさまは、まるでこれから布団でも干しに行くかのような格好だ。

 

「そうかい、ならいいんだ。雨期はこっちの山も山で、土砂崩れやら落石やら危険が多くなる。せいぜい気をつけ……いやまあ、ソイツを仕留めちまう奴にゃ要らん心配か。はっはっは!」

「ははは! ありがとうございます。コイツの毛皮は依頼の品にもなるもので、納品を前に怪我をしている場合じゃない。ご忠告はありがたく、帰路に生かしましょう!」

 

 ……毛皮を、納品? そういえば、彼が加工肉を携帯していた腰の袋──あれはご自身で作られたものだったのか。

 

「すごい。毛皮で商売もなさっているんですね、ノッカーさん!」

 

 宴もたけなわといった頃合いに、またひとつ関心事が転び出る。グノームさんとの思い出もあり、毛皮と革細工には眼を輝かせずにはいられない。

 

「ははは。商売と言うほどでもないんだけどね。平生は私物の加工に用いるのみだが、ある特定個人と出くわして以来、その御仁にお裾分けをしている。いくら狩りに明け暮れているとはいえ、毛皮は毎度も要らないからね。その点で言えば丁度いい譲り先になっているんだ──たとえその後、どんな用途に使われるとしてもね……」

「……え?」

 

 ……なんで急に怪談風味になっちゃうのかな、彼の話。

 

「……『()()』に投げ込むんだそうだ。自身の信仰がどうとか言っていたが……まあ、そのあたりは本人の自由だ。私が口を出すべき話じゃない。それこそ虎の尾を踏みかねないからね。なのでコイツの毛皮も納品できなきゃ後が怖い。安請け合いには気をつけることだ、レディ」

「はい」

 

 怖すぎる。さっきの注意喚起とは別のベクトルで。返事も言葉少なになるというものだ。

 

「……『大穴』にって、マジかよ、そいつ。あんちゃん苦労してんなぁ……」

「忌憚なきお言葉をありがとう。強く生きますとも」

 

 おそらく『大穴』というのは、この国の中心あたりに穿たれたアレの事だろう。グノームさんの地図にも『死んでも近づくな』というメモ付きで記されていたため、強く念頭に刻まれている。フェノゼリーさんが『マジかよ』と言うのも無理はない。

 

「まあ、そんなワケでね。名残惜しいが、ここで貴方がたとはお別れだ。縁に恵まれれば、またお会いできる機会もあるだろう。その時がくる事を祈っているよ!」

 

 ノッカーさんはそう言うと、私たちとは反対側──山の奥へと歩き出す。

 

「──お元気で、ノッカーさん!」

「ああ。佳い旅を、シルキー殿!」

 

 都市部を離れた山間部。束の間における奇縁の邂逅は、誰に知られる事もなく──当事者の胸に刻まれた。

 

 






お読みいただきありがとうございます。


『大橋』前までの出来事回。
ナンパと間違われそうなあんちゃんが居ましたね。


前節末のあとがきで「以降の節は長くならない予定です! 二、三話ずつとかにします(希望)!」的なことを書きましたが大間違いでした。前回の四話目が話途中な時点でお気付きだったかと思いますが、今節はもう少し続きます。ごめんなさいね。

加えて、現時点ですでに今分割パート『借屍還魂』は『前・中・後』の三分割では収まらないことが確定してしまいました。これについては、今節が終了次第、各『水瓶』の数に合わせ、計五パートへと分け直す事にします。各話タイトル予定にしていた『前・中・後』表記は、その時点でとある新表記に変わりますのでご承知おきください。



ダンテくん好きです。



引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。

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