※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。
※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。
以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。
◆◇◇
「──注意喚起? さっきのあんちゃんから?」
荷車を走らせながら、フェノゼリーさんが問い返す。
「はい。昨日の昼食時に休んだ辺りで、見慣れない風貌の『何か』と交戦されたそうなんです。底知れない凶暴さを有しており、野生動物の類であったかどうかも定かではないらしく……とにかく気をつけるようにと。二日前の事だと仰っていました」
地図と照らし合わせて見る限り、私たちはすでに山間部を抜け、現在は『大橋』へと続く一本の道を進んでいる。辺りの風景は拓けているけれど、『河』が近い影響か、草原一帯に薄霧が広がっていた。
「そうか。まあ山間部は抜けちまったし、この辺なら死角から襲われる心配も無いだろう。出発日が前にズレてたら危なかったかもな。出くわしちまったあんちゃんには気の毒だが、俺たちにとっちゃラッキーだったと思っておこう」
「……そうですね。ノッカーさんなら同じ目に遭われても、きっと上手くやり過ごされることでしょう」
……うん。よくよく考えれば、その脅威と私たちはニアミスの格好となっていたのだ。間接的であるとはいえ、こうして無事でいられるのは、彼がたまたま先に遭遇し、根本的な対処を済ませていたからだとも言えるだろう。
「──しかし、そんなのとまでやり合って無事とは驚きだ。やっつけるならあのイノシシだって、俺たち妖精でも手を焼くタフさなんだ。それをひとりの人間が、ああも簡単にやったってんだ。……都市部に並いる兵士どころじゃねえ。『女王軍』に紛れても腕を鳴らせるタマだろうぜ、アレは」
「……『女王軍』……」
この世界は女王が治める国家であり、各都市部に領主直属の兵士が居る事は知っている。『女王軍』とはつまり、それらの兵力を統べる中枢組織ということになるだろう。
「ああした山間部に出張ることは滅多にないが、都市部や主要地帯ではたまに見かける一行だ。シルキーも知らないうちに、ノリッジですれ違ったことぐらいはあるかもな」
兵士とおぼしき方々を見かける機会は何度かあったけれど、さすがに所属や階級の違いまではわからない。ただ純粋に、『この世界の情勢は、彼らに出番があるような状況なのか』──という、軍事国家としての側面を垣間見るのみだった。
「(……内乱とか、多いのかな)」
旧暦を含め、『他国』にあたる世界との交流が過去に一度も無い以上、自ずと兵力の矛先は窺える。外への抑止力ではないのなら、内に向ける他に道はない。
「最近だと、シェフィールド周りが物騒な具合だな。あの街はノリッジともあながち無関係じゃないが、そこは両領主間のいざこざ以上でも以下でもない。現状の燻りに絡む話じゃないのが幸いだぜ、まったく」
……案の定バチバチだった。ノリッジの名を聞いてひやりとしたけれど、戦火が及ぶ心配はなさそうだ。しかし──
「……そんな状況になっているんですね。危ない時期に送迎なんてお願いして、ごめんなさい」
──それを知ってしまっては、自分のお気楽な現状を省みずにはいられない。
「お? いやいや、シルキーが謝る事じゃないっての。内乱の火種なんざそこかしこで、寝ても覚めても燻ってんだ。俺みたいな外回りの連中にとっちゃ、そんなモンはいつもと何も変わらねえよ」
「──そう、ですか。すみません、つい」
今更ながらに……いや。こうして実際に、外へ我が身を曝けてこそ──この世界の現実、その片鱗を、僅かに感じられた気がした。
「はっはっは。だからいいっての。マギーもそうだが、人間ってのは妙に突飛なコトを言うんだよな。まあ俺みたいな半端モンは、お前さんたちのそういうトコが好きでもある。今のグノームの事を茶化して言えねえな、こりゃ!」
「(────?)」
何かまた、私の知らない意味合いというか、この世界の住人特有の観点から出る言葉を聞いた気がする。
「……と、言ってる間にそろそろだな。シルキー、適当な布で顔を隠しとけ。『大橋』を渡る際、『河』を見ずに済むようにな」
「え……は、はい! これでいいでしょうか?」
いつのまにか、もうそんな所まで来ていたらしい。言われるがままにフェイスタオル大の布を取り出し、頭巾のようにかぶって応じる。
「おう、それでいい。人間への影響は妖精ほど致命的じゃないが、見ちまったら危ない事に変わりはねえ。景色を楽しむのは一旦ここまでだ!」
「はい!」
布の隙間から覗くと、フェノゼリーさんも目深なかぶり物を着用していた。服を着るのも渋々らしい彼ですら手を抜かないあたり、これはよほど重要な対策とみえる。
「──その、やっぱり本当なんですね。この『河』を見ちゃいけないというお話は」
「近くに来た場合は特にな。遠望くらいなら大丈夫かもしれんが、まあそれでも直視はやめたほうがいいレベルだ。気をつけて乗ってろよ!」
手元の地図にも『死んでも見るな』と記されていることだ。忠告主たるグノームさんの沽券にも関わる以上、心して参るとしよう。
「…………」
「(…………)」
──車体に響く物音が、しだいにガタゴトと騒ぎだす。どうやら土の地面を通り過ぎ、石造りの道に乗り上げたらしい。私たちはもうすでに、『大橋』の上を進んでいるのだ。
「…………」
「(…………)」
──視覚が用を成さないためか、他の五感が研ぎ澄まされる。口内に残るスパイスの風味が感じられ、揺れるこの身は車体と同化したかのよう。車輪が奏でる走行音は、五線譜が浮かぶほど粒立って聴こえた。
「…………」
「(…………)」
……………………。
「……あ、べつに喋ってもいいからな?」
「えっ。あ、そうなんですね!」
何なら息も止めていた。大事を取っての行為とはいえ、間抜けな自分が恥ずかしい。
「はっはっは! そういや俺も、ここを誰かと一緒に渡るのは初めてだな。会話をするほうが不自然なモンだから、つい押し黙っちまったぜ。不具合はないか?」
「ええ、特にありません。おかげさまで快適です!」
ここが妖精さんにとって危険な場所であるのなら、誰かと一緒だとしても私語は抑えるべきだろう。それでも彼はこうして、あえて喋りかけてくれている。私への気遣いなのか、自身の緊張をほぐす意図なのか──
「退屈なんだよなあ、此処を渡る時。なにしろそれ以外の行為は我慢しっぱなしだ。道中は景観が醍醐味だってのに、足元の石畳しか見ちゃいけねえんだからよう。この先にある、土の地面が待ち遠しい限りだぜ」
──単なる暇つぶしだったらしい。それくらいの気軽さでいてくれるほうが、私としても気が楽だ。
「ふふふ。私は初めての通行ですが、それでもお気持ちが少しわかる気がします。土の地面が見えるまでに、石畳が何枚あるか数えようかと思っていたところです」
「気が遠くなるなソレ……というか、マトモに数えられるのか? 端のほうは視界にすら入らんだろう」
「はい。なので実際、無理ですね!」
「何だそりゃ!」
とかなんとか、益体のなさすぎるお喋りをしつつ。せっかく現地に居るのだからと、この『大橋』について訊いてみた。
「この橋って……危ない『河』に架けられた事を承知のうえで、ずっと使われているんですか?」
「まあ、その必要がある奴らはな。迂回すればいいところを、こうしてわざわざ渡るぐらいだ。それだけ利便性が捨てがたいのさ。誰かが造ってくれたおかげで、俺たちは仕事でラクができる。文句は言えねえな!」
仰るとおりだ。顔も知らぬ建設従事者に向け、心の中で感謝を述べる。
「納得です。主に渡る必要のある方々だけが使う橋なら、なるほど渋滞もなく、対向者も稀なはずですね。そう思うと、私たちが貸し切っている今って、実は贅沢な時間かもしれません!」
実はと言わず、実際に私は贅沢な体験をしていると思う。往来のど真ん中を分け通る、貴人の待遇もかくやといった有様ではなかろうか。
「──ん?」
などと、密かに悦に入りかけたとき。
「──フェノゼリーさん?」
彼は唐突に、荷車を押す速度を緩めてしまった。
「……いや。そういえば、と思ってな。確かにこの橋を使う輩は限られるが、ほかの通行者がゼロってのは珍しい。霧も出ているとはいえ、ここまで静かなんて事は──」
そう続けかけた言葉とともに、荷車がぴたりと立ち止まる。そして、
「──何ですか、
私たちはほぼ同時に、十メートルほど前方で佇んでいる──得体の知れない『何か』の姿を捉えていた。
「(────)」
白く煙る霧の奥に、ゆらりと蠢く黒い影。……直感が警笛を鳴らしている。アレはきっと──『よくないもの』だ。
「……まずい! 引き返すぞ、シルキー!」
「──は、はい!」
フェノゼリーさんの掛け声を聞き、咄嗟に荷台にしがみつく。
「(……っ……!)」
急激な方向転換を受け、車体が大きく揺れ動く。振り落とされないよう必死に身を屈めつつ、状況把握へと頭を回す。過度な緊張が一周して冷静さを引き摺り出したのか、薄霧に煙る視界とは裏腹に、思考は却って明瞭だった。
「くそっ、荷台がそっちに向いちまうか……!」
「……お気になさらず! いざとなったら、此処で私ごと……!」
前後が入れ替わったおかげで、私と荷車はフェノゼリーさんの盾になれている。背後に居るであろう『何か』が追ってきたとしても、彼だけは逃げ切れるかもしれない。けれど──
「バカ言え! 愛車を手放す気はねえし、預かった荷物を置いて行くなんてまっぴら御免だ! ここで仕事を放棄するぐらいなら、
「────…………!」
──彼の意志は、到底揺るぎ得ないほどに強固だった。
「(──でも……!)」
背後を振り返り、『何か』の姿を眼に映す──まずい。荷車よりも速いスピードで、こちらをめがけて追ってきている。
「──来ないで!」
咄嗟に積荷へ手を突っ込み、無意識に掴んだ私物を突き出して叫ぶ。
「おいおい、妙な真似はするな! 無闇に刺激したら──、……!」
わかっている。たとえ石を投げつけたって、目の前の『何か』を退けることはおろか、怯ませることすらもできないだろう。だから、これは単なる気休めだ。状況を打開しうる策にもならなければ、最低限の対処にすらなっちゃいない。
──その、はずが。
「───…………!」
どういうわけか。得体の知れない『何か』は、私の手元を見たほんの一瞬──こちらを追うことに、躊躇うような挙動をとったのだ。
「(…………!)」
──その刹那。
「────そこを動くな、荷運び!」
誰も居ないはずの『大橋』の上。得体の知れない『何か』の背後から──注意を促す声を耳にした。
「(──え──?)」
かぶった布の隙間に限られた、僅かな視界に眼を凝らす──しかし。
「──はあッ!」
なにかを捉える暇もなく、不意に巻き起った
◆◆◇
「(──いったい……何、が……?)」
瞼を開けようとして、何も視えないことに気づく。
「(──痛、っ……)」
まともに爆炎を視てしまったせいで、網膜がチカチカと悲鳴を上げる。それはちょうど、不用意にも双眼鏡で太陽を覗いてしまった時のように。一時的に視覚は失われ、瞼を開けるだけでも耐えがたい苦痛を伴った。
「……さま、突然……、──!」
「──。それより──、──れ」
「! ……なに、通行者? ──、……はず」
「いや。──対岸には──だ。無理も──」
……どうやら、聴覚もやられていたらしい。眼の痛みが酷かったばかりに、負けじとキンキン訴える耳鳴りにすら気づかなかったようだ。辛うじて聴こえる断片的な音声から、見知らぬ誰かが数名居ることを認識する。
「──、……シルキー! 聴こえるか!」
こちらは間近からの声掛けなんだろう。それが私の安否を問いかける、フェノゼリーさんの声だとはっきり判る。
「……は、い。ごめ、なさい、めと、みみが、まだすこし……」
満足な声量が出せていないのか。こもる耳のせいもあり、己が発声もままならない。知らぬ間に口内を噛んでしまったらしく、微かに血の味が感じられた。
「──無事なんだな! なら良い! しばらくそのまま、荷台に座ってろ!」
──どうやら、フェノゼリーさんは大丈夫みたいだ。私とは反対側を向いていた事と、厚めのかぶり物を着用していたおかげか、眼も耳も機能しておられるご様子だ。こちらへの気遣いから張り上げられた安堵混じりの声色をみるに、おそらく荷車も無事らしい。
「助──ました、──様! 何とお礼を申せばいいか……」
「──ッジの者か。此処を──なら急ぐがいい。見てのとおり、──スの出現が──いる。これより規制──張り、安全が──までは我々が……」
徐々に難聴の症状が治まりつつあるのか、さっきよりも会話の内容が聴き取れるようになってきた。どうやらフェノゼリーさんは、先の窮地から救ってくれたらしい、命の恩人とお話中のようだ。
「──そこの君、私の炎で眼をやられたのか。直視をしたのなら無理もない。外傷は皆無ゆえ、安心するがいい。じきに視えるようになる」
それからまもなく、片方の声の主を近くに感じた。……まだ音声の端々がざらついて聴こえるけれど、それが私に向けられた言葉と判る。
「……さっきの行動は佳い機転だった。よくぞ奴らの弱点を突いたものだな。アレがなければ、私の対処が間に合わなかったやもしれぬ。だが、二度目は推奨しない。今後は力量相応に、己が手に余る争いからは身を引くことだ」
「(──……?)」
……やや要領を得ないお言葉だけれど、私の行動を窘めつつ、労ってくれているらしい。力強い語り口からは、相手の強弱を正しく量る、厳しさと優しさが滲み出ていた。
「──ありがとう、ございます──」
……視覚が戻らない事が悔やまれる。お相手とは顔を突き合わせているはずなのに、眼を見て話すことが叶わない。
「──解ったのならよし。此処は任せて行きなさい。少なくともひと月ほどは、この辺りに立ち寄らぬように。荷運び、お前もな」
「ぐ、ひと月……わかりました。ほらシルキー、もう横になってろ! さっさと渡りきっちまうぜ!」
「急げよ、お前たち! ……規制線の設置が急務ですね。奴らの発生時期が予想よりも早い。これも『
「……可能性は否定できん。地理関係のこともあるゆえ、念入りに当たるとしよう。目先の戦線に重なると面倒だ。周囲の警戒網は私が敷く。お前は現場検証を終え次第、後衛の連中に状況を伝えろ」
「はっ!」
──現場を通り過ぎるまでの数秒間、先の兵士とおぼしき方々の会話が聴き取れた。……どうやらこの一帯は、『河』自体とはまた別の問題も生じていたらしい。
「(────、…………)」
……意識が途切れる。さすがに今の体験は、疲れ果てるには充分すぎたのだ。
「(……)」
振動が伝う荷車のなか。未だ視覚が戻らない、眼の奥の痛みを感じながら──泥のように眠りについた。
◆◆◆
──肌寒さを覚え、身じろぎをする。
「(────…………)」
全身がなぜか鈍く痛む。寝違えでもしたんだろうか。
「(……いま、何時…………あっ──)」
ひとしきり寝ぼけてみせたころ。鉛のように重たい身体を起こし、ようやく現状に意識を回す。
「──おう、おはようさん。つっても、今はもう夜だがな」
「……え──」
眼を擦って、声のする方を向く。真っ暗闇のなか、ささやかな焚き火が周囲を黄色く照らしている。
「安心しろ。ここは目標地点の森の中だ。お前さんが寝てる間に、今日の道程は終えちまったぜ」
ぼう、と照らされた辺りには、火の番をしていたらしいフェノゼリーさんのお姿が。お湯を沸かしているのか、陶器の鍋が湯気を上げていた。
「飲むか? ただの湯だが。飲まず食わずの寝っぱなしで冷えただろう。動けるなら荷台から降りてこい。焚き火の前で暖をとれ」
「……はい。いただきます」
ずるずると身体を引きずり、毛布を羽織って地に降りる。差し出された木製のカップを受け取り、ちびちびとお湯に口をつけた。
「……おつかれさまです。すみません、私が寝ている間に、おひとりで働かせてしまったようで……」
「はっはっは。せっかくの話し相手がだんまりなのは退屈だったが、荷運びは荷運びだ。それこそ平常運転、いつもと違いはなかったさ」
──日中の件を経た後だ。彼も彼で、道中は心の平静を取り戻す必要があったことだろう。『退屈』と濁してはいるけれど、心細い思いをさせてしまったかもしれない。
「落ち着いたか? 眼と耳の具合はどうだ」
「──はい。まだ少しチカチカしますが、ちゃんと眼が視えています。耳もほとんど快復しました」
言われてから気づく程度には、先の症状も治っていたらしい。今はどちらかというと、長時間寝込んでいたことによる、筋肉痛のほうにまいっている。
「そうか。ま、焚き火を直視して大丈夫なら安心だ。……今日は災難だったな」
「……ええ。お互いに」
……ふたり並んで言葉なく、中心に燃ゆる焚き火を見つめる。微かに風が吹いているのか、ぱちぱちという薪の音に混じり──周囲の木々がかき鳴らす、葉擦れのざわめきが耳を占めた。
「──何だったんでしょう。『大橋』に現れた、あの黒いものは……」
焚き火の向こうに、例の『何か』を幻視する。眠っていたぶんの時間を埋め合わせるように、私は彼に問いかけた。
「──『
「……モース……?」
口ぶりから察するに、彼はその存在を知っているようだった。固有の名称がある以上、この世界では一般的に知られるものなんだろう。
「ああ。『俺たち』にとっちゃある意味、何よりも身近な存在だ。健康体でも触れたが最後、妖精はいずれ皆ああなっちまう。カタチある不治の『病』、生きた『呪い』みてえなもんだ」
「…………!」
──妖精さんたちが……いずれ、なってしまう──?
「お前さんたち人間だって無関係じゃねえ。襲われれば普通は殺されちまうし、瘴気に触れただけでも激痛を伴う。『牙の氏族』は例外的に耐性を持つが、連中も触れたら痛い事に違いはねえ。国中でアンケートを取るまでもなく、出遭いたくない存在最上位に躍り出る──そういう存在なんだよ。モースってのは」
……どうりで血相を変えて引き返そうとしたわけだ。フェノゼリーさんと私はあの瞬間、紛うことなき死の淵に居たのだから。
「(……そんなにも、恐ろしいものだったなんて)」
初めて遭遇した私でさえ、アレをひと目みて『よくないもの』だという直感が働いたけれど──今の話を受けたことで、その実感がより強まった。
「(……ん? あれ。というか──)」
そして。窮地を脱し、落ち着いて振り返る機会を得たことで──この件に関係するかもしれない事柄がひとつ、脳裏をよぎった。
「──もしかして……ノッカーさんが遭遇された、得体の知れない『何か』って……」
私の疑問に反応したらしい。フェノゼリーさんは頭を抱えながら、ため息交じりに吐き捨てる。
「……ああ。状況的に十中八九、モースの事だろう」
──やっぱり、そうか。
「……なあ。お前さんの話じゃノッカーのあんちゃん、ソレと交戦したと言ったよな。その後は?」
「はい。撃退されたそうです。拳で身体に風穴を空けて、消滅を見届けたと……」
より深く頭を抱え、『マジかよ』とつぶやくフェノゼリーさん。私もまったく同じ思いだ。
「……まあいい。そういう事もあるか。あったんだから仕方ねえよな実際。で、なんで無事なんだアイツ。本当は人間じゃなかったのか?」
「少なくとも、間違いなく人間ですね。信じられないことに。ただやはり、まったくの無事とはいかなかったようです」
そうだ。彼は撃退こそなさったものの、その後は翌日にまでわたる激痛に見舞われたとも言っていた。これはまさしく今聞いた、『モース』に触れた事による後遺症にほかならないだろう。
「……激痛か。そりゃそうだよな。拳で直に触れておいて、ただの人間が無事なはずがねえ──可哀想にな。そんな症状を抱えていながら、俺たちの前じゃ気丈に振る舞ってたのか……」
いけない。言葉が足りていなかった。
「いえ、そこはご安心を。今朝のイノシシ狩りを終え、私と朝食を共にされた時にはもう、痛みは引いているご様子でした。から元気……という感じでもなかったと思います」
「──え?」
──え。どうしてそこで顔を顰められるのか。……まずい。補足の言葉を出したつもりが、より疑問を深めてしまったらしい。
「……え、ええと。とりあえず本当です。イノシシ狩りもどうにか普段どおりにこなされたようで、私の料理も完食なさっていましたから」
「ああ、そこは信じてるから別にいい。俺が不思議に思ったのは──『たった一日そこらで、症状が劇的に治った』って点だ」
ああ、そういう文脈か。それはたしかに、私も不思議に思った点だ。……ノッカーさんは『一過性の症状』という認識で、私もそんなものかと思うのみだったけれど──フェノゼリーさんの様子をみるに、そうした快復傾向は異常だという話らしい。
「『牙の氏族』の例といい、もちろん耐性には個体差がある。だが、アイツは人間だろう? 『
そこまで語りかけた矢先、フェノゼリーさんは何かに思い当たったのか──私の眼を真っ直ぐ見据え、予想外の質問を投げかけた。
「──シルキー。お前さん、今日の朝食はどうやって調理した?」
……調理?
「──えっと。キノコと山菜にスパイスを振って、鉄鍋で炒めた……だけ、ですね」
その場で考え込み、調理工程を思い出しつつ自供する。……何かまずいことでもやっちゃったのか──と思ったけれど、幸いにも思い当たる節がない。
「(……)」
恐る恐る顔を上げ、フェノゼリーさんの様子を窺うと──
「……そういうことか」
──こちらの不安とは裏腹に、納得の面持ちを浮かべていた。
「……あの。今の話で、何か?」
置いてけぼりの格好になり、不安もあって前のめりに問いかける。……もしや、スパイスか。イノシシまでもをハイにさせてしまったスパイスが実は、摂取してはいけないヤバめの何かで──
「──『
……テツナベダ?
「『鉄鍋』から染み出た成分が、食材に浸透したんだ。確か、『鉄串』に刺してもいたよな? あんちゃんはソレを食物と共に摂取したことで、体内からモース毒を中和したんだろう」
…………えっと、つまり。
「(──モースの毒に、『鉄』が効いた?)」
そこまで思考が及んだ最中、もうひとつの出来事が思い浮かぶ。
『──さっきの行動は佳い機転だった。よくぞ奴らの弱点を突いたものだな──』
……『大橋』での一件。迫り来る『モース』の眼前へ、私が無我夢中で突きつけたもの。あれもまさしく、今朝の調理に使われた──『鉄鍋』だったのだ。
「──だから、あのモースを怯ませられた……?」
「おっ。鋭いな、ご名答だ! ……ったく。気絶してるってのにお前さん、うっ血するほど握り締めたままだったんだぜ。グッパーしとけ、グッパー」
本当だ。両掌のいたるところに立派な血豆が実っている……いや。それよりもまず、この話題に集中しなければ。
「ともかくお手柄だ。何をするのかと肝を冷やしたが、『その手があったか!』と感心したもんだ。まさか『鉄鍋』を『武器』にしちまうとはな。盾代わりじゃその場しのぎにしかならなかったろうが、おかげで『女王軍』の救援が間に合ったんだからな!」
「……えっ」
──『女王軍』?
「まさしく『噂をすれば影』ってヤツだ! まあ、ソレとは知らず噂していた、モースまで付いてきたがな。はっはっは! いや笑えんな……」
……どうりであんなにお強いわけだ。魔法みたいに爆炎を巻き起こしたかと思えば、ノッカーさんでさえダウンしてしまう存在を、無傷のうちに焼滅してしまったのだ。そんな芸当を叶える方々が居るとすれば──この国の最高戦力らしい、『女王軍』をおいて他にないだろう。
「しかし、あの場に駆けつけたお姿には驚いたぜ。なにしろあの御方は──『女王軍』を率いる『妖精騎士』が一角、
「(──『妖精騎士』──)」
……騎士。それも、妖精の騎士さま? ああ、御顔を拝見できなかった事が尚更に悔やまれる。どんなに凛々しく、清廉な御仁であるのだろう。
「(……というか、『ガウェイン』さん?)」
それって確か、『アーサー王伝説』に登場する人物の名にあったような。その名を冠する御仁がおられるという事は、この世界でも有名なお話なんだろうか。
「と。そういえばお前さんは、あの場に『女王軍』が居た経緯を聞いちゃいないんだったな。モース頻出の知らせを受けて、『大橋』一帯を調査中だったらしい。ノッカーの件といい、つくづく俺たちはツイてるぜ。危ない目に遭いかけたとはいえな」
「──そうだったんですね。ノッカーさんの注意喚起とも符合しますし、納得です。……『大橋』がひと月ほど使えないというお話は、辛うじて聴き取ることができました。フェノゼリーさんにとって痛手になりますね……」
ときめく関心事は我慢して、目下の問題に意識を戻す。往路の今はともかく、彼の復路が気掛かりだ。
「仕方ないわな。シェフィールドを含め、あの一帯から北半分はしばらく危なそうだ。ソールズベリーまで届けた後は、南の海岸沿いを通るとするか。遠回りにはなるが、ロンディニウム近辺を経由できるのは安心だ。ノリッジが港街で助かったぜ」
おそらく、グノームさんが提案を保留なさった、別のルートを通るのだろう。日程は倍近く延びてしまうけれど、安全には代えられない。
「その際は、どうかお気をつけて。……モース対策として、鉄鎖で鎧でも編みましょうか?」
「おいおい、地獄みてえな提案を真面目に言うな! 服だけでも鬱陶しいのに、鉄を身に纏うなんざ冗談じゃねえ!」
「あっ! ごめんなさい!」
失言だった。そしてやっぱり、服はお嫌いなご様子だ。
「……まあ、ノリッジに帰るまでは本気で対策しねえとな。ソールズベリーの貸し倉庫から、鉄の武器を二、三ばかし持って行こう。それさえありゃどうにかなる」
「武装……ですか。確かに、それぐらいしても損はないと思います」
彼ほどの膂力があれば、重い鉄の武器も振るえることだろう。私が盾代わりに突き出した『鉄鍋』ですら、モースを怯ませる事ができたんだ。武器ともなれば、近付かずに追い払う事も可能かもしれない。
「戦うトコまではいきたくないねえ。俺たち『土の氏族』は鉄の武器にも理解があるが、それでも妖精にとっちゃ苦手な代物だ。そこまで忌避されない程度で済む、日用品とはワケが違う」
「?」
鉄が……苦手? 忌避って、どういう……
「あれ、知らなかったのか? てっきりグノームの奴から聞いてるモンだと思ってた。妖精はな、日用品ならともかく──『鉄』のなかでも『武器』ってやつは、特に苦手な代物なんだよ」
……待って。それって──
「──当然の話だわな。モースが嫌う代物なら、妖精だって嫌うのさ」
「…………!」
──今更ながらに、はっとした。グノームさんが贈ってくれた、鉄製品揃いの野営ツール。マーガレットさんが譲ってくれた、鉄鍋をはじめとした調理器具。いずれも扱いかた次第では、『武器』にも転ずる代物ではないか。
……ああ。そうか。譲り受けたそれらはすべて、単なる便利な道具ではなく。内戦の火種が燻る国内で、モースの危険をも遠ざけるために持たされた──『お守り』に等しいものだったんだ。
「(……ありがとうございます。グノームさん、マーガレットさん──)」
心の中でそう唱え、ふたりのお顔を思い浮かべる。
「(──あれ。でも)」
思い浮かべた流れで、夫婦宅での生活が思い出される。グノームさんは思いきり、鉄製の調理器具で作られたお料理を、ばくばく召し上がっておられたような。
「……あの。グノームさんって、鉄にものすごくお強いかた……だったりします? 具体的には、微量な成分を、好んで経口摂取しても平気なぐらいに」
「いや、アイツがいくら鍛治師でも、さすがに鉄は食わんわな。わざわざ口に含めるなんざ、同じ『土の氏族』でもそれは引く」
……うん?
「で……ですが、マーガレットさんが鉄製の調理器具で作られるお料理を、グノームさんはお代わりも含めて召し上がっていました。それも毎回、感想をお伝えになるほど美味しそうに。鉄にお強いわけではないのなら、ああはされないと思うのですが……」
……ここまでのお話を総合すると、鉄は日用品レベルなら『忌避されない』ものの、『まったくの無害』ではないというニュアンスだった。それはつまり、『少なくとも有害ではある』という事になる。
だったらなおのこと、鉄の成分が溶け出ているばかりか、妖精さんにとっては『必要のない』お料理を、『好んで召し上がっていた』グノームさんの行為は、強い耐性でもなければ不自然な話だろう。
「……なるほど、そういう話か。だったら俺にも、思い当たる節がある」
すると。フェノゼリーさんは居住いを正し、神妙な面持ちで語り始める。
「アイツが鉄を好んで経口摂取する事はない。だが、そうせざるを得ない理由は有り得る。早い話が、『
──『治療』……って、言った?
「──何の、ですか?」
──いや……まさか。
「ああ、実はな。アイツ……グノームは、今からだいたい十年前──自分の『目的』を見失い、モースになりかけた妖精なんだ」
────────。
「……グノーム邸を発つ前日、ちょっと話しかけて止めたんだっけか。十年前の出来事だ。内乱の戦火が及んだせいで、アイツは当時の仕事を失ったんだ。鉱山での採掘を生業にしていた身にとって、天塩にかけた山が住宅ごと潰れたのは、やっぱり死ぬほど堪えたらしい。『目的』の在処を外から失ったアイツには、ほどなくしてモース化の兆候が出始めた」
────…………。
「そんな時だ。専属の現場が無くなったことで、事実上放免された『人間奴隷』のひとりが、アイツに一発気合いを入れてくれたのさ。……今でもあの光景は覚えてるぜ──『あんたねえ。ヒトを散々コキ使ってくれたクセに、仕事がひとつ無くなった程度でしょげてんじゃないわ! そんな暇があるんなら、私の住む場所造れってんだー!』──つって殴り掛かる、おっかねえ
……………………。
「かくいう俺も、アイツらとは仕事を共にしていた身でな。鉱石が出なくなった以上、荷運び役も用無しになった。グノームほど重症じゃなかったが、俺もあやうく『目的』を見失いかけた。その後はふたり共々にノリッジへ転がり込んで、なんだかんだで現在に至る……って……おい、シルキー。……大丈夫か? まさかお前さん、まだ眼が痛んでるんじゃ──」
だめだ。顔が上げられない。
「……はい。まだ少し、火を視るには、早かったみたいです」
「わるいわるい。焚き火の真ん前だってのに、ちょっと長く話しすぎたな。この辺でやめとこう。痛みが酷いなら休んでいいぞ。車体の清掃はもちろんナシだ」
「いえ。眼を伏せていれば大丈夫なので。日中はさすがに寝すぎましたし、よろしければこのまま聞かせてください」
──不意にこの場で知ることになった、大好きなご夫婦の馴れ初め話。モースという存在を知った後で聞いた所為もあり、感情という感情が暴れて止まない。冷え込む夜風が気にならないほどに、私の身体は火照っていた。
「お、おう、そうか。無理はするなよ──とにかく、そういうコトがあったんだ。マギーの注文を皮切りに、グノームが建てた新居で、ふたりは一緒に住むようになった。……ああ、そうそう。ノリッジに移住する際、同じく路頭に迷った数翅の妖精と、マギーみたいな境遇の人間も連れてきたんだったな。各自がノリッジで落ち着くまで泊めていたんだ。グノーム邸に客室が造られたのはまあ、そういう理由だ」
──その内の一室を、巡り巡って私も使わせていただいたのか。……大切に扱って良かったと、心の底から改めて思う。
「そこからのグノーム邸はもう、お前さんの知る生活と大差ねえ。アイツは仕事、マギーも仕事。俺みたいな常連客が顔を出したり、素泊まりの客が訪ねたりとな。……鉱山時代と同じとはいかなくなったが、代わりにグノームは鍛治師になった。扱う材料には馴染みがあるからと、どうにかそれを足掛かりに──ああしてマギー共々、『第二の生』を歩んでる」
そしてそれは、フェノゼリーさんもまた同じ。三者にはどこか、共通した雰囲気……のようなものがあるような気がしていたけれど──今まさに、その正体を垣間見た思いだ。
「で、それらを踏まえてだ。一度は『目的』を見失い、モース化の兆候がみられたグノームには、その後も経過観察が必要だった。新しく『やりたいこと』を見出し、『目的』の喪失を免れたものの、崩れかけたモンが安定するには時間が掛かる。だからマギーはせめて、モース化の再発予防のために……妖精とモースにとっては毒、だがモース化に対しては薬になると考え──鉄製の調理器具で作った手料理を、グノームに振る舞い始めたんだろう」
……マーガレットさんがどうしてあれほど、お料理に熱を入れておられたのか──その理由の根幹にあるものが、何であるのかが窺えた。懐に忍ばせているレシピ帳を、そっと強く抱きしめる。
「実際のところ俺は、さっきのシルキーの話を聞いて初めて思い至った具合だ。……おそらくだが、マギーもどっかのタイミングで『モースは鉄が苦手』だと知ったんだろう。その点にヤマを張って、本人合意の上で取り決めたって感じかね。グノームはダメなモンはダメって言う奴だからな。体内に入るモンなら尚更だし、美味いと感じてるのはマジだと思うぜ。『かぶれ』の症状も出ないあたり、適量を上手く探り当てたんだな。アイツら」
……………………。
「……思えば不思議な話だ。十年前のあの時期に、俺たちは終わってるはずだった。少なくとも、妖精の連中は一様にな。『成長』の観念がない身にとって、元ある『目的』を失うことは死に等しい。だが、人間は違う。万能じゃないがゆえに、『工夫』ってモンを識っている。元より『目的』を持たんがゆえに、『やりたいこと』を探し出す──グノームも俺も、人間と暮らすノリッジの妖精は皆、お前さんたち人間のそういうトコに影響を受けてんだ」
────────。
「ノリッジが特別、妖精と人間が共に暮らしやすい風土なのはそういう理由もデカいだろうぜ。おかげでグノームもマギーも、あの街で『第二の生』の只中にいる。そんなアイツらだからこそ、お前さんの『やりたいこと』だって応援するんだろう」
……ああ、そうか。
「(──『第二の生』──)」
だから私は……こうして此処に在れるのか。
「──話し込んじまったな。まあ、眠気を誘うにはちょうどいいか。……今日は危ないところだったが、明日もそうとは限らねえ。今夜はしっかり休むことだ。ソールズベリーまでの送迎、キッチリこなしてやるからよ!」
掌をぱんっ、と小さく鳴らし、就寝時間を合図するフェノゼリーさん。気づけば半刻は経っていたらしい。
「……はい。ありがとうございます、フェノゼリーさん。お聞きできてよかったです」
喋り通しでお疲れになったことだろう。この場に居ないおふたりにはちょっぴり申し訳がないけれど、ご夫婦に関する貴重なお話の開示に対し、労いとともに感謝を述べる。
「はっはっは! そうかい! ま、今の話は内緒で頼むぜ。バラしたと知られちゃ後が怖いんでな!」
「ええ、もちろん。しっかり墓まで持って行きます!」
夜風が冷たくかき鳴らす、葉擦れの音に包まれながら。
「──おやすみなさい。フェノゼリーさん」
きょう一日の名残を灯す、焚き火を離れて小さく祈る。
「──また、明日!」
お読みいただきありがとうございます。
ふたりが訪れた時は、まだ『大橋』も健在だったようです。
その後『大橋』がああなった時期と、シェフィールドの一件とは時期が近そうだったので、「戦備がてらモース出現の調査とかやってたんじゃないかな?」などと思った次第です。
奏章Ⅳ、4月末ですってね。早い。
いよいよナンバー章のトリ(暫定)、楽しみでなりません。
引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。