※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。
※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。
以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。
◆◇
『大橋』を渡ってから、三日が経った夕暮れ時。
「そろそろだぜ、シルキー!」
草原が拡がるのみだった景観に、居住地らしき建造物がちらほらと。進行方向に望める都市部に先駆け、周囲には生活圏の気配が見受けられた。
「──はい!」
荷台から身を乗り出し、車体の行く先を眺めてみる。あと数百メートルも走行すれば、『ソールズベリー』に到着だ。
「どうにか二度目の災難に見舞われず、無事にここまで来られたな。道中の雨も小降りで済むとはラッキーだ。あと一日も遅れてりゃ、あの重っ苦しい雨雲も決壊していただろうぜ!」
「本当ですね。フェノゼリーさんの運転さまさまです。私ひとりで歩いていたら、『雨期』の洗礼を受けていたかもしれないばかりか、生きて辿り着けたかすら怪しいです」
鉛色の雨雲を仰ぎ見つつ、道中の出来事を思い返す。『大橋』の件以降は幸いにも、野生動物やモースと遭遇する事はなく、至極順調な道程に恵まれた。
「はっはっは! そいつはお互い様ってコトよ。というか、安心するにはまだ早いぜ。お前さんは陽が落ちちまう前に、今日の宿を決めにゃならんだろう?」
「そ、そうですよね。つい舞い上がってしまいました!」
仰るとおりである。この送迎行はあくまで、新生活を迎えるための橋渡し。到着してからが本番だ。
「俺としちゃあ、街の外であえて野宿ってのも面白いが、『風の氏族』の領域でそれは流石に体面がな。お前さんはこれから自分を売り込もうってのに、第一印象から
「えっ?」
──アテ?
「往来に入ったな。すぐにでも観光させてやりたいところだが、悪いが先に用事を済ませるぜ。街巡りは後日の楽しみにとっておけ」
「は、はい。それはもちろん!」
と。そうこう話しているうちに、もう街の中心部を分け入っていたらしい。
「(──彼らが、『風の氏族』──)」
周囲を練り歩く、街の住民さんたちが眼に留まる。長く鋭いお耳を除けば、その容姿はほとんど人間と変わりがない。美しい街並みに似つかわしく、どなたも身なりが整っており、気風と風土のほどが窺えた。こんなところで一見さんが野宿なんてしようものなら、確かにアレな雰囲気だろう。
「(──あ、『土の氏族』の方々もいらっしゃる)」
往来の通り過ぎざま、『風の氏族』に紛れて別の姿も見受けられた。なるほどマーガレットさんの仰るとおり、住民さんの顔ぶれを見る限り、この街は比較的ノリッジと近しい風土と言えるのかもしれない。
「──よーし、到着だ。長旅おつかれさん! 荷台から降りていいぜ」
「はい! フェノゼリーさんこそ、おつかれさまでした!」
荷車が停められたのは、街の中心部を離れた地区。建物がまばらに並ぶ一角にある、『石造りの蔵』の前だった。
「ここが前に言った『貸し倉庫』だ。何十年も前から俺が使ってる。まあ、休憩所を兼ねた資材置き場って具合だな」
「わあ、ここが!」
たしか、復路を見越して『鉄の武器』を取りに行く、と仰っていたっけ。勝手に物置きぐらいの規模を想像していたけれど、駅舎ほどの面積は優にあるらしい。十年以上前ということは、鉱山で働かれていた時代からの物件だろう。資材置き場ともくれば……なるほど、これぐらいの広さは必要で──
「……おや。こんなタイミングに何方かと思えば、フェノゼリーじゃないですか」
──なんて、建物全体を見回していると。物陰から此方に向けて、声をかける者の姿が見えた。
「おう、俺だぜ
「お構いなしが過ぎませんか? あと服はちゃんと着なさい」
お仕事上の付き合いがあるのか、フェノゼリーさんとは顔見知りのようで、『オーナー』と呼ばれた男性が歩み寄る。ぱっと見た限り、彼もまたこの街に住まう『風の氏族』の一員らしい。ひと目みて高価と判る装束、清潔に保たれた容姿をみるに、裕福な生活を送られている御仁のようだ。
「ほっとけ! と、紹介するぜ。こいつはシルキー。今日からソールズベリーで滞在する予定の観光客だ」
「は、はい。シルキーと申します。ノリッジから此方まで、フェノゼリーさんに連れて来ていただきました」
「観光客……?」
彼は腕を組み、指で顎下あたりを掻きながら、やや訝しげに私を見る。……道中でも身なりには気を遣っていたけれど、やはり衣服の汚れが目立つのだろうか。清潔な容姿の彼を目にした矢先の事もあり、此方が与える第一印象に一抹の不安を覚えてしまう。
「単刀直入に訊くぜ。今晩はひとまず、此処に置いてやってくれねえか?」
──えっ。
「は? 此処とは、もしやこの倉庫に?」
当然、そんな反応にもなるだろう。オーナーさんというからには、彼はこの物件の所有者なのだろうから。急な話にも程がある。
「おう。今日はもう宿にしろ何にしろ、ちゃんとした住まいを見つけるには時間が足りん。かといって、近辺で野宿をさせるのもアレだろう? てなワケでよ。その場しのぎの妥協案として……」
まずい。フェノゼリーさんのお気遣いとはいえ、ぽっと出の放浪者たる私などには、流石に図々しい話になっている。ここはどうにか今日中にでも、自力で宿を探しますと、私自らお断りを申し上げ──
「──なるほど。事情はわかりました」
──ようか、と思った矢先。数度頷いてみせた後、彼は組まれた腕を解いてそう言った。
「おっ、いいのか?」
「構いません。その場しのぎなどと仰らず、以後は此処を宿代わりになさるとよろしい。ただし、
──使用期間?
「おう? やけに具体的な話だな。何だその期日?」
と。私も疑問に思った点を、フェノゼリーさんが先んじて問うてくださった。此方にとって有難いお話である事に変わりはないけれど、彼方には彼方のご都合がある。そこは事前に伺っておくべきだろう。
「ええ。実は半月ほど前より、此処の管理を任せていた住み込みの従業員が外出中でして。当人が戻るまでの期間であれば、宿代わりにお貸しできるという話です。雇用契約は継続中ゆえ、帰る場所を無くしては忍びないのでね」
……此処には駐在の従業員さんが──であればなおさら気が引ける。戻られるというお話なら、当人の私物も残っていることだろう。プライバシーの問題然り、私なんかがお邪魔して大丈夫なんだろうか。
「今はこうして、私が業務を担っておりまして。慣れぬ物品管理で辟易していたタイミングに、おふたりが訪れたというわけだ。……これもきっと何かの縁。おもに私にもたらされた救いの手! どうでしょう。ここはひとつ、代理の従業員として住み込みをなさるというのは?」
……困った。遠慮する理由こそあれど、彼の提案は懇願のそれに近い。でも、なにより──
「──はい。私でよろしければ、ぜひ!」
此処はフェノゼリーさんの、そしてグノームさんのお仕事の基点にもなる要所なんだ。そこに身を置く事が、彼らの助けに繋がるのなら──よろこんで、この機会に手を伸ばそう。
「はっはっは。おめでとさん! なるほど、どうりで此処にオーナーが居たわけだ。いつもならアイツ──『
「そう詰めないでくださいよ。辟易していると言ったでしょう? 私では物品をどうにか収める程度が関の山。整理整頓はおろか、各個のコンディション管理まではとても手が回らない。モノの管理は得手ではないのです。とにかく、中をご覧いただきましょう」
オーナーさんはそう言うと、私たちを倉庫の中へと案内してくださった。
「うぉ……」
「わぁ──」
「はぁ……」
三者三様に感嘆詞を漏らしつつ、入り口すぐの一室を見やる。開けっ放しにされているあたり、先ほどまでオーナーさんが整理されていたんだろう。物品の入った木製の収納用器が、奥へ奥へと平らに、無造作に敷き詰められていた。
「お前さん、モノの扱いはここまで壊滅的だったのか……」
「先程も言ったでしょう。私の領分ではないのですと」
頭を抱えるフェノゼリーさんの言を受け、お手上げのジェスチャーで応じるオーナーさん。元の従業員さんが不在となり、半月そこらでこの光景が仕上がったのだから、相当に不慣れな仕事だったんだろう。
「代理の者を用意してもらえたなら、こうはならなかったはずなのです。なにしろ本当に唐突だった。前月分の給与を手渡しに訪れるやいなや、『そうだ。グロスターに行こう!』などと声を上げ、『大丈夫、三ヶ月もしたら戻ってくる!』と言い残し、翌朝にはもぬけの殻。住居兼用として貸し与えた以上、余人を配することは躊躇われましたが……このとおり、そうも言っていられなくなりましてね。苦肉の策として、先の提案を申したわけです」
なるほど。ようはこのオーナーさんは、その従業員さんに半ば飛ばれてしまわれたのか。
「うへぇ、そいつはお気の毒さま。……しかし、唐突にグロスターにねえ。今のシルキーといい、人間っつーのは急に旅がしたくなる生き物なのか?」
──人間……
「我々妖精とは違い、人間種は短命ですからね。時間の観念もまた我々とは異なる、といったところでしょうか。……ああ、マギーは息災で?」
「おう、ノリッジで元気にやってるぜ。相変わらずグノームに手を焼いてらあ」
「それは何より。……ふたりは、次の機会に?」
「いや、あいつらは居残るつもりだ」
「──そうですか。でしたら何も言いますまい。ただ……気が変わるようなら、いつでも」
「あんがとさん。そん時はよろしく頼む」
「(…………────?)」
グノームさんやマーガレットさんとも顔見知りという事は、オーナーさんも古い付き合いなのだろう。互いに遠く離れた街に住まう知己とあらば、近況を気にする事に不思議はない。ただ──
「(……ふたりは、何の話を──)」
──その会話の端々に、言いようのない不安を覚える私がいた。
「さて。立ち話はここまでにして、シルキーさんのご案内に徹するとしましょう。着いてきてください」
「あ──はい。よろしくお願いします!」
オーナーさんに促され、フェノゼリーさんと共に庫内を歩き出す。
「ご覧のとおり、庫内は収容エリアが一室毎に連なっています。依頼の経緯は多岐にわたり、一時預かりから長期の安置とさまざま。持ち主が後日、自ら引き取りに来るという簡単なシステムです。動線さえ確保できれば、品々はどのように配置しても構いません。そのあたりの裁量はお任せしましょう」
倉庫の建物は横長で、収容室は一直線の廊下を両側から挟むように連なっている。オーナーさんは木製の引き戸を開けながら、左室群の内部を見せて回った。
「ちなみに、向かって右半分がノリッジ組の資材置き場だ。今見てる左半分はぜんぶ、単品から箱単位での預かり品。ずっと置かれっぱなしのモンもあれば、前に俺が来た時には無かったモンもあったな。いやあ、結構なこった! オーナーが代理と聞いて不安になったが、最初の部屋以外は案外機能してやがる!」
「単にあの一室以外はノータッチなだけです。ほかはすべてフミコの仕事でしょう。……なるほど。私が収容物に触れば、倉庫内は機能不全に陥るという事ですね。よくわかりました」
「……すまん。失言だった」
「フォローなどおやめなさい。余計にキます」
思いのほか賑やかな彼らを尻目に、右半分の収容室群に視線を向ける。
「(──ここの資材が、ノリッジに)」
我ながら気が早いとは思うものの、責任感とともに俄然意欲が湧いてきた。
「とにかく、収容事情は以上のとおりです。左に五室、右に五室の計十室。主にこちらで対応するのは、左室群における預かり業務になりますね。右室群では資材の品質管理を。搬入出については、フェノゼリーをはじめとした業者が勝手になさいますから、入退庫時の記録と立ち会いをお願いします」
「わかりました。お任せください!」
脇をぐっと締め、両腕で小さくガッツポーズを示す。
「……おや。これは正直、予想外の反応です。宿にお困りの貴方に対する、半ば弱みにつけ込むような雇用経緯でしたがゆえ、お断りになる事も覚悟していましたが……」
「はっはっは! よかったなオーナー。シルキーにとっちゃ、こういう仕事は得意分野なんだぜ!」
どうしよう。フェノゼリーさんにそう言い切られては、さすがにちょっと恥ずかしい。『下手の横好きです』とでも謙遜しておこうかな。まあ、こちらの諺が通じるかはわからないけれど──
「なんと! そうですか。『好きこそ物の上手なれ』──でしたかな。『適材適所』という言葉もありますが、こちらは些か味気ない。相応しいのは前者の表現でしょう。なおのこと、安心してお任せできるというものです」
────。
「なんだソレ。お前さん、よくそんな言葉知ってるな?」
……予想外だ。私が口にするか迷った、先の言葉にも並ぶほどの諺を、逆に彼の口から聞くことになるなんて。
「ふむ? 珍しい物言いでしたかね。だとすればきっと、それはフミコから受けた影響が出ているのでしょう。彼女は時折、物事をひと言で表すようなところがありましたから。我々の観念では無用の工夫を言葉に凝らし、耳馴染みのないニュアンスを口にする。長年雇っている以上、感化もされるというものです」
……この世界の文化には馴染みのない、私のいた世界においては言語を違えどポピュラーな諺。フミコさんという御仁が、それを口にするような存在だとすれば──もしかしたら。
「次が最後のエリア。倉庫の奥に増築した、二階建ての管理棟です」
そうこう考え込んでいると、いつのまにか収容室群の端っこまで進んでいたらしい。増築と仰るだけあって、この先の建材は倉庫よりも比較的新しいことが判る。
「一階のこちら左半分が事務室、あちら右半分が休憩室になっています。棟全体がフミコの管轄ではありますが、彼女はこの階をほとんど生活空間としては使わず、二階の書斎で過ごしていました。必然的に、仕事道具は事務室に詰められており、休憩室はほぼ空き部屋の状態です。シルキーさんはそちらを居住空間になさるとよろしい」
オーナーさんは事務室の棚から顧客リストとおぼしき紙の束を取り出し、ぱらぱらとめくって私に示す。受け取って目を通すと、預かり時の事由が細かく記述されていた。先輩たるフミコさんのお人柄に加え、熱心な仕事ぶりが窺える。
「おいおい。ほぼ空き部屋、っちゃ空き部屋だが……『ほぼ』の部分がずいぶんな存在感だな」
フミコ先輩の手腕に感心していると、背後からフェノゼリーさんの呟く声が聞こえてきた。あくまでいち利用者である立場上、顧客リストを目にすまいとの配慮か、先に休憩室のほうを覗いておられたらしい。
「ああ、それですか。懐かしいでしょう」
顧客リストを抱えたまま、おふたりのもとへ合流する。休憩室に入ると間もなく、話題の何かが視界に入った。
「(──荷車……?)」
倉庫の業務ともなれば、台車などの運搬具が設置されていても不思議はない。むしろ、此処に在って然るべき代物ですらある。ただ──その造形は、私にも見覚えがあるような……。
「フェノゼリーさん。これって、もしかして」
「おう。てっきりもう処分されたんだと思ってたぜ。まあとっくに使い古したモンだから、それでも俺は構わなかったが。今は新車もあることだしよ」
……やっぱり。この荷車は、フェノゼリーさんの旧車だったらしい。見覚えを感じたのも当然だろう。さっきまで私が乗っていた荷車と、瓜二つの造形なのだから。
「いやいや、まさか。所有者の許可なく処分など有り得ない話です。オーナーたる私の沽券にも関わりますので。処分はもとより、大きな移動を伴う整理時にも一報を寄越すよう伝えてあります。ノリッジ組の資材置き場がパンクしかけた折、『コレずっと置きっぱなしだし、資材ぶつかると傷付くし、もう別室に逃がしていいよね?』との緊急案をフミコから受け、貴方に了解を取ったうえで安置したっきり。ずっと此処にあったのですよ」
どうやらフェノゼリーさんは、その提案を『移動』ではなく『処分』の方向で捉えておられたようだ。……しかし、彼は現在の愛車をあれだけ大事になさる御仁だ。この旧車に対しても、かつては同等の扱いをなさったことだろう。そのうえで処分を
「そりゃご丁寧にどうも。ま、今後こいつを資材運搬に使うことは無え。そういう話になってんなら、いっそ此処で好きに使ってくれて構わねえぜ。丸太を何十本も載せることはできんが、庫内の物品を移動する程度なら、充分やれるだろう」
「おや、いいのですか?」
「おうよ。中古品で悪いが、寄付ってことで譲渡する。製作者のグノームも喜ぶだろうぜ。フミコはもちろん、此処でしばらく働くことになる、シルキーの仕事にも役立つかもだしな!」
案の定、この旧車もグノームさんの製作物だったらしい。加えて、これはフェノゼリーさんからのお下がりでもある。パフォーマンスは新品同然とはいかないまでも、使い古された旧車にしては、まだ充分に機能するはずだ。
「では、遠慮なく頂戴します。これがあれば通常業務はもちろん、避難を伴う有事の際にも役立ちます。すべての収容品を逃がすことはできませんが、管理棟に住まう者の貴重品程度ならば難を逃れましょう。……問題は──」
さすがはオーナーさんというべきか、非常時の事を視野に入れた運用方針を早速お考えだ。その最中、彼は何やら困ったような表情で、休憩室内をぐるりと見回した。
「──大丈夫です、オーナーさん。荷車はこのまま、休憩室入り口の内に置いてください」
収容室群からあぶれ出たがゆえに此処に在る以上、すでに倉庫内には置き場がない。かといって、屋外に曝しては傷んでしまう。荷車の状態管理を鑑みても、このまま休憩室内に置いておくべきだろう。
「──そうですか。プライベートな空間を圧迫して申し訳ないですが、そうしていただけると助かります」
生活空間は狭まるけれど、もともとミニマリスト一歩手前な私物の数なんだ。寝る場所さえあれば充分に
「いえ。むしろ、この荷車が部屋にあると嬉しいです。実用性と審美性を兼ね備えた、最高のインテリアかと!」
──百年ものとはいかないまでも、年季ものには違いない。その味わい深さはこの代物が、私の知る方々のお仕事に関わり、育まれた痕跡そのもの。それを部屋に置くことで、彼らの存在を少しでも身近に感じたいと思ったのだ。
「左様ですか? ははは。面白いことを言う御方だ。それなら邪魔になる心配は要りませんね!」
雇用契約と入居案内に際し、最後の懸念材料が取り払われたらしい。ぱんっ、と小さく掌を鳴らし、オーナーさんが歩み寄る。
「それでは、どうぞ私物をお運びください。ノリッジからの道程でお疲れでしょう。細かい業務説明は、今後その都度にでも。今夜はゆっくりお休みいただくとして、明日からよろしくお願いします。シルキーさん」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします!」
またしても縁に恵まれ、早くも得られた活動拠点。期日に限りはあるけれど、そこはそれ。任期いっぱいを精一杯、やれる事をやってみよう。
「はっはっは! これでようやく、俺の仕事も一区切りだ。あとはがんばれよ、シルキー!」
「はい。ここまでありがとうございました、フェノゼリーさん!」
運び屋としての役目を全うし、晴れやかに笑うフェノゼリーさん。彼には本当にお世話になっちゃった。感謝してもしきれない。
「ところで、フェノゼリー。貴方の宿は決まっているのです?」
──あ。
「……うわ、そういやそうだ。すっかり忘れてた!」
その日の夜。荷運びに夢中になったあまり、宿を見つけられなかったフェノゼリーさんは──資材の丸太を並べて敷き、倉庫の一室でお休みになったのでした。
◆◆
──新しい、朝がきた。
「じゃ、俺はノリッジに戻るとするぜ。荷車に置き忘れは無かったよな?」
「大丈夫です。フェノゼリーさんも、お忘れ物はございませんか?」
ソールズベリーの端にある、石造りの倉の前。私が乗っていた荷台に、今度は本来の積載対象である資材が、隙間なくびっしりと載せられている。置き忘れがあればぺちゃんこだ。
「おう! 『鉄の武器』もちゃんと持ってきたぜ。一応、いくつかは倉庫に残しておいた。此処もソールズベリーの一角だから不安は薄いが、中心部から離れた端っこだしな。保険だ、保険」
革袋に収められた、剣と斧を掲げて彼は応じる。復路に際し、それらの出番が無いことを祈るばかりだ。
「……そんな物を持ち出すなどと……しかしまあ、納得せざるを得ませんね。モースに出くわしたと聞いた時は肝が冷えましたよ。『女王軍』が出陣するほどの事態だそうですね。充分に気をつけなさい」
見送りに際し、オーナーさんも早くから出向いてくださっている。昨晩は倉庫の案内を終えたのち、そのまま積み替えに立ち合っていただいた。その最中、私たちの道程で何があったのかを共有しておいたのだ。
「おうよ。しばらく『大橋』が使えんのは困りモンだが、あの一帯から北が危ないんじゃしょうがねえ。予定どおり、南の海岸沿いをのんびり行くとするぜ」
彼はやれやれ、と呟きながら、
「そんじゃ、達者でなシルキー! つっても俺は仕事で此処に来るんだが。ノリッジのふたりに伝えておくぜ! はっはっは!」
「はい、その時はよろしくお願いします! お気をつけて〜!」
私を乗せていた時と変わらない軽やかさで、何トンもあろうかという資材を積んで、荷車は走り出す。動く山のようなシルエットが見えなくなるまで、無事を祈りつつ見送った。
「──では、我々も仕事を始めましょう。現時点で来客の予定は入っていませんから、管理棟内の書類や備品などにゆっくり目を通してください。向こう数日間はそのように過ごし、慣れる事に専念なさるといい」
「わかりました──本日からよろしくお願いします、オーナーさん!」
勤務初日なだけあって、今朝は起きてからずっと気が落ち着かずにいた。二ヶ月という期日もある。一日でも早く仕事を覚えたいところだけれど、倉庫の品物は物量が物量だ。オーナーさんのご提案に従い、手の届く範囲から慣れていこう。
ああ、それと。
「そういえば、まだお訊きできていませんでした。遅ればせながら、オーナーさんのお名前は──」
いつまでも『オーナーさん』とばかり呼んでいては、些かよそよそしさが拭えない。彼とはこの先も関わり合いになる以上、やっぱりお名前は知っておきたい。
「ん? ああ──ははは! いや、これは説明不足で失礼をしました。『オーナー』というのがそのまま、私の名前なのですよ」
……やっちゃった。
「す、すみません! 私、失礼なことを」
「いえいえ、よくある事ですから。それにこの名前のおかげで、こうしてツカミの話題には事欠かない。初対面での営業トークには割と重宝しています。良い反応をありがとう、貴方が素直な御方でよかった。ははは!」
なるほど。ノリッジのお三方と連まれているだけあって、彼もまた愉快な御仁のようだ。満足そうな笑顔を浮かべていらっしゃる。
「──ときに、シルキーさん。我々妖精にまつわる、『目的』の話を聞いたことは?」
ふたり並んで廊下に入り、管理棟に向かう途中。オーナーさんは唐突に、そんな話題を切り出した。
「はい。つい最近、フェノゼリーさんから伺いました。ご自身の実体験をもとに、小一時間ほどお話を」
「──ふむ。その分だと、グノーム達の事情も共有済みのようですね。なら、そちらは省くといたしましょう」
──『大橋』を渡った日の夜、お聞きした事柄を思い出す。彼らが勤めていた鉱山業、その撤退に際して『目的』を見失い、『モース化』寸前にまで至ったというお話だ。
「先の話題の続きを。私は『オーナー』という名前を持ちますが、これは『目的』とイコールの呼称なのです。その在り方を根本から損なえば、私もまたモース化の兆しが表れることでしょう」
…………。
「実のところ、グノーム達の一件でその傾向がみられた過去が、この私にもあったのです。私名義で管理していた、彼らの住まいが突如として失われ──『オーナー』としての意義が部分的に損なわれたおかげでね」
「──え……」
……そうか。お話にあった住居の管理者は、いま横に居るオーナーさんだったんだ。彼も妖精さんである以上、その一件に関わっておられたならば、多少なりとも影響があったのだろう。
「ああ、ご安心ください。あくまでそれは過去の話。今はもう、発症当時の兆候は見受けられませんので」
……それは裏を返せば、グノームさんやフェノゼリーさん同様に──オーナーさんもまた、モース化の進行から立ち直られたということになる。
「(……でも、どうやって──)」
──グノームさんの症状緩和は、マーガレットさんという付きっきりの介助者ありきのものだ。けれど、オーナーさんの境遇は彼とは違う。さっきの『鉄の武器』への忌避感から察するに、長期の食事療法によって『鉄』の成分を摂取していたわけでもないだろう。それとも、何か別の理由があったんだろうか。
「妖精は例外なく、いずれモースと化す結末を迎えます。ただ、その到来には個体差がある。個々の『目的』が緩やかに損なわれ、徐々にモース化が進むのか──唐突に失われ、即座にモース化を遂げるのかという違いです。それは転じて、己が『目的』の保全が叶う限りは、モース化が進行する事はないという話でもある」
──『目的』の保全……その条件にはおそらく、グノームさんたちが持ち直すに至った、『やりたいことを新たに見出す』場合も含まれるだろう。……いずれにしても、それらは実現することのほうが稀な話に思う。モース化の兆しを見せる個体が孤独な境遇にあったなら、助かる見込みは薄いはずだ。
「しかし、そこには大きな
──方向性?
「……かくいう私が、まさにそれでした。かつての私は言葉どおり、『物件の管理』こそが自身の『目的』だと思っていました。しかしある時、それは違うのだと気づく機会を得られたのです。私にとって重要な管理対象は『物件』それ自体ではなく、『契約』だったという事に」
……おそらくそのニュアンスは、『モノ』ではなく『コト』に本質があった、という意味になるのだろう。内容が異なりはするものの、前職との関連性を有する現職に就くことで快復なさった、グノームさんの例に関わる内容でもあるかもしれない。
「それに気がついたのは、彼らがノリッジに居を構えた後のこと。無事に新生活を送られていると聞いたのち、私はケロッと元気になった。……そこで理解に及んだのです。私の物件はあくまで利用者の中継地点にすぎず、不慮の事故で倒壊を喫したとしても、彼らが安全な場所に移住できたなら──その橋渡しを以て、『オーナー』たる私の『目的』は果たされるのだとね」
……ああ、そうか。だから、オーナーさんは──
「……それゆえの、『期日』という事ですね」
──戻ると言って出ていった、フミコさんの帰る場所を護っておられるのか。
「ははは。ええ、そういう事です。……まったく。己が同種の話ながら、厄介な性質だ。妖精は『新しいもの好きで流行好き、飽きれば捨てて次を欲しがる』などと言われがちだが、自身の『目的』だけは変わらないという。……今のうちに、お断りも兼ねて謝罪を。貴方には肩身の狭い思いをさせてしまいますね」
「いえ、とんでもありません。お気になさらないでください」
少し恥ずかしそうに、申し訳なさそうに笑いながら、私を振り返るオーナーさん。そんなお顔はなさらないでほしい。今のお話を聞かずとも……いや。聞いたことでなおさらに、そのご意図には賛成だ。
「(──飽きれば次、か)」
ノリッジでの滞在期間中、それなりに多くの妖精さんとお会いしたけれど、なかなか的を得た表現に思う。しかしそれは同時に、彼らが本来的に純粋な性質であることの表れでもある。たぶん、己が『目的』の存在が重要すぎるがゆえに、ほかの物事には移り気がちなのだ。
「ありがとう。フミコといい貴方といい、此処をお任せできる
「──?」
倉庫の端に突き当たり、管理棟の扉が開かれようとしたとき。オーナーさんは扉に掛けた手をとめて、収容エリアのほうを振り返る。
「──あれらも同じです。『持ち主との契約』だけではなかった。それに紐づく『預かり品の管理』もまた、私の『目的』の本質に含まれている。……まあ前者はもとより、後者に気がついたのは、先の自覚からずいぶん後だったわけですが」
……正直、不思議には思っていた。住み込みの従業員さんがいらっしゃるとはいえ、此処の主機能は入居者を擁する『コト』ではなく、収容物という『モノ』の管理にこそあるはず。ならばどうして、『目的』の本質を自覚なさった今もなお、オーナーさんは臨時休業の措置を取らず、不得手な業務を代行し、自ら出向くほどの熱を入れておられたのか──と。
「……貴方がたには助けられている、と申したのはそういう事情です。昨夕ご覧いただいたとおり、私はモノの管理が壊滅的でして。己が領分ではないと思っていたはずが、あれらの管理も私の『目的』に連なっているらしい──ゆえに、此処には従業員が必要なのです」
なるほど。これもまた、『目的』の自認にかかる落とし穴のひとつだろう。昨日までのオーナーさんを心から労いたい。
「まあ幸いにも、その当時はすでにフミコが居たので焦らずに済みました。……そんな恩義ある彼女だ。三ヶ月の休暇ぐらい認めますとも。それに──こうして貴方が来てくれましたしね」
そう言い終えた向き直りざま。オーナーさんは笑顔を浮かべつつ、管理棟への扉を静かに開く。
「(──ふふ。このひとも、仕事熱心な御方なんだ)」
先日のグノームさんの口ぶりから、『土の氏族』と『風の氏族』の仲は良くなさそうな印象を抱いていたけれど……フェノゼリーさんとオーナーさんのやりとり然り、こうしてお話を聞いていると──彼らが長年、良好な関係を築けている事にも頷ける。
「いやいや、変な話に付き合わせてしまいましたね」
「いえ、そんな! むしろお聞きできてよかったです。此方で雇っていただくうえでの、大切な心づもりができました」
揃って事務室に立ち入り、足を止めて彼は言う。こうした話題は珍しかったのか、些か話し疲れたような面持ちだ。
「今のを受けてそう仰いますか。なかなかどうして、貴方は芯が通っていらっしゃる。……実際、私の事など話さずとも業務に支障はなかったのですが、不思議とそういう気分になっていた──というか、他者様には秘すべき話題ですらあるというのに、今更ながらにお恥ずかしい。……さてはシルキーさん、聞き上手な御方だと言われがちでは?」
「えっ。いえあの、そんなことは」
……そう面と向かって言われると、反応に困る。真剣に聞いていることは確かだけれど、こちらは相槌を打っているだけなのだ。
「ははは。いや失礼、今のは
──何だろう。面映さにあてられ、気分が良くなったとかじゃ多分なくて……たしかにこの一年間、そういった言葉を受け取る機会が、ちょっぴり増えていた気がする。
「おっと、これは揶揄いの言葉じゃありませんよ。現に有用なスキルなのです。来訪者を相手にする際は少なからず、いざという時には殊更に、その資質が役に立つはず。結果的にそれが──此処を訪れる者と、貴方自身をも守る事に繋がりましょう」
「──え……?」
棚に詰まった書類の数々。昨夕目にした顧客リストに手を添えて、オーナーさんは問いかける。
「シルキーさん。貴方は私物を片付ける際、要、不要を如何に選り分け、それらをどう処理されますか?」
……お片付け? それはまあ、普通に──
「──ええと、不要であれば処分します。まだ使えそうなものなら、使用頻度を加味して取捨選択を。貰い手が居たら譲るのもアリですね」
「ふむ。必要なものについては?」
ああ、そっちはもっと明白だ。
「手元に残します。言葉どおりの必需品ですからね。気持ち的にどうしても手放せないものも、特別に。思い入れのあるものは尚更、出番が少なくても持っていたいと思うはずです」
ふむふむ、と頷くオーナーさん。というか、この質問は何なのか。まさか……抜き打ちの適性検査?
「では最後に。とりわけ今おっしゃった、『
「(……思い入れのあるものを、預ける……)」
以前の私であれば、ミニマリスト風味な性格が祟り、思い浮かべる段から苦労するところだ。しかし、今の自分には『それ』がある。私は咄嗟に、グノームさんとマーガレットさんからの贈り物を思い浮かべ、状況をイメージしてみた。
「──手放す動機が意思に反する理由なら、たぶん……未練を覚えるとともに、不安になっていると思います。意思に則った理由なら……それに頼る事がないほどの成長を自分が遂げたとか、そういうタイミングでしょうか。いずれにしてもその時には、自分にとって大きな変化を迎えている気がします」
──おふたりからの贈り物を手放す自分は、ちょっと想像がつかないけれど。
「ええ。まさしく──仰るとおりなのですよ」
……ん?
「捨てるには惜しい、『思い入れのあるもの』を預けるとき。その持ち主はしばしば、自身に大きな変化を迎えている場合がある。身辺の変化か、はたまた心境の変化か。己が心に留まるそれを、『敢えて遠ざける』ことを選んでいるがゆえに。……とりわけ此処は、『捨てる』のではなく、『預ける』ことを選んだ者が使う場所。それ自体には何ら不思議な点は無い──
……それは、どういう──
「妖精は、『新しいもの好きで流行好き』。極端に飽き性である事は、おそらく貴方もご存知でしょう。持ち物などは特にそうだ。『飽きてしまえば即座に捨てて、次を用立ててしまえばいい』。……とはいえまあ、妖精は飽き性であると同時に、面倒臭がりな性質でもある。新旧ともに同じ用途を果たす代物ならば、捨てる労力に見合わぬからと、構わず使い続ける事も少なくない。そのぶん、扱いが雑になる事も多々ありますがね」
「(……そういえば。グノームさんもよく、薪棚を燃やしてたなぁ……)」
グノーム邸での来訪者を思い浮かべる。たしかにどの妖精さんも、流行には敏感だった。職人気質な『土の氏族』たるグノームさんも例に漏れず、ご自身の趣味趣向に拘らず、多種多様な広告紙に目を通されていた具合である。オックスフォード風の野菜サンドに食い付いた、フェノゼリーさんのご様子も当てはまる。
「とはいえやはり、放棄にせよ廃棄にせよ、不要になれば捨てるのです。飽きてもなお価値あるものは、例外的に手元に残すか、保管場所を探すでしょう。……しかしその思考は、『手放すのはもったいない』という即物的な欲求から来るもの。『思い入れ』以前の価値基準にすぎません」
「(──? でも……)」
……壁一枚を隔てた隣室、私のお借りしている休憩室。あの中にある、フェノゼリーさんが置いて行かれた旧車に意識を向ける。
「(フェノゼリーさんはあれを、『捨てられても構わなかった』とおっしゃった。ということは、オーナーさんのおっしゃる『即物的な欲求』には当てはまらない……)」
しかし同時に、『思い入れ』が無かったはずもない。今でこそ同型の新車を使われており、昨夕は『不要』とはおっしゃったものの……それでもやっぱり、『捨てる』というご意図は無かったと思うのだけれど──
「では、妖精にとって『思い入れのあるもの』……つまり、『
「(……──)」
──もしかして。
「……お判りいただけたようですね。おそらくご想像のとおりでしょう。此処を置き場に選ぶ妖精の一部には、『思い入れのあるもの』……言い替えるなら、
「────!」
……適性検査、なんてものじゃあない。このお話は紛れもなく、此処で私に求められる──およそ最も重要な、注意事項そのものだ。
「それが一般的、あるいは好転的な経緯であれば……例えば、単に置き場所に困っていたり、新調に際する前準備として預けるのであれば、何も問題はありません。が、そうではない場合──とりわけ『目的』を見失った不安から、『捨てる』事までは躊躇ったがゆえの『預託』であれば。その妖精には少なからず、モース化の兆しが認められる場合があるのです。……十年前のフェノゼリーがそうであったように」
「(──それで、あの荷車が……)」
……オーナーさんのご意図がようやく掴めてきた。どうやら此処での業務において、『モース化』という話題は避けては通れなかったらしい。
「──さて、以上をふまえて本題を。この倉庫を管理するにあたり、我々が抱く共通の『目的意識』を、貴方にも聞いておいていただきたい」
──『目的意識』。
「主な業務方針については、昨夕申し上げたとおりです。我々は此処を貸し倉庫として管理・運営し、その機能を利用者に提供する。これは基本にして通常の業務。実際の仕事内容のほぼすべてが、その遂行を目的とします。正直なところ、それらをこなすだけで手一杯になるでしょう」
ああ。なにしろあの物量だ。新規の利用者が訪れずとも、庫内の仕事に終わりはない。資材については品質管理、預かりものについては状態管理。そこに施設管理も加わるのだから、退勤時にはクタクタだろう。
「しかし。多忙を承知で──貴方にはもうひとつ、お願いしたい事があるのです」
……お願い?
「──此処に訪れる、利用者達との『
それは、つまり──
「……『モース化』と思しき兆しが見受けられるか否かを、ですか?」
「ええ。そういうことです」
──やっぱり、そうか。
「とはいえ、これは『ついで』程度の意識で充分です。誰も彼もを疑ってかかる必要はありません。日常的な交流に興じるなかで、違和感の有無さえ気にかけてくだされば」
「──はい。わかりました」
……『モース』そのものを目にした事はあるけれど、『モース化』という状態の妖精さんを目にした事はない。けれど、ここまでのお話からなんとなくイメージは抱けている。その想像をもとに、自分なりに気を配ってみよう。
「その。仮にそうと思しき方と
ただ、やっぱり知らないものは知らないままだ。それに、『モース化』の対処法だって──
──あれ。対処法……?
「普段どおりになさるとよろしい。明らかに進行状態が酷い重症者なら、此処へ来る前に街で騒ぎが起こり、『風の氏族』間のネットワークで状況が共有され、ソールズベリー兵の警戒網が敷かれるはずです。此処に訪れるとすれば、その網に掛からない軽症者に限られますので」
────。
「つまり……
頭に浮かんだ都合の良い解釈を、希望まじりに問いかける。
「ええ。彼らの見た目としては、多少の疲労感が滲む程度のもの。対症療法が望める手合いです。基本的には他の利用者と同じように、自然体での対応をこなしてくだされば。……歯がゆいことだ。『モース化』に陥った妖精は、他の妖精にとっては毒となる。軽症者が相手であれば影響も薄いが、本能的な忌避感は抱いてしまう。貴方がた『人間』にお任せするほかに、採り得る策がないのです」
……そうか。
「──わかりました。やってみます!」
だったら──今の私にも、できる事があるかもしれない。
「ありがとう。頼りにしていますよ!」
オーナーさんは今日一番の笑顔を浮かべ、激励まじりにそう言って──顧客リストを棚に戻し、こちらの方へ歩み寄る。
「……『捨てる』ことを選んだ場合、その妖精に後戻りはできません。しかし、『預ける』事を選んだならば──己が迷いし『目的』を見つめ直し、立ち返る機会が残されている」
私はそのお話を、姿勢を正して聞き入れる。
「フミコが言っていました。『捨てず、預けるという行為は、保留の意図の表れ。つまりは迷いの最中にある行動だ』と。ゆえに……一部の利用者にとっての此処は、いずれ帰る場所にもなり得るはず。その可能性を黙して願い、望みの機会を守ることを──我々が抱く共通の、『目的意識』に掲げています」
歩み寄るオーナーさんの、手元のほうに視線を移す。
「貴方には、此処でそのお手伝いをお願いします。──というわけで、これをお持ちください。倉庫と管理棟の鍵です」
「(────)」
手渡されたものは、管理者としての証。片手のひらに乗せられる軽さ、指先でつまめるほどの小ささなのに──此処に縁ある方々の存在や、建物全体の重さを感じるかのよう。
「予備の鍵は私が持っています。此処へは私からも定期的に顔を出しますが、何かあればお呼びください。少し離れた所に私邸があり、そこに私はおりますので。この辺りに他の住民は居ませんから、すぐに判ると思います」
どうやらこれで、オーナーさんからの引き継ぎは完了らしい。彼は鍵を手渡したのち、扉のほうへと歩き出す。
「それでは。以後、よろしくお願いします!」
「──はい。お任せください!」
軽く会釈を交わし、彼は倉庫を後にした。
「(……さて、と)」
ひとり残る部屋の中、お仕事モードに頭を切り替える。
「(よし。それじゃあ──)」
……倉庫のほうも相当だったけれど、事務室は一際埃っぽい。此処が半月ぐらい住人不在だった場所ともなれば、こうもなるというものだ。ゆえに──それらを目にした私には、真っ先にやるべき事がひとつある。
「──やっちゃいますか。ピカピカに!」
──『
お読みいただきありがとうございます。
『目的と思い入れ』のおはなし。
かなり間が空きましたが更新です。彼女たちのお話はもうちょっと続きます。
奏章Ⅳ開幕しましたね!
どうにかネタバレも自衛でき、1週間以内にクリアしてきました。いろいろありすぎてまだ頭も胸もいっぱいです。これまた余韻がすごいやつ。
引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。