※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。
※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。
以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。
◆◇◇◇
──ソールズベリー滞在期間、四十七日目。
「ご利用、ありがとうございました!」
夕暮れ時。お昼から繰り出していた出張業に、今日も今日とて区切りがつく。現在はお客様宅から倉庫へと、新規の預かり品を運び帰っている最中だ。
「いやあ。出張業を始めて七日、さっきのやつで三十四件目か。これほどのペースで新規依頼が舞い込むたぁ、当初は思いもしなかったぜ!」
「本当ですね。オーナーさんも喜んでくださると思います!」
需要とは有る所には有るもので、出張業はなかなかの盛況ぶりをみせていた。顧客の依頼動機はさまざまで、長年処分に困っておられたり、他所へ預けに出向くのは億劫だからと放置しておられたり──要するに、『面倒くさがり』な一面を持つ妖精さんたちに対して、預け先たる倉庫の側から出向くというスタイルがウケたのである。
「はっはっは! ほとんどがどーでもいい寄託理由だったけどな。わざわざ自分から倉庫へ預けに来る連中とはワケが違う。捨てるほどじゃないが処分に困っていただの、有ることすら忘れていただの……邪魔になるモンなら最初から手を出すなって話だ。ま、おかげで俺たちは儲かるワケだが!」
「まあまあ、そういう事もありますよ。滅多にモノを仕入れない私にだって、つい衝動的に入手しちゃった覚えがありますし。それも最近、倉庫内の不用品を譲り受けたりと。寸胴鍋とか」
私の物持ち事情やフェノゼリーさんの言い草はともかく、その点は明確な違いだった。直接倉庫へ預けに来られる方がたの多くは、寄託品に対する思い入れが強く、寄託という選択そのものにも、ある種の決意めいた感情を抱いている場合がある。対して、出張業をご利用になるお客様には、そのあたりの逡巡が見られない場合がほとんどだったのだ。
「ずん……? そういうもんかねぇ。目新しいモンに靡くのは俺たち妖精の性じゃあるが、要らねぇモンはやっぱり要らねぇよ。結局は置いとくだけな無用の長物なんざ邪魔なだけだ。ある日突然耳や口がついて、暇つぶしの話し相手になってくれるワケでもなし。それどころか日がな一日、黙ってそこに有るだけで鬱陶しかろうに!」
と、営業モード共々に衣服を脱ぎ放ち、上半身裸になったフェノゼリーさんは言う。なるほど、彼のご自宅には余計なモノは無さそうだ。タンスの肥やしどころか、最低限の予備の服さえも。
「フェノゼリーさん。往来で服を脱がれますと、またオーナーさんに怒られますよ。倉庫に戻るまでは我慢してください」
「おっと、うっかりしてたぜ。ソールズベリーはお高くとまった『風の氏族』の街だもんな。チッ、オーナーの顔を立ててやるか……」
そこは私の顔も立ててほしい。
「ここからは坂道だ。傾きに気をつけろ!」
「はい!」
そうこうしていると、我らが倉庫のある地区にまで戻ってきた。
「ほい、お疲れさん。荷解きはやっとくから、シルキーは五号室のスペースを確保しといてくれ」
「はい! わかりまし──」
──と。倉庫に到着するなり、室内へ入ろうとしたとき。
「──ぎゃわ!」
手をかけた戸が向こうへ開き、我が身体はコミカルにつんのめった。
「フェノゼリー、シルキーさん、戻られましたか! すぐに中へ──おや失礼、御手洗いにでもお急ぎでしたか?」
「いえ違……え、オーナーさん?」
そこには。私たちの留守中にいらしたらしい、オーナーさんの姿があった。
「おう、今戻った。これから品物の搬入をしようってところなんだが、何か用事か?」
「ええ、大事な用事が。ビッグニュースですよ、ふたりとも!」
「あ?」
「え?」
そうして。全身で喜びを表しながら、満面の笑みを浮かべたオーナーさんは──
「つい先刻のことです。ノリッジの『厄災溜まり』が──綺麗さっぱり、消滅したそうです!」
──これ以上にないほどの吉報を、私たちの耳に届けてくれた。
◆◆◇◇
──ソールズベリー滞在期間、四十八日目。
「よーし、俺はもう出発するぜ。七日間世話になったな、オーナー!」
「御礼の言葉なら、協働を快諾してくれたシルキーさんに。私は何もしておりませんので」
早朝。ノリッジの無事が確認できたことで、フェノゼリーさんは早速の帰還と相成った。荷車の
「そこは『持ちつ持たれつ』ってやつじゃねえのかよ! まあ、急に押し掛けた居候の身だった事は確かか。ありがとよ、シルキー!」
先日までの不調はどこへやら。元気の有り余る様子をみせながら、屈託のない笑みを浮かべてフェノゼリーさんが言う。
「まったく。『持ちつ持たれつ』などと、其方が言う台詞ではないでしょうに……服は容易く脱ぎ捨てるというのに、顔の皮だけは厚着ですか?」
「いえいえ。フェノゼリーさんのおっしゃるとおりです、オーナーさん。私はこの七日間、たくさんの勉強をさせてもらいましたので!」
そうだ。出張業における販路開拓のノウハウ然り、ルート設定や所要時間の管理然り、荷運びを生業とする彼の働きっぷりは、側で見ているだけでも多くの学びがあった。なにより──
「ああ、『資材集積庫』内の物品についてか。そりゃあ素人の目で見れば、どれがどう使われる代物かなんて判らなかったろうさ。同じ丸太に見えても、節の配置や数、年輪の詰まり加減で用途が変わる。熱心に訊くモンだから、ついつい教え込んじまったぜ!」
──このとおり。ほとんど勝手を掴めずにいた『資材集積庫』の物品について、みっちりご教授を賜ったのだ。
「はい、たいへん興味深いお話でした! ……それにしても、本当によかったです。ノリッジの無事が確認された今なら、事業を停止していた『外洋船』の建造も、近いうちに再開する可能性がある──ということですからね!」
それは文字どおり、一縷の望みを叶え得る可能性の発露だった。ノリッジに残ったご夫婦にとってはもちろん、この場に居るフェノゼリーさんにとっても。
「しかし。仮にも都市仕舞いの姿勢を採った以上、事業再開の目処がつくまでには、それなりの時間を要するでしょう。そのあたりのことはきちんと含み置き、早合点で気を落とさぬよう注意することです。フェノゼリー」
「はいはい。わかってるよ! 現にこうして、資材を尻目にカラの荷車で帰ろうってんだ。仮にアッチへ着くなり『再開するぞ』と言われたとしても、どのみち直ぐにゃ着工できねえよ!」
昨日のオーナーさんのお話によると、『厄災』の到来自体は現実となったものの、女王陛下の手による対処が間に合い、既のところで解消が叶ったのだという。昨日の今日がそんな状況なら、造船業以外の事業だってバタバタに違いない。そして──
「わかっているならよろしい。……その旨、グノームに再会した際には、くれぐれも」
「……おう。今回の騒動で、アイツは俺以上に『目的』を振り乱されちまったはずだ。マギーの様子も気になるし、ノリッジに着いたら一番に顔を出すさ」
──そうだ。もっとも気がかりなのは、あのご夫婦の現在である。『厄災』の脅威が去った今、いつもどおりの生活を取り戻されていればいいのだけれど……。
「……私からも、よろしくお願いします。おふたりともきっと、フェノゼリーさんに無事を知らせたがっておられるはずです!」
「おう! シルキーの近況報告もしてやりたいしな。向こうじゃアイツら、お前さんがどうしてるかと会うたびに話題にしていたんだぜ。いい土産話ができそうだ!」
────。
「そんじゃ、またなシルキー。残り十数日、オーナーのお守りをよろしく頼む!」
「はいはい、もう行った行った。ああ、『大橋』の復旧は未だ話に聞きませんので、以前と同じく海岸沿いを帰るとよろしい。道中、お気をつけて」
「おう、そのつもりだ。また近いうちに顔を出すだろうぜ! じゃあな〜!」
彼はそう言い残すなり、荷車を軽快に走らせていった。
「どうか、お気をつけて〜!」
遠ざかる背中に向かって手を振り、お姿が見えなくなるまでお見送りをする。
「ふう。調子の良いことだ。あれだけ元気であれば、もう心配は要りませんね。七日間の協働生活、ご苦労さまでした。シルキーさん」
「ええ。降って湧いたイベントでしたが、そのぶん望外の思い出になりました。少し寂しくなりますね」
ふたり残された私たちは倉庫に入り、仄かな静けさを感じつつ廊下を歩く。
「ははは。寂しくなると言えば、それは貴方も同じことです。残る任期はあと十日と数日。それを境に、本契約は満了となりますが──」
事務室に入るや否や、オーナーさんは改まった口調で話題を替える。
「──いかがでしょう、シルキーさん。貴方さえよろしければ、当庫での雇用を更新し、フミコ同様の正規契約を結び、おふたりでの協働体制を提案したく思うのですが。率直なご意見、お聞かせ願えますかな?」
おっと。フェノゼリーさんの予想どおり、契約更新のお誘いを頂戴してしまった。
「(────)」
有難いお話だ。しかし当然ながらそれは、近々復帰なさる、フミコさんの合意が必要なお話ではある。オーナーさんの性格と口調を鑑みる限り、その点も心配はなさそうだけれど──
「……ありがとうございます。お誘いはたいへん嬉しいのですが、今回は辞退したく思います。現在の任期が終わったら、どうしても行きたい場所があるのです。……私は──」
──それ以上の『やりたいこと』が、今の私にはできてしまったのだ。
「『ノリッジに戻りたい』、のですね?」
「──!」
すると。言い淀む私よりも先に、オーナーさんの口から我が意を言い当てられてしまった。
「ははは。やはりそうでしたか。そう驚かれずともよろしい。ご自身ではお気づきでないのかもしれませんが、先ほどからずっと、お顔にそう書いてありましたので」
「えっ。そんなに判り易かったですか? お恥ずかしい」
両手で頬をはたきながら、火照った表情を弄ってみる。言われてみれば確かに、口角が上がりっぱなしだったらしい。
「ええ。フェノゼリーを見送る際には、『私も一緒にノリッジへ!』とおっしゃるのではとヒヤヒヤしましたよ。残りの任期があるからと、律儀に思い止まってくれたのですね」
なんともまあ、バレバレもバレバレである。
「……はい。『厄災溜まり』による都市への影響と、グノームさんとマーガレットさんの安否が気がかりでして。脅威が去ったと知ってからはもう、そのことで頭がいっぱいで」
私をソールズベリーに送り出してくれた直後から、本格的に問題視され始めた『厄災溜まり』。それらのタイミングを思うに、おふたりのご意図には、迫る脅威から私を遠ざけようとしてくれた面もあったのだろう。それはつまり、最悪の場合もう二度と、再会することのない可能性を悟られまいという、私に対する気遣いがあった事を意味している。ゆえにこそ──
「だから。もう一度、会いに行きたいのです」
──安全が約束されたというのなら、おふたりのお気遣いを反故にする心配もない。その一点が最後の一押しとなり、そう願わずには居られなかったのだ。
「ええ。是非ともそうしてください。彼らもきっと、再会を望んでいたはずですから」
すると。まるで私の答えを待っていたかのように、オーナーさんは笑ってそう言った。
「改めて、残りの任期をよろしくお願いします。フェノゼリーが帰還した以上、出張業は打ち止めにせざるを得ませんが、あれはもともと期間限定と銘打っての臨時営業です。シェフィールドの件で損なった顧客数分は新規で取り戻せましたので、今日以降は平常業務にお戻りください」
「はい、承知しました──お気遣い、ありがとうございます!」
「はっはっは。はて、何のことでしょう?」
彼は悪戯っぽく笑ってみせると、そのまま管理棟を後にした。
「(──本音、引き出してもらっちゃったなあ)」
何のことはない。契約更新のご提案もおそらくは本心のものながら、オーナーさんはそれを切り口に、私が意向を伝えやすいよう、助け舟を出してくださったのだ。
「──よし!」
さて。そうと決まれば、やるべき事はシンプルだ。残りの任期を目一杯、悔いの無いように過ごすとしよう。
──そうして。倉庫内の管理にご来客の対応はもちろんのこと、幸いにも客足が戻ったらしい、例の飲食店へのピクルスの仕込みなどに追われつつ。気づけばあっという間に、十二日間が過ぎていった。
◆◆◆◇
──ソールズベリー滞在期間、六十日目。
「ええと。書類整理よし、引き継ぎ用のメモもよし。あとは──」
いよいよ迎えた勤務最終日。その夕方、いつもどおりの業務をこなしたあと。近日中に戻ってこられるであろうフミコ先輩に宛てた、私の任期中に起きた出来事の書き置きを、ようやくまとめ終えたところである。泣いても笑っても、これで私の全業務は終了だ。
「──最後に、お掃除!」
名残惜しさに突き動かされ、往生際の悪いことを思い立つ。とはいえ、清掃は毎日欠かさずやっている。左室群の『寄託管理庫』、右室群の『資材集積庫』ともに、室内には塵のひとつも落ちてはいない。
「それが終わったら、此処での最後の晩御飯! お腹すいたなぁ〜」
しかし、節目は節目。こういうのは気持ちの問題だ。ゆえにこの行為は、清掃という体裁を借りた挨拶回りのようなもの。二ヶ月間お世話になった倉庫内、その一室一室を訪れて、対人の際のそれと同じように、礼をもって別れを告げる。
「(それにしても、いろんな品物があったなぁ)」
此処に在る品物の数だけ、それらを預けた持ち主がいる。いずれは取りに戻るかた、当面は預けたままになさるかた。もしかしたら、もう二度と取りには来ないかたも。もの言わぬ品物たちは、そうした持ち主の意向を知らず、ただ静かに佇んでいる。
「(…………)」
明日にも自分は、此処の任から離れることになる。その実感が押し寄せてきたためか──私はふと、眼前に佇む品物たちに向け、益体もなく思いを馳せていた。
「(……この子たちは今、何ものとして在るんだろう)」
かつては持ち主が、己が生活の一部として擁していた存在。仮の在処として此処に置かれ、用途を離れて久しいお品物。今や私たち管理者より他に『それ』と認める者はおらず、倉庫の肥やしとして押し黙り、何時とも判らぬ迎えを待ち侘びている──。
「(……『待ち侘びている』……)」
思えばその表現は、どこまでも持ち主の都合に依った解釈なのかもしれない。この子たちは何処にあろうと、誰の手に渡ろうと、物理的な寿命が尽きぬ限り、『それそのもの』としての存在は保たれ、在り続けているのだから。
持ち主の都合、と云うのなら、『用途』という観念にしてもそうだ。この子たちはただ、『それ』として得た姿形をとり、そこに在るものにすぎない。その形状、強度などの特徴に『遣い途』を見出し、用いるのはいつだって、持ち主の勝手によるものなのだ。
なら。この子たちにとって『持ち主』とは、いったい何ものとして在るんだろう。己が扱いを定める存在、己が取捨を委ねる存在……あるいは──
「(……あるいは。
──それはじつに、無機的な結論。しかし同時に、この物質世界の在りように沿う解釈ではあった。愛着も執着も、持ち主側が抱く精神作用によるものであり、『モノ』にとっては与り知らない、一方通行な心のはたらきなのだから。
「…………」
異なる世界の『漂流物』も、此方の世界の『品物』も、分け隔てなく肩を並べる倉庫の一室。その中で私はふと、こんな事を思う。此処に在る品物たちと自分は、ともすれば──似たような境遇に置かれているのではないか、と。
「(……私もまた、異なる世界から流れ着いた存在のひとつ。それでもこうして、たとえ世界を跨いでいても、『私』として此処に居る──)」
異なる世界の存在であれ、この世界の存在であれ、いまはこうして、此処に在ることに違いはない。意識しなければつい忘れてしまう、その歴とした事実が──今更ながらに、不思議に思えて仕方がなかった。
「(……『世界』、か……)」
思えばそれは、いったい『何』なのだろう。遍く存在を擁する、容れ物のようなもの? その内側に在るものにとっての、基底的な住所のようなもの? それとも──。
「──私たちにとっての、『持ち主』のようなもの……とか」
そう呟いてすぐ。なんだかひとり可笑しく思えて、『なんてね』と付け加え、己が突飛な表現に茶化しを入れる。益体もない物思いとは前置いたものの、いよいよもって始末に負えなくなってきた。
「──よし!」
ぱん、と掌を打ち鳴らし、そんな物思いに区切りをつける。左室群、『寄託管理庫』を訪れるのはこれで最後。きちんと施錠をしたあとはもう、フミコ先輩のお仕事だ。
「こっちにも、ご挨拶しなきゃだね」
廊下に出て、お次は右室群、『資材集積庫』へと足を踏み入れる。
「──……」
相も変わらず、大量の木材がひしめく部屋の中。平生から換気はもちろん、清掃も充分に行き届いているため、埃っぽさやカビっぽさは感じられない。その代わりに、伐採時の切り口や、製材済みの木肌から、特有の木の香りが醸し出され、部屋一帯の空気を色づけている。
「……結局あれ以来、フェノゼリーさんはいらっしゃらなかったなぁ」
ノリッジの『厄災溜まり』が解消されて以来、彼がお仕事で此処を再訪することはなかった。あんな事態を経てすぐだし、おそらく都市内部では、現在も体制の取り直しで大忙しなのだ。もともと月に二度ほどのペースでしか立ち寄らないとのお話だったので、どのみちこの十二日間に訪れる目は薄かっただろう。
「再会は、ノリッジに戻ってからだね」
その頃には、造船業も再開しているかもしれない。此処で出番を待つ資材たちとも、いずれは搬入先たるノリッジで再会することになるだろう。
「……先に行ってるね。向こうでちゃんと、立派な船にしてもらえますように」
まるで、待ち合わせでもするかのように。もの言わぬ資材たちに語りかけ、『資材集積庫』を後にする。
「(ふふ。左と右で、こんなにも毛色の違うものが置かれているなんて。改めて、オーナーさんのお仕事は手広いなぁ)」
再度廊下に戻り、管理棟へと向かう途中。こうして倉庫全体について、改まった感想を抱いたためか──私の思考は不意に、ある事柄に向けて働いていた。
「(……『外洋船』……いずれあの資材たちが、海を渡る乗り物に──)」
──そうだ。考えてみれば、これもまた不思議な巡り合わせではないか。片や左室群『寄託管理庫』には、異なる世界より行き着いた『漂流物』を含むお品物が。片や右室群『資材集積庫』には、いずれ海へと繰り出す『外洋船』と成るべき材料が。同じ建物の屋根の下で、となり合うように存在しているのだから。
「(……たしか、この国では過去に一度も、『海外』との交流をもったことがないんだっけ……)」
今一度、その事実の特異性が念頭に浮かび上がる。……言葉どおりに解釈すれば、それ以上でも以下でもない話なのだろうけれど──しかし。
「(……それって。海の外がどうなっているか、何ひとつだって判っていない──って事でもある……よね)」
女王暦になって二〇〇〇余年、妖精國ができてからとなればさらに長く。その間に一度たりとも、海外との交流が無かったのだとしたら。海を渡る技術や手段の有無を差し引いても、この世界の歴史上、『海外』との交流が無かったばかりか、その存在さえも不明のままだった可能性があるのではないか。
その代わりに……いや。
「(……この世界にとっての『海外』が、私たち『漂流物』が居た世界──だったりする……?)」
一年前。ノリッジのご夫婦宅に招かれたあの日の夜に、脳裏によぎった事柄を思い出す。この世界の地の果てまで歩き続けたならば、海の外へと漕ぎ出したならば。ひょっとしたら、元の世界に還ることができるのではないか──そんな、荒唐無稽な着想を。
「……そういえば。フミコ先輩の、あのリスト──」
次いで思い出されたのは、寄託品リストの一部に付された、『管理者用分類・特記事項』なる文言。すなわち、『漂流物』を識別するための注釈──彼女は此処でなぜ、それらを明確に分類し、書き記そうと思ったのか。
「……これって、偶然……?」
ここまで思い至ってしまえば、もはや疑問に思わざるを得なかった。自身もまたほぼ間違いなく『漂流者』であろう彼女が、同じく『漂流物』たる一部の寄託品を──ほかでもなく、『外洋船』の建造業の一端を担うこの建物の中で、わざわざ選り分けていると思しき痕跡を。
「……たしか、倉庫の経歴には……」
……『寄託管理庫』が新設されたのも、フミコ先輩の発案があったから。その発端になったのが、寄託品のなかに『漂流物』が確認されたため。そして……その当時にはすでに、『外洋船』の建材を保管する『資材集積庫』が存在していた──。
「──まさか……」
点と点が繋がるにつれ、しだいに歩調が早まっていく。管理棟に踏み入るやいなや、任期中は一度も訪れることのなかった、二階に続く階段に視線を送る。
「(──え?)」
なんの変哲もない、ごくありふれた階段が目に映る。しかし──明らかな
「(……なにこれ、今までまったく気づかなかった。階段の先に意識を向けることが、できない──)」
正確には、気づけなかった、と云うべきだろう。なぜなら、この階段には──足を踏み入れようとする存在を阻む、『何か』が張り巡らされていたのだから。
「(……って、うわ。埃、けっこう溜まってる──)」
階段の先に踏み出せなくとも、階段を視界に収めることは辛うじてできるようだ。……仕方のないこととはいえ、私としたことが、不手際も不手際だ。清掃の対象としてこの場を見逃してしまうほどに、阻む『何か』は強力らしい。
「(……あれ。なんで私、階段の前に居るんだろう?)」
そうして。そんな疑問を覚えた頃には──先の疑念もまた、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
「(──あ。そういえば私、お腹すいてたんだ)」
疑念そのものが忘れ去られた以上、もはやこの先に用は見出せないし、それ自体が不可能なことだ。ぼーっとする頭に手を添えて、まるで何事も起きてはいなかったように、台所へと向かい歩く。
「──よし、晩御飯! たくさん作るぞー!」
すべての仕事を終え、自らを労うべく、最後の炊事に取り掛かる。生野菜を此処に置いて行っても仕方がない。在庫処分を兼ね、明日以降の野営食も作りつつ、余りの山菜の大量消費をしなくては。
「ノリッジまで、何日ぐらいかかるかな……」
ソールズベリーに来た際の『大橋』を渡る道順は使えないため、今度は南の海岸沿いを歩くことになる。当然ながら直線距離とはいかず、フェノゼリーさんの送迎もなく、さらには東へ大きな弧を描いて行くわけだから──大急ぎで進み、休息も睡眠もとりながらとなると、最短でも二週間はかかるだろう。
「一部のピクルスは、フミコ先輩に置き土産。あとは──よかった。明日以降のノリッジまでの旅程分、ちょうど作ってしまえそう!」
毎週のようにバゲットをお裾分けしてくれた例の飲食店には、昨日のうちに御礼を済ませておいた。言わずもがな、仕込みを依頼されていたピクルスの納品をもってである。ウィールドさんとふたりで収穫した大量の山菜はそんなこんなで、此度の調理で売り切れだ。
「せっかくだし、マーガレットさんのレシピ、まだ作ったことないもの全部試しちゃおう。ふふ──」
途中のつまみ食いを晩御飯に充てつつ、黙々と調理に打ち込むこと二時間。窓の外はすっかり夜になり、室内はランプの黄色い明かりで照らされていた。
「──おやおや。飲食店もかくやといった匂いがすると思ったら、こんな時間まで精が出ますね」
すると。開けっ放しにしていた台所の扉から、お馴染みの声が聞こえてきた。
「わあ! こんばんは、オーナーさん。わざわざいらしてくださったんですか?」
「ええ、こんばんは。なにせシルキーさんの最終勤務日ですから。雇用主としては、当日中に顔を出すのが筋というものでしょう?」
最終日となる今日の過ごし方、引き継ぎ等については、昨日までにオーナーさんとの打ち合わせも済んでいる。ワンオペで自由にやっつけ、退勤後は明日の出立準備に集中してよいとのお話だ。彼は今がその頃合いかと見計らい、お時間を作ってくれたらしい。
「荷造りを終える前が良いかと思い、給金をお渡しに参ったのです。はい、こちら。今日までおつかれさまでした!」
「ご丁寧にありがとうございます! では、謹んで」
あれ、なんだか少し分厚いような。
「……あの、これは」
「餞別分の厚みです。ノリッジに戻られたら、グノーム達との再会祝いにでもお使いください」
なんと。臨時雇いの身に対するご贔屓分だったとしたら、受け取ることを躊躇っていたところだけれど……そういうご厚意ならば無碍には断れない。おそらくこれは、オーナーさんの分まで向こうで祝え、という気持ちの体現なのだ。
「……ありがとうございます。オーナーさんからのお気持ちですと、しっかりお伝えしておきますね!」
「ええ。それはもう安否が心配で仕方なかった、と大袈裟にお伝えください。それを以て、先のフェノゼリーの件共々にチャラとしましょう!」
「あはは。わかりました!」
なんともオーナーさんらしい魂胆、もといお気遣いである。ここは彼の趣向に協力しちゃうとしよう。
「いやはや失礼、出立のご準備中にくだらないお話をしましたね。今夜はゆっくりお過ごしください。また明日の朝、お見送りに参ります。改まったご挨拶はその時に。では、おやすみなさい!」
「はい、おやすみなさい!」
オーナーさんはそう言うと、そそくさと管理棟を後にした。
「(──本当、オーナーさんにはお世話になりっぱなし。有難い限りだなぁ)」
グノーム夫妻しかり、フェノゼリーさんしかり。私が出逢った妖精さんは、みんなみんな親切で。この世界に来てからの生活が、いかに充実したものであるのかを自覚する。
「……よし。そろそろ寝ようかな」
保存食の調理も終わり、私物もすべてまとめ終えた。あとはもう、明日に備えて眠るだけだ。
「おやすみなさい──」
誰に向けた言葉でもなく。ただ二ヶ月という期間を共にした、此処という場所に向けてそう告げる。
「──また、明日!」
今やすっかり心身に馴染んでしまった、ソールズベリーでの新生活。いつもどおりの日々がまた、明日にはそうではなくなることを──少し、寂しく思いながら。
◆◆◆◆
──朝が来た。
「片付けよし、荷物よし。あとは朝食がてら、水回りだけ通風しておこうかな」
昨夜は思いのほか、ぐっすりと眠ることができた。昨日のお仕事はさほど忙しくもなかったので、出立前のテンションもあり、入眠には難儀するかと思っていたのだけれど。どうやら知らないうちに、頭のほうがしっかりと疲れていたらしい。
「残しておいた最後のバゲット、いただきます!」
縦へ豪快に切れ目を入れ、山菜のピクルスを詰め込んだバゲットにかぶりつく。ノリッジまでの旅程は約二週間の野営生活。初日からスタミナはつけておかないとだ。
「──おお、出立の準備は万端のようですね」
バゲットを平らげ、テーブルの拭き掃除をしていた頃。昨晩の予告どおり、オーナーさんが顔を出しに来てくれた。
「おはようございます、オーナーさん!」
「ええ、おはようございます。たった今、倉庫内を小窓から覗き見て来ました。見事なまでの片付きっぷりですね。フミコが戻ってあの光景を目にすれば、大層驚くことでしょう!」
「あはは。そうかもしれませんね!」
グロスターに滞在していたフミコ先輩は、私が此処を任されていたことをまだ知らない。モノの管理が壊滅的なオーナーさんに任せたつもりでいるままならば、戻るなりごった返した有様を目にする覚悟のはずだ。
「む、なにやら含みを感じる返しですぞ。まあ我ながら否定できないのが実際のところ。シルキーさんが代行してくださらなければ、きっとフミコに呆れ果てられたことでしょう──改めて、ありがとうございました!」
「──こちらこそです。短い間のお手伝いでしたが、雇っていただきありがとうございました!」
互いにお辞儀を以て礼を交わし、此度の雇用契約に正式な区切りをつける。改まってみるとやっぱり、心の底から名残惜しいけれど──これで私はまた、『放浪者』の身になったというわけだ。
「──さて、出立前にノリッジまでの旅程の確認を。ルートはブリテン南東の海岸沿いを、所要時間は甘く見積もって二週間。寝食はやはり、野営を余儀なくされるでしょう。それでも大丈夫ですか?」
妖精國では基本的に、『人間種』が郊外を出歩くことは禁止寄りの非推奨。オーナーさんは今、『それでも行くのですね』というご心配をなさっているのだ。
「はい。『厄災溜まり』が解消されて間もない今を逃せば、次の機会がいつになるかわかりませんので」
オーナーさん曰く、『厄災溜まり』が解消された余波なのか、南東の一帯では、モースの目撃情報が激減しているとのこと。くわえて、同地域には鉄器で武装した兵士さんが住まう『ロンディニウム』も存在しているため──現在の妖精國において、私が通過する予定のルートはちょうど、モースの脅威が薄い安全地帯と化しているとも言えるのだ。
「ふむ。シルキーさんがそう仰るならば、私に止める権利はありません。ただ、海岸沿いとは言っても、海の間際にはご注意を。内陸より逃げ延び、追いやられたモースが潜んでいないとも限りません。なので気持ち分、内陸寄りを進まれるとよいでしょう」
「……わかりました。ご忠告、ありがとうございます」
モース毒に冒される危険性は妖精さん達ほどではないものの、人間の身ではそもそも、遭遇し襲われること自体が致命的だ。郊外を出歩くことがタブーとされる所以の最たるものである。
「しかしやはり、万が一の際の対策は持っておくべきです。何かご準備はお有りで?」
「ええ、一応は。以前モースに遭遇した際にも役立った『鉄鍋』を、手に取りやすいように身につけようかと。それから、フェノゼリーさんが残しておいてくださった、鉄製の武器をひと振り、お守りとして拝借したいと考えています。ただ、いざという時、それを私が扱えるとも思えませんので──本命は、この袋に」
オーナーさんに示すべく、私なりに用意したものを開け広げる。
「ほう、なるほど。グノームから贈られたという、鉄器の小道具類ですね。たしかに、彼の鍛造品は鉄の純度が高い。これならば携帯しているだけでも、モース除けとしては幾許かの効果が期待できるでしょう。……ん、これは?」
彼は得心しかけつつも、ひとつの代物を目にした途端、訝しげな表情を浮かべてみせた。
「えっと、こちらは『
「──ああ、なるほど。これはモース除け用の一式というわけではなく、あくまで道具類をまとめて入れた袋、という事ですね。ははは。鉄製のものでもないのに、どうして紛れているのだろうと思いましたよ」
うっかりしていた、というワケでもないけれど、たしかに今の話題のなかでは、これは異彩を放って見える。『対策はしております!』と意気込み開け広げたというのに、無関係な代物が紛れているとは。なんとも締まらない格好だ。
「えへへ、すみません。私にとってこれは、今までに最も愛用してきた代物でして。これからの旅程では出番が少なくとも、やっぱりメインの道具袋に入れておきたかったんです」
「そうでしたか。となるともしや、グノーム邸でのお手伝い時代からの愛用品、ということですかな?」
そう。この『はたき』は正真正銘、私にとっての愛用品。一年前のあの日、グノームご夫妻宅でご厄介になることが決まったあと──清掃の手伝いを任されることになった私が、真っ先に手作りしたものである。これを振るう際の衣擦れ音が由来となり、『シルキー』の愛称が付けられるに至ったのだ。
「それにしては、随分と物持ちが良いですね。一年以上も清掃に使い続けているならば、布の部分などはもはや、原型を留めてはいられないはずでしょう。それが新品同然のコンディションであるときた。これはどうしてなのです?」
「ええと……これ、布の部分は、私が着古した衣服を再利用して作ってあるんです。お掃除でくたびれてきたらまた、次に着古した衣服を加工し付け替えて──と、何度でも繰り返し使えるように」
この世界に流れ着き、森の中を彷徨っていた際に、当時着用していた衣服はボロボロになってしまった。それを見かねたマーガレットさんは、ご自身の衣服を何着か、私のためにと譲ってくださったのだ。しかし、そうして用済みになった衣服とはいえ、そのまま捨ててしまうのは勿体ない。ゆえに私はそれ以降、衣服を着古すたびに、『はたき』の材料として再利用することにした──というワケだ。
「──なんと。これは驚きました。最初から『はたき』になるものとして作られた材料ではなく、かつて別の用途を全うした、異なる代物を材料とし、生まれ変わらせたと仰るのですね」
……え。驚くって──今のお話で?
「いやはや、やはり人間種の発想力には舌を巻く。なにしろ、我々妖精種の考えはこうだからです──『或る用途の代物が欲しければ、はじめからその用途の代物自体を作ればいい』……『或る用途を全うした代物は、その時点で用無しである』──と。ゆえに、シルキーさんの仰る、『或る用途の代物を、別の用途の代物として再利用する』というお話は、なかなか抱き得ない発想なのですよ」
な、なるほど。
「とはいえまあ、我々妖精種にも『再利用』という観念自体は存在します。シェフィールドの城壁がそうであったように、類稀な堅牢さを誇る樹皮を建材にしたりとね。かくいうこの倉庫もそうだ。元は或る用途のために採掘されたものの、その用途を失い死蔵に至った鉱石が、別棟の増築という新たな用途に用いられたワケですから。しかし、人間種の発想は我々以上に繊細で、多岐にわたるものだ。その事実をいま一度、改めて実感させられました」
「(────…………)」
……そうか。『目的』こそを自らの存在意義とし、それを損なえば自壊するのが妖精種の在り方だとすれば──彼らにとって、或る代物の『用途』に対する観念もまた、損なえば次は無いものと見做すことのほうが自然なんだ。
逆に、人間種にとって『再利用』の観念は当たり前と言えるもので、日常生活にありふれる程に馴染み深いものだ。……ともすればそれは、私たちが彼らのように絶対的な『目的』を掲げる生物ではなく、『変化』を経て成長する存在ゆえに抱かれる、種特有の方向性であるのかもしれない。
「その点で言えば、現在の私という一翅の妖精もまた、己が『目的』を『再利用』しているようなものなのでしょうね。当初の在り方から大きく掛け離れてこそいませんが、かつての『目的』の形を徐々に変え、別の方向性を掲げるに至った。人間種が抱く『再利用』の観念にこうして関心を持ち得るのは、私がそのような経緯を辿ったがゆえ──なのでしょうかね」
……それはきっと、グノームさんやフェノゼリーさんにも言えること。『目的』を立て直す過程で別の路を見出し、『第二の生』を生きる彼らだからこそ、異種族たる私にも理解を示し──これほどまでに親切に、擁してくださったのだろう。
「ははは、すみません。名残惜しさのあまり、ついまた余計な話をしてしまいました。やはりどうにも、シルキーさんの前では饒舌になるらしい。噂では人間種に依存する妖精も少なくないと聞きますが、あながち眉唾ではないのかもしれないですね。こうしていると、不思議と気分が高揚するのです。活力を分けていただいていると言いますか、何と言いますか」
ん。たしか以前、マーガレットさんがそんなお話をしていたっけ。『人間は妖精の活力源になり得る』、とかなんとか。
「ま、私は何かに依存するという柄ではない。自分で言うのもアレですがね。この際なのでぶっちゃけますと、此処への訪問を週に一度としていたのも、先の告解が由来だったりしまして。より頻度を増していたならば、此度の出立を引き止める気なぞ起こしていたやもしれません!」
なんと。そんなにも罪な人間だったのか、私は。
「ははは! 冗談です。お引き止めなどいたしませんとも。そんな事をしようものなら──二ヶ月間どころか、一年間も私邸で務めた優秀なお手伝いを此方に派遣してくれた、グノームに顔向けができませんので」
「(────…………)」
……そういえば。ノリッジでの滞在当時、同じ建物の中で過ごしていながら、グノームさんと顔を合わせる機会もまた、食事や来客対応などの、一日の中でもごく限られた時間しかなかったような。それこそ、彼自身が早々に面会を切り上げているかのように、そそくさと工房に戻られていた記憶が──
「(……あれって、オーナーさんが今おっしゃったことと、同じような理由だったり……?)」
──仮にそうだとしたら、お気遣いへの申し訳なさと同時に、なんだか可愛げのようなものを感じてしまう。あれはつまり、照れ隠し的なムーブかもしれなかったワケだ。……まあ、グノームさんの性分を思えば、そんな事情を抜きにしても工房に籠るのだろうけれど。
「向こうに戻られたら、どうぞよろしくお伝えください。ソールズベリーとノリッジの距離は遠いため、私は彼らとそうそう顔を合わせる機会がありませんのでね」
「はい。お任せください!」
そんなこんなで、ひとしきり話し込んだあと。管理棟から荷物を運び出し、倉庫内の通路を並んで歩いてゆく。
「それにしても、上手に荷造りをなさいましたね。そこに私物が全部入っているのです?」
「ええ。此方へ来る時の私物も、もともと身軽な量しかありませんでしたから。その後も大して増えてもいないので、すっぽり収まってしまいました!」
私が譲り受けた唯一の『処遇検討品』、なかなかに立派なサイズの寸胴鍋である。そこへ私物の一切を放り込み、キャリーケース替わりに利用したのだ。
「フェノゼリーさんが居た期間中、古い台車が一台壊れてしまいまして。後輪のふたつだけは無事だったので、メンテナンスを経たのち、二輪のキャリーカートに作り替えてもらったんです。そこに寸胴鍋を縛り付け、こうしてキャリーケース風味に!」
「ほほう! ここにも『再利用』の趣向が込められていたとは。まったく感服する限りですな!」
寸胴鍋は布ですっぽりと覆っているので、傍目からも外見はそこそこスッキリとして見えるはずだ。仮に元の世界でこれを引いて歩けば、職務質問くらいはされるかもしれないものの、ギリギリ旅行者として看做される水準だろう。
──左右に並ぶ倉庫室群を傍目に、長い通路を歩き切る。建物入り口の扉を潜り、屋外へと足を踏み出した。
「──それでは、これより先はお気をつけて。雨期は過ぎ、悪天候の心配は以前より少ないでしょうが、郊外の道程はなかなかにハードです。焦らず、しっかりと休息をとりつつお進みください」
「はい。ありがとうございます、オーナーさん──」
最後に、一度。くるりと背後へ振り返り、恩人となった御仁に向けて、深々とお辞儀をする。
「──お世話になりました。また、いつか!」
「ええ、こちらこそ──お元気で、シルキーさん!」
そうして。短いようで長かった、ソールズベリー滞在期間は終わりを迎え……元の世界でさえすることのなかった、私にとっては初めてとなる──『里帰り』の旅が始まった。
……四日後。郊外を歩くのみの私が知らぬ間に、妖精國中枢で繰り広げられていたらしい、歴史的内戦が終結し──女王陛下が崩御されたとの報せを後日、思わぬ形で知ることになった。
お読みいただきありがとうございます。
『用途』と『目的』などの回でした。
ソールズベリー滞在編はこれにて区切り。彼女のお話もあとわずかです。
なんと、ほぼ二ヶ月ぶりの更新になりました(汗)
まとまった時間が取り難くなっており、遅筆も相まって目に見えて執筆ペースが落ちているこの頃。ゆっくりとにはなりますが、コツコツと書き進めてまいります。
久々のぐだイベ! いろいろとハジケてましたね。何者なんだい彦斎ちゃん。
引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。