※Lostbelt No.6『妖精円卓領域アヴァロン・ル・フェ』の核心的なネタバレのほか、Lostbelt No.7『黄金樹海紀行ナウイ・ミクトラン』〜2部奏章『オーディール・コール』の一部内容に触れています。
※本作は後日、作者本人のpixivアカウントにおいても投稿予定の内容となります。
以上の事柄をどうぞあらかじめご了承ください。
◆◇◇
喧騒のなかを駆け抜ける。
「──うわあああ! いやだ、助けてくれ!」
「逃げろ、こいつモースになりかけてるぞ!」
「毒が移ったらどうすんだ! あっち行け!」
妖精の声。
「妖精に近づくな! ウチの棟梁もダメだ!」
「私の助手もモースになったわ、手遅れよ!」
「俺ら人間だって、襲われちゃおしまいだ!」
人間の声。
「港だ、港に逃げろ! 海に出れば安全だ!」
「伯爵のカティサークはあと何隻残ってる!」
「早い者勝ちだ、どけ! 俺が乗るんだよ!」
両者が共に助け合う、活気に満ちた港街は。
「それを寄越せ、人間ども! 妖精が先だ!」
「ふざけるな、どうせモースになるくせに!」
「やめろ、カティサークが壊れちまうだろ!」
平和とは程遠く。狂乱の波が押し寄せる──
「うるさい、寿命の短い劣等種は黙ってろ!」
「譲る気がないのなら、殺して奪うまでだ!」
「くそ、兵士は何してる! 妖精の乱心だ!」
──この世の地獄と化していた。
「(────っ、…………!)」
建物を縫うように、物陰に隠れながら街を走る。眼も耳も、塞げるものなら塞いでしまいたい。これが、此処が、本当に──あのノリッジだというのか。
「(──どうして、こんな……!)」
しかし、これは当然の惨状なんだろう。先刻まで相対してきた無数のモースたちが、拓けた地平ではなく、入り組んだ街じゅうに溢れかえっているのだから。
「(……逃げ場が、無いんだ──)」
郊外に飛び出せば、モースの密集地帯から距離をとることはできるだろう。しかしその先に待つものは、生き延びる保証のない、果てしなく続く逃避行。それを嫌うとなれば、残された選択肢は限られる。その結果が──。
「どけ! 死にたく、死死にに◼︎◼︎◼︎──!」
「う、うわああ! こいつ、モースにぐぼッ」
「ひいいぃぃ! 来るな、助けて──ごふっ」
──ああ。どうして、こうなった。
「人間は邪魔だ。人間はジャ◼︎。◼︎◼︎ダ──」
「痛い、痛い! 足が千切れた、足がぁあ!」
「港はもうダメだ! モースが沢山沸い──」
人間も、妖精も。この街で、互いに手を取り合っていたはずの者同士が、どうして──。
「(────急がなきゃ……!)」
溢れかえる住民さんたちを尻目に、一目散に駆け抜ける。目指す場所は、ただひとつ。
「──グノームさん、マーガレットさん……!」
私がこの世界に流れ着き、一年の歳月を共に暮らした──大好きなご夫婦の住まう家へ。
「(……おふたりはきっと、まだあの家の中におられるはず──)」
屋外に居る住民さんたちは、『大厄災』の混乱に当てられて屋内から逃れたか、もともと外出中だったりしたのだろう。……私の知る限り、ご夫婦がこの時間に外出することは滅多になかった。なにより──
「(……フェノゼリーさんのことだ。彼も当然、一度はご夫婦宅に顔を出し、避難の誘いを掛けてから、ノリッジの外へ出てきたに違いない──)」
──『厄災溜まり』の一件と同じく。ご夫婦は如何なる災害に見舞われようと、誰に手を引かれようと。この街を、あの家を、決して離れることはしないだろう。
「(……ご夫婦のお宅は、ノリッジ北西の山の麓。パニック状態の住民さんたちが大勢押し寄せる、この辺りからは遠く離れてる──)」
フェノゼリーさん曰く、屋内に閉じこもってさえいれば、モースの襲撃からは逃れられると言っていた。それに、ご夫婦宅はソールズベリーの倉庫同様、グノームさんが設計した建物だ。一般的な家屋に比べて、頑丈さには期待ができる。あとは……
「(──どうか、無事でいて……!)」
……『大厄災』の影響に当てられ、モース化に至っていないことを祈るだけだ。
「────ぞ! もう港──、一隻も残──」
そうして。必死に頭から不安要素を取り払い、死にものぐるいで走っていると。
「(…………え? この声、どこから──)」
港はとうに通り過ぎ、辺りには樹々が生い茂り、山の麓が見えてきた頃だというのに。
「──馬鹿が! だから壊れると──んだ!」
先刻まで聞こえていた喧騒が、どこからともなく耳に届く。
「(……港からはもう、三キロほどは離れたはず。なのに……どうして、あそこに居た方々の声が──)」
──いや。これは、実際に耳で聞こえている音声とは……たぶん違う。
「どうすれば──んだ! 逃げ場──だぞ!」
この街に溢れ、飛び交う、住民さんたちの不安の念。悲嘆、焦燥、恐怖、絶望──
「おしまいだ! この街は──おしまいだ!」
──形なきそれらの念を、私が……
「(──無意識のうちに、受け取っている……?)」
──そのとき。
「──◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎──!」
不意をつかれる格好で。樹々の陰に潜んでいたらしい、一体のモースに出会してしまった。
「──やば、──っ!」
眼にした瞬間に、それが『大型モース』であることが判る。しかし、それも遅きに失した。
「(──逃げられ、な──)」
相手はすでに三メートルほどの距離に接近しており、此方の走る姿勢は丸腰も同然。くわえて、周囲には生い茂る樹々が。方向転換を試みる間に、抵抗を示す暇もなく、次の瞬間には接触してしまうだろう。
「……! ◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎──!」
──しかし。
「……、◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎──」
どうしてか。相手はそれ以上、私に近づくことはしなかった。
「(──っ、──!)」
よろめきかけた足を持ち堪え、その一瞬の隙に走り抜ける。後ろ目に注意を払うも、追いかけてくる様子はない。むしろ相手のほうが、私から逃れるように去っていった。
「(……なに、今の──あ、あれっ?)」
そこでようやく、自分の状態を理解する。
「(私、此処まで『白布』を握ったままで……)」
何のことはない。モース化直前の妖精さんや、街じゅうに発生していたであろうモースに出会すこともなく、此処まで無事に走って来られたのは──港に着いてからずっと、私の『起源』を発揮していたからだったのだ。
「(……それに……)」
ただ、それは通常規模のモースに限った話。とはいえ彼らも、私程度が無意識に払える存在ではない。それを可能にしていたのは、『白布』にくわえて──もうひとつ。
「(……グノームさんが贈ってくれた、鉄製の野営ツール──)」
腰に下げた革袋。その中にあったのは、崩れかけの道具たち。私は此処まで無意識のうちに、これらから『鉄の因子』を抽出し、己が身に纏っていたらしい。
『──ったく、手ぶらで自然を歩く奴が居るかってんだ。……最低限、これくらいのモンは持っておけ──』
革に覆われた木製の柄を残し、鉄製のパーツのみが綻んでいる。『いつか、妖精國じゅうを旅したい』と願った私に、野営に役立つようにと贈られたそれらが──モースを近寄らせない『御守り』として、この身を助けてくれていたのだ。
「……ありがとうございます。助かりました、グノームさん……!」
革袋をぎゅっと握りしめ、樹々の中を駆け抜ける。……またひとつ、話したいことができちゃった。
「……海だ。海に出なきゃ……ぬだけだぞ!」
すると。
「(……! また、──)」
再度。どこからともなく、声が聞こえた。
「無理だ! ……サークは全部……たんだ!」
……まさか。これも?
「残ってないのか、一隻も! ──探せ!」
これもまた、私が無意識に──
「じゃあ何よ、私たちは……ぬしかないの!」
──『起源』を発揮していた事による、副次的なもの……?
「(……でも、なんで? 私のそれは、痛みや穢れを払うもの。こんなことができるわけじゃ──)」
……いや。違う。副次的なもの、などではない。むしろ、これは──
「(────あ────)」
思い出した。私はあのとき、思い出したじゃあないか。
「(──そっか。これも……『私』自身に刻まれた、在り方のひとつ──)」
この世界に流れ着く前。かつての記憶に蓋をするより前の、『私』が受けた経験を。
「(──他者の穢れをこの身に移す、『役目』の名残り──)」
記憶の中で、お母さんは言った。かつてのその『役目』は、要は私の力の半分ほどを利用し、強いられてきたものだと。それが『何』の半分であったのかも明白だ。
「(……ああ、そっか)」
他者から取り払ったものを、この身に引き受け、この身からも取り払う。そうした一連の工程すべてが、『払拭』という私の『起源』。かつての私の『役目』とは、その工程の途中までを遣うこと。十余年という月日のなかで、他者の穢れを際限なく引き受け続ける、集積装置としての在り方だ。
「(……それは当然、この身体が覚えているわけだ──)」
そう。十余年だ。私は生涯のうち、自身の『起源』の中途半端な行使、習熟に、十余年という月日を費やしている。『この身からも取り払う』という、残された工程の研鑽に至ったのは──つい最近の、ごく短期間の事でしかなかったのだ。
「(──ああ)」
……これは、何の因果だろうか。
「(──壊れていく)」
終わりに向かう世界の片隅に在って。それでもなお、この世界に縋らんとする私のなかで。
「(……妖精國が──壊れていく)」
かつての私が居た、あの世界における在り方が──いまの『私』を分け入るように、その輪郭を覗かせる。
「(……『私』が過ごした、世界が──)」
……ああ。
「──そうだ。カティサークがダメでも──」
……ああ、そうか。
「! ああ、本当だ! あの『船』がある!」
……これは。
「助かるぞ、建造途中の『イナバマル』だ!」
……これは、罰だ。
「本当だ! あれなら海、海を、をを◼︎◼︎!」
かつての世界に背を向けた、私の──。
「イナバマル、イナ◼︎◼︎◼︎、◼◼︎◼︎◼︎◼︎──!」
絶えずこの身に流れ込む、何処からか聞こえる声の波。それは次第に規模を増し──
『──りたいよ。帰りたいよ、あの世界に!』
──港の狂乱とはまた別に。ひときわ異彩を放つ、ある特定の念をも汲み上げ始めた。
『どうして。この世界でも生きられると──』
『──思ったのに。思っていたのに、なぜ!』
『ああ、怖い。怖い! 帰して、帰してよ!』
それらは、驚くほど耳に馴染む文脈で。
『今日も生き延びたのに。生き抜いたのに!』
『こんな目に遭うのなら。判っていたなら!』
『もっと早くに──死んでおけばよかった!』
ゆえにこそ。それらの声の主が『
『なぜだったんだ。なぜ俺は、この世界に!』
『いつのまにか来ていただけの、私がなぜ!』
『訳もわからないまま、死ぬっていうんだ!』
──私の意識が、かつての世界を指向した所為か。その念に呼応するようにして、汲み取られるべき念もまた、『それ』との相似性を帯び始めているのだろう。こと現状に至っては、その程度の仮説は容易に浮かぶ。
……ただ──。
『恋しい。恋しい、私の家族たちが恋しい!』
『戻りたい。かつてのあの生活に戻りたい!』
『いつか戻れると──そう信じていたのに!』
抱かれて当然の念。望まれて然るべき念。意思に反して手放されたものに対する、行き場のない慕情の波。それらの想いが彼らにとっての、『在るべき形』であるのだ、と。そう理解に及びながらも──。
『来なければよかったんだ。こんな世界に!』
『こんな、こんな、恐ろしい世界なんかに!』
『ああ、帰してくれ。元の世界に──帰せ!』
己が『同胞』と呼ぶべき者たちの念。それらの想いを、絶望を──心の何処かで、受け入れ難いと感じる自分がいた。
「(…………っ、────)」
走り抜ける。振り切るように、振り払うように。
「(……何、なんだ)」
咎めるように聳え立つ、行く手を阻む樹々を掻き分けて。
「(……『私』は、いったい……)」
なおもこの身に付き纏う、
「(……『何者』、なんだ──)」
その疑問にだけは、
◆◆◇
山の麓の片隅で、見慣れた家屋が眼に映る。
「──! つ、着い、た……!」
走り詰めた肢体は棒のようで、もはや息も絶え絶えに。減速もできぬま、ほとんど体当たりの格好で、玄関の戸にもたれ掛かる。
「(──あれ。この跡、もしかして……)」
もたれた姿勢のまま、視線を足元に落とす。ここ一帯では直近に雨が降っていたのか、ほのかに
……やっぱり、フェノゼリーさんは此処を訪ねていたんだ。そうなると、ご夫婦はおそらく。
「──ごめん、くだ、さい……!」
痙攣に近い手の震えを堪え、力の限り戸を叩く。上下する胸から絞り出すように、呼気のすべてに声を乗せ、祈るように呼び掛ける。
「……グノームさん、マーガレットさん! ごめんください、中にいらっしゃいますか!」
すると。
「はいはい、今開けますよ! どちらさま──って、なにこれ重っ……」
「ぎゃぶっ」
もたれ掛かっていた戸のほうが、我が顔面をノックした。
「やだ、ごめんなさい! まさかそんな至近距離に居るなんて思っ──、えっ! シルキー! えぇ〜! あんた、シルキーが来たわよ! って、工房の中じゃ聴こえないか。あんたー! シ、ル、キ、ー、が〜!」
聞こえてきたのは、もはや懐かしさすら感じる奥方の声。相変わらず工房に篭っておられるらしい、旦那様に向けて声を張り上げている。
──よかった。この様子だと、おふたりとも無事のようだ。
「……ご、ご無沙汰じでいまず。マーガレットざん……」
「きゃー! 鼻血、鼻血止めて! その他もろもろ! せっかくのお顔がぐっちゃぐちゃよ! とりあえず、中入って、中!」
何度も死ぬ思いをしながらも、此処まで外傷もなく来られたというのに……油断した。顔面から滴る液体という液体を拭い取りつつ、よろよろとご夫婦宅に転がり込む。
「まったく、全身が泥んこじゃない。どれほど長く外で生活していたの? 着替えを用意してあげるから、向こうでパーっと身体を拭いてきなさいな──はいこれ着替えと濡れタオル! その間に、あのひとも工房から引き摺り出しておくわ。ほら早く!」
「えっ、あ──はい!」
畳み掛けるような物言いに圧され、促されるままに事にあたる。街じゅうを縫うように、壁という壁を伝いながら走り回っていたせいか。身体を拭き終える頃には、濡れタオルが煤やら錆やらでまっ黒けになっていた。
「(……うわぁあ、この汚れっぷりは酷すぎる……!)」
恥ずかしい。せっかくの再会なのに、過去イチで汚い姿をお見せすることになろうとは。仮にもお掃除の腕で身を立てていた者として、これは失態と言わざるを得ない。面目も何も丸潰れである。痛みや穢ればかりを払い詰めだったことが招いた、皺寄せか何かなのか。
「──よし!」
手櫛で梳いた髪を後ろでくくり、ぱん、と両頬をはたき、気を取り直してリビングに向かう。
「(────)」
改めて視界に映る、約三ヶ月ぶりのご夫婦宅。隅々まで清掃が行き届き、家具の類も見事なまでに手入れがなされている。台所は仄かに料理の残り香が漂い、水切り台には二人分の食器が並んでいた。
「(…………)」
まるで、先刻までの出来事が夢であったかのように。五感にもたらされる印象は、かつて私が暮らした当時のままの──いつもどおりのご夫婦宅そのものだった。
「──あら、綺麗になったわね。洗濯物は適当に置いといて。あれだけ汚れたんだもの、クタクタでしょう? そこのソファにでも座ってて。もうすぐ、あのひとも出てくるから」
「は、はい! ありがとうございます、マーガレットさん──」
工房から戻るなり、奥方は私の背後、リビングの壁側を指差して言う。……ソファ? そんなもの、以前の此処にあったっけ。そう思い、後ろを振り返ってみると──
「えっ。すごい! こんな、立派な──」
──そこには。革製の大きなソファが、どっしりと鎮座していた。
「ふふふ。そっか、シルキーは初めて見るのよね。ええ。誰かさんが革細工の出来を誉めたものだから、張り切ってそんなものを作っちゃったのよ、あのひと」
「ええっ、まさか、グノームさんが!」
その誉めた誰かさんとやらには心当たりがある。というか確か私である。
「(こ、凝ってるなぁ……)」
それにしても、これは見事な出来栄えだ。あのときお作りになった革細工は、私の両掌に収まるほどのサイズであったのに対し、このソファは大人が三、四人は並んで腰掛けられる大きさである。背もたれや肘掛け、脚にいたるまで細やかな意匠が施され、機能美との調和を叶えている。
「──はっはっは。どうだ、結構なモンだろう!」
すると。つい魅入っていた私の背後から、得意げに語りかける、久方ぶりに聞く声がした。
「──グノームさん!」
振り返ると、そこには。かつてのお姿と変わりのない、この家の主人が立っていた。
「おう! ずいぶん早いお戻りだな、シルキー。ソールズベリーでの生活に飽いたのか? ついこないだ出て行ったかと思えば、もう顔を拝むことになるとはな。向こうでイヤなコトでもあったかよ? はっはっは!」
「い、いえ! イヤな事なんて。むしろ滞在中ずっと、皆さんにたいへん良くしていただきました!」
ソールズベリーで暮らした約三ヶ月という期間は、たしかにあっという間で、しかしながらに長く、濃密な時間だった。長命な妖精種たる彼の感覚では、私の時間感覚以上に、数ヶ月なんてごく短いものとして感じるのだろう。その口ぶりはまるで、私の出立がつい昨日のことであったかのようだ。
「なーにが『ずいぶん早いお戻りだな』よ。あの日からこっち、口を開けば『シルキーはどうしてるか』とばかり気にしていたくせに。フェノゼリーがソールズベリーから戻って来た日には、翌朝まで質問攻めを見舞っていたじゃない。まさか忘れちゃったのかしら〜?」
三人分のカップが乗ったトレイを運びながら、仁王立ちするグノームさんの足を膝で小突く奥方。ソファの前に備えられた横長のテーブルに配膳しつつ、からかい混じりに言ってみせる。
「おいバラすなよ! というかそりゃお互い様だろうが!」
「ええそうね。でも私は見栄なんて張っていませんし? そんなに照れなくたっていいのにね〜。このソファだって、いつかこの子が帰っ──」
「あー! あーやめとけ、やめてください悪かった! 俺は素直じゃありませんでした!」
「分かればよろしい。さっさと座んなさい、シルキーもね!」
「あ。はい!」
なんだかむず痒くなるトークを、真っ赤になっているであろう我が耳で受け取りつつ。奥方の鶴の一声でもって、三者並んでソファに腰掛ける。
「──はい、どうぞ。お昼に冷やしたものだから、あまり冷たくないかもだけど。これ飲んで落ち着いてちょうだい」
「おう、サンキューな」
「あんたじゃなくてシルキーに言ったのよ! 旅の疲れを労ってんの!」
「よし大丈夫だシルキー、こいつはきっとキンキンに冷えてやがるぞ。俺に向いてる視線みたいにな」
「そういうコト言っていいのね?」
「ごめんなさい」
見慣れた夫婦漫才が私の左右で繰り広げられつつ、それぞれの手元にカップが行き渡る。中には果実水が注がれており、薄橙色の水面が揺れている。
「それじゃ、ぬるくならないうちに──」
と。今まさに、お茶の時間が始まろうとしたとき。
「──あの……!」
私は意を決して、その場の流れを中断した。
「……えっと……その、──」
しかし。意を決したはずが、言葉に詰まる。話したいことは山ほどある。伝えたいことも沢山ある。なのに──。
「(……何を、どう、言えばいい──)」
話をするには、あまりにも時間がない。いや、この家屋の中にさえ居る限り、そうするための時間自体はあるのだろう。今はその時間を、何に充てるべきかが問題なんだ。
「(──ああ。どれだけ時間を費やそうと、おふたりは耳を傾けてくださるだろう。でも……)」
……判っている。外で生じている混乱の最中にあって、不釣り合いにも程がある長閑な時間。おふたりのご様子を見て、私を饗すつもりはあっても、
「(……このままじゃ、おふたりは──)」
そうして、言葉が見つからずにいると。
「──『
「──、え?」
私の言を取り次ぐように。グノームさんが不意に、耳慣れない言葉を口にした。
「オドベナ、と言ってな。俺の工房の床下に、そこへ通じる道がある。此処で少し休んだら、持つモン持って向かうといい」
──工房の下に……道?
「……向かう、って……?」
耳慣れない言葉に次いで出た、予想外の言及に面喰らう。知らず声に漏れた私の疑問を聞き、彼は委細を語り始める。
「ブリテン全土に張り巡らされた地下洞窟だ。中を進んで行けば、地上を歩かずともブリテン各地に移動できる。ただし、中はモースの巣窟になっていてな。遭遇したらまず逃げ場は無い。だが──ウチから繋がっている道については、その限りじゃない」
グノームさんはおもむろに、まるで事前に用意していたかのように、一枚の地図を取り出した。
「ウチから繋がってる場所は、ノリッジ沿岸の隠れ浜だ。この通路は、俺が十年かけて『静脈回廊』から切り離し、内壁を鉄鉱石で舗装し、出入り口を鉄の扉で封鎖してある。だからモースが近づく心配はない。並大抵の妖精たちだって近づこうとはしない。通れるのは『鉄』への忌避感が薄い妖精か、おまえさんたち人間だけってコトだ」
……本来ならモースの巣窟になっているが、その脅威から隔離された道──そんな場所を十年かけて、グノームさん自らが用意しておられた……?
「俺の前職は『鉱夫』だ。生業としちゃ引退したが、その経験と技術は今も手放しちゃいねえ。万が一の時のために、コツコツと準備しておいたんだ」
……そうだった。グノームさんはかつて、鉱山業を営まれていたんだ。現在の彼は『鍛治師』であるという先入観から、前職に連なる事柄に取り組む時間も、その機会も無くなったはずだと思い込んでいた。
「(……でも、どうして──)」
引退され、現職に就いてもなお、前職の経験それ自体が失われることはない。それはわかる。しかし、現職に従事なさっていながら、彼はその『道』の整備に十年もの歳月を費やしておられたという。しかもそれは、おそらく彼個人による独断的な行動なのだ。
「(──グノームさんが、そこまでのことを……?)」
……素人頭で考えても、それが趣味でさえ、本業の合間に取り組む事柄にしては、些か以上にハードすぎるように思える。それほどの熱を入れて取り組まれていたのは、何故なのか。
「意外そうなカオだな。でもおまえさん、フェノゼリーから聞いたんだろう? 十年前の俺たちの話だよ。当時の職場だった鉱山が、『厄災』で崩れたって件だ」
ああ、そのお話は強く印象に残っている。……というかフェノゼリーさん、私に話したことを自分から白状したんですか。ナイショとか言ってませんでしたっけ。
「……ええ、伺いました。けれど……」
それが今のお話にどう関係があるのだろう……と、思いかけたとき。
「勝手に湧いたモースどもによる自然災害のように聞こえたかもしれんが、実際は違う。俺のチームが鉱脈を採掘しているうちに、うっかり『静脈回廊』を掘り当てたことで発生した──モースの大量流出事故だったんだ」
「────え?」
その疑問を押しのけるように。彼の動機についてではなく、実際的な当時のお話──フェノゼリーさんから伝え聞いた内容には無い、初めて耳にする実態が明かされた。
「ん、そこまでは聞いちゃいなかったようだな。なら続きだ。掘り当てちまった直後に、『こいつはヤバい』と感じて穴を塞ぎ、同僚たちに退避を命じて外へ向かったが、モースどもの流出は早かった。妖精と人間奴隷、あわせて十二名が犠牲になった。現場が入り組んだ坑道内だったのが不幸中の幸いというべきか、それ以上の死者は出なかったが、モースの流出は鉱脈外部の山肌に拡がり、採掘員は駐屯住居から一歩も外へ出られなくなった」
────。
「状況を知らせるため、モースどもの隙をみたフェノゼリーが飛び出し、大急ぎでソールズベリーに向かった。その後のオーナーの対応が迅速だったのが幸いしてな。ほどなくして女王軍が駆けつけ、事態を小規模の『厄災』と認定。流出したモースの討伐後、露出した『静脈回廊』は鉱山ごと破壊、封鎖された。現場状況から不慮の事故ってことでお咎めはなく、俺たちはその場で解放された。その代償に全員、職を失うことにはなったがな」
──実態は、そういうものだったのか。
「コッチに移住してからも、俺がその一件を忘れた事は片時も無かった。新しく得た仕事の傍らで、俺は『静脈回廊』について徹底的に調べ直し、工房の地下を掘り進めた。ノリッジ付近にも通路が幾つかある事は判っていたからな。そのうちの未踏と思しき一本を選び、繋げて舗装したのがウチの道だ」
……『未踏』?
「選ぶ、って……その、未踏である通路か否かの判別が、可能なのですか?」
地中に張り巡らされている通路を、どうやって──。
「まあ、半分は勘だ。だが根拠はあった。大規模な戦による破壊痕や、地層の隙間に流れる水が地殻を削ると、やがてそこを境に断層ができる。前者は戦歴から地点と規模を推測し、後者は降雨記録や水源の分布で目星をつけるんだ。その地帯の断層に隆起や沈下がみられたのなら、地中の通路も縦方向にずれ、分断されている可能性があるってわけだ」
……なるほど、水による地表地殻の侵食──あちらの世界でいうところの地殻変動のような現象から、この世界の大地における断層の所在を割り出し、その影響で切り離された可能性がある『静脈回廊』の通路を選別なさったということか。
「前に渡した地図があったろ? アレはその調査の副産物でな。まだ持ってたら出してみろ。この『静脈回廊』の図面に重ねて透かすと、どの地点に通路があるのかが判るんだ」
「!」
野営ツールの革袋から地図を取り出し、言われたとおりに重ねて透かす。……本当だ。ノリッジの海岸あたりの地点と、おそらくは分断された通路を示すものであろう、『×』と記された位置が符合している。
「断層の位置は山間部と、水脈付近が特に多い。隆起した大地が山となり、沈下した境目に川が生まれるからだ。雨水による地表の侵食で作られたものもあるがな。『涙の河』の地下に至っては、水没しちまった通路も多くある。それでも同高度の『静脈回廊』全域が沈んでいないあたり、通路の分断は各所で生じているってコトだな。場合によっちゃ、
……話を聞く限り、地形変化にかかるスケールとスピードは、どうやらこの世界特有のものらしい。あちらの世界では気の遠くなるような年数をかけて生じるべき現象が、『何かの拍子』で生じてしまうのだという。
グノームさんが大地に詳しい御仁だということは知っていたけれど、これらのお話を耳にしたことで、その印象がより一層強まるようだった。
「ま、そんなわけでよ。ウチの工房の地下にもまた、『静脈回廊』に続く通路がある。分断されたものを更に隔離した道だから、他所に合流する事はないがな。細長いシェルターみたいなモンだと思えばいい。この家も危なくなったときには、屋外へは出ずにそこへ逃げ込むんだ。鉄扉の鍵を渡しておく。事態が終息したのなら、機を見て外へ出るといい」
──その言は、つまり。
「……やっぱり……此処に残るおつもり、なのですか?」
共に向かうという選択肢。それがありながら、彼は──。
「ああ。そのつもりだ」
──諦観でもなく。絶望でもなく。あくまで穏やかな表情で、己が意向を口にした。
「それにもう、あの道に用はない。仕事の試作品の仮置き場にしていたが、ブリテンじゅうがこうなっちまえばもう、どれもこれもお蔵入りだ。依頼も何もあったモンじゃねえ。『鍛治師』としての仕事は、今日で名実ともに店仕舞いさ」
緊急事態下における、お仕事の休業。その判断自体は至極まっとうなものではある。けれど──その判断をした彼自身が妖精種であるという事実が、問題だ。
「(……でも。それじゃあ……彼の、『目的』が──)」
なぜなら。妖精種たる己が存在理由にして、自身の在りかたを担保する『目的』──それを放棄するという判断は、『モース化に至る危険性を受け入れる』ことに、ほかならないからだ。
……しかし。
「実際のところあの道は、俺がモース化の兆候を再発しちまった時のため、自分を閉じ込めるために作った『牢』でもあったんだ。だが幸い、その使い途も今日まで用をなさずに済んだ。……だから、俺は此処に残りたい。俺が俺のままで居られる時間を──最期の瞬間まで、此処で過ごしたいんだ」
しかし。彼は……いや、彼も。それでもなお──自分自身として在る事こそを、誇りを持って選び取った。
「……グノームさん……」
ああ。そうか。選択肢なんて最初から、今の彼には持ち得なかったのだ。たとえ地下通路に逃げ込もうとも、その判断自体が、己が『目的』の放棄をより強く決定づけ、その自認がモース化の発症を早めてしまうことを、彼は理解していたのだ。少なくとも──その事実に思い至ることを、この瞬間まで無意識に拒んでいた私などよりは、はるかに早く、深く。
「はっはっは。そんなカオしてくれるなよ、シルキー。おおかた俺の『目的』のアレコレを考えているんだろうが、それこそ無用な心配だぜ」
──え?
「というか、おまえさんも知ってのとおりだよ。現在の俺の生業は『鍛治師』だが、引き受けてきた仕事は多岐にわたる。幾度とない事業中断を経て、結局は頓挫した『造船業』。フェノゼリーら元同業者を主な客とした『整備業』。そんで今は、販路開拓を後回しにおっ始めた、『革細工』の職人よ!」
──うん?
「俺はよ、嬉しかったんだ。おまえさんに褒めてもらえた事が。『俺はまだまだ、新しい事に挑戦できるんだ』と、そう思えた事が!」
────。
「正直ここ数年は、度重なる『造船業』の事業中断に参っていた。再開してもまたいつ、『やりたいこと』が途切れちまうのかと、気が気じゃなかったんだ。並行していた『整備業』に打ち込むことで、どうにか自分を保っていた具合だ」
…………。
「それでもやっぱり、『目的』の不安定さは変わらない。またいつ『モース化の兆候』が再発するともしれない恐怖があった。だから俺は極力、地下通路がある工房に篭ることにしていた。……ここ一年はまあ、別の理由もあったがな」
……、──。
「で。ある日、ウチで過ごすようになったおまえさんが、俺の気まぐれで作った『革細工』を褒めてくれた。喜んでくれた。そんな時分だ。おまえさんがソールズベリーに向かったあと、『造船業』がまた事業中断になったのは」
……その時期といえば、たしか……
「……『厄災溜まり』の件、黙っていて悪かったな。万が一にでも解消されなかったとき、おまえさんを巻き込むわけにはいかないと思ったんだ。
──やっぱりあのお見送りは、そういうおつもりだったんだ。肝が冷えたのはお互いさまですよ、『厄災溜まり』の件を黙っていらした事には、じつはちょっぴり怒ってますよ、とは言わずにおく。
「そんでまあ、『厄災溜まり』は解消され、ノリッジも街仕舞いを切り上げ、いつもどおりの日々を取り戻し始めた。だが、『造船業』が再開することはなかった。かろうじて『整備業』の依頼は舞い込んでいたが、一日を潰すには時間が余りすぎていた」
……そっか。いつか運搬される事を願い、フェノゼリーさんと私が品質管理をしていたソールズベリーの資材たちも、この街に届く予定はなかったんだ。
「(……その『外洋船』も、今ごろ──)」
──それに、続く彼の言葉は。
「だが、俺は不思議と、以前のように不安に駆られる事はなかった。そう思ったころに俺は、新しい『目的』を見つけていた。ぽっかり空いた『造船業』の喪失感を埋めちまえるほどの、『やりたいこと』ができていた」
こうしている今もなお、ノリッジじゅうに拡がっているであろう『大厄災』の波。その渦中に曝された、あの『外洋船』が置かれている現状如何を、グノームさんが知る知らないに拘らず──現在の彼はもう、それによって己が存在を損なわずに済むほどに、『目的』の在りかたが置き替わっていることを意味していた。
「『厄災溜まりは解消された。なら俺たちはまたいつか、シルキーに再会できるかもしれない』──そう思えるというだけで、日々を生きる活力が湧いたのさ。旅の土産話を引っ提げたおまえさんを、こうして迎える日を夢に見てな」
────。
「ふふふ。そうして作られたのがこのソファなのよ。『こいつに三名腰掛けて、だらだら喋って過ごすんだ』ってね。よかったわねぇ、望みが叶えられて!」
「ばかおまえ、いいトコで茶々を入れるな! 良かったですよ本当に!」
おふたりが私を、そんなふうに思って──。
「まあ、そういうわけだ。一度はモースになりかけ、かろうじて取り留めた『目的』を抱えて生きる、今生において『次』のない俺。『鉱夫』として始まった俺が最後に掘り当てたのは、どうやら此処だったらしい。親しい者達と『いつもどおり』を過ごすための、家一軒分の空間をな」
この家でずっと、待っていてくださったんだ。
「……そうね。私もそう。自分の
……『寿命』……マーガレットさんは、やっぱり──
「だから私も、最後まで此処に居ることにしたの。此処に居たいと、そう望むの。このひとと過ごす時間を、『いつもどおり』に過ごすために。……だから、私たちは大丈夫。あなたはあなた自身のために、これからのことを考えなさい──」
────ああ。
『……だ? 何なんだ! あの────は!』
ああ、そうか。
『──る。燃えている! ──ッジの街が!』
これが最後になろうとも。いや──
『────ッグだ! うわぁあああ、見ろ!』
それを最期とするために、
『──を吐いてる! あああ暑い、熱いぃ!』
此処に居ることを選ばれたんだ。
『港に逃げろ! 海に飛び込めば、炎を──』
フェノゼリーさんが、そうしたように。
『ダメだ! 雷が降ってる! 感電して──』
あるいは──
『……ウソだろ。あいつ、雷を喰ってる……!』
──ノッカーさんが、そうしたように。
『陸地もマズい! そこらじゅうで火災──』
……なら、私は。
『あぁああ熱い、限界だ! 飛び込──ぎぎ』
私は、何を選べばいい。いや──
『馬鹿が、感電しやがった! だから言──』
──何を、選びたい?
『信じられねえ。あれは湯気か? 海が──』
思考の端から流れ込む、ノリッジじゅうに響く狂乱の声──ああ、そうか。
『……茹で上がっている! これはもう──』
およそ尋常ではない火災の脅威が、この街にまで及んでしまったらしい。
『陸も海も、逃げ場が無くなっちまった……!』
──グノームさんが示してくれた、地下通路という選択肢。そこに逃げ込めば、溢れ湧くモースたちからも、迫り来る火の手からも逃れられるのかもしれない。
『あああ。あつ◼︎、◼︎◼︎◼︎────────』
ただひとり。壊れていくノリッジに、あるいは妖精國そのものに、いまの『私』を形成してくれた世界のすべてに──ただひとり、置き去られる事と引き換えに。
「(────、────)」
……ああ。それは──。
「……シルキー。あなたは」
──と。マーガレットさんは私の眼を見つめ、何かを言いかける。
「これだけは言っておく。シルキー、よく聞け」
その言葉を取り継いだのは、グノームさんだった。
「地下通路に逃げ込めば、
────、え?
「──どうして、それを──」
グノームさんが、知って──
「……判ってたんだって。私が知るよりも早く。あなたと最初に会ったときから」
──最初……から?
「あなたがソールズベリーに向けて発った直後、しれっと私に言ったのよ。『この国を好いて、興味を持ってくれる客人がいるとは、なんだか嬉しい話だな』って。うっかり口を滑らせたみたいでね。それでツッコんだら、観念して白状したわ」
……それじゃあ、直接打ち明けたマーガレットさんとは無関係に、グノームさんも一年以上、私の出自を知りながら、此処に匿って──
「どうりで『ガイヨウセン』の仕事に熱を入れるわけだわ。以前から張り切ってはいたけれど、あなたと出会ってからは特にね。……さっきは強がってああ言ってたけれど、ここ二ヶ月の落胆っぷりはヒドかった。『事業停止はいつまで続くんだ。船が完成すれば、シルキーの望み次第で乗せてやれるかもしれないのに』──ってね」
──あわよくば。私が『それ』を望みさえするならば、彼はその一助になろうとすら、密かに思っておられたのか。
「おいコラ、思いっきり恥ずかしいわ! だがもう何をバラされてもいいもんね。……バラされついでに言っちまうと、先の『小舟』ってのはシルキー向けに作ったモンなんだ。事業停止中の手慰みにな。あれだけ事業がブツブツ途切れると、最悪の場合にゃ『外洋船』の建造自体がポシャる可能性だってあったしな──はっはっは。今の状況を思えば、まさしく『備えあれば憂いなし』ってヤツだよな!」
地下通路に保管してあるという、『小舟』が──今や完成の望めない『外洋船』に替わる、渡航手段としてそこに在る……それも、私個人に用意されたものとして。
「シルキー。だからおまえさんは、今日の先に行っていい。今日で妖精國が終わっちまうのなら、今日を生き抜いたあと、元の世界の明日を目指せばいい。俺たちが示せるのは、せいぜいそんなところまでだ。あとはおまえさん次第だぜ、シルキー」
──もたらされたものは、一隻の『助け船』。
「(────)」
かつて知らず流れ着き、一年余りを過ごした、いまや壊れゆくのみの妖精國。元の世界に帰る手段など、本来ならば望むべくもない、『漂流者』の身に示された──明日を繋ぎうる選択肢。
「(──ああ。やっぱりだ)」
けれど。
「(やっぱり、私は──)」
──私はもう、そうではないらしい。
「(────…………)」
ああ。ようやく判った。いまの私が、『何者』なのか。
「……グノームさん。マーガレットさん──」
だから。
「──ありがとうございます。……でも」
だから、このときの私は。強請るでもなく、縋るでもなく。まるで相席を願うような感覚で、己が意向を口にした。
「私も。私も、此処に居たいんです。だって──私が帰りたいと願う場所は、海の外には無いのですから」
他所の世界からの客人としてではなく──この世界こそが『故郷』なのだと心に決めた、ひとりの住民として。
◆◆◆
──いつもどおりの、光景だ。
「──ふふふ。そう、オーナーがあなたにそんな待遇を! あのお金持ち、馬の合わない相手にはとことんケチなのよ? 契約は公正でしっかり守るけど、手厚いサービスまで見せるなんて珍しい。ずいぶん可愛がってもらったのねぇ!」
くすくすと笑う奥方。
「フェノゼリーのやつも大概だ。誰よりもモースを怖がっていたクセに、十年前みたく自分から突っ込んで走るとは。ありゃハンドルを握ると性格が変わるタイプだな。おまえさんを送り届けられて満足だろうぜ。『大往生』ってヤツだ!」
がははと笑う旦那さま。
「オックスフォードで飲食店を開いてほしいって? お店だと聞き間違えて倉庫に来たマッチョさんが? なにそれあなた、引っ張りだこじゃない。隅に置けないわねぇ!」
そんなおふたりに囲まれながら。
「あ? 平原で別れたマッチョとそいつは別人? マッチョばかりでややこしいな。どんな人付き合いしてたんだおまえさん。……そいつらがモースを蹴散らしたって、マジで人間か?」
私も笑って、旅の土産話に花を咲かせる。
「レシピ帳が役に立ったようでよかったわ! そうだ。料理といえば、昨晩作ったキノコのスープが少し残ってるんだけど、食べるかしら?」
ひとつのソファに腰掛けて、
「野営ツールも活躍したみたいだな。丸腰で山の中をふらついてたおまえさんが、よくもまあ生きて此処に戻ったもんだ!」
三名がそれぞれに、互いの時間を共にする。
「あら、スープは冷めたかと思ったけれど、そうでもないわね。むし少し温まっているわ。これなら加熱の必要もなさそうね」
それはまるで、認め合うかのように。
「果実水も温まってるな。これじゃあもうほぼホットドリンクだ。しかし何でだ? そういや、窓の外が明るいな。この時間に陽の光か?」
確かにいま、此処に居るということを。
「──ええ。きっと今ごろ、外は黄昏時なのでしょう」
──声を聞く。
『───────◼︎さなくては、と思った』
ひときわ大きな、声を聞く。
『間違っていた。守るべきものを間違えていた』
燃え滾るような、声を聞く。
『はじめから、この島には正義など何もなかった』
それが、何のことかはわからない。
『責任をとらなければ。決して、外の世界に出してはならない』
ただ。その声を、私は────。
『──だ。そのためだけに生きてきたのだ!』
……もうひとつの、声を聞く。
『あの日から! あの夜から! この世界に迷い込んだ、あの時から!』
おそらくそれは、私と同じ──、
『私の魂はこの世界に魅入られている! この◼︎を集める事が、私の存在意義だった!』
──同じ──、
『この◼︎◼︎◼︎を捨てるくらいなら──』
──……、
『いっそブリテンなぞ滅びてしまえ!』
────。
「(……ああ。この、見知らぬ誰かも。きっと──)」
──黄昏色に染まる。
「キノコのスープ、完売ね。ふふ。そういえば、あの日もこうして──」
妖精國も、この家も。
「ああ。山で俺を手伝って、カゴいっぱいになるまで拾ってくれた──」
目が眩むほどに、明々と。
「──ああ。ちょっと話し疲れたのかしら。なんだか眠くなっちゃった」
まるで、ランプの中に居るみたい。
「──無理するからだ。まあ、いつもに増しては喋ったか。酸素が頭に行ってねえのさ。今日はもう、ここらで休むとしよう」
眩しいけれど、不思議と眠気を誘う。
「──ええ。おふたりに賛成です。お料理とお飲み物、ご馳走さまでした。それにこのソファなら、ぐっすりと眠れそうです」
いつもより少し早く、いつもどおりのことをする。
「おやすみなさい。ああ、今日も、いい一日だったわ──」
それはきっと、あたりまえのこと。
「はっはっは。ああ、まったくもって、そのとおりだ──」
だから今日も、そのようにしよう。
「ええ。今日もありがとうございました。グノームさん。マーガレットさん──」
眼を閉じながら、ささやかに祈る。
「──おやすみなさい。どうか──」
──どうか。今日も、よい夢を。
お読みいただきありがとうございます。
おつかれさまでしたシルキー。な回。
というわけで、次話からひっっさびさに現地リアタイパートに戻ります。おまたせバゲ子。
平生ストックなしでコツコツと書き進めてはおりましたが、今回はいつもに増して更新が遅くなり、お待ちいただいた読者さまがたにはすみませんでした。
Fakeアニメ!
毎秒面白かった。何なら毎フレーム面白かった。ハンザさん好き。
fgoコラボ決定とのこと、シナリオが楽しみで仕方ないです。
引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。