「お姉さま、お姉さま」
「なに?」
「どうかな……ライス、変なところ……ない?」
「ないよ、大丈夫。今日のライスも……すごく、きれい」
式の直前、新婦家族の控室にて。人生で最高の晴れ姿をみんなに見せる前の、最後の準備をわたしは手伝っていた。昔から何かと引っ込み思案なうちの妹だけど、今日だけはなるべく下を向かずに、笑顔を見せようと約束していた。
「ライス、今日から……普通の女の子に、なるんだね」
「何言ってんの、ライス――あんたは昔から、普通の女の子だったでしょ?」
「そっか……そう、かな?」
人間には到底追いつけないスピードで走り、歌って踊るトレセン学園のウマ娘たち。その姿はアイドルそのものだ。ライスだって、今目の前にいるのが本当に、血のつながった実の妹かと疑ってしまうほど、舞台上では別人だった。そんな子が今から、女性としての幸せの一つである結婚を選んで、家庭に入ろうとしているのだから、ライスが言う「普通の女の子になる」という言葉は、間違いではないかもしれない。でもトレセン学園に通っていたライスがアイドルど真ん中だったかというと、決してそうではない。
「あんまりあの人のこと、困らせちゃダメだからね? わたしもトレーナー続けるんだし、あんたの愚痴聞くのヤだからね?」
「うん、ライス……愚痴じゃなくて、のろけ話……お兄さまにしてもらえるように、頑張るね?」
「お、生意気になってきたなこの~っ」
ライスがトレセン学園に入り、わたしがトレーナーとして同じ場所に就職すると決まった時は、ライスの担当トレーナーにだけはならないように、と上に直談判した。それは姉妹だからひいきがあったんじゃないかと変な疑いをかけられそうだったから。そして、そんなうわさが聞こえてきたら、何でも自分のせいだと抱え込みがちなライスに悪影響が出るから。ライスも他の子たちと同じようにヒーローになれる場所があると、この子をトレセン学園にねじ込んだのは他ならぬわたしだ。ライスの人生を変えた以上、ライスを守ることで責任を取らないといけない。
『提言ッ! 姉妹であるからこそ、一番近くで適切なアドバイスができるだろう! ライスシャワー、彼女にはそういった手助けが必要だっ!』
ライスのことはもっと経験のあるトレーナーに見てもらって、わたしは遠目から元気そうに走っているところを見られれば十分かな、と思っていたのだが。理事長がそれを許してくれなかった。結局ライスが所属することになったチームのサブトレーナーにわたしが就任することになり、ライスが無理をして追い込むようなそぶりを見せたら、 って引き止める役を務めることになった。あくまで根っこの指導はメイントレーナーの役目で、ライスが生涯を添い遂げる相手に選んだのも彼だった。
「お姉さま」
「ん?」
「ライスのために……式場まで探してくれて、ありがとう」
「あー、いやまあ、偶然みたいなもんだし? 偶然にしてはできすぎかも?」
「お姉さまがこの場所を選んでくれたおかげで……ライスも、ライスだって、幸せになっていいんだって思えるんだ……えへへ」
長い黒髪の下に隠れた右目には、狙いを定めた相手を絶対に仕留めるんだという執念が宿っている。今わたしたちがいる式場の近くにある京都レース場で、ライスは何度も勝ってきた。この場所を探し当てられたのは偶然だが、最初からせっかくならこの近辺で探そうと思っていたのは事実だ。ただ、その執念でトレーナーまで射止めるとは思っていなかったが。
「ライスに喜んでもらえて、わたしも嬉しいよ」
「ライス、たくさん幸せをもらっちゃったから……みんなにも、幸せをおすそ分けしないと、ね?」
「いいのに、今は独り占めしとけば」
「ううん……小さな幸せだったら、ぎゅって抱きしめていられるんだけど……今日のはすごく大きな幸せだから、気持ちがそわそわしちゃって」
「ま、一生に一度だからねえ……」
わたしも感慨深くなって、つい遠い目をしてしまう。
わたしはライスのようにはなれなかった。同じウマ娘に生まれたからといって、同じような活躍は決してできない。結局わたしはメイクデビューがやっとで、一勝もできずに当時のトレーナーとの契約が切れてしまった。当然レースの世界に居続けることはできず、トレセン学園を卒業後は一般人として生きる道しか開かれていなかった。トレセン学園に入りさえすれば、最低でもスポーツ系の大学の推薦がもらえると思っていた時期があったが、それは大きな間違いだった。どこまで行っても実力がものを言うレースの世界で、わたしは名前を残せずに退くことになった。今トレーナーとしてなんだかんだで関われているのは、奇跡に近い。
「でも、幸せはそうやすやすと手放すもんじゃないよ」
「お姉さま……」
「わたしが言うんだから、間違いない」
純白のウェディングドレスに身を包み、これからライスは正式によその家に嫁入りする。ライスが遠くに行ってしまうようで寂しさもあったけれど、いつも真摯にライスに向き合ってくれた人だから、安心してライスのことを任せられる。
その昔、ライスがウェディングドレスをベースにした新しい勝負服を仕立ててもらったことがあった。わたしは典型的な日本のウマ娘だから、結婚前にウェディングドレスを着たら婚期が遅れるんじゃないかと心配した。だが同時に、ライスの素材の良さも相まって、息をのむような美しさだったのがやけに印象に残っている。儚さと美しさが完璧な割合で同居している、なんて言葉がすらすらと出てくるほどに。この子にとっての幸せは、誰かに支えてもらうことなんだとはっきりと実感した。
「じゃあ、行くねライス」
「うん。……見ててね、お姉さま」
式場には確認していた。彼女にそう名づけたからには、結婚式の新郎新婦はライスシャワーで迎えたい。祝福を存分に浴びたライスは、やっぱり神秘性すら感じる美しさを備えていた。
「お姉さま……いくよ?」
歓声の中でも、ブーケトスの前のライスの声がはっきりと聞こえた。ライスからのバトンを、わたしは確実に受け取る。幸せはしばらく独り占めしておけと言ったのに、結局おすそ分けしてもらった。次はわたしが、幸せになる番だ。すらっと伸びるその背中に、言われた気がした。