「……はぁ」
白くかすんだ息が口からこぼれ出る、ほのかに熱を残したそれは、段々と黒へ溶けていく。
身体へと入り込んだ空気が、内側から肺を傷めつけているかのようだった。
かじかむ手を擦り合わせ息を吹きかけると、肌を刺すような寒さが少し和らぐ。
吐いた分の空気を体に戻すため先程よりも深く呼吸が行われ、思わず咳き込んだ。
雪は解け、日中はほのかに暖かさを感じる様相になってきたものの、夜は未だに凍えるような寒さを感じずにはいられない。
まだ、未だにあのことは言えていない、何度打ち明けようと決心しようとも、この口が二言目を発することは無かった、時間が経てば経つ程、この口は重さを増していく。
きっと私は、皆に拒絶されることが怖いのと同時に、なるべく
必要ならば、それを使わなければどうしようもないというのなら使うしかないし、それで切り抜けてきたピンチもたくさんあった。
でも、こんな力があっても、ただ痛くて苦しいだけだ、だってこの力さえなければそんなピンチも起こらなくて、みんなみたいだったなら、もしかしたら私だって──────
「お~!奇遇だね~、ホムラちゃん!」
ここ数ヶ月で何度聞いただろうか、このアリウスという自治区にはまるでそぐわない快活な声が夜の街に響く。
「……わざとでしょ。その方法もう5回目だよ」
「何のことかな~?私はただパトロールしてるだけだからなぁ」
どうやって私の動向を把握しているのか、私が散歩に出るとほとんどと言っていい程に出くわすこのアリウス生は、まだそんな白々しい言い訳をするつもりらしい。
これでいて皆で散歩することになった時などは絶対に出てこないのだから意味がわからないと言うか、謎ばっかりである。
こんな謎ばかりの相手でも、色々なものをくれるのでありがたい相手ではあるのだが。
「んじゃ、はい、今回の分」
言葉と共に差し出された私の両手程もあるビスケットの袋を受け取ると、万が一にも割れたり崩れたりすることが無いようにそっと抱え込む。
彼女から貰えるビスケットは普段のものとは違ってさくさくとして、万が一にもお腹を壊すこともないし、私たち全員にとってとても貴重な品なのだ。
「でも、いつもこんなに持ってきて大丈夫なの、アリウスにはそんな余裕なんてないと思ってたんだけど」
いくらこの自治区を治める学校といえども、他人に物を分け与えるほどの余裕がないのはこの街の状況を見ればわかる。
それに内戦なんてものをしてるならなおさらのはずだ、一体どこから私たちに分けられるほどの物資が出てくるのか。
「お!心配してくれるんだ~、ありがたいね~。でもまあ、心配はいらないよ、私、これでもそれなりの立場についてるからこのぐらいの融通は利くのです!」
そう言って彼女は胸を張るが、その様子に思わず疑いの眼差しを向ける。
「……それって横領とかっていうのじゃないの」
「失礼な!ただちょ~っと情報提供者に報酬を支払ってるだけで、全然そんなのじゃないって!それに……」
「?」
「君たちみたいな子を助けてあげるのが私たちの……アリウスとしての役目のはずなんだよ。そのためには、内戦なんか…………」
先程までの笑みは無く、その顔から表情は消え、燃えるような光を湛えた瞳があるだけだった。
今まで見たことのない彼女の姿に驚く、私が見てきた彼女は、常に笑って、へらへらとしてて、こんな表情を見せる人間ではなかった。
「……なんで皆には会わないの」
ふと、今しがた考えていたことを口にしてみる。
「うっ、そ、それは~……。いや、それより!今回は変わったことは無かった?」
するとどうだろうか、一瞬にして普段のシズカが戻ってきた。
あまりの変わりように、今私が見ていたものは幻なのではないかという考えが頭をよぎる。
「いや、何も、ここ最近はガスマスクには会ってないよ」
ビスケットもしっかりと貰ったことだし、今回の分の対価を支払う。
私がすることは、普段街を探索してる最中にアリウス生を見たかどうかの報告、ただそれだけだ。
この関係は、さっき彼女が言ったように依頼人と情報提供者という言葉が適切だろう、ただ、私たちのリターンが圧倒的に大きい契約であるが。
「そっか、なら良し!でさでさ、立ち話するのもあれだし、ちょっと座らない?」
彼女は近くにあった瓦礫の山に腰を掛ける、断る理由もないので、それに従うことにする。
これは私とシズカのお決まりみたいなもので、報告が終わってどちらかが急いでないようなときはいつもこうやって、この前何があっただとか、最近はどんな感じだとか、誰々が何をしただとか、そんな何気ないことを話すのだ。
シズカが話すことはいつも衝撃的で、私の知らないことばっかりだ、…………銃の手入れの仕方だとか、種類だとか、爆発物の対処法、接近戦になった時の身体の動かし方みたいに、少々戦闘に関する知識ばっかりのような気もするけど。
今日もそんな話をするのかななんて思っていると、彼女はとある言葉を口にした。
「…Vanitas vanitatum, et omnia vanitas」
「?」
ばに、たす…………いきなり何を言ってるんだろう?
「これはアリウス分校で習う言葉なんだけどさ、『なんという虚しさ、すべては虚しい』っていう世界の全ては虚しいものである、みたいな意味の言葉なんだ。いつかはホムラちゃんたちもアリウス分校に来ることもあるかもしれないから、先に伝えておこうと思ってね」
…Vanitas vanitatum, et omnia vanitas、世界は虚しいもの。
その言葉に、どこか腑に落ちるものがあった、家を出るまでも、出た後も、今までの全ての経験を振り返ってみても、虚しいと思えるものばかりだったからだ。
確かに世界は虚しいものだろう、それは間違いないと私も思う、でも、それだけでは納得できないことがあるのも事実だった。
「お、何か納得いかなそうな顔してるね、実は私もそうなんだ。アリウスの子たちの中には言葉通りに受け取っちゃって世界は虚しいだけ、他には何もない。みたいなことを言ってる子もいるんだけどさ、どうにも私はそうは思えなくて、だから自分なりに解釈してみたんだ」
シズカは自分の考えを語りだす、私に伝えるようでありつつも、同時に自分自身にも言い聞かせているかのようだった。
「『世界の全ては虚しい、それは紛れもない事実だろう、ただ、そんな世界の中でも、自分にとって大切なものが一つはあるはずだ、だから、虚しい世界でも大切だと思えるものに全力を懸けるべきだ』ってね。この文もほんとはそんなふうに、ただ世界は虚しいってことだけを言ってるわけじゃなかったと思うんだ」
パチン、と、私のなかで何かがはまる音が聞こえた、この言葉は、きっと無くてはならないもので、納得と同時に妙な安心感のようなものが私を包む。
虚しい世界でも大切だと思えるものに全力を尽くす、なら、私にとってのそれは一体何なのだろうか。
「まあ、こんなこと言ってるけど、私がアリウスで生きていく上でこう思わないとやってられなかったってだけなんだけどね」
シズカはそう言って自分を卑下するが、私にはそうは思えなかった。
彼女の言葉の端々からは、確かにその考えを基にして今まで行動してきたのであろうことが伺えたからだ、私もそんな風になれたら……。
見上げた彼女の顔は、いつもと何も変わらない笑顔だった。
「まあ、頭の片隅にでも留めておいてよ!」
「私は……」
言わないと、この気持ちは、ちゃんと伝えないといけない気がする。
「ん?」
「私は……、今の言葉を忘れないと思う、たぶん、ずっと」
「……そっか!」
彼女は笑っていた、でも、今までとは何かが違う笑顔だったと、そう思う。
私の中で、彼女に対する認識が大きく変わったように感じる、彼女になら、言ってもいいのかもしれない。
なんども口を開いては閉じを繰り返し、どうにか言葉を絞り出す。
「……ここから郊外に向かって森の中に入ると外に続く地下通路がある。この前見た時は過激派が見張ってたから出るのは簡単じゃないと思うけど、でも、確かにアリウスの外に繋がる道だよ」
「……本当によかったの?私に教えて」
みんなと話し合わずに私だけの判断で決めたことは決して正しいとは言えないだろう、でも、シズカなら大丈夫だと考える自分がいるのも確かだった。
「…………うん、あなたは信用できる、今の言葉で分かった」
きっと、あなたは私にとって初めての、信用できる先輩だ。
「……ありがとう、その情報、絶対に有効活用してみせる。こんな情報もらっちゃったら、私は何で返せばいいんだろうね」
シズカは心底困り果てたように笑った。
「……じゃあ、何かあった時はサオリ達を助けてよ」
彼女は何度か瞬きをしたのち、真っすぐな瞳で宣言した。
「……分かった、必ず」
心地よい静けさが辺りを包む、2人の呼吸音だけが空に溶けていく。
「……シズカにも大切なものがあるの?」
ふと、気になったことを彼女に聞いてみる。
「……うん、あるよ」
そう答えた彼女の顔がどこか寂しげだったように見えたのは、私の気のせいなのだろうか。
私はこれ以上逃げていいのか?皆に向き合うべきじゃないのか?
何度自問自答を繰り返しても、恐怖と後悔、罪悪感がないまぜになってせき止められた私の心があと一歩を踏み出す決断をすることは無かった。
このまま進めていくと原作に到達するまでかなりの時間がかかるのですが、過去編が1章終わるごとに原作も1章進めるなど同時進行で進めたほうがよろしいでしょうか?(過去編で原作との相違点がかなり発生する予定なので作者の文章力では状況がわからなくなる可能性があります)
-
時系列に沿って進めよう
-
原作も進めよう(0章終了後アビドス開始)