「はい、こっちは行き止まりだよー」
「ッ!」
突如として眼前に現れた茶髪の障害物に対し、黒い影はその身を翻し路地裏へと駆け込む。
だが、背後に張り付く追手の足は緩まない。
とはいえ前をゆく影に追いつくことの出来る速度であるかと言われれば、そうでは無かった。
いつまで経っても縮まらない2メートル。
後を追う灰髪の人影は無線機を取り出す。
「っ速い!俺じゃ追いつけねぇな……コトハ、後は任せた!」
『まっかせて!』
しばらく走り続け、前に見えたのは分かれ道、その一方より黄髪の少女が顔を出す。
「がおー!」
「ッ……!?」
黒い影はまたもや現れた障害物にもう一方の道へと逃げ込むことを余儀なくされる。
だがその先は───
「もう逃げられないよ……!」
───行き止まりだ。
作戦勝ちと言うべきか、ただ追いつけないだけであると見せかけ、その実彼女たちこそがこの逃走劇の主導権を握っていた。
「ほら……いいこだから……いいこだからじっとしてねぇ……」
じりじりとコトハと呼ばれた黄髪の少女は近づく。
合わせて影も後ろへと下がるが、それも限度がある。
「…………えぃ!」
これ以上後ろへと下がれないと判断したその時、コトハが動く。
影へと、その体を捕らえようと両手を伸ばす。
だが、それだけで終わるのなら影はここまで捕まることなくこの町を駆け回ってはいない。
「ちょっ、ウソぉ!?」
瞬間、コトハの手をするりと抜け、踏み台に影は袋小路を脱する。
影が活路を見出したのは────上だ。
「ごめんなさいマナぁ~! その子捕まえてぇ!」
「は!? 捕まえろったってこんな狭ぇ場所じゃあ! チッ、あんの黒猫……!」
配管の上から室外機の上へと、人間では通ることの出来ない道を、針に糸を通すように、しかしその俊敏さを失わずに駆け抜ける。
対してマナと呼ばれた灰髪の少女は、咄嗟の事態に為す術も無く頭上を抜けられてしまう。
「~♪」
彼女たち───というよりは今此処にはいないもう1人、黒猫を裏路地へと誘い込んだ彼女、セレナの弄した策は見事に打ち破られてしまった。
本来の部隊編成であればここで依頼は失敗となるわけだが、彼女たちにとっては幸運なことに今回は更に1人、作戦へと加わっている者が居た。
「~♪」
黒猫は上機嫌に首元の鈴を鳴らしながら走る。
その先に、自らの速度を捉えることが出来る者が居るとも知らずに。
「セレナ、2人は捕まえれてると思う?」
「……恐らくですけど、逃げられてるかと」
「……え?」
「あの猫……マール……ですっけ、あれの動きにコトハは追いつけません。そしてこうも狭ければマナはコトハのカバーに回るのも厳しい。なので……ほら、来ましたよ」
「あー……」
「お願いします、生徒会長。こういう時のためについてきたのですよね?この作戦は元から貴方の存在ありきです」
「まあ、そうだね……ちょっと離れてて」
彼女の瞳が、炎のように輝き始める。
その瞳はすぐさま2階ほどの高さを走る猫──マールを捉えた。
「───そこッ!」
跳躍、地を蹴り壁を蹴り瞬時にマールの眼前へと躍り出ると、マールに反応する暇も与えずすぐさまその体を両脇から持ち上げる。
そして難なく着地を決め、セレナの元へと振り返る。
「っと、これでいいよね?」
「はい、ありがとうございます。生徒会長」
「うん、……それにしても、この子を捕まえる事が傭兵団の初依頼になるなんてね……」
ホムラはマールと目を合わせ、思わず苦笑いをしてしまう。
一方のマールは低く唸りをあげてまだ諦めていないようだった。
「仕方ないです。傭兵団を雇うこととなると戦いばかりのイメージですが、実態は何でも屋のような形でしょう。……思っていたものと違うかもしれませんが、恐らくこういう依頼の方が多くなるかと」
「だよねぇ……まぁ、戦わずに済むならいい事だね、これからの事を思うと戦闘は色々と不都合の方が多いし。むしろ歓迎するべきかな、……そうなると大丈夫かなあの子達」
「……あ、2人とも来ました」
2人が目をやるとそこには、ホムラとホムラが持つ黒いものを見て血相を変えるマナと
「ホムラ先輩!お手を煩わせてしまって……」
目尻に涙を浮かべたコトハが居たのであった。
「ごめんなさい~!ホムラちゃん〜……」
「大丈夫大丈夫、元からそういう作戦だったでしょ?だから……は!?」
「シャーッ!!!」
「「ホムラちゃん(先輩)!?」」
「うわー……」
ホムラの気が緩んだ一瞬、黒猫はその鋭利な爪をホムラへと向けた。
「ちょっと……やめ……!こら!」
執拗に顔を狙い荒れる猫を退け、どうにか一息。
「油断も隙も無いね……ほんとに……」
このようにして、彼女たちに舞い込んだ初依頼は成功に終わったのだった。
◆
「やっと帰ってきたわねぇマール!この家出猫め!」
「ぬぁーん……」
もふもふがもふもふを抱きしめている。
ともかく、私たちは依頼主へ捜索依頼の出されていた黒猫を届けたのだ。
「助かったわぁ。いや急にこの町に傭兵が来るって話だったからどうなるものかと思ったけど、何!いい子たちじゃないの!」
記念となる初めての依頼は、町内会会長を経由して回ってきた自地区内の困り事だった。
依頼人との受け答えなども出来なければ、傭兵団としてやっていくのは難しい。
そのためアリウスの子達を外の世界、自らを害するつもりのない相手との接触を増やし認識を修正していく必要がある。
その目論見に対して、自地区内での依頼から始めようという提案は渡りに舟であった。
しばらくはこうして町内会の手伝いのような形で依頼という形式に慣れてゆき、互いの認識を擦り合わせるつもりだ。
何を悠長なことを、という意見もある。
だがまだ大丈夫だ、黒スーツとの契約がある限り、まだ僕たちには余裕がある。
その間に基盤を固めておかなければ、得られるものも得られないだろう。
「ありがとうございます!にしてもこの子、身軽ですねぇ……全然捕まえられませんでした……」
「そうなのよ!この子いっつも気づいたら居なくなってて、普段なら数日で帰ってきてたんだけどねぇ」
笑顔を欠かさずなごやかに会話を進めるコトハを見て、この3人を最初の依頼に抜擢したのは正解だったと改めて思う。
アリウス分校第3分隊、年長者のコトハをリーダーに主戦力をマナ、参謀をセレナとする部隊だ。
3人のみの隊ではあるが、その実力はスクワッドに次ぐものと言っても差支えはないだろう。
マナについては私を追う視線が少し気がかりではあるが……。
「ホムラ先輩、お顔の方は大丈夫ですか?」
灰色の角を持つ生徒、マナは依頼主の腕の中へと収まる黒猫へ目をやる。
「ん?ああ、これくらいなら全然」
傷に触れる、この程度放っておいても1日経てば傷跡すら残らないだろう。
「差し出がましい心配でした、あんな動物程度でホムラ先輩がどうかなるはずもありませんものね。ですが後で消毒はしておきましょう」
マナの言葉には一切の他意が無い。
だからこそ困るというか、彼女は明らかに私の事を信頼しすぎだ、それこそベアトリーチェを信奉していた生徒を思わせる程に。
「う、うん……そうだね」
正直、彼女のこういうところは少し苦手だ。
僕と他の人間での対応の違いも顕著だし、彼女みたいな生徒は今のアリウスに一定数居るという話も気がかりではある。
本当にそれ以外は凄く頼りになるんだけどね……。
「マナ、任務は終わったんでしょ、帰るよー……」
マナの背中へと茶色の塊がのしかか……セレナがベッタリとはりつく。
「セレナ……仕事モード切れるの早すぎだろ」
ずるずると、背中から腰へとずり落ちていった。
「うぇー……動きたくないぃ……おんぶして……」
「お前ッ、はぁ~~~……わかったおんぶして帰ってやるから腰に引っ付くな!!」
セレナもこう、仕事を任せてる間は頼もしいんだけどな……。
「ホムラちゃんー!」
どうやら依頼主との話はついたようだ。
「コトハ、どうだった?」
「うん、なんというか……面白い人だねー!すっごく話しやすかったよ」
ぱぁっとコトハの顔がほころぶ。
この明るさで生徒間の揉め事に着地点を作ってくれる彼女には助けられてばかりだ。
「良かった。なら、これからもやってけそう?」
「んー……そうだね。ああいう人たちなら、他のアリウスのみんなも受け入れやすい方ではあるんじゃないかなぁ」
「そっか……ありがとう。この後は移動しながら話そうか」
「第3分隊にはスクワッドと一緒にこの自地区で活動する生徒たちの面倒を見てあげて欲しい。僕は1度アリウスの方に戻らないとだから」
ここに居ながら出来ることにも限りがある、戻れる時には戻って現状を把握しなければならないだろう。
それに、個人的にしなければならないこともある。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤスクワッドの名前に、マナの表情が陰りを見せた。
「スクワッドと協力して、ですか。ただ俺は……」
「うん、……不味かった?」
「いえ!そういう訳では」
仲が悪いということは無いと思っていたのだけれど……。
「マナはずっとあの5人に勝てなかったから……ライバルみたいな……対抗心が……あるんですよ……」
「セレナッ!!」
「あ、あはは……言っちゃうんだぁ……」
マナの背中のセレナがくぐもった声が答える。
当の本人は完全に顔を埋めて今にでも寝そうな様子だ。
「ライバル……」
確かに彼女がスクワッドに勝利したことがあるという話は聞かない、だけれどそれは……。
「あっいやホムラ先輩、だからって同じ任務が出来ないって話じゃないですから!!さっきのはそういう意味ではなくて……ああもう!やります!!やらせてください!!」
「う、うん?そう言うなら任せるけど……」
先程までは渋っていたというのに、物凄い食いつきだ。
まあ余程のことでなければそのままお願いするつもりだったけれども、正直この3人の代わりになる分隊が居るなら僕が教えて欲しい。
「ほんとにマナはホムラちゃんのこと好きだよねぇ」
「コトハ、なんか言ったか?」
「何も~??」
「すぅ……」
思わず口角が上がった。
彼女たちがこうして笑顔を見せてくれるから、自身の行動が間違っていなかったことを確認できる。
「……ッ」
右足が段差に躓きかける。
数センチも無い僅かな段差、右側の死角に入り込んでいたソレの距離感を掴みきれていなかったらしい。
……そうだ、1歩1歩着実に歩みを進めれば彼女達は絶対に表を歩けるようになる、いつかD.U.で見た高校生達のように。
そのために、今は躓きかねない段差を無くす時間だ。
今月のゲマトリアを名乗る大人との密会はもうすぐに控えている。