公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
いつもは1人で帰る。
共和国首都の寒空の下、官給品のコートを着込んで足早に帰るのが私の日課だ。
寄り道はなし、無駄な買い物もせずにまっすぐ帰る。
新しい仮住まいには既に私のミス大公国・アレクサンドラが到着していて、数日前から生活を共にしている。
彼女は早くも環境を整え、私がマリーと仕事をしているということを知ると3人での夕食を提案してきた。
そういうわけで、今日はマリーと2人で帰っている。
「………浮気を疑われているのでは?」
「誰と?…共和国の貴族令嬢とか?」
「目の前にいる年頃の貴婦人が見えません?」
自信満々に胸を張るマリー。
確かに彼女も結婚適齢期である。
しかしながら未だに落ち着きのない、ブルネットの髪をしたこの小柄な女性将校は、貴婦人というよりかは"わんぱく坊主"と言った方がしっくり来た。
「あー、見えんね。軍服を着た3歳児がいる。」
「………撃ちますよ?」
「怒んな怒んな怒んな、悪かったから。…まあ、サンドラも単純に旧交を温めたいだけだろう。君を冷やかしたりするような女性じゃないし…同窓で付き合いがあったんだろ?」
「ええ。さっきのは冗談ですよ。…はぁぁ、サンドラも良い夫に恵まれましたね。」
「それは世辞かな?それとも冗談?皮肉?」
「これは本心ですよ、大尉。仕事が終わったら飲みもせずにまっすぐ家に帰る将校なんて、公国では指で数えるほどしかいません。」
「酒には弱くてな…知ってるだろ?」
「平民将校は無理してでも飲む人が多いです。大尉みたいな、人付き合いに淡白でケチな将校なんて珍しいんですよ。」
「…あれ、もしかして正面から嫌味言われてる?」
「でも、アレクサンドラは不自由してないって言ってましたし…流石にあの吝嗇癖を家庭に持ち込んでたら引きましたけど」
「私は国家の為に自腹を切るような真似をしたくないだけだ。…君は違うようだがな。」
マリーの祖父は統一暦1877年の異教徒との戦争に下士官として従軍し、その武功から南部の農場を与えられた。
彼女はその武勇伝を聞かされたからか、由緒正しい"軍人"としての姿に憧れがあるようである。
彼女の腰にはイスパニア製の32口径自動拳銃がぶら下がっているし、今時男性将校でも珍しいのに、自前で用意したサーベルを帯刀していた。
対して私は中古の45口径リボルバーのみ。
3発クリップを2回に分けて装填しなければならないし、サーベルなど誰が買うか。
「まあ、私は将校としての誇りを大事にしてますしぃ?…あ、誇りといえば…あの誇り高いお貴族様に会わなくて、本当に良かったんですか?」
「良いも何も、その為に連邦に伝えただろうが。大佐はあの時我々に伏せろと言った部分の情報を秘匿してロフスキ少佐に渡すはずだ。こちらからわざわざ尋問されに行く必要もない。」
「なんだかなぁ…」
「何だ、マリー?」
「ロフスキ少佐なら向こうから来そうじゃないですか?」
「大使館の窓口には、もうロフスキ少佐を通すなと伝えてある。"警備規則が変わった"とでも言わせとけば良い。…まあ、もう会うこともないだろう。ロフスキ少佐が私のアパートメントを特定でもしない限り隠れろぃッ!!」
私はマリーの首根っこを掴み、物陰へと引っ張り込む。
マリーが抗議の目をこちらに向けたが、私は人差し指を唇に当てて、もう間もなくの距離にある新しい我が家の方向を指差した。
なんてこった!!
『オペラ座』はそこまでやるのか!!
私が見た衝撃の光景、それは私のアパートメントの入り口でサンドラと立ち話をする私服のロフスキ少佐だった。
サンドラが笑顔であるところを見るに危害を加えられたわけではなさそうだが、だからと言って安心できるわけではない。
そもそも一般常識として。
外国人将校の自宅を訪問してくるような防諜組織は大抵碌なものじゃないしモラルに問題があると思う。
ましてやロフスキ少佐殿は貴族将校。
人の心とかないんか?
自宅が少佐の"急襲"を受けている事を知った私は、マリーに向かって小声で話す。
「…マリー、悪いが近くの公衆電話まで走って警察を呼んでこい!」
「えっ?…はい?」
「警察だ!ケイサツ!お巡りさん!"見知らぬ女が友人宅に押しかけてる"とかなんとか、なんでも良いから通報してこい!」
私やマリーがロフスキ少佐を追い払いに出ていく訳にはいかない。
それこそ飛んで火にいる何とやらだ。
だから適当な理由でも何でも良いから警察を呼ぶ。
流石にロフスキ少佐も、外国人将校の家族相手にお巡りさんとの悶着騒動を披露したくはないだろうし、警察が来れば私が警戒したと考えて今日のところは引き返すかもしれない…そんな考えが甘かった。
「はい、
背後から歴戦の勇将みたいなドスの効いた声がして、私は注油が足りないおもちゃの人形のようにゆっくりと振り返る。
そこには見事な髭を蓄えたジェントルマンがいて、こちらに笑みを浮かべて立っていた。
私はこのジェントルマンに見覚えがある。
確か、最初に『オペラ座』にご挨拶に伺った時に見た顔だ。
ジェントルマンは和かな笑みを浮かべていたが、私にはそれが鉄仮面に見える。
今この場でジェントルマンに45口径の全弾を撃ち込んでも笑みを変えそうにないし、それどころか私の首を掴んでへし折りそうな気がした。
ダメだ、囲まれてる。
周囲に目を凝らせば、人影のようなものがチラホラと見えた。
間違いない、
私は脂汗が頭に被る山岳帽に染みていくのを感じながら、
マリーもロフスキ少佐の本性に気づいている手前、アパートメントに近づくに連れて細かく震えていた。
「た、たたた、大尉?大丈夫ですよね?殺されませんよね?」
「ん、んんん、ん、ダイジョーブダイジョーブ、タブン、ダイジョーブ」
「それ大丈夫じゃないやつじゃないですか!」
「でも行かないと…それこそ大丈夫じゃなくなるぞ、たぶん。大丈夫だ、マリー。流石に少佐も私服で外国人将校を滅多切りにするような人間じゃないだろう。」
私の頭は半ば真っ白だった。
たぶん、少佐はこれを"個人的な訪問"と言う。
近づくにつれて彼女が白い箱を持っていることに気がついたが、私の覚えが確かならアレは市庁舎前にある高名な洋菓子店の箱だった。
商品には平民将校は吝嗇しなくても手を出しづらい値が設定されていて、公国大使館職員はこぞって「貴族御用達の店」と呼んでいる。
類は友を呼ぶというべきか、サンドラもマリーと同様に甘い物に目がない。
連邦軍大佐の前でスイーツ狂いを発揮できるほどではないにしろ、サンドラはこういう品を喜ぶ。
つまるところ…これからどんなことが巻き起こるかも想像がついてしまった。
「あら、ロディ?お帰りなさい」
「ただいま、サンドラ……少佐殿、ここでお会いするとは…」
「こんばんわ、大尉。良い夜ですね。実は、こちらの方が当局の紛失物を届けてくださったので、そのお礼に伺ったのですが…まさか大尉の奥様でしたとは。」
マジか、サンドラ。
「あんなのただの偶然ですよ!」
いやいや、それ絶対仕組まれてるやつだから。
たぶん『オペラ座』の誰かがサンドラの目の前でわざとらしく鞄か何か置いてっちゃったんでしょ?
そりゃ届けるでしょ、誰でも。
「大尉といい、奥様といい…共和国は誠実な隣人へのお礼を忘れません。つまらない物ですが、どうかお受け取りいただけませんでしょうか?」
「ぅあらっ!?これあのお店の!?ぅおあっ!?ロディ!あのお店貴族御用達って呼ばれてるの知ってる!?」
そりゃ少佐殿は貴族将校ですから。
「それでは、夜分遅くに大変失礼致しました。私はこのあたりで…」
私としてはそのままお暇願いたいが、サンドラはきっとそれを許さない。
「そんな、少佐さん!こんな物を受け取っておいてタダでは返せませんよ!ウチでお茶でもいかがです!?」
そりゃウチのカミさん、裕福とはいえ純朴な農村の出身だからなぁ。
田舎のノリでいけばそうなるよなぁ…
「いえいえ、せっかくご主人もお戻りになられたのですから…」
「夫だって、少佐さんのような人がいらっしゃるなら大歓迎ですよ!ねえ、そうでしょ、ロディ?…ロディ?」
「………ふぁい。」
私はサンドラの純粋で素朴な性格に惹かれた。
まさかそれが仇となり、自宅で防諜組織課長の尋問を受ける事になろうとは。
和やかな笑みを浮かべつつも、確かに冷たい瞳で私を見るロフスキ少佐殿に向かい合いつつも、私はそんな事を思った。