公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
なんの変哲もないクソみたいに庶民的なテーブルで、貴族の中の貴族みたいな女性が私の対面に座っている。
とても上品な笑みを浮かべているが、事務所で垣間見たロフスキ少佐の本性が、どれだけの憎悪をその鉄仮面の下に忍ばせているのか私に想像させた。
絶対に怒ってる。
なぜ怒っているのが分かるのか、理由を挙げるとすれば『オペラ座』の課長直々にマイ・スイート・アパートメントを訪ねに来たあたり、凄まじいまでの怒りを抱いているはずだ。
例えば…あの…シルサルスキ少尉?
あんな感じの新人将校がお礼に来ましたって言うなら私もこんなに焦らない。
私だって良い加減にこの階級をつけているわけではないから、あの新人将校相手ならそれなりに煙を撒ける自信がある。
ところが、少佐殿はわざわざこんなクソ平民将校の住居を訪ねてきたのだ…もっと言うなれば訪ねてきておかしくない理由まで作った上で訪ねてきたのだ。
つまりは「テメェ、分かってんだろうな?煙撒こうなんざ1000年早えんだよ。」と言うことである。
サンドラが我々の目の前にカモミールティーを置いていき、茶菓子か何かを探しに別室へと向かった。
マリーが気を利かせてくれ、サンドラに手伝うとかなんとか言いながらこの少佐から遠ざけてくれる…或いは自らも避難したのだろう。
私と"差し"になった少佐は上品に紅茶を啜ると、ティーカップを置き、私に笑顔を向けたまま話し始める。
「そういえば、大尉。連邦の友人経由で情報の共有をいただきました。公国のご協力に感謝します。」
「お力になれたのであれば、此方としても嬉しい限りであります。」
「しかしながら…我儘と思われるかもしれませんが、できることなら次回より
「申し訳ありません、少佐殿。本国の外務省より、連邦経由で共和国に達されたしとの指示がありまして…」
「手立てはいくらでもある…そうではありませんか、大尉?」
「少佐殿は小官を買い被りすぎかと…小官はただの平民将校に過ぎませんよ。」
「将校に貴族も平民もないでしょう。私とて王国との戦争では他の兵と共に塹壕に這いつくばった身です。…大尉、あなたにもご経験がおありでは?」
束の間、私はまたマルダヴへと引き戻された。
塹壕、鉄条網、機関銃、砲弾、小銃、傷、血、ガス、そして……死。
帝国軍が迫ってきた日の照明弾。
明るく照らされた闇夜の中に、確かに見てとった双頭鷲の国章。
私は目を瞬せて現在へと戻る。
「少佐殿に比べれば…大した武勇伝などありません。ただ、そうですね、畏まりました。努力をお約束させていただきます。」
「大尉にはご負担をお掛けして申し訳ありませんが、小協商実現のための一助とお考えいただければと。」
つまり"努力"程度では足りん、と。
「失礼を承知でお伺いしたのですが、連邦からの情報は不十分でしたでしょうか?」
「率直に申し上げて、不明な点…いえ、連邦側が意図的に隠したと思われる情報もあります。」
バルヒェット大佐がロフスキ少佐相手に連邦右派の関与を語らないのは無理もない話だし、私は大佐からそれに関して"伏せろ"と指示をされている。
それに少佐が不満を持ったと言うことは…少佐は少なくとも、武器密輸の黒幕が連邦にいる事を疑っているわけだ。
もしその裏付けが取れれば少佐は連邦に対しての交渉材料にもすることができる。
更に言えば少佐はその裏付けを私から得ようとしている。
だからわざわざこんなクソ平民将校の住居を特定し、"演劇"まで用いて偶然を装い…それもかなり力づくで装い、牧歌的なお茶にまで付き合っているのだろう。
少佐は私に対してプレゼンスを示した。
"私達が本気になれば、あなた達の事など筒抜けなのよ"
"あなた達が共和国にいる限り、私達はいつでもあなた達に手を出せる"
この茶番は
声色を荒げても仕方ないし、そんな事をしては逆効果だ。
少佐はもう笑ってなどおらず、脂汗を滴らせる私を冷たい瞳で見つめている。
楽になるには連邦関連の情報を渡すのが手っ取り早い。
だが、大佐との約束を破る事になるし、まだ大佐とのコネクションを失いたくはない…それは"後見人"の意図に反する行為でもある。
「……少佐殿、どうかご理解いただきたい。大佐殿を裏切るわけにもいかないのです。」
「確かに苦しい立場でしょうね、大尉。連邦の内政問題に関わる話…我々はそう想定しています。」
少佐がジリジリと化けの皮を剥がしていくものだから胃が痛くなる。
"紛失物を届け出た善良な外国人に敬意を表しに来た担当者"はもうおらず、そこには"国家防諜機関の長"がいた。
「肯定も否定もできません。」
「大尉、殆ど答えたようなものでは?」
「私が言ってしまえば言質を取られた事になる。どちらにせよ、少佐殿に手出しはできないのです。」
(
「小官は、
「………分かりました、大尉。少し意地悪が過ぎてしまったようですね。どうかご容赦ください。」
「代わりと言ってなんですが…」
そこまで口走ってから後悔した。
軽々しく言うべきではなかったかもしれない。
「?…新しい情報ですか、大尉?」
「…あ…………いえ……ああ…」
少佐の冷たい瞳が私のそれを射抜く。
やっちまった。
やらかしてしまったが、今や目標は被害を最小限にする事になっていた。
「まだ連邦には流していませんから、どうかこの事はご内密に。国境部で摘発された密輸業者ですが、東部の港へ向かう予定だったようです。」
「東部の港?…なるほど。大方右派は王国へのテロ攻撃でも行って外患を呼び込む気なのでしょう。」
「少佐殿、差し出がましいようですが…武器を受け取っているのが右派とは限らないのです。」
「…何?」
「お恥ずかしながら、公国からの武器流出量は常軌を逸しております。密輸業者が車列を組むくらいですから、右派勢力を全武装させてあまりある程度の武器が流入していることはお察しのことと思います。」
「………」
少佐の沈黙は肯定と受け取れる。
それだけの量の武器が何の為に使われるか…それを突き止めなければ、少佐の懸念は予防できない。
「…少佐殿、私の仕事は武器の受け取り手を探し出すことでした。」
仕事といっても"
「密輸業者への尋問によって新たに得た情報から察するに、受け取り手が誰になるにせよ、流通の目的は2点に絞られるかと。」
「大尉のご意見は?」
「1つは東部の港から第三国へ輸出している可能性があります。協商連合は王国と永らく国境紛争を抱えていますし、経済状況も安定していない…公国や共和国と同じレベルです。かの国家でも右派が台頭しているようです。」
「もう1つはなんでしょう、大尉。私達が心配しなければならないのは、そちらの方だと思いますが。」
「おっしゃる通りかと。…それを狙いとする誰かが意図的に両方にばら撒いているのか、或いは両方の偶発的な一致になるかは分かりませんが……共和国東部での擾乱が目的かと。」
冷たい瞳が氷点下まで下がる。
こうなるから言いたくなかった。
できればこういうことは連邦の大佐に先に伝えておきたかったのだ…さすれば、こんな恐怖は味わずに済む。
「擾乱?右派が民衆を煽り」
「或いは左派かもしれません。先ほど述べました通り、どこの誰かは私も知らないのですが…武器密輸の首謀者が共和国の右派と左派の両方に武器を流している可能性も否定できません。…誠に申し上げにくいのですが、付け加えるならば」
「…ええ、その可能性もあり得る………東部は王国の侵攻に直接晒された地域…」
「人間は一度暴力を受けると、二度目は事前に防御策を考えるものです。通常それは軍の役割ですが……もし………その………軍を期待……できないのであれば………」
「
つまるところ東部の民間人が密輸された武器を自宅に隠し持っていてもおかしくはない。
少佐は公国への怒りと、かつての経験の負目から、劇薬を噛み潰すような表情をしている。
…"後見人"の読み通り。
東部の経験は未だに少佐を拘束している。
だから東部なのだ、いや、東部でなければならなかったのだ。
少佐は何度か呼吸を整えると、冷静な…しかし決して笑みとは言えない真剣な表情で私の方に向き直る。
「大尉…事は一刻を争います。密輸された銃器の行方を掴まなければ、共和国は東部から崩壊する。」
「ええ、我々としてもできる限りの」
いつも通りの外交儀礼は少佐に遮られる。
「1つ質問を、大尉。あなたは我々の
「……少佐殿。共同交戦国という表現では少々曖昧が過ぎますでしょうか?」
「ええ、過ぎます。多分に過ぎるほど曖昧だ。…しかしあなたの立場としてはそこが限界でしょう。そして、あなたはきっとこの事を王国にも通知するよう指示されている。」
「いいえ、まさか少佐殿。
少佐は私を睨みつけるが、何も言うことはなかった。
彼女だって私の立場なら同じ事を言っただろうし、理性はそれを理解させている。
そう、私の口から情報が王国に伝わることはない。
しかし外務省は軍隊とは違う指揮系統上にいる。
公国と王国は1877年以来の"
王国がこの情報を得て何をするか。
王国が国境のすぐ西側に公国軍の正式装備が大量に流入し、右派か左派か、或いはこの地域の人間が"自衛"の為に歩兵銃を隠し持っている可能性があると知ったら。
マトモな王国の官僚なら間髪入れずに軍事侵入の準備をする。
なに、擾乱の危険に備えると正直に話せばそれで事足りるだろう。
主戦派は何とか小細工をして戦闘状態を醸し出そうとあの手この手を尽くし、やがては穏健派も巻き込んで戦争を再開できる。
王国の侵攻はほぼ確実に連邦の介入をも誘発する。
そうなれば今度こそ共和国は東西に分けられて消滅するかもしれない…それは十分に考えられた。
「お怒りなのは分かります、少佐殿。ですが…どうかご容赦を。公国は本来王国と親しい間柄です。このように王国の耳に入る前に、少佐殿にお話すること自体背信と捉えかねません。共同交戦国としてと、いささか中立を欠いてさえいるかと。」
「それは言い過ぎでしょう。…この情報は
「いいえ、
「
「隣人への
厳しい表情を浮かべていた少佐の顔が更に引き絞られる。
そして口から「プッ」という音を発したかと思うと、仰け反るように高笑いした。
「あははははははッ!!これはこれはっ!確かに!おっしゃる通りでした、大尉!」
少佐は私の意図を汲み取っただろうか?
我々が連邦を通して共和国に情報を伝えたことに関して、"それが共和国にとって如何なる不利益であれ、公国の主権でもあり、謝罪する必要も道理もない"という意図を。
それに加えて、何の関係もないサンドラを巻き込んだ事に対する少佐への批難の気持ちも加えてみたが…少佐はきっとそんな事は気にかけもしないだろう。
「………ははは、少し熱くなり過ぎてしまったようです、大尉。確かに偶然とはいえ、ご自宅に押しかけるような真似をしてしまいました。ご無礼をお許しください。大尉のおっしゃる通り、このような話はより適切な場所ですべきですね…例えば、
自宅に押しかけられたくなければ『オペラ座』に来るか大使館に招け、と?
大使館の地下には『公正取引委員会』があるし、あまり少佐に出歩かれて存在を暴露したくない。
ということは………毎回あの"オオカミの巣穴"に入らないとダメなの?
「ご心配には及びません、大尉。我々はいつでも誠実な隣人を歓迎致します。」
「ご丁寧に…ありがとうございます。」
「それでは、あまり長居をして奥様との時間を奪ってしまっても失礼でしょうし…私はここでお暇させていただきましょう。本日は
ロフスキ少佐はそう言ってアパートメントを後にした。
彼女の後ろ姿が共和国の夜道に消えていく事を確認した私は、ふぅぅぅぅっと深い息をしながら元いた椅子に座る。
あまり間をおかずにサンドラとマリーが出てきて、脂汗にまみれた私に声をかけた。
「ロディ?大丈夫?」
サンドラの表情からして、マリーは私が説明をする手間を省いてくれたらしい。
副官の気遣いに感謝しつつ、私はグッドサインを出す。
「それなら良かったけど…共和国人め、人の自宅を狙うなんて!…こんな手土産なんかで私を懐柔できるとでも!?」
「待て待て待て、やめろサンドラ。そのパイに罪はないし、少佐は仕事熱心が過ぎるだけで敵じゃない。」
「大尉、何故パイだと分かるんですか?」
「君ならどうするかな、マリー?ここを攻める前に事前に情報を収集しないか?」
「なるほど。公国では賄賂次第で何でも買えますからね。」
「その通りだ。何にせよ…サンドラ、すまないが夕食の準備をしてくれないか?腹ペコで堪らないんだ。何たって、さっきの30分で日中の3倍は働いたからね。」