公国商人   作:ゔぇにすのしょーにん!

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17 食虫植物

 

 

 

 

 マリーナ・ルチェスクはつい先程まで、「この人が私の上官ならどれだけ幸せだろう」などと考えていた自分の浅はかさを呪った。

 ヨランダ・ロフスキを出迎えてしまった事自体が大きな間違いだったのだ。

 

 電話越しに感じる上品で甘い声音に惑わされ、市庁舎前にある有名洋菓子店でのささやかながら甘美な休憩を誘われて。

 本来自分で入れるような店ではないと知りながら…しかし上官は吝嗇家、あのような店には連れて行ってはくれまい。

 そもそもあの店のオーラ自体が外国のくたびれた軍服を着た人間を拒んでいる!

 しかし!

 嗚呼、嗚呼!

 なんたる僥倖!

 ヨランダ・ロフスキ少佐殿の同伴であるならば、軍の制服さえあればかの店のペイストリーを味わえる!

 

 脳髄まで甘味に支配されたがために、ルチェスク中尉はちょうど食虫植物に誘われた羽虫のように罠に嵌まり込んだ。

 甘美な気持ちは最初の二口まで。

 ペイストリーを味わい我に帰ると、この欲深い公国軍将校は左右を屈強なオペラ座隊員に挟まれ、対面には上品な笑みのロフスキ少佐殿という構図。

 …こういうのをマルチ商法と言うのでは?

 

 

「お気に召していただけたようね、ルチェスク中尉?」

 

「………え、あ、はい!この度はお誘いいただき誠にありがとうございます!」

 

 

 じわっと汗が滲み出る様子が自分でもわかる。

 両脇にいる…微笑みを浮かべながらペイストリーとコーヒーを楽しむナイマーク大尉とバーク中尉の両名を突破できたとて、この店から出るにはロフスキ少佐の同伴が必要であろう。

 入って来た時と同じように、ルチェスク中尉にはここを出る時の作法も何もわからない。

 会計をしようにも、果たして自身の手持ちの金額が"貴族御用達の店"の値札に届くか大いに疑問符がある。

 海外派遣先で"貴族御用達の店"に入り込み、食い逃げをして国外追放?

 最悪だ。

 ルチェスク家の大きな汚点になるだろう。

 

 だからルチェスク中尉には逃げ出すという選択肢がない。

 スタン大尉!あなたが悪いんです!

 ここまでとは言いませんけど、少しは喫茶店にでも連れて行ってくれれば虫ケラよろしく誘い出されることもなかったのに!

 

 とんでもない責任転嫁を脳裏で行いながら、ルチェスク中尉はオペラ座の現場指揮官が何を言い出すのか身構えていた。

 

 

「そう緊張しないでちょうだい?…あなたとは腹を割った話ができそうな気がするの……スタン大尉とは違ってね。」

 

「たっ、大尉殿は尊敬できる上官です!」

 

 

 こんな大嘘、いったい誰が信じよう?

 公国軍がマルダヴで戦う前から、あの吝嗇大尉の悪評判は軍に知れ渡っていたのだ。

 尊敬の意など微塵も感じない。

 

 

「ふふふっ…そう。大尉は良い部下を持ったわね。国に忠じ、義務を果たした良き部下を持った…。」

 

「私は………そんな…」

 

 

 ルチェスク中尉が言い淀んだのには訳がある。

 公国軍が帝国領に攻め入ったのは、彼女が軍の士官学校にいた時だった。

 確かにマルダヴには配置されたが、帝国軍は無駄な損耗を避けていたので、彼女自身はその猛攻を目の当たりにしたわけではない。

 吝嗇大尉は紛いなりにも戦火を潜ったわけだが、彼女にその経験はなかったのだ。

 

 

「……私は戦火を潜ったわけではありません……大尉とは違って…」

 

「けれど戦地にはいた。そうでしょう?…拳銃はヒスパニア製ね?それも、戦時生産で粗悪品に成り果てる前の物。さぞ値が張るでしょうに、あなたはそれをわざわざ探し出した。悲しいことに、今では男性将校さえ装飾としないサーベルも腰にして…あなたみたいな部下ならオペラ座でも大歓迎よ?」

 

 

 ややもすると涙が出てしまうのではないかという賛辞を浴びせられ、マリーナ・ルチェスクは内心感激する。

 敵の策略と分かっていても、今まで理解者に恵まれなかった彼女にとってロフスキ少佐の言葉は心身に染み渡るものがあった。

 スタン大尉にとっては価値のないものでも、彼女にとって栄誉というものは何事にも変え難い魅力を備えている。

 ロフスキ少佐はその価値観を本当の意味で理解しているに違いない…現に彼女もサーベルを携えているのだから。

 

 

 

 あのクソったれ吝嗇大尉に()()されていなかったら、ルチェスク中尉は本当の意味で"落ちて"いただろう。

 一介の初級将校が外国の高級軍人からこれほどの敬意を表されれば誰だってそうなりかねない。

 しかしイロディオン・スタンは自身が本国に帰る間に、そういった調略の可能性を微塵も考えないほど愚かではなかった。

 ゆえにルチェスク中尉は()()を思い返しつつ、誠に遺憾ながら敵に懐柔され、つい秘密を漏らす素振りを見せる。

 

 

「少佐殿…本当に勿体無いお言葉です………大尉にも少佐殿の愛国心の一分でもあれば…」

 

「率直に聞きます、ルチェスク中尉。大尉は副業をしているのでは?」

 

 

 つまりオペラ座は勘づいている。

 スタン大尉が想定した中で、最も共和国の動きが速かった場合のパターンに当てはまる……つまりオペラ座の有能さが改めて証明された事になった。

 

 

「……実は、私もそれを疑っています。大尉は今回、王国の人間と帰国したようなのです。」

 

「王国の人間と…帰国したよう……?待ってください、副官のあなたが大尉の日程を知らないと?」

 

「少佐殿、どうかご容赦を。大尉は裏帳簿を持っています。…マルダヴ時代に王国と伝手を作ったのでしょう。彼の性格からして、買収に応じていても不思議はありません。私は王国の関与を疑っています。」

 

 

 公国と王国は伝統的な同盟国。

 些か出来すぎたようにも見えるが、不思議な話ではない。

 

 

「もし仮にそうだとして、王国は大尉に何をさせたいのかしら?」

 

「公国右派と連邦右派、それに共和国右派は確実に繋がっています。密輸経路を見れば一目瞭然ですよ。連邦右派が金を出し、公国右派が仕入れ、共和国右派が流通させる。…王国は管理されない武器が国内に流入する可能性を放置できない。」

 

「帝政ガルダリケは国内の擾乱によって一度滅びた…故に二度目はないと?」

 

「王国は管理されない武器に神経を尖らせています。時期に公国側にも圧力がかかるでしょう。」

 

「お気の毒に、中尉。残業時間が増えるわね。」

 

「ええ、まったく……大尉も大尉です!副業をするなら部下をカフェに連れて行くくらいの持ち合わせはあるでしょうに!」

 

「勤勉な部下は辛いわね…ああ、皮肉じゃないわ。…他に大尉を買収するような勢力を…あなたは想像できる?」

 

「連邦は金払いは良さそうですけど、大尉を買収するメリットがありません。王国は大尉を使うことで公国や共和国より早く動ける。武器を共和国内に留めて……その………えっと………」

 

「分かるわ、中尉。王国は既に流出した共和国を武器に留めておかせたい。共和国が"無料で"回収するように。」

 

 

 ロフスキ少佐の笑みはそのままだったし、ナイマーク大尉とバーク中尉は相変わらずペイストリーを楽しんでいるが、その雰囲気は一瞬だけ明らかに変わった。

 それはまるでアルプスの山中で、暖かな小屋から雪の吹雪く外へと押し出されたような…凍てつくような冷たさを伴っていた。

 "恨みますよ、スタン大尉!"

 自身をこんな境遇に落とし込んだ上官を呪いながら、ルチェスク中尉は最低限の報酬である、自身の給与では到底楽しめないペイストリーを口へ運ぶ。

 

 

 ロフスキ少佐は憎悪の氷を笑顔の奥に素早く隠し込み、穏やかな口調で再びルチェスク中尉に話しかける。

 

 

「ルチェスク中尉、あなたは潔白で誇り高い軍人よ。上官と違って国のために働ける。大義のために働く人間を、私たちは仲間とみなすわ。」

 

「まさか、そんな…身に余る光栄ですが……小官を過大評価し過ぎかと。」

 

「いいえ、これは本心よ?…私は仲間が苦しんでいるのなら、力になりたいと思っている。」

 

 

 共和国軍少佐がルチェスク中尉の手を取り、その小さな左手を彼女自身の両手で包み込む。

 そうやりながらまっすぐ瞳を覗き込み、同性のルチェスク中尉ですらうっとりとするような美形で持って誘惑する。

 

 

「大尉が親身になってくれないのなら…どうか私を頼って、ルチェスク中尉?国のため共に戦える人物こそ、私たちの求める同胞よ?」

 

 

 オペラ座の演技、ここに極まる。

 ならばルチェスク中尉とて、素人なりに演じなければなるまい。

 

 

「………ありがとうございます、少佐殿。しかし……」

 

「抵抗があるのは分かるわ、中尉。あなたには愛国心がある。それをお金で買えるとは思っていない。…でも手助けをするくらいなら、させてもらいたいの。」

 

「………考えさせてください……」

 

「ええ、もちろん。即答する方が間違いよ。…ごめんなさい、少し苦しい立場に追い込んでしまったみたいね。」

 

「いいえ、そんなっ…我々こそご迷惑を」

 

「迷惑なんて…何も心配はいらないわ。バーク中尉、どうかルチェスク中尉を送って差し上げて。」

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 背の低い女性将校が去った後、ロフスキ少佐は残りのペイストリーを楽しみながらナイマーク大尉と談笑を続ける。

 

 

「合州国は我々よりも好条件を彼らに提示しているようですね。」

 

「それはそうよ、大尉。世界経済を牛耳る超大国に立ち向かえるほど、ロフスキ家は裕福じゃないわ。…でも気になるのは……王国と合州国の関係ね。」

 

「と、言いますと?」

 

「ルチェスク中尉の言い分通りなら、王国はこの件で合州国と同じ利益を共有している。合州国が公国に武器を流させているのなら、王国が止めに入るはずはないもの。」

 

「東部の擾乱は介入の絶好の機会になるでしょうな。」

 

「一応の辻褄は合うわ。王国は東部で擾乱が起きるのを手ぐすね引いて待つ一方で、国内に武器を流したくない…嗚呼、反吐が出そう。」

 

「しかし何か…でき過ぎた話にも思えます。合州国が王国に、共和国への軍事介入を促しているようなものです。」

 

「ええ、とても引っかかるわね。もしそうなら連邦の中央政府は合同調整局に首輪をつけているはず。彼らはディアナ大佐がどう動くかくらいの想像はできるはずよ。何か、釈然としないわね。」

 

 

 ペイストリーの後味を、紅茶で流し込む。

 どちらにせよ、ルチェスク中尉の勘定を持つのはこれが最後になるだろう。

 

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