公国商人 作:ゔぇにすのしょーにん!
合同共和国
首都
オペラ座本部
皮肉やおだてと言ったものを抜きにしても、ヨランダ・ロフスキ少佐はお美しい貴婦人に違いない。
正直に言って、共和国軍少佐の階級章の付いた軍服などとても似つかわしくなかった。
あなたのような方は領地に帰って紅茶でも飲み、ドストエフスキーの小説でも読みながら優雅な午後をお過ごしになられた方が良い。
そういった優雅な午後とは無縁な者が、意図して優雅な午後を手放しわざわざ排水溝に腕を突っ込むような仕事をしているお貴族様の相手をしていると、先週32口径弾が潜り込んだあの傷が痛み始めてしまう。
あの非力な弾丸が到達し得なかった胃も痛み始めたが、それは合州国の諜報員が仮にも『公国軍側の新しい監督者』という立場で来やがったにも関わらず、オペラ座との調整を私に丸投げしやがったからでもある。
故に私はわざわざ排水溝を好んで磨きたがる"お嬢様"相手に尋問を受けていた。
「新しい担当者とのご挨拶に伺えないとなれば、共和国の威信に関わります。どうか歩み寄りを。」
「お言葉は嬉しいのですが少佐殿、公国にもそれなりの内状があるのです。バセスク少佐は短期間の赴任に過ぎません。形式上の人事ですよ。」
「その割には仕事熱心な方ですね?あなたとマリー副官の3人で東部にいたわけは?」
ロフスキ少佐が机の上に写真を出す。
白黒写真には平服姿の私とマリー、それに派手なスーツのバセスク少佐がばっちり写っていた。
やはり把握されていたか………
「少佐殿、これ以上を私の口から述べるわけにもいかないのです。」
「いいや、それは違うでしょう大尉。あなたは新しい指揮官の暴走に困り果てる可哀想な副官などではない。」
ロフスキ少佐が獲物を狙う狼のような瞳で私を見る。
「それどころかあなたは核心にいる、そうでしょう?」
「…何の話を」
「そろそろ口の利き方に気をつけたほうがいい。あなたは公国のためではなく、他の誰かのためにこの仕事をしているのでは?…私はそう確信している。」
「…………私が王国関係者と公国に戻った事を訝しんでおられると?…そうであるなら杞憂です。むしろ、その件はあなた方の利益になる。」
「ほう?」
「公国内部には共和国の敵もいるのです。共和国との小協商を切り分けて、伝統的な同盟国である王国に媚を売ったほうが良いと考える者達です。…王国はそんな媚を望んではいない。」
「王国は東部を侵食するつもりがないのですね?」
いや、大アリだ。
少なくともオルロフ大使はそうしたいに違いない。
だが政府としては東部への介入などとんでもない話だろう。
この王国のカオスな内情を、共和国関係者に話すわけにもいかない。
ルィバルコ少佐にはその程度の恩義はある。
「…少なくとも、私と公国に行った担当者はその認識です。ですから、私は王国の威光を盾にする必要があったのです。」
「その話が本当なら我々はあなたに勲章の一つでも差し上げなければなりませんね。…あなたには何の利益が?」
「利益?…私は軍人であり官僚でもあります。定年退官、円満退職、不自由ない老後の生活。王国に媚を売るために、共和国との戦争を望むような阿保のせいで台無しになったらどうします?」
「………」
「気に食わない、という顔をされていますが…ご理解はいただきたいものですな、少佐殿。我々公国の平民将校には、その階級章など永遠に手に入らんのです。主観の入った言い方になりますが、あなたは貴族位と少佐という階級の二物をお持ちだ。その苦労は途方もないものでしょうが、我々はその苦労をいくら背負ったところでどちらも手に入らんのです。」
「知った口を…!」
「そこまでにしないか、少佐!非礼を働いたのは君の方だろう!」
初老の紳士が少佐の隣にいなければ、私は喉元を食いちぎられていたかもしれない。
これは比喩や暗喩ではなく、"売国奴"に侮辱された少佐は腹を空かせた狼そのものだった。
その狼を手懐けるジェントルマンといえば、まだ会話ができそうな人間なので、私はそちらの方を向く。
「少佐が失礼を。」
「いえ、こちらこそ熱くなり過ぎました。勿論、そちらの不審も分かります。…ただし、私は担当者とはいえ全権を委任されているわけではないことをご理解いただきたいのです。」
「それは理解しますが、大尉。我々としても不審な外国軍高官を放置できないのです。バセスク少佐殿の目的が我が国へ損害となることではないと証明していただかないことには……」
勿論、防諜機関たるアンタらの職務から考えるのであればそれは分かりすぎるほど分かる話だった。
外国の軍高官が何の断りもなく彷徨く訳を話せない?
「彼は不審者です」と宣言しているようなものだろう。
私は深くため息を吐いて、用意していたシナリオに話を沿わせる。
「これからお話しする内容は決して他言しないでいただきたい。」
「勿論です。」
「………バセスク少佐殿はマルダヴ時代の私の古い上官です。あなた方の事ですから、私のことはご存知でしょうが…我々は大戦中王国に随分と世話になった。」
「…………」
「先ほども述べたとおり、大戦中に我々の世話をした王国の友人は東部での擾乱を望んでおりません。それは私もバセスク少佐殿もそうです。」
「バセスク少佐殿も定年退職が目当てと?」
「やめないか、少佐。」
「そうです、少佐殿。我々は不安定な汚職国家において、一介の小役人であることを望む少数派です。だからこそ政府は人畜無害な我々を共和国での任務に派遣したのでしょう。野心のある人間ならそこら中で汚職に励んでいる。」
「なるほど…しかし、随分と………控えめな表現ですな。」
「局長殿、もっと率直に根性無しなどと仰っていただいても構いませんが…しかし、大戦で3年間山に籠った後に国民から冷や水を浴びせられた身としてはそこが落とし所なのです。現実的にも、感情的にも。」
「………」
「………リスクを犯しお話下さったことを心より感謝致します。ですが…我々としても警戒の目を向けざるを得ないことをご理解ください。なにぶん、王国とは東部での衝突したばかりですので。」
「……それは致し方なしでしょう。ただし公国も王国の完全な従属国家というわけではありません。小協商の協力体制に向けて、微力となれれば嬉しく思います。」
「ええ、我々もそれを望んでいますよ。」
公国軍大尉が去った後、ロフスキ少佐は盛大なため息をついた。
ハイネマン局長が自分の葉巻を少佐に勧めるのはその働きを大いに労いたい時だが、ロフスキ少佐は今回は2本ばかしもらわないと割に合わないと感じている。
「先生の"野良犬"役は疲れます。」
「愚痴を溢すな、ロフスキ学生。あんな分かりやすい"家庭訪問"をしたのは君だろう。あの大尉に警戒されているのだから、"理性のある方"は私が演じるしかあるまい。」
「あら、これは辛辣なご評価ですね。」
「正当な評価だろう。…ただ大尉の様子を見るに、例の推量は正解のようだ。」
「大尉の話が本当なら大戦中のマルダヴ山中は奇々怪界としていたでしょう。」
「ああ、差し詰め魑魅魍魎の巣窟だな。バセスク少佐は公国軍人でもなければ
「舐めた真似をしてくれるものです。合州国の人間なら私達も手出しをしないと?」
「現に手出しは危険だ。…不可能とは言わないまでもな。ところでロフスキ学生。情報部から面白い話が入った。」
「あら?脚本のコンクールでも始めたのですか?」
「誰が書いたかは知らんが読むには値するぞ。
「それは素敵。ですが、本当に愛国心で書かれた脚本でしょうか?大尉を見るに公国の愛国者は全滅したと思っていましたので。」
「そこも含めて確かめてきてもらいたい。」
「まぁ!防諜機関の我々が海外出張ですか!ちょうど汚職国家の腐臭というものを体験してみたかったところでした!」
「残念だが会合場所は公国ではなく、正確には国境沿いになる。流れ込んでくる腐臭くらいは嗅げるかもしれんが…」
「ご心配なく、その時は掃射致します。」
実際の手紙はタイプライターで書かれていたが、ロフスキ少佐はハイネマン局長から受け取った手紙を読んだ時、局長の言わんとしていることを理解した。
…それが偽りではないことを願いながら。